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2024年04月18日

「中国の儒教を学ぶ」シリーズを投稿しました!

本HP「レムリア」では、「世界の宗教」を紹介していますが、中国の儒教について、4本の投稿記事ができました。古代より、儒教は日本にも取り入れられましたが、儒教には、私たちが学校で習わなかった側面がいくつもあります。儒教の真の姿に少しでも近づこうと、儒教を多面的にとらえ、その事実を紹介します。

 

儒教➀ 孔子・孟子・荀子・朱子…が教えたこと

儒教② 四書五経:論語だけではない儒教の経典

儒教③ 儒教は宗教か否か?

儒教④ 儒教の歴史:孔子と弟子たちの遺産

 

 

 

2024年04月07日

キリスト教の復活祭、ローマと世界へ!

キリスト教にとって、春の最大行事といえば、復活祭(イースター)です。2024年のイースターは3月31日に行われました(東方正教会は5月5日)。

 

イースターは、イエス・キリストが十字架の死の後、3日後に「復活」されたことをお祝いする礼拝です。この復活があったからこそキリスト教が生まれたと言えるほど、キリスト教にとっては大切な日です。

 

復活祭(イースター)についての詳細やその由来等については

復活祭(イースター):北欧神話から春の訪れ

を参照下さい。

 

ローマ・カトリック教会では、フランシスコ教皇は、その日の午前中、バチカンのサン・ピエトロ(聖ペトロ)広場で、キリストの復活を祝うイースターのミサ(「復活の主日のミサ」)を行った後、同日正午、サンピエトロ大聖堂の中央バルコニー(ロッジア)から、サンピエトロ広場に集まった信者を前に、ローマと全世界に向けた復活祭メッセージと祝福(ウルビ・エト・オルビ)をおくられました。

 

ウルビ・エト・オルビ」は、教皇による祝福(使徒的祝福)の正式な形式で、イースター(復活祭)以外に、通常、クリスマスと新教皇がコンクラーベで選任されたときだけ行われる特別なものです。カトリック教会の信徒にとっては教皇の祝福を受けることは罪の償いの免除(全免償)が与えられる条件の一つを満たすことを意味するそうです。

 

なお、ウルビ・エト・オルビは、ラテン語のUrbi et Orbiの直訳で、「都市と世界へ」という意味ですが、ローマ教会では「ローマと世界へ」と訳されます。

 

 

教皇フランシスコの2024年度の復活祭メッセージ

(バチカンニュースより)。

******************************

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、主のご復活おめでとうございます。

 

2千年前、エルサレムから発せられた福音が、今日、全世界に響きます。「十字架につけられたナザレのイエスは、復活しました」(参照 マルコ16,6)。

 

教会は、週の初めの日の明け方早く、墓に行った婦人たちの驚きを再び体験します。イエスの墓は大きな石で塞がれていました。今日もまた、重い岩が、あまりにも重い岩が、人類の希望を塞いでいます。それは、戦争の岩、人道危機の岩、人権侵害の岩、人身取引の岩、そしてその他多くの岩です。わたしたちも、イエスの弟子であった婦人たちのように尋ねます。「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」(参照 マルコ16,3)と。

 

それに対し、復活の朝に見たものは、これほど大きな石がすでにわきへ転がしてある光景でした。婦人たちの驚きは、わたしたちの驚きです。イエスの墓は開き、空になっていたのです!ここからすべてが始まります。あの空の墓を通して新しい道が開けます。それは神以外の誰も開くことのできない道、死の中のいのちの道、戦争の中の平和の道、憎しみの中の和解の道、対立の中の兄弟愛の道です。

 

兄弟姉妹の皆さん、イエス・キリストは復活されました。そして、イエスだけがいのちに向かう歩みを閉ざす石を転がすことができるのです。いや、むしろ、生ける主ご自身が、いのちと、平和、和解、兄弟愛の道なのです。主は人間では不可能な道を開かれます。なぜなら、主だけが世の罪を除き、わたしたちの罪を赦されるからです。神の赦し無しでは、あの石を動かすことはできません。罪の赦し無しでは、閉鎖や、偏見、疑い合い、自分の罪を常に認めず他者を非難する横暴から脱することはできません。復活されたキリストだけが、わたしたちに罪の赦しを与え、新たにされた世界への道を開くことができるのです。

 

復活されたキリストのみが、いのちの扉を開くことができます。わたしたちはその扉を、世界に広がる戦争のために、閉じ続けています。今日、わたしたちの眼差しは、特にイエスの受難と死と復活の神秘を証しする聖都エルサレムと、聖地のすべてのキリスト教共同体に向かいます。

 

わたしの思いは、イスラエルとパレスチナ、ウクライナをはじめ、世界各地の紛争の犠牲者に向かいます。復活されたキリストが、これらの地域で苦しむ人々のために平和の道を開いてくださいますように。国際法の原則の尊重を呼びかけると共に、ロシアとウクライナ間のすべての捕虜の交換を希望します。

 

また、ガザへの人道支援のアクセスの可能性を保証するよう、改めてアピールすると同時に、昨年10月7日に拉致された人々の即時解放と、同地域での即時停戦を訴えたいと思います。

 

子どもたちをはじめ、すでに疲弊した民間人に深刻な影響を与える敵対行為をこれ以上続けることは認められません。彼らの眼差しにどれだけの苦しみを見ることでしょうか。それを見て、わたしたちは尋ねます。なぜ?なぜこれほど多くの死者、破壊が必要なのかと。戦争は常に非道であり、敗北です。ますます強まる戦争の風を、ヨーロッパや地中海に吹かせてはなりません。武装や再武装の論理に陥ってはいけません。平和は決して武器では築けません。手を差し伸べ、心を開くことで築けるのです。

 

長く破壊的な戦争の影響を14年間も被っているシリアを忘れないようにしましょう。無数の死者・行方不明者、多くの貧困と破壊は、国際共同体はもとより、全ての方面からの回答を待っています。

 

わたしの眼差しは今日特にレバノンに向けられます。レバノンは長期間、政治機能の不全と深刻な経済・社会危機に置かれている上、今、国境でイスラエルとの対立にさらされています。復活の主が、愛するレバノン国民を慰め、出会いと共存と多極主義の地としての召命において国全体を支えてくださいますように。

 

わたしは、ヨーロッパ構想において統合への意味ある歩みを進めている、西バルカン地域を思います。民族、文化、宗教の違いが、分裂の原因となることなく、ヨーロッパ全域と全世界を豊かにするための源となりますように。

 

同様に、アルメニアとアゼルバイジャン間の対話を励ましたいと思います。国際社会の支援のもと、対話と、避難民の援助、諸宗教の信仰の場の尊重を推進し、最終的な和平に一刻も早く到達することができますように。

 

復活されたキリストが、世界の様々な地域で、暴力や、紛争、食糧危機、気候変動の影響などを受け苦しむ人々に、希望の道を開いてくださいますように。あらゆる形のテロリズムの犠牲者に慰めをお与えください。命を奪われた人々のために祈り、これらの犯罪の犯人たちの悔い改めと回心を求めましょう。

 

復活の主が、ハイチの人々を見守ってくださいますように。同国が、国内を引き裂き、血で染める暴力をすぐにくい止め、民主主義と兄弟愛の歩みのうちに成長することができますように。

 

重大な人道危機に苦しむロヒンギャの人々に神の慰めがありますように。内戦に引き裂かれたミャンマーに和解の道を開き、あらゆる暴力の論理を手放させてください。

 

アフリカ大陸、特にスーダンとサヘル全域、アフリカの角地方、コンゴ民主共和国・キブ州、モザンビーク・カボデルガド州の苦しむ住民に、平和の道を開いてください。そして、広い地域を覆い、食糧不足と飢えをもたらす、長い旱魃状態を止めてください。

 

復活の主がその光を移民や、経済的困難の中にある人々の上に輝かせ、助けを必要とする彼らに慰めと希望をもたらしてくださいますように。キリストがすべての善意の人々を連帯における一致へと導き、より良い生活と幸福を求める最も貧しい家族たちを脅かす多くの問題に、一緒に立ち向かわせてください。

 

