ギリシャ神話の世界をシリーズでお届けしています。ギリシャ神話といえば、まっさきに、トロイア戦争の物語を連想される人も多いでしょう。前2回で紹介したアキレスとオデュッセウスの神話も、トロイヤ戦争を舞台としていました。今回は、そのトロイヤ戦争について、再編集してみました。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
<トロイア戦争とは?>
トロイア戦争(トロイ戦争、トロヤ戦争)は、ミケーネ文明の時代(前16〜前12世紀)の紀元前13世紀頃におきたとされる、ミケーネ、スパルタなど古代ギリシアの王国連合と、小アジア西端に位置するトロイア(イ―リオス)王国の間で繰り広げられた10年にわたる戦争です。アカイア人は、ギリシア人の一派でミケーネ文明を創造した人々の総称ですが、ホメロスではトロヤ攻撃のギリシア人の総称です。
トロヤ戦争は、ホメーロスの英雄叙事詩「イーリアス」や「オデュッセイア」に主に記述されていますが、ほかにも、キュプロスの詩人、スタシノスかヘーゲシアスによる『キュプリア』、ミレトスのアルクティノスが書いたとされる「アイティオピス」や「イーリオスの陥落」、また、ウェルギリウスがトロイア滅亡後のアイネイアースの遍歴を描いた「アエネーイス」など、さまざまな叙事詩があります。
「イーリアス」
ホメーロスの叙事詩「イーリアス」は、英雄アキレウスを主人公にトロヤ戦争をうたったもので、物語はギリシアの遠征軍がトロイアを包囲して迎えた10年目の、ある49日間のできごとについて描かれ、総大将アガメムノンに対するアキレウスの怒りから始まり、代理で出陣したパトロクロスの戦死、ヘクトールとの闘い、そして彼の死と、その葬送のための厳粛な静けさで物語が閉じています。
「オデュッセイア」
他方、『オデュッセイア』では、「イーリアス」の続編で、英雄オデュッセウスを主人公に、トロイア戦争の終結後、故郷のイタケ島へ帰国しようとしたオデュッセウスが嵐に出会い、様々な苦難を経て故郷へと帰る物語が記されています。
トロイア戦争の物語は、ギリシア神話上で、もっとも古く、もっとも重層的に伝承や神話や物語が蓄積されていると評価されています。ただし、トロイア戦争の経過は、「パリスの審判」や「木馬の計略」の話など断片的な物語は伝わっていますが、戦争の全貌は明らかではなく、完全な形で今日伝存していません。いわば、小さな神話あるいは歴史的な伝承が、大きな物語圏を作り上げていると言われています。
また、長年、トロイ戦争は、神話あるいは歴史的な伝承にもとづいた物語とされていましたが、19世紀末のシュリーマンのトロイア遺跡発掘から歴史的事実であることが明らかになりました。
<トロイア戦争の引火線>
◆ パリスの審判
トロイア戦争の原因としてでてくる神話に、「パリスの審判」があります。
オリンポスでは、人間の子ペーレウスと、ティーターン族の娘テティスの婚儀が行われていました。その席には、神々がこぞって出席していましたが、不和の女神・エリスだけはこの饗宴に招待されませんでした。
怒ったエリスは、「最も美しい女神へ」と書かれた、ヘスペリデスの黄金の林檎を神々の座(宴席)へ投げ入れました。すると、このりんごの所有をめぐり,ヘラとアテナとアフロディテの三女神による争いが起りました。そこで、ゼウスはこの林檎が誰にふさわしいかをトロイアの王子で、羊飼いをしているパリスに委ねました。
三女神はそれぞれが最も美しい装いを凝らしてパリスの前に立ち、さらに、ゼウスの妻で神々の女王ヘラは自分を選べば「世界の王の座(世界を支配する力)」を、アテナは「戦いにおける勝利」を、美の女神アプロディーテーは「最も美しい女」を与えるとそれぞれが申し出ました。
