世界の中の日本

  • マップ
  • マップ
北アメリカ 南アメリカ 国連 ヨーロッパ アフリカ 中東 アジア 日本 オセアニア
1 2 18
2020年01月24日

英王室:ロイヤルハイネスと公爵の称号

イギリスのヘンリー王子とメーガン妃は、1月上旬、王室の中心的な「高位(主要)メンバー」から外れ、経済的に独立する意向を示しました。ただし、「女王を支え、女王に対する義務を守り続ける」とも強調、王室の一員として「半公半民」の立場で活動したい考えを表明しました。

 

(参考記事)

英ハリー王子、王族辞める?

ヘンリー英王子、王室離脱へ

 

これを受けて英国王室(バッキンガム宮殿)は、今月18日、ヘンリー王子夫妻が今春、王室の「高位(主要)メンバー」から外れ、公務には参加せず、王族への敬称である「ロイヤルハイネス(殿下および妃殿下)」の称号(肩書)を失うと発表しました。これは、夫妻が王室から実質的に離脱するという合意であり、公務に参加しないということは、公式に女王の代理もできないということも意味します。しかし、結婚時に与えられたサセックス公爵(ヘンリー王子)およびサセックス公爵夫人(メーガン妃)の称号は、王室離脱後も継続して使用するとされています。

 

一方、今回の決定では、夫妻の当初からの求めに応じて、今後は経済的に自立することが認められたことになります。このことは、これまで受けていた王室助成金などには頼らないことを意味し、例えば、夫妻がイギリスでの生活の拠点にしているフロッグモア・コテージの改修にかかった費用、約3億4,000万円も返済するそうです。

 

この決定に対して、ヘンリー王子は、「私たちの望みは、公費を受けることなく、女王と英連邦への奉仕を続けることだった。残念ながらそれは不可能だった」と発言しており、今回の決定が本意ではなかったことを示唆しました。

 

そこで、今回の投稿では、この王室の決定について考えてみたいと思います。まず、「ロイヤルハイネス(殿下および妃殿下)の称号を失う」と、「サセックス公爵及びサセックス公爵夫人の称号は、王室離脱後も継続して使用する」というのはどういうことなのでしょうか。

(参考投稿:ハリー王子と「王室高位メンバー」)

 

  • ハイネスと公爵

ハイネス(Highness)は、マジェスティ―(Majesty)、エクセレンシー(Excellency)と同様に、地位の高い人への敬称で、「殿下または妃殿下」と訳されます。イギリスでは、ロイヤルハイネス(Royal Highnessといい、王族(王室メンバー)で、国王(現在はエリザベス女王)の子孫や、子孫に嫁ぐ女性に対して使われる尊称(称号)です。英語では、その対象者が男子ならば、「His Royal Highness」(殿下)、それが女子ならば「Her Royal Highness」(妃殿下)となります。つまり、ロイヤルハイネスの称号(尊称)を保持していることは、「イギリス王室」の高位(主要)メンバーであることを指しています。

 

ヘンリー王子もメーガン妃も、このロイヤルハイネス(Royal Highness)の尊称(称号)をエリザベス女王から受けていますが、今回、お二人は、自らが求めた経済的独立の代償として、この「His Royal Highness」(殿下)と「Her Royal Highness」(妃殿下)の尊称(称号)を失うことになるのです。

 

一方、ヘンリー王子とメーガン妃は、結婚を機に、エリザべス女王より、「公爵」の称号を受けています。公爵とは、貴族としての称号である爵位の一つです。爵位には、公爵(こうしゃく)、侯爵(こうしゃく)、伯爵(はくしゃく)、子爵(ししゃく)、男爵(だんしゃく)とありますが、公爵はその中で最高位の爵位です。報道では、ヘンリー王子夫妻は、この公爵の称号は失わないとされています。

 

この内容の理解のために、ヘンリー王子夫妻の結婚時の以下の報道記事が参考になるかと思いますので一読してみて下さい。

――――

 

ハリー王子&メーガン妃に与えられた新たな称号を解説

(2018/05/23、Bazaar、一部抜粋)

バッキンガム宮殿は先日、エリザベス女王が孫のハリー王子に「サセックス公爵」の称号を与えたと発表。それにともない、花嫁メーガン・マークルは「サセックス公爵夫人」となり、妃殿下(Her Royal Highness)の称号も授与されることになる。発表によると、「エリザベス女王は本日、ハリー王子に公爵の位を授与しました。王子の称号は、『サセックス公爵』となります」と報じている。そして「ハリー王子は『殿下(His Royal Highness)サセックス公爵』となり、メーガン・マークルは結婚により、『妃殿下(Her Royal Highness)サセックス公爵夫人』となります」と続けた。

 

王室メンバーの結婚に際して、君主(女王)は新しい称号を与える慣習がある。昨年、ハリー王子とメーガン・マークルの婚約が発表されると、王位継承順が第6位であるハリー王子には、英国貴族の称号としては最高位である「公爵」の称号が与えられると予想されていた。なかでも、「アルバニー」や「クラレンス」と並んで空いていた「サセックス」が最有力候補だったのだ。

 

ハリー王子は出生時に、父の「プリンス・オブ・ウェールズ」という称号を反映させて「ウェールズ」の名を与えられた(「プリンス・ヘンリー・オブ・ウェールズ」)。規則としては今後「サセックス」を用いることになり、メーガン妃も「メーガン・サセックス」となる。メーガン妃も夫の称号と名前を名乗ることになる。つまり、女王が彼女に与えた称号と並び、「妃殿下(Her Royal Highness)プリンセス・ヘンリー・オブ・ウェールズ」となる。自分の名前とともに「王子(プリンス)」や「王女(プリンセス)」の称号を使うことができるのは、ロイヤルファミリーに生まれた人だけなのだ。とはいえ、メーガン妃は苗字を使う必要はない。実際、「殿下(His Royal Highness)」、「王子(Prince)」や「妃殿下(Her Royal Highness)」、「王女(Princess)」の称号を持っている王室メンバーは誰も、姓を使う必要がまったくないのだ。

―――

なお、マジェスティー(Majesty)は、国王(女王)に対する尊称で、エリザベス女王は「Her Majesty」(女王陛下)と呼ばれます。

 

では次に、「王室助成金などに頼らない経済的に自立した生活」について改めてみてみましょう。先日の投稿(ハリー王子と「王室高位メンバー」)で、「ヘンリー王子の資産は、約43億7000万円と試算されている」と書きました。今回は、資産ではなく、王室助成金など日々の公務や生活のための資金の流れや、今後についてみてみます。

 

  • サセックス公爵夫妻の収入

 

コーンウォール公領からの収入

ヘンリー王子夫妻は、チャールズ皇太子が保有する「コーンウォール公領」の収入の一部を供与されています。コーンウォール収入とは、コーンウォール公爵(チャールズ皇太子の称号)が持つ、イギリス23郡にまたがる約530平方キロメートルに及ぶ広大な土地からの収入で、主に、領地から生じる地代などです。

 

コーンウォール公領は、1337年に、当時の国王エドワード3世が王位継承者の財政をまかなうために創設され、チャールズ皇太子の収入源となっているそうです。年収、約2000万ポンド(約30億円)とも言われています。チャールズ皇太子は、このコーンウォール公爵領の収入の一部を、ウイリアム王子(ケンブリッジ公爵)一家や、ヘンリー王子(サセックス公爵)一家を含む皇太子の家族に、公務やチャリティ活動、プライベートな出費に充てるための資金として配分しています。ヘンリー王子は、年推定196万ポンド(約2億8000万円)を受け取っているそうです。

 

王室助成金

コーンウォール公領からの収入以外にも、ヘンリー王子は、兄ウィリアム王子とともに、エリザベス女王からの女王の王室助成金の資金援助を受けています。二人の王子は、エリザベス女王から王室活動費として年500万ポンドを受け取り、このうちヘンリー王子とメーガン妃には約200万ポンド(約2億8600万円)が割り当てられていると言われています。この女王が王室メンバーに分配する「ソブリングラント」と呼ばれる王室活動費は、主に、公務旅行や財産管理の補助に使われているそうです。

 

こうした王室のメンバーとして受けとっているお金が今後、入ってこなくなったとすると、ヘンリー王子夫妻は、どうやって「稼ぐ」のでしょうか?