御子の復活においてわたしたちに与えられたいのちを祝うこの日、わたしたち一人ひとりへの神の限りない愛を思い出しましょう。その愛はあらゆる限界、弱さをも超えるものです。それにもかかわらず、尊いいのちの賜物がどれだけしばしば軽んじられていることでしょうか。どれだけの子どもたちが生まれて光を見ることすらできないでいるでしょうか。どれだけの人が飢え死に、基本的なケアも受けられず、搾取と暴力の犠牲となっているでしょうか。どれほどのいのちが売買の対象となり、人身取引を拡大させているでしょうか。

 

キリストがわたしたちを死の隷属から解放してくださったこの日、政治的責任を負う人々に呼びかけたいと思います。人身取引の災いと戦う努力を惜しまず、搾取の構造を解体するために絶えず働き、被害者らに自由をもたらしてください。主が彼らの家族をいたわり、特に愛する人たちの消息を不安のうちに待つ家族に、慰めと希望を与えてくださいますように。

 

復活の光がわたしたちの精神を照らし、心を回心させ、受け入れ、守り、愛するべき、すべての人のいのちの価値を認めさせてくださいますように。

皆様に、主のご復活のお喜びを申し上げます。

******************************

 

<参照>

キリスト教(世界の宗教)

復活祭(イースター):北欧神話から春の訪れ

 

 

<参照>

バチカンニュース

コトバンク

Wikipediaなど

 

 

 

 

 

2024年03月31日

イスラエル・パレスチナ情勢の理解のために

終わりの見えないイスラエル・ガザ戦争、深まる一方の憎しみの連鎖から抜け出せる方法を見つけるために、まずはイスラエルとパレスチナを正しく知ることが必要でしょう。混迷きわまる中東情勢について、幾つかのテーマ毎にまとめました。

 

イスラエル: 「ダビデの星」の国の基礎知識

パレスチナの最終的地位問題:解決への3つの論点

エルサレム:「シオンの丘」に立つ聖なる神の都

イスラエル史➀:シオニズム運動の結実とその代償

イスラエル史②:オスロ合意からガザ戦争まで

 

パレスチナ:ヨルダン川西岸・ガザ・東エルサレム

PLO:アラファトのファタハ、その闘争の変遷

ハマス:イスラム主義と自爆テロの果て

パレスチナからみた中東史➀:中東戦争の敗北とPLOの粘り

パレスチナからみた中東史②:オスロ合意とハマスの抵抗

 

 

 

2024年01月12日

ローマ教皇の年頭メッセージからわかる世界の諸問題

教皇フランシスコは、2014年1月8日(月)、好例の駐バチカン外交団に対して新年の挨拶を送られました。その中で、世界情勢の展望や平和の問題などについて言及されています。世界平和を常に求められるローマ教皇の見解は、アメリカ寄りでも、ロシア寄りでも、中国寄りでもなく、まさに、世界で何が起こり、何に注目しなければならない内容であると思われます。

 

バチカンニュースの記事を抜粋して、お伝えします(太字は筆者による)。全文については以下から確認して下さい。

https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2024-01/il-papa-discorso-nuovo-anno-corpo-diplomatico.html

 

★☆★☆★☆

教皇、平和への強い思い、バチカン外交団への新年の挨拶で

(2024.1.8バチカンニュース)

 

‥‥教皇は現在イスラエルとパレスチナで起きていることに憂慮を表明。昨年10月7日のハマスによるテロ攻撃の残忍さ、多くの人々を人質にとった行為を厳しく非難された。…こうした行為がイスラエル軍のガザ地区への強い反撃を招き、子どもや若者を含む、数万の民間人の死をもたらし…重大な人道危機を引き起こした、と語られた。

 

教皇は紛争のすべての当事者に、レバノンを含むすべての前線での停戦と、ガザで拘束されている人質の即時解放、そしてパレスチナの人々への人道支援、病院・学校・宗教施設の保護をアピールされた。

 

ガザにおける紛争が、以前からの脆弱で緊張した状態にさらなる不安定をもたらした地域として、教皇は特にシリアを挙げ、安定しない政治・経済に加え、昨年2月の地震でさらに状況が悪化した同国で暮らす国民、そしていまだヨルダンやレバノンにいる多くのシリア難民たちのために寄り添いを示された。

 

また、レバノンの社会・経済情勢を心にかける教皇は、同国が政治的停滞から脱し、早く大統領の空位を埋められるよう望まれた。

 

教皇は、「二国家解決」とエルサレムの国際法的に保証された特別な地位の実現に向け、決意をもって努力することを国際共同体に願われた。

 

次に教皇は…アジアに目を向け、ミャンマー情勢に言及。同国民に希望を、若者に未来を与えられるよう、またロヒンギャの人々の人道危機を忘れないよう、国際社会の関心を喚起された。

 

ロシアとウクライナ間の戦争からもうすぐ2年が経過しようとしているにも関わらず、待たれる平和はいまだ訪れず、多数の犠牲者と膨大な破壊をもたらしている状況に、教皇は…国際法の尊重のもと、交渉を通してこの悲劇に終止符を打つことが必要と述べた。

 

アルメニアとアゼルバイジャンの緊張状態にも憂慮を示された教皇は、双方が平和条約にこぎつけることができるように願われた。

 

アフリカ情勢をめぐり、教皇はサブサハラ諸国のテロや、社会・政治的問題、気候危機などを原因とする様々な人道危機、中でもエチオピアやスーダンの内戦、カメルーンやモザンビーク、コンゴ民主共和国、南スーダンの避難民の状況に触れた。

 

中南米に関し、教皇はベネズエラとガイアナ間の強い緊張、ペルーにおける分極化、ニカラグアの社会状況に懸念を表した。特にニカラグアの危機がカトリック教会に与えている痛ましい影響について、教皇は外交対話へと招き続ける教皇庁の立場を改めて示された。

 

平和問題について、戦争の継続を可能にしているのは豊富な武器のおかげであると言う教皇は、軍縮政策を続けることの大切さを説く中で、特に「核兵器の製造と保有は倫理に反する」と、今一度訴えられた。

 

一方で、平和の追求のためには、…飢餓をはじめとする、戦争の原因となるものを取り除く必要を指摘。

 

さらに、教皇は、環境危機や、気候変動が紛争に与える影響を指摘しつつ、昨年ドバイで開催された国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議(COP28)の実りが、エコロジー的移行を促すことを期待された。

 

教皇は、平和のために、国際共同体・政治・社会・諸宗教など、様々なレベルでの対話の必要を改めて強調。また、移民現象、生命保護、人権、ジェンダー理論、教育、人工知能、反ユダヤ主義増加、キリスト教徒迫害などのテーマにも言及された。

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こうして見ると、ローマ教皇は、日本ではメディアがあまり取り上げない地域やテーマについてグローバルに俯瞰されていることがわかります。バチカンの全方位外交は、不確実な世界における日本外交のとるべき戦略について、何らかのヒントを教えてくれそうな気がします。

 

本サイト「レムリア」でも、今年は、ローマ教皇のいわば年頭メッセージにでてきた地域やテーマについて、歴史的なアプローチとともに取り上げていきたいと思います。

 

<参考>

ローマ教皇やバチカンについてさらに知りたい方は以下の投稿も参照下さい。

カトリック教会:ローマ教皇とバチカン

 

 

 

 

2023年12月28日

回想 ヘンリー・キッシンジャー

アメリカ外交に史上最も影響力を与えた人物と評されたヘンリー・キッシンジャー氏(以下敬称略)が、2013年11月29日、コネティカット州の自宅で亡くなりました(100歳で、死因は不明)。

 

キッシンジャーと言えば、大国の現実的なパワーバランスによってのみ世界秩序が決まるという勢力の均衡(バランス・オブ・パワー)の考え方に徹し、米中和解、ベトナム戦争終結、ソ連との緊張緩和(デタント)など八面六臂の活躍をし、ノーベル平和賞も受賞するなど、輝かしい外交実績を残しました。

 

