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2025年12月11日

再生可能エネルギーを考える…

「日本のエネルギー政策を考える」と題して、これから、火力発電、原発、再エネを含めたエネルギー事情について投稿していきます。政策を考えるためにはもまずは、その制度や成り立ち、現状、問題点などを知っておく必要があります。

 

今回、はじめに、再生可能エネルギーについてまとめました。

 

再エネ(総論):脱炭素社会の牽引役

再エネ①(太陽光発電):至る所にメガソーラー!?

 

再エネ②(水力発電):山と雨と川と…

再エネ③(風力発電):切り札は、洋上浮体式!

再エネ④(地熱発電):火山大国の恩恵

再エネ➄(バイオマス発電):究極の循環型社会へ!

 

 

2025年12月05日

鈴木農相の「おこめ券と”需要に応じた生産”」のわな

コメ価格が高止まりを続けています。高市政権になり、新しい農林水産大臣には、自民党の鈴木憲和衆院議員が就任しました。新大臣の就任会見、その後の発言を聞くと、コメ価格は下がらないまま、日本の農業はますます衰退、高市政権の経済運営にも影響を及ぼすことが懸念されます。

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 

◆ 鈴木大臣ってどんな人?

 

鈴木大臣は、2005年に農水省に入省、2012年に退官した後、同年の衆院選で初当選しました。選挙区は コメどころの山形県(本人は東京都出身)で、農協の全面的バックアップを受けて議員となった自民党農水族です。

 

「農政のトライアングル」という用語があります。これは、農林水産省、自民党の農林族議員(省庁に顔の利く国会議員)、JA農協の3者で形成する癒着に近い権力構造のことで、戦後の農政は、この「農政のトライアングル」によって主導されてきました。

 

鈴木大臣は、一見すれば、農水官僚、自民党農林族、農協の期待を一身に担った農林水産大臣ということになります。

 

◆ 鈴木大臣の発言を斬る!

 

そんな鈴木大臣のコメ政策に関する方針としては、就任会見等で明らかにした、➀「需要に応じた生産」、②「価格はマーケットで決まる」、③おコメ券の配布の3点がキーワードになりそうです。大臣の発言を紐解きながら、その真意を探ります。

 

➀「需要に応じた生産が基本

 

就任会見で、鈴木大臣は、コメ政策に関して次のように発言しました。

 

需要に応じた生産が基本…需要がないのに生産量を増やせば米価が下がる。生産者の設備投資や人件費を考えても、価格の安定が不可欠。無責任に増産を続けるのは難しい…

 

「(少ない)需要に応じた生産が基本」で「増産を続けるのは難しい」とは、「生産調整」が行われる、つまり実質的な減反政策に後戻りしたことを意味します。現に「無責任」という言葉を使って、前任の石破総理がコメ対策として掲げた増産路線を批判し、事実上、これを撤回した形です。

 

これは、「農政のトライアングル」の規定路線に戻ったことを意味します。そうすると、鈴木大臣が目指す「価格の安定が不可欠」の「価格の安定」とは、今回のコメ騒動が起こる前の水準での安定ではなく、急騰した「高値での安定」を示唆しています。コメ価格は、令和のコメ騒動以前の5キロ=2000円台はおろか、小泉前農相が目標とした3000円台に下がることはないかもしれません。

 

そもそも、経済の原則として、価格は、「需要=供給(生産)」で決まります。鈴木農相は「需要がないのに…」と認識していることから、本来、市場(マーケット)に委ねれば、「需要<供給」でコメ価格は下がりますが、「需要に応じた生産」と言って、生産(供給)を落とすことで、現在の高い米価を維持しようとしているのです。

 

このように、鈴木農相のいう「需要に応じた生産」とは、特定の望ましい価格を実現するために、それに対応する需要量まで、コメを減産すると言っているようなもので、今の高い米価を下げる意思のないことを表明しています。しかも、大臣は、その理由を「価格の安定が不可欠だからだと言ってごまかしています。

 

減反政策を継続

近年の主食用米の年間生産量(主食用米の収穫量)は、概ね600万トン台後半から700万トン台前半で推移しています。

2023年産:662万トン

2024年産:679万トン

2025年産:748万トン(予想収穫量)

2026年度:711万トン(生産見通し)

 

2025年産の主食用米の収穫量は、2024年産を約69万トン上回る748万トンと見込まれていました。これは、「令和のコメ騒動」でコメ価格の高騰により、農家の生産意欲が高まったことや、作付面積の拡大などがあげられています。

 

しかし、2026年産向けの生産目安は、需給緩和を見越して、711万トンと提示され、2025年産よりも減産となる見通しです。

 

農水省は、減反政策は既に廃止されたと言いながら、コメの生産目安の設定や助成金を通じた生産調整で、実質的に減反政策を継続させています。しかも今回は、「需要に見合う生産」という原則をたてに推し進めようとしています。

 

さらに、備蓄米の水準を回復するという名目で、放出した備蓄米59万トンを買い戻し、市場から「隔離」するそうなので、供給量はさらに減少します。結果、コメの値段は下がらないどころか、いっそう上がることも懸念されます。

 

需要の見積もりは正しいのか?

