日本国憲法(上諭-前文):8月革命説と美濃部の抵抗

 

日本国憲法の制定過程や、各条文の成立経緯を検証した「知られざる日本国憲法のなりたち」を連載でお届けしています。2回目の今回は、通常、憲法の初めに書かれる「上諭」と「前文」です。日本国憲法を否定的にとる人々が最初にやり玉にあげるのが「前文」と言っていいでしょう。実際はどうだったのでしょうか?

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上諭

 

上諭(じょうゆ)とは、君主が臣下に諭し告げる文書(天皇の御言葉)のことで、憲法・法律・条約などを公布する際,冒頭に付されます。

 

日本国憲法にも、前文の前に上諭があることはあまり知られていません。特に、日本国憲法は、大日本帝国憲法(明治憲法)の改正憲法という形式を採って成立したので、帝国憲法(明治憲法)同様、日本国憲法にも、以下のように、短い文ではありますが、上諭が示されています。

 

上諭

朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

 

私は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の基礎が定まったことを深く喜び、枢密院への諮問と、帝国憲法73条に基づいた帝国議会の議決を経て、帝国憲法の改正を承認し、公布する。

―――――

 

特に、何でもない形式的な文言でまとめられているように見えますが、「上諭」に書かれている内容が、日本国憲法の違憲論争にも間接的に影響を与えることになります。これについては次の「前文」の解説の最後で紹介します。

 

 

前文

 

憲法は、通常、第1条の前に「前文」などで、その国の歴史や伝統を踏まえながら、国がどのように成り立ち、憲法を制定することになったのかについて述べられます。またその制定された手続を記すことで、その憲法が、君主が定めた欽定憲法なのか、国民が作った民定憲法なのかも明らかになります。では、わが国の日本国憲法の前文には何が書かれているのでしょうか?

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日本国憲法前文

 

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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  • 「前文」は翻訳文か?

 

憲法の前文は、4つの段落からなる約640字の文章です。前文を見て、まず気づくのは全体のバランスの悪さです。第1段落だけとても長く、後は段々短くなり、最後の段落は短文のわずか1文で終わってしまっています。日本語の文章としては明らかに不自然です。また内容的にも、日本国憲法の前文は、読みにくい、なじみにくい、日本語そのものが難解で、その真意も非常に伝わりにくいとの批判が絶えません。

 

前述したように、大日本帝国憲法をはじめ当時の法令は、すべてカタカナの文語体でしたが、帝国憲法改正案をひらがなの日本文らしい口語体に書き直されました。しかし、前文に関しては、政府はGHQ案(とその後の微修正案)を外務省が翻訳し、そのままひらがなにされたと言われています。GHQ(連合国軍総司令部)が提示した英語の原文をほぼ直訳していることから、ぎこちなく、極端に不自然になっているのです。英文と比較するとともに、何が述べられているかを、確認してみましょう。(下線、太字は筆者による)。

 

<第1段>

We, the Japanese people, acting through our duly elected representatives in the National Diet, determined that we shall secure for ourselves and our posterity the fruits of peaceful cooperation with all nations and the blessings of liberty throughout this land, and resolved that never again shall we be visited with the horrors of war through the action of government,  do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution.

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 

第1文は長い文ですが、主語と述語の関係は、最初と最後の「日本国民は、---この憲法を確定する」となっており、憲法を作ったのは国民であると、日本国憲法が民定憲法であることを示しています。

 

また、下線の「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」の部分に、日本が代表民主制(間接民主制)を採用していることを明示しています。さらに、「自由のもたらす恵沢を確保し」の部分は、基本的人権の保障を謳っていると解されています。続いて、「戦争の惨禍が起ることのないようにする…」が平和主義の表れです。加えて、「ここに主権が国民に存することを宣言し」と、国民主権が明記されています。

 

Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people.

