新嘗祭:五穀豊穣を宮中にて感謝

 

天皇陛下は、毎年11月23日、皇居の「神嘉殿」で、毎年の宮中祭祀で最も重要とされる「新嘗祭」に臨まれます。

 

<新嘗祭とは?>

 

新嘗祭(にいなめさい)は、五穀豊穣に感謝する宮中祭祀で、天皇がその年に収穫された五穀の新穀を、皇祖神・天照大御神をはじめとする天地の神々(天神地祇)(てんじんちぎ)に供えすすめ、自らも食されます。その上で、農作物の恵みと収穫に感謝し、翌年の豊作、ならびに国や国民の幸せを祈られます。

 

新嘗祭は、古くは「にひなへのまつり」と読みました。新嘗祭の「嘗」という漢字には、「なめる」「にえ」などと訓読されますが、「賞味する」という字義です。新嘗(にいなめ)とは、その年に収穫した新しい穀物で作った食事や酒を味わう(嘗める)ことで、その祭りを新嘗祭というのです。

 

新嘗祭は、律令制度のもと11月の2番目の卯の日に行われるものでしたので、本来は旧暦の11月、新暦ならば12月の冬至の頃の宮中祭祀(皇室行事)でした。しかし、明治の改暦以後、この新嘗祭は、現在も11月23日に行われています。

 

 

<新嘗祭の式次第>

新嘗祭は、11月22日から24日まで3日間行われます。

 

  • 鎮魂祭

 

宮中祭祀としての新嘗祭は、まず、前日11月22日の前夜に斎行される鎮魂祭(ちんこんさい)から始まります。鎮魂祭とは、新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式で、宮中三殿に近い「綾綺殿(りょうきでん)」で行われます(天皇に対する鎮魂の場合には「みたましずめ」「みたまふり」と言う)。

 

鎮魂祭は、天皇の魂を体内に安鎮させ、健康を祈ると同時に、神々に接する重大な祭事に臨む天皇の霊を「強化」するための儀式とされています。日本書記にも記載されていることから、古代からの宮中祭祀でした。なお、鎮魂祭は、宮中と同日に、石上神宮・彌彦神社・物部神社などの神社でも行われています。

 

新嘗祭そのものは、夕刻から深夜にかけて斎行される「夕の儀(ゆうのぎ)」と、深夜から明け方にかけて斎行される「暁の儀(あかつきのぎ)」から構成されている。

 

  • 夕の儀(ゆうのぎ)

 

夕刻の午後6時、天皇は、宮中三殿近くにある神嘉殿にお渡りになられ、外陣(げじん)の御座に著御されますが、この間、神饌(しんせん)(=神への供物)が運ばれ、神嘉殿に供えられます。これを「神饌行立の儀(しんせんぎょうりゅうのぎ)」といいます。このとき、お供えものとなる新穀は、各都道府県から2軒ずつ選ばれた農家で収穫された新米や麦、キビ、栗、豆などの五穀です。また、神饌(供物)には、陛下が自ら皇居で栽培した新米も含まれています。

 

天皇は、御座に著御されると、お手づから箸を取られて、お皿に調進した神饌をご自身で神々にお進めされ、お召しあがりいただきます。これを「御親供の儀(ごしんくのぎ)」といいます(御親供とは、天皇みずから神に供物を捧げること)。

 

御親供の後、天皇は、天照大御神や天神地祇(てんじんちぎ)といわれる天や地の神々にご拝礼され、五穀豊穣に対する感謝や国家と国民の平安への祈りを捧げられます。天神地祇へのご奉告が終わると、天皇は、皇祖への御告文(おつげぶみ)を奏されます。

 

その後、天皇は、神々にお供えした同じ神饌の米と粟との御飯、御酒を使った食事をお召しになられます。(これを「夕御饌の儀(ゆうみけのぎ)」という)。こうして、その日、御親祭(ごしんさい)を終えられた天皇は、神嘉殿を一旦御退出されます。

 

 

  • 暁の儀(あかつきのぎ)

 