加えて、鈴木大臣が「需要に応じた生産」と言うときの「需要」は、果たして正しい数値なのかという疑問も生じます。「国の需給計画上の数字」が必ずしも正しい需要を表すとは限りません。実際、「令和のコメ騒動」のさなか、「23~24年の数字は誤りだった」として、国は謝罪しています。この需要の見積もりミスが令和のコメ騒動の一員となりました。

 

また、鈴木大臣は、会見で「現状では不足感は解消されたと認識している」と断言しましたが、この認識が正しいのでしょうか?

 

ある識者によれば、集荷業者らは、2025年もコメ不足が解消しないと見て、田植えよりずっと早い3月頃から、集荷競争を繰り広げ、農家との間では秋の新米の契約をかなりの高値で進みだしていたそうです。これが、現在もコメ価格が高い理由の一つです。

 

また、大臣の会見では、「需給見通しを精度の高いものに」と言っていましたが、かつて、当時食糧庁のある幹部の方は、「国がコメ需給をぴたりと合わそうなどとは、神をも恐れぬ所業である」と言われたことがあるそうです。

 

そう、需要を正確に把握し、生産に反映させることができるのは、「神」しかいません。ただし、ここでいう神とは、近代経済学の祖、アダム・スミスで有名な「神の見えざる手」、つまり「市場」です。

 

需要とは、「市場が価格を通じて生産者に知らせる」もので、生産者は市場で形成された価格シグナルを通じて必要な量を知り、生産活動を行います。真の需要は、市場の価格動向等を通じて把握する以外に方法はありません。

 

いみじくも、鈴木農相は、「価格はマーケットで決まるものだ」と発言しており、このことを理解されているのかと思いましたが、「マーケット(市場)」の使い方を歪曲しているようです。

 

 

② 「価格はマーケットで決まるものだ」

 

適正な価格についての質問に対し鈴木農水大臣は、次のように答えました。

 

何円台がいいとは言わない、(米価について)私のスタンスとして、高いとか安いとかは申し上げない。価格はマーケットで決まるものだ。

 

これは、5月から備蓄米放出による価格引き下げを進めてきた政府の方針を改め、今後は価格のコントロールに関与しない姿勢を示したことになります(政府の価格介入を否定)。

 

また、あるテレビ番組に出演した鈴木農水相は、コメの値段を「せめて(5キロ)4000円台に」という消費者の声に対し、次のようにも回答しています。

 

…残念ながら価格というのは、私たちにコントロールする権限が全くないし、私たちが管理をしてるものでは…、残念ながらコメは…流通の世界は自由でありますから…

 

コメの流通市場は自由なので、農水省は米価を管理する権限は全くない(=農水省は米価をコントロールしてはいけない)と述べているのです。

 

しかし、「価格に関与しない」と言いながら、「需要に応じた生産」と言って、生産抑制(今年産から5%減少)を指示していること自体、米価の高止まりを望む価格への介入です。

 

マーケットの機能を阻害

そもそも、鈴木大臣が「価格はマーケットで決まるものだ」という時のマーケット(市場)とは、本来、不特定多数の買い手と売り手が集える、公開・公正で、調整機能が十分に発揮されており、さらに行政もそれを側面から支援している市場です。

 

しかし、適正価格を形成、市場のメカニズムの働きを意図的に阻害し、価格形成に関与しようとして、適切なコメ市場の形成を阻止してきたのが、ほかならぬ、鈴木大臣ご出身の農林水産省とJA農協です。

 

農政の歴史を振り返ると、「農政のトライアングル」(農水省、JA農協、自民党)は、1960年代から、農家を守るという名目で、減反政策によって、米価を上げてきました。

 

具体的には、生産者に毎年3500億円ほどの減反補助金を出して、コメ生産を減少させ(農業用地を減らさせる)、コメの値段を市場で決まる価格よりも高くしてきたのです。

 

「令和のコメ騒動」前の5キロ=2000円台だった米価も、マーケット(の需給関係)の中で決められたのではなく、強力な市場介入の結果で、価格を市場(マーケットの力)に委ねていたら、コメの値段は5キロ=2000円台をさらに下回っていたはずです。

 

それが「令和のコメ騒動」が発生し、農水省や農協からすれば、米価が上がり出したのはよかったのですが、農水省が需給を読み間違えたことから、騒動前の2倍以上の水準に、上がり過ぎてしまい大問題となってしまいました。これが今回の「騒動」の実態です。

 

しかし、農水省は、これまで米価をマーケット(市場)に委ねてこなかったどころか、その働きを阻害してきたにもかかわらず、「価格はマーケットが決めるものだから、米価には関与しない」という鈴木大臣の発言は、農水大臣としては「不誠実」であり、もはや「偽善」の域に達しています。

 

日本にはないコメの自由市場

加えて、コメの流通プロセスにおいて、日本には自由な売買の場である卸売市場のように公的な「取引所」は存在していません。

 

代わりに、日本では集荷業者(売り手)と卸売業者(買い手)が、直接「話し合い」によって価格を決定する相対(あいたい)取引が取引量の大半を占めています。このため、一般にニュースで報じられる「米価」は、卸売段階の取引価格(相対取引価格)を指す場合が多く、これが日本でのコメの基準価格となっています。

 