パリスは、権力や名声よりも愛を選び、アフロディテにりんごを与えました。ただし、この時、アプロディーテーが差し出すと申し出た「最も美しい女」とは、トロイアの敵国スパルタ王メネラーオスの妻ヘレネーのことでした。アフロディテは約束を果すため,パリスをスパルタに送って、ヘレネーをトロイに連れて行かせました(パリスはヘレネーを略奪した)。
王妃を奪われたスパルタ王メネラーオスは、兄でミュケーナイの王であるアガメムノーンにその事件を告げ、オデュッセウスとともにトロイアに赴いてヘレネーの引き渡しを求めましたが、パリスはこれを断固拒否しました。
そこで、ミケーネ王のアガメムノンを総大将、スパスタ王メネラーオスを副大将として、知略に長けたオデュッセウス、助言者ネストルなどギリシアの英雄たちが、ヘレネー奪還とトロイア懲罰の遠征軍を組織し、トロヤを攻撃することとなりました。
◆ アキレスとオデュッセウス
オデュッセウスは、「(勇猛無比な)アキレスを欠いては、トロイアは陥落しない」との神託を受けて、アキレス(アキレウス)を仲間に加えるために、アキレスのいるスキュロスに赴きました。しかし、アキレウスの母神テティスは、「アキレウスがトロイア戦争に加わると命を落とす」との神託を受けていたので、アキレウスを女装させ、アカイア勢の目を逃れようとしていました。
そのため、オデュッセウスは、市場にいる女性たちのなかで、アキレウスを見つけ出さなければなりませんでした。市場で、他の女性は装飾品にしか目を向けなかったのに対して、武器に興味を示していた「女」を見出しました。そこで、オデュッセウスが、戦いのホルンを鳴らすと、武器を握りしめたことから、その「女」がアキレスであることを突き止めました。こうして、アキレウスは、扮装が暴露され、アカイア勢に参加することになったのです。
◆ アポローンの呪い
一方、トロイ側では、パリスの妹でトロイアの王女カッサンドラーのみ、この事件が国を滅ぼすことになると予言し、父であるプリアモス王に警告をしましたが、「アポローンの呪い」によって聞き入れられませんでした。
カサンドラは、アポロンに美貌を見初められ、恋人になる代わりに未来を予言する能力を授かりました。しかし、その能力をえたカサンドラは、アポロンが自分を捨てる未来を見てしまったため、アポロンを拒絶しました。これに怒ったアポロンは、カサンドラの予言を誰も信じないという呪いをかけたのでした。
◆ ゼウスの思惑
さて、この戦争では神々も両派に分かれ、パリスの審判に恨みをいだくヘラやアテナをはじめ,ポセイドンらの神々がギリシャ側に、一方、アルテミス、アレース、アプロディーテーらがトロイア側に味方しました。
そもそも、この戦争の起因は、ギリシャ神話の最高神ゼウスが、増えすぎた、英雄の種族の人間を減らし、また大地女神の重荷を軽減するために、ゼウスの二番目の妻でもある、秩序の女神・テミスと試案を重ね、戦争を起こさせたとされています。ゆえに、神々もこの戦争に介入させ、戦争を長引かせたというわけです。
ゼウスはこの計画の準備のために,たとえば、自ら白鳥に化けてレダと交わり美女ヘレネを地上に誕生させ、また、女神のテティスを英雄ペレウスに妻として与え,勇士アキレウスを生まれさせたのだそうです。
<トロイア戦争の勃発>