その一方で、キッシンジャー外交は、現実主義(リアリズム)の立場からアメリカの戦略的利益を追求するあまり、独裁体制を容認したり支持したりすることも厭わず、明らかに道徳的・理想主義的ではありませんでした。そのため、キッシンジャーは人権や民主主義を軽視した冷血漢と一部で批判されました。実際、大国やとう弄された小国の国民に多くの犠牲を出したことから、「戦争犯罪人」とまで呼ぶ人たちもいます。

 

このように、常に毀誉褒貶(きよほうへん)がつきまとったキッシンジャーの外交の足跡を追ってみましょう。

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以下、本文の内容にご関心の方は、次のサイトで閲覧できます。

アメリカ外交の巨星、キッシンジャーの功罪

 

 

では、この投稿では、拙著「日本人が知らなかったアメリカの謎」で紹介したキッシンジャーについての記事を、今回特別に全文紹介したいと思います。

 

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ヘンリー・キッシンジャーという人物

―なぜこの人がいつも陰謀論のやり玉にあがる!?―

 

まず、ヘンリー・キッシンジャーの輝かしい経歴を概観してみよう。キッシンジャーは、ユダヤ人亡命者として、ドイツからアメリカに移住し、ハーバード大学で学んだ。ロックフェラー家の支援を受けながら学者としてのキャリアを積んでいった。ネルソン・ロックフェラーが、68年にニクソンと共和党大統領候補を争った時、選挙参謀を務めた後に政界に転身した。

 

キッシンジャーは、ロックフェラーの政敵、ニクソン大統領のもとで、国家安全保障担当の特別国務補佐官、後に国務長官にもなった。次のフォード政権下でも留任し、実質、1970年代のアメリカ外交を握った人物として知られる。71年には、当時国交が回復していなかった中国に接近、北京を秘密裡に訪問する「忍者外交」を行い、翌年のニクソン大統領の訪中を実現させた。

 

73年には、パリでベトナム和平協定に調印し、4年越しのベトナム和平交渉にも成功。この功績が評価されて、キッシンジャーはノーベル平和賞を受賞した。また、ソ連との核ミサイル軍縮交渉も努め、「デタント(緊張緩和)」政策を展開した。

 

また、交友関係も広く、大学時代から面倒をみてもらっていたロックフェラー家だけでなく、欧州ロスチャイルド家などの上級階級、さらにはイギリス王室とも付き合いがあるとされる。

 

キッシンジャーは秘密が大好き!?

 

こうして華々しい成果とは裏腹に、キッシンジャーには常に「陰謀」の影がつきまとった。彼は、中国への「お忍び=忍者」外交を典型とした秘密外交を好んだ。その秘密が外交文書の公開によって徐々に明らかにされてきているのだ。

 

ベトナム戦争の軍事戦略も担ったキッシンジャーは、ベトナムに対する枯れ葉剤の散布や、カンボジアに対する「じゅうたん爆弾」を推進した。枯れ葉剤によって寄形児が生まれているという事実、また非人道的な「じゅうたん爆弾」で結果的に100万人近い農民を大量に虐殺したことの責任は問われないのか?と市民団体などから非難されている。そのキッシンジャーがノーベル平和賞を受賞したのだ!?北ベトナム側のレ・ドゥク・トも同時受賞したが彼は賞を辞退した。

 

また、カンボジア以外でも、ギリシャのキプロス侵攻、インドネシアの東ティモール侵攻、チリのアジェンダ左派政権の転覆などを支持(承認)したとされ、それが結果的に大量虐殺や暗殺などが行われることになってしまった。

 

こうしたことから、「戦争犯罪人」として裁くことを求める声が国際社会の中で高まった。実際、フランスでは、裁判所に戦争犯罪の重要参考人として呼ばれたほどである。 また、日本でも、田中角栄元首相をロッキード事件で政治的に失脚させたのもキッシンジャーが背後にいたといわれている。

 

キッシンジャー・アソシエイツの時代

 

キッシンジャーは70年代末には政治の表舞台から一応離れた後、1982年に「キッシンジャー・アソシエイツ」というコンサルタント会社を設立した。

 

主に、ロックフェラー系企業であるチェース・マンハッタン銀行(現チェースモルガン銀行)やAIG(保険)、アメックス、コカコーラ、化粧品のレブロンと顧問契約を結び、国際的な権益促進させてあげている。また、投資ファンドのブラックストーン・グループ(会長はピーターピーターソンでCFR理事長)とは戦略的同盟関係を結んだ。

 

キッシンジャー・アソシエイツの人脈もすごい。民主・共和党両党にコネを持っていることが伺える。会長だったブレント・スコウクロフトと社長のローレンス・イーグルバーガーは、ブッシュ(父)政権で、スコウクロフトが国家安全保障担当補佐官、イーグルバーガーが国務副長官(後に国務長官)になった。また、スタッフメンバーであったティモシー・ガイトナーはオバマ政権下の財務長官になり、ビル・リチャードソンはクリントン政権の国連大使、ブッシュ政権の時のエネルギー長官になった。

 

さらに、ユダヤ人としてADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)と連携しているといわれるキッシンジャーは、主にロックフェラー系の企業のコンサルタントを行い、CFRの「予言書」フォーリンアフェーズに定期的に執筆している…。キッシンジャーが述べる「予測」は、ロックフェラーの世界戦略を実現するための「予定」だと揶揄されているほどだ。

 

キッシンジャーと中国

 

米中和解の立役者としての縁で、キッシンジャーは中国との太いパイプを持ち続けている。キッシンジャー・アソシエイツの会員企業の多くが中国の市場に参入し、キッシンジャーが彼らの商業権益を確保してやっているのである。ブッシュ家が、中国で10兆円の資産を共産党と共同運用しているといわれており、それも、委託管理はキッシンジャーアソシエイツだそうだ。

 

キッシンジャーと中国の蜜月関係から、アメリカは中国と決定的に対立することは予想しずらい。米中がどんなに対立しても、裏ではアメリカと中国はキッシンジャーがパイプ役となって手を組んでいるという陰謀論が頭をもたげている。(了)

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拙著「日本人が知らなかったアメリカの謎」には、ほかにも、キッシンジャーと関係の深い、ロックフェラー家やCFR(外交問題評議会)などについても、雑学のレベルで読み物として紹介しています。ご関心のある方は、お買い求め、またはお近くの図書館でお読み頂ければと思います。

 

 

2023年11月13日

佳子さまペルーご訪問 皇室の南米外交を担う秋篠宮家

秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さま(佳子内親王/身位は内親王。敬称は殿下)は、2023年11月、日本とペルーの外交関係樹立150周年を記念して、南米のペルーを公式訪問されました。

 

滞在中は、記念式典で挨拶され、日系人らと交流されたほか、インカ帝国時代の城塞都市遺跡、「空中都市」と呼ばれる世界遺産のマチュピチュ遺跡や、アンデス山脈にある都市クスコを訪問され、インカ帝国時代の太陽神殿コリカンチャなどを視察されました。

 

佳子さまの外国公式訪問は2019年のオーストリア・ハンガリー以来、4年ぶり2回目となり、また、ペルーは2014年に秋篠宮ご夫妻、19年に長女小室眞子さんが訪れています。

 

ペルーの国柄、日本や皇室との関係、また、インカ帝国については、以下の投稿記事でまとめています。興味のある方はご一読下さい。

 

ペルー:かつてのインカ帝国の残影とともに

インカ文明:マチュピチュを生んだ太陽の帝国

 

過去10年、秋篠宮家が、ペルーを含む南米の訪問を担っています。秋篠宮ご夫妻は14年にペルーとアルゼンチン、15年にブラジル、17年にはチリをご訪問され、当時の眞子内親王殿下(現小室眞子さん)は、16年にパラグアイ、18年にブラジル、19年にはペルーとボリビアを訪れています。

 

なぜ、秋篠宮家が南米の国際親善を担っているかについて、「皇室の少子高齢化」の影響が指摘されています。日本から南米までは、長時間のフライトであり、現地での移動も時間がかかります。訪問先は暑いところが多い一方、山間地では気温がぐっと下がるなど過酷な環境の場所が多く、体力が必要なため、若い皇族でなければ、その任に耐えられないと言われています。

 

