日本国憲法9条の裏側:マッカーサーと芦田修正

 

日本国憲法の制定過程や、各条文の成立経緯を検証した「知られざる日本国憲法のなりたち」を連載でお届けしています。4回目の今回は、第2章(9条)の「戦争放棄」についてです。日本国憲法の問題といえば、この9条のことを指すと言っても過言ではありません。

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第2章(9条) 戦争の放棄

 

日本国憲法は平和憲法と言われます。その所以は戦争放棄を謳った憲法第9条があるからです。しかし、憲法9条は、戦争放棄している点が世界に稀有なのではありません。実際、侵略戦争の禁止を謳った憲法は、1791年のフランス憲法、1949年の西ドイツ基本法などにありました。

 

では、何が、9条の平和条項が画期的であるのかと言えば、9条は、侵略戦争はもちろんのこと、(文言上は)一切の戦争と武力行使を禁止しているだけでなく、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」まで踏み込んでいるからです。ここまで徹底した内容の憲法は世界でも日本国憲法が初めてです。

 

敗戦後日本の憲法論議というと、この9条がすべてのような感があります。護憲派の人々は、「世界に冠たる9条を世界遺産にしよう」とまでいい、改憲派の人々の改憲とはまさにこの9条を変えることにほかなりません。

 

第9条(戦争の放棄)

 

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

<9条の内容と解釈>

まず、この9条が定めている内容と、現在、9条がどのように解釈されているかをみてみましょう。

 

  • 第1項

第1項は、文字通り「戦争放棄」の規定で、日本は「国権の発動たる戦争」と、「武力による威嚇又は武力の行使」を永久に放棄すると宣言しています。

 

国権の発動たる戦争:一般には宣戦布告によって始める国際法上の戦争

武力による威嚇:軍事力を背景として他国に圧力をかけること。

武力の行使:宣戦布告なしに行われる事実上の戦争、満州事変など。

 

ただし、その放棄には「国際紛争を解決する手段としては」という留保(条件)が付されていますが、この文言の解釈を巡って対立があります。

 

一つは、「放棄されているのは侵略戦争であり、自衛のための戦争は放棄されていない」という見解です。国際法上、「国際紛争を解決する手段」としての戦争とは侵略戦争を意味するからです。そこから、自衛のための戦争は合憲であると解釈されています。

 

これに対して、「自衛の名で行われる戦争も、結局、国際紛争を解決する手段として行われるものなので、自衛戦争を含めてすべての戦争が放棄されている」とするもう一つの解釈もあります。

 

現在では、戦争放棄を定めた第1項は、「自衛戦争まで禁じたものではない」とする前者の考え方が通説となっています。自分の国を守る自衛権そのものは、国際法で当然に与えられており、国家固有の権利として日本国憲法第9条の下でも否定されていないと解されているからです。

 

自衛権:外国からの急迫または現実の違法な手段に対して、自国を防衛するために必要な一定の実力を行使する権利。個別的自衛権と集団的自衛権がある。

 

  • 第2項

第2項では、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」が定められ、陸海空軍その他一切の戦力の保持が禁止されているだけでなく、交戦権も認められないとしています。

 

交戦権:交戦状態に入った場合に交戦国に国際法上認められる権利で、敵国の兵の殺傷、軍事施設の破壊、領土の占領、船舶の拿捕などを行う権利などが含まれている。

 

前述したように、「戦力を保持しない」というのは、ほぼ世界に例のない規定です。しかし、戦力を持たないと定めつつ、戦車や戦闘機を持つ自衛隊の存在は、憲法違反(違憲)だと読まれかねません。だからこそ、9条の問題とはほぼ2項の問題に等しいと言えます。この自衛隊を持つ日本の現実と、第2項で定められた「戦力の不保持」と「交戦権の否認」の食い違いをどう説明しているのでしょうか?

