ギリシャ神話⑫:オルペウス教とその秘儀

 

ギリシャ神話の世界をシリーズでお届けしています。前回、前々回とギリシャにおける密儀宗教をとりあげました、今回が最後で、エレウシスの秘儀、ディオニュソスの秘儀に続き、オルペウスの秘儀を解説します。ただし、その理解のためには、開祖であるオルペウスとその教え(オルペウス教)についての知識が不可欠です。

 

ギリシャ神話⑩:密儀宗教・エレウシスの秘儀

ギリシャ神話⑪:ディオニソスとその秘儀

 

――密儀宗教(秘儀宗教)――

主に神の「死と再生」というテーマの神話を儀式的に再現し、それを信者に体験させる宗教で、秘儀への参入者は、個人の霊魂に眠る神性を覚醒させることができれば、神的な生と死後の祝福が保証され、死後の不死性を獲得することができると信じられた。

 

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<オルペウス教とは?>

 

オルペウス教は、ホメロス以前に活躍した伝説的な詩人、オルペウス(オルフェウス)という個人を開祖とする密儀宗教で、紀元前6世紀以降、古代ギリシアで発展しました。オルペウスは、トラキア出身で、前7世紀に、トラキア王オイアグロスと、芸術(詩)の女神ムーサイの一人カリオペー(またはウーラニアー)との間に生まれました(アポロンを父、または名義上の父とする場合もある)(ムーサの複数形がムーサイ)。

 

オルフェウスは、冥界を往還したと伝えられるなど、その存在は神話化されていて、その歴史的な実在性に関してははっきりしていません。実際、哲学者のアリストテレスは、オルペウスは実在の人物ではなかったと主張しています。さらに、オルフェウス教は、オルフェウスとその弟子ムサイオス以外は、無名の人々が信者であり、オルフェウス教の実像を掴みにくいものにしています。

 

 

◆ オルフェウス教の教典・聖典

 

古代ギリシアでは、宗教が国家的集団的であるので、教典の類を欠いていましたが、オルフェウス教は聖典ともいうべき文書を備えていました。

 

オルフェウスの名の下にこの派の文学として伝えられてきたものには、「オルフィク賛歌」(2世紀以後の祈禱書)、宝石の不思議な効力を叙事詩形で語った「リティカ」(成立年代不明)、アルゴ船の物語をオルフェウス中心に語りかえた「アルゴナウティカ」(成立:4世紀以後)などがあります。アルゴ船の物語とは、ギリシャの王子イアソンがアルゴ船の一行と大航海に乗り出し、コルキスの地の樫の巨木に張られた金羊毛を持ち帰るという冒険です。

 

ただし、これらはいずれも、オルフェウス教の特異な教義を含むものではなく,宗教思想的にはるかに重要なオルフェウス教の宇宙生成論,人間論などを内容とするオルペウスのものとされる書物、聖典は、早くには前5世紀のヘロドトス、エウリピデス、プラトンなどの言及により確認されるものの、失われてしまい,はるか後代(4~6世紀の新プラトン派)による引用や摘要で伝えられるにすぎません。したがって整合的な形に再現することは困難な上,そうした教義がいつの時代にまでさかのぼるかについては,学者の間に大きな見解の相違がみられます。

 

 

<オルペウス教の教義>

 

オルペウス教は、古代ギリシアにおいて,ホメロスに代表されるオリンポスの宗教とは異なり、オリエントの神秘主義的な世界観に由来する、宇宙と人間との生成についての独特な神的教義をもっています。

 

具体的には、時間神クロノスや、宇宙の初めは卵であるとする卵生神話を含む宇宙創成論(後に詳説)から,ディオニュソスの死と復活に仮託された人間論、輪廻転生説まで様々です(オルペウスの秘儀は、それを生きながら、体験するというものである。)

 

◆ 輪廻転生と因果応報の教え

 

なかでも特筆すべきは、輪廻転生の考え方です。オルペウス教がでた紀元前6世紀頃のギリシャの世界観を形成したオリンポスの宗教によれば、人間と神は区別され、死後魂となって、冥界で永遠に暮らすと考えられていました。

 