続いて天皇は、深夜から明け方にかけて、「暁の儀」を御親祭されます。午前4時に再び神嘉殿に入り、「夕御饌(ゆうみけ)の儀」と同じように、神々と共食されながら、感謝を示されます(これを「朝御饌の儀(あさみけのぎ)」という)。なお、合計2回行われる「夕御饌(ゆうみけ)の儀」と「朝御饌(あさみけ)の儀」を「御直会の儀(おんなおらいのぎ)」といいます。

 

こうして、前夜からの「御直会の儀(おんなおらいのぎ)」が終わると、最期に、天皇は神々をお見送りされます。皇祖と食事を共にすることで神々をおもてなしされる「御直会の儀(おんなおらいのぎ)」は、新嘗祭の核心ともいうべき厳粛な儀式です。新嘗祭において、天皇は、夜を徹して最高の丁重さをもって神々をおもてなし(ご奉仕)されるのです。

 

 

<新嘗祭の歴史>

 

  • 神話の時代の新嘗祭

 

新嘗祭の由来は記・紀神話にまで遡ります。古事記によると、天照大御神(あまてらすおおみかみ)自らが、稲作を行い、収穫の後に感謝の心を捧げるお祭りを行っていたことが描かれています。

 

また、天上界である高天原(たかまのはら)を治められていた天照大御神が、地上の日本国を治めることを、孫にあたる「邇邇芸命(瓊瓊杵尊)(ににぎのみこと)」に任せることにした「天孫降臨」の神話によれば、天照大御神が、ニニギノミコト(天津彦火瓊瓊杵尊)の降臨に際して、「吾が高天原にきこしめす斎庭の穂(ゆにわのいなほ)を以て、また吾が兒(みこ)にまかせまつるべし」との神勅を下し、斎庭の稲を授けています(「斎庭稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅」と呼ばれる)。

 

この神勅は、高天原で育てられていた稲穂を広げて(稲作を行い)、子孫を養い、国を繁栄させよというご命令でした。実際、ニニギノミコトが高千穂の地に降臨されて、初めて葦原中国(日本のこと)でも稲が栽培され、日本(豊葦原瑞穂国)でも農業が始まったとされています。日本人にとって稲は、太陽神「天照大御神様」からの贈り物であり、また「命の根」でもあるのですね。

 

また、歴代天皇の祖先であるニニギノミコトは、太陽神・天照大神から豊穣の力を受け継いで、地上の統治者となり、国作りを始められました。歴代の天皇は、そのニニギノミコト以来の豊穣の霊威を受け継いでいるとみなされました。ですから、歴代の天皇はこの天孫降臨の際の神勅(「斎庭稲穂(ゆにわのいなほ)の神勅」)を基に、五穀豊穣を神々に感謝する祭りとして新嘗祭が続けられていると解されています。

 

こうした神話や伝承を背景に、日本では、古来より五穀の収穫を祝う祭祀が行われており、新嘗祭の原型となる祭祀は、弥生時代にはすでにあったのではないかと見られています。文献上、一番古い歴史として出てくる最初の新嘗祭は、飛鳥時代の西暦642年12月12日、第35代の皇極天皇(在642年2月~645年7月)の時代に行われています。また、第40代の天武天皇(在673~686)の時にも、677年に宮中で新嘗祭が行われたという記録が残されています。

 

 

  • 近世期の新嘗祭

 

その後、新嘗祭は、皇位継承儀礼に組み込まれながら、宮中祭祀として続いていましたが、応仁の乱(1467~77)などによる朝廷の窮乏により、1463年以来長らく中断してしまいました。当時、102代の後花園天皇(1428~64)の時に行われた新嘗祭が当時、最後となった形です。

 

それでも、江戸の元禄時代の1688年、第113代の東山天皇(在1687~1709)の時、霊元上皇の強い意向により「新嘗御祈(おいのり)」という形の略式で、新嘗祭は再興されました。またこの時、現在の祭場である神嘉殿が当時なかっため、紫宸殿を代わりの祭場として使用されました。

 

次いで、第115代の桜町天皇(在1735年~1747年)の時代(1740年)に、略式ではなく元の形に復興し、さらに、第119代の光格天皇(1779~1817)の治世の1791年には内裏の造営に伴って神嘉殿が再建され、現在に至っています。もっとも、新嘗祭そのものは、東山天皇の代以降、毎年必ず行われており、新嘗祭再興の祖は東山天皇と言ってもよいと思われます。