こうした背景から、近年、若い秋篠宮家がその役割を担うようになりました。秋篠宮ご夫妻が50代になられた時期からは、最初は眞子内親王殿下、そして、眞子さまご結婚後の現在は佳子さま(佳子内親王殿下)が、南米訪問を任される立場になっている模様です。

 

<参照>

佳子さまが「エネルギッシュな笑顔」でペルーへ出発 なぜ秋篠宮家が南米の訪問を担うのか (2023/11/02、AERA)

 

 

2023年10月26日

モーゼ・パーク!?に行ってみた

10月23日(月)、仕事で富山に来たので、空いた時間を使って、お隣の石川県の宝達(正確には羽咋郡宝達志水町)まで足を延ばし、「モーゼパーク」を訪れました。このレムリアでも、「日本の神話・伝承」の中で、「モーゼの墓」について紹介しましたが、その時は、聞いたり、調べたりしただけの内容でしたが、実際、フィールドワークして、初めて、日本にある伝承の一つとしてのモーゼ伝説について、自信をもってお伝えできるという気になりました。

 

さて、宝達山の麓にある「モーゼパーク」のモーゼの墓が、本当にモーゼの墓なのか、どうかとかいうことが問題なのではなく、モーセ伝説を通して、日本という国の懐の深さを感じることができた(異文化でも何でも受け入れてしまう)ことが有意義でした。とくに、モーゼパークもよかったのですが、宝達山そのものが霊山であり、神の山であると思いました。山全体から発せられているオーラのようなものを感じ、まさにパワースポットでした。モーゼパーク内でも「沐浴」できて、リフレッシュできました。また、パーク内のモーゼの墓の場所から見ることができた日本海も美しかったです。

 

モーゼパークは現在、自治体が管理しているとのことですが、願わくば、公園の整備に予算をもう少し投じていただければ、もっと来訪者が増えると思いました。

 

翌24日は、「モーゼの墓」の論拠となっている竹内文書と密接な関係のある、御皇城山(呉羽山)の「皇祖皇太神宮」(富山市金屋)に参拝しました。皇祖皇太神宮については、また改めて投稿記事にしてみたいと思います。

 

モーセ伝説の詳細や竹内文書については既に以下の記事を書いているので読んでみて下さい。

 

モーセ伝説:能登に「モーゼの墓」がある!?

 

2023年04月06日

プーチンは国際刑事裁判所 (ICC) で裁かれるか?

 国際刑事裁判所(ICC)は、2023年3月17日、戦争犯罪の疑いで、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領に逮捕状を出しました。この後、プーチン大統領は逮捕され、国際司法の場で裁かれるのか、逮捕状後の展開を予想してみましょう。ICCはプーチン大統領を戦争犯罪人として裁けるのでしょうか?

 

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プーチン大統領らに逮捕状、ウクライナ侵攻めぐる戦争犯罪容疑 国際刑事裁判所

(2023/3/18、英BBC)(一部抜粋)

オランダ・ハーグに本部を置く国際刑事裁判所(ICC)は3月17日、ウクライナ侵攻をめぐる戦争犯罪容疑で、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領らに逮捕状を出した。 ICCは、ロシアが占領したウクライナの地域から子どもたちをロシアへと不法に移送しており、プーチン氏にこうした戦争犯罪の責任があるとしている。 ロシア政府は、戦争犯罪疑惑を否定し、逮捕状は「言語道断」だとしている。

―――――――

 

ウクライナのイエルマーク大統領府長官は「ロシアによる子供の連行は1万6000件以上が記録され、実数はさらに多い可能性がある」と指摘。「これまでに返還されたのは308人に過ぎない」とし、今後も返還に向けた作業を続けると表明しています。また、米エール大が2月に公表した報告書によると、「少なくとも6000人のウクライナの子供らがロシア国内の43施設に収容された。ウクライナ政府は3月初旬、収容者数が1万6000人を超えた可能性がある」と指摘しています。(2023/3/18、産経新聞より)

 

国際刑事裁判所(ICC)は、ロシアがウクライナに侵攻したことを受け、2022年2月からロシア軍がウクライナで行った戦争犯罪と人道に対する罪についての立件に向けて捜査を開始していました。今回の逮捕状はその結果ということになります。

 

ICCの管轄権

 

ICC(国際刑事裁判所)は2002年に発効したICCローマ規程によって設立され、123の国・地域が加盟していますが、ロシアもウクライナも非加盟で、通常、ICCは事件を管轄できません。

 

しかし、締約国ではない場合でも、事件の発生地の国か容疑者の国籍がある国のどちらかがICCの管轄権を認める(受諾)宣言をすれば、ICCは非加盟国の犯罪も裁くことができます。実際、ウクライナは南部のクリミア半島を一方的にロシアに併合された後の2015年、無期限の形で「戦争犯罪と人道犯罪について管轄権を受諾する」宣言をしています。

 

プーチン大統領は、戦況について側近から事実を知らされていないとの情報もありましたが、ICCの設置法「ローマ規程」には、軍隊の上官だけでなく政府の上層部にも責任は及ぶ「上官責任」の規定があります。実際に犯罪行為を行った「実行行為者」はもちろん、「自らは行っていないが、それを命じた者」も処罰の対象に含まれています。また、直接、命令していなくても、犯罪行為が行われていること(兵士らの行為)を知っていながら、プーチン大統領や軍幹部などが、その犯罪の実行を防止または抑制する措置を取らなかったことが認定されれば責任が問うことができます。

 

プーチンはロシア国内で拘束されない?

 

今回、逮捕状が出されたので、プーチン大統領は戦争犯罪容疑者になりましたが、この先、実際にプーチン大統領の身柄が拘束された後、ICCに引き渡され、プーチン大統領がオランダ・ハーグの裁判に出廷する可能性は極めて低いとされています。

 

ICC(国際刑事裁判所)には容疑者を逮捕する権限はなく、ICC捜査官がロシアに行って拘束することはできません(ICCが介入できるのは、国家が捜査や加害者の訴追を行えない、あるいは行おうとしない場合に限定される)。

 

もっとも、ICC非加盟国であるロシアは、捜査・訴追への協力義務も、身柄引き渡しなどの義務は負っていません。仮にロシアが加盟国であっても、ロシア国内で揺るぎない権力を享受しているプーチン大統領を、ロシア政府がICCに引き渡す見込みもありません。プーチン大統領がロシア国内にいれば、主権の壁、つまり、政権トップの場合は免責特権による保護もあります。ですから、プーチン大統領がロシアにとどまる限り、逮捕のリスクはないということになります。もし、プーチン大統領がロシア当局によって拘束されるとしたら、ロシア国内で政変が起きてプーチン大統領が失脚し、特権剥奪に至る場合ぐらいしか想定できません。

 

実際、セルビアのミロシェビッチ元大統領は1990年代のボスニア紛争における戦争犯罪と大量虐殺の罪で起訴され裁判中に獄中死したが、国際法廷がその身柄を拘束できたのは同氏が失脚した後でした。

 

また、リベリアのチャールズ・テイラー元大統領も、リベリアの隣国シエラレオネにおける戦争犯罪と人道に対する罪をほう助したとして2012年、国連の支援を受けたシエラレオネ特別法廷により禁固50年の有罪判決を受けたが、同法廷に引き渡されたのは、自国からの追放と亡命後のことでした。

 

プーチンがロシアを出国した場合

 

一方、プーチン大統領が国外に出た場合は、ICC規程に、締約国に対し、「国際犯罪の責任を負う者に対して自国の刑事裁判権を行使することが、すべての国の義務だ」とあるように、ICC加盟国には、捜査・訴追への協力義務が生じるので、プーチン大統領が入国したら拘束してICCに身柄を引き渡すことが求められます。

 

しかし、これまで、政治的考慮から、この義務を守らない国が多く、特に今回は、大国ロシアと敵対するリスクが生じることから、現実的には難しいとみられています。

 

たとえば、2003年、約30万人の民間人が犠牲となったスーダンの「ダルフール紛争」では、当時のバシル大統領に対して、ICCはダルフールでの戦争犯罪、人道に対する罪、大量虐殺の罪で09年及び10年に起訴したが、その身柄はまだ確保できていないどころか、その後、バシルがアフリカ諸国など他国を訪問しても、その国も拘束しませんでした。