しかし、オルペウス教は、魂と肉体の二元論や、輪廻転生の教えを伝えました。人間の霊魂は神性および不死性を有するにもかかわらず、輪廻転生により肉体的生を繰り返す運命を負わされているとしたのです。それゆえ、オルペウス教は、生前に犯した特定の罪に対し、死後の罰則が伴うことを警告しながら、「悲しみの輪」と表現される輪廻からの最終解脱を基本目標としています。

 

このように、「因果応報の車輪」からの脱却という点において、オルペウス教は西欧における一種の仏教とも言われます。イタリア南部シバリス付近で発見されたオルペウス教徒の葬礼の銘板には、ブッダのような「因果応報の車輸」(再生の輸廻)からの脱却につい言及されています。

 

さらに、オルペウス教は、「輪廻(悲しみの輪)」からの最終的な解脱のために、宗教的手段として、神々と交感することを目的とした、秘儀的な通過儀礼(入信儀式)および、肉体を魂の墓場として賤(いや)しみ,肉食を断って清浄な生活を送るべしとする禁欲的道徳律などを定めました。

 

◆ ディオニソス信仰

 

ギリシア人一般あるいはギリシア神話は、死後の世界に対する興味をそれほど示していませんが、オルペウス教は、死後について言及する特殊な宗教です。オルペウス(オルフェウス)教は、ディオニュソスの秘儀のディオニュソスや、エレウシス秘儀のペルセポネーを崇拝の対象としています。

 

とりわけ、オルフェウス派にとって、ディオニュソスは、冥界とつながる、最も重要な神で、ザグレウスの名の下にオルフェウス教の大神とみなされています。実際、ザグレウスは、オルペウス教に登場する少年神として、信仰されています(ザグレウス=ディオニュソス)(ザグレウスはディオニューソスの一形態)。

 

また、オルペウス教は、ディオニュソス信仰と同じ、トラキア北部に起源を持つだけでなく、ディオニュソス教の情緒性、熱狂の教義、神による憑依を取り入れた一方、陥りがちな狂信性を斥けて、「野蛮」とも評された祭式を、秘儀の要素を多分に取り入れた秘跡の宗教に変えたと評されています。

 

この点において、オルペウス教は、ディオニュソス信仰を根底とし、それを目的に合わせて再構築(ディオニュソス信仰と一体となって発展)したものと言えます。さらに、オルフェウス教は、秘伝による独自のディオニュソスの神話(「大ディオニュソス」)を持っていて(後に詳説)、これがオルフェウス派の思想、秘儀の根底にあります。

 

オルペウス教の教義は、神話の世界にその背景や成立ちの経緯などがよく示されています。まずは,始原神話からみていきましょう。オルフェウス教独特の輪廻転生や、そのたオルペウスの教義について理解もさらに深まると思います。

 

 

<オルペウス教の神話>

 

◆ 宇宙生成論

オルフェウス教の創造神話によれば、最初に、水と大地(ガイア)があり、すべての神と生き物は川によって生成されました。

 

水と大地の結合から、老いを知らぬクロノス(〈時間〉の意)が生まれました(ゼウスの父クロノスとは本来別の語であるが、両者はしばしば混同される)。クロノスは、牛とライオンの頭をもつ蛇,胴には神の面があるとされる翼をつけた混成物で、 時間(クロノス)が原初の生み出す力ということを示していました。

 

時の神クロノスから、上天の神アイテル(光),カオス,闇(エレボス)が生じました。アイテル(光)がクロノス(またはカオス)と交わって、男女両性具有の巨大な銀色の卵、宇宙卵(オーオン)をつくりました。宇宙卵は、形と生命を与える真の生命の息吹を表しています。宇宙卵は後に巨蛇に抱かれ,そこから秩序ある宇宙(コスモス)が孵化したという世界の神話と結びつけられて語られます。

 

オルフェイス教では、その宇宙卵(銀の卵)から、最初の神パネスが生まれたとされています。パネスは自分の体から娘のニュクス(夜)を造り、そしてニュクスと交わり、天地のすべてのものを造ったとされています。

 

