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2019年07月14日

皇室:実在した天皇,、実在しなかった天皇?

現在の天皇陛下は、初代とされる神武天皇から数えて、第126代の天皇でいらっしゃいます。ただ、歴史的に126人の天皇が実在したかについては疑問視されています。そこで、百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が世界遺産に正式登録されたことで、仁徳天皇が注目されていることを契機に(仁徳天皇すら実在していなかったとみる見方もある)、古墳時代(飛鳥時代以前)の天皇についてみてみましょう。

 

実在した天皇についての学説の対立

初代天皇とされる神武天皇から第25代天皇の武烈天皇までは、実在したのか伝説の天皇なのかが議論されています。現在のところ、第10代崇神天皇以降が実在であるという見方が多いようです。その根拠は、神武天皇と崇神天皇が同一人物であるという見解に基づいています。もしそうだとしたら、第2代綏靖(すいぜい)天皇から、第9代開化(かいか)天皇までは、実在しなかったということになります。実際、2代天皇から9代天皇まで欠けた8代を「欠史八代」などと呼ばれたりしています。

 

個人的にはすべての天皇は実在されたと思っていますが、今回は、通説?に従って、第10代崇神天皇から第31代用明天皇までを概観してみます。

 

第1代神武(じんむ)天皇

第2代綏靖(すいぜい)天皇

第3代安寧(あんねい)天皇

第4代懿徳(いとく)天皇

第5代孝昭(こうしょう)天皇

第6代孝安(こうあん)天皇

第7代孝霊(こうれい)天皇

第8代孝元(こうげん)天皇

第9代開化(かいか)天皇

 

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比較的実在性の高い最初の天皇とされる崇神天皇とはどういう天皇っだったのでしょうか

 

第10代崇神(すじん)天皇

崇神天皇は、3世紀から4世紀にかけて即位したとされています。当時、日本各地にそれぞれ王朝があり、独自の政治が行われていました。日本で最初の統一王朝といえば、一般的には大和朝廷の名で知られていますが、崇神天皇の治世に初めて全国が統一されたという説が有力です。

 

崇神天皇以降、第11代垂仁天皇から第15代応神天皇へと続いた後、第16代天皇として即位されたのが、今回の世界遺産登録で注目されている仁徳天皇です。この間、記紀(古事記と日本書記)神話では、日本武尊の物語や、新羅遠征など逸話もあります。

 

第11代垂仁(すいにん)天皇

第12代景行(けいこう)天皇

諸国平定を行い、子の日本武尊(ヤマトタケル)を諸国へ派遣した。

 

第13代成務(せいむ)天皇

第14代仲哀(ちゅうあい)天皇

仲哀天皇の皇后であった神功(じんぐう)皇后は、応神天皇即位までの間摂政を務め、三韓遠征(新羅遠征)、内乱鎮定などを行ったことで知られています。

 

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第15代応神(おうじん)天皇

応神王朝の祖とも言われる天皇で、八幡神として現在も広く祀られています(全国の八幡神社の祭神)、仁徳天皇の父。

 

第16代仁徳(にんとく)天皇

仁徳天皇については、7月11日投稿「仁徳天皇陵は仁徳天皇のお墓ではない?」を参照して下さい。なお、応神天皇と仁徳天皇は同一人物であったとする説もあります。

 

仁徳天皇の後は、第17代履中天皇、第18代反正天皇、第19代允恭天皇、第20代安康天皇、第21代雄略天皇と続きます。仁徳天皇も含めて、次の5代(6代)の天皇は、中国の史書に、「倭の五王」として登場していると見られ、その実在に現実性が帯びてきます。

 

倭の五王

5世紀の日本の大和王権(大和朝廷)は、中国南朝の「宋」と外交関係を持ち、中国に臣下の礼をとって朝貢してました(倭国王に冊封されていた)。当時の中国の歴史書「宋書」倭国伝には、讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武(ぶ)といわれる倭の五王が、約1世紀の間に使者を派遣した事が記されています。これらの五人の倭王を、「古事記」などから照らし合わせると次のように推測されるそうです。

 

讃=仁徳天皇or履中天皇

珍=反正天皇

済=允恭天皇

興=安康天皇

武=雄略天皇

 

このうち、最初の二王である讃と珍は、疑わしいとされていますが、済・興・武の三人の王に関しては、現在、確実視されています。この「倭の五王」がそれぞれ日本の天皇に対応しているのが正しいければ、第25代の武烈天皇までは架空の天皇という説は、説得力がなくなってしまいます。

 

一方、記紀の記述も、仁徳天皇以降、その内容に変化が出てきます。つまり、それまでの神権的な存在に加えて、恋愛や王族同士の権力争いなど、人間的な側面も書かれるようになります。実際、仁徳天皇も、「民のかまど」の逸話にあるような聖帝(聖皇)としての存在から、皇后以外の女性を愛した姿なども描かれていました。

 

 

第17代履中(りちゅう)天皇

 仁徳天皇の第一皇子。概ね5世紀前半頃(?~405年)に、在位していたと考えられています。

日本書記によると、仁徳の崩御後、履中天皇は、即位の前、黒媛(くろひめ)という女性と婚礼を上げる為、使いとして住吉仲皇子(すみのえなかのみこ)(仁徳天皇の第二皇子)を送ったところ、住吉仲皇子は、黒媛に魅せられ、黒媛を奪ってしまいます。さらに、住吉仲皇子は、この事実を知って激怒した履中天皇を討つべく挙兵しました。一人の女性をめぐる争いは、皇位をめぐる争いに発展したのです。履中天皇は、弟の多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)(後の反正天皇)」に命じ、住吉仲皇子を討たせた後、神武天皇ゆかりの地である磐余稚桜宮(いわれわかざくらのみや)(奈良県桜井市)で、履中天皇として正式に即位しました。

 

第18代反正(はんぜい)天皇

仁徳天皇の第三皇子、履中天皇の同母弟。御名は瑞歯別尊(みずはわけのみこと)。天皇としての治世は410年頃(?~410年)までとされています。履中天皇の即位に協力し、反乱を起こした兄、住吉仲皇子を討伐した貢献からか、履中天皇に皇位を譲り受けました。これは、日本史上初の兄弟継承の事例となりました。

 

また、反正天皇は、前述したように、「宋書」によれば、「438年、宋の文帝のときに倭の国王に任じられた『珍』という王があった」とあり、その「珍」が反正天皇と見られています。

 

第19代允恭(いんぎょう)天皇

仁徳天皇の第四皇子で、履中・反正天皇の弟でもあります。453年頃まで在位(?~453年)にあったとされています。反正天皇が皇嗣を決めないままに崩御してしまい、群臣の度々の要請を受けて即位したと言われています。この結果、履中・反正・允恭天皇の3代の天皇は、仁徳天皇の御子が即位された兄弟継承となりました。

 

第20代安康(あんこう)天皇

允恭天皇の第二皇子。日本書記によれば、その治世は僅か3年(?~456年)で、実績は殆ど記されていません。允恭天皇の代、皇太子は第一皇子の木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)でしたが、同母妹である軽大娘皇女(かるのおおいらつめのひめみこ)と禁断の恋に陥り、人望を失ってしまい、允恭の崩御後、群臣は木梨軽皇子を推戴(すいたい)せず、弟の安康が即位しました(木梨軽皇子は自害に追い込まれた)。

 

日本書記によれば、安康天皇の治世は僅か3年(?~456年)で、近親者に暗殺されてしまいました。配下の者の企てにより殺害してしまった叔父の大草香皇子(おおくさかのみこ:仁徳天皇の皇子)の妻を、妃として迎え入れたことで、連れ子だった眉輪王(まよわのおおきみ)に恨まれ刺殺されたとされています。

 

第21代雄略(ゆうりゃく)天皇

允恭天皇の第五皇子、安康天皇の同母弟。在位は418~479年と推察。雄略天皇は、考古学を根拠として実在を証明できる最初の天皇と考えられています。その理由としては、稲荷山古墳(埼玉県行田市)から出土した発掘品(鉄剣の銘文)の中に、雄略天皇の諡号「獲加多支鹵大王(ワカタケルオオキミ」と考えれられる文字が記されていたことがあげられます。この事は、雄略天皇の勢力が畿内から関東にまで達していた事を意味します。実際、雄略天皇の治世は、大王(天皇)権力と大和政権の勢力が一段と拡大強化された時期と評価されています。

 

その一方で、記紀神話では、気性の洗い悪逆な専制君主として描かれています。例えば、日本書記では、その恐怖政治ぶりを「朝に見ゆる者は夕べに殺され、夕べに見ゆる者は朝に殺され」と記し、「天下そしりて大悪天皇ともうす」としています。前代の安康天皇暗殺事件に乗じて一気に権力を握ったとされる雄略天皇は、兄の八釣白彦皇子(やつりのしろひこのみこ)、別の兄の境黒彦皇子(さかいのくろひこのみこ)、安康天皇を暗殺した眉輪王、さらに、従妹の市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)とその弟など、皇位継承の競合者らを次々に殺害したとされています。これによって、天皇の権力を強化され、支配基盤を盤石になったと評価されていますが、後の皇位継承問題に発展することになります。

 

なお、雄略天皇は、「宋書」の478~502年の記録にある、倭の五王最後となる倭王「武(ぶ)」とされています。

 

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雄略天皇崩御の後は、第22代清寧天皇、第23代顕宗天皇、第24代仁賢天皇、第25代武烈天皇と続きました。この時期、皇位は、天皇の子息もしくは兄弟など血縁関係で受け継がれていきました。

 

第22代清寧(せいねい)天皇

雄略天皇の第3子。清寧天皇には御子がいなかったので、次の天皇は、仁徳天皇の第一子の履中天皇の系統に戻ることになります。

 

第23代顕宗(けんぞう)天皇

履中天皇の孫(履中天皇の長子である市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)の第3子

 

第24代仁賢(にんけん)天皇

顕宗天皇の同母兄(履中天皇の孫)、兄弟継承。

 

