日本国憲法65~75条:GHQが課した議院内閣制

 

日本国憲法の制定過程や、各条文の成立経緯を検証した「知られざる日本国憲法のなりたち」を連載でお届けしています。今回は、第5章の「内閣」です。

 

日本は議院内閣制と呼ばれる政治制度を採用しています。議院内閣制とは、内閣が国会(議院)の信任によって成り立っている制度のことをいい、衆議院議員選挙で多数を占めた政党の人たち(議員)で内閣を構成し行政を担当します。

 

日本国憲法では、こうした議院内閣制の内閣についての条文が、GHQとのやり取りの結果、どのように定められたのでしょうか?そこには、GHQというよりはアメリカ政府の強力な「意向」が働いていました。

 

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<日本の内閣制度>

 

  • 65条(行政権)

行政権は、内閣に属する。

本条は、日本の憲法が行政権を内閣に帰属させていることを示す条文です。

 

  • 第66条(内閣の組織)
  1. 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
  2. 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
  3. 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

 

第1項

内閣は、内閣総理大臣とその他の国務大臣で組織されます。内閣総理大臣は内閣を構成する(国務)大臣の首長の地位にいることが示されています。

 

第2項

総理と大臣の共通する資格が文民(職業軍人でない者)であることを求め、文民統制(シビリアン・コントロール)の原則を規定しています。これは、戦前のような軍部の独走を防ぐために、軍事権を文民によってコントロールすること(シビリアンコントロールという)を目的としています。

 

第3項

内閣の国会(両議院)に対する連帯責任を規定しています。内閣が行政権の行使について国会に対して連帯責任を負うことは、内閣が国会の信任のもとに成立するという議院内閣制の最も基本的な要素の一つと言えます。

 

 

明治憲法下の統治体制においても、実質的に内閣制が存在したのですが、旧憲法には内閣の規定がなく、「国務大臣及び枢密顧問」としてわずか2条で構成されているのみでした。

 

帝国憲法第55条国務大臣の輔弼責任と副署

  • 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼(ほひつ)シ其ノ責(せめ)ニ任ス

各国務大臣は天皇を補佐し、その責任を負う。

  • 凡(すべ)テ法律勅令(ちょくれい)其(そ)ノ他国務ニ関(かかわ)ル詔勅(しょうちょく)ハ国務大臣ノ副署(ふくしょ)ヲ要(よう)ス

全ての法律・勅令・その他国務に関する詔勅は、国務大臣の副署を必要とする。

 

帝国憲法第56条(枢密顧問)

枢密(すうみつ)顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依(よ)リ天皇ノ諮詢(しじゅん)ニ応(こた)ヘ重要ノ国務(こくむ)ヲ審議ス

枢密顧問は枢密院官制の定める所によって、天皇の諮問に応えて重要な国務を審議する。

 

というのも、明治憲法下において、内閣は行政を担当するのではなく、行政を行う天皇をあくまで補佐(輔弼)する機関と位置づけられていただけだからです。さらに、内閣が共同で連帯責任を負うのではなく、各国務大臣が個々に天皇を補佐(輔弼)すると定められていました。内閣は、国務大臣が天皇を輔弼するにあたって、諸施策を決定し、行政上の方針をまとめるために協議する場でしかありませんでした。行政権は、国務大臣の輔弼によって天皇が自ら行うとされていたので、内閣は憲法によって直接設けられた制度とはならなかったのです。

 

実際、総理大臣も、国務大臣の一員として、「同輩中の主席」に過ぎないという弱い立場で、天皇を補佐(輔弼)する立場でしかありませんでした。「同輩中の主席」とは、内閣総理大臣は、天皇を補佐する国務大臣の中で首位の座を占めるというものです。

 

さらに、内閣の規定がないので、現憲法下にある、内閣が国会に対して持つ解散権や、国会が内閣に対してもつ内閣不信任決議権など、権力分立のシステムが、明治憲法の下では欠けていました。

 

では、当時の日本政府(幣原内閣)は、帝国憲法下の内閣に関する規定(55条と56条)をどのように変えようとしたのでしょうか?毎日新聞がスクープした、政府がGHQに提出するために作成されていた憲法問題調査委員会(松本委員会)試案は、以下のように提起されていました。

 

松本案

帝国憲法第55条改正案

  1. 第一項 現状維持
  2. 第二項 現状維持
  3. 第三項(付記)

国務大臣はその在職につき、帝国議会の信任を必要とする。議会の一院が国務大臣の不信任を決議したときは、政府はその院の解散を奏請することができる。ただし、次の議会において、その院さらに不信任を決議したときは、国務大臣はその職を退かなければならない。