宇宙の統治における最初の存在が、ファネス、プロトゴノス 、エリケパイオス (「命を与える人」)です。プロトゴノス(〈最初に生まれた者〉)は、黄金の翼をもち,脇腹に牛の頭,頭上に巨大な蛇をつけた両性具有神で、ゼウスとも呼ばれます。ファネス(光明)は、黄金の翼と4つの頭を持っていました。

 

エロース(雌雄同体神)もまた、いまだ大地も大気も天空もないとき,夜の女神ニュクスがもたらした宇宙卵から生まれ出た万物の創造者と位置づけられています。

 

このように、オルフェウス教の宇宙生成論は、ヘシオドスの宇宙生成説を前提としつつ,そこにない奇怪で太古的なイメージを混入してでき上がっています。

 

また、オルフェイス教は、エジプト神話の影響を指摘されています。エジプト神話では,ナイル川のガチョウが産んだ黄金の卵から太陽神ラーが誕生し,創造神でナイル川を司るクヌムも口から卵を吐きだし、これを言語の源としたと語られています。

 

◆ 人間の生誕神話

 

神々の王ゼウスは、実の姉、デーメーテルと交わりペルセポネーを産ませ、さらに、蛇に化けてペルセポネーに近づき、交わって、ザグレウスをもうけました。ザグレウスは大蛇の姿でゼウスに伴いましたが、ゼウスは、全宇宙を継ぐべき存在としてザグレウスを寵愛し、世界の支配を委ねようとしました。

 

ところが、これに嫉妬したヘーラーは、ティーターン族にザグレウスを襲わせました。ザグレウスは数々の動物に変身して闘うも、牛になったとき捕らえられ、縛り上げられて殺されました。その後、バラバラに引き裂かれ(八つ裂きにされ)、その身を茹(ゆ)でられ煮て食べられてしまいました。

 

ゼウスは、残されたザグレウスの四肢をアポロンに命じてデルフォイに埋葬させましたが、心臓だけはアテナが救い出し、ゼウスの元へ届けられました。ゼウスはザグレウスの心臓を呑み込んで、人間のセメレーと交わると、ディオニュソスが生まれました。

 

後に生まれたセメレーとの間の子であるディオニュソスの心臓は、本来ザグレウスのもので、これはザグレウスの再誕を意味しました。また、以後、ザグレウスはディオニュソスとして、ゼウスと共に宇宙を統治することになるのです(現在も世界を支配しているのだという)。この神話はザグレウス(ディオニュソス)神であることを示しています。

 

一方、ゼウスは、ザグレウスを惨殺したティーターン族に怒り、その雷霆(稲妻)を浴びせ、焼き殺し、ティーターン一族は灰と化しました。そして、その焼き尽くされたティーターンの灰から,ゼウスは現在の人間を創りました。その結果、ディオニューソスの体の灰とティーターンの体の灰が混じりあい、その灰から罪深き「人類」が生まれたのです。

 

この灰にはティーターンの肉とザグレウスの肉が混り合っていたため、人間の本性は二元的であり、人間は、肉体と密接に結びついたティーターンのような悪の要素(神ザグレウスの殺害という原罪に由来する部分)と、霊魂に結びついたディオニューソスに由来する神的な要素から成っています。

 

ただし、そこから、人間は、神性な霊魂を有するにもかかわらず、 肉体が霊魂を拘束することとなりました。すなわち、人間の霊魂は、「再生の輪廻(因果応報の車輪、輪廻転生)」に縛られた人生へを繰り返し、死してもなおこの輪の中に引き戻され、生まれ変わり、死に変わりを繰り返していくのです。これは、魂は肉体を離れたあと、死者の国で永遠にさまようものと考えられていた、当時のギリシアにおける死生観とは全く異なるものです。

 

この輪を脱するために、人間はティタン的要素を抑圧し,霊魂に結びついたディオニューソス的な神的要素を滋養することで救いに達することが求められました。そうすれば、究極的に霊魂は、肉体からも脱出し、永遠に続く、「再生の輸廻」に従わなくてもいいようになるのです。

 