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

 

下線の「その権力は国民の代表者がこれを行使し」の部分で、代表民主制(間接民主制)が明記されています。

 

This is a universal principle of mankind upon which this Constitution is founded. We reject and revoke all constitutions, laws, ordinances, and rescripts in conflict herewith.

これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 

 

<第2段>

We, the Japanese people, desire peace for all time and deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 

We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth.

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

 

下線の「日本国民は、恒久の平和を念願し」と、「われらは、平和を維持し、…国際社会において、名誉ある地位を占めたい」の部分が、平和主義の表れと読み取ることができます。

 

We recognize that all peoples of the world have the right to live in the peace, free from fear and want.

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

 

<第3段落>

We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 

第3段落で、下線の「われらは、いづれの国家も…」の部分に、国際協調主義(平和主義)が表われています。

 

<第4段落>

We, the Japanese people, pledge our national honor to accomplish these high ideals and purposes with all our resources.

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

最後に、憲法自らがいう「崇高な理想と目的」を達成することを宣誓して、前文は締めくくられています。

 

前文を、英文と比較しながら読むと、見事な翻訳であることがわかります。日本国憲法前文に関しては、「アメリカ製」であることは誰も否定できないと思われます。ただし、たとえ完全翻訳文であっても、前文には日本国憲法の3大原則とされる、①国民主権、②基本的人権の尊重、③平和主義の3つが明記されています。また、3原則以外にも自由主義や民主主義についても述べられていることも確認できました。

 

 

  • 「前文」は「寄せ集め」か?

 

では、GHQはこの前文の文言をどのようにして完成させたのでしょうか?比較憲法学者の西修・駒沢大名誉教授によれば、日本国憲法前文は(1)米合衆国憲法(1787年) (2)リンカーンのゲティスバーグ演説(1863年) (3)マッカーサー・ノート(1946年2月) (4米英ソ首脳によるテヘラン宣言(1943年) (5)米英首脳による大西洋憲章(1941年) (6)米独立宣言(1776年) -のそれぞれを切り貼りしたものと主張されています。一文毎にみてみましょう(太字は筆者による)。

 

(第1段・第1文)

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する

 

日本国憲法前文の第1段・第1文の太字の部分は、以下の合衆国憲法前文から来ていることが明白です。

「…われらとわれらの子孫のために自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のために、この憲法を制定し、確定する。

 

(第1段・第2文)

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 

下線の「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」の下りは、有名なアメリカ大統領リンカーンのゲティスバーグ演説の一節である「人民の、人民による、人民のための政治」を言い換えたものと言われています。

 

また、思想的な面で、「国政(=政府)は、国民の厳粛な信託によるもの」であるというのは、イギリスの思想家でアメリカ独立宣言に多大な影響を与えたジョン・ロックが展開した思想そのものであると解されています。ロックは「『市民社会論』(1690年)」の中で、「政府は市民(人民)から信託された範囲内で権限を行使する存在にしか過ぎず、政府がその与えられた信託に違背して行為した場合に、人民は信託を破棄して新しい政府を創り出すことができる」という、抵抗権(革命権)を正当化しました。

 

前文では、ロックに由来する「国民の信託による国政」を、「人類普遍の原理」としての意味づけをあたえ、「この憲法は、かかる原理に基づくものである」と宣言しています。

 

なお、前文には明確な「抵抗権」の記述は有りませんが、斜体の「…これ(国民の信託による国政)に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と明記されている部分を「抵抗権」と見なすことができるでしょう。

 

(第2段・第1文)

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 

これは、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)により作成された日本国憲法草案であるマッカーサー・ノート(マッカーサー3原則)の中にあった「日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。」というものそのものが書き込まれました。

 

(第2段・第2文)

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ

 

この部分は、第二次世界大戦中のテヘラン会談においてなされたテヘラン宣言の一節がほぼそのまま引用されています。

 

「われらは、将来の諸問題を検討する中で、専制と隷従、圧迫と偏狭を排除しようと努めている大小すべての国家の協力と積極的な参加を得ようと努めている。我らはそうした国々が民主的諸国家からなる家族世界に入ってくることを歓迎する。」