 

帝国憲法第56条改正案

国務各大臣は内閣を組織する。内閣の組織および職権は法律をもってこれを定める

一見すると、現行の制度に近い内容に変更されたように見えますが、マッカーサーにとってはとても満足のいくものではありませんでした。

 

まず、帝国憲法55条の1項と2項を現状維持としたことで、天皇が引き続き行政権を担い、内閣は依然として天皇を輔弼(補佐)する機関あるとしている点です。これは、内閣総理大臣が引き続き「同輩中の主席」に過ぎないことも意味しています。また、松本試案では、議会の信任について付記していますが、内閣の議会に対する「連帯責任」の記載がありません

 

マッカーサー(GHQ)の目には、松本試案は核心の部分では、帝国憲法下の内閣制を継承させていると映ったのでしょう。これに対するGHQは次のようなものでした。

 

GHQ

行政権は内閣に帰属する

 

GHQ

  1. 内閣は、その首長たる総理大臣および国会により授権せらるる、その他の国務大臣をもって構成する。
  2. 内閣は、行政権の執行に当たり、国会に対し集団的に責任を負う。

 

行政を担うのは天皇ではなく内閣であることを一つの条文で明記し、別の条文で、その内閣は、国会から信任された総理大臣と国務大臣で構成され、国会に対して責任を負うこととしています。

 

このGHQ案の土台となったのは、おそらく、すでに紹介したSWNCC(国務・陸軍・海軍三省調整委員会)で、その「日本の統治体制の改革(SWNCC228)」では、日本の統治体制の構築に関して、マッカーサーに次のような注意点を与えていました。

――――――――

国民を代表する立法府の助言と同意に基づいて選任される国務大臣が、立法府に対し連帯して責任を負う内閣を構成すること

――――――――

 

このGHQ案は、まさにSWNCC228の方針通りで、これが実質的にそのまま現行第65条、第66条の1項と3項の規定になりました。

 

第2項のいわゆる文民条項(内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない)については、日本国憲法の制定過程の章で事例として紹介したように、帝国憲法改正案が貴族院で審議された際に、極東委員会からの強い要請を受け追加修正されました。

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<内閣総理大臣の立ち位置>

 

67条(内閣総理大臣の指名と、衆議院の優越)

  1. 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
  2. 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

 

第1項で、国会による総理の指名を規定し、第2項では総理の指名に関する衆議院の優越事項が定められています。

 

前述したように、帝国憲法には内閣に関連する規定は2つの条文しかなく、本条から75条まで内閣について書かれた内容の規定は、帝国憲法にはありません。ですから、政府の憲法問題調査委員会(松本委員会)でも試案としても出されていませでした。ということは、GHQの意向が直接、日本国憲法の草案に反映されていくわけです。

 

GHQ

国会は出席議員の多数決を以って総理大臣を指定すべし。総理大臣の指定は国会の他の一切の事務に優先して行はるべし。

 

これを受けた政府の3月2日案では、GHQ案にはなかった、内閣総理大臣の指名についても衆議院の優越を定めました。もともとGHQは一院制を求めていたので、衆議院の優越に関しては日本側からの発案です。

 

3月2日案

  1. 内閣総理大臣は、国会の決議をもって選定す。この選定の議事は、ほかのすべての議事に先ちこれを行うべし。
  2. 衆議院と参議院とが異りたる選定を為したる場合において、法律の定むる所により両議院の協議会を開くも、なお意見一致せざるときは衆議院の決議をもって国会の決議とす。

 

その後の帝国憲法改正案では、GHQとの協議に結果、衆議院が指名の議決をした後に求められる参議院の議決期間についての項目として、「又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて20日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする」が付記されました。

 

さらに、帝国議会の審議の過程では、参議院に議案が送られて議決しない期間が20日から10日に短縮されました。加えて、GHQ(総司令部)側の要請で、「内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決で…」と第1項の総理の要件に「国会議員の中から」が追加されました。

 

「国会議員が国会で総理を選出する」と当たり前のように思われますが、戦前、総理大臣は、明治維新の功労者であった元老、後に総理経験者などからなる重臣と呼ばれる人たちの話し合いで選ばれていたことへの対応と言えるかもしれません。

 

 

第68条(国務大臣の任命と罷免)

  1. 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
  2. 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。

 

本条は、総理大臣の大臣の任命権(第1項)と罷免権(第2項)を定めています。これらは、総理だけがもつ専権で、閣議(内閣の会議)に諮(はか)る必要もありません。

 