また、古代ギリシャでは、ヘシオドスのように、人間と神々を分離して考えてきましたが、オルフェウスの人類誕生譚では、人間と神々は本来単一(一体)であるという論理にもとづいています。さらに、オルフェウス教は、人間の魂は神的であるのと同時に、人間の魂は決して死ぬことはないと主張しました(魂の不死性)。

 

ただし、その起源において、その魂は、神々の間で生じた汚れや、先祖が犯した殺害という罪を負っているとして、オルペウス教は、原罪の教義を教えました。そこで、原罪を消し、輪廻を脱するためには(この汚れを清めて救われるためには)、その本源であるディオニューソスに帰依し、その教義を守ることが求められました。これは、神に同化すること(神々のように振る舞うこと)を意味し、日常生活において禁欲の掟を実践すること(禁欲的生活)が求められています。

 

具体的に、オルフェウス教では、肉食や動物の屠殺などの殺生を否定し、日常の規制が設けられていました(オルフェウス教はどんな些細な殺害も禁じている)。オルフェウス教では、生け贄を捧げる義務に反対し、生け贄も認めていません。これは、生贄を行うオリンポスの宗教や、秘儀で八つ裂きや生肉喰いを行うディオニュオス秘儀を否定することにもなります。

 

こうして、生きている間にオルフェウス教に入会し,その禁欲的生活と秘儀を体験できれば、死後にペルセポネーの元で、神的な不死の生を送ることができると説かれました。オルフェウス教において、死後(来世)は影のような生存ではなく,浄福な生活が約束されているのです。

 

 

<オルフェウスの伝説・神話>

 

◆ オルペウスの竪琴

 

一般に知られている伝説では、オルペウスは、アドーニス(美と愛の女神アプロディーテーに愛された美少年)の祖先であるキニュラスや、イエスの祖先のダビデのように、卓越した詩人で、竪琴の名手(楽人)であったとされています。

 

オルペウスの竪琴はアポローンより授かり、芸術の女神ムーサたちからその奏法を教えられたとされ、その技は非常に巧みで、オルフェウスが竪琴を弾くと、森の動物たちばかりでなく木々や岩までもが彼の周りに集まって聞きほれたとそうです(鳥獣草木をも魅了した)。

 

◆ 冥府下り

 

そんなオルペウスに悲劇が起こります。妻のエウリュディケーが草叢(くさむら)で毒蛇に咬まれて死んでしまったのです。そこで、オルぺウスは、エウリュディケーを取り返すために、冥界に降りて行きました。

 

前述したように、オルフェウスの歌(琴の音)には、全世界のあらゆる存在物を従える、並外れた力があります。その歌の力をたずさえて、死者の国へも降りていったのです。冥府に入り、オルフェウスが竪琴を弾くと、その哀切な音色の前に、ステュクス(地下を流れる大河)の渡し守カローンも、冥界の番犬ケルベロスもおとなしくなり、冥界の人々は魅了され、みな涙を流して聴き入りました。最終的に、オルフェウスは、冥界の王ハーデースとその妃ペルセポネーの王座の前に立ちことができ、竪琴を奏でてエウリュディケーの返還を求めました。

 

ハーデースは、オルペウスの悲しい琴の音に涙を流すペルセポネーに説得されると、「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付け、エウリュディケーをオルペウスの後ろに従わせて送りました。

 

オルフェウスは、竪琴で冥界の存在を魅惑して妻を連れ出すことに成功しますが、目の前に光が見え、冥界からあと少しで抜け出すというところで、不安に駆られ、後ろを振り向いてしまい、エウリュディケーを冥界から連れ戻すことはできませんでした。

 

◆ オルペウスの死

 

妻を失ったオルペウスは女性との愛を絶ち、オルペウス教を広め始めました。ディオニュソスがトラーキアを訪れたとき、楽神オルペウスは新しい神(ディオニューソス)を敬わず、ただ、太陽神ヘーリオス(オルペウスは、この神をアポローンと呼んでいた)がもっとも偉大な神だと述べていました。

 

これに怒ったディオニューソスは、マケドニアのデーイオンで、マイナス(狂乱する女、熱狂した女信者)と呼ばれる、ディオニューソスを崇拝する女性信者にオルペウスを襲わせ、オルペウスは、八つ裂きにされ殺されました。