 

テヘラン会談

1943年、アメリカ大統領ルーズベルト、イギリス首相チャーチル、ソ連首相スターリンが、イランのテヘランで行なわれた会談のことで、ヨーロッパ西部の戦線において、三国が協力して戦争を遂行することが宣言された。ソ連による対日宣戦が約束されたのもこの会談においてである。

 

(第2段・第3文)

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

第2段・第3文は、1941(昭和16)年に、米英首脳(ルーズベルトとチャーチル)が戦後の世界秩序のあり方などについて話し合った大西洋憲章の一節「…一切の国の一切の人類が恐怖および欠乏より解放され、その生を全うすることを確実にする平和が確立されることを希望する。」と同義です。

 

また、「恐怖および欠乏」は、アメリカのルーズベルト大統領が、1941年議会にあてた教書演説で提唱した4つの基本的な人間の自由(言論・信仰・欠乏・恐怖)の中の2つに相当します。

 

「われわれが確実なものとすることを追求している将来の日々に、われわれは人類の普遍的な4つの自由を土台とした世界が生まれることを期待している。

(中略)

第3は、欠乏からの自由である。それは、世界的な観点で言えば、あらゆる国に、その住民のための健全で平和時の生活を保証するような経済的合意を意味する。

 

第4は、世界のあらゆるところにおける、恐怖からの自由である。それは世界的な観点で言えば、いかなる隣国に対しても、物理的な侵略行為を犯すことがないような形で、世界中の軍備を削減することを意味する。」

 

(第3段)

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 

この部分は、前文のGHQ草案の私案を出したとされるアルフレッド・Rハッシー海軍中佐の政治理念の反映で、「政治道徳の法則は普遍的なものである」という一文が挿入されたと言われています。イデオロギーの押し付けとの反対もあったようですが、GHQ最終草案の中で採用されました。

 

(第4段)

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ

 

これは、以下のアメリカの独立宣言、最後の内容と言い回しが類似しています。

「われらは、相互にわれらの生命、財産及びわれらの神聖な名誉にかけ、神の摂理の保護に強く信頼して、この宣言を擁護することを誓う。」

 

このように、日本国憲法の前文は、英文のGHQ草案(マッカーサー草案)がそのまま翻訳され、その草案も米合衆国憲法、米独立宣言、テヘラン宣言、大西洋憲章などから引用されているということは明白です。

 

前述したように、この作業を行ったGHQ民政局スタッフは、R.ハッシー海軍中佐ただ一人でした。ハッシーは、自己の思想も含め、これらの崇高な理念をパッチワーク的に組み入れて、わずか2日で書き上げたと言われています。このハッシー私案を運営委員会で論議してGHQの草案に仕上げました。

 

R.ハッシー海軍中佐

入隊以前、米国で弁護士や裁判官として活動していたハッシー中佐は、文章にはある種の自信を持っていたとの評判で、この前文の執筆にエネルギーのすべてをかけたと言われています。マッカーサー草案の作成時には、前文と司法権の部分を担当しただけでなく、全体のとりまとめである運営委員会の委員を務めるなど、日本国憲法のマッカーサー草案(GHQ案)の作成において中心的な役割を果たしていました。

 

 

  • 「前文」はGHQ案からいかに出来上がったか?