 

憲法の解釈上、陸海空軍その他一切の戦力の保持が禁止されているだけでなく、交戦権も認めていないとなると、1項の「国際紛争を解決する手段としては」という文言の解釈の違いにかかわらず、2項によって自衛戦争を含めたすべての戦争が禁じられているとなります。

 

実際、憲法制定時、吉田茂首相は当初、「憲法が自衛権を直接には否定していないものの、一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄した」と国会で発言しています。当時、政府は、憲法によって自衛権の行使すら認められない、即ち正当防衛すら認められてないと解釈していました。自衛権が認められないということは、万が一の場合には「国連」が日本を守ることが想定されていたわけです。

 

しかし、吉田内閣はその後(1950年1月)、「9条1項で禁止した『戦争』とは侵略戦争のことであって、自衛行動は放棄していない」として、自衛権は認めました。さらに、「自衛のための戦力は9条2項で禁止されている『戦力』ではない」(すなわち「自衛のための戦力は合憲」)との立場を表明しています。

 

当時の警察予備隊(自衛隊の前身)が戦力ではない理由について、「戦力とは戦争を遂行する兵力をいう。近代戦においては、いわゆるジェット機などが有力な武器として使用されている。警察予備隊にはそんな能力はない」と説明されました。

 

憲法学では、2項の「前項の目的を達するため」の文言が加わったことで解釈に幅が広がります。「前項の目的」を、「(一般的な)戦争を放棄する目的」と解すれば、一切の戦争が放棄されると解されますが、通説ではありません。

 

逆に、「前項の目的」を「侵略戦争を放棄する目的」とすれば、侵略戦争だけが放棄されたとみなされ、自衛のための戦争は禁じられていないことになります。さらに、「侵略戦争を放棄する目的のためには、戦力も交戦権も保持しないが、侵略から自衛するためであれば、戦力も交戦権も認められる」と解釈できます。ただし、これが政府の見解とはなっておらず、政府は、自衛隊は戦力ではないという論法を採用してきました。

 

 

自衛隊は合憲か?

戦力の不所持(2項前段)に関して、これまで「陸海空軍その他の戦力」の「戦力」とは何なのか、自衛隊が「戦力」にあたるかどうか否かという自衛隊の合憲性との関係でも解釈が争われてきました。

 

「戦力」とは、一般的には「軍隊および有事の際に軍隊に転化しうる程度の力」「戦争を遂行する力」です。この戦力の意義からすると、現在の自衛隊は「戦力」を保持しているともいえます。

 

しかし、現在の政府見解において、自衛隊は、「わが国を防衛するための必要最小限度の『実力』しか保持しておらず、憲法で保持することが禁じられている『陸海空軍その他の戦力』にあたらない」とみなされています。すなわち、自衛隊は「戦力」を持たない「実力部隊」であり、自衛のための「必要最小限度」の実力を保持することは憲法違反とはいえない(自衛隊は戦力でないから合憲)というわけです。

 

こうして、憲法9条第2項に関して、「国際紛争を解決する手段達成のための戦力は持たないが、自衛のための実力は持ってもいい」と解釈できるような道が開かれています。

 

実際、警察予備隊、保安隊を経て自衛隊ができた1954年、当時の鳩山一郎首相は「憲法は戦争を放棄したが、自衛のための武力行使は放棄していない」、だから、「自衛のための必要最小限度の武力を行使することは認められている」と発言しました。

 

そこからさらに、「『必要最小限度』の『実力部隊』を設けることは、憲法違反とはいえない」、「自衛隊は、『自衛のための必要最小限度を超える実力』ではないので、軍隊ではない」と解釈されるようになました。この考え方は、今も続く政府の9条解釈の土台となっています。

 

結局、日本国憲法9条の現代的な解釈は次のようになります。

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  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

日本は、国際紛争を解決する手段として行われる侵略戦争を永久に放棄する。ただし、自衛のための戦争は放棄されていない。

 

  1. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

侵略戦争を放棄する目的のためには、戦力も保持せず、交戦権も認められない。しかし、侵略から自衛するためには「戦力」を持つし、交戦権も認められる。もっとも、わが国の自衛隊は、自衛のために必要最小限度の力を保持した「実力」であり、憲法が禁止する「戦力」には当たらない。