(スーダンのバシル元大統領は19年、政権から追放され汚職の罪で有罪判決を受けたが、スーダンの軍指導部はICCに対する約束にもかかわらず、同氏引き渡しには依然消極的とされる)。

 

プーチンへの逮捕状の意義

 

加えて、ICCには、容疑者不在のまま裁判ができる欠席裁判の制度がないことから(ICCの裁判には被告本人の出席が必要)、「逮捕状止まり」になる可能性が高いことも懸念されています。ですから、今回、プーチン大統領に出された逮捕状によって、今後、プーチン大統領に有罪判決を言い渡して収監することは難しいでしょう。

 

もっとも、「プーチンに逮捕状を出す」ことに意義はあると見る向きも多い。プーチン大統領が外遊しても身柄を拘束されない可能性が高いにしても、ICC加盟国への渡航に慎重にならざるを得なくなり、首脳外交も制限されるかことが予想されます。何より、国際社会での威信が失墜することは間違いありません。

 

 

<資料>

国際司法や戦争犯罪についての基礎知識を学びたい方は、拙著

「なぜ?」がわかる!政治・経済(p225〜238)を参照下さい。

 

<参考>

露、プーチン氏逮捕状に「無意味」と猛反発 国家への攻撃とみなす

(2023/3/18、産経)

プーチン大統領の逮捕が困難な理由 戦争犯罪を認定する意義は?

(2022/04/20 aera)

プーチン氏を罪に問えても「逮捕状止まり」の可能性 「それでも意義はある」と専門家

(2022/04/19 aera)

解説:国際犯罪とウクライナ戦争

(2023/01/19、Swissinfo.ch)

「戦争犯罪」って? プーチン氏逮捕できる? ジェノサイドは

(2022年04月06日、就活ニュースペーパー)

 

 

2023年01月06日

富士山はいつ噴火してもおかしくない!

治に居て乱を忘れず

今年も肝に銘じておかなければならない格言ですが、新年早々、興味深い記事がでました。そのまま引用します。

 

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「いつ噴火しても不思議ではない状態」約300年の休止期間を経て…富士山が「次に噴火する日」は予知できるのか

(2023/01/04、文春オンライン)

 

知られているだけでも富士山は何十回もの噴火をしてきている。たとえば平安時代は400年間あったが10回も噴火したのが目撃されている。歴史に記録されていない有史以前の噴火も、地質学的な調査から分かっている。

 

しかし不思議なことに、1707年の「宝永噴火」があって以後、富士山は噴火していない。そこから現在に至るまで約300年間も噴火が見られないのは、過去の噴火歴からすると異例の休止期間である。世界的に見ても、長い休止期間のあとの噴火の規模は大きいことが多かった。これは不安要素である。

 

過去にいろいろなタイプの噴火をしてきた

富士山が、これから永久に噴火しないことはあり得ない。火山学でいえば、富士山は「いつ噴火しても不思議ではない状態にある活火山」なのである。

 

だが、いつ、どんな形式で噴火するのか、それを予知することはいまの科学では不可能である。噴火の予知や、いまどのくらい噴火に近づいているかを学問的に知ることはとても難しい。じつは、この数年来、富士山には不思議なことがたくさん起きている。河口湖の水位が異常に下がったり、富士宮市の住宅地で水が噴き出したり、林道に深い亀裂が走ったりしている。以前の記録はなく、前兆かどうかは分からない。

 

富士山は「噴火のデパート」で、過去にいろいろなタイプの噴火をしてきた。今度、どんな噴火が起きるかは分からないのが富士山なのである。噴火口が山頂なのか、東西南北どこかの山腹なのかによって噴火の影響は大幅に違ってしまう。宝永噴火は東南の山腹からだった。いままでの歴史上の噴火で、とくに大きな規模の噴火だった富士山の三大噴火は延暦の噴火(800~802年)と貞観の噴火(864~866年)と宝永噴火(1707年)である。

 

首都圏に火山灰が降る

文明が進歩するということは、自然災害には弱くなることだ。たとえば過去たびたび首都圏を襲ってきた大地震でも、地震のたびに被害が大きくなり、いままではなかった新しい被害が増えてきている。つまり「対策は、いつも被害を追いかけてきている」のである。火山災害も同じ道をたどるにちがいない。

 

富士山の噴火は首都圏にも大きな影響が及ぶ。首都圏に住む人間にとって、けして他人事ではない。日本の上空の成層圏には偏西風という強い西風がいつも吹いている。このため噴火で成層圏の高さである8キロ以上まで吹き上がった火山灰は東に飛ぶ。こうして、首都圏に多くの火山灰が降ることになる。富士山から新宿までは95キロしか離れていない。宝永噴火のときと同じく、噴火後わずか2時間足らずで富士山からの火山灰は東京にも達することになる。

 

人体、交通、電力、精密機械への影響

火山灰はさまざまな影響を及ぼす。大きいのは人体への影響だ。なかでもコンタクトレンズを着用している人だ。前回の噴火時にはなかったことだ。火山灰は顕微鏡で見ると尖った岩の粉でガラス質だ。このためレンズと目との間に火山灰が入りこむと角膜剥離を起こす。このほか火山灰がわずか0.1ミリ降っただけでも喘息患者の43%もが症状が悪化したという報告がある。数ミリ火山灰が降ると、健康な人も、のど、鼻、目に異常を訴える。火山灰の影響は、人体だけではない。交通にも大きな影響を及ぼす。火山灰によって視界が悪くなって交通事故が起きやすくなる。その上道路が火山灰で覆われると事故の危険性はさらに高くなる。

 

交通への影響も

火山灰がわずか1ミリ積もっただけでも道路の白線が消え、道路標示が見えなくなり、飛行場の滑走路の線が消える。また火山灰が積もった路面は乾いていても非常に滑りやすく、もし雨が降って湿るともっと始末が悪い。道路だけではない。もともと電車は降灰に弱い。次の踏切に異常がないかとか、前に電車が止まっているといった情報を信号としてレールに流している。降灰があると車輪とレールの間に火山灰が挟まり、信号が流れなくなる。そのほか電力への影響もある。降灰によって停電が起きることがあるし、火山灰は電線にくっついて重くなり、電線を切ってしまうこともある。

 

また湿った火山灰には導電性があるので電気がショートして送電が止まる。停電は暖房などに必要な電気機器が使えなくなってしまう。コンピューター本体やコンピューターのハードディスクなど精密機械に火山灰が入ると動作しなくなる。その上、火山灰が帯びている静電気が部品に吸着するなど、電子機器にさらに悪さをする。

 

現代では多くのものがコンピューターで制御されているから、たとえば電気やガスの供給や、多くの産業活動、交通システム、通信システム、銀行のシステム、コンビニやスーパーなどの物流、上水道や下水道の施設もコンピューターで動いている。それゆえ火山灰によって動作が出来なくなると、広範囲に影響を受けてしまう。

 

南海トラフ地震が富士山の噴火を引き起こす可能性は…?

