ギリシャ神話の世界をシリーズでお届けしています。オリンポスの十二神の中で、特に注目される神々として、ゼウス、ポセイドンに続き、今回は、一般的には太陽神として知られるアポロンについて解説します。
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◆ アポロンの神格
ゼウスと、ティーターン神族のレートー(レト)との間に生まれた子で、古典期のギリシアにおいて理想の青年像とみなされ、付与された性格は多岐にわたります。まず、古くから牧畜・羊飼いの守護神であり、竪琴を手にとる音楽と詩歌文芸などの芸能・芸術の神として知られています。
また、神託を授ける予言の神でもあります。牧人と家畜を守護する半獣神(獣の脚と山羊の角を持つ)のパーンから予言の技を学んだとされ、デルフォイにアポロンの神殿が建てられ、そこで、アポロンの神託が与えられていました(後述)。
イルカ(デルピス)との関係も深く、イルカの姿に変身したという神話から、アポロンはデルピニオスとも呼ばれ、アポロンの神託所がある「デルポイ」という地名はここから来ています。
加えて、「遠矢の神」(「遠矢射る」疫病神)であり、転じて医術の神(病を払う治療神)としても信仰されました。双子の姉(妹という説もある)で狩猟・貞潔の女神アルテミスと共に弓術にも優れ、人間に当たれば苦痛なく一瞬で即死する金の矢を武器とています。トロイヤ戦争では、地上に向かって放った矢から疫病が広がり(疫病の矢を放ち)、敵を次々と倒しました。
そのほかにも、ボクシングを創始した神としても知られ、「イーリアス」では、アカイア勢の築いた頑強な城壁を素手で軽々と打ち砕いて崩壊させたと書かれています。
さらに、ギリシャ神話の、ティーターン神族で、太陽神ヘリオスと同一視され、前5世紀には太陽神(光明神)とされるようになりました(ローマ時代に太陽神として定着した。)。
アポローンの出自についても諸説あります。繁茂する植物の精霊神(植物神)から転じて、牧畜を司る神となったという説や、生誕後、ギリシアに現れる前の一時期を北方の民ヒュペルボレオイの国で暮らしていたとも言われていることから、北方の遊牧民に起源を求める説などがあります。いずれにしても、もとは小アジアに起源をもつ外来の神で、複数の神格の習合を経て成立したと考えられています。
◆ アポロンとデルポイの神託
ギリシア中部パルナッソス山南麓に位置する、古代都市デルフォイ(デルフィ/デルポイ)は、オリュンピアと並ぶ古代ギリシア最大の聖域でした。そこは、ギリシャ神話の最高神ゼウスは、デルフォイを大地の中心(世界の中心/「大地のへそ」)と定めたとされ、少なくともミケーネ文明以前の紀元前12世紀頃から、神を祀る場所となっていたと見られています。
その「大地のへそ」に、アポローンを祀るアポロン神殿(神託所)が建てられ、アポロンが人々に神託(神の預言)を与えられていました(「デルポイの神託」で知られる)。具体的には、神殿の中心部の地下にある石が置かれた区域で、神託は行われていたとされ(この「立ち入り禁止区域」はアディトンと呼ばれていた)、神殿の巫女(ピューティアー)が、神懸かり状態となり,このピューティアーの口をかりて、予言の神アポロンの言葉が、詩の形で与えられました。なお、アポロン神殿の中央には、祭壇があってアポロンの像が置かれ、祭壇には生贄が捧げられていたとされています。
デルフォイでのアポロン神殿の神託は、すべてのギリシア人(ヘレネス)にとって真実のものと尊ばれ、人々の運命とポリスの命運を左右するものとされたことから、古代ギリシアの各ポリスで重視され、共通して従うものとなりました。
そのため、植民の可否や戦争など、ポリスの重要な決定はこの神託によってなさるようになりました。アポロンの神託は前590年から始まり、特にギリシア人の植民活動が始まると、植民の前に、植民市建設の助言を貰い受けるために、デルフォイの神託をうかがうことが慣行となりました。