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<9条成立の経緯>

憲法第9条の生みの親は、マッカーサーノートであると広く理解されています。マッカーサー3原則の2番目には次のように記載がありました。

 

マッカーサーの第2原則(戦争放棄)

  • 国家の主権(主権的権利)としての戦争は廃止される。
  • 日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。
  • 日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に信頼する。
  • 日本が陸海空軍を保有することは、将来とも許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。

 

まさに、日本国憲法9条そのものです。それどころか、自衛戦争までも否定されるなど、戦争放棄がより徹底されていました。

 

マッカーサーは、1946年2月3日、GHQ(総司令部)民政局に対してGHQ案の作成を命じ、実際の作業は、キャップのケーディス陸軍大佐、ラウエル陸軍中佐、ハッシー海軍中佐らの運営委員会が担当しました。彼らは、原案としてのマッカーサー・ノートの中から、2項目目の「自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する」という自衛戦争を否定した箇所を削除しました。これは、国際法上認められている自衛権行使まで憲法の明文で否定するのは不適当だと判断したからです。

 

実際、ケーディス大佐は生前、「どんな国であれ、自衛の権利は本来的に持っていて当然のものである。自国が攻撃されたら、自分で守るという権利を否定するのは非現実的だと思った」とコメントしています。その一方で、ケーディス大佐は、「武力による威嚇、または武力の行使をも放棄する」という一文を加え、侵略戦争を明確に否定させました。

 

また、マッカーサーノートの3項目目の「日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」は削除されました。ただし、その精神は残すとして、「平和を愛する世界の諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文言が、憲法の「前文」に導入されました。こうしてできた総司令部案は、次のような内容でした。

 

GHQ

国民の一主権としての戦争は、これを廃止する。

他の国民との紛争解決の手段としての武力の威嚇または使用は永久にこれを廃棄する。

陸軍、海軍、空軍またはその他の戦力は決して許諾されることなく、また交戦状態の権利は決して、国家に授与されない。

 

このGHQ案に基づき日本側が起草した3月2日案、さらに、政府案を基にGHQ側と交渉のうえにまとめられた帝国憲法改正案は、GHQ(総司令部)案に沿った形のものでした。

 

帝国憲法改正案

国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄(ほうき)する。

陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない

 

しかし、帝国議会に提出された帝国憲法改正案が衆議院の特別委員会で審議された際、社会党の鈴木義男議員は、政府の提出した「帝国憲法改正案」に示された表現では、「ただ『戦争をしない』『軍備を皆捨てる』というのは、泣き言のような消極的な印象を与える」と意見を述べました。「日本がやむをえず戦争を放棄するような感じを与え、自主性に乏しい」という趣旨です。

 

そこで、修正案が協議された小委員会において、芦田均小委員長から試案が提出されます。芦田は、第1項の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」との文言を追加する案をまとめ、修正案を可決させました。

 

また、戦力の不保持を定めた第2項の冒頭に、それまでなかった「前項の目的を達するため」が加えられました。これは後に、芦田均委員長の名を冠して「芦田修正」と呼ばれ、既に説明したように、9条第2項をめぐる解釈で対立していくことになるのです。

 

芦田委員長はこの時、真意か否かわかりませんが、「ここで言う『前項の目的』とは、第1項冒頭に掲げられた『国際平和の希求』を指す」と説明しました。しかし、事務方では、「前項の目的」が、第1項の「国際紛争を解決する手段」としての戦争の放棄を指すと読むことができると今に通じる指摘もなされていました。そうしたら「自衛のためには戦力をもてる」との解釈も成り立つため、この修正が認められないかもしれないと懸念も浮上していたのです。

 

第9条の修正は、GHQに報告され了承されましたが、ワシントンの極東委員会では、懸念されたように、議論が紛糾します。極東委員会では、「日本が自衛力を保持しうることが明確となった」との見解が浮上し、特に、中国(中華民国)やオーストラリアが強い懸念を表明します。