新しいハザードマップでは、噴火の規模によっては麓を通っている新幹線や東名高速道路にまで被害が及ぶ可能性がある。東西日本が分断されてしまうのだ。東京の被害は一国だけの被害に留まらず、国際的にも影響が大きい。いずれ襲って来る首都圏直下型地震だけではなく、富士山の噴火も東京を麻痺させてしまう。宝永噴火なみの大規模降灰に見舞われた近代都市はない。じつは宝永噴火は南海トラフ地震の大きな「先祖」宝永地震の49日後に起きた。地震も噴火もプレートの境で起きる現象だから、今度の南海トラフ地震がマグマ溜まりを刺激して富士山の噴火が続いて起きる可能性がないわけではない。

――――引用終わり

 

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以下に、富士宮市HPから富士山の噴火の歴史を引用します。

 

富士山の噴火史について

 

◆小御岳火山(約70万年前~20万年前)

富士山の周辺一帯は数百万年前から火山活動が活発であったことが知られています。その中で約70万年前、現在の富士山の位置に小御岳火山が活動を始めました。その頃は南東にある愛鷹山の活動も活発で、ふたつの大きな活火山が並んでいました。現在この火山の頭部が、富士山北斜面5合目(標高2300メートル)の小御岳付近に出ています。

 

◆古富士火山(約10万年前~)
小御岳火山がしばらく休止した後、約10万年前から富士山は新たな活動時期に入りました。この時期を古富士火山といいます。古富士火山は爆発的な噴火が特徴で、大量のスコリア、火山灰や溶岩を噴出し、標高3,000メートルに達する大きな山体を形成していきました。古富士火山の山体は宝永山周辺など富士山中腹にかなり認めることができます。

 

◆氷河期と泥流
富士山周辺の調査では、古富士火山の時代には火山泥流が頻発したことが判明しています。当時は氷河期で、もっとも寒冷化した時期には、富士山における雪線(夏季にも雪が消えない地帯の境界)は標高2,500メートル付近にあり、それより高所には万年雪または氷河が存在したと推定されています。山頂周辺の噴火による火山噴出物が雪や氷を溶かして大量の泥流を発生させたと推定されています。

 

◆溶岩主体に移行
約11,000年前になると、富士山の噴火の形態が大きく変わり、その後約2,000年間は断続的に大量の溶岩を流出させました。富士山の溶岩は玄武岩質で流動性が良く遠くまで流れる傾向があります。この時期に噴火した溶岩は最大40キロメートルも流れており、南側に流下した溶岩は駿河湾に達しています。

 

◆新富士火山(約5千年前~)
富士山は、古富士火山の溶岩流のあと約4,000年間平穏でしたが、約5,000年前から新しい活動時期に入りました。現在に至るこの火山活動を新富士火山と呼んでいます。新富士火山の噴火では、溶岩流、火砕流、スコリア、火山灰、山体崩壊、側火山の噴火などの諸現象が発生しており、噴火のデパートと呼ばれています。また、新富士火山の火山灰は黒色であることが多く、新富士火山の噴火は、地層的にも新しく、また8世紀以後には日本の古文書に富士山の活動が記載されており、噴火について貴重なデータを提供しています。

 

◆3,000年前の爆発的噴火
縄文時代後期に4回の爆発的噴火が起こりました。これらは仙石スコリア、大沢スコリア、大室スコリア、砂沢スコリアとして知られています。富士山周辺は、通常西風が吹いており噴出物は東側に多く積もりますが、大沢スコリアのみは、東風に乗って浜松付近まで飛んでいます。
※ スコリアとは、鉄分の多い黒っぽいマグマが発泡しながら固まったもの

 

◆御殿場泥流
約2,300年前、富士山の東斜面で大規模な山体崩壊が発生し、泥流が御殿場市から東へは足柄平野へ、南へは三島市を通って駿河湾へ流下しました。これは御殿場泥流と呼ばれており、この泥流が堆積した範囲は現在の三島市の広い地域に相当します。山体崩壊が発生した原因は、現在のところ特定されていませんが、崩壊当時、顕著な噴火活動が見られないこともあって、富士川河口断層帯ないし国府津松田断層帯を震源とする大規模な地震によるのではないかという説が出されています。

 

◆延暦大噴火(800年)
「日本紀略」の記事によりますと、800年(延暦19年)、(旧暦)3月14日から4月18日にかけて大規模な噴火が起こったとされます。また、2年後の802年(延暦21年)1月8日にも噴火の記録があります。これに伴って相模国足柄路が一次閉鎖され、5月19日から翌年の1年間は、箱根路が代わりに用いられることになりました。

 

◆貞観大噴火(864~866年)
864年(貞観6年)富士山の北西斜面(現在の長尾山)から大量の溶岩を流す噴火が起こりました。流れ出た溶岩の一部は当時あった大きな湖(せの海)を埋めて西湖と精進湖に分断し、大部分は斜面を幅広く流れました。これは青木が原溶岩と呼ばれ、現在そこには樹海が広がっています。

 

◆宝永大噴火(1707年)
1707年(宝永4年)大量のスコリアと火山灰を噴出した宝永大噴火が起こりました。この噴火は日本最大級の地震である宝永地震の49日後に始まり、江戸市中まで大量の火山灰を降下させるなど特徴的な噴火でした。噴火の1~2か月前から山中のみで有感となる地震活動が発生し、十数日前から地震活動が活発化、前日には山麓でも有感となる地震が増加しました(最大規模はマグニチュード5程度)。

 

12月16日朝に南東山腹(今の宝永山)で大爆発を起こし、黒煙、噴石、降灰があり、激しい火山雷があったとのことです。また、その日のうちに江戸にも多量の降灰があり、川崎で5センチメートル積もっています。噴火は月末まで断続的に起きましたが、次第に弱まっていきました。山麓で家屋や耕地に大きな被害があり、噴火後は、洪水等の土砂災害が継続しました。

 

◆山頂周辺での噴気活動(江戸時代晩期~昭和中期)
宝永の大噴火後、富士山では大規模な火山活動はありませんでしたが、江戸時代晩期から、昭和中期にかけて、山頂火口南東縁の荒巻と呼ばれる場所を中心に噴気活動がありました。 この活動は1854年の安政東海地震をきっかけに始まったと言われており、明治、大正、昭和中期に掛けての期間、荒巻を中心とした一帯で明白な噴気活動が存在したことが、測候所の記録や登山客の証言として残されています。

 

この噴気活動は明治中期から大正にかけて、荒巻を中心に場所を変えつつ活発に活動していたとされています。活動は昭和に入って低下し始めましたが、1957年の気象庁の調査においても50度の温度を記録していました。その後1960年代には活動は終息し、現在、山頂付近には噴気活動は認められていません。 しかしながら、噴気活動終了後も山頂火口や宝永火口付近で地熱が観測されたとの記録もありました。

 

◆山頂で有感地震(1987年8月20日~27日)
富士山で一時的に火山性地震が活発化し、山頂で有感地震を4回記録しました。(最大震度3) やや深部での低周波地震の多発(2000年10月~12月及び2001年4月~5月)富士山のやや深部で、低周波地震が一時的に多発しました。

 

◆古文書などでの富士山の噴火記録
古記録によれば新富士火山の噴火は781年以後17回記録されています。噴火は平安時代に多く、800年から1083年までの間に12回の噴火記録があります。また噴火の合間には平穏な期間が数百年続くこともあり、例えば1083年から1511年までは400年以上も噴火の記録がありません。また1707年の宝永大噴火以後も約300年間噴火しておらず、平穏な状態が続いています。

 

 

2022年12月27日

黒田の憂鬱:ようやく認めた?異次元緩和の失敗

現在、日本を襲っているインフレは円安が一因とされ、その円安の背景に、日銀の金融緩和政策の継続と、それに伴う日米金利差の拡大があります。これに対して、黒田東彦率いる日銀は、これまで動こうとしませんでしたが、黒田総裁は、2022年12月20日、長期金利の上限を従来の0.25%程度から0.5%程度に変更すると発表しました。

 

これを受け、市場では実質的な利上げ(金融引締め)と動揺が走りましたが、黒田総裁は「いわゆる金利引き上げだとか、金融引き締めではない」と述べ、安倍政権のアベノミクスから貫いた異次元の金融緩和を維持する方針に変わりはないと強調しています。黒田総裁、肝いりの異次元の金融緩和政策について考えます。

 

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日米金利差の拡大が引き起こした円安

 

総務省によると、2022年11月の消費者物価指数(生鮮食品を除く、コアCPI)は前年同月比3.7%上昇、第2次オイルショック後の1981年12月以来、40年11カ月ぶりの上昇率となるなど、私たちの日常生活に大きな影響を与え続けています。欧米ではさらに深刻で、インフレ率は10%を超えており、今回のインフレは世界規模で進む歴史的な物価高騰となっています。この影響で、電気・ガスや食料品、原材料、輸送費など幅広い分野の値上げが国民に襲いかかっており、ウクライナ情勢次第ではエネルギーや穀物の価格が一段と上昇する可能もあります。

 

このインフレ対策として、欧米、特にアメリカの中央銀行に相当するFRB(連邦準備制度理事会)は、大幅な政策金利の引き上げに踏み切り、その動きを加速させました。これに対して、黒田東彦・日銀総裁は、円安是正のための金融政策を見直す(金利を引き上げてインフレを抑える)考えがありませんでした。