もっとも、政府(農水省)は、かつて、相対取引における、公設の場として、「全国米穀(コメ)取引・価格形成センター」を創設し、コメ取引に市場原理を導入しようとしました。しかし、相対価格を有利に決めたいJA農協が業者の上場(取引所で売買すること)を制限するようになって、結局センターは廃止されてしました。

 

また、コメの適正価格の形成になくてはならない先物市場も、JA農協の反対運動により「実質的」に認められていません。需給で公正に価格が決定される市場が実現できれば、JA農協は、自分たちにとって適正な相対価格を決めることはできなくなるからです。日本には、各銘柄米の値段を自由な売買で決める市場がJA農協の反対とこれを認めた農水省によって存在していないのです。

 

このことは裏を返せば、現在の相対価格は、需給で公正に価格が決定される水準ではないということでもあります。実際、相対価格は、JA農協が決定する概算金に大きな影響を受けます。

 

概算金とは、コメ価格形成に重要かつ独特な価格体系で、JA農協がその年の秋の収穫後に、農家に一時金として、支払われる仮払金をいいます。相対価格は、この概算金に、保管・運送・検査コストなどの流通経費や手数料などを上乗せしたものとなることから、JA農協が決定する概算金が、相対価格の水準をほぼ決定すると言っても過言ではありません。

 

ちなみに、JA農協が農家に払う概算金は、玄米60キログラム当たり通常の年では約1万2000円水準であるのに対して、2025年度産のコメの概算金は、主力銘柄で1等米60kgあたり2万6000円~3万3000円程度が中心で、前年産比では6~8割高と大幅に引き上げられています。

 

さらに、JA農協は、この高い米価(概算金)以上の価格を農家に払えない他の流通業者を、コメの集荷事業から排除しながら、市場の独占力を今も保持しています。

 

したがって、農水省が米価をコントロールできない理由に、鈴木大臣があげた「流通の世界は自由であるから」という主張は事実に反しますし、農水省は、できないどころか、コメの値段をコントロールしています。

 

日本では、市場メカニズムが機能して適正価格を形成できるマーケットは存在しないので、鈴木農相の「価格はマーケット(市場)で決まるものだ」は、「価格は、JA農協主導の相対取引で決まるものだ」と言っていることに等しいわけです。

 

コメの流通市場についての詳細については「コメの価格が決まる仕組み」を参照下さい。

 

元から、コメ価格を下げる気はない

結局、鈴木大臣の「需要に応じた生産が基本」、「価格はマーケットで決まるものだ」という発言は、今後も生産調整を続け、コメの高価格政策を続ける(高い米価を維持していく)と言っているのです。米価5キロ=4000円以上を、既成事実として、消費者に受け入れさせたいという鈴木大臣の真意が透けて見えます。

 

ただし、それでは、消費が困るというので、高い米価を受け入れてもらう代わりに、農水大臣がコメ高対策として打ち出しているのが、「おこめ券」の配布です。

 

 

③「おこめ券」の配布

 

鈴木農水大臣は、コメの高値が続くなか、「政府に今すぐできることは実際に消費者の皆さんの負担感を和らげる」ことして、おこめ券の配布を、物価高対策として、表明しました。

 

おこめ券とは?

政府は、自治体向けの「重点支援地方交付金」に2兆円を計上し、うち4000億円を食料品高騰に対応する特別枠として、おこめ券などの活用を促します。支援額は1人当たり3000円程度になる予定です。

 

農水省は、「おこめ券」の配布を各自治体に推奨していますが、実際に配布するかどうか、また、配布するにしても、誰を対象にするかは各自治体の判断に委ねられています。後者の場合、 たとえば、子育て世帯や低所得者世帯など、特定の対象者に限定して配布する場合もあります。

 

自治体から配布される「おこめ券」は、金券と同じで、特定のコメとの引換券ではありません。コメ500円/kgとされ、高いおコメを買えば、差額を負担する必要があります。

 

また、おこめ券以外に電子クーポンやプレミアム商品券、地域ポイントの配布、パン、麺、パスタなどの食料品の現物給付なども選べます(そうなると、おこめ券は石破茂内閣時代に検討された現金給付政策と何ら違いがないとの指摘もなされている)。

 

では、おこめ券は、本当に消費者の負担が和らぎ、物価対策になるのでしょうか?

 

おこめ券の効果

鈴木大臣は、おコメ券の配布を「国民の負担を和らげるため」の救済策と述べています。実際、おこめ券が配布され、今、たとえば、コメ500円/kgのおこめ券4枚を持つ消費者にとって、5キログラム当たり4200円のコメが、2200円で買えたことになります。

 

たしかに、おこめ券でコメを安くで買えて「助かった」と喜ばれるかもしれませんが、そもそも、これまで多額の減反補助金を通して、私たちは高いコメを長年、買わされて(負担を強いられて)きたという事実を忘れてはなりません。今回のおこめ券にかかる費用も財源は税金です。減反もおこめ券も負担するのは国民なのです。

 

また、おこめ券を使って、5キロ4200円のコメを買う人が増えるということは、需要の増加に伴い価格がさらに上昇し、消費者の負担も増えることにもつながりかねません。

 

しかも、おこめ券は、原則として1回限りの時限的な措置で、継続される政策ではありませんので、経済効果は限定的で、気休め程度です。したがって、物価高騰対策としてのおこめ券の配布は、一時しのぎになるだけで適切とは言えません。