第25代武烈(ぶれつ)天皇

武烈天皇は、489年(仁賢2年、皇紀1149年)、仁賢天皇の第一皇子として誕生され、6歳で立太子され、498年12月、父、仁賢天皇の崩御により、10歳で即位しました。499年3月、春日娘子を皇后に立てられましたが、506年12月、後嗣なく、在位8年、わずか18歳で崩御されました。

 

そういう武烈天皇ですが、なぜか「日本書紀」には天皇の非行の数々が具体的に記され、暴君として「頻りに諸悪を造し、一善も修めたまはず」とあり、暴虐非道の天皇として描かれています。しかし「古事記」には、そのような暴君としての記述は全くありません。武烈天皇の暴君エピソードは、創作れたものなのではないかという疑義が存在しています。

 

いずれにしても、武烈天皇は名君とされる仁徳天皇の最後の直系かつ男系子孫の天皇となってしまいました。

 

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武烈天皇には、後継ぎとなる子どもや兄弟がおらず、武烈天皇自身も後継ぎを決めずに、18歳の若さで崩御してしまったため、皇位継承候補者不在の状況に陥りました。まさに、皇統断絶の危機を迎えてしまったのです。そうなったのも、雄略天皇が兄弟の皇子や叔父の皇子を次々と誅されたことが、ここにきて皇位継承問題に大きく影響してきたと見られています。そこで、次の天皇として白羽の矢が立ったのが、第15代応神天皇の5代あとで遠縁にあたる継体(けいたい)天皇でした。

 

なお、この点に武烈天皇、暴君説の理由があるとの見方が一般的です。即ち、武烈天皇から大きく離れた血統の継体天皇の即位の正当化のために、武烈天皇のイメージを殊更に悪くして、即位時の繋がりの薄さのインパクトを薄くするのが狙いだったのではないかと言われているのです。ただし、この説が正しいとしたら、誰がそうしたのかは、継体天皇ではなく、日本書記を編纂した藤原不比等ということになります。

 

第26代継体(けいたい)天皇

天皇在籍:507年 2月4日~531年 2月7日

武烈天皇崩御の翌年、大連の大伴金村、物部麁鹿火(もののべのあらかひ)、大臣の巨勢男人(こせのおひと)ら群臣が協議し、越前から男大迹王(おおどのおおきみ)をお迎えすることを決定し、越前まで迎えに出向きました。男大迹王は、応神天皇の玄孫・彦主人王(ひこうしのおおきみ)の王子として近江国三尾で誕生、応神天皇の5世孫に当たります。

 

男大迹王(おおどのおおきみ)は最初、その申し出を疑われましたが、事情が分かり、また大臣以下全員が懇願したので、即位をご承諾になられたとされています。もっとも、継体天皇の即位に関する以上の経緯は潤色されたものとの見方もあります。実際は越前・近江地方に勢力を持っていた豪族が、武烈天皇の死後、皇統が絶えたことを良い機会と捉え、皇位を簒奪したという説です。

 

507年1月12日、男大迹王は、子の勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)と檜隈高田皇子(ひのくまのたかだのみこ)を伴われ、58歳で河内国樟葉宮にて即位されました。即位の候補者もなく、先帝の勅命もなく、遺詔もない状況下で、群臣の協議だけで皇統の人を捜してきて、その方に即位頂いたということは、前例のないことでした。

 

即位後の3月5日、継体天皇は、天皇は皇統の危機を懸念され、仁賢天皇(億計王)の皇女・手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后に迎えられました。また、継体天皇は、8人の妃を入れられ、それぞれ多くの皇子女に恵まれ、19人の皇子を持たれました。

 

531年春、2月7日、継体天皇は、皇子の勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)に皇位を譲られ(譲位ではなく遺詔)、皇子の即位の同日、在位24年、82歳で崩御されました。継体天皇以降、遠縁から天皇を迎えるということはなく、現在の天皇家の源流は、継体天皇ということになります。

 

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第26代継体天皇の後、第27代安閑天皇、第28代宣化天皇、第29代欽明天皇、第30代敏達天皇、第31代用明天皇まで古墳時代と呼ばれる時代が続きます。

 

第27代安閑(あんかん)天皇

在籍:531年 2月7日 ~ 535年 12月17日。

継体天皇の即位前の子、勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)が即位しました。

 

 

第28代宣化(せんか)天皇

在籍:535年 12月~539年 2月10日

継体天皇の即位前の子、檜隈高田皇子(ひのくまのたかだのみこ)が即位しました。

 

 

第29代欽明(きんめい)天皇

在籍:539年 12月5日 ~ 571年 4月15日。

継体天皇の嫡男(手白香皇女との間に生まれた天国排開広庭尊あめくにおしはらきひろにわのみこと)が即位。治世中に仏教が伝えられました。

 

第30代敏達(びだつ)天皇

在籍:572年 4月3日 ~ 585年 8月15日

欽明天皇の第二皇子。治世中に崇仏・廃仏の論争が起こりました。

 

第31代用明(ようめい)天皇

在籍:585年 9月5日 ~ 587年 4月9日、

欽明天皇の第四皇子。母は蘇我稲目の娘・堅塩媛。同母妹に推古天皇。聖徳太子の父。在位2年(古事記は3年)で崩御。

 

ここまでが古墳時代で、第32代崇峻(すしゅん)天皇の時代から飛鳥時代に入ります。

 

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<参考>

「皇位継承事典」(PHPエディターズグループ)吉重丈夫著

Web歴史街道

ピクシブ百科事典

倭の五王といわれる五人の天皇

倭の五王は、いつの天皇なのか?-歴史まとめ. net

皇統断絶の危機。武烈天皇(第25代)から継体天皇(第26代)への皇位継承(吉重丈夫)

 

2019年07月11日

皇室:仁徳天皇陵は仁徳天皇のお墓でない!?

第16代の仁徳(にんとく)天皇は、教科書にでてくる世界最大の墓として有名な前方後円墳の仁徳天皇陵だけでなく、昨日7月10日の投稿で紹介した「民にかまど」の故事から、民を思いやる仁君とされる(古事記では「聖皇」、日本書記では「聖帝」と称された)など、理想的な君主として位置づけられています。今回、仁徳天皇について調べると意外な事実がありました。

 

 

聖帝・聖皇としての仁徳天皇

仁徳天皇は、生没年不詳(257~399年?という説もある)で、5世紀前半に在位したとも言われます。応神天皇の第四皇子(母は仲姫)で、実名はオオサザキ。子に履中、反正、允恭3天皇がいます。

 

応神天皇は生前、仁徳の異母弟である「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)」を皇太子としていました。「長幼の序(ちょうようのじょ)」を重んじる菟道稚郎子は、応神天皇の崩御自分より年長の仁徳天皇に即位を勧めましたが、仁徳天皇はこれを拒否、二人は大王(おおきみ)=天皇の位を譲り合っていました。その間、長男の大山守皇子(おおやまもりのみこ)によって引き起こされた反乱は、菟道稚郎子によって鎮圧されましたが、その後、菟道稚郎子が自害してしまったため、仁徳天皇が即位する事になりました。

 

この即位の言い伝えは、儒教的な「長幼の序」を体現したとして、古くから賞賛されおり、末子相続から年長者への相続(長子相続)へと転換する契機となったとも言われています。この即位に至る過程で実践された「長幼の序」や、民の家々から炊飯の煙が立ちのぼらないのを見て課役を免じ,みずからに倹約と耐乏を課したという「民のかまど」の逸話は、聖帝仁徳天皇の人柄が浮き彫りにしています。

 

また、仁徳天皇は、即位後、茨田堤(まむたのつつみ)の築堤、難波堀江の開削など、河内平野の治水・灌漑に取り組みました。耕地開発も進み、河内で「四万余頃」の田を得たと言います(四万余頃とは広さの単位)。これは、日本初の大規模土木工事だったという評価もあり、仁徳の時代に全国的な治水・水田開発が行われた公算も指摘されています。

 

こうした聖君としての側面が強調される一方、仁徳天皇は、記紀神話では多くの女性を愛した天皇として描かれ、実際、何人もの女性を妻としています。皇后磐之媛の目を盗んで、異母妹八田皇女のもとに通っていたとされ、結果的に、皇后(葛城襲津彦の娘)は、嫉妬深くなり、最後は憤死してしまいました(皇后の死後、八田皇女が皇后になった)。

 

「聖帝」・「仁君」は忖度?

仁徳天皇の治世は、聖(ひじりの)帝(みかど)の世と言われたという見方に異議を唱える向きがあります。仁徳天皇が、聖帝、仁君として描かれだしたのは、仁徳天皇の玄孫(孫の孫、やしゃご)に当たる武烈天皇の代だったと言われています。武烈天皇と言えば、暴君として有名ですが(異説あり)、天皇家の血筋の歴史から言えば、仁徳天皇から始まる系統(王統)が武烈天皇で途絶えています。そこで、王朝の開祖である仁徳天皇を「聖帝」としたというのです。

 

いずれにしても、『古事記』『日本書紀』にみられる仁徳天皇の所伝などは、あくまでも系譜の上で作り出されたものではないかとみられているのです。その真相は明らかではありません。さらに、次のような見方もあります。

 

「仁徳天皇陵」に眠っているのは仁徳天皇でない!?