 

次に、現在の日本国憲法前文がいかなる経緯で成立したのかについてみてみましょう。まずは、GHQ案(マッカーサー草案)による日本国憲法前文です(下線は筆者)。

 

我ら日本国人民は、国民議会における正当に選挙せられたる我らの代表者を通して行動し、我ら自身および我らの子孫の為に、諸国民との平和的協力および、この国全土に及ぶ自由の祝福の成果を確保すべく決心し、かつ政府の行為により再び戦争の恐威に訪れられざるべく決意し、ここに人民の意思の主権を宣言し、国政は、その権能は人民より承け、その権力は人民の代表者により行使せられ、しかしその利益は人民により享有せらるとの普遍的原則に上に立つこの憲法を制定確立する。しかして我らはこの憲法と抵触する一切の憲法、命令、法律および詔勅を排斥および廃止する。

我らは永世にわたり平和を希求し、かつ今や人類を揺り動かしつつある人間関係支配の高貴なる念を満全に自覚して、我らの安全および生存を維持するため、世界の平和愛好諸国民の正義と信義とに依倚せんことに意を固めたり、我等は平和の維持ならびに横暴、奴隷、圧制および無慈悲を永遠に地上より追放することを主義方針とする国際社会内に名誉の地位を占めんことを欲求する。我らは万国民等しく恐怖と欠乏に虐げらるる憂なく、平和の裏に生存する権利を有することを承認し、かつこれを表白する。

 

我らは、いかなる国民に単に自己に対してのみ責任を有するにあらずして、政治道徳の法則は普遍的なりと信ず。しかしてそのごとき法則を遵奉することは自己の主権を維持し他国民との主権に基く関係を正義付けんとする諸国民の義務なりと信ず。

我ら日本国人民はこられの尊貴なる主義および目的を我らの国民的名誉、決意および総力に懸けて誓うものなり。

この日本国憲法前文のGHQ案に対して、日本政府はどのように対応し、現在の前文が出来上がったのでしょうか?

 

GHQ案に基づき日本政府が起草した3月2日案に前文はありませんでした。なんと、GHQ(総司令部)案の前文をすべて削除したのです。衆議院憲法調査会事務局資料(第1号)によると、「総司令部案の前文は国民が憲法を制定するとしているが、明治憲法によれば、憲法改正は天皇の発議、裁可によって成立することとなっているためである」との理由が説明されています。

 

まさに、「上諭」でも述べられているように明治憲法の改正手続きで、「君主(天皇)が定めた欽定憲法(明治憲法)から国民が定めた民定憲法(日本国憲法の)に変わることはできない」と判断したからです(後述)。

 

ところが、その後、日本側とGHQ(総司令部)側が逐条審議を行った後に内閣から発表された「憲法改正草案要綱」では、前文はGHQ案がほぼ完全に復活していました。GHQ(総司令部)側は、前文については特に厳格に総司令部案によるべきと要求したと言われています。

 

結局、政府は、連合国軍総司令部(GHQ)案をそのまま採用せざるをえませんでした。ただし、閣議では、日本語として、また法的な文章としてより適切な表現にするなどの文言調整を行おうとしました。中には少しでも、GHQ案の内容を解釈として変更できるような表現に変えるなどの「抵抗」を試みました。

 

例えば、帝国議会に提出された帝国憲法改正案では、GHQ案の第1段(下線)にあった「ここに人民の意思の主権を宣言し」の部分を、日本政府は「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し」に変えていました。「主権」を意味するsovereigntyを日本政府は「至高」と翻訳したのです。

 

しかし、このことに気づいたGHQは、国民主権を明確にするよう日本政府に要求しました。日本政府の言い分は、「主権在民を明確に明記すれば、ソ連あたりから天皇制そのものを否定してくることを懸念したので曖昧にした」ということでした。しかし、結果として、衆議院での審議の折り、前文の訂正案が提出され、「至高」という言葉が削られ、現行の「主権が国民に存することを宣言する」となったのです。このように、国民主権の原理は、衆議院の修正審議の段階において前文で明確に明記されることになりました。

 

 

<GHQvs日本政府①>

GHQ

ここに人民の意思の主権を宣言し…

日本の修正案

ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し

現行

主権が国民に存することを宣言する

 

 

また、GHQ案の第2段(下線)にある「我らの安全および生存を維持するため、世界の平和愛好諸国民の正義と信義とに依倚(いい)せんこと(依存するの意)に意を固めた」との記述は、日本国民の「安全と生存」を他国の「正義と信義」に委ねるという意味になり、通常の主権国家ならば絶対に言わないであろうことが書かれていました。