 

世界中どの国も金利を引き上げて、物価を下げようと努力している中、黒田日銀だけが異例の金融緩和策を維持し、他の中央銀行とは異なる独自路線を邁進した結果、とりわけ日米の金利差が拡大しました。

 

金利差が広がれば金利が高いところにお金が流れるのは自然の成り行きです。投資家にとっては、金利の高いドルで資金を運用した方がより多くの利益が出るので、金利の低い円を売ってドルを買う動きが強まり、円安になっているのです(円売り/ドル買い⇒円安/ドル高)。

 

 

異次元緩和の継続

 

では、黒田総裁はどうして、こうした状況を受けても、金融緩和の継続に固執しているのでしょうか?この理由を、昨今のインフレによって利上げを求める声が高まったことに対するこれまでの黒田総裁の発言などから推測してみましょう。

 

まず、黒田氏の現状認識について、「輸入物価の上昇は円安というより、ウクライナ情勢でエネルギーや穀物など資源価格が一段と上昇する影響の方が圧倒的に大きい」と発言しています。

 

確かに、輸入物価の上昇は、ウクライナ情勢の影響を方が大きいことは間違いありませんが、輸入物価の値上がりを通じて商品や原材料価格が割高となるなど、家計や企業に与えるマイナスの影響が、円安の加速とともにより深刻になっていることは、日々の生活感覚から誰もがわかる事実です。

 

円安はプラス

また、黒田総裁は、次の発言から、円安が経済にとってプラスであるとの旧態依然の考えに固執しているようです。「円安には輸出企業の収益を拡大させるメリットも大きく、円安が全体として経済・物価をともに押し上げ、日本経済全体にとってはプラスに作用しているという基本的な構図は変わりない。」

 

かつては、円安になれば輸出価格が割安になって、輸出の拡大につながるといわれてきましたが、企業が海外での現地生産を増やした結果そのメリットは薄れています。「円安は中小企業にはメリットはほとんどない」という財界人も多くいます。

 

黒田総裁が繰り返す「円安はプラス」は、トヨタ自動車など大手輸出企業にとってプラスなのであり、実際、輸出製造業は、アベノミクス(安倍―黒田ライン)の株高を牽引してきました。日本がマクロ経済や為替政策を制定する過程で影響力を持つ重要な経済団体責任者の多くは、輸出に関連する製造業に従事していると指摘されています。

 

アベノミクスの柱が大胆な「金融緩和政策」だったことからもわかるように、安倍政権と二人三脚でやったきた日銀総裁も、彼らの利益を代弁したのかもしれません。しかし、大手輸出企業が潤っている間にも、私たち庶民が物価高で生活がどんどん苦しくなっています。現在、円安は日本経済全体にとってプラスに作用している基本構造ではないでしょう。

 

日銀総裁は、庶民の心を理解していないことは、今年の6月の講演で「日本の家計が値上げを受け入れている」と発言したことに対して、ネットで叩かれ「釈明」を強いられたことに如実に表れています。人々が物価高に悲鳴をあげていた頃のこの発言は、何かの経済統計の結果から導き出したようですが、黒田氏が、データとか理論だけを振りかざす「机上のエコノミスト」と同じレベルだったとは信じたくはありません。

 

上がる物価と上がらない賃金

加えて、黒田総裁が金利を低く抑え続けることが必要だとしているもう一つの理由は、日本の物価高は、アメリカとは異なり、景気の回復と賃金の上昇をともなっていないことにあります(もっとも、現在のアメリカは、物価が上がり過ぎて、賃上げが追い付かないという問題を抱えている)。賃金が十分に上がらず物価だけ上がる状況は、景気にマイナスの影響をもたらす恐れがあるとして、黒田日銀は金利を低く抑え続けることが必要だとしています。今の物価上昇は、黒田総裁がめざしている「経済が力強く回復したことによる物価の上昇」ではないのです(その意味で現在の物価上昇は「悪い物価上昇」と呼ばれている)。

 

これは、日本とアメリカのインフレの要因が異なることからくる結果です。日本の物価上昇は、アメリカのように、需要が高まってインフレになるディマンド・プルインフレではなく、費用の増大に伴い物価が上がるコスト・プッシュインフレによるものです。

 

アメリカの場合、物価上昇というマイナスの側面がある反面で、景気拡大というプラスの面があり、21年4月以降、経済成長率が顕著に高まりました。これに対して、日本は、21年10月以降は、輸入物価が上昇したことにより、産出量が減り、経済成長率も顕著に低下していきました。むしろ、成長率がマイナスにならなかったのは、コロナからの回復期待に伴う消費の増大など景気を下支えたと解されています。

 

だた、前述したのように、日本の場合に物価上昇が欧米諸国ほど激しくありません。通常、景気がよくなり失業率が低下すると、物価と賃金が上昇するという関係が見いだされます。しかし、日本では2000年以降、こうした相関関係が見られなくなり、産出量が増加しても(景気がよくなっても)、欧米と比較して、物価と賃金がそれほど上がっていません。

 

日本では長年、企業がコスト高を価格に反映させず(物価は上がらず)、人件費などで圧縮させる(賃金は上がらない)傾向がありましたが、今回のインフレ局面では、こうした企業努力も限界で、多くの企業で賃金は据え置かれたまま、物価は軒並み上昇している状況です。

 

また、特に賃金に関しては、相対的に賃金が低い非正規雇用が増え、労働市場が正規労働者と非正規労働者で二分されていることなどが原因で、低く抑えられています。これは労働市場の構造的な問題であり、この問題をマクロ的な金融緩和政策で解消できるものではありません。

 

 

10年経っても成果を出せない異次元緩和

 

ここまで、政策の視点から、黒田総裁が、金融緩和の継続を訴える理由をみてきましたが、それ以上に、黒田氏のプライドとメンツが関係しているように思われます。

 

2013年3月に日銀総裁の地位に就いた黒田東彦氏は、長引くデフレ脱却のために「2年で物価上昇率2%の実現」を目標に掲げ、「黒田バズーカ」ともてはやされた大規模な金融緩和政策(量的質的金融緩和政策)を採用してきました。景気浮揚を促す金融緩和は金利を引き下げ、円安・株高を誘引させ、特に、大手輸出企業は高収益と株高の好循環を実現してきました。

 

しかし、実体経済の方は、2年間での達成を目指した目標は果たせなかったどころか、「異次元」の金融緩和の導入から10年が過ぎようとしていますが、いまだに実現していません。

 

この間、日銀は、ゼロ金利政策とともに、量的・質的金融緩和政策を拡大させ、マイナス金利政策、さらには、10年国債の利回りをゼロ水準に誘導する、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和(イールドカーブ・コントロール)」を継続させ、現在に至っています。しかも、黒田総裁は、「物価目標を達成するまで続けると約束し」強気の姿勢を崩しませんでした。

 

10年かけても2%のインフレ目標は実現できないまま、黒田総裁が金融引き締めに転換すれば、自己否定につながり、晩節を汚すことになるだけでなく、同時に、アベノミクスも失敗であったことを認めることになってしまいます。

 

持続的な物価上昇が根付くにはそれを上回る賃上げが不可欠で、政府・日銀が掲げる2%の物価安定目標を達成するには、毎年3%程度の賃上げが必要だと試算されています。国内で最後に3%の賃上げが実現したのは、バブル末期の1990年代初めまで遡らなければならないそうですから、達成は難しいと見られています。

 

あくまで金融緩和政策の継続に固執する、今の黒田総裁は、医師が、患者さんにある薬を処方しても効かないから、投薬量を増やして、治るまでその薬を使い続けようとする「やぶ医者」の行為と同じことをしている印象を受けます。

 

薬は効かなければ変えないといけません。人は、投薬治療を続けると、たとえ正しい処方であったとしても副作用を起こし、誤った処方であれば死に至らしめることさえあります。10年に及ぶ異次元の金融緩和政策によって、日本経済も最近では副作用が次々と表面化しています。

 