仁徳天皇は、中国の歴史書『宋書』(488年完成)にみえる倭の五王のうち「讃さん」(珍とも)に当たるのではないかといわれています。仮に仁徳が讃であれば、実年代は五世紀初頭の天皇となるのですが、日本書紀から推定すると仁徳天皇が亡くなったのが西暦399年とされています。「仁徳天皇陵」の築造は5世紀中頃との説が有力で、いずれにしても、50年以上のずれが生じてしまいます(年代的に合致しない)。むしろ、仁徳天皇陵と信じられた御陵は、第19代允恭(いんぎょう)天皇、もしくは、20代の安康天皇の墓ではないかと指摘する声があります。

 

宮内庁によると江戸時代の元禄年間(1688〜1704)に、朝廷が「仁徳天皇陵」と指定したそうです。しかし、現在では、本当に仁徳天皇の墓なのかをめぐっては、考古学者の間でも意見が分かれています。この結果、学校の歴史教科書には以前は「仁徳天皇陵」の呼称が使われていたが、現在では誰の墓かは明示せず「大山古墳陵」と記載するケースが増えているそうです。

 

そもそも「仁徳天皇が実在しなかった」という説もあり、仁徳天皇を巡る一連の思惑に対して、新たな資料の発見などが求められます。実在しなかったかもしれないと考えられている天皇は、仁徳天皇だけではありません。次回はこのことについてお伝えしたいと思います。

 

2019年07月10日

歴史:仁徳天皇「民のかまど」の故事

先日、世界文化遺産に登録された「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の中の代表格と言えば、学校教科書にも必ずでてきる世界最大の前方後円墳として知られる「仁徳天皇陵古墳」です。第16代の仁徳天皇(257~399年?)は、徳政・仁政を行ったことで知られています。そのことを示すエピソードが、「民のかまどの逸話」です。

 

★☆★☆★☆

仁徳天皇の四年、天皇が、高台(たかどの)に登り四方の国を見て言いました。
「国の中に釜戸の煙が出ていない。民が貧しくて家に飯を炊く者がいないのではないか?五穀が実らないで、国中のものは困窮している。都がこの有様だ、地方はもっとひどいであろう」と仰せられ、「これから三年の間、すべての人民の課役(えつき)(課税と使役)を免除し、民の苦しみを和らげる」と詔(みことのり)されました。

 

この日より、天皇は粗い絹糸の衣服を召され、傷んでも新調されず、食事も質素にされ、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理されず、風や雨がその隙間に入って衣服を濡らしました。星の光が破れた屋根の隙間から漏れて、床を照らしていました(という有様にも堪え忍び給いました)。

 

季節が巡り、天皇が再び、高台の上に居て、国の中を見ると、国中に釜戸の煙がたくさんと登るようになりました。この様子をご覧になった天皇は、かたわらの皇后に申されました。

「朕(ワレ)は、既に豊かになった。憂いは無い」

 

皇后は答えて言いました。
「どうして豊かになったと言えるのですか?」

天皇は答えました。
「(かまどの)煙が国に満ちている。民は豊かになっている。」

 

皇后はまた言いました。
「宮垣(みかき)は崩れ、殿屋(おおとの)は破れているのに、何を豊かだというのですか」

 

「よく聞けよ。天下を治める君主(天皇)が立つのは民のためだ。政(まつりごと)は、民を本としなければならない。だから古(いにしえ)の聖(ひじりの)王(きみ)は一人でも飢え凍えるときは、自らを省みて責めたものだ。いま、その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ。」天皇は、このように申されました。

 

六年の歳月がすぎた仁徳天皇の10年、「民は豊かになった」と判断された天皇は、ようやく課役(税と使役)を科され、宮室(おおみや)の修理を行われました。3年の間、全ての課役を免除された仁徳天皇に感謝した民は、その気持ちを示しました。その時の民の様子を「日本書紀」は次のように記しています。

 

「民、うながされずして、老いた人を助け、幼い子を抱え、材木を運び簣(こ)(盛り土を運ぶための篭)を背負い、日夜をいとわず力を尽くして競い作る。いまだ幾ばくを経ずして宮室ことごとく成りぬ。」

★☆★☆★☆

 

こうして、仁徳天皇の治世は人々に讃えられ、聖(ひじりの)帝(みかど)の世と言われたと現代にも伝えられています。みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野の陵(みささぎ)に葬(そう)されました。この「民のかまどの逸話」は、理想的な君主としての代表である仁徳天皇がなされた「民を思いやる徳の政治」という日本の理想的な政治スタイルの事例として今も語り継がれています。

 

<参照>

古事記 – 日本神話・神社まとめ

日本書紀 – 日本神話・神社まとめ

など

2019年07月07日

仏教:天部 仏教の中の神様とは?

6月26日に投稿で、「足の速い神様」である韋駄天(いだてん)を紹介しました。今回は、韋駄天を含む〇〇天、即ち仏教の神様である「天部」についてまとめてみました。仏教なのに神様?という素朴な疑問を持つ方もいるのではないでしょうか?神様と仏様の関係についても説明します。

★☆★☆

 

5月10日の投稿、「如来と菩薩、四神と四天王とはどう違う?」でも少し述べましたが、仏教の仏様は、役割の違いによって、如来、菩薩、明王、天部に分類されます。上下関係ではなく、仏格の順位を示すとされています。

 

如来とは、最高の境地に至った存在で、「真理に目覚めた者」のことを言い、仏と同じ意味で使われます。阿弥陀如来や大日如来などが有名です。

次の菩薩とは、人々を救いつつ、仏(如来)になることを目指して修行する人、悟りを求める者のことを言います。弥勒菩薩や観音菩薩などが知られています。

如来、菩薩に次ぐ明王は、如来の化身とされ、間違ったことをするものに厳しい態度で教えを授け存在です。それゆえ明王の代表的な存在である不動明王をみてもわかるように、明王は剣を持ち怒りの形相をしています。

 

では、今回の主役である天部に話しは移りましょう。

 

  • 天部とは

天部は、仏教では如来、菩薩、明王の下に説かれ、彼らが生きとし生けるものの救済を目的としているのに対して、仏教世界の天上界に住んで、仏法を守護する役目を持つ仏法の守護神です。

 

前回、紹介した韋駄天(いだてん)も以外にも、梵天(ぼんてん)や帝釈天(たいしゃくてん)、多聞天(たもんてん)、持国天(じこくてん)など、〇〇天と称するものから龍王や夜叉なども天部に含まれます。もともと「天」という言葉は、サンスクリット語で神(デーヴァ)という意味で、「部」は「集まり」という意味で、天部を直訳すれば、「神様の集合」ということになります。

 

もっとも、天部の諸天は、元々仏教の神だったわけではなく、インドで、仏陀の生まれる前から信仰されていたバラモン教やヒンドゥー教の神様(古代インドの神々)で、仏教の誕生で、仏教に取り込まれていきました。仏教の観点から言えば、仏の圧倒的な慈悲や力に屈服/感服して、仏教に帰依し、如来や菩薩、明王を守る役目を果たしているとされています。

 

ですから、天部は神様で、仏を守る守護神ではありますが、如来・菩薩・明王の域には達しておらず、六道では私たち人間と同様、苦しみ悩むこともある存在で、私たちを救う力はないとされています。

 

(参考)六道(六界)とは:仏教で説かれる六つの世界

天道(てんどう|天上界):天部(神々)の住む世界

人間道(にんげんどう):人の住む世界。悩みや苦しみもあるが楽しみも感じられる世界

修羅道(しゅらどう):常に争いや戦いがあり苦しみ怒りにあふれる世界

畜生道(ちくしょうどう):動物の世界。

餓鬼道(がきどう):常に食べられない苦しみの世界。

地獄道(じごくどう):常に苦しみに襲われる世界。

 

天部の諸天も天道という仏の世界に近いところの住人ですが、欲や悲しみ、苦しみもある六道の世界の住人であると仏教では教えています。

 

 

  • 天部の神々

 

天部の諸天は、すべて全く同じ位であるわけではなく、天上界の上位にいる神様から、人間界に近い神様まで存在しています。代表的な天部を紹介します。

 

梵天(ぼんてん)

梵天は、インド神話上の宇宙の創造神のブラフマン(梵語で梵天はブラフマン)で、インドでは最高位の神様です。後にシヴァ神やヴィシュヌ神と共に、三神一体の一柱に数えられています。

梵天は釈尊(釈迦)の守護神とされ、釈尊は、梵天の声を聞き、衆生の救済に立ち上がったという逸話もあります。

 

 

帝釈天(たいしゃくてん)

インド神話のインドラと言う神様で、インドラは阿修羅やその他鬼神、魔人と戦う雷神として描かれていました。

仏教において、帝釈天は、「須弥山(しゅみせん)」という仏教世界の真ん中にある山の頂上にある「喜見城」に住んでいるとされ、その四方をさらに四天王が守護しています。

仏法の守護神として、梵天と一対としてとらえられることもあり(その場合、両者を「梵帝」とひとまとめに呼ぶ)、釈迦如来像の脇侍となっている場合が多く見られます。

 

この帝釈天との関係で、阿修羅と、四天王について説明してみたいと思います。

 

阿修羅(あしゅら)

阿修羅は、インドの神話の中では、アスラという魔神で、帝釈天(インドラ)と、何度も戦い敗れました。しかし、阿修羅は何度倒されても、復活してまた戦いを続けたことから、戦いの絶えない苦しい世界の主とされます。「修羅場」や「修羅の道」と言う修羅は、戦いに明け暮れた阿修羅からきた言葉です。そんな阿修羅も、釈迦の説法によって心を改め、千手観音菩薩の守護神の一人に数えられます。

 

四天王

前回の韋駄天(いだてん)をまとめた投稿などでも示しましたが、四天王は、帝釈天の配下にいて、仏教の世界を守護する4柱の神様で、それぞれ東西南北に配置されています。歴史的にも「徳川四天王」など、四天王は様々な使われ方をされていますが、仏教の四天王が「本家」です。なお、四天王は、他の天部の神々と同様に、インドの神を由来しています。

 

東:持国天(じこくてん)(ドゥリタラーシュトラ)

西:広目天(こうもくてん)(ヴィルーパークシャ)

南:増長天(ぞうちょうてん)(ヴィルーダカ)

北:多聞天(たもんてん)(クベーラ、ヴァイシュラヴァナ)

 

なお、韋駄天(いだてん)は、増長天の配下にいましたね。

 

多聞天(毘沙門天)

四天王の中で、北方を守護する多聞天(たもんてん)は、むしろ、毘沙門天(びしゃもんてん)の名前で有名です。四天王の中では多聞天と呼ぶのが一般的ですが、多聞天が単独で呼ばれる時の名が毘沙門天です。

 

毘沙門天は四天王の中でも最も強い神様とされており、武神として知られ。戦国大名の上杉謙信は、毘沙門天を崇拝をしていたことは有名です。源義経が年少の時に育った鞍馬寺(京都府)は、毘沙門天を祀っています。加えて、毘沙門天(多聞天)は、本来、インド神話の財宝の神クベーラ、ヴァイシュラヴァナとして描かれていたことから、財運上昇、商売繁盛の神として、民衆の信仰を集めています。