前5世紀の後半、アテネで活動していたソクラテスも、37歳の時、デルフォイのアポロン神殿の「ソクラテスより知恵のあるものはいない」という神託を受け、それを確かめるために当時知者と言われた人々と対話を重ね、「無知の知」の真理に至ったとされています。アポロン神殿遺跡の入り口の碑文には「汝自身を知れ」という古代ギリシアの格言が刻まれています。
このように、デルフォイは、オリンポスの神々の時代、アポロン信仰の中心地となり、その神託を求める諸都市国家の人びとで賑わい、植民に関する情報センターなような役割も持つようになりました。
デルポイは捧げ物によって繁栄を謳歌していました。戦勝記念にもギリシア各地から贈り物が届けられました。たとえば、アテナイは、前490年のマラトンの戦いの後、神殿を寄贈し、アレクサンドロス大王は、紀元前331年、ペルシャ軍を破ったガウガメラの戦い(アルベラの戦い)の後に、敵兵の武具を寄贈しました。
この神域の運営は、周辺の部族の隣保同盟があたっていましたが、多数の奉納物が富となっていたので、時にその管理権をめぐってポリスが争うこともありました。
このように、アポロンの神託は大きな影響力を持ち、ギリシャがローマの支配下に入った後も継続されましたが、ローマ帝国期キリスト教が国教となると禁止され、デルフォイの地は廃墟となり、古代の遺跡として残されました。
なお、デルポイ以外にも、ミレトスのディデュマには同じようなアポロン神殿があり、また、生誕地とされるデーロス島や、神々が使用した神聖な場所と考えられてきたヘーリコン山など、アポロンの聖地とされる場所はいくつもあります。
◆ ピューティア大祭
ギリシア最古の神託所にあたるデルポイでは、予言と音楽を司る光明神アポローンを讃える、ピューティア大祭と呼ばれる祭事(祭典)が、4年に1度、古代オリンピックの開催年と被らないように開催されていました。
当初、音楽演奏や、キタラーやフルートの伴奏付きの歌唱による競技などが行われ、その後、演劇の上演コンクールや、詩や散文作品の朗読競技も実施されました。また、紀元前582年以降は、オリュンピア大祭に倣って、各種の運動競技も加わり、また戦車(チャリオット)による競争も行われるようになりました。
各種競技の優勝者には、アポローンの聖樹である月桂樹の葉(ダプネー)で飾られた冠が贈られました(これは「月桂冠」と称された)。
ピューティア大祭の由来
ピューティア大祭の神話的な起源は、ギリシア神話におけるデルポイの巫女と神託の地を守護する聖なる大蛇ピュートーンとアポロンをめぐる一連の物語のうちに求められます。
太古の時代のデルポイの地においては、もともと、法の女神テミスが神託を与える神としての役割を担っていました。テミスは、原初の神々にあたるガイア(大地)とウラノス(天空)の間に生まれた古代の巨神族(ティターン神族)のうちの一柱で、ゼウスの2番目の妻でした。
また、デルポイの地には、神話の時代から、神々から与えられる予言の言葉を人々に伝える巫女たち(ピューティアー)が住んでいたとされ、女神テミスが与える神託の言葉を、この巫女たちが神がかりとなって自らの心の内に伝え聞くことによって、デルポイの神託が下されていたと考えられています。
加えて、ピュートーンと呼ばれる大蛇が地の裂け目にいて、とぐろを巻いて神託の地を守護していたと語り伝えられています。そこで、ピュートーンは、デルポイの巫女たちが神がかりとなるための霊気を吸っていたとされています。
その後、ティターン神族などの古代の神々に代わってオリンポスの神々が天空を支配することになった際、ゼウスの子、アポロンがデルポイの地を訪れ、番人の大蛇ピュートーンと戦い、大蛇の頭を弓矢で射止めました。
こうして、もともと大地の母ガイアの聖地、ガイア信仰の中心地だったデルポイの地は、アポロンによって奪われ、デルポイの地における神託の役割も、法の女神テミスに代わって、アポロンが担うことになりました。
その際、アポロンは、自分が射殺した聖なる大蛇ピュートーンのことを弔うために、この地で壮麗な競技大会を執り行いました。これが、ピューティア大祭における競技会の始まりとされています。ゆえに、この大蛇ピュートーンの名を取って、デルポイに集う巫女たちのことをピューティアと呼ぶのと同時に、ピューティア大祭の呼称も、大蛇ピュートーンが由来となったのです。