 

 

  • 経済的に独立した場合

前回の投稿でも紹介した内容と一部重複しますが、年間約100億円ともとも試算される次のような膨大な収入が期待されています。

 

・テレビ出演や講演活動

・グローバル企業のアンバサダー

・インスタグラムからの広告収入

・商標の「サセックスロイヤル」からの収入

 

ヘンリー王子は2019年12月に自らの爵位にちなんだ「サセックスロイヤル」の商標登録を行いました。「サセックスロイヤル」の商標がついた服飾品や書籍類など100を超える登録項目から収入が期待されています。

 

 

  • メーガン妃と王室

今回の「騒動」は、「王族メンバーとしてメディアからの厳しい視線に耐えられなくなったメーガン妃を守るために、ヘンリー王子が決断した模様」などと報じられました。そうであるなら、今回の英王室(バッキンガム宮殿)の対応は、王族メンバーとして厳しい監視下にあった生活から離れることができるので、この点に関して言えば、夫妻にとってはよかったのではないかと思われますが、それだけではないようです。

 

イギリス王族は、「子宮の中にいる時にしかプライバシーはない」と言われるほど、国内外のメディアの注目度も高く、特に、「タブロイド」と呼ばれる英大衆紙は、王室のスキャンダルを好んで暴こうとします。イギリスの社会においては、伝統的に倹約精神というのが美点としてあるそうです。エリザベス女王もストッキングが伝線すると繕いに出していたという逸話もあるほどです。ですから、イギリス国民は、王族に対しても当然そうした価値観の継承をある程度は期待するわけですが、メーガン妃は真逆です。

 

アメリカ人のメーガン妃は、ハリウッド女優で、派手で華やかタイプ、しかも離婚経験もあるなど、これまでのイギリス王室にはいなかった女性です。当然、そんなメーガン妃の行動は、こうした大衆紙の格好のターゲットとなります。実際、メーガン妃の父親への私信が違法に報じられたり、携帯電話の音声メッセージを盗聴されたりしました(ヘンリー王子はこの件で訴訟を起こした)。しかし、こうした報道に対して、市民は眉をひそめるのではなく、受け入れている文化がイギリスにはあります。王室も、開かれた王室のイメージを定着させるためにもこれを容認しているようです。英王室は、7紙と独占的に公務取材を行える取り決めをしているそうですが、その中にはゴシップネタを追う大衆紙も含まれているのです。

 

メーガン妃は、「王室の高位メンバー」から抜けることで、「御用メディア」の監視下から離れたいと考えたのではないかとの見方が一般的です。ただし、それは自分と家族のプライバシーを守るためという理由だけでなく、自らのビジネスプランの実現に支障がでると考えたのでないかと見られています。

 

前回の投稿記事でも指摘しましたが、ヘンリー王子夫妻は、仮に収入が入らなくても、生活していける資産を持っています。しかし、そのような生活に満足できるメーガン妃ではないようです。妃は昨年、英民放ITVのドキュメンタリー番組で「生き抜くだけでは十分ではなく、成功して幸せを感じなければならない。それが人生だ」と発言しました。もっとも、メーガン妃も王室の一員に成りきろうとしたことも事実です。「感情を抑えるというイギリス流の繊細さに適応しようと努力した」と妃自身が告白しています。ただ、セレブ志向のメーガン妃にとっては無理だったようです。

 

今回、王室の一員として、可能な公務を行うことで、エリザベス女王を支えつつも、「高位ロイヤル」の立場からは離脱し、一年をイギリスとカナダで半分づつ過ごすと発表しました。メーガン妃からすれば、それは、王室の高位メンバーを執拗に追いかける大衆紙を避けつつ、経済的な成功を求めるための理想的な提案であったに違いありあません。

 

しかし、王族の象徴ともいえる「ロイヤルハイネス(殿下および妃殿下)」の称号(肩書)を失うことは、英王室というブランドを最大限に利用してセレブであり続けようとするメーガン妃にとっては大きな誤算であったかもしれません。もっとも、サセックス公爵の称号は失わないとされているので、胸をなでおろしているかもしれません。

 

 

<参照>

ウィリアム王子の資産は54億円超!、一体どこから来ている?

(Jun.28.2019、CELEB)

ハリー王子&メーガン妃に与えられた新たな称号を解説

(2018/05/23、BAZAAR)

英国王室は、あなたが考えているよりも多くの収入源を持っている

(2019/11/29、BAZAAR)

ヘンリー王子とメーガン妃、年間収入100億円になるか

(2020/01/18、女性セブン2020年1月30日号)

メーガン妃とヘンリー王子が英王室を離脱する 年の半分カナダに移住

(2020年1月9日 yahooニュース)

宗教と風習―貴族の世界(欧州編)(So-net)

Wikipediaなど

2020年01月22日

ニュース:ヘンリー英王子、王室離脱へ

ヘンリー王子夫妻、英王族を「離脱」 殿下の称号失う

(2020年1月19日 日本経済新聞、一部抜粋)

 

英王室は18日、ヘンリー王子とメーガン妃が王室のメンバーから外れると発表した。2020年春以降は公務に就かず、王族への敬称である「ロイヤルハイネス」(殿下、妃殿下)の称号を失う。王室から独立したいとする夫妻の意向を、エリザベス女王が認めた。王位継承順位6位の王子が王族から抜けるという異例の事態となった。エリザベス女王は同日、声明を発表した。「ハリー(王子の愛称)とメーガン、(息子の)アーチーは常に愛する家族の一員」とする一方で、「彼らの幸せで平和な新しい生活を認めると本日合意したことは、私の家族全員の望み」と述べた。

 

王室の発表によると夫妻は公務に就かない代わりに、公費でまかなわれる「王室助成金」は受け取らない。夫妻の収入は父であるチャールズ皇太子が所有するコーンウォール公領の収入が大部分を占めるが、具体的な言及は避けた。英BBCによると、公費でまかなわれた英国の住居の改修費について、夫妻は240万ポンド(約3億3千万円)を返還するという。ロイヤルハイネスの称号が奪われる意味は大きく、ヘンリー王子夫妻は実質的に王族ではなくなる。1996年にチャールズ皇太子とダイアナ妃が離婚した際にダイアナ妃は妃殿下の称号を使うことを求めたが、王室はこれを認めなかった。

 

――――

ヘンリー王子「ほかに選択肢なかった」…本意と異なること示唆

(2020/01/20、読売新聞、一部抜粋)

 

英国のヘンリー王子(35)は19日、ロンドンでの慈善団体の会合で演説し、妻のメーガン妃(38)とともに王室メンバーとしての公務から身を引くことについて「ほかに選択肢はなかった」と述べた。ヘンリー王子は「私たちの望みは、公費を受けることなく、女王と英連邦への奉仕を続けることだった。残念ながらそれは不可能だった」と述べ、王室の決定が自身の本意と異なる結果だったことを示唆した。

ーーーーー

 

これまでの経緯については、投稿記事「英ハリー王子、王族やめる?」を参照下さい。

 

 

2020年01月19日

皇室:古式ゆかしき「歌会始の儀」

1月16日、宮中行事である「歌会始の儀」が行われました(投稿記事「令和初の「歌会始めの儀」」参照)。歌会始について、まとめてみると伝統的・文化的に奥の深いものがありました。

★☆★☆★☆★☆

 

歌会始とは?

和歌(短歌)は,日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれているなか、600年以上の長い歴史をもつ宮中の歌会始は,国民参加の文化行事となって現在に至っています。「歌会」(うたかい)とは、人々が集まって共通の題で歌を詠み,その歌を発表する会をいいますが、天皇が年の始めに正月行事としてお催しになる歌会を「歌会始(うたかいはじめ)」といいます。

 

「歌会始」は、長い歴史のある宮中の行事で、そこには独特の言葉の使い方があります。一般の人たちが歌を応募することを「詠進」(えいしん)といいます。詠進した歌を選考する人を「選者」(せんじゃ)といいます。そして詠進して選ばれることを「選に預かる」といい、その歌を「選歌」(せんか)といいます。

 

「歌会始」には一般の方、選者のほかに、「召人」(めしうど)といって天皇陛下から特別に要請されて歌を詠進する方もあります。召人は広く各分野で活躍し貢献している人々を選び,今年は国文学者の久保田淳氏が選ばれました。詠まれた和歌は「」(うた)といいますが、皇族殿下、妃殿下のは「お歌」(おうた)、皇后陛下のは「御歌」(みうた)、天皇陛下のは「御製」(ぎょせい)と申し上げます。これらの歌を詠み上げることを「披講」(ひこう)といいます。

 

この儀式の進行は,読師(どくじ=司会役),講師(こうじ=全句を節をつけずに読む役),発声(はっせい=第1句から節をつけて歌う役),講頌(こうしょう=第2句以下を発声に合わせて歌う役)の諸役が行います。

 

歌会始の儀

「歌会始」は、宮中の松の間のある長和殿で行われ、天皇皇后両陛下の御前で歌が披講されます。進行は司会役の読師(どくじ)が行います。最初に節をつけずにすべての句を講師(こうじ)が読み、つぎに第1句から節をつけて発声(はっせい)が歌うと、第2句以下を発声にあわせて講頌(こうしょう)が続き歌います。

 

披講の順番は、一般の応募作(今年は1万5324首)から詠進された選歌(入選者)、つぎに選者の歌、天皇陛下に招かれた召人(めしうど)の歌、皇族方のお歌(三笠宮家の寛仁親王妃信子さま、秋篠宮妃紀子さま、秋篠宮さま)、皇后陛下の御歌と続き、最後に天皇陛下の御製となります。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され,文部科学大臣,日本芸術院会員,選歌として選ばれた詠進者などが陪聴します。

 

歌会始の歴史

歌会は、「万葉集」にもあることから、奈良時代には既に行われていたと推察されています。歌会の中で、天皇がお催しになる歌会を「歌御会」(うたごかい)といい、宮中では年中行事としての歌会などのほかに,毎月の月次歌会(つきなみのうたかい)も催されるようにもなりました。