 

このように、毘沙門天は、軍神(武神)として、財宝の神として民衆信仰を集めており、七福神(庶民の身近にあって暮らしに幸運をもたらす七柱の福の神)の中にも、その名を連ねています。

 

毘沙門天以外にも、七福神に関係のある天部(の神)がいます。それが、大黒天と弁財天、そして吉祥天です。

 

大黒天(だいこくてん)

大黒天は、インド(ヒンズー教)で暗黒を支配する神様であったマハーカーラ(「偉大な黒」を意味する)に由来し、創造と破壊を司るシヴァ神の化身とされています。日本では、「大黒=ダイコク」という言葉が、大国主命(オオクニヌシノミコト)につながることから習合されるようになり、大国主命=大黒様として定着しています。

 

弁財天(べんざいてん)

弁財天(弁才天)は、インド古代神話では、河の神様でサラスヴァティという水神で、ヒンドゥー教では梵天(ぼんてん)の妃です。七福神の中では、唯―の女神で、琵琶を弾いた天女の姿で描かれることが多く、音楽、芸能の神様としても知られています。その一方で、昔は刀や金剛杵を持った勇ましい姿で描かれていたこともありました。弁財天を祀っている場所としては、江島神社(神奈川県)が有名で、武装をした八臂弁財天像と、女性らしい柔和な妙音弁財天の二つの像があります。

 

吉祥天(きっしょうてん)

吉祥天は、インド神話の美・豊穣の神のラクシュミーが由来の女神で、弁財天の前の七福神に含まれていました。元々朝廷から民衆まで広く信仰された福や財をもたらす女神とひて人気があります。

 

その他の有名な天部の神様を紹介しましょう。

 

荼枳尼天(だきにてん)

荼枳尼天は、日本ではお稲荷様とも呼ばれる、もともとは、人を食べていたというインドの夜叉・羅刹のダーキニーが由来です。この怖い存在であったダーキニーは、大黒天に調伏されて、仏法の守護神(天部)に改心したとされ、現在では、豊穣の神としても知られています。

日本では、荼枳尼天は、同じ豊穣の神、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)と同一視されるようになります。この宇迦之御魂神が、お稲荷様として祀られていたことから、荼枳尼天もお稲荷様として信仰の対象となりました。

 

なお、夜叉(やしゃ)とは、インドの神話において鬼神とされる存在で、仏教に取り入れられて夜叉と呼ばれるようになりました(夜叉も天部に含まれる)。

 

閻魔天(えんまてん)

閻魔天(焔摩天)は、まさに、あの閻魔大王のことで、冥府の世界の神様です。インド神話のヤーマに由来し、始めて死ぬ人間と言われ、冥界に始めて訪れて、そのままそこで天部の神様になったと言われます。

 

金剛力士(こんごうりきし)

金剛力士は、仏や寺院に悪者や魔物が入ってこないように守護しています。金剛力士のサンスクリット語の意味は「金剛杵を持つもの」という意味で、帝釈天が魔物や鬼神を退治する際に利用した武器の金剛杵を持つ勇ましい神ということです。金剛力士は二体で一対の像として、山門に配置されています。正面向かって右に口を開けた「阿形像(あぎょうぞう)」、左に口を閉じた「吽形像(うんぎょうぞう)」と呼ばれる像が配置されます。金剛力士像は、運慶と息子の快慶が作った東大寺南大門の仁王像が有名です。

 

鬼子母神/訶梨帝母(きしもじん/からていも)

鬼子母神はインド神話でハーリーティーとされます。鬼女で、500人の子供を産んでいる母でしたが、人の子を食べて、自分の養分としていました。ある時、釈迦が鬼子母神の子一人を隠したところ、泣き叫び、発狂をしたとされます。釈迦に助けを求めたところ、釈迦に「多くの子を持っていながら、一人の子を失ってそれだけ悲しむのであれば、一人の子を持つ親の苦しみはいかほどか」と諭され心を改めて仏法に帰依することになりました。

 

韋駄天(いだてん)

大河ドラマでお馴染みの韋駄天(いだてん)については、6月16日の投稿で比較的詳しく解説したのでそちらを参照下さい(⇒韋駄天

 

 

<参考>

天部とは|仏教の守護神、天部衆の神様の種類や信仰,有名な仏像を紹介

(神仏ネット)

天/仏像ワールド

やさしい仏教入門など

2019年07月07日

ニュース:「仁徳天皇陵古墳」など世界遺産に正式決定

「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産に決定 国内23件目、陵墓は初

(2019.7.6、産経新聞)

 

アゼルバイジャンの首都、バクーで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は6日、世界最大級の墳墓である「仁徳天皇陵古墳」(大山(だいせん)古墳)を含む「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を世界文化遺産に登録すると決定した。天皇や皇族の墓として宮内庁が管理する「陵墓」の登録は初めて。

 

日本国内の世界遺産は昨年の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎県、熊本県)に続き23件目で、7年連続での登録となる。内訳は文化遺産が19件、自然遺産が4件。

 

大阪で初の世界遺産となる百舌鳥・古市古墳群は、百舌鳥エリア(堺市)と古市エリア(羽曳野市、藤井寺市)にある計49基の古墳で構成。4世紀後半から5世紀後半、大陸と行き来する航路の発着点だった大阪湾を望む場所に築造され、墳丘の長さが486メートルもある国内最大の仁徳天皇陵古墳や425メートルの応神天皇陵古墳(誉田御廟山=こんだごびょうやま=古墳)など大規模な前方後円墳が集中している。ほかに数十メートルの円墳や方墳、帆立て貝形など多様な規模と形状を持つ古墳があり、被葬者の身分や権力を示すとされる。このうち陵墓は29基で、ユネスコ諮問機関のイコモスが今年5月、「傑出した古墳時代の埋葬の伝統と社会政治的構造を証明している」として登録を勧告していた。

 

一方、イコモスでは「都市における開発圧力が懸念される」とも指摘しており、今後は住宅地に密接する古墳の厳正な保存管理が求められる。陵墓も含まれるため、観光客の受け入れ態勢をどう整えていくかも課題になりそうだ。

 

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<詳説>

百舌鳥・古市古墳群

百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群は、百舌鳥エリア(堺市)と古市エリア(羽曳野市、藤井寺市)にある計49基の古墳で構成(全国に古墳は約20万基あるとされる)され、4世紀後半から5世紀後半の古墳時代の最盛期に築造されました。当時は、前方後円墳の巨大化が図られた時期に当たっていたとされ、大規模古墳が威容を誇っています。

 

百舌鳥・古市古墳群の中でも最大の古墳は、「仁徳天皇陵」(「大山(だいせん)古墳」の別名もある)です。仁徳天皇陵はクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と共に「世界三大墳墓」に数えられており、堺市公式サイトによると、墳丘の長さは486メートルで、三重の濠(ごう)を巡らしており、その全長は840メートルにも及ぶ。墳墓としては世界最大級の大きさを誇ると言われています。現在は森のように見ますが、かつては、古墳の斜面には石が敷き詰められ、墳丘の平面に埴輪(はにわ)が置かれていたとみられています。工期は15年8カ月に及び、作業員数が延べ680万7000人(ピーク時で1日当たり2000人)、総工費は796億円に上ったとの試算もあります。

 

古墳群には仁徳天皇陵以外に、応神天皇陵(長さ425メートル)(応神天皇は仁徳天皇の父)や履中天皇陵(同360メートル)(履中天皇は仁徳天皇の子)などの巨大古墳(前方後円墳)が含まれています。(応神天皇陵古墳は誉田御廟山=こんだごびょうやま=古墳ともいう)巨大な前方後円墳以外にも、数十メートルの円墳や方墳、帆立て貝形など多様な規模と形状を持つ古墳があり、被葬者の身分や権力を示すとされています。

 

また、49基の古墳群のうち天皇家の墓とされる陵墓は29基で、被葬者も中国の歴史書「宋書」に記された「倭(わ)の五王」に関係すると考えられています。王墓の在り方から、当時の日本は、中国のような中央集権的な専制国家ではなく、「ヤマト政権」という首長連合の政治体制であったと見られています。200メートル以上の前方後円墳11基が河内(現在の大阪の藤井寺市、柏原市など)や和泉(和泉市)地域にあったことから、この地域の勢力が、当時、王権を掌握したとの見方もでています。

 

加えて、古墳群は、大陸と行き来する航路の発着点だった大阪湾を望む場所に築造され、金銅製の馬具や鉄製の甲冑(かっちゅう)、刀剣、ガラス器などが出土されています。朝鮮半島から中国、ペルシャの影響を受け、東アジアと交流があったことが推察されています。

 

<参考>

威容誇る大規模古墳=古代政権と密接に関係-世界遺産

(2019年07月07日、時事ドットコム)

「仁徳天皇陵」初の共同発掘へ。世界遺産指定を目指す「日本最大級の古墳」のミステリー

(Huffpost 2018年10月15日)

 

 

 

2019年07月03日

資源:水が危ない!