 

うがった見方をすれば、国民に安くコメを買えると思わせて、下がらないコメの価格に対する不満を避けるための対策にみえてしまいます。

 

鈴木大臣と農水省の深慮

逆に、農水省の立場からいえば、おこめ券の配布によって、消費者に安くコメを供給することで、高い米価による需要の減少を抑制できる効果が期待できます。また、現在、高騰した新米は売れずに行き場を失い、JAや中間業者の倉庫は山積みになっていると言われていますが、おこめ券はそれらをさばくための対策になります。

 

そうすると、物価高対策としてのおこめ券は、米価を下げるのではなく、現在の高いコメの価格を維持しようとする鈴木大臣の目論見ではなかったのかとの疑いももたれます。

 

おこめ券の配布は、政府がコメを買い上げて配給するのとほぼ同じ構造であり、結果として、米価は高い水準のまま、コメ消費を無理に押し上げ、米価をさらに引き上げることにもなりかねません。

 

さらに、鈴木農相は、おこめ券に期限をつけると発表しましたが、これは、期限切れ後には市民が割高な米を購入せざるを得なくなるということを意味しています。

 

一方、おこめ券は、経費率が10%以上と高いことが指摘されています。具体的には、1枚500円のおこめ券では、440円分の コメしか買えず、差額の60円は印刷代、郵送、銀行振込みなどの費用として消えていきます。

 

大阪府交野市は、この経費率の高さなどを問題視し、おこめ券を「配布しない」と宣言しました。市長は、経費率0%の給食無償化、経費率1%の上下水道基本料金免除に使うとしています。

 

これに対して、鈴木農相は「おこめ券を使うか、使わないかは自治体の自由だ」とする一方で、「おこめ券の配布を含む食料品価格高騰対策は、市区町村に対応いただきたい『必須項目』として基本的には位置づけをされている」として、市区町村に対し事実上強制して実施してもらう考えを示しています。

 

今回の重点支援交付金のような交付金は本来、自治体が使い道を自由に決められるもので、国から自治体に交付金の利用を強制する権限はありませんが、全1741市区町村に対して対応を求めています。自身肝いりの「おこめ券」配布に、鈴木大臣の並々ならぬ意気込みが感じられます。

 

おこめ券の配布は、国民の負担を和らげるためになされると鈴木大臣は言いつつも、国民の負担(税金)で発行され、農家の収入を減らさずに、高い米価を維持するための政策手段となっています。

 

しかも、その恩恵を一番受けるのは、発行元である全農などの農業団体というカラクリがあります。

 

実際、「おこめ券」は、JA全農(全国農業協同組合連合会)と全米販(全国米穀販売事業共済協同組合)の2団体(それぞれ集荷業者と卸売業者の全国団体)が発行し、億単位の利益が転がり込むとされ、おこめ券の配布は、これを発行する農業団体への利益誘導との批判が噴出しています。

 

このように、付け焼き刃的なおこめ券の配布は、コメの高止まりを放置し、結果的に国民負担を増やすだけで、コメ問題の本質的な解決にはなりません。

 

 

◆ コメ問題の本質的な解決のために

 

令和のコメ騒動を含めた、すべてのコメ問題の元凶が、減反政策です。減反政策を止めなければ何も変わらず、コメ騒動は、政府が増産を後押ししなければ収まらないでしょう。

 

消費者にとっては減反廃止(増産)で、コメの値段が下がり、安い米が届くようになります。また、収穫量が増え、国内消費で余った分は、輸出に回せば、農家の所得を押しあげることができます。

 

もちろん、短期間に簡単に輸出を大幅に増やせるわけはないので、増産したら農家は潰れてしまうという指摘もあります。そのための対策として、米価下落の影響を受けた主業農家に対しては、財政出動による政府から直接支払いを交付する所得補填政策が最も効果的で確実とされています。

 

財源はどうする?という問いについては、専門家によれば、主業農家への直接支払いは1500億円と見積もられていますが、これまでの減反政策で、国民は納税者として、減反補助金3500億円を負担しているとされていることから、問題はないどころか、財政を好転させることもできます。

 

なお、コメ輸出の拡大については、以前の政権からずっと言われ続けた政策ですが、鈴木大臣も、所信表明演説で、コメ需要の拡大へ海外マーケットの開拓に意欲を表明しました。「私たちが認識を改めたほうがいいのは、今まで日本のコメは高くて海外に売ることができなかったという理屈だ」と述べ、日本産米の高付加価値を武器に輸出を拡大できる可能性を強調しました。

 

しかし、この発言も、高いコメを前提にしているところが問題です。減反政策をやめて、コメの価格が下がれば、もともと付加価値の高い日本の米を、安く海外に販売できるので、輸出を当然増えていきます。

 

石破政権では、この減反政策を名実ともやめて、増産に転じるという歴史的な決定を下しましたが、高市政権になって鈴木農相がすぐに撤回、減反(生産抑制)に回帰してしまったことはすでに指摘した通りです。

 

 

◆ このまま減反政策を続けたら…

 

では、政府がこのまま増産に舵を切らず、長年の減反政策を実質的に続けたいったらどなるでしょうか?

 

コメ農家が5年以内に全滅する!?