 

これらの中で天皇が年の始めの歌会(正月行事)としてお催しになる歌御会を「歌御会始」(うたごかいはじめ)といいました。歌御会始の起源は,必ずしも明らかではありませんが、遅くとも,鎌倉時代中期まで遡ることができるものと言われています。歌御会始は,江戸時代を通じほぼ毎年催され,明治維新後も,明治2年(1869年)1月に明治天皇により即位後最初の会が開かれています。

 

明治の近代化の過程で、明治3年には、一般の人に苗字を名乗ることが許されるようになると、明治7年(1874年)に、これまで皇族・貴顕・側近など宮中の方々のみに限定されていた参加資格が、一般国民にも拡大しました。明治12年(1879年)には一般の詠進歌(応募された和歌)のうち特に優れたものを選歌とし,歌御会始で披講(披露)されることとなりました。これが、今日の国民参加の歌会始の始まりといえます。大正15年(1926年)には,皇室儀制令が制定され,古くから歌御会始といわれていたものが,以後は「歌会始」といわれることになりましたが、大正天皇崩御のため、実際に歌会始と呼ばれたのは昭和3年(1928年)の歌会始からです。

 

第二次世界大戦後は、広く一般の詠進(応募)を求めるため,お題は平易なものとされ、預選者(選ばれた人)は式場への参入が認められただけでなく,天皇皇后両陛下の拝謁や選者との懇談の機会が設けられるようになりました。さらに、テレビの中継放送が導入されて,さらに多数の人々が歌会始に親しむことができるようになりました。こうして歌会始への国民参加は,ますます促進されるばかりか、最近では、海外からも作品が寄せられています。

 

<参考>
歌会始(宮内庁HP)
宮中の「歌会」から国民参加の「歌会」へ(Tenki.com)
Wikipedia

2020年01月18日

英王室:ハリー王子と「王室高位メンバー」

英国のヘンリー(ハリー)王子とメーガン妃が今月8日、英王室の「主要メンバー(高位メンバー)」の立場を退き、財政的な自立をめざすという声明を出しました。「主要(高位)メンバー」から退くということが、ヘンリー王子の引退、王室からの離脱を意味するといった様々な憶測が流れています。また、どの場合でもヘンリー王子の王位継承との関係はどうなるのかといった疑問の声が上がっています。今回は、「(英王室の)主要メンバー(高位メンバー)の立場を退き、財政的な自立をめざす」という意味を考えることで、英国の王室について学びましょう。

————

 

「王室の高位メンバー」って何?

 

まず、そもそも、英国のシニアメンバー(高位メンバー、主要メンバー)とはどういう意味なのでしょうか?英文では「senior(シニア)」、日本のマスコミはこれを「高位」または「主要」と訳しました。「高位ロイヤル」という表現もあります。「高位メンバー」について、英国王室に公式な規定は存在しませんが、一般的には、「君主(女王)の成人親族で、(フルタイムの)ロイヤルファミリーとして女王の名の下に日常的な公務を遂行し、かつ王位継承に近い位置にいる王族とその配偶者」と解されています。現在、ヘンリー王子夫妻を含めた「高位王室メンバー」の地位にあるのは、以下の9人と見られています。

 

エリザベス女王陛下
エジンバラ公フィリップ王配(おうはい=女王の配偶者)
ウェールズ公チャールズ皇太子
チャールズ皇太子の妻・カミラ夫人
ケンブリッジ公ウィリアム王子
ウィリアム王子の妻・キャサリン妃
サセックス公ヘンリー王子
ヘンリー王子の妻・モーガン妃
ヨーク公アンドルー王子
(アンドルー王子とは、エリザベス女王の第3子(次男)、チャールズ皇太子の弟)

 

爵位はどうする?

今回の夫妻による「高位メンバー」からの脱退宣言は、ヘンリー王子が、王族という貴族の地位まで捨てて、一般人と同じように、普通の生活をするということなのでしょうか?

 

貴族の地位を捨てるということは、王家の称号である爵位(しゃくい)を辞退することを意味します。「爵位」は、貴族だけに与えられた称号で、爵位により、身分の序列が表されます。イギリスの爵位は、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順番です。ハリー王子とメーガン妃の称号は、爵位の最高位である公爵です。先ほど、「王室高位メンバー」のリストに、ヘンリー王子に「サセックス公」という肩書がありましたが、「公」とは公爵を意味し、「サセックス」はイギリスの地名で、爵位に地名がつけられるのが慣例です。

 

ハリー王子がメーガン妃と結婚した際、女王からの贈り物として、サセックス公爵と公爵夫人の称号が与えられましたが、ハリー王子とメーガン妃は、「サセックス公爵夫妻」の称号を放棄したいとは考えていないと見られています。実際、ヘンリー王子&メーガン妃は、写真共有サイト「インスタグラム」の声明文には、新たなワーキングモデルに移行し、経済的に独立したとしても、「引き続き、女王陛下に対する夫妻の献身は揺るぎないものであり、要望に応じて、女王エリザベス2世に忠誠を尽くすことを目指す」と書かれていたことからもわかります。

 

 

王位継承権はどうなる?

また、現在、ヘンリー(ハリー)王子は、王位継承順位は6位となっていますが、「引退宣言」で王位継承から外れるのかという疑問がでているようです。しかし、イギリスでは、王位継承権は絶対で、王位継承者は継承権を放棄できません。仮にヘンリー王子が望んだとしても、王族引退はできても王位継承権の放棄はできません。もっとも、一度王位につけば、王位から退くことはできます(過去にも1936年にエドワード8世の例がある)。

 

イギリス王室の王位継承順位(10位まで)

  1. チャールズ皇太子 エリザベス王女第1子
  2. ウィリアム王子 チャールズ皇太子の長男
  3. ジョージ王子 ウィリアム王子第1子
  4. シャーロット妃 ウィリアム王子第2子
  5. ルイ王子 ウィリアム王子第3子
  6. ヘンリー王子 チャールズ皇太子の次男
  7. アーチー王子 ヘンリー第1子
  8. アンドルー王子 エリザベス王女第2子
  9. ベアトリス妃 アンドルー王子第1子
  10. ユージェニー妃 アンドルー王子第2子

 

 

「経済的に独立」の意味は?

現在、チャールズ皇太子を除くイギリスの高位(主要)メンバーは、王室の信託財産からの助成金に家計を頼っています。ヘンリー王子とメーガン妃が言う英王室の「高位」の立場から退き、「経済的に独立したい」という時の「経済的自立」とは、現在の立場では認められていない「仕事をして収入を得ること」だと述べています。

 

実際、お二人は、かねてより離脱の構想を温め、2019年6月、独自の財団設立を発表し、その時点で、夫妻は「Sussex Royal」(サセックス・ロイヤル)の商標出願をしています。対象は「パジャマ、スーツ、フード付きトップス」から「助言・コンサルティングサービス」「健康・ウェルネストレーニング」まで網羅するブランドだそうです。

 

しかし、現在、高位ロイヤルの称号を持ったまま、「利益を得る」形で仕事をすることはできないとされていました。例えば、CM(コマーシャル)など企業とスポンサー契約を結んで、ブランド(企業)のために働き、報酬を得ることを認められていません。ですから、ヘンリー王子とメーガン妃は、「経済的に独立」をして、「王室ブランド」を営利目的の私的ビジネスに変えようという「挑戦」に乗り出したという見方も可能です。

 

 

実は膨大な個人資産が…

ただし、いわゆる経済的に独立という「王室改革」が、今回の王室引退(高位メンバーからの離脱)の目的だったかというと、それも疑問が残ります。というのも、ヘンリー王子は、仮にこれから働かず、助成金も入ってこなかったとしても、すでに驚くほどの個人資産を保有しているからです。

(「膨大な個人資産」についての記載は、Cosmopolitanの記事「・・・ヘンリー王子の保有資産はHOW MUCH?」を特に参照しました)

 

  • 曽祖母エリザベス皇太后が設立した信託基金

エリザベス女王の母、「クイーン・マザー」が、ウィリアム王子とヘンリー王子をはじめとするひ孫たちのために、1994年に設立した信託基金(推定1900万ポンド:約27億円)から、2人の王子はすでに約600万ポンド(約8億5800万円)を半額ずつ受け取ったとされています。また、王子たちは40歳になると、クイーン・マザーの信託基金に残されている金額のうちの800万ポンドから、それぞれの割り当て分を受け取る予定だとされています。しかも、その残りの金額の大半をヘンリー王子が受けとることになっていると言いいます。というのも、ウィリアム王子が君主になった場合に生じる二人の資産の差を埋め合わせようと皇太后が配慮したからだそうです。

 

  • ダイアナ元妃の遺産

母であるダイアナ元妃が王子たちに残した資産1000万ドル(税引き後、約10億円)を、王子たちは25歳になったときから、毎年一定額(推定45万ドル:約4900万円)を受け取っていると言われています。

 

そのほか、英陸軍航空隊のヘリコプター操縦士時代の給料などを含めると、ヘンリー王子の保有資産はおよそ4000万ドル(約43億7000万円)になるとの試算もあるほどです。

 

公爵夫妻の真意は?