 

「このままでは、軍隊を保有できる可能性が生まれる。自衛という名の下に日本が再軍備する危険がある(中国国民政府代表)」、「占領軍が撤退すれば、日本は軍隊の保有を可能にする憲法改正を行うかもしれない、そうなれば、陸軍大臣や海軍大臣のポストを設け、そこに軍人を据えるだろう。(オーストラリア代表)」

 

こうした日本の軍隊の復活や、軍人による政治介入の危機感の声が高まったことを受けて、ソ連が新たな条文を追加するように求めてきました。

 

「すべての閣僚は文民でなければならないという条文を導入すべきである」。大臣の資格として、軍人を認めず、文民でなければならないという文民統制(シビリアンコントロール)の導入を迫ってきたのです。

 

最終的な権限を持つ極東委員会が改正案を承認できない事態になることを恐れたアメリカはマッカーサーにこの状況を伝えます。これを受け、GHQは極東委員会からの要請として「国務大臣はすべて、文民たることを要する」を付記することを当時の吉田茂首相に「指示」しました。

 

GHQ(総司令部)による追加要請の際、日本側は第9条との関係上、不合理であることを総司令部側に説明し(戦争を放棄しているのだから文民条項を加える必要はない)、その了解を得ていましたが、結局、極東委員会によって押し切られた形となったのでした。

 

いずれにしても、日本が文民統制の導入に応じたことで、これまで憲法改正案への態度を保留していた国々が改正案に対する賛成を表明し、極東委員会での9条の修正は了承されました。同時に、憲法第66条に「内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならない」という「文民条項」が置かれる修正案も議会で成立したことで、世界に冠たる平和憲法の象徴である憲法第9条が誕生したのでした。

 

 

<9条の発案>

 

このように、日本国憲法第9条は、マッカーサーから彼の3原則を参考にして起草するようにとの指示が出された後、GHQ民政局のチャールズ・ケーディス大佐(次長)を中心に作成された条項です。多少、日本側の手も入りましたが、根本的なところは変更されませんでしたので、9条は紛れもなくアメリカ製だといえます。

 

では、第9条の手本となったマッカーサー・ノート(3原則の二番目)の発想はどこから来たのでしょうか?マッカーサー自身の考えに基づいたものだったのでしょうか?

 

当時、マッカーサーは「日本をアジアのスイス」にする意向だったようで、憲法9条に基づく安全保障の基本は「世界連邦構想」にあったとも言われ、アメリカの初期占領政策は理想主義を反映していました。その理想主義を追求した国際条約に不戦条約があり、日本国憲法第9条は不戦条約の写しであるとの指摘もなされています。

 

不戦条約(戦争放棄に関する条約)

第一次世界大戦後の1928年8月 27日パリで締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段として、戦争に訴えることを禁止し、あらゆる国家間の紛争は平和的手段により解決することを規定した条約。条約を提唱したフランス外相 A.ブリアンとアメリカ国務長官 F.ケロッグにちなんでケロッグ=ブリアン条約ともいう。

 

不戦条約第1条は次のように書かれています(下線は筆者)。

 

締約国は、国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係に於て、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名に於て厳粛に宣言する。

 

不戦条約第1条に筆者が記した下線部分と、日本国憲法第9条(1項)の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」は瓜二つです。

 

逆に、世界連邦や不戦などの概念は、共産主義思想の裏返しとの批判的な見方もあります。例えば、「国家も国境もない世界を!」というユートピア的な共産主義思想から、国家を転覆させ革命を実現するためには、戦争を放棄させて、革命を弾圧する軍隊を放棄すべきであるという革命思想まで様々です。実際、モスクワでは、当時、日本を25年間非武装とする案もあったそうです。

 

一方、9条第1項の戦争放棄の規定は、マッカーサーから押しつけられたのではなく、日本独自の発案だという見方もあります。

 