これまで、このHP「レムリア」では、安倍内閣が推進しようとしている「種子、森林の民間開放」を取り上げてきましたが、もう一つ、一歩間違えれば私たちの日常生活に大きな障害に成りかねない水の問題をまとめてみました。

 

水道法の改正に潜む危険

 

自治体が水道事業の運営権を民間企業に売却するコンセッション方式を導入しやすくする内容を含んだ水道法改正案が、可決され成立したのは、2018年12月6日のことでした。

 

水道事業の多くは市町村が運営しています。その水道運営は原則として水道料金の収入と地方自治体が発行する企業債(地方債の一種)で賄われてきました。しかし、人口減少で料金収入が減り経営環境が悪化している地方自治体が増加しています。例えば、給水人口1万人未満の小規模事業者では、およそ半分が赤字(給水人口5千人以下の小規模事業者は全体の8割を占める)、また、全国でも3割の水道事業者が赤字になっていると言われています。この結果、減少している利用者に負担がのしかかり、水道料金はこの4年間ほど値上げが続いています。

 

加えて、事業者は施設の老朽化にも悩んでいます。実際、敷設された施設や水道管などの浄水設備の多くは、高度成長期の1960年代から70年代に建設されたもので、40年といわれる耐用年数を相次いで迎えており(その割合は約15%という試算も)、老朽施設の更新需要が毎年のように増えています。このように、資金不足、さらにはこれに対応できる人材不足で、更新も進まず、水道経営の基盤強化が喫緊の課題となっていました。

 

そこで、費用と人材が足りないという状況下、政府は「老朽化した水道事業を継続するためには、民間企業が参入できるようにしなければならない」、「民間のノウハウの活用で水道事業の立て直しを狙う」と主張して、今回の水道法の改正となったのでした。

 

 

「コンセッション方式」による水道の民間開放

 

今回の改正水道法の特徴は「コンセッション方式」を促進している点です。コンセッション方式とは、国や自治体が公共施設などの所有権をもったまま、運営権を民間企業に売却する方式のことです。水道事業に関しては、これまで水道事業を運営してきた自治体が浄水場などの施設を所有したまま、水道を家庭に供給する運営権を民間企業に譲渡するもので、売却されると、各家庭は水道料金を自治体にではなく、民間企業に支払うことになります。さらに、安倍政権は、このコンセッション方式の導入を促進させ、水道事業の民営化を容易にしようとしているのではないかと懸念する声もでています(民営化の場合は、浄水場などの施設の所有権も民間企業に手放す)。

 

しかし、水道料金の高騰や水質悪化など多くの問題をはらんでいると指摘されていました。特に懸念されるのが、水道料金価格差がさらに拡大することです。「プライムニュース・イブニング」での特集報道によれば、水道料金の全国平均はひと月3227円で、自治体ごとに料金差があり、全国で最も安いところは853円ですが、逆に最も高いのは6841円と、8倍の格差があるそうです。それが、民間企業の水道事業への参入により、現在8倍の格差が20倍程度になるという予測があると指摘する専門家もいるそうです。

 

こうした懸念があるにも拘わらず、安倍政権は、前述したように、「水道施設の老朽化や人口減少により経営困難となった水道事業の基盤を強化するためには、コンセッション方式の導入しかない」として、押し切りました。また、水道料金がさらに高騰していくのではないかとの懸念に対しても、「民間企業であれば、自治体とは異なり自由競争の原理が働くので、コスト削減できるので、水道料金の値上げにも抑止力が働く」と主張しています。

 

しかし、水道事業に自由競争は働きません。現在、自治体で行われている水道事業で、民間企業がその自治体の水道事業の運営権を買い取って競争が行われるとすると、近隣の自治体と競合することになりますが、住民は一番安いなどの理由から自分たちが選んだ自治体の水道を、メーターを切り替えることで自由に利用できるということはないと専門家は説明しています。住民にとって利用できる水道設備は1つだけで、複数の水道を使い分けることはできません。

 

そうすると、水道には競争原理が働かないどころか、水道事業は独占であることがわかります。独占事業となれば、赤字であろうと参入する企業は出てくるでしょう。それは、コスト削減と不採算部門のカット、そして価格引き上げによって利益を上げることができるからです。独占企業体が水道を提供するとなれば、料金は上げ放題となってしまいます。民間企業の論理で「高いのが嫌なら使わなくて結構」と言われて、「ならば使わない」というわけにはいきません。そもそも、赤字経営が続く自治体の水道事業を民間のノウハウを使って…と言っても、民間企業こそ、利益のでていない自治体には関心を示さないから、参入は一部の企業に限られると疑問視されます。

 

 

海外での事例

 

実際、海外で水道事業のコンセッションが行われてどうなったかを見てみましょう。水道の民営化の先駆けはフランスでした。パリでは1985年に水道民営化が実施され、民間のヴェオリア社とスエズ社とコンセッション契約で運営を委託しました。すると、民営化されたのち3か月に一度値上げが行われ、結局、パリでは25年間で水道料金が2倍以上に高騰(会社の利益は1985年から2008年で15~20%増)したそうです。結局、パリは、水道事業を2010年に再び公営化に戻しました。

 

その他の事例については、Webマガジン「ウェジー」は、次のような事例を紹介しています。

・フィリピンのマニラでは、1997年に米ベクテル社などが参入して水道を民営化した結果、水道料金が4~5倍になり、低所得者の水道利用は禁止される事態となった。

・1999年に水道を民営化したボリビアでは、参入した米ベクテル社が水道料金を一気に2倍にしたため、住民による大規模デモが起き、死傷者が出る惨事を招いた。

・米ジョージア州アトランタ市では、1999年に水道事業をユナイテッド・ウォーター社に委託すると、同社は雇用大幅カットし、水道料金を17%も上げてしまった。その結果、インフラ整備の質が下がり、蛇口からは茶色い水が出るようになった。

(パリのように水道事業のコンセッションに失敗し、再び公営化に戻した例は、2000年~2015年の間に世界で37カ国235都市に上るとされている。)

 

実は、日本でも、既にコンセッション契約をすでに実施していた自治体があって(コンセッション方式は改正前でも可能だった)、最近、諸外国と同じようなことが起きていたことをご存知でしょうか?岩手県岩手郡は、水道の供給を民間企業のイーテックジャパンに委託していましたが、同社は、経営悪化を理由に、住民に対して、水源ポンプにかかる費用負担を電気料金引き上げという形で求めたのでした。地元紙の当時の記事です。

 

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「新たな料金負担しなければ水停止」 雫石、業者通知で混乱引

(岩手日報、2018年12月9日)

雫石町長山岩手山の住宅やペンションなど35軒に水道を供給するイーテックジャパン(仙台市青葉区)が、住民に新たな料金負担をしなければ水を供給しないと通知し、地域が混乱している。同社は経営悪化を理由に、井戸水をくみ上げるポンプの電気料金負担を住民に求める。生活に不可欠な水の危機に住民は困惑。国会では自治体の民間委託を可能にする改正水道法が成立したが、民間業者の対応が波紋を広げる。

 

同社は8日、同町長山岩手山の現地管理事務所で説明会を開催。非公開で住民約20人が参加した。参加した住民によると、同社の担当者は▽経営悪化で東北電力に支払う水源ポンプの電気料金9、10月分を滞納中で住民に負担を求める▽支払わなければ17日に水道供給を停止▽今後も水道料に電気料を上乗せする―などを説明した。

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高度成長の遺産

 

日本の場合、さらに解決すべき問題があります。冒頭でも紹介したように、高度成長期に整備された日本の水道管は40年とされる耐用年数を超え、今も取り換え工事がされていないものが大部分だそうです。老朽化による漏水や破裂事故などが年間2万件以上も起きているという事実が、水道事業のコンセッション問題を深刻化させています。例えば、埼玉県の秩父地域では老朽化した水道管が約190km分もあり、これから20年で200億円かかると見られています。つまり、老朽水道管の交換には1kmあたり1億円かかるわけです。

 

こうした状態で、自治体の水道事業を民間企業に委ねたら、どういうことになるかというと、企業が老朽設備を交換して、その費用を価格にさらに転嫁するというが想定されます。または、徹底したコスト削減で事業を行う民間企業は、老朽化した設備でも限界まで使おうとするかもしれません(その場合、設備が突然、破損する大事故を引き起こしかねない)。

 

ただ、地震大国の日本では、水道管などを含めた公共施設の老朽化対策は焦眉の急を要します。昨年(2018年)6月18日、最大震度6弱を観測した大阪府北部地震の際には、各地で水道管が破裂し断水が発生しました。その原因は、老朽化し耐震化されていない水道管によるものだったと指摘されています。

 

この大阪の地震を受けて、政府は急ぎ、今回の水道法の改正を目指しました。地震発生と同じ6月(27日)に水道法改正が審議入りし、8時間の審議の後に7月5日には衆院本会議で可決されました。その後会期終了で継続審議となり、最終的に12月6日に可決成立しました。(12月12日に公布)。

 

水道「民営化」は、ショックドクトリンか?

 

こうした、危機的状況に付け入り、自らの利益を誘導するために改革を進めてしまうことを「ショックドクトリン」と言うそうです(カナダ人ジャーナリストのナオミ・クライン氏が2007年に著した自著の中で命名、その本のタイトルにもなっている)が、今回の水道を民間に委ねるコンセッション方式の導入は、法案審議のスピード感から、「ショックドクトリン」を利用したとの指摘が多くの専門家からなされています。水道法の改正に限らず、種子や森林の問題から、安全保障、移民、カジノなども、安倍政権が「改革」と称して行ってきた政策はある意味、「ショックドクトリン」と言えるかもしれません。

 

気になるのは、今回、水道だけでなく、種子、森林を含めた一連の政策が、竹中平蔵氏ら「未来投資会議」の市場主義者の後押しだけでなく、外国企業(外資)とその政府の要求が背景にあったのではないかということです。実際、麻生太郎財務大臣兼副総理は、2013年にアメリカのCSIS(戦略国際問題研究所)での講演で、「こういったもの(水道事業のこと)をすべて民営化します」と明言していたとされています。CSISとは、安倍政権の「改革」を提言し、実現させている機関と噂されるシンクタンクです。

 

水道、種子、森林など公営事業を民間企業に委ねる(コンセッション)といっても、それができるのは資金とノウハウをもった外資(外国企業)で、結局、外資に日本の市場を開くためだけになってしまうのではないかが懸念されます。ここで外資というのは、水メジャーと呼ばれる、上下水道事業を扱う国際的な巨大企業のことを指し、フランスの「スエズ・エンバイロメント」「ヴェオリア・ウォーター」と英国の「テムズ・ウォーター」の3社や、アメリカのベクテル社やGEなどの大企業をさします。内閣府の民営化の推進部署(内閣府民間資金等活用事業推進室)には、フランスの水道サービス大手ヴェオリア社日本法人からの出向職員の関係者が働いているという話しも聞かれています。

 

水の管理は、国と自治体で

水道だけでなく、森林、種子も、将来的な「民営化」のターゲットになったいるのは、私たち日本人の共有財産であり、特に水は命に直接係わるものです。その運営権を単に民間の手に委ねるのではなく、政府や地方自治体が責任をもって管理すべきです。地方自治体は、住民の利便性を優先するので、たとえ災害に見舞われても水道料金を法外に高くすることはありません。また、公営なので、採算性を度外視してでも品質の良い水を住民に届ける努力をします。しかし、利潤追求が目的の民間企業にはそうする義務はありません。

 

それでも、これまでのように自治体だけでは、水道事業の運営が厳しいというなら、外資を中心とする民間企業に委ねる前に、自治体間での水道事業の広域化を推進すべきです(実際、改正水道法にもその内容が書かれている)。例えば、秩父市では、2016年に4つの自治体と連合し、水道事業の広域化を行い老朽化した水道管の交換を進めているそうです。こうした広域行政(一つの事業、ここでは水道事業を複数の自治体で共同して運営していくこと)などによる地方自治体の創意工夫を促すべきだと思います。

 

地震大国の日本において、水道事業を「民営化」してしまった場合、緊急時に的確な対応はできるとは思われません。多くの自治体が老朽化した水道設備を抱えているからこそ、国民の命の水は、政府・自治体の責任で管理運営がなされるべきでしょう。改正水道法は、令和元年10月1日に施行されます。「公営」の時代を懐かしむ時代が来ないことを望みたいですね。

 

<参考>

水道法改正で何が起きようとしているのか 日本の水道水のありがたみを思い知らされる日

2019年1月2日、webマガジン、ウェジー(ライター地蔵重樹氏)

 

改正水道法が成立!“命の水”水道民営化でどうなる?安全性は?値上げは?