こうした点を考慮すれば、今回の王室の高位メンバーから退くというヘンリー(ハリー)王子とメーガン妃の宣言の真相は、「経済的独立」は二の次で、王族としての生活に馴染めない「メーガン妃」がキーワードとなるのかもしれません。

 

カリフォルニア生まれのアフリカ系アメリカ人のメーガン妃は、結婚前に、人気ドラマ「スーツ」や映画への出演、企業とのスポンサー契約など「セレブ」生活をしていました。当然、英国王族の宿命ですが、夫妻はメディアから過度に注目、過剰報道されました。昨年、複数のメディアに対して訴えを起こすほど、苛立ちを強めていたとされています。

 

今回、公爵夫妻という肩書は捨てることなく、王室の高位(主要)メンバーから外れるという宣言は、母ダイアナ妃の悲劇を目の当たりにしているヘンリー王子からすれば、妻を守るための行動であり、また、自由と独立を志向するメーガン妃の要望であったと推察されます。実際、先日13日に行われた夫妻の王室離脱問題を巡る緊急の家族会議について、「2人の希望通り、イギリスとカナダの両国で暮らすことが了承された」と報じられました。ヘンリー王子とメーガン妃にとっての最大の希望は、イギリス(宮殿)から離れることだったのかもしれません。

 

 

<参照>

ハリー王子夫妻、王室主要メンバー退く意向 公務は継続

(2020年1月9日、朝日新聞)

英王室の緊急家族会議 ヘンリー王子夫妻の離脱容認

(2020/01/14テレビ朝日)

ヘンリー王子夫妻が退く英国王室の“シニアメンバー”ってなに?

(HUFFPOST 2020 1/09)

ハリー王子&メーガン妃、退位すると「サセックス公爵」夫妻の称号はどうなる?

CELEB 2020 1 20

[FT]ヘンリー英王子夫妻は「経済的に自立」できるか

(2020/1/10 日本経済新聞)

ヘンリー王子&メーガン妃が退く「高位」ロイヤルの立場とは?

(BAZAAR 2020 1/9)

英王室からの一部引退を表明! ヘンリー王子の保有資産はHOW MUCH?

(2020/01/09)Cosmopolitan

2020年01月16日

ニュース:令和初の「歌会始めの儀」

両陛下、未来担う世代詠む 令和初の歌会始

(2020/1/16、日本経済新聞、一部抜粋)

 

新年恒例の「歌会始の儀」が16日、皇居・宮殿「松の間」で催された。令和となって初めてのお題は「望」。天皇、皇后両陛下や皇族方が詠まれた歌のほか、1万5324首の応募作から選ばれた10人の入選者、天皇陛下に招かれた召人(めしうど)らの歌が古式にのっとった節回しで披露された。代替わり後初めての開催となった今回は、中央に両陛下が座り、秋篠宮ご夫妻ら皇族方が両側に着席した。皇后さまが歌会始の儀に出席されるのは、療養が始まった2003年以来17年ぶり。19年に退位した上皇ご夫妻は出席されず、歌の披講もなかった。

 

両陛下は即位後の2019年6月、東京都内の保育園に足を運び、子どもたちと交流された。12月には台風19号の被災地を見舞うため、宮城県丸森町と福島県本宮市を訪問。被災者や復興に尽力した人々に励ましの言葉を掛けて回られた。こうした活動を通じ、両陛下ともに未来を担う世代への希望を歌に込められた。

 

天皇陛下

学舎(まなびや)にひびかふ子らの弾む声さやけくあれとひたすら望む

皇后さま

災ひより立ち上がらむとする人に若きらの力希望もたらす

 

儀式は午前10時半から始まり、入選者、選者、召人、三笠宮家の寛仁親王妃信子さま、秋篠宮妃紀子さま、秋篠宮さま、皇后さま、陛下の順に披露されました。また、宮内庁は2021年の歌会始のお題を「実」とし、応募要領を発表しました。

ーーーーーー

歌会始の解説については、投稿記事「古式ゆかしき『歌会始の儀』」も参照下さい。

2020年01月15日

神社:伊勢神宮は内宮と外宮だけではない!

伊勢神宮は、有名な「内宮」と「外宮」(両社で「正宮」という)だけでなく、「別宮」、「摂社」、「末社」、「所管社」と呼ばれるお社からなり、全部で125社で構成されています。その範囲は伊勢志摩地方にひろく及び4つの市と2つの郡にまたがります。伊勢神宮について、前回の投稿「伊勢神宮、外宮と内宮の神さま」に続く第2段です。今回は、伊勢神宮の全体像をみてみましょう。

—————

正宮(しょうぐう)> 計2社

外宮(豊受大神宮)
祭神:豊受大御神(とようけおおみかみ)

内宮(皇大神宮)(こうたいじんぐう)
祭神:天照大御神

 

外宮と内宮のなかでも有名なのが御正殿(ごしょうでん/ごせいでん)で、通常、私たちは、それぞれの御正殿を外宮、内宮とみなすでしょう。御正殿とは、神社の本殿、宮殿の中心となる建物で、天照大御神は、内宮の御正殿でお祀りされています。外宮と内宮についての詳細は「伊勢神宮、外宮と内宮の神さま」へ。

 

別宮(べつぐう)> 14社

別宮とは、正宮と特に関わりの深い神さまをお祀りする格の高い神社で、御正殿に次ぐお宮です。正宮に準じて祭祀が行われています。別宮のお宮も、式年遷宮が行われます。伊勢神宮の別宮は、外宮(豊受大神宮)に4社、内宮(皇大神宮)に10社あります。別宮にも格付けのようなものがあり、外宮の第一別宮である多賀宮(たかのみや)や、内宮の第一別宮である荒祭宮(あらまつりのみや)には、大きな祭祀fが行われる際、天皇陛下が幣帛(へいはく)(=絹の反物など)をお供えされます。

 

外宮別宮(4):多賀宮土宮、月夜見宮、風宮

 

  • 多賀宮(たかのみや)

御祭神:豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま)

 

豊受大御神荒御魂とは、豊受大御神(とようけのおおみかみ)の荒く猛々しい時の御霊のことです。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、小高い丘の上に鎮座しています。外宮の別宮では最も格式の高い第一別宮で、20年に一度の式年遷宮の際、外宮では多賀宮のみ正宮と同じ年に行われます。

 

神道では、神さまの荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを「荒御魂(あらみたま)」、神さまの御魂のおだやかな働きを、「和御魂(にぎみたま)」といいます。 

 

  • 土宮(つちのみや)

御祭神;大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)

 

大土乃御祖神は、古くから山田原(やまだのはら)の鎮守の神でしたが、外宮の鎮座以後は宮域の地主神、宮川堤防の守護神とされ、平安時代末期に別宮に昇格しました。他の別宮は全て南向きですが、土宮だけ東を向いています。

 

  • 月夜見宮(つきよみのみや)

御祭神:

月夜見尊(つきよみのみこと)

月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)

 

月夜見尊は、天照大御神の弟神で、月の満ち欠けを教え暦を司る神とされています。内宮別宮 月読宮でも祀られています(同じ祭神)。

 

 

  • 風宮(かぜのみや)

御祭神:

級長津彦命(しなつひこのみこと)

級長戸辺命(しなとべのみこと)

 

級長津彦命と級長戸辺命は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子神で、特に風雨を司る神さまです。内宮別宮の風日祈宮(かぜひのみのみや)のご祭神と同じです。雨風は農作物に大きな影響を与えるので、正宮に準じてお祀りされています。また、鎌倉時代の元寇に際して神風を吹かして日本を守って下さったことから、国を救ってくれる祈願の対象ともなってきました。

 

内宮別宮(10)

荒祭宮、月読宮(4)、瀧原宮(2)、伊雑宮、風日祈宮、倭姫宮

 

  • 荒祭宮(あらまつりのみや)

御祭神:天照大御神荒御魂(あまてらすおおみかみのあらみたま)

 

天照大御神の荒御魂をお祭りしており、内宮に所属している10社の別宮のうち、第一位(第一別宮)とされ、20年に一度の式年遷宮の際、内宮では荒祭宮のみ正宮と同じ年に行われます。

 

内宮の敷地内には、天照大御神をお祀りする御正殿(ごせいでん)の他に2つの別宮があり、一つはこの荒祭宮で、もう一つが風日祈宮です。

 

 

  • 風日祈宮(かざひのみのみや)

御祭神

級長津彦命(しなつひこのみこと)

級長戸辺命(しなとべのみこと)

 

外宮別宮の風宮と同じように、特に風雨を司る神さまをお祀りしています。

 

 

  • 月読宮

祭神:月読尊

 

外宮別宮の月夜見宮(つきよみのみや)と同じように、天照御大神の弟神である月読尊(つきよみのみこと)をお祀りしています(外宮では月夜見尊と書く)。役割は、「月を読む」という名前の通り、月の満ち欠けを教え暦を司ることです。外宮では、月夜見尊の荒御魂も祭神となっていますが、こちらでは、月読尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)は、月読宮とは異なる別宮(月読荒御魂宮)に祀られています。