 

マイナスたちは、オルペウスの首(頭部)を竪琴に釘で打ちつけ、ヘブロス河に投げ込みましたが、その首はなお歌を歌い続けながら、河を流れくだって海に出、レスボス島に、竪琴とともに流れ着きました。

 

そこで、島人はオルペウスの死を深く悼み、墓を築いて葬りました。以来、レスボス島はオルペウスの加護によって多くの文人を輩出していると言われています。また、オルペウスの竪琴は、レスポスの神殿に聖遺物として保存され、手を触れてはならないものであり、タブーとされています

 

その後、オルフェウスの首は、ディオニュソス神殿に埋葬されて、オルペウスは、死後の神秘を教える者として、神託を授ける神となりました。また、オルペウスの竪琴はその死を偲んだアポローン(またはアポローンの懇願を受けたゼウス)によって天に挙げられ、琴座となって、現在も夜空に現れています。

 

 

<オルフェウス秘儀>

 

オルフェウス教では、オルフェウスが、トラキアのマイナス(熱狂した女信者)たちによって八つ裂きにされても、その首はなお歌を歌い続けていたという神話にもとづいて、入会者が象徴的に追体験する、オルフェウスの秘儀が執行されています。

 

オルフェウスの秘儀については、はっきりとしたことは分かっていませんが、「大ディオニュソス」の神話に基づいているとされています。

 

秘儀では、身体から魂を解放する密儀、魂の不滅を保証する浄め、死者への呪文などが執行され、死後の冥界下りをはじめ、死後の世界(死者への教え)を生きながらに体験すると言われています。その目的は、神々と交感しながら、「輪廻(悲しみの輪)」から最終的に解脱することにあります。

 

秘儀を終えると、冥界で取るべき行動(進むべき道)を記した金版(オルフェウスの金板)を受け取るそうです。かつて、紀元前5〜4世紀にかけてのものと見られる黄金版や骨製のタブレットに記された碑文などが発見され、それによると、死者への教えや、来世における(祝福への)信仰など、死と再生の旅の様子を伺い知ることができます。

 

冥界では、いくつかの分かれ道を間違わず、そして落とし穴に落ちたりせずに進まなければなりません。

 

冥界に降りたとき、「冥界の館」があり、その左右に泉があって、輪廻から解脱するためには、冥界の監視者(番人)に、「私は大地と星空の息子です。喉が渇いたので、ムネーモシュネーの泉から何か飲むものを私にください」と告げ、左のレテの水(忘却)ではなく、右のムネーモシュネーの泉の水 (記憶)を飲まなければなりません。この「記憶(ムネモシュネ)」の沼から流れる水を飲むと、自分の魂の本質が神に由来することを記憶した状態になります。

 

次に、冥界の監視者(番人)に対して、「私は大地と星空の息子(星輝く天の子)ですが、私が属するのは天の種族です」などと語る必要があります。これは、自分の魂の本質が神に由来すること記憶していることを示すためです。

 

そうして、死者は、天界と冥界で神々に出会いながら、最終的に、冥界の女王ペルセポネーのもとに至り、確認を経て、ペルセポネーの杜、神聖な草原に至って、神的な生を永遠に生きることができます。

 

一方、左の泉の水は「忘却(レテ)」の沼から流れる水で、それを飲むと、自分の魂本質が神に由来することを忘却した状態で、地獄に送られて、千年後にその体験も忘れて地上に転生し、転生に伴う忘却を永遠に繰り返していくことになってしまいます。

 

なお、オルペウス教徒が死後冥界へ下降するとき、ペルセポネーはとくに、信者を迎えて、「死ぬべき運命と引き替えに神にする」ことを約束するとされています。

 

 

<オルペウス教の伝搬>

 

◆ ピタゴラス教団

 

オルフェウスの信仰は、古代末期まで存続し、1つの教団というよりも思想運動としての広がりを持ち、その思想は、エンペドクレス、ピタゴラス、プラトン主義者らの哲学に受け継がれました。

 