(プライムニュース イブニング 2018年12月6日放送分より)

水道法改正が「民営化」でないばかりかタチが悪い理由

(室伏政策研究室、政治・経済 DOL特別レポート、2018.12.25)

 

改正水道法が成立!“命の水”水道民営化でどうなる?安全性は?値上げは?

(プライムニュース イブニング 2018年12月6日放送分より)

改正水道法が成立 民間に事業売却も

(2018.12.6 13:44、産経新聞)

水道民営化の導入促す改正法が成立 野党「審議不十分」

( 2018年12月6日、朝日新聞)

2019年06月28日

神道:山の神を怒らせるな!

6月15日の投稿に、「種子、水に続いて森林も…」と題して、国民の共有財産である日本の森林が、政府主導で伐採され、また、外資を含む民間業者に破壊される恐れがあることを紹介しました。その時、民俗学の立場から思ったことは、日本の森林が適切に管理されなければ、山の神々の怒りに触れないかということでした。

 

「山の神」といえば、大学生の箱根駅伝で、箱根の山登り区間で最強の選手にマスコミが贈る「称号」ですが、民俗信仰としての山の神は、大山祇神(大山津見神)(おおやまづみのかみ)です。日本の山岳信仰を考えます。

 

山と神

 

日本は、山および山地が占める面積が国全体の76%に達する山がちの国土(山国)で、ほぼどこへ行っても、山を見ることができます。そして、日本の高い山にはほとんど(その頂上に)すべて神社があります。奈良の三輪山や、青森の岩木山のように山そのものがご神体となっている山もあり、こうした信仰の対象となっている霊山は、全国に満遍なく点在し、約350座もあるとされています。これは、山には神様がいて、そこに信仰(山岳信仰)が根付いているという事実の裏返しでもあります。

 

山の神とは、山に宿る神のことと総称されます。木樵(きこり)、猟師、鋳物師など山の民にとっては木地や鍛冶の神、農業を生業としていれば田の神のような農神、その山の周辺に暮らす人々にとっては先祖霊であるように、日本の山神信仰は様々です。こうして山民が信仰する山の神は、山の草木や動物、鉱物を支配し、山民の生業に恵みをもたらしてくれます。神は山だけでなく、峠にもいると考えられ、峠の神は、旅行者も含めて山に入る人々を誘導してくれます。このため、山の口、山中、山頂には、神社だけでなく、大木、岩、小祠、石塔など山の神の祭場が随所にできました。

 

また、山の神は、山と里のあいだを去来するとされています。すなわち、山の神は、山にとどまるだけでなく、春に山から里に下り、田の神となって稲作と守り、秋には収穫をもたらして山に帰ると考えられています。その節目に感謝の祭りが行われ、神と人と一体になって五穀豊穣と生活の安寧が願われています。このように、山の神は、人間の生死をも左右する大きな力を持ち、山で暮らす人々の生活に深く関わっています。

 

 

山の神:大山祇神

 

こうした山の神の総元締め的な存在として、日本の山岳信仰の世界に君臨している神さ様が、大山祇神(おおやまづみのかみ)で、大山津見神または大山積神とも表記されます。大山祇神は、伊邪那岐命(イザナギ命)、伊邪那美命(イザナミ命)の子とされ、記紀神話(天孫降臨)で、初めて地上に降り立ったニニギノミコトの妻となった、木花咲耶姫神(コノハナサクヤヒメ命、富士山の神)と、磐長姫命(イワナガヒメ命、岩の神)は、大山祇神の娘神に当たります。

 

前述したように、山の神はその山の周辺に暮らす人々にとっての神であり、そこで農業に従事するものとっての神(田の神、農耕神)であり、また、木こりや鉱山労働者、鍛冶者にとっての神でもあるように、様々な山神信仰の要素をひとつに体現しているのが大山祇神(オオヤマヅミ神)です。ですから、山の神の山の木を伐採したり、山を削ったり開けたりする時や、谷を塞いでダムを作る時などは、山の神の精霊の怒りを鎮めるために、オオヤマヅミ神を祀っていることが多いそうです。

 

 

海の神:大山祇神

 

一方、大山祇神(オオヤマヅミ神)は、別名「渡司大神(ワタシオオカミ)」とも言われ、海の神の性格も持ちます。ワタは海神、綿積神(ワタツミ神)のワタ(=うみ)のことで、シは司(つかさどる)ことを意味していることが語源上の背景にあります。もともと、河川は、高い山地に源を発し、平野を貫き流れて海に注がれます。山の神が、山から清涼な流れを発する水の神でもあることは頷けます。

 

大山祇神が鎮座する神社(大山祗神神社)の本社の一つは、愛媛県三島町の大三島(おおみしま)という瀬戸内海の芸予諸島にあります。その芸予海峡は古くから西日本と近畿を結ぶ水運交通の要で、漁師や瀬戸内水軍にとって、海上交易の守護神、戦いの際の武神、軍神として、大山祇神が崇敬されていたのです。特に戦国時代にかけて、大山祇神は、「武運長久」の神として、広く武士の崇敬を獲得したことが、この神の神威を全国に広げる大きなきっかけとなったと言われています。

 

 

酒造りの神:大山祇神

 

さらに、大山祗神(オオヤマヅミ神)は、酒造の祖神「酒解神」として信仰されています。これは、大山祗神の娘「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」が、天孫「邇邇芸命(ニニギ尊)」と結婚して、「日子補穂出見命(ヒコホホデ命)」を生んとき、大山祗神は大いに喜んで佐(狭)奈田(さなだ)の茂穂(よく実った米)で、お酒(アメノタムケ酒)を作って、天地の神々に振る舞った、という故事が酒造のはじめ(穀物から酒を醸造した始まり)と伝えられていることに由来しています。

 

山の神は里に降りれば田の神であり、穀物の実りを司る神であり、また水の神でもあることから、穀物から造られる酒の精霊は、山の神の分身という神話が生まれたのでした。こうして、酒造業の守護神としての大山祇神は、酒解神(さけとけのかみ)、娘の木花咲耶姫命は酒解子神(さけとけこのかみ)と呼ばれるようになったそうです。

 

このように、日本の山の神の総元締といわれる大山祇神(オオヤマヅミ神)は、山と海を司る神(山と海の守護神)として、その神威は、農業、漁業、商工業(酒造りを含む)などの諸産業や、軍事的な領域まで幅広く及んでいます。

 

 

三島・大山祇信仰

 

大山祇神に対する信仰は、神道では「三島・大山祇信仰」として知られ、全国に広がっています。大山祇神社(愛媛県今治市)と三嶋大社(静岡県三島市)を本社として、三島・山祇系の神社は、全国で少なくとも700社以上あるとされています。神社名の「三島(三嶋)」は、大山祇神社の所在地(今治市大三島)の大三島(おおみしま)にちなんで名づけられています(大山祇神社を大三島神社と呼ぶこともある)。

 

「三島・大山祇信仰」に関連し、大山祇神(おおやまづみのかみ)を祭神とする神社は、全国にある「三島」や「山祇」を社名とする神社(三島神社や山祇神社)だけでなく、次の神社も含まれます。

 

岩木山神社(青森県弘前市)

湯殿山神社(山形県鶴岡市)

大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)(神奈川県伊勢原市)

梅宮大社(京都市 右京区)

丹生川上神社上社(奈良県吉野郡)

 

安倍政権の森林政策を、大山祇神がどう見ているでしょうか?

 

 

<参考>

山岳信仰 山と神 山の神 – BIGLOBE

三島・大山祇信仰/三島神社ー城めぐり

大山祇神

など

 

2019年06月26日

宗教:大河ドラマ「いだてん」はインドの神様!