 

また、月読宮には、天照大御神と月讀尊の父母神である「父:伊弉諾尊(イザナギノミコト)」と「母:伊弉冉尊(イザナミノミコト)」も、伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮にそれぞれ祀られています。このように、内宮の月読宮の敷地には、月読宮だけでなく、以下の3社の別宮が並んで存在しています。

 

月読荒御魂宮(祭神:月読尊荒御魂)

伊佐奈岐宮(同:伊佐奈岐命)

伊佐奈弥宮(同:伊佐奈弥命)

 

  • 瀧原宮(たきはらのみや)

祭神:天照大御神の御魂

(天照坐皇大御神御魂/あまてらしますすめおおみかみのみたま)

 

瀧原宮は、伊勢市から40kmほど離れた渡会郡の山間に位置し、文字通りの「瀧原宮」と、「瀧原並宮(たきはらならびのみや)」の2つの別宮が並立しています。昔から神宮の遙宮(とおのみや)(遠い宮という意味)と呼ばれ、品格があることで知られています。祭神は、どちらも「天照大御神の御魂(あまてらすおおみかみのみたま)」とされていますが、瀧原宮はその和御魂(にぎみたま)、瀧原並(竝)宮は、天照大御神の荒御魂(あらみたま)が祀られるとする説明もあります。

 

伝承では、かつて、皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大御神を祀るため、相応しい聖地を探し求めていたところ、内宮より先に、この渡会の地に瀧原宮を建てて、天照大御神を祀ったという話しが残されています。しかし、その後、現在の内宮のある伊勢の地に新宮を建てたため、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)を祀る別宮となったと言われています。

 

内宮の雛形とといわれている瀧原宮は、「ミニ内宮」の様相を呈しているとされ、五十鈴川と同じように清流が美しい御手洗場もあります。入口の鳥居から参道を抜けると、奥に社伝がたたずんでいます。

 

  • 伊雑宮(いざわのみや)

祭神:天照大御神の御魂

 

志摩市に鎮座している伊雑宮(いざわのみや)は、別名「いぞうぐう」とも呼ばれています。天照大御神の御魂をお祭りしていて、地元の人々からは海の幸、山の幸の豊饒が祈られてきました。毎年6月24日(6月月次祭当日)に行われる御田植式は、「磯部の御神田(おみた)」の名で知られ、日本三大田植祭の一つとされます(後の二社は香取神社と住吉大社)。瀧原宮(たきはらのみや)と同様、別宮の中でも「遙宮(とおのみや)」と呼ばれ、地元からも篤く崇敬されています。

 

 

  • 倭姫宮(やまとひめのみや)

祭神:倭姫命

 

倭姫宮は、天照大御神を伊勢にお連れした、第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)を祭神としています。内宮と外宮を結んでいる御幸道路の中ほどの倉田山に鎮座し、別宮の中で最も新しいお宮です。

 

摂社(せっしゃ)> 43社

摂社は、平安時代中期(927年)にまとめられた国家の官帳である「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載されているお社で、外宮(豊受大神宮)に16社、内宮(皇大神宮)に27社あります。いくつかの摂社を紹介します。

 

  • 草名伎神社(くさなぎじんじゃ)(外宮摂社)

祭神:標劔仗神(みしるしのつるぎのかみ)

 

外宮の摂社として格式が高く、1210年に、月夜見宮が別宮に昇格してから、第一摂社となりました。祭神は標劔仗神(みしるしのつるぎのかみ)で、度会氏の祖とされる大若子命(おおわくこのみこと)が、標劔仗神から剣を賜り、越の国の阿彦という賊徒を討伐したことから、大幡主命(おおはたぬしのみこと)の名を賜ったという伝承が残されています。「草奈伎」の社号も、この剣を日本武尊の「草薙の剣」に例えたものと言われています。

 

大若子命(おおわくこのみこと)は、度会氏の祖とされ、天照大神の伊勢遷座のところ で、南伊勢の豪族として協力した功績から、官職の一つである神国造(かみのくにのみやつこ)と、神宮の大神主(おおかんぬし)(=神官で禰宜ねぎの上位)に任じられたとされています。また、「草薙の剣」は、倭姫命(やまとひめのみこと)から日本武尊へ授けられる以前に「神宮」にあったとされ、草奈伎神社では、草薙の剣の御魂を祀るという説も残されています。

 

  • 朝熊神社(あさくまじんじゃ)(内宮摂社)

祭神

大歳神(おおとしのかみ)
苔虫神(こけむしのかみ)
朝熊水神(あさくまのみずのかみ)

 

朝熊神社は、内宮摂社の中で格式が高い内宮第一摂社で、桜の名所(朝熊山)としても知られています。祭神は、上記したこの土地を守る神(熊野平野の守護神)かつ五穀と水の神の三柱です。ただし、別の資料では、大歳神(おおとしのかみ)ではなく、その子の桜大刀自神(さくらおおとじのかみ)とする説もあります。桜大刀自神は木華開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)の別名ともされています。

 

  • 多岐原神社(たきはらじんじゃ)(内宮摂社)

祭神:真奈胡神(まなこのかみ)

真奈胡神は、倭姫命(やまとひめのみこと)が宮川を渡るのをお助けした土地の神で、社も倭姫命を出迎えたとされる瀧原の近くの場所に建てられたとされています。

 

末社(まっしゃ)> 計24社

末社は、延喜式神名帳には載せられていませんが、807年に成立した伊勢の神宮の儀式帳で、鎮座の由来などについて記した「延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)(「皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)」と「止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)」の併称)」に記載されている神社です。なお、末社は、外宮(豊受大神宮)に8社、内宮(皇大神宮)に16社、あります。

 

  • 伊我理神社(いがりじんじゃ)(外宮の末社)
    祭神:伊我利比女命(いがりひめのみこと)

 

伊我利比女命は、かつて存在した外宮の御料田(神宮の神田)の井泉の神で、古く外宮御料田の耕種始めの神事、鍬山伊我利神事(くわやまいがりしんじ)が行われていました。このお祭りは、猪の害を防ぐためのもので、社名の「伊我理(利)」も猪狩(いかり)に由来するといわれています。

 

  • 小社神社(おごそじんじゃ) (内宮末社)

御祭神:高水上命(たかみなかみのみこと)

 

高水上命は、この土地の神で灌漑用水の神と伝えられています。小社神社は、この地方では「雨の宮」と呼ばれ、ひでりの折には雨乞祈願をしたといわれます。内宮神主の荒木田氏が、この地域を開拓した当時、産土神として尊ばれた神さまです。

 

所管社(しょかんしゃ)>計42社

所管社は、摂社と末社以外に、正宮や別宮にゆかりがあり、水やお酒、お米、塩、麻、絹などの御料(ごりょう)(=お供え物)、宮域鎮護など、祭祀にあたり深く関係を持つ神々がお祀りされている場所です。外宮(豊受大神宮)に4社、内宮(皇大神宮)に30社、内宮別宮の瀧原宮(たきはらのみや)に3社、伊雑宮(いざわのみや)に5社あります。ここでは、数ある所管社の中で、まず、内宮の域内にある2つの所管所をみてみましょう。

 

  • 子安神社(こやすじんじゃ)(内宮所管社)
    祭神:木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

 

祭神の木華開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)は、猛火のうちに御身無事に、三柱の御子をお生みになられたという神話から、子授け、安産、厄除けの神として篤い信仰を受けています。もっとも、木華開耶姫命は、元々は伊勢・宇治館町の「産土神(うぶすながみ)」という土地の守護神という伝承があり、木華開耶姫命に対する信仰はこの地に根付いています。

 

木華開耶姫命は、大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘神であることでも知られています。木華開耶姫命の御神体は「富士山」と云われており、父神の大山祇神からゆずり受けたとされております。子安神社の奥には、その大山祇神を祀る大山祗神社があります。

 

 

  • 大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)

祭神:大山祇神

 

大山祇神(おおやまずみしん)は、木華開耶姫命の父神で、山の神として全国から崇敬を集めています。子安神社と大山祇神社はともに、内宮の衛士見張所の近くにあり、親子神で並んで内宮の宮域でお祀りされています。なお、両社は、伊勢神宮の所管社ではありませんでしたが、1900年(明治33年)に再び、内宮(皇大神宮)の所管社として登録されています。

 

次に、内宮別宮の瀧原宮(たきはらのみや)にある若宮神社、長由介神社、川島神社をとりあげます。

 

  • 若宮神社(わかみやじんじゃ)(瀧原宮所管社)

祭神:若宮神(わかみやのかみ)

 

若宮神は、瀧原の地に縁のある水の神といわれていますが、由緒など詳細は不明とされています。天若宮(あめのわかみや)と呼ばれることもある若宮神社は、瀧原宮所管社3社のうち第一位です。

 

 

  • 長由介神社(ながゆけじんじゃ)(瀧原宮所管社)

祭神:長由介神

 