(アッティカの西北)ボイオーティア地方のアウリスに集結したアガメムノーンを総大将とするアカイア軍は、総勢10万で、トロイア近郊の浜に上陸し、待ち構えたトロイア軍を撃退すると、浜に陣を敷きました。緒戦では、ギリシャ勢が優勢に戦いを進め、トロイアを包囲しましたが、トロイア軍も、かつてゼウスの命で、プリアモス王の父、ラーオメドーンの時代にポセイドンとアポロンが築いた強固な城壁を持つ市街に籠城し、ハリスの兄の王子ヘクトルなどの名将の下でよく戦いました。
さらに、アフロディテやアレスなどの有力な神々にも助けられていたため、アカイア軍(ギリシャ軍)は、イリオスを容易に攻略できず、両軍は海と街の中間に流れるスカマンドロス河を挟んで対峙したまま、双方に犠牲を出しながら、戦争は10年目に入りました。
イリオスの城壁
なお、トロイア(イリオス)の城壁については、かつて、ポセイドーンとアポローンが、ゼウスに反乱を企てたとして、ゼウスの怒りを買うと、人間の姿にさせられ、イリオス王ラーオメドーンのためにイリオスの城壁を築くという罰を受けました(一説によると、城壁を築いたのはポセイドンだけで、アポローンは羊飼いの役目をしていたという)。
城壁完成の後にポセイドーンとアポロンが報酬を貰おうとすると、ラーオメドーンはそれを拒絶しました。怒ったポセイドーンは海の怪物を送り込み、アポローンは疫病で、イリオスを悩ませました。ポセイドンは、ラオメドンの子プリアモスの代になって起こったトロイア戦争では,つねにギリシア方の味方をしたという挿話が残されています。
◆ アキレスの活躍
ギリシア勢がトロイア戦争を開始してから十年目、戦利品で捕虜の娘ブリーセーイスを総大将のアガメムノンに強奪されたことに憤慨したアキレウス(アキレス)は、戦士としての誇りを大きく傷つけられたとして、戦闘を放棄、戦線を離脱してしまいました。
アキレウスという一番の戦力を失ったギリシャ勢は、神々の加護も失い(実はゼウスがトロイヤ勢に味方した)、名だたる英雄たちが負傷し、総崩れとなりました。
これを見かねた友人のパトロクロスは、なお出陣を拒むアキレウスから鎧を借り、ミュルミドーン人たちを率いて出陣したことから、ギリシア勢はトロイア勢を押し返しましたが、トロイアの王プリアモスの息子で、事実上の総大将であるヘクトールに討たれてしまいました。
親友パトロクロスの死を深く嘆いたアキレウスは、ヘクトールへの復讐のために再び戦場に立ち、トロイアの名だたる勇士たちを次々と葬り去り、不利だった形勢を逆転させました。城内に逃げ去るトロイア勢に中で、門前に一人待ち構えていた総大将ヘクトールとの一騎討ちとなり、アキレウスがヘクトールを討ち取りました。(紀元前490年~480年頃と推察されている)。
アマゾン族の女王ペンテシレイア
ヘクトール亡き後、トロイア勢は意気消沈しますが、アマゾーン族の女王ペンテシレイアの加勢により、再び勢いを盛り返しました。ペンテシレイアは女神のごとき勢いでギリシア勢の名だたる英雄をなぎ倒して暴れまわりましたが、アキレウスがペンテシレイアを討ちました(紀元前520年頃と推定)。アキレウスは、遺体となったペンテシレイアの素顔を覗くと、その美貌に目を奪われ、殺してしまったことを後悔したと言われています。
曙の女神エオスの子メムノン
ペンテシレイアの死後、再び落ち込んだトロイア側に、今度は、アイティオピアー勢を率いてきたメムノーン(暁の女神エーオースとティートーノスの子)が加勢したことにより、トロイや側は再び息を吹き返しました。メムノーンは老将ネストールの子アンティロコスを倒すなどして活躍しましたが、アキレウスに討ち取られました。
◆ アキレスの死
その翌日、アキレウスはトロイアのスカイアイ門の前で戦っていましたが、アポロンの助力を受けたトロイア王子パリスに、弱点の踵(急所のアキレス腱)を射かけられ、瀕死の重傷を負って倒れました。しかし、アキレウスは再び立ち上がり、トロイア勢を追い回し、奮戦しましたが、その後、落命しました。
