歳旦祭・元始祭・奏事始

お正月の宮中祭祀として、四方拝に続き行われる歳旦祭、3日の元始祭、その翌日の奏事始についてまとめました。そこに流れているのは、かつての祭政一致の伝統でした。

 

歳旦祭(さいたんさい)

 

歳旦祭は、1月1日、賢所、皇霊殿、神殿の宮中三殿にそれぞれ祀られている皇祖・天照大神や、八百万の神々(天神地祇)、歴代天皇・皇后・皇族の霊(皇霊)に対し拝礼する祭祀です。元旦早朝、四方拝が10分ほどで終了した後、陛下は、すぐに宮中三殿に移動され、5時40分から年始の祭典、「歳旦祭」に臨まれます。天皇にとって、いわば「初詣」のようなものと評されています。歳旦祭は、戦前の祝祭日の中の皇室祭祀礼に基づく小祭の一つで、明治時代以降、行なわれるようになり、天皇は国家国民の安寧を祈られます。

 

歳旦祭の次第は、四方拝が始まる同じ時刻(5時30分)、宮中三殿では、掌典長(宮中祭祀の儀礼担当責任者)が主宰し祝詞をあげ、午前5時40分ごろ四方拝を済ませた天皇陛下が拝礼されます。その後、陛下が退室されてから、皇太子(皇嗣)が続いて拝礼します。

 

上皇陛下が天皇であらせられた際、陛下は四方拝の後に拝礼されてきましたが、平成24年から体調への負担を考慮して掌典職(しょうてんしょく)が陛下の代わりに拝礼していました。ただ、代拝になってからも、陛下は御所に戻った後、皇后さまとともに儀式終了までお慎みされていました。

 

なお、伊勢神宮をはじめ、全国の神社においては、皇統の繁栄と、五穀豊穣と国民の加護を祈念する歳旦祭が行われています。

 

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元始祭(げんしさい)

 

元始祭は、1月3日、天皇陛下が宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)で拝礼し、年始にあたり、皇位の大本と由来とを祝すとともに、国と国民の繁栄を願われる宮中祭祀です。

 

「皇位の大本と由来」とは、日本の神話による天孫降臨のことをさします。記紀(古事記と日本書記)によれば、天照大神の孫であるニニギノミコト(邇邇芸命または瓊瓊杵尊)が、高天原と黄泉の国の間にある葦原中国(日本)の統治のために降臨した(これを「天孫降臨」という)とされています。すなわち、元始祭では、天孫降臨とそれによって天皇の位が始まったことが祝われるのです。

 

元始祭(げんしさい)は、明治3年(1870年)1月3日に始まり、明治6年(1873年)1月3日から現在のように、宮中三殿で天皇が親祭される形式となりました(それまでは神祇官八神殿にて実施)。また、同年、太政官布告により祝祭日となり、明治41年(1908年)制定の「皇室祭祀令」では大祭に指定されています。しかし、この法律は昭和22(1947)年に廃止され、昭和23年制定の国民の祝日からは外されました。しかし、宮中では現在でも従来通りの元始祭が行われています。宮中では伝統が護持されていることがわかりますね。

 

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奏事始(そうじはじめ)

 

奏事始(そうじはじめ)は、1月4日、掌典長(しょうてんちょう)(皇室の宮中祭祀の責任者)が年始に当たって,伊勢神宮と宮中の祭事のことを天皇陛下に奏上する行事です。具体的には、天皇陛下は午前10時から、宮殿の鳳凰の間で掌典長から伊勢神宮と宮中三殿などにおいて、前年12か月間に、それぞれの祭祀が滞りなく執り行われたという報告を受けます。

 

前年の祭祀報告は、神霊を祭る祭祀でも祭儀ではありませんが、単なる形式的な行事ではなく、祭祀・祭儀に必要な行事だとみなされています。というのも、皇祖神を祀る伊勢神宮では、毎年数十種以上、年間何百回もの祭典が行われ、また、皇室においても、宮中三殿や勅祭社、各地にある陵墓などを含めれば、様々なみ祭が何10種も実施されているからです。

 

ただし、奏事始(そうじはじめ)は、戦前には「政始(まつりごとはじめ)」と呼ばれ、その年の国政開始の行事だったそうです。政治とは、かつて政(まつりごと)と呼ばれ、神のみ心を取り次ぐ仕事だという考え方がありました。元始祭の後に、政始が行われたのは、ある意味、祭政一致の伝統に基づくものであったと言えるかもしれません。しかし、日本国憲法施行後の昭和24年以降、現在の様式になりました。