長由介神(ながゆけのかみ)は、瀧原宮の御饌(みけ・食物)の神といわれています。御饌の神だから、豊受大神の御霊あるいは分霊とする説もあります。長由介(=長生き)と解され、長生きの神であるとの民間信仰があり、江戸時代には、長寿祈願の参拝者でにぎわったそうです。

 

  • 川島神社(かわしまじんじゃ)

祭神:川島神

由緒など詳細は不明。川島神社は、1874年(明治7年)以降、長由介神社に合祀されるようになりました。

 

瀧原宮を訪れると、周る順番も、瀧原宮→瀧原並宮→若宮神社→長由介神社(川島神社は長由介神社と同座)が推奨されています。

 

一方、所管所の中には、社殿を持たない石神(磐座)祭祀など原初的な形式で祀られている所管所もあります。

 

  • 瀧祭神(たきまつりのかみ)

古代より、瀧祭神は氾濫が多かったとされる五十鈴川の守り神であったとされ、五十鈴川の龍神(水神)を鎮めるために祀られていると言われています。従って、瀧祭神は、五十鈴川の御手洗場近くの杜の中に鎮座し、板垣の内側に御神体の石がお祀りされています。元々は、対岸となる五十鈴川の西側の川辺に鎮座していたという説もあります。

 

  • 四至神(みやのめぐりのかみ)

四至神は、神の神域(大宮)の四方の境界を守護する神で、内宮と外宮に1箇所ずつ鎮座しています。元々はそれそれの境内に数十箇所以上も存在しと言われていますが、それらが統合されて1箇所にまとめられました。なお、四至とは宮の四方の意味です。

 

内宮の四至神の鎮座地は、神楽殿・五丈殿のやや東方、忌火屋殿の程近くにある石畳の上の白石で、そこで、石神としてまつられ、白石の石神(=四至神)のみがお祀りされた神域となっています。江戸時代までは、神様の依り代としての一本の桜の木=「桜大刀自神桜大刀自神(さくらおおとじのかみ)」が祀られていたそうです。桜大刀自神は木華開耶姫神(このはなさくやひめのかみ)の別名との見方もあります。

 

このように、伊勢神宮(「神宮」)は、外宮・内宮(正宮)に加えて、別宮、摂社、末社、所管社、計125社の総称で、社殿を有するお社や、石畳の上に祀られるお社など様々な形があります。なお、どの社が、別宮、摂社、末社、所管社となるかは、各時代によって制定された神祇制度(じんぎせいど)により神社の格(社格)が定められ、その格に応じて摂社・末社と分類されています。

 

<伊勢の祭り(神宮祭祀)>

この125社からなる伊勢神宮では、新年の歳旦祭(さいたんさい)から大晦日の大祓(おおはらえ)まで、各神社の祭祀を合計すると、年間を通じて、数十種以上およそ1500回も行われています。伊勢の神宮の祭りは、「神嘗祭(かんなめさい)」、「恒例祭(こうれいさい)」、「臨時祭(りんじさい)」、「遷宮祭(せんぐうさい)」の4つに分類されます。

 

10月の神嘗祭は、その年に最初に収穫した稲穂(初穂)を天照大御神に感謝のお供えをする祭祀です。また、「恒例祭(こうれいさい)」は、6月・12月の月次祭(つきなみさい)や毎日の神饌祭など定期的に行われる祭祀で、「臨時祭(りんじさい)」は、「天皇陛下ご即位〇〇年を祝う・・」など皇室・国家および神宮の重大事に臨んで行われます。そして「遷宮祭(せんぐうさい)」は20年に一度実施される一大祭祀でしたね。また、「神宮」では春先の祈年祭(きねんさい)、御田植祭(田植えの前に豊作を祈願する儀式)、秋の神嘗祭(かんなめさい)など、稲作に関わるお祭りが多く行われます。

 

このように、伊勢神宮の年間千五百回ほどにおよぶ祭典では、皇室国家の繁栄と国民の幸せを願う祈りがささげられています。

 

 

<参照>

神宮の歴史と文化(伊勢神宮HP)

教えてお伊勢さん(伊勢神宮HP)

BUSHOO!JAPAN 日本史データベース:寺社・宗教

伊勢神宮への参拝で日本人なら知っておきたい7つの秘密

伊勢神宮誕生から現在までの歴史 | 神ズム

かつて桜の神もいた!伊勢神宮内宮、太古の神祭りに触れる参拝(Lineトラベルjp)

別宮、摂社、末社、所管社とは

伊勢神宮はゼロ磁場!?

Line トラベル

伊勢志摩観光ナビ

お伊勢さん125か所参り(伊勢神宮崇敬会)

草奈伎神社・延喜式神社の調査

Wikipedia

 

2020年01月13日

神社:伊勢神宮、外宮と内宮の神さま

昨年11月、天皇皇后両陛下は、伊勢神宮に参拝され、皇位継承に伴う一連の国事行為「即位の礼」と、一世一度の重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」を終えたことを報告されました。また、令和2年に入って、年初の仕事始めの前に、総理を含め与野党を問わず多くの政治家も伊勢詣でしています。皇室の祖、ひいては日本人の祖ともいえる天照大御神をまつる伊勢神宮とは、どういう神社なのでしょうか?

 

伊勢神宮という呼び方は、実は通称で、伊勢の神宮、より正式には単に「神宮(じんぐう)」と呼ばれます。また、伊勢神宮(「神宮」)と一言でいっても、一つの社だけをさすのではなく、相並び立つ「内宮」(ないくう)と「外宮」(げくう)、さらには別宮、摂社、末社、所管社と呼ばれる大小さまざまな社(やしろ)を含め、あわせて125社からなるのが神宮です。ただ一般に「(伊勢)神宮」といえば、「内宮」と「外宮」を連想する人が多いでしょう。今回は、特に内宮と外宮の神さまを中心にまとめてみました。

☆★☆★☆★☆★

 

内宮では、皇室の御祖先神、日本人の総氏神とされる天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまを、また外宮では天照大御神さまのお食事を司り、産業の守り神とされる豊受大御神(とようけのおおみかみ)をおまつりしています。

 

外宮(げくう):豊受大御神(とようけおおみかみ)

内宮(ないくう):天照大御神(あまてらすおおみかみ)

 

<内宮の起源>

伊勢神宮の始まりは神話の「天孫降臨」の時代に遡ります。皇孫、瓊杵尊(ににぎのみこと)が、天照大御神の命を受けて、高天原から地上の豊葦原中ツ国(とよあしはらのなかつくに)に降りる際、天照大御神は、ニニギノミコトに、お鏡(八咫鏡やたのかがみ)を授けられ、鏡を自分(天照大御神)の御霊(みたま)とみなして、同じ御殿で祀るように命じられました。

 

この時から、天照大御神は、伊勢の地に鎮座される以前に、皇居内の天皇のお側で祀りされていました。しかし、第10代崇神(すじん)天皇(BC148~BC29)の時、その御神威を畏(かしこ)み、御殿を共にすることに恐れを抱かれた天皇は、大御神を皇居外のふさわしい場所でお祀りすることにしました。

 

この背景について神話では、崇神天皇の時代に疫病が流行し、大勢の死者が出た際、この原因が、「神の祟り」で八咫鏡のせいではないかという噂が流れたと言います。そこで、崇神天皇は、「お鏡(八咫鏡)」を、宮中(皇居)の外に出されことを決意されたという説もあります。

 

いずれにしても、崇神天皇は、皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に、皇居外のふさわしい場所を探すように、お命じになられます。すると、豊鍬入姫命は、皇居外の神聖な地を選んでおまつりすることにし、大和の国の笠縫村(かさぬいむら)(奈良県桜井市)に神籬(ひもろぎ)(=神霊を招き降ろすための樹木)を立てて、大御神を祀られたのでした。この場所が現在の大神神社(おおみわじんじゃ)の摂社「檜原神社(ひばらじんじゃ/奈良県桜井市三輪)」の辺りではないかと云われています。

 

その後、第11代の垂仁(すいにん)天皇(BC69~AD70)の代になると、八咫鏡をお祀りする役目が、垂仁天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)に交代します。倭姫命は、天照大御神が、新たに末永くお鎮まりになるのにふさわしい土地を諸国を尋ね歩かれました。大和国を出発し、伊賀、近江、美濃、桑名を巡られた末に、伊勢の国に入られた時、天照大御神は伊勢の地を望まれました。「日本書紀」には、この時、天照大御神が次のよう告げたと書かれています。

―――――

この神風の伊勢の国は、遠く常世から波が幾重にもよせては帰る国である。都から離れた傍国ではなるが、最も美しい永遠の宮処としてふさわしい場所である。この国にいようと思う

―――――

こうして、倭姫命(やまとひめのみこと)は、伊勢の五十鈴川の川上に、八咫鏡(天照大御神)を移してお祀りするための「御社殿」を建て、天照大御神さまをお祭りしました。この御社殿こそが、今日の伊勢神宮(内宮)となるのでした。これが今から約2000年前の出来事です。

 