その後、「アキレウスの子ネオプトレモスとヘーラクレースの弓なしにはトロイアを落せない」という神託によって、ネオプトレモスがギリシア軍に招かれ、なかば戦場のシンボルとして参戦しました。
◆ トロイアの木馬
このように、ギリシャ(アカイア)側は、英雄アキレウス、トロイア側は勇将ヘクトールを失うなか、この膠着状態を破ったのが、アカイア方の知将オデュッセウスが考案した「トロイアの木馬」作戦でした。
これは、巨大な木馬を造り、その内部(腹の中)に、自分も含めた勇士たちを潜ませておき、その木馬をトロイ方に戦利品(和平の贈物)として城内に運び入れさせ,夜ふけに中にいた勇士たちが城門を開いて味方の軍勢を引入れるというものです,
ギリシャ(アカイア)軍は、陣営を焼き払って撤退を装い、敵を欺くために、従兄弟シノーンだけを残して、近くのテネドス島に待機しました。シノーンはトロイア人に捕まり、拷問を受けましたが、「ギリシア人は逃げ去った。木馬は女神アテーナーの怒りを鎮めるために作ったものだ」と嘘をつき、なぜ、なぜこれほど巨大なのか、と問われると、予言者カルカースが「この木馬がイーリオス城内に入ると、この戦争にギリシア人が負けると予言したためだ」とトロイア人を欺き通し、木馬を城内に運び込むように誘導しました。
この「トロイアの木馬」の計は、アポローンの神官ラーオコオーンと王女カッサンドラーに見抜かれましたが、ラーオコオーンは、女神アテーナ―が送りこんだ海蛇の怪物に絞め殺され、カッサンドラーの予言は、「アポロンの呪い」で誰も信じませんでした。むしろ、予言通り「城内に入れれば勝利する」と信じたトロイア人たちは、城門は木馬を通すには狭かったので、あえて城門を一部破壊してまでも通し、木馬を戦利品としてアテーナーの神殿に奉納しました。
その後、トロイア人は、市を挙げて勝利の宴会を開き、全市民が酔い転げ、寝静まった夜、木馬からオデュッセウスたちが出てきて、松明でテネドス島のギリシア勢に合図を送るとともに、城門を開け放ち、味方を引き入れました。
難攻不落のイーリオス城への侵入を果たしたギリシャ軍は、ヘレネを助け出し、トロイアの王宮と街を焼き討ちにしました(トロイアの王プリアモスも、アキレウスの息子ネオプトレモスに討たれた)。こうして、トロイアは、オデュッセウスの策略にかかり一夜で陥落(滅亡)、10年に及んだトロイア戦争は、ついにギリシャ(アカイア)側の勝利で終わりました。
なお、イーリオスが落城したとき、ただひとり脱出したアエネアスが地中海各地を彷徨した後、イタリアのローマに至りその子孫のロムルスがローマを建国するというローマ建国神話につながっています。
<トロイア戦争後の悲劇>
このあとギリシア(アカイア)軍は,捕虜にした女たちや財宝を分け合い,帰国の途につきましたが、ギリシャの名だたる指揮官たちは、悲劇的な末路をたどりました。
総司令官アガメムノーン王は、帰郷後すぐ、妻のクリュタイムネストラとその愛人によって謀殺され、弟のメネラーオス王はヘレネを取戻したものの、帰国途中、暴風に悩まされエジプトに漂流し、帰還するのに8年かかりました。オデュッセウスも同様に、故郷にたどりつくまで10年もの間、諸国を漂流しなければなりませんでした。
ロクリス人を率いてギリシア軍に参加した英雄小アイアースは、アテーナーの神殿でカッサンドラーを恥辱した事でアテーナーの逆鱗に触れ、船を沈没させられて死亡した(最後はポセイドンによって溺死させられた)。さらに、その後もアテーナーの怒りは解けず、ロクリスの人々は毎年、若い未婚の女性を2人ずつトロヤのアテネ神殿に送らねばなりませんでした。途中、トロイア人に捕まれば、辱めを受けながら一生を独身で過ごさねばなりませんでした。この習慣は紀元前800年頃から1000年近く続きました。
