ギリシャ神話の世界をシリーズでお届けしていますが、前回に続き、密議宗教を取り上げます。今回は、前回のエレウシスの秘儀に続き、ディオニュソス秘儀を紹介しますが、酒の神ディオニソスについて深堀りすることが、その秘儀を理解する第一歩となります。
密儀宗教(秘儀宗教)とは、主に神の「死と再生」というテーマの神話を儀式的に再現し、それを信者に体験させる宗教で、秘儀への参入者は、個人の霊魂に眠る神性を覚醒させることができれば、神的な生と死後の祝福が保証され、死後の不死性を獲得することができるとされました。
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<ディオニソスとは?>
ディオニソス(バッカス)は、ギリシャ神話の酒の神(ワイン、ブドウの神)・豊穣の神で、その崇拝は、ディオニソスに仕える巫女らが熱狂と興奮のうちに恍惚状態に入る祭儀を伴い、おもに女性の間で熱狂的な支持を得て野火のようにギリシア中に広まりました。
別名はバッコス(小アジアのリュディア語に由来)、ローマ神話ではラテン語でバックスと呼ばれます(その英語読みはバッカス)。
ディオニュソス自身は、クレタ島のミノワ文明に由来する古い神で、ギリシャにも紀元前20世紀頃には根づいていたとされています。実際、ミュケーナイ文明の文書から、線文字Bでディウォヌソという名前が見られ、その信仰はかなり古い時代までさかのぼります(紀元前15〜11世紀より崇拝されていたと考えられる)。
あるいは、本来は外来神で、トラキアの神ともみられています。その起源についてもインド神話のソーマ(酒の神)と同一神だったとも言われ、エジプトではオシリスと同一視されています。
アポロンの本拠地デルポイにもディオニュソスの聖地があります。デルポイは、アポロンがやってきて、女神レアから主神の座を奪いましたが、ディオニュソスはアポロンが来る前からいたとも推察されます。
こうしたディオニソスですが、神と人間の間の子どもなので、神ではありませんでしたが、ブドウ栽培とワインづくりを広めたので、酒の神として崇拝されるようになりました。したがって、ギリシャではディオニュソスは新入りの神(最後に現れた神)とされ、最初はその非ギリシャ的な性質のため迫害を受けました。
しかし、民衆から徐々に受け入れられ、最終的には、ディオニュソスが酒を創造することで神々による世界創造が完成したことで、ディオニューソスは受け入れられ、ギリシアの神々の列に加わりました。竈の神ヘスティアーの代わりにオリュンポス十二神の一柱に数えられることもあります。
ローマの時代において、ディオニュソスは、ギリシアでの酒の神に加えて、小アジアで豊穣神の性格を帯び、イタリアに入って民衆の間に熱狂的支持を得ました(それゆえ、しばしばローマ当局によって弾圧された)。では、人間を母とするディオニソスが、オリュンポスの神々の列に加わるまでの経緯をみてみましょう。
<ディオニソスの誕生と遍歴の神話>
◆ ディオニソスの出自
ディオニソスは、ゼウスと、テーバイ(テーベ)の王女セメレーの子です。母セメレーは、カドモス王の娘で人間です。カドモスは、ゼウスがさらったエウローペーの弟にあたります。セメレーの姉はイーノ―でディオニソスを育てました。
夫ゼウスに愛されて子を宿したセメレに嫉妬したヘーラーは、人間に姿を変えてセメレに近づき、「ゼウスは実は神ではないのではないか」、「あなたの愛人は、本当にゼウスなのかしら」という疑念をセメレの心に植え付け、セメレがゼウスに対して、神である証拠を見せることを要求するように仕向けました。
ヘラの策略にはまったセメレは、ゼウスにどんな望みでも叶えると誓わせたうえで、「ヘーラーに会う時と同様のお姿でいらしてください」と、神の栄光を帯びた姿を見せるよう要求しました。ゼウスは誓いを立ててしまったためにその望みを拒否することができなくなり、雷霆を持つ本来の神の姿でセメレの前に現れました。
しかし、神の栄光を見た人間が、その光輝に、そのまま生きながらえることはできません。セメレーはその光輝に焼かれて死んでしまいました。ただし、ゼウスはヘルメスにセメレーの焼死体から、月足らずの嬰児(えいじ)を取り出させると、自分の腿(もも)の中に埋め(縫い)込み、臨月までその身を預かりました。こうして、ディオニュソスは、ゼウスの腿から誕生したのです(「2度生まれた神」として知られるようになった)。