明治憲法下では、内閣総理大臣にこのような任命・罷免権はありませんでした。そのため、例えば、陸海軍大臣の辞任を逆手に軍部が政治介入することを許してしまいました。当時、陸海軍大臣になるには軍の推薦が必要であったが、軍が推薦を出さず、新たな陸海軍大臣が決まらないので、内閣が総辞職することがあった(軍が新・陸海軍大臣を任命しないことによって倒閣させた)。

 

そこで、GHQは、そうした事態にならないように、内閣における内閣総理大臣の地位を高める規定を設けようとしたことが伺えます。

 

GHQ

総理大臣は、国会の輔弼および協賛をもって国務大臣を任命すべし。
総理大臣は、個々の国務大臣を任意に罷免することができる。

 

その後の日本政府との「協議」でも、このGHQ案の骨子は変わりませんでしたが、帝国議会の審議の際に、国務大臣の任命に際しての「国会の輔弼および協賛(⇒国会の承認)」が削除された上で、「国務大臣の過半数は国会議員の中から選ばれなければならない」が付記される修正が行われました。ただし、これは日本側の発案というよりは、GHQ側の「要請」だったとされています。

 

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<日本の議院内閣制>

 

ここまでが、総じて内閣の組織についての規定でした。次の三つの条文(69条~71条)は冒頭でも述べたように、日本が採用している議院内閣制について書かれています。

 

第69条(内閣不信任決議)

内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

 

衆議院による内閣不信任決議について規定しています。これは、国会の信任が内閣の存立の要件である(内閣が存立するためには、議会の信任が必要である)ことを示したもので、日本が議院内閣制を採用している証しでもあります。

 

議会は、不信任の決議をすることによって、内閣を変更させることができ、反対に、内閣は議会を解散することによって、国民に信任を求めることができるしくみになっています。互いに権力の行使をけん制し合っています。

 

では、第69条成立の経緯をみてみましょう。

 

GHQ

内閣は、国会が全議員の多数決をもって不信任案の決議を通過したる後、または信任案を通過せりし後、10日以内に辞職し、または国会に解散を命すべし。国会が解散を命せられたるときは解散の日より、30日より少からず40を超えざる期間内に特別選挙を行うべし。新たに選挙せられたる国会は、選挙の日より30日以内に之を召集すべし。

 

これに対する政府の「3月2日案」では、GHQ案の後段の「国会が解散を命せられたるときは解散の日より~選挙の日より30日以内に之を召集すべし」の部分すべてを削除しました。この削除したことについて、GHQも「了承」し、現行の規定になっています。

 

 

70条(内閣総辞職)

内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

 

第71条(総辞職後の内閣)

前2条の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。

 

70条は、内閣総辞職の場合を規定しています。「内閣総理大臣が欠けたとき」とは、具体的には、内閣総理大臣が、1)死亡した場合、2)国会議員としての資格を失った場合、3)総理の職を辞した場合などを表します。

 

71条は、「69条と70条で内閣が総辞職をした場合、その内閣は、新たに内閣総理大臣が任命されるまでの(短い)期間、引き続き職務を行う」として、内閣が総辞職した場合の内閣の職務の臨時的な執行について定めています。

 

もともと、内閣総辞職の場合について、GHQ(総司令部)は2つの規定を1つの条文にまとめていました。

 

GHQ

  1. 総理大臣欠員となりたるとき、または新国会を召集するときは、内閣は総辞職を為すべく新総理大臣指名せらるべし。
  2. 右指名あるまでは、内閣はその責務を行うべし。

 

これに対する日本政府の3月2日案もGHQ案に沿う形でしたが、議会に提出された帝国憲法改正案では、現行の第70条、71条と同じ2つの条文に分けられました(この点について、GHQも承認した)。

 

 

<SWNCCと憲法研究会の影響?>

 

以上、日本の議院内閣制のシステムについての基盤となる3つの条文の成立経緯をみてきました。そこで、議院内閣制とは異なる大統領制の国アメリカのGHQが、帝国憲法にも、憲法問題調査委員会(松本委員会)の試案にもなかった議院内閣制の規定をここまで詳細に定めたことに、またはそれが可能であったことに、なぜ?という疑問がでてきませんか?