そのほかの英雄たちも、途中落命したり,イタリアなど別の土地に、住みつく者も多く出たと言われています。
<シュリーマンの発見>
ギリシア神話それ自体は歴史ではなく、あくまで神話で、古代都市イーリオスもまた、長く伝説上のものと思われていました。トロイア戦争の時期についても、紀紀元前13世紀にトロイアで実際に大規模な戦争があったとの考え方や、紀元前1700年から紀元前1200年頃にかけて、小アジア一帯が繰り返し侵略をうけた事実から形成されたという見方などがありました。
しかし、19世紀末、ハインリヒ・シュリーマンによって、トロイア一帯から遺跡が発掘されたことから、この物語は単なる神話ではなく、ミケーネ王がトロイアを征服した事実を反映していることが明らかになり、その時期も紀元前1250年頃(紀元前1259年~紀元前1179年)と見られています。
(付記)
トロイア王家
小アジアのトロイアの地を治めていた王朝(王家)は、ゼウスを祖とするダルダノスの子孫です。トロイア王家の開祖ダルダノスは、プレイアデスの1人エーレクトラーとゼウスの息子で、トロイアを創建し、キュベレー崇拝をプリュギアに導いたとされています。
プレイアデスとは、ギリシア神話に登場する7人姉妹で、ティーターン族のアトラースと、海のニュンペーであるプレーイオネーとの間の7人娘のことをいいます。
キュベレーは、アナトリア半島のプリュギア(フリギア)(アナトリアの中西部)で崇拝され、古代ギリシア、古代ローマにも信仰が広がった大地母神です。
ダルダノスの孫がトロースで、トロイアの名祖(地名や民族などの名の起こりとなった人)と位置づけられています。トロースにはイーロス、アッサラコス、ガニュメーデースの三人の息子がいました。
トロイア最後の王となったプリアモスの父が、ポセイドンとアポロンが築いたイ―リオスの城壁に対する報酬を払わなかったラーオメドーンで、ラーオメドーンはイーロスの子です。
ガニュメーデース
ガニュメーデースは美少年中の美少年と言われ、オリュンポスの酒盃の捧持者(ほうじしゃ)になりました。オリュンポスの神々に給仕するのは、もとは大神ゼウスとその正妻ヘーラーの娘、青春の女神であるヘーベーの役割でした。ゼウスの子、英雄ヘーラクレースが死後、神々の列に加えられたとき、ヘーベーが妻としてヘーラクレースに与えられました。このため神々の宴席に給仕するものがなくなりました。
ゼウスは人間たちの中でもとりわけ美しい、トロイアの美少年ガニュメーデースを選び、鷲の姿に変身して彼を攫(さら)い、オリュンポスの給仕(捧持者)としたのです。この仕事のためにガニュメーデースには永遠の若さと不死が与えられたとされています。なお、みずがめ座は、神々に神酒ネクタールを給仕するガニュメーデースの姿であり、わし座はゼウスがガニュメーデースを攫うときに変身した鷲の姿と言われています。
<ギリシャ神話シリーズ>
(参照)
古代ギリシャの歴史と神話と世界遺産
(港ユネスコ協会HP)
ギリシャ神話
(TANTANの雑学と哲学の小部屋)
ギリシャ神話伝説ノート
(Kyoto-Inet)
オデュッセイアは古代ギリシャの最高傑作!あらすじや登場人物を徹底解説
(ターキッシュ・エア・トラベル)
トロイア戦争(世界史の窓)
トロイア戦争とは(コトバンク)
トロイア戦争など(Wikipedia)
(投稿日 2024年11月20日)