とりわけ、ピタゴラス学派とたいへん近く,オルペウス教の教義および儀礼には、 ピュタゴラス教団(学派)のものとの類似点が見られます。両者はほぼ同じアルカイック時代に台頭し,相互に影響し合い,ときに区別がつけられなくなるほど、密接な関係にあると考えられています。

 

実際、オルフェウス関連文書の多くは、ピタゴラス教団の者が書いていたとさえ言われいます。ただし、一方がもう一方にどれほどの影響を与えたかを断言するには、史料はいまだ少ないのが現状で、プラトン,テオフラストスなどは、オルフェウス教を、軽蔑的に言及したりもしています。

 

古典時代には、オルフェウス教を含む秘教が全般的に退潮となったことから、一部のピタゴラス学派が守り、古代末期の危機的状況下に、再び注目され、とくに、新プラトン主義者などからは高い評価をうけました。また、オルペウスは、ルネサンス、ロマン主義など、霊的なものが重視される時代には、常にその象徴として復活しました。

 

 

◆ キリスト教

 

オルペウス教は、初期キリスト教時代に最も一般に行われていた秘教の1つとなっており、紀元2、3世紀頃には、オルペウス教は、キリスト教最大の競争相手となっただけでなく、オルペウス教の秘跡は、のちの多くの秘教に取り入れられて溢れ出し、やがてキリスト教に流れ込んでいきました。そもそも、オルペウス教の福音は、地中海沿岸地方一帯において、少なくとも1200年の間にわたる長い間布教されており、キリスト教の教理に大いに貢献したことは、当然の流れと指摘されています。

 

オルペウス教徒は、宗教の持つ国家的・世襲的原理を拒否し、個人の霊魂の救済が最も大事であるとしました。個人の霊魂の救済は、形式的には、秘跡、入信の秘儀によって実践され、永遠の祝福を得るために肉食と性の快楽を慎んだ禁欲的生活や、死後に受ける罰の観念が教義の中に取り入れられました。

 

オルペウスの啓示は、事実上、キリスト教の場合と区別し難く、キリスト教との類似は顕著なものとなっています。たとえば、キリスト教会が、オルペウス教の救世主とキリストを同一とする案を考え出し、4世紀のキリスト教美術は、オルペウスの姿をしたキリストを描き出しています。このとき、キリストはプリュギアの帽子をかぶり、竪琴を奏で、足許には生贄の仔ヒツジが描かれていたと伝えられています。キリストとオルペウスの聖像を並べて置かれた礼拝堂もあったといいます。

 

このようにして、オルペウス教は、その後の宗教、特に、キリスト教の歴史に大きな影響を与えました。

 

 

<ギリシャ神話シリーズ>

ギリシャ神話 (総論):ガイアから始まる神々の系譜

ギリシャ神話①:世界の起源カオスと人間の創造

ギリシャ神話②:ゼウスらオリンポス12神の顔ぶれ

ギリシャ神話③:最高神ゼウス 天上の支配と繁栄

ギリシャ神話④:ポセイドン 海と大地の支配者

ギリシャ神話⑤: アポロン デルポイ神託と月桂樹の冠

ギリシャ神話⑥:英雄ヘラクレスと「十二の功業」

ギリシャ神話⑦:英雄アキレウスの活躍と死

ギリシャ神話⑧:英雄オデュッセウスの活躍と試練

ギリシャ神話⑨:トロイア戦争 ゼウスの手のひらで

ギリシャ神話⑩:密儀宗教・エレウシスの秘儀

ギリシャ神話⑪:ディオニソスとその秘儀

 

 

(参照)

古代ギリシャの歴史と神話と世界遺産

(港ユネスコ協会HP)

ギリシャ神話

(TANTANの雑学と哲学の小部屋)

ギリシャ神話伝説ノート

(Kyoto-Inet)

Reynal Sorel(レナル・ソレル)『オルフェウス教』

(國枝孝弘研究室)

秘儀宗教(イシス、ディオニュソス、エレウシスなどの秘儀とは)

(MORFO HUB )

オルペウス教とは(コトバンク)

オルペウスなど(Wikipedia)

 

 

(投稿日 2024年11月20日)