◆ ヘーラーの狂気
ゼウスは、生まれたてのディオニュソスを、ヘーラーに気づかれないように、伝令神ヘルメスに託し、オルコメノス王アタマスとその妻で、セメレーの姉妹であるイノ(イーノ―)に女児として育てさせました。
しかし、やがてこの事実を知り激怒したヘーラーは、まず、イーノ―の夫のアタマースに狂気を吹き込みました。アタマースは、白い鹿を見つけて矢を射たところ、殺したのはイーノーとの息子レアルコスでした。(アタマスも王座から追放された。)
次に、イーノーも、ヘラによって狂気に駆らされ、沸騰したお湯の入った鍋にもう一人の息子メリケルテースを入れて殺してしまいました。正気に戻ったイーノ―は、その遺体を抱いて海に飛び込んだと言われています。
なお、別の伝承では、狂気に駆られたアタマースがレアルコスを射殺した後、次に自分達が狙わることを恐れたイーノーは、メリケルテースを抱いて逃げましたが、アタマースに追いつめられ、メリケルテースとともに海に身を投げたという伝説もあります。
いずれにしても、ゼウスはディオニュソスを育てた恩義に報いて、彼らを天界に引き上げ、イーノーを女神レウコテアーに、またメリケルテースを海神パライモーンとしました(このメリケルテースの死を悼んで、開催されたのがイストモス大祭である)。
ゼウスは、デオニソスをひそかにニュサという所まで運ばせ,その地のニンフたちに養育させましたが、セメレの死によっても怒りが収まらなかったヘラは、ディオニュソスをも狙い狂わせました。
このため、若きディオニュソスは、狂気にかられたまま、各地を放浪する事となりました。一般的な神話では、最初にエジプトを彷徨い(プロテウス王に温かく迎えられた)、続いて、シリアを通過し、アナトリア中西部にあるフリュギア(フリギア王国)(小アジア北西部のトラキア人の居住地)にたどり着きました。この時、そこで出会った母なる女神(古き大地母神)キュベレによって、狂気から解き放たれ(発狂の呪いを解かれ)、密儀を伝授されました。
◆ 布教の遍歴
正気に戻ったディオニュソスは、そのまま旅を続けました。その間、ブドウの木を発見し,その栽培方法やブドウ酒の製法を身につけ、各地を遍歴しながら、人間にブドウの栽培を教え普及させました。
ワインの伝来については、次のような神話があります。
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各地を遍歴したディオニューソスはアテーナイの近くイーカリアー村で農夫イーカリオスのもてなしを受けました。ディオニューソスは大変に感謝し、返礼としてイーカリオスに葡萄の栽培と、ワインの製法を伝授しました。
そこで、イーカリオスは出来上がったワインを山羊皮の袋に入れ、村人たちに振舞いましたが、初めて酒を飲んだ村人は酔いが理解できず、毒を盛られたと誤解してイーカリオスを殺害してしまったのです。さらに、父の遺体を見た娘エーリゴネーは、悲嘆の余りその場で首を吊って自殺しました。
事の次第を知ったディオニューソスは怒り、村の娘全員を狂気に陥らせ、全員を縊死(いし)(首をくくって死ぬこと)させました。やがて、誤解と知った村人たちは、哀れな父と娘を供養したので、ディオニューソスの怒りも収まり、同地は葡萄の産地として名を知られるようになったと伝えられています。
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ディオニュソスは、自分の信者を獲得することによって、みずからの神性を認めさせ、その祭儀を広めていこうとしました。時に、自分の神性を認めない人々を狂わせたり、動物に変えるなどの力を示し、神として畏怖される存在になっていきました。
様々な神話によると、こうした旅には「チアソス」と呼ばれる、おもに女性(巫女)からなる熱狂的な信奉者(信者)たちが随行しました。なかでも、バッカイ(バッコス/バッコスの信女),マイナデス(マイナス)(〈狂乱の女〉などと呼ばれる妖精たちは、チアソスのなかでも重要な地位を占めていました。
また、パーン(羊飼いと羊の群れを監視する神で獣人)やサテュロス(半獣半人の自然の精霊)、シレノス(毛深い人間の上半身に馬の耳,足,尾がついた半獣神で山野の精霊)に加えて、ヒョウ、トラ、オオヤマネコ、ヘビと言った動物も引き連れていました。