「コメの生産現場は、高齢化し、担い手を失い、困窮しきっている」という農家の疲弊が指摘されて久しいですが、こうなった原因は、今の農政にあります。

 

農家の平均年齢は70歳とされ、地域によっては「あと5年で米を作る人がいなくなる」と言われており、日本のコメ農家は、5年以内に激減し、多くの農村コミュニティが壊滅しかねません。長年の生産調整で、生産を減らせと言われれば、意欲のある若い担い手も育つわけはありません。

 

コメの自給率が下がる

このまま、高い米価が維持されれば、消費者のコメ離れすすむか、安い外国産の需要が増え(輸入米が増え)、現在95%近いコメの自給率さえ下げてしまいます。

 

実際、コメ不足が解消しないなら、輸入米でまかなえばよいという安易な主張がなされ、トランプ関税との絡みで、アメリカ産米の輸入が増えました。これは、稲作農家はさらに追い詰められて、やめる農家が続出することが懸念されます。

 

食料安全保障に悪影響

コメの自給率の低下は、食料安全保障に深刻な影響を与えます。現在の備蓄はおよそ100万トンとされ、これでは国民が食べられるのは、わずか1.5カ月分しかありません。

 

令和の米騒動では、日本はアメリカからの輸入米に頼りました。そもそも日本は多くの農産物を海外からの輸入に依存しています。主食である米まで輸入頼みになれば、もし供給が途絶えたとき、国民はたちまち飢えることになります。

 

安全保障環境が悪化しているなか、いまこそ、少なくともコメの備蓄を増やさないといけない時代背景があるにもかかわらず、目先の利益と既得権の維持に捉われて、減反政策を再び採用しようとしているのが鈴木農政です。

 

また、何より、農相から農業政策の大きなビジョンが示されていないことも問題です。おこめ券の配布に苦心するよりも、私たちが安心して食生活が営めるための農政の方向性をしっかりと示してもらいたいと思います。

 

自給率と食糧安保については以下の投稿記事も参照下さい。

急がれる食料安全保障政策の構築

日本の食料自給率を考える

 

 

◆ 高市政権の経済運営への影響

 

ここ数年、物価対策が最重要課題だとして、対策が求められていますが、昨今の物価高の象徴が食料品のなかのコメ価格で、消費者を最も苦しめています。

 

これに対して、鈴木農相はコメの高価格・減反路線を復帰させましたが、米価が下がらなければ、高市政権の物価高対策は、仮に食料品の消費税をゼロにしても、米価が高値を維持する限り、失敗する恐れがあると指摘されています。

 

そこで、物価高対策として、繰り返しますが、減反を止め、増産に切り替えることが望まれます。その結果、農家の所得が落ち込めば、農家への所得補償(直接払い)という形で、財政出動させるべきです。

 

高市首相は「積極財政」を掲げ、「日本が今行うべきことは、行き過ぎた緊縮財政により国力を衰退させることではなく、積極財政により国力を強くすることだ」と訴えました。

積極財政で、おカネを回すべきは、ここまで疲弊した農業に対してであり、コメの増産で国力を蓄えなければなりません。

 

もう何年も、農林水産省は、国民のために仕事をせずに、JA農協をはじめとする農政トライアングル(自民党内の族議員と、自民党の支持母体JA農協)の既得権のために仕事をしていると言われても否定できません。結果的にここまで日本の農業を疲弊させたのは、農水省の農政が間違っていたからです。

 

高市政権の経済運営の成功は、農政にかかっています。鈴木農政が、高市経済のアキレス腱にならないことを願うばかりです。

 

(追加)

2025年12月9日、農林水産省がコメ政策について「需要に応じた生産」を法律に盛り込む方針を固めたと報じられました。

 

これが意味することは、実質的に減反政策への復帰を法律に明記することによって、石破政権でやろうとしたような「コメの増産はさせない」、政権が代わっても減反の原則を転換させないということです。

 

さらに、「需要に応じた生産」を推進して米価が暴落しないよう調整していくことになるので、現在の高いコメ価格が、この水準で固定化されるということを意味します。

 

 

(関連投稿)

以下のサイトで、さまざまな農業問題について扱っています。ご関心があれば参照下さい。

日本の農業

 

(参照)

コメ、増産路線を修正 価格は市場任せに回帰 鈴木農相が方針

(2025年10月24日、食品新聞)

「米価と洋服は同じ」鈴木農水大臣の発言を食料安全保障の専門家が痛烈批判…「米の備蓄は国防費と同じ」

(2025/11/07 『女性自身』編集部)

高市政権の「農政復古」

(2025年11月12日、国基研ろんだん)

コメ高騰問題 古市憲寿氏「噓というかぎまんというか、ずるい発言」鈴木農相の「価格はマーケットで」発言を一刀両断

(2025/11/09  サンスポ)

お花畑の農業論にモノ申す

(2025年10月31日 Wedge Online)

〈検証〉鈴木憲和新農水大臣のコメ政策“転換”、「需要に応じた生産」「おこめ券」は妥当なのか

(渡辺好明・新潟食料農業大学名誉学長)

「令和の米騒動」が収まらない。国産米が消える日

(2025.10.27、文芸新書)

「おこめ券」でJAはボロ儲け? 国民から「いらない!」とブーイングでも鈴木農相が執着するワケ

(2025/11/30、日刊ゲンダイ)

やっぱり進次郎のほうがマシ…「コメの値下げは無理」と言い張る農水大臣に、高市首相が命じるべき「5つの策」

(2025/11/23  PRESIDENT Online)

進次郎農水大臣のほうがよっぽどマシ…高市政権に潜り込んだ「コメの値段を下げたくない農林族」の正体

(2025/10/25 PRESIDENT Online)

 

 

2025年11月18日

むらお政経塾「レムリア」で再スタート!