<外宮の起源>

内宮ができてから、約500年後、天照大御神の食事を司る豊受大御神(とようけおおみかみ)をまつった場所が外宮(豊受大神宮/とようけだいじんぐう)です。また、この神さまは、私たち日本民族の主食であるお米をはじめ五穀、衣食住のめぐみを与えてくださる産業(農耕)の守護神でもあります。豊受大御神は第21代雄略(ゆうりゃく)天皇の御世(今から約1500年前)に、天照大御神のお示しによって京都の丹波(たんば)の国(天橋立付近)から、現在の地に迎えられてお鎮まりになったと伝えられています。

 

前出の天孫降臨の神話においても、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天降る場面で、天照大御神が天上の高天原でつくられた田の稲穂を手渡される場面があります。この逸話は、天で育った稲を地上にも植え、この国を天上界のような稔り豊かな国にするように託されたと解されています。

 

さて、その外宮には御饌殿(みけでん)という御社殿があり、そこで天照大御神に朝夕二回のお食事がお供えされています。「献立」は、御飯三盛、鰹節、魚、海草、野菜、果物、御塩、御水、御酒三献で、これらに御箸を添えて供えられているそうです。

 

また、伊勢神宮のHPによれば、神饌(しんせん)(神さまのお食事)を調理するのは忌火屋殿(いみびやでん)という建物で行われ、神に奉る神饌は特別におこした火と特別な水で調理することになっています。火は、清浄な火という意味で忌火(いみび)と呼ばれ、神職が古代さながらに火鑚具(ひきりぐ)を用いて火をおこしています。また、御水は外宮神域内にある上御井神社から毎日お汲みしてお供えされているそうです。さらに、お食事はただ出されるのではなく、「皇室のご安泰、国民が幸福であるように」との祈りと感謝を捧げる、「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」という祭祀の形で行われています。しかも、日別朝夕大御饌祭は、外宮の御鎮座以来、1500年間、欠かすことなく、朝夕の二度行われているのです。

 

<八咫鏡と斎王>

さて、内宮においては、7世紀末(飛鳥時代)に、天皇が即位する度に、未婚の女性皇族)」の中から、天皇に代わって天照大御神(八咫鏡)に仕える「斎王(さいおう)」という制度が確立しました。すなわち、伊勢神宮における斎王とは、天照大御神の御霊がお宿りする「八咫鏡を祀る任務を担う役職」のことで、一代の天皇が即位する度に未婚の皇女が1人選出されていました。

 

ただし、伊勢へ下ると、斎王は、日々、神宮で奉仕していたかというとそうではなく、基本的に、伊勢神宮の最も大切な祭典「三節祭」が執り行わる際にのみ、神宮へ赴き奉仕したと言われています。普段は、伊勢国多気郡の櫛田川付近(現在の近鉄斎宮駅の付近)に位置した「斎宮」で生活していたとされています。斎王はあくまで象徴的な存在だったのでしょう。

 

なお、「三節祭」とは、神宮内の数ある祭典(神事)の中でも特に重要視されている6月と12月の「月次祭」と10月の「神嘗祭」の3回の祭典をいいます。天皇は現在も、「三節祭」の時には、伊勢神宮へ使者「勅使(ちょくし)」をつかわして「絹織物」などを奉納されていたそうです。

 

しかし、この斎王の制度は、神宮創建後の約660年後となる室町時代の1330年頃、ちょうど朝廷が2つに割れた「南北朝時代」には廃止されてしまいました。政治の混乱とともに、斎王の制度を維持していく財源がなくなったことが要因とみられています。実際、南北朝時代を境に、朝廷の権威は衰えていきました。後醍醐天皇による天皇親政の復活を図った「建武の新政」も失敗し、武家が完全に権力を掌握する時代に移り変わってゆきます。天皇家が政治の中心いた時代では、財源の確保が容易にできましたが、武家の時代になると天皇のもとへ直接、財が集まらなくなりました。結果的に「斎王」の制度が執り行えなくなり、14世紀以降、時代から消えてしまいました。それまで、皇女が務めた歴代の斎王の人数は60余人にのぼりましたが、現在、伊勢神宮に「斎王」は存在しません。

 

<神宮の祭主>

参考までに、伊勢神宮には、現在も「斎王」と似て非なる存在として「祭主」がいます。神宮祭主は、天皇の代理として神宮の祭事をつかさどる役職で、天皇の「勅旨」を受けて決まります。神宮祭主のはじまりは不詳で、平安時代まではさかのぼると言われています。

 

現在の祭主は、上皇陛下の長女、黒田清子(さやこ)さんです。その前は、昭和天皇の4女の池田厚子さんで、戦後の祭主には、皇族出身の女性が就任されてきました(過去には、男性がなったり、華族らがなったりしていた)。やはり、伊勢神宮成立の経緯からして、皇室の祖先の神である「天照大御神」にご奉仕する「斎王」と同様、伊勢神宮の祭事に携わる「祭主」は、天皇陛下が定めた皇族、または元皇族の方が、務めると言うことが通例でした。

 

「祭主」は、神宮の祭事をつかさどる役職といっても、年間「千数百回」も行われていると言われるお祭りすべてに携わっているわけではなく、祭主が直接、神事に携わる(ご奉仕する)のは、神嘗祭(10月)など一部に限られています(このほかに出席するだけの「ご参列」もある)。ですから、祭主になると、伊勢への「常駐」が求められるかというと、祭主が直接関わる祭りは限られているため、伊勢に住みこむ必要はありません。黒田さんも、必要があるときに神宮を訪れるという対応をとられています。

 

以上、ここまで、内宮、外宮の起源とその後についてみてきました。では、内宮と外宮、どちらから参拝したらいいのでしょうか?答えは外宮からです。

 

<外宮先祭>

神宮のお祭りは、「外宮先祭(げくうせんさい)」といって、まず外宮から行われるのが慣例となっています。これは、豊受大御神(とようけおおみかみ)を伊勢の地にお迎えになった天照大御神から「我が祭りに仕え奉る時は、まず豊受の神の宮を祭り奉るべし、しかる後に我が宮の祭り事を勤仕(つかえまつる)べし」との御神託があったと伝えられているからです。

 

従って、内宮のお祭りに先立ち、神饌(しんせん)と呼ばれる神さまのお食事をお供えする日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい))が行われるならわしからきています。ですから、お祭りの順序にならい、お伊勢参りも外宮・内宮の順に参拝するのが慣例なのです。

 

<式年遷宮>

伊勢神宮(外宮・内宮、別宮)では、20年に1度、隣の敷地にそのままの姿で社殿を建て替うて、ご神体を遷す式年遷宮と呼ばれる最大の祭典が行われます。式年遷宮は、飛鳥時代の持統天皇の世の690年から、1300年以上にわたって、続けられています。直近では、2013年10月に行われました。

 

ただし、その年のみ儀式があるのではなく、遷宮の年の7年前から数々の行事がこなされます。ご神体(神さま)が古い正殿から新しい正殿へと遷られるという最重要の儀式は、「遷御の儀」という儀式です。御神体(神さま)にお移りいただいた後、古い社は解体されます。また、建物だけではなく、装束や宝物などの道具も新調されます。「遷宮」とは、言わば、神さまのお引越です。こうした過程で、技術は、「見習いの職人⇒棟梁⇒後見人」というように面々と引き継がれていくことになります。そういう意味で、式年遷宮は、建築や製品の技術を次の世代に伝えていくと制度もあります。

 

これに対して、外国にも歴史的な宮殿がいくつもあります。例えば、ギリシャ神殿は2千年以上も建ち続けています。しかし、それを千年、二千年に1回を建て改めるとなったとしても、同じ建築をつくれる人はもういないと言われています。

 

 

<私幣禁断の制>

古来、伊勢神宮は皇祖神である天照大御神をお祀りする、皇室にゆかりのある神社であることから、一般の人々は今のような自由な参拝はままなりませんでした。そのことを象徴的に示す制度に、天皇以外の幣帛(へいはく)(=食べ物以外のお供え物)を禁じる「私幣禁断(しへいきんだん)の制」がありました。幣帛(へいはく)とは、麻や木綿など食べ物以外の品を箱に入れてお供えすることで、伊勢神宮にお参りして、これらの品々を奉納できるのは(天皇の)「勅使」や「斎王」のみに限られ、個人は禁止されていたのです。

 

この私幣禁断(しへいきんだん)の制の「伝統」から、一般の人が伊勢神宮をお参りする時、「個人的な願い事をしてはいけない」と言われています。伊勢の神宮は、天皇が天照大御神さまの前で、国民と国家安寧のための公的な祈りの場であるので、「個人的な願いをかなえようと手を合わせて祈ってはいけません」となったのですね。ですから、現在も外宮・内宮の正殿の前には、「おさい銭箱」はありません。もっとも、皆がお賽銭を投げ入れるので脇に「箱」が置かれるようになったそうです。

 

<伊勢詣で>

もっとも、私幣禁断の制によって、一般の人々の参拝までも禁止されたわけではありませんでした。ですから、勅使のお供としてやってきた人々が都に戻り、神宮のことを口伝えに伝えられていくうちに、次第に神宮の存在が広く知られるようになったと言われています。平安時代の後半には、神嘗祭に「千万人」、鎌倉時代中頃には外宮遷宮に「幾千万」と文献には残されているように、神宮への参向者は年々増えていったようです。