この女性や山野の精霊たちは、盛大な酒宴を開き、酒に酔い、踊り狂い、裸になり、肉を食らい、血を飲む酩酊状態で、どんちゃん騒ぎを繰り広げながら、ディオニュソスを礼拝し、付き従いました。
ディオニュソスの旅は、ギリシャからトルコ、さらにインドにまで及びました(ディオニュソスはヒョウが引く戦車に乗ってインドまで到達したと伝えられている)。ブドウの木が育ち、ワインが作られている場所は全てディオニュソスが訪れた場所であると信じられるようになりました。
◆ 「バッコスの信女」
ディオニソス(バッコス)は、遍歴ののち、従兄でテーバイ王ペンテウスの治める、故郷テーバイに帰ってきました。その時、叔母たちが母セメレーを中傷していることに怒り、信女(のぶめ)(在俗のまま授戒した女性)たちを引き連れてテーバイを訪れ、王の母アガウエをも含む現地の女たちを、狂わせて信徒として(国中の女性達を帰依させ)、山中で生活させていました。
そこでは、テーバイの女たちが狂乱の信者の仲間に加わって,松明やテュルソス(蔦を巻き,先端に松笠をつけた杖)を振りまわしながら、山野を乱舞し,陶酔の極に達するや,野獣を引き裂いてくらうなどの狂態を示すに及んでいました。
それを知った、テーバイ王ペンテウスは、ディオニューソスの神性を認めず、その祭儀も淫らでいかがわしい物として、これを邪教と断じました。そして、信仰を禁止し、ディオニソスを捕らえ、尋問しました。
しかし、ペンテウスは、その「邪教」の祭儀を一目見たいと思い、唆(そそのか)されるままに山へと赴き、いざ盗み見ようという時、ディオニューソスの指示で一斉に飛び出した信女達の手によって、八つ裂きにされてしまいました。しかも、ペンテウスを八つ裂きにした信女達の指揮を執っていたのは、ペンテウスの母アガウエーだったと言われています。
◆ ディオニソスの魔術と呪術
テーバイ王ペンテウスがディオニソスを捕えようとした際、一緒に連行された信者ヘカトールは、何故ディオニュソスを信奉するに至ったかを、次のように語っています。
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かつて船乗り(海賊)だったヘカトールは、仲間と共にナクソス島に到着した折、海賊たちは、ディオニューソスを高貴な生まれの貴公子と勘違いし、奴隷として売り飛ばそうと船に乗せ出航しました。
海賊たちはディオニューソスを縄で縛ろうとしましたが、自然と緩くなってしまい、何度試みてもうまくいかいきません。ここで、ヘカトールはディオニューソスの神性に気付き、助け出そうとしましたが、見ると、海賊船に葡萄酒が満ち、俄(にわ)かに船の帆に木蔦(きづた)が絡まって葡萄が生い茂り、海賊船は先に進む事は出来なくなっていたのです。
そして、ディオニューソスは獅子へと変じ、船の中央に熊を召喚しました。海賊たちは、聖獣を従えた神としての姿を見せて立ったディオニュソスを前に、恐怖におののき、海に飛び込みましたが、全員イルカに姿に変えられてしまいました。
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ただし、いち早くディオニューソスに気付き、助けだそうとしたヘカトールだけは神罰を免れ、ヘカトールは、ただちに船をナクソス島へと向け、その後ディオニューソスに従い、熱心な信者になったのでした。
この伝承のように、ディオニュソスは、突然どこからともなく現れ、ブドウの樹を1日で大きく成長させたり、地からブドウ酒を噴出させたりして、カルトのような熱狂的な信者を獲得し、世界中に自分の神性を認めさせていったのです。
◆ 神となったディオニソス
こうして、世界中を放浪しつつ、みずからの神性を世界中に認めさせた後、ディオニュソスは、オリュンポスの神々の仲間入りをしたとされています(前述したように、オリュンポス十二神の一柱として数えられることもある)。
また、冥界へと通じるとされる底無しの湖に飛び込んで、死んだ母セメレーを冥界から救い出し、連れ戻して、オリュンポスに引き上げました。その際、母の名を「テュオネ」と改めさせたと言われています。