これまで、「むらおの歴史情報サイト『レムリア』」というHP名で、「これからの日本と世界を考えるためには、歴史を知らなければならない」という姿勢の下、「歴史情報」の発信を行ってきました。

 

まだまだ紹介取り上げたい内容はありますが、今回、いったん区切りをつけ、2025年11月11日より、「むらお政経塾『レムリア』」として再スタートしました。

 

そこで、これまで紹介した、さまざまな日本と世界の歴史や文化・宗教の知識などを土台にして、日本の政治経済について情報発信します。長年、蓄積してきた政治・経済に関する知識を、必要している人たちに出し渋ることなく公開し、あわせて、現在に至る自分の考え方や政治的スタンスを明らかにしていきます。

 

ただし、むらお政経塾「レムリア」は、「塾」といっても、現在は個人のHPです。ですから、塾生を募集して…、というわけではなく、インターネット空間において「学びの場」を提供すると同時に、自分の政治経済観を披歴するものです。本HP「リムリア」にアクセスされ、何かしらの学びを得ることができたなら、あなたはもし望めば「塾生」です。

 

HP運営に当たっては、ルールを守りながら、多くの方の知的欲求を満たし、政治的経済的な知見をお与えできるよう努力いたします。現状、私一人でHPを運営しているせいか、投稿記事に誤字・脱字等が散見され、推敲不足が否めませんが、少しずつ改善していきますので、よろしくお願いします。

 

HP全体像については、トップページの「レムリアについて」を参照下さい。

 

 

 

2025年10月26日

三笠宮家「内紛」の結果・・・

三笠宮家は、2024年11月に三笠宮妃百合子さまが101歳で薨去されてから、当主が不在となっていたなか、2025年9月30日、「*皇室経済会議」(議長・石破茂首相)が、宮内庁の特別会議室で開かれ、以下の2つの決定がなされました。

(1) 空席となっていた三笠宮家の当主について、孫の(あきこ)さま(彬子女王)が継がれること

(2) 彬子さまの母で、百合子さまの長男・寛仁親王妃・信子さまが、三笠宮家を離れ、独立して新たな宮家『三笠宮寛仁親王妃家(みかさのみや・ともひとしんのうひ・け)』を創設し、その宮家の当主となられること

 

これによって三笠宮家は、母娘で分断した形となりました。なお、彬子さまの妹の瑶子(ようこ)女王(41)は、姉が当主となる三笠宮家にそのまま残られます。

 

◆ 三笠宮家当主を彬子女王が継承

 

彬子さまは、三笠宮崇仁 (たかひと) 親王の長男で、「ヒゲの殿下」と親しまれた三笠宮寛仁(ともひと)親王の長女です。大正天皇の曾孫で、現在の天皇から見て「祖父の弟の孫である女王」ということになり、一般人なら「はとこ」「またいとこ」という関係性があります。

 

女性皇族が当主となるのは、当主を亡くした妃(きさき)が継ぐというのが通例です。実際、戦後の皇室では、高円宮妃だけでなく、秩父宮妃、高松宮妃、高円宮妃、三笠宮妃が、夫の宮さまがお亡くなりになったのち、臨時で当主になられています。

 

しかし、彬子さまのように、未婚(宮家で夫を亡くした妻以外)の女性皇族が、当主を継承するのは、明治憲法下の1889年に旧皇室典範が制定されて以降、今回は初めてです。

 

江戸時代にまで遡れば、仁孝天皇(在位1817〜1846)の第三皇女で、桂宮淑子(すみこ)内親王以来163年ぶりのことです。淑子内親王は、桂宮家を継いだ別の弟が亡くなり、当主不在となったことから、1863年に (旧) 桂宮家の第12代当主となりました。

 

宮家の継承とは祭祀を継ぐことを意味します。宮家当主(一般人でいう「世帯主」)は、法的な概念ではありませんが、その家の代表として祭祀を執り行う役割があります。今回の決定により、彬子女王は、独立生計を営む皇族と認定され、三笠宮家の当主として正式に宮家の名称と、その祭祀を「継承」されました。

 

もっとも、彬子さまはすでに、三笠宮ご夫妻(崇仁親王と百合子妃)と子の寛仁親王の祭祀を執り行っており、今回の決定で、その立場が法律に明文化された形です。さらに母の信子さまが独立したことで、彬子さまが、名実ともに「三笠宮家」を継ぐ存在となられました。

 

◆ 信子妃が独立し宮家を創設

 

今回、三笠宮家から独立した信子さまは、独立生計認定を受け、新たな宮家(三笠宮寛仁親王妃家)の当主となりましたが、信子妃のように結婚により民間から皇室に入った女性(皇族妃)が新たに家を創設するのは、明治時代の旧皇室典範施行(明治22年)以来、これも例のない初めてのことです。しかも、「親王妃家」という、まったく前例のない制度がつくられたわけです。