「月桂樹の冠」の起源
恋愛の神エロース(エロス)は、黄金で出来た矢に射られた者は激しい愛情にとりつかれ、鉛で出来た矢に射られた者は恋を嫌悪するようになる小さな矢で、人や神々を撃って遊んでいました。
ある時、アポロンは、大蛇ピュートーンを矢で射殺し、ガイアの聖地だったデルポイの神託所をアポローンが奪った帰途、偶然エロスに出会うと、エロスの持つ小さな弓を馬鹿にしました。
すると、エロースはアポロンへの仕返しに、愛情を芽生えさせる「銀の矢」(「黄金の矢」)でアポローンを、また、愛を拒む「鉛の矢」で、偶然アポローンの前にいたテッサリアの河神ペーネイオスの娘のダプネーを撃ちました。
このため、アポローンはダプネーに愛情を抱きましたが、ダプネーはアポローンの愛を拒絶しました。恋するアポローンはダプネーを奪おうと追いかけますが、ダプネーはこれを嫌って必死に逃げ続けました。しかし、いよいよアポローンに、ペーネイオス河畔に追いつめられて逃げ場がなくなったとき、ダプネーは(河の神)父ペーネイオスに祈って助けを求めました。
娘の苦痛を聞き入れたペーネイオスにより、ダプネーは月桂樹に身(姿)を変じたため、アポロンの思いは絶たれてしまいました。失意のアポローンは「せめて私の聖樹になって欲しい」と頼むと、ダプネーは枝を揺らしてうなずき、月桂樹の葉をアポローンの頭に落としました。以後、アポロンは月桂樹で冠を編み、永遠に身に着けました。
この故事により、デルポイのアポロンを讃える祭事であるピューティア大祭で行われる競技の優勝者には、月桂冠が与えられることになりました(ダプネー は「月桂樹」という意味)。
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アポロンは、知性に充ちる美青年の像で描かれることが多いだけでなく、恋愛譚(たん)が多数あり、恋人も多くいました。アポロンの子として、アスクレーピオスやオルペウスがあげられます。
アスクレーピオス
アスクレーピオスは、名医にして医神で、太陽の神アポローンとテッサリアのラピタイ族の王の娘コローニスの子(半神半人)です。アポロンは、コロニスが不貞を働いたとの誤った報告を鵜呑みにして、コロニスを射殺してしまいました、しかし、コロニスが身籠っていたことを知って、胎児を救い出し、半人半獣のケンタウロス族の賢者、ケイローンに、アスクレピオスの養育を託しました。
ケイローンのもとで育ったアスクレーピオスは、とくに医学に才能を示し、医術を学び名医となりました。その腕は、師のケイローンさえ凌ぎ、ついには、不老不死の霊薬を作り上げ、死者まで生き返らせることができるようになりました。
しかし、冥界の王ハーデースは、霊薬の効果で、自らの領域から死者が取り戻されていくのを、「世界の秩序(生老病死の理)を乱す」として、ゼウスに強く抗議しました。ゼウス自身も、これを聞き入れ、雷霆(らいてい)をもってアスクレーピオスを撃ち殺してしまいました。ただし、ゼウスも、アスクレピオスの功績は認め、アスクレピオスは神々の一員に加えられることになりました。
なお、WHO(世界保健機構)のロゴにある蛇の巻き付いた杖はアスクレピオスに、また周りの月桂樹は父アポロンに由来します。
オルぺウス
ホメロス以前に活躍した吟遊詩人で、古代に隆盛した密儀宗教であるオルペウス教の始祖です。アポロンと芸術の女神ムーサの一柱ウーラニアーとの間に生まれたとされています(異説あり)。
<ギリシャ神話シリーズ>
<参照>
古代ギリシャの歴史と神話と世界遺産
(港ユネスコ協会HP)
ギリシャ神話
(TANTANの雑学と哲学の小部屋)
オリオン座の神話・伝説
(ステラルーム)
ギリシア神話の12神と簡単なストーリー
(Nianiakos Travel)
ギリシャ神話伝説ノート
(Kyoto-Inet)
ギリシャ神話とは(コトバンク)
ギリシャ神話など(Wikipedia)
(投稿日2024年11月20日)