さらに、ディオニューソスは、神に仲間入りを果たした後、ヘーラーとも和解しています。ヘーラーは、嫌っていた奇形の息子ヘーパイストスの罠に掛かり、黄金の椅子に拘束され身動きが取れなくなっていました。神々はヘーラーを解放させるため、ヘーパイストスをオリュンポスに招待しますが、母に捨てられた憎しみから、ヘーパイストスは応じません。そこで、ディオニューソスはヘーパイストスに酒を飲ませ、酔わせた状態でオリュンポスまで連れ帰り、ヘラを解放させました。この功績により、ディオニュソスはようやくヘラと和解したとされています。
<ディオニソスの秘儀>
このように神となったディオニソスですが、ここまでの経緯をみて推察されるように、アポロンに代表される秩序と明澄を旨とするオリンポス神とは性格を異にし、密儀神としても広く崇拝されています。
ディオニュソスは、その突然の噴出を本質とし(到来する神)、抵抗を受ける受難の神で、世俗の秩序にとってまったく異質で潜在的な力そのものです。同時に、集団的狂乱と陶酔を伴いながら、人を神性へ向かわせる存在で、密儀神として広く崇拝されています。
◆ 密儀神としてのディオニソス
ディオニソスは、イアッコスの名の下にエレウシスの大秘教の主神のひとりとして、またザグレウスの名の下にオルフェウス教の大神とみなされ(イアッコスとザグレウスはディオニュソスと同一視された)、冥界ともつながっています。
イアッコスは、エレウシスの密儀で,入信者たちがアテネからエレウシスまで行列しながらあげるかけ声の神格化された存在で,幼児の姿で手にたいまつを持ち,踊りながら信徒たちの列を導くと信じられました。また、ザグレウスは密儀宗教のオルペウス教に登場する少年神で、ディオニュソスの生まれ変わりとみなされました。
◆ ザグレウス=ディオニソスの誕生神話
神々の王ゼウスは大蛇に化けて、姉デーメーテールの娘ペルセポネーに近づき、交わってザグレウスをもうけました。ザグレウスは大蛇の姿でゼウスに伴い、ゼウスは全宇宙を継ぐべき存在として、ザグレウスを寵愛しました。
しかし、これに嫉妬したヘーラーは、ティーターン族に、ザグレウスに惨殺するよう仕向けました。戦いに敗れたザグレウスは、バラバラに引き裂かれ、四肢や肉片をティーターン族に煮て食べられてしまいましたが、心臓のみはアテーナーによって救い出され、ゼウスの元へ届けられました。ゼウスは心臓を呑み込んでセメレーと交わり、ディオニューソスをもうけました。このため、ディオニューソスの心臓は、本来ザグレウスのもので、ディオニソスの誕生は、ザグレウスの再誕とみなされました。
こうした密儀神としてのディオニソスを祝した祭礼が、ディオニュシア(ディオニューシア)祭(祭神をディオニュソスとする)で、ディオニソスの秘儀(秘密の祭儀)も行われていたとみられています。実際、その宗教的権威と魔術・呪術により熱狂的な信者を獲得したディオニューソスは、入信者に秘密の儀式が課されたと言われています。
もともと、ギリシア最古のブドウ栽培地のひとつと伝えられるアッティカ地方北西部の小村エレウテライに、ディオニソスを祀る小さな社が献じれていました。これが前6世紀の中ごろ,ペイシストラトスによってアテナイのアクロポリスの南東麓に遷座させられました。
ディオニューシア祭は、アテナイ(アテネ)で行われたこの社の祭礼で、古い陽気なエロティックな農民の祭りでしたが、悲劇の競演が催され、紀元前487年以降は喜劇も演じられました(ゆえに、ディオニソスはのちに演劇の神ともされた)。また、祭りの祭儀はディオニューソスの秘儀の一端を担うものであった考えられています。
ディオニューソスの秘儀の中身については、正確に明らかにされていませんが、豊穣の神ディオニソスの生産力の表象として、女性の乱舞や、八つ裂きや生肉喰いなどの宗教的狂乱を伴ったことは知られています。また、その思想的な背景などは、次回取り上げる「オルフェウスの秘儀」の中に見い出せるかもしれません。
<ギリシャ神話シリーズ>
(参照)
古代ギリシャの歴史と神話と世界遺産
(港ユネスコ協会HP)
ギリシャ神話
(TANTANの雑学と哲学の小部屋)
ギリシャ神話伝説ノート
(Kyoto-Inet)
秘儀宗教(イシス、ディオニュソス、エレウシスなどの秘儀とは)
(MORFO HUB )
ディオニソスとは(コトバンク)
ディオニソスなど(Wikipedia)
(投稿日 2024年11月20日)