 

江戸時代になると、全国に伊勢信仰が広がり、「お伊勢まいり」が流行するほどでした。この伊勢ブームに大きな功績があったのが御師(おんし)と称される人々です。伊勢の御師とは、神宮の外宮と内宮に所属して、参詣者の様々な願い事を神様に取り次ぐことを職務とする一種の下級神職でした。仏教の檀家制度に近く、檀家にお神札の頒布や祈祷を行い、檀家がお伊勢参りに来た際には、自らの邸内に宿泊させて両宮の参拝案内をしたり、御神楽を行ったそうです。江戸の全盛時代には、二千人あまりの御師が活躍し、伊勢の外宮方面(山田)と内宮方面(宇治)に、御師の館が1,000軒あったと言う説もあるくらいです。ただし、御師制度は明治時代に廃止されてしまいました。

 

このように、伊勢神宮は、一生に一度は伊勢参りと言われるくらい、人々に定着していったのでした。しかしながら、天皇は、江戸時代まで、皇室の祖である天照大御神を祀る伊勢神宮を参拝したことはなかったという驚くべき事実があります。(続)

2020年01月11日

ニュース:令和初の福男 西宮神社  

「一番福」は高校教師 令和初の福男決まる 西宮神社

(2020年1月10日、神戸新聞)

 

商売繁盛の神様「えべっさん」の総本社、兵庫県西宮市社家町の西宮神社で10日早朝、参拝一番乗りを目指して境内を駆ける「開門神事福男選び」があった。約5千人の中から、堺市に住む大阪府立藤井寺工科高校保健体育科教諭、黒木悠輔さん(33)が先頭で拝殿に駆け込み、令和で初めての「一番福」に輝いた。

 

江戸時代に始まったとされる伝統行事で、毎年「十日えびす」の本えびすを迎える10日に催される。参加者は9日夜から南門に集まり、くじ引きで前列に並べる約260人が決まった。夜明け前の午前6時。「開門」の掛け声で朱色の門が開き、参加者は約230メートルの参道を疾走。本殿では神職が、到着順に一~三番福の3人を抱きかかえた。一番福を手にした黒木さんは13回目の福男神事。12年間くじに外れ続けたが諦めなかった。「生徒には挑戦しないと何も始まらないと伝えたい」と満足げな表情を見せた。

2020年01月10日

ニュース:英ハリー王子、王族やめる!?

ハリー王子夫妻、王室主要メンバー退く意向 公務は継続

(2020年1月9日、朝日新聞)

 

英国のハリー(ヘンリー)王子(35)とメーガン妃(38)は8日、英王室の「主要メンバー」の立場を退き、財政的な自立をめざすという声明を出した。メーガン妃が以前住んでいた北米で過ごす時間を増やすが、公務は続けるという。夫妻はメディアから過度に注目され、いらだちを強めていたとされる。

 

夫妻は公式インスタグラム「何カ月も検討した結果、今年は新たな役割を開拓し始めることにした」と投稿。「王室の『主要な』メンバーとしては身を引き、財政的な自立に努める」とした。「女王や英連邦に対する公務や(慈善事業などの)後援は引き続き果たしながら、英国と北米で過ごす時間のバランスをとることを計画している」とも表明し、英国から離れる時間が増えることで「新たな慈善事業の立ち上げを含む次の活動に集中する余裕ができる」とした。詳細は今後、明らかにするという。

 

米国出身で元俳優のメーガン妃は、代表作のドラマの撮影でカナダに住んだことがある。夫妻は昨年誕生した第1子のアーチー君とともに、年越しの休暇をカナダで過ごした。英BBCによると、今回の声明について、他の王室メンバーは事前の相談を受けていないという。王室の広報担当者は「議論は初期段階にある。異なるアプローチを取りたいという彼らの望みは理解するが、複雑な問題で、時間がかかる」としている。ハリー王子夫妻は慈善活動への熱心さが称賛される一方、環境保護を訴えながら温室効果ガスを大量に排出するプライベートジェットを頻繁に利用していると批判されるなど、毀誉褒貶(きよほうへん)が激しい。ハリー王子は昨秋、英民放の番組で「大半が正しくないのに私と妻を傷つける報道がたくさんある」と報道への怒りをぶつけていた。

 

「パートタイムの王族」に?

「主要なメンバー」から退くということの意味は明らかではない。ハリー王子は王位継承順位は6位だが、王位継承から外れるかどうかなどの点について声明は触れていない。ただ、夫妻が露出を減らしたい考えであることは明らかだ。英メディアでは、夫妻がめざす「新たな役割」について「半分私人で半分王族」(英紙テレグラフ)「パートタイムの王族」(英BBC)などと解釈されている。王室担当記者は「新たな役割とは何か。どこに住み、誰がその費用を払うのか。他の王室メンバーとの関係はどうなるのか。疑問が多い」と指摘している。

 

☆★☆★☆★☆★

英王室の緊急家族会議 ヘンリー王子夫妻の離脱容認

(2020/01/14テレビ朝日)

 

イギリスのエリザベス女王はヘンリー王子とメーガン妃の王室離脱問題を巡り、緊急の家族会議を開きました。会議では2人の希望通り、イギリスとカナダの両国で暮らすことが了承されました。会議は13日、イギリス東部サンドリンガムにあるエリザベス女王の別邸で開かれました。会議後に出された声明で、エリザベス女王は「ヘンリー王子とメーガン妃には王室の主要メンバーとして残ってほしかったが、自立した生活がしたいという2人の希望を理解する」としました。そのうえで、「一家がイギリスとカナダの両国で暮らすための移行期間を設けることで合意した」と明らかにしました。家族会議にはチャールズ皇太子やウィリアム王子、ヘンリー王子が出席しましたが、メーガン妃はすでにカナダへ出国しているため電話での参加でした。

 

 

2020年01月09日

ニュース:昭和天皇祭「皇霊殿の儀」(1/7)

天皇陛下は、2020年1月8日、歴代天皇の霊を祭る皇居・宮中三殿の皇霊殿で行われた「皇霊殿の儀」に臨まれました。ただ、この昭和天皇祭皇霊殿の儀((しょうわてんのうさいこうれいでんのぎ)について、主要各紙はほとんど報じていませんでしたが、産経新聞は「両陛下ご動静(7日)」として、宮内庁の発表を記事としてWebニュースを載せていました。

 

【午前】

陛下 昭和天皇祭皇霊殿の儀(皇居・皇霊殿)

皇后さま 昭和天皇祭皇霊殿の儀に当たりご遙拝・お慎み(赤坂御所)

陛下 賢所勤労奉仕団ご会釈《昭和天皇祭御神楽の儀奉仕につき〉〈蓮池参集所)

 

【午後】

陛下 ご執務の(赤坂御所)

陛下 昭和天皇祭御神楽の儀(皇居・皇霊殿)

皇后さま 昭和天皇祭御神楽の儀に当たりご遙拝・お慎み(赤坂御所)

両陛下 昭和天皇祭御神楽の儀終了までお慎み(赤坂御所)

(2020.1.8 産経ニュース)

 

昨年2019年は、昭和天皇の逝去から30年の節目の年でしたので、「昭和天皇三十年式年祭の儀」が挙行されました。昭和天皇の式年祭は逝去後20年の2009年以来のことでした。

 

「昭和天皇をしのぶ式年祭」とも呼ばれる祭祀では、昭和天皇が埋葬された武蔵陵(むさしののみささぎ)で、「山稜の儀」が、また、皇居では昭和天皇など歴代天皇の霊を祭る「皇霊殿」では、「皇霊殿の儀」がそれぞれ行われました。(式年祭とは、決められた期間ごと行われる祭祀のこと)

 

ご参考に、昨年の昭和天皇祭について報じた日本経済新聞の記事です。

―――――

昭和天皇しのび30年式年祭 両陛下、武蔵野陵を参拝

(2019/1/7、日経)

 

昭和天皇の死去から満30年となる7日、昭和天皇が埋葬されている武蔵野陵(東京都八王子市)と皇居・宮中三殿で「昭和天皇三十年式年祭の儀」が営まれた。武蔵野陵での「山陵の儀」には天皇、皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻ら皇族方のほか、安倍晋三首相ら約80人が参列。昭和天皇をしのび、天皇陛下が御告文(おつげぶみ)を読み上げられた。モーニングの上にコートを着た天皇陛下は米や酒などが供えられた陵前で玉串をささげて拝礼し、御告文を大和言葉で読まれた。宮内庁によると「どうぞ国家、国民をお守りくださり、さらに繁栄させていただきますようお願い申し上げます」との趣旨という。

 

これに先立ち、歴代天皇の霊を祭る皇居・宮中三殿の皇霊殿では「皇霊殿の儀」が行われた。皇太子ご夫妻が両陛下の名代として古式にのっとった装束で臨み、拝礼された。秋篠宮家の長女、眞子さまや次女、佳子さまらも参列された。昭和天皇の式年祭は今後、死去後50年までは10年ごと、その後は100年ごとに行われる。

1 2 18