 

そもそも「三笠宮寛仁親王」という皇族は、現在存在していません。崇仁親王(三笠宮)の長男、「寛仁(ともひと)親王」は、生前、いずれ「三笠宮家」を継ぐことを考え、「寛仁親王家」という宮家を名乗られていました。したがって、「三笠宮寛仁親王妃家」という名称は、「三笠宮家から出た寛仁親王妃の家」という異例の構成となったのです。

 

ですから、厳密にいえば、信子妃殿下の新宮家、「三笠宮寛仁親王妃家」は、三笠宮家の分家であり、全く新しい宮家ではありません。新しい宮家であれば、天皇陛下から、秋篠宮や高円宮(たかまどのみや)のように「◯◯宮」という「宮号」を賜わりますが、宮内庁は、宮号はないと明らかにしています。

 

いずれにしても、新たな宮家ができるのは、1990年に秋篠宮家が創設されて以来35年ぶりのことです。これによって、これまで総数として「4宮家」(秋篠宮、常陸宮、三笠宮、高円宮)といっていたのが、これからは「5宮家」になります。

 

◆ 増額される皇族費

 

宮家において、誰が当主になるかは原則、家族の話し合いで決まり、その結論が皇室経済会議に諮られます。皇室経済会議が開かれる理由は、会議で独立生計者(当主)と認定され、宮家の当主になると国(国庫)から支払われる皇族費が増額されるためです。皇族費は身位や「当主かどうか」などに応じて、皇室経済法等に基づいて計算式が定められています。

 

今回の決定によって年間で支給される皇族費は、以下のように、彬子さまと信子さまは増額され、当主になられなかった瑶子さまは、これまでと同じ支給額となりました。

 

母・信子親王妃:1525万円⇒3050万円
姉・彬子女王:640.5万円⇒1067.5万円
妹・瑶子女王:640.5万円(変わらず)

 

もし、三笠宮家だけで存続する場合、すなわち、順当に信子妃が当主に就かれ、彬子さま・瑶子さまがその家の成員となった場合、3人に支払われる皇族費は計4331万円でしたが、今回は新当主が2人誕生することで計4758万円となり、427万円の増額となりました。

 

皇室経済会議の決定に対する国民の声

今回、7年ぶりに開催された皇室経済会議では、意見や質問はなく10分ほどで終了し、全員一致で、信子さまと彬子さまの独立生計を認定しました。

 

今回の決定をめぐっては、ご一家のこれまでの事情に鑑みれば、「やむを得なかった」という意見もありますが、「物価高で貧困が増えてるのに皇族に支払われる額は倍増し、国民の負担が増えることに、国民の理解は得られない」、「継がれる当主が決まったのはいいが、ご一家がひとつにまとまるのが通例、そもそも新しい宮家が必要なのか」といった声が聞かれました。

 

なかには、「親王妃家という前例のない宮家を立てるぐらいなら、信子妃は本来、皇籍離脱するのが筋であろう」、「寬仁親王(2012年死去)の生前から夫婦は事実上、離婚状態にあったのだから、皇族妃という立場を放棄すべきである」との厳しい意見も出されていました。

 

一連の決定について宮内庁側は、「宮家で話し合われた結果」、「内輪の話。承知していないし、承知したとしても説明を差し控える」と言うのみで、一世代飛ばして信子さまの長女彬子さまが継いだ理由や、信子さまが三笠宮家を離れた、具体的な理由については説明していません。

 

このように、彬子女王の宮家継承と信子妃の新宮家創設は、明治以降の皇室では前例のない「初めて尽くし」となり、結果的に、三笠宮家は分裂(分断)してしまいました。

 

こうなってしまった背景には、20年以上にも及ぶ、三笠宮家内における夫婦間の葛藤と、母娘の確執がありました・・・。

 

三笠宮家内の問題から、今回の決定が与える影響まで、続きは、以下の投稿議事を参照下さい。

三笠宮家の分断:彬子女王の継承と信子妃の独立

 

 

 

2025年09月12日

悠仁さま、40年ぶりの成年式、成年皇族に!

秋篠宮家の長男悠仁さまが成年を迎えたことを祝う「成年式」が、2025年9月6日、皇居・宮殿などで行われました。皇室の成年式は、男性皇族が成人したことを祝う慣例儀式で、成年皇族の仲間入りを祝う行事です

 

筑波大1年生でこの日に19歳となられた悠仁さまは、宮中の伝統を受け継いだ儀式に臨まれました。まず、秋篠宮邸で、成年用の冠を、天陛下の使者から受け取る、「(かんむり)を 賜(たま) うの儀」が執り行われ、その後、悠仁さまは、皇居・宮殿で未成年用の冠を成年用の冠に替える、成年式の中心儀式「加冠(かかん)の儀」に臨まれました。さらに、宮中三殿へ拝礼された後、天皇、皇后両陛下にあいさつする「朝見の儀」に出席されました。

 