 

 

  • 近代以降の新嘗祭

 

明治時代になり、1873年(明治6年)に太陽暦が採用されると、新嘗祭も、現在の11月23日に固定され、その日は国民の祭日に定められました。また、1908(明治41)年9月制定の「皇室祭祀令」で、新嘗祭は「大祭」に指定され、宮中祭祀(神祭)の中でも重要な祭り位置づけられました。

 

しかし、「皇室祭祀令」は戦後の1947年(昭和22年)5月に廃止され、それ以降現在まで、「皇室祭祀令」に則って新嘗祭が行われています。さらに、1948年(昭和23年)、「新嘗祭」は、「勤労感謝の日」と名称変更となりました。これは、戦後のGHQの占領政策の一環で、国民の意識から天皇の行事である新嘗祭を薄れさせようとしたと解されています。GHQは、天皇と国民の接点となる祝祭日の存在を危険視し、皇室祭祀との公的関係をなくそうとしたものと見られています。

 

勤労感謝の日の趣旨は、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日となっています。それ自体に何の問題もないのですが、日本の歴史や文化の特質を知るためにも、もともとの新嘗祭の意味を多くの人々に理解しておいてもらいたいですね。

 

新嘗祭は、宮中だけでなく伊勢神宮や出雲大社をはじめ、全国各地の神社でも行われています。これは、新嘗祭が、天皇と国民が一体となって、毎日頂く食材となるもとの穀物など天地万物(自然や神々)がもたらす恩恵に対して感謝の祈りを捧げる機会であることを示しています。また、新嘗祭は、神話に遡るほど古い時代から神々や祖先と繋がるだけでなく、次の世代へ連綿と継承される機会を与えてくれています。

 

 

<祈年祭・大嘗祭・神嘗祭との違い>

新嘗祭とよく似たものに祈年祭や、神嘗祭や大嘗祭があります。

 

祈年祭(きねんさい、としごいのまつり)は、五穀豊穣を祈願して春先の2月17日に行われる宮中祭祀で、五穀豊穣に感謝する「収穫祭」としての意味も持つ新嘗祭とはセットとみなされます。

 

大嘗祭(だいじょうさい)は、新しい天皇が「即位の礼」の後に初めて行う新嘗祭のことをいいます(天皇が即位した最初の新嘗祭を大嘗祭と呼ぶ)。今上陛下は、2019年、即位に伴う一世に一度の伝統儀式として、初めての「新嘗祭」となる「大嘗祭」に臨まれました。

 

神嘗祭(かんなめさい)は、新嘗祭に先立つこと1ヶ月前10月の15~17日に行われ、皇祖(皇室の先祖)である天照大神を祀る伊勢神宮に、時の天皇がその年に収穫した穀物などを捧げ、遠く離れた宮中からこれを遥拝するという儀式です。

 

両者とも、五穀豊穣を神々に感謝を示す祭祀で、新穀を捧げるという点では同じですが、神嘗祭の五穀は天照大御神のみに供えるもので、新嘗祭は、天照大神だけでなく、天神地祇といわれる神々に供えます。さらに、大きな違いは、新嘗祭に場合、神々に供えるだけでなく、供え物を自ら行った天皇自身もこれを神々とともに食するということです。また、新嘗祭は宮中と全国の神社で行われますが、神嘗祭は、伊勢神宮と宮中で挙行されます。

 

 

<参照>

天皇陛下 「新嘗祭」に臨まれる(NHKニュースweb)

令和初の新嘗祭 五穀豊穣に感謝(FNNプライムオンライン)

新嘗祭(越前屋)

日本人なら知っておきたい「新嘗祭」の意味!令和最初の「大嘗祭」とは?

私の授業 古墳時代の信仰 (2)祈年祭と新嘗祭

「新嘗祭」 祝日の意義を考える(清水節、雑誌日本)

「新嘗祭」、天皇の宗教的権威の源泉(二)

新嘗祭はいつからいつまで?(Precious.jp編集部 )

Wikipediaなど

 

(2020年11月28日、最終更新2022年3月29日)