「マッカーサー回想記」によると、マッカーサー三原則に先立つ1946年1月24日、マッカーサーを訪ねた幣原首相が戦争放棄を自ら提案したとされています。「原子爆弾が出来た今日では世界の情勢は全く変わってしまった。だから今後平和日本を再建するためには、戦争を放棄して再び戦争をやらぬ大決心が必要だ」と述べたことが、その端緒(きっかけ)になったというのです。

 

また、マッカーサーは、幣原首相が「世界から信用を失くしてしまった日本にとって、「戦争を放棄する」と言うようなことをはっきりと世界に声明すること、それだけが日本を信用してもらえる唯一の誇りなることじゃないだろうか?」と語り、憲法の中に戦争放棄の規定を入れるように努力したいと述べたと、後に証言しています。

 

もちろん、幣原喜重郎首相が平和主義であったというよりは、前述したように、この時期、オーストラリアが天皇を含む戦犯容疑者のリストを連合国戦争犯罪委員会に提出、天皇訴追に向け動き出すなど、日本の天皇制という国体が危機的な状況にあったことへの対応でこうした発言をしたことが予想されます。

 

いずれにしても仮にこのことが事実だとすれば、マッカーサー3原則より先に、日本の政府首脳が戦争放棄を考えていたことになります。そうなると、前述したように象徴天皇制も幣原の発案であったいう説と合わせて考えれば、日本国憲法の二本の柱とされる象徴天皇制と憲法9条の戦争放棄は、マッカーサーではなく日本人の発案によるものであるという新たな日本国憲法成立像が生まれます。そうなると、日本国憲法の第1章の象徴天皇制も第2章の戦争放棄も必ずしもGHQが押しつけたものとはいえなくなります。

 

ただし、これを明確に裏付ける資料は見つかっていません。逆に、幣原の日記によれば、戦争放棄規定はマッカーサーが言い出したことになっているそうです。また、当時の吉田茂首相の懐刀で、終戦連絡中央事務局次長であった白洲次郎は、この「幣原説」を幣原の側近で同内閣の国務相兼書記官長だった楢橋渡のデッチ上げだと批判しています。

 

ところで、マッカーサー3原則を含むGHQの占領政策に大きな影響を与えたとされるアメリカ国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCC)の「日本の統治制度の改革」の方針(SWNCC228)では、9条の戦争放棄の規定について言及していたのでしょうか?SWNCC228には、次のような記載があります。(下線は筆者)

 

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日本の統治機構の中における軍部の権威と影響力は、日本軍隊の廃止と共に、恐らく消滅するであろうが、国務大臣ないし閣僚は、いかなる場合にも文民でなければならないということを要件とし、軍部を永久に文官政府に従属させるための正式の措置をとることが、望ましいであろう。

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この提言から読み取れることは、「軍部を永久に文官政府に従属させる」としていることから、同時のアメリア政府は、軍の存在を前提としていたことが伺えます。そうすると、9条の「戦力の不保持」と「交戦権の否認」は、アメリカ政府の方針ではなかった可能性もでてきます。

 

なお、GHQが参考にしたとされる日本の民間団体、憲法研究会の「憲法草案要綱(案)」には、特に戦争の放棄に関する規定は書かれていませんでした。

 

 

<関連投稿>

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<参照>

その他の条文の成り立ちについては以下のサイトから参照下さい。

⇒ 知られざる日本国憲法の成り立ち

 

        

<参考>

日本国憲法の誕生(国立国会図書館HP)
憲法(毎日新聞)

國破れてマッカーサー(西鋭夫、中央公論新社)

憲法はかくして作られた(日本政策研究センター)

昭和史のかたち 歴代首相と憲法(保阪正康)

NHKスペシャル「日本国憲法誕生」

日本国憲法:制定過程をたどる (毎日新聞 2015年05月06日)

世の中がわかる憲法ドリル(石本伸晃 平凡社新書)

憲法問題(伊藤真 PHP新書)

憲法(伊藤真 弘文社)

Wikipediaなど

 

(2022年7月31日)