例えば、成長できる力を測る潜在成長率と呼ばれる統計があります。NRI(野村総合研究所)によると、この日本経済の潜在力を測る指標は、日銀が現在の異例の金融緩和策を導入した2013年頃からほぼ一貫して低下し、現在ではほぼ0%となっています。異例の金融緩和が、成長を促進させるどころか、潜在成長率の低下も食い止める力も発揮しなかったことを示しています。

 

 

需要制約から供給制約へ

 

そんな中、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う港湾労働者の不足や、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発したことによる資源価格が高騰し、日本の物価上昇率は2%を超えてきました。物価上昇が、日銀が長年実施した金融緩和政策の結果ではなかったのは皮肉な結果です。しかも、前述したように、足元の物価上昇は原油や穀物高など輸入コスト上昇によるもので、黒田総裁がめざす、持続的・安定的な物価上昇とはほど遠いものです。

 

これまでデフレ脱却を目標として行われた黒田日銀による金融緩和政策は、需要不足からきたものでしたが、今回、新型コロナウイルスの世界的感染の拡大や、ロシアによるウクライナ侵攻などを起因とする供給制約の問題です。

 

デフレ脱却のための政策を、今のインフレの時代にも適用させようとするのは無理があります。経済の潮目が変わったにもかかわらず、黒田総裁は「短期金利をマイナス、長期金利を0%程度(変動許容幅の上限を0.25%)」とする、これまでの金融緩和政策を変更することを頑なに拒否してきました。

 

 

金利引き上げの時

 

しかし、こうした背景下、今、黒田日銀がとるべき対応は金利上昇容認で、異常な低金利状態から、金利を正常化させることです。

 

円高でインフレ抑制

物価上昇(インフレ)の問題は、輸入物価高騰からきており、これを引き起こしている一因が戦争と円安です。日銀はウクライナ戦争による供給障害には対応できませんが、円安には対処できます。円安が特に日米の金利差からきているのであれば、金利上昇を容認することによって、為替レートは円高になり輸入物価の上昇は抑えられます。

 

もちろん、金利上昇の容認は金融引き締めになってしまうため、景気には悪影響を与えます。一般に考えられることが、金利上昇によって、企業の設備投資が抑えれるというものですが、最近の日本では、設備投資は金融機関からの借り入れというよりは、日銀の金融緩和政策の恩恵で、ため込んできた内部留保で賄われている場合のほうが多いから、その影響は限定的になるとの指摘もあります。逆に、むしろ、円高を通じて、輸入物価が下がることによって、原材料費や光熱費の負担が抑えられると同時に、産出量が増え、経済を拡大させることになるのです。

 

こうした背景から懸命な識者やエコノミストは、政策金利(短期金利)を現状の-0.1%から引き上げてマイナス金利政策を解除し、また、長期金利(10年国債の利回り)のコントロールをやめ、上昇を一定程度容認する政策調整を行うことを提言していました。

 

そして、今回、黒田総裁は長期金利の上限を従来の0・25%程度から0・5%程度への変更を認めたことは、金利の正常化に向けての第一歩であり歓迎すべきことだと思われますが、当のご本人は「金融引締めではない」を繰り替えしています。

 

超低金利の日常

もちろん、金利引き上げに対する懸念は山ほど指摘されています。例えば、1000兆円を超える国債残高への影響が懸念されています。財務省は、金利が1%上昇すれば、国債の元利払いに充てる国債費は3.7兆円上振れする、と試算しています。また、長期金利が0.1%上昇すれば、国債の利払いが毎年1兆円も増えるという別の試算もあります(今回の変更のように長期金利が0.25%から0.5%まで上昇すれば、毎年2.5兆円の負担が増えることになる)。

 

しかし、冷静な専門家は、この程度の国債費の増加で、一気に財政危機が起きるものではない、仮に、政策金利を+0.1%程度まで引き上げたぐらいで、そうした事態は起こらないとみています。むしろ、政府が大規模金融緩和に便乗して、財政支出を野放図に増やし続けた「副作用」の方を問題視しています。

 

また、金利の上昇で懸念されるのは、住宅ローン金利の負担増加です。日銀の資金循環統計によれば、住宅ローンの融資残高は、マイナス金利が導入された2016年以降に増加傾向が強まり、過去10年間では40兆円ほど増えたといいます。

 

こうした異次元緩和の恩恵者にとって、長期金利が上昇していけば、今後住宅ローンの破産予備軍が増えていくことが懸念されています。しかし、住宅ローンを抱えている家計にとっても、金利の上昇で円高に振れ、輸入物価の低下によってインフレが抑えられる利点のことを忘れてはいけません。何より、預金に利子がついて、家計を助けてくれます。むしろ、超低金利が長く続いたため、金融機関の中には返済計画が緩い融資を実行していたところもあるというような「副作用」の方がやはり問題です。

 

これらの懸念は、政府も金融機関も国民も、異常な低金利に馴れてしまったことからきています。金利は低金利でないと、つまり現状の金融緩和状態が継続されなければ、社会が回らない日本経済となってしまったのかもしれません。薬漬けにされている人は、もはやその薬なしには生きていけなくなるのと同じです。もし、その薬が本来必要のないものであったとしたら、なおさらです。

 

正常な社会で金利はプラス

金利は本来、プラスであるのが当然で、おカネを預ければ利子がもらえ、おカネを借りれば利子を払うのが当たり前です。マイナス金利が適用される社会というのは、当たり前でないいびつな構造になってしまっています。

 

今回の日銀の発表を受けて、「長期金利1.0%」といった時代が来るかもしれない、という意見がありますが、黒田氏が日銀総裁に就任する前であれば、長期金利1.0%も政策金利+0.1%も(超)低金利の水準でした。

 

異次元緩和は、緊急時の処方箋で、それを10年続けることは、冷静に考えれば、異常なことなのです。2年で達成の目標が実現できなかった次点で、修正が必要でしたし、その後も継続されたとしても、少なくとも出口戦略は立ておくべきでした。

 

今回のインフレは、金利を元の正常にもどす絶好のチャンスですが、ここまでの段階で黒田総裁は意固地になって、政策の継続続けようとした結果、そのチャンスは逃してしまいました。いたずらに、引き延ばしつづけた黒田総裁の「罪」は重く、日銀の長すぎた超金融緩和の後始末は、今後長期にわたって続きます。

 

日本銀行の黒田東彦総裁が任期満了を迎える2023年4月までに、少なくも、マイナス金利政策の解除と、イールドカーブ・コントロールを廃止によって、金利水準をできるだけ正常化させることが、後世の世代への罪滅ぼしになります。

 

まとめ

 

私たち庶民はインフレに苦しめられています。ですから、その要因となっている円安対策も含めて、金利の引き上げ正常に戻すことが肝要です。金利が正常に戻れば、日々の生活の物価が下がり、私たちは預金から利子収入を得ることができます。

 

ただし、これには時間がかかります。その間、政治の出番で、税制や補助金など財政出動が必要です。これに対して財政赤字を増やすと批判されるかもしれませんが、金利の正常化は円高による輸入物価の安定を及ぼし、これによって、生産が拡大し、景気も回復、税収は増加していくのです。

 

ですから、今、防衛費のための増税などありえません。優先順位は、インフレの収束と国民生活の安定が先です。それでも防衛体制の充実がすぐに必要というなら、その財源は増税でなく国債です。

 

 

<参照>

ついに「黒田バズーカ」炸裂!日銀「大転換」でゾンビ企業とマンション住民を襲う「借金地獄」の厳しすぎる現実

(2022.12.26、現代ビジネス)

異次元緩和「日本の実態に合わない」元日銀理事が斬る

(2022/10/6、毎日新聞/岡大介)

日銀は円安進行にどう対応すべきか

(2022/07/19、NRI)

日本銀行の正常化策は経済悪化、財政危機を招くか

(2022/07/20、NRI)

絶望の円安136円…国民軽視「鬼の日銀」が絶対に利上げしない3つのワケ

(2022.06.27みんかぶ/佐藤健太)

止まらない円安~日銀のジレンマ

(2022.04.12、NHK解説室)

日本のインフレ対策には「金利上昇の容認」が必要な理由、マクロ経済学で解説

(2022/09/08、Diamond online 野口悠紀雄)

 

 

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