成年式の儀式はここまでですが、関連行事はその後も続き、悠仁さまは、皇室の伝統として、8日に三重県の伊勢神宮と奈良県の神武天皇陵を、9日には東京・八王子市にある武蔵陵墓地の昭和天皇陵を参拝され、皇室の祖先に儀式(成年式)の終了を報告されました。10日には、東京 港区の明治記念館で、三権の長ら悠仁さまが通われた小中学校の関係者などおよそ30人を招いたお祝いの昼食会が行われ、一連の儀式や行事を終えられました。

 

悠仁さまの皇位継承順位は秋篠宮さまに次ぐ2位です。次世代の皇室を担う存在である悠仁さまの今後のご活躍が期待されます。また、こうした宮中祭祀を身近に接するにつれ、一人の国民として、男系による万世一系の皇室の存続と発展を願うばかりです。

 

なお、成年式についての詳細は、下の投稿記事に書きましたので、ご参照下さい。

成年式:男性皇族が成人したことを祝う儀式

 

また、ほかの宮中祭祀や宮中行事や、皇室についてさらに知りたい場合、以下のサイトにアクセスしてみて下さい。

宮中祭祀・宮中行事

日本の皇室

 

むらおの歴史情報サイト「レムリア」)

 

 

2025年09月10日

安保法制の成立から10年! 改めて日本の安保政策を考える

国論を二分した安倍政権による安保法制の成立 (2015年9月安全保障関連法成立)から今月で、ちょうど10年になります。ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルのガザ戦争など、昨今の不確実・不安定な国際情勢において、安保法制の制定は正しい選択だったのか、それとも、あの強引な国会審議は今も非難の対象なのでしょうか?

 

そうした問題も含めて、今ここで、改めて安保法制について問うとともに、戦後から現在まで、日本の外交・安全保障について、以下のテーマでまとめました。皆様の考える材料になれば幸いです。

 

総論

憲法9条と日本の安全保障

 

各論

日本の外交・安保史

日本をとりまく諸問題

日本のODA外交

 

トピック

今、改めて問う 安保法制とは何だったのか?

 

 

 

 

2025年08月30日

今、改めて、旧モンサント社の功罪を問う

昨日、『日本の農業  その現実と未来』をテーマに、日本の農業についてまとめたものを公表しました。令和のコメ騒動に揺れる日本ですが、コメの供給に頭が一杯で、安全性の議論がなおざりになっているようです。そこで改めて、遺伝子組み換え(GM)種子メーカーの世界最大手、モンサント(現バイエルン)に焦点を当て、

 

『モンサント 遺伝子組換え(GM)種子で世界を一つに!?』

 

と題して、遺伝子組み換え市場について深堀りすると同時に、旧モンサント社の功罪と、現在の世界のGM市場についてまとめました(上赤字タイトルをクリックしてお読みください)。

 

なお、今回の投稿は、拙著「日本人が知らなかったアメリカの謎」の中の「モンサント ―遺伝子組み換え種子で、世界を支配!?その目的は何?―」を加筆校正したものです。

 

 

 

2025年08月29日

日本の農業を考える 「令和のコメ騒動」の背景と今後

「令和の米騒動」に日本中がコメ価格に翻弄されるなか、日本の農業について真剣に考えてみました。そこで、「日本の農業、その現実と未来」と題して、「農政」、「食料安保」、「食の安全」の3テーマ毎に、日本の農業の現状、問題点などを総合的かつ体系的にまとめてみました。

 

<農政>

農協(JA)とは、どういう組織なのか?

コメの価格が決まる仕組み

農政のトライアングル 農政の失敗の元凶!?

やめられない減反政策

農業人口の減少と企業参入

 

<食料安保>

急がれる食料安全保障政策の構築

日本の食料自給率を考える

種子法の復活を!

 

<食の安全>

「農薬大国」日本の実態

「食品添加物大国」日本の実態

食品添加物の「無添加・不使用」表示が消える!?

問われ続ける遺伝子組換えの安全性

日本の遺伝子組み換え (GM) 事情

消えていく?遺伝子組み換えでない」表示

ゲノム編集の静かな脅威

進むゲノム編集技術の現在地点:CRISPR-Cas9

理想の農業!有機農法や自然農法…

 

 

 

 

 

2025年05月20日

第267代ローマ教皇にレオ14世就任

2025年5月8日、カトリック教会の最高指導者、ローマ教皇を決める選挙「コンクラーベ(教皇選挙)」の結果、アメリカのロバート・フランシス・プレボスト枢機卿(69)が、第267代の教皇に選出、同時にレオ14世を名乗ることが発表されました。

 

5月18日には、レオ14世の教皇職の開始(ペトロの後継者としての任務開始)を祝うミサが、バチカンの聖ペトロ広場でとり行われ、新教皇は「憎しみと暴力、偏見や異なるものへの恐れによって傷ついた世界に、愛と結束もって答えたい」と、平和な世界の実現に貢献する決意を示しました

 

ローマカトリック教会の約2000年の歴史で、アメリカ出身の教皇が誕生するのは、初めてのことです。これまで、カトリック教会は、世界の超大国・米国と親密な関係にあるように映ることを警戒し、アメリカ人が教皇になることはないという暗黙の了解がありましたが、今回、その常識が覆されました。

 

今回のコンクラーベは、投票権を持つ枢機卿133人が世界各地から集まっていて、はじめてヨーロッパ以外の出身者が過半数を占めていました。そのため、複数の国や地域から、