6月23日のNHK大河ドラマ「いだてん(韋駄天)〜東京オリムピック噺(ばなし)」の中で、韋駄天の意味を「足の速い神様のことだ」とか「だから御馳走様という」というなどドラマの中で、説明していました。日本人初のオリンピック選手、主人公金栗四三(マラソン)のニックネーム「いだてん」が、「いだてん」が神様の名前だったことを今になって知りました。自分の勉強不足を反省(よくよく考えれば韋駄天の天は仏教の天部を指している!)すると同時に、韋駄天がヒンズー教の神が由来であったことに驚きとある意味新鮮な気持ちになれました。

 

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韋駄天、その由来と意味

 

「韋駄天(いだてん)」とは、「足の速い神様」のことを指します。「韋駄天(いだてん) 」は、もともと古代インドの宗教バラモン教の神で、バラモン教がヒンドゥー教に継承された際には、破壊神・シヴァ(シヴァ神)の次男、軍神・スカンダとされました(兄の名は歓喜天だとか)。

 

韋駄天は、その後、お釈迦様が、仏教を興したとき、仏教の守護神として迎えられ、仏法と寺院を護る守護神とされました。インド仏教では、世界の中心にそびえるという聖なる山(須弥山)を四方に守る守護神がいて、それぞれ8人(計32人)の神様が仕えているという教えがあります。韋駄天はその四方(東西南北)を守る四天王のうち南を守る増長天に従う八大将軍の一人(三十二神将のリーダー)として信仰されるようになりました。

 

元々ヒンドゥー教の神様であった韋駄天(いだてん)が、仏教に取り込まれ、さらにインドから中国に伝えられる際、最初は「塞建陀(スカンダ)天」と音写で漢訳されました。それが何度も書き写される内に、一文字省略されたり、書き間違いが起きたり、さらには、道教の神様である韋将軍(いしょうぐん)とも混同されたりしながら、「韋駄天」となったと言われています。こうして、韋駄天は、仏教の神様となって、現在に至っています。

 

また、インドの伝承によると、お釈迦様がお亡くなりになられた日、捷疾鬼(しょうしつき:足の速い鬼)という鬼が、お釈迦様の御遺体から「仏舎利(ぶっしゃり:釈迦の遺骨・歯)」を盗んで、須弥山に逃げていきました。慌てた弟子たちが、韋駄天(いだてん) に仏舎利を取り返してほしいと頼むと、韋駄天は一瞬で、1280万キロともいわれる距離を駆け抜け、鬼(夜叉)を捕まえ、お釈迦様の歯を取り返したそうです。

 

この逸話から韋駄天は「速く走る神」とされ、それが由来となって、足の速い人を「韋駄天」と呼ばれたり、早い走り方、またとても速く走ることを「韋駄天走り(いだてんばしり)」と比喩表現したりするようになったそうです(韋駄天は「俊足の代名詞!」、身体健全(特に足腰)のご利益があるとも)。さらに「盗難・火難除けの神」ともされ、修行を妨げる魔障を走ってきて取り除いてくれるとして、寺院や僧侶の住居の守り神となっています。

 

さらに、インドの伝承では、韋駄天はその足の速さを生かし、釈尊(お釈迦様のこと)や、修行中の僧侶のために、東西を駆け巡って食べ物を集めて回って振舞ったことが、「ご馳走」という言葉の由来となりました。また、食後の挨拶の「ご馳走さま」という言葉も「足の速い神・韋駄天さま」からきています。こうして、今も、韋駄天は食卓を守る神様として慕われ、韋駄天を拝めば、食に不自由をしないという功徳があるとされています。寺院の厨房に祀られることも多いそうです。

 

<参考>

いだてん(韋駄天)とは?その意味と大河ドラマモデル金栗四三との関係

(2019年3月17日 ファンファンズ・カフェ)

 

歴史-文化 日本文化と今をつなぐ(2018/11/15、Japaaan記事)

仏像ワールド 韋駄天

2019年06月25日

ニュース:トランプ、日米安保条約破棄を検討!?

トランプ大統領、日米安保条約破棄の考え側近に示していた-関係者

(2019/06/25、ブルームバーグ)

 

トランプ米大統領が最近、日本との安全保障条約を破棄する可能性についての考えを側近に示していたことが分かった。事情に詳しい関係者3人が明らかにした。トランプ大統領は日米安保条約が米国にとって不公平だと考えている。関係者によれば、トランプ氏は同条約について、日本が攻撃されれば米国が援助することを約束しているが、米国が攻撃された場合に日本の自衛隊が支援することは義務付けられていないことから、あまりにも一方的だと感じている。約60年前に調印された同条約は、第二次世界大戦後の日米同盟の基盤となっている。

 

大統領は条約破棄に向けて実際に措置を取ったわけではなく、政権当局者らもそのような動きは極めてありそうもないことだと話している。トランプ氏の個人的な会話の内容だとして関係者らはいずれも匿名を条件に語った。万が一条約破棄となればアジア太平洋地域の安全保障に役立ってきた日米同盟を危うくする。日本が中国および北朝鮮からの脅威に対して防衛するため別の方法を見つける必要が生じ、新たな核軍備競争につながるリスクもある。

2019年06月24日

農林業:日本の種子を守ろう!

先日、「水、種子に続き森林も…」と題して投稿しましたが、今回、「森林」から遡って「種子」についてまとめてみました。日本の食料自給率の低さが問題となっていますが、仮に食料自給率が100%になったとしても、その種子が国産でなければ意味がありません。ましてやその種子が遺伝子組み換えの種子であったら、私たちの食の安全は根底から崩壊してしまいます。

 

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安倍政権は、2018年3月31日、種子法(主要農作物種子法)を廃止しました。この蛮行が次世代にいかなる悪影響を与えることになるのかを、種子法廃止から1年以上たった今、改めて考えてみましょう。

 

種子法ができた背景

第二次世界大戦中、日本は食糧不足に見舞われ、農家は強制的にコメを供出させられ、種子も政府の統制下にありました。戦後、復興が進み、人々の生活が安定し始め、コメの統制は解除されましたが、日本人の主食であるコメの源となる種子は、国(道府県)が優良な種子を農家に供給しようと、1952年5月、種子法(正式名称は「主要農作物種子法」)が制定されました。

 

もし、戦時中の統制を完全に解除して、農家に種子栽培を委ねてしまえば、農家は、農作物の栽培とは別に、種子を採取するために「育成」をしなければなりません。農家が自ら生産した作物から種子を「採取」することもできますが、品質を維持し、品種の改良、優良な種子の「育成」が求められるのです。一つの種子を開発・育成するには、約10年、増殖には約4年かかると言われるなど、膨大な時間と多額な費用が必要です。具体的には、大元の原原種、その子どもの代の原種を経て選別され後、種子となります。

 

そこで、政府は、優良な種子は国民の食糧確保に不可欠であり、とりわけ国民が生きるために欠かせないコメ、麦、大豆の種子を供給するのは国や自治体としての責任であるという理念から、税金を投入してでも守り、主要な農産物の種子を国が管理することを義務づけました。

 

 

種子法に基づく種子の供給システム

この目的遂行のために、政府が予算を確保する役割を担う一方、生産する品種の認定は地方自治体が行います。原原種→原種→種子と約3年かけて作られた品種を選別して、種子の保証書を発行します。その後、農家が種子を栽培していきます。実際に、種子の生産に携わるのは、各都道府県の農業協同組合(JA)、農業試験場などの研究機関です(後者は、原・原種、原種を保持)。それから、その種子を地方自治体が指定する各県の採種農家(種子農家=種づくり農家)が、販売普及用に栽培(委託生産)し、ようやく、各農家に供給されるという体制が敷かれていました。

 

近年はこのシステムに基づいて、各県は、地域の地理や気候条件に適した品種改良が継続的に行われ、地域性や食味の追求で競合し、結果として、新潟県の「コシヒカリ」や北海道の「ユメピリカ」などの「優良銘柄」や、「あきたこまち」などの「奨励品種」のコメを多数誕生させてきました。

 

なぜ種子法を廃止しないといけなかったのか?

しかし、安倍政権は、このシステムを止めて、政府や自治体が長年担ってきたコメの種子開発と供給を民間企業に任せようと、種子法の廃止をめざしたのでした。この戦後の日本の食と農を支えてきた種子法が、わずか半年の議論で、2018年3月31日に、廃止してしまったのです。

 

種子法を突如廃止した理由として、安倍政権は、「都道府県が開発しているコメ、麦、大豆の品種(種子)の販売価格は安すぎる。これでは民間企業が種子開発事業に参入できない」と、種子の販売価格が不当に安く、民間企業が参入できないことを問題視しました。その一方で、肥料、農薬、機械、飼料など生産資材価格が高いので、これを低減させる、とも言っています。

 

通常、種子を作るためにかかる生産資材の価格が下がれば、その分、種子の価格は下がる余地がでてくるので、安倍政権がいう「不当に安い」種子価格を自らさらに下げることになってしまいます。ということは種子価格や資材価格が高い安いは余り問題ではなく、安倍政権の目的が民間企業を参入させることが主眼であることが透けて見えます。

 

農林水産省も、「都道府県と民間企業の競争条件は対等になっておらず、公的機関の開発品種が独占的になっている」ことを種子法廃止の理由の一つにしていますが、これも民間企業を参入させてと言っていることに等しいですね。民間企業による種子の開発、流通、販売への参入については、種子法廃止以前に、安倍政権が成立させた、農業競争力支援化法に、すでにその趣旨が色濃く打ち出されていました。

 

知的財産を売り渡す農業競争力支援化法

農業競争力支援化法は、「良質で低廉な農業資材の供給」や「農産物流通等の合理化」といった構造的な問題を解決していくことを目的として、2017年5月に制定されました。種子に関しても、同法8条の4項に次のような恐るべき規定があります。

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種子その他の種苗について、民間事業者が行う技術開発及び新品種の育成その他の種苗の生産及び供給を促進するとともに、独立行政法人の試験研究機関及び都道府県が有する種苗の生産に関する知見の民間事業者への提供を促進すること。

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これは、民間企業が種子の市場に参入できるように、彼らを支援するだけでなく、公的機関が長年培ってきた種子開発・生産に関するノウハウを民間企業に渡せと言っているのです。2018年2月に開催された韓国のピョンチャン五輪の際に、日本のイチゴの苗が勝手に使われていたことが発覚して大騒ぎになりましたが、コメの種子は「企業に提供しなさい」とわざわざ法律まで作った命令する徹底ぶりです。

 

前述したように、現在、良質なコメの種子からできたおいしいおコメが各地域で生産されて、私たちの食卓を賑わせています。つまり、すでに適切な競争がなされている種子市場に、国の支援で、民間企業を強引に参入させようとしている観が否めません。しかも、公的機関の蓄積した知的財産まで譲れと民間企業側に肩入れまでしています。

 

さらに問題なことは、民間企業の参入といっても、参入したがっている民間企業は、グローバル種子メーカーなど大手企業です。現在世界の種子市場は、米モンサントを買収した独バイエル、米ダウ・デュポン、そして中国化工集団に買収された世界最大のスイスの農薬会社シンジェンタの3社に握られています(3社の市場占有率は7割)。グローバル種子メーカーが、安倍政権の後押しで、参入してきたら、日本の種子もやがてこうした多国籍企業に押さえられ、日本の食料が彼らに支配されることになることが懸念されます。