 

そこで、日本政府は、議会に提出された帝国憲法改正案において、「我らの安全と生存をあげて、平和を愛する世界の諸国民の公正と信義に委ねようと決意した」に修正し、意味を完全に曖昧なものにしようとしました。

 

しかし、GHQはこれにも口をはさみ、議会の審議を経て最終的には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と、より明確にマッカーサー案の主旨に近い形に再修正させられました。

 

 

<GHQvs日本政府②>

GHQ

我らの安全および生存を維持するため、世界の平和愛好諸国民の正義と信義とに依倚せんことに意を固めた

日本の修正案

我らの安全と生存をあげて、平和を愛する世界の諸国民の公正と信義に委ねようと決意した

現行

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 

 

こうして、日本政府のささやかな抵抗も空しく、日本国憲法の「前文」は、GHQ案通りの内容になったのでした。

 

 

<深追い>

  • 美濃部の抵抗と8月革命説

 

GHQ案に対して、日本政府の3月2日案で、いったん削除された「前文」が、その後、「憲法改正草案要綱」の中で復活して、天皇の諮問機関である枢密院で審議された際、唯一一人の顧問官が反対の意思を示していました。その顧問官とは、戦前、天皇機関説を唱えその著書の発禁処分を受けたこともある東京大学名誉教授の美濃部達吉(敬称略)でした。すでに言及だけした「上諭」とともに、異を唱えた美濃部の主張を解説します。まず、改めて「上諭」をみておきましょう。

 

上諭

朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

 

私は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の基礎が定まったことを深く喜び、枢密院への諮問と、帝国憲法73条に基づいた帝国議会の議決を経て、帝国憲法の改正を承認し、公布する。

―――――

 

特に、何でもない形式的な文言でまとめられているように見えますが、学者の間では、日本国憲法が違憲か否かを争いかねない事態にまで発展しました。「上諭」に、日本国憲法が、明治憲法73条の手続きを経て改正された憲法であると強調されていることが、前文などで宣言されている国民主権との兼ね合いから問題となったのです。

 

帝国憲法73条

  • 将来 此(こ)ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ 勅命(ちょくめい)ヲ以(もっ)テ議案ヲ帝国議会ノ議(ぎ)ニ付スヘシ

将来、この憲法の条項を改正する必要がある場合は、勅命(天皇の命令)をもって議案を帝国議会の議に付さなければならない。

 

  • 此(こ)ノ場合ニ於(おい)テ 両議院ハ各々(おのおの)其(そ)ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非(あら)サレハ 議事ヲ開クコトヲ得(え)ス 出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得(う)ルニ非サレハ 改正ノ議決ヲ為(な)スコトヲ得(え)ス

この場合において、両議院は各々総議員の三分の二以上出席しなければ、議事を開くことはできない。出席議員の三分の二以上の多数を得られなければ、改正の議決をすることはできない。

 

欽定憲法と民定憲法

そもそも、憲法は、その制定方法によって、欽定憲法と民定憲法と分類されます。欽定憲法とは、君主が自ら制定する憲法で、君主の名のもとに臣民に付与されます。主権(統治権)は君主にありますが、君主自身も憲法に従い自らの権力に制約を加えた上で、国を統治する形がとられます。革命後、王制に戻った時期のフランスやドイツなどでみられました。日本の帝国憲法(明治憲法)も天皇が自ら、憲法を制定するという方式がとられました。

 

これに対して、日本国憲法は、国民主権の思想に基づいて、国民の名の下に、国民みずから制定する民定憲法とされています。民定憲法は一般的には国王のいない政治体制である共和国の憲法に多く見られます。日本国憲法が民定憲法であるという根拠は、前文の一文に、「日本国民は・・・(中略)ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」にあります(後述)。

 