 

議院内閣制に関するマッカーサー草案(GHQ案)策定の背景には、SWNCC(国務・陸軍・海軍三省調整委員会)の分析の影響があります。「日本の統治体制の改革(SWNCC228)」には、日本政治の現状について次のような記載があります。

 

――――――――

1931年までは、下院(衆議院)の不信任決議によって、しばしば、内閣または大臣が辞職に追いこまれたが、かかる決議は、また、しばしば下院の解散と総選挙とをもたらし、しかもその総選挙によって政府に反対する下院の方が支持されても、政府がそれによって総辞職するということはなかった。

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アメリカ政府は、日本の統治システムの弊害をこのように認識して、報告書では、次のように日本に議院内閣制の統治制度の徹底を提起しています。

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政府の行政府の権威は、選挙民に由来するものとし、行政府は、選挙民または国民を完全に代表する立法府に対し責任を負うものとすること

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その上で、SWNCCが以下に提示した具体的な方策が、GHQ案(69条)の土台となっていることは明白でしょう。

 

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内閣は、国民を代表する立法府の信任を失ったときは、辞職するか選挙民に訴えるかのいずれかをとらなければならないこと

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アメリカは、戦前から日本の統治体制について調べあげ、戦後の占領政策の青写真をここまで詳細に練り上げていたのは驚きですね。

 

また、もう一つ考えられることは、マッカーサー草案(GHQ案)に影響を与えたと言われる憲法研究会の草案が参考にされたということです。憲法研究会の「憲法草案要綱」にGHQ案のたたき台になった可能性のある草案を確認できます。

 

一、内閣は議会に対し連帯責任を負う。その職に在るには議会の信任あることを要す
一、国民投票によりて不信任を決議されたるときは、内閣はその職を去るべし

 

後者の草案にある「国民投票」はGHQから採用されなかったようですが、それ以外は現行66条と70条の本質をついた内容になっています。

 

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<内閣総理大臣と内閣の職務>

 

さて、次の2つの条文は、この議院内閣制の下での、内閣総理大臣と内閣の職務についての規定です。

 

  • 第72条(内閣総理大臣の職務)

内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

 

内閣総理大臣の職務としては、内閣を代表し、国会に対してすべての行政事務について報告義務を果たすこと、また、内閣を代表し、閣議にかけて決定した方針に基づいて行政機関の指揮監督を行うことを掲げています。

 

本条は、内閣総理大臣の職務について定めているのですが、内閣総理大臣は自分の意思で、国会で報告したり、行政各部を指揮監督したりすることはできません。これは、第65条に「行政権は内閣に属する」と規定しているように、行政権は内閣総理大臣一人ではなく、内閣という合議体に委ねられていることの表れです。内閣総理大臣は、あくまで「内閣を代表して」(閣議の意思決定に従って)その権能を行使しなければなりません。

 

実は、そうなった背景も日本国憲法の草案づくりの際の「論争」が原因だったようです。実務責任者ケーディス陸軍大佐が担当させた「行政権に関する委員会」による草案作成作業の際、行政権を内閣総理大臣に与えるか、内閣に与えるかで意見対立があったそうです。行政権を総理大臣一人に与え、他の国務大臣は総理大臣の指導を受けるというアメリカと同じ大統領制に近い内閣制と、行政権は合議体としての内閣に与え、国会の内閣に対するコントロールのほうを強くするイギリス型の内閣制にするかが検討され、後者が採用されました。アメリカ型を執拗に主張したエスマン陸軍中尉は委員から外されるたというエピソードまで残っています。この論争を反映したGHQ案が、ほぼそのまま現行憲法の第72条になりました。

 

GHQ

総理大臣は、内閣に代りて法律案を提出し、一般国務および外交関係を国会に報告し、ならびに行政府の各部および各支部の指揮および監督を行う。

 

このように、内閣総理大臣の権限が弱められた一方、行政権を与えられた内閣には広範囲な職務が定められました。

 

 

  • 第73条(内閣の職務)

内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。

  • 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。

(国務:行政事務、総理:統括、指揮監督)

  • 外交関係を処理すること。
  • 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
  • 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。

(官吏に関する事務:内政事務、官吏:公務員)

  • 予算を作成して国会に提出すること。
  • この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
  • 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること(天皇は認証する)

大赦:政令で定めた罪について、有罪判決を受けた人には一つの有罪の言い渡しの効力を失わせ、訴訟係争中の人には公訴権を消滅させること。

特赦:有罪の言い渡しを受けた特定の者に対してその刑を赦すこと。

復権:剥奪された公権(権利や資格)を元に戻すこと。

 

本条は、内閣が他の一般行政事務以外のうちの重要なものを、1号から7号まで例示的に列挙しています。本条の内容については、6号を除きGHQ案通りに制定されました。

 

GHQ案(第6号)

この憲法および法律の規定を実行するため、命令および規則を発すべし。しかれども右命令または規則は、刑罰規定を包含すべからず。

 