 

 

種子法廃止の背後にいた未来投資会議とグローバル種子メーカー

このように、種子法が廃止される前に、農業競争力支援化法が制定され、その道筋が敷かれていたといえます。しかし、さらにそれ以前の2016年10月、規制改革推進会議農業ワーキング・グループと、あの竹中平蔵氏などをメンバーとする未来投資会議の合同会合の場で、種子法廃止が提起されたと言われています。もちろん、種子法が「民間の品種開発意欲を阻害している」ことを問題視したのです。加えて、この背後には、ウォール街の金融投資家、グローバル種子メーカー・製薬企業などの要求をうけた「アメリカ政府」の力が働いていたと見られています。

 

つまり、種子法の廃止は、米国の意向(「TPP日米合意文書」)に沿う形で、日本の「規制改革推進会議」を通じて「自主的」に承認されたものであるという見方が根強くあります。実際、京都大学の久野秀二教授は、今回の種子法廃止の背景に、「『公共種子・農民種子』をグローバル企業開発の特許種子に置き換えようとする世界的な種子ビジネスの攻勢がある」と指摘しています。

 

これまで、コメと麦と大豆は、種子法によって政府が種子を管理してきたので、国産100%でした。しかも、伝統的な固定種です(固定種とは、親から子、子から孫へと代々同じ形質が受け継がれている種で、味や形が固定されたものが育つ)。一方、モンサント(現バイエル)などのグローバル種子メーカーは、大豆やとうもろこしの遺伝子組み換え(GM)化を世界的に実現してきました。現在、彼らが狙っているのは、コメや小麦という主要食料の種子の遺伝子組み換え(GM)化です。

 

特に日本において、コメ・麦・大豆の市場規模は野菜の7倍あります。彼らが種子法廃止を後押しして狙ったのは、この日本の市場です。しかも、コメや小麦などの種子の大半が固定種なので、これを遺伝子組み換えによって、一代限りのF1に置き換えようというのです。F1と固定種ではどう違ってくるといいますと、固定種なら一つの種で栽培して、そこでできた種を使い…式に種を継承させていくことができますが、F1の場合、一代雑種と呼ばれるように、購入した種は一度栽培に使用されたら二度と使うことはできません。つまり、農家は必ず種を買い続けなければなりません。

 

このように、海外資本の企業(外資)の参入を許せば、日本から国産の良質なコメ(農産物)が消え、外国産の遺伝子組み換えの種子に取って代えられることが想定されます。前述したよに、コメの種子は、原原種から原種という開発栽培の過程を経て、数年かかえて作られてきました。しかし、種子法廃止で、原原種や原種がなくなり、農家は企業が権利を持つ種子を使わざるを得なくなります。そうすると、私たちは遺伝子組み換えのコメ(農産物)を食べることを強いられることにもなりかなません。

 

東京大学大学院の鈴木宣弘教授も、「グローバルGM種子企業にとって、今回の日本の種子法廃止と種子の関連情報の譲渡命令は「濡れ手で粟」です。「払い下げ」で手に入れた種をベースにGM種子に変え、特許化して独占し、それを買い続けない限り、コメの生産が継続できなくなってしまいます」と指摘しています。

 

さらに、種子市場がこのように寡占化(少数の巨大企業で市場を支配すること)してくると、種子価格も、農薬や機械などの資材価格もつり上げられていくことも必定で、そうなれば、種子法廃止や農業競争力支援化法が、名目上目指したこととは逆の結果になってしまいます。

 

日本は食料自給率が異常に低い国ですが、それでも最後の砦として、米をはじめとする主要農産物を守ってきましが、種子法の廃止で、主食である米の種子を売り渡してしまえば、例えば、新潟で採れたコメと言っても、種が外国産であれば、もやは国産とは言えなくなる可能性もでてきます。いざというとき日本がまず確保しなければならないのは、コメ、麦、大豆ですが、その種子供給を民間企業に依存するとなると、私たちの生命の源をグローバル種子企業に握られかねないことなってしまいます。ですから、今回の種子法の廃止は、ある意味、食糧安全保障の観点からも看過できない事態です。

 

グローバル種子企業の世界戦略は、「種を制するものは世界を制する」のスローガンに従って、種子を握ることです。種を独占して、農家は作物を栽培するために、彼から種を買わなければならないような仕組みを作ろうとしています。加えて、その種子を遺伝子組み換え、さらには、F1(一代雑種)化して普及させれば、彼らから買わざるをえない状況は永遠に続きます。グローバル種子メーカーはこうしたビジネスを世界中で広げ、巨万の富を築いています。今回、それを日本でやりたいとしているのです。

 

 

国会と地方自治体の抵抗

こうした重大な問題点の指摘や反対の声を受け、国会では、種子法廃止が可決された際に附帯決議を採択して廃止法案に縛りをかけました。さらに、種子法そのものを復活させたりする動きがあります。また、条例によって種子法の内容を定めようという自治体もでてきています。

 

国会による付帯決議

  • 種子の品質確保のため、種苗法に基づき、適切な基準を定め、運用する。
  • 優良な種の安価な供給には、従来通りの都道府県による体制が維持できるように措置をとる。
  • 都道府県の取り組みの財源となる地方交付税を確保し、都道府県の財政部局をふくめ周知徹底に努める
  • 都道府県の育種素材を民間に提供するなど連携にあたっては種子の海外流出を防ぐ
  • 「特定の事業者」が種子を独占し弊害が生じないよう努める。

 

種子法復活法案

さらに、種子法廃止法案成立後、2018年6月、野党は、種子法の復活法案を提案するまでに至りました。

 

条例制定の動き

種子法に基づいて米などの品種改良と種子供給を行ってきた各都道府県は、事業の継続を目指して、種子法と同じ内容の条例制定に動き出しました。種子法廃止から約2年経った2019年2月、新潟県で種子条例案が議会が可決したのを皮切りに、兵庫県、埼玉県、山形県、富山県、北海道と続き、岐阜、長野、福井、宮崎、滋賀、宮城、鳥取の各県も条例制定を決定または検討を表明しています。これは、「民間企業の参入を妨げる」という理由で種子法を廃止してしまった安倍内閣に対する「地方の反乱」と言えます。

 

 

種苗法の改正でとどめか?

これに対して、安倍政権(農水省)は、2019年の通常国会で、農家による種子の自家採種を禁止することを付記する種苗法の改正案を提出する構えを見せていました(農林水産省は、2004年から自家採種原則禁止を目指していたと言われている)。仮に外資(グローバル種子メーカー)に種子市場を席捲されたとしても、農家が自ら生産した作物から種子を採取する「自家採種」によって、国産の安全な種子を守り抜くことはできます(F1品種以外ならという前提つきだが)。

 

しかし、農家による種子の自家採種が禁止されると、伝統作物や方限定の農産物などの生産を継続することが不可能になっていき、ますます企業による農業への介入が進むのは間違いないでしょう。具体的には、農家が自分で種を取って栽培する自家採取が禁止されると、農家はどんな種子も買わなければならなくなりますが、東京大学大学院の鈴木宣弘教授は、この点について次のように分析されています。

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代々自分の農地で自家採取した種子で栽培していた作物であっても、品種登録していなければ、自分のものではないとされてしまう。その作物を栽培農家より早くに民間企業が登録してしまえば、その農家は特許権に侵害で告訴され、損害賠償を求められることにもなりかねない。

グローバル種子企業は自社の特許権が侵害されるのを防ぐため、独自の「ポリス」(監視組織)の目を張り巡らせているとされ、その監視網で証拠をつかんで訴えを起こす。さらに農家への攻撃は様々な手口で進められ、カナダなどでは在来種を栽培していた農家の作物とGMが交雑し、被害を受けたのは農家であったにもかかわらず、「当社の品種を勝手に栽培した」と農家をGM開発企業が特許権侵害で告訴するという問題が実際に起こった。

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幸い、安倍政権は、2019年の通常国会に種苗法改正案の提出を見送りました。しかし、種苗法改定は、農業競争力支援化法から始まったグローバル種子メーカーの世界戦略の一環に合致したものです。

 

農業競争力支援化法で国と県がつくったコメの種の情報を企業に譲渡させ、種子法廃止で日本の公共の種子事業をやめさせ(つまり民間企業がとって変わる)、種苗法改定で自家採種は禁止する…。グローバる種子メーカーからすれば、種子法廃止で種を手に入れたら、自家採取を禁止して手に入れた種の登録者としての権利を強化してもらうことは、まさに彼らが望むところです。従って、政府も、遅かれ早かれ種苗法改定を国会にかけてくるでしょう。種苗法改定は、彼らが日本の種子を抑える最後の仕上げであり、日本の農家からすれば、種苗法の改定でとどめを刺させるほどのインパクトを伴います。

 

米は、ただ単に食材、食料というにとどまらず、日本の食文化を超えて文化そのものをつくり上げてきた重要なものだです。TPPをはじめとする国境を超えた自由化の波の中で、世界に誇る日本食文化の象徴ともいえる「日本のコメ」を、ひいては、日本の食文化を守り、育てるための法整備が必要です。

 

 

<参考文献>

種子法廃止は誰のためか──日本の農作物への影響と今後の課題

(2018年12月18日、スマート・アグリ)

 

安倍政権の種子法廃止に“地方の反乱”拡大…独自に条例制定、国の農業政策に反抗(2019.06.03、ビジネス・ジャーナル)

 

安倍政権の種子法廃止で、日本の「種子」が外資に乗っ取られる…価格50倍に高騰(2018.12.26、ビジネス・ジャーナル)

 

すぐにできる、正しい食、間違った食(2018.6.18、ビジネス・ジャーナル)

 

安倍政権、日本の農業を根絶せしめる愚行…ひっそり種子法廃止で

(2018.03.15、ビジネス・ジャーナル)

 

種苗法改正と農業競争力強化法の3点セット「種子法」廃止の真の狙いは

(2019年2月15日、生活クラブ・webレポート )

 

 

 

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