つまり、今の憲法は、欽定憲法である天皇主権の帝国憲法から、民定憲法である国民主権の日本国憲法に改正されたということになるのですが、これは、憲法学上、憲法改正の限界を超えているとされます。日本国憲法は、帝国憲法を改正した憲法であるにもかかわらず、欽定憲法から民定憲法へと、主権者が変わるというのは、基本的にはあり得ないというのが学問的な立場なのです。

 

美濃部の「正論」

このことは、松本委員会の一員として戦後新憲法作成に携わった美濃部達吉によっても問題視されました。美濃部は、枢密院での審議において、「憲法がGHQの押し付けにもかかわらず、前文に憲法が国民の意思で制定されたのごとき虚偽を掲げることは、国家として恥ずべきことである」として、改正草案に一人反対しました。

 

「このまま憲法改正を進めれば、草案を勅命(天皇の命令)によって議会に提出し、天皇の御裁可によって憲法改正が成立することになる。それにもかかわらず、前文では、国民みずからが憲法を制定するようになっていて、これはまったくの虚偽である」

 

「民定憲法は国民代表会議をつくってそれに起案させ、最後の確定として国民投票にかけるのが適当と思う。前文に憲法が国民の意思で制定されたかのようなやり方は虚偽であり、このような虚偽を憲法の冒頭にかかげることは国家として恥ずべきことではないか」

 

実際、憲法学では、美濃部の指摘通り、民定憲法というのは、「国民のうちの一定の資格をもつ有権者が国民投票によって憲法を承認する、または、有権者は憲法制定議会の議員を選挙し、その憲法制定議会の議員が憲法を制定する」という方法が採られます。つまり、一国の憲法は、国民が直接、またはその代表を通じて間接的に制定されるのです。

 

しかし、日本国憲法は、明治憲法73条に定める改正手続きにより、明治憲法改正という形で成立しまたので、国民投票はいうまでもなく、憲法議会が制定するという手続きもとられませんでした。

 

八月革命説

こうした見解に対して、通説と認められているのが、東京帝国大学法学部の憲法第一講座担当で、松本案から日本国憲法制定に関わってきた宮沢俊義教授が唱えた「八月革命説(八月十五目革命説)」です。

 

これによれば、天皇主権であった明治憲法の改正段階で、八月十五日にポツダム宣言受諾という一種の革命が起こり、国民が主権者である日本国憲法に改正になったと説明されます。つまり、ポツダム宣言を受諾したことを、法的には一種の革命があったものと捉えたのです。

 

一見すれば、こじつけ、つじつま合わせとしか言いようのない「八月革命説」は、未だに憲法学界では多数派(通説)なっています。もちろん、日本国内には、戦争終結時に、革命という言葉から通常連想されるような内戦状態も暴力沙汰も何もなかったのですから、「革命」など起きていません。そもそも日本という国は、建国以来、一度も革命など経験したことはありません。このような解釈をしなければ、世に出られなかった日本国憲法だったのでしょうか?

 

 

<参照>

具体的な条文の成り立ちについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法の成り立ち

 

        

<参考>

日本国憲法の誕生(国立国会図書館HP)
憲法(毎日新聞)

國破れてマッカーサー(西 鋭夫、中央公論新社)

憲法はかくして作られた(日本政策研究センター)

昭和史のかたち 歴代首相と憲法(保阪正康)

NHKスペシャル「日本国憲法誕生」

日本国憲法:制定過程をたどる/4 (毎日新聞 2015年05月06日)

GHQ“素人”が米合衆国憲法を「コピペ」で原案(産経新聞2016.11.3)

もはや意味不明の護憲派主張 押し付け憲法論をめぐる論理の混濁

(阿比留瑠比の極言御免2016.11.3 、産経)

世界憲法集(岩波文庫)

アメリカ合衆国憲法(アメリカンセンターHP)

ドイツ憲法集(第7版)(信山社)

 

(2022年7月29日)