これに対して、憲法改正案作成の過程で、「命令に罰則を委任しうる道を設けておきたい」との日本側の希望をGHQも認め、第6号に「特に当該法律の委任ある場合を除くほか」の文言が加えられて、現行憲法の規定に至っています。

 

 

<旧憲法下での天皇大権の否定>

 

本条で定められた内閣の職務に関する規定の大半は、帝国憲法において、天皇大権(天皇の権限)とされていたものでした。ですから、73条制定におけるGHQの狙いは、天皇大権の排除であったということができるかもしれません。

 

日本国憲法73条1号⇒帝国憲法第5条(立法大権)

天皇ハ帝国議会ノ協賛(きょうさん)ヲ以(もっ)テ(て)立法権ヲ行フ

天皇は帝国議会の協賛(賛同と同意)により立法権を行使する

 

同1号⇒帝国憲法第6条(天皇の法律裁可・公布・執行大権)

天皇ハ法律ヲ裁可(さいか)シ 其(そ)ノ公布及(および)執行ヲ命ス

天皇は法律を裁可し、その公布と執行を命じる

 

同2号、3号⇒帝国憲法第13条(天皇の宣戦・外交大権)

天皇ハ戦(たたかい)ヲ宣(せん)シ 和ヲ講(こう)シ 及諸般ノ条約ヲ締結ス

天皇は宣戦布告を行い、講和条約を結び、様々な条約を締結する

 

同4号⇒帝国憲法第10条(官制・文武官制大権)

天皇ハ行政各部ノ官制(かんせい)及文(ぶん)武官(ぶかん)ノ俸給(ほうきゅう)ヲ定メ 及(および)文武官ヲ任免(にんめん)ス 但(ただ)シ此(こ)ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲(かか)ケタルモノハ各々(おのおの)其(そ)ノ条項ニ依ル

天皇は、行政各部の官制および文武官の俸給(給料)を定め、また文武官を任免する。ただし、この憲法または他の法律に特例を規定しているものは、それぞれその条項に従う。

 

同5号(予算)⇒該当なし

 

同6号⇒帝国憲法第9条(天皇の命令大権)

天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ 又ハ公共ノ安寧(あんねい)秩序ヲ保持シ 及臣民(しんみん)ノ幸福ヲ増進スル為ニ 必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム 但(ただ)シ命令ヲ以(も)テ法律ヲ変更スルコトヲ得(え)ス

天皇は法律を執行するために、または公共の安寧秩序を保持し、および臣民の幸福を増進する為に必要な命令を発し、または発令させることができる。ただし、命令で法律を変更することはできない。

 

同7号⇒帝国憲法第16条(天皇の恩赦大権)

天皇ハ大赦(たいしゃ)特赦(とくしゃ)減刑(げんけい)及復権ヲ命ス

天皇は、大赦、特赦、減刑および復権を命じる

 

なお、日本政府は、総司令部(GHQ)案にはなかった閣令(明治憲法下で、総理が発した内閣の命令)について、次の規定を3月2日案の中で提起していましたが、GHQから拒否された草案がありました。

 

幻となった3月2日案

衆議院の解散その他の事由により、国会を召集すること能はざる場合において、公共の安全を保持する為、特に緊急の必要あるときは、内閣は事後において国会の協賛をえることを条件として、法律または予算に代わるべき閣令を制定することができる。

 

国会の閉会中に緊急の事態が生じて、国会を召集できない場合、内閣総理大臣が応急措置としての閣令を出すことができるというものです。しかし、帝国憲法改正のための草案を練る過程で、総司令部側が強硬に反対したことから削除されてしまいました。戦前の天皇の緊急勅令(帝国憲法第8条)を連想させたことなどが要因です。実際、政府は、帝国憲法下で定められていた緊急勅令を多少民主化したような形のものにして残そうとしたと解されています。

 

明治憲法では、国会と独立して制定する「独立命令」が認められ、また、「緊急命令」も行政権が議会とは無関係に独自に立法を行うことができました。しかし、現行憲法は国会を唯一の立法機関としているので、そのような独立命令は一切認められていません。

 

 

<参照>

その他の条文の成り立ちについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法の成り立ち

 

        

<参考>

憲法(伊藤真 弘文堂)

日本国憲法の誕生(国立国会図書館HP)
憲法を知りたい(毎日新聞)

NHKスペシャル「日本国憲法誕生」

憲法研究会「憲法草案要綱」

アメリカ合衆国憲法(アメリカンセンターHP)

Wikipediaなど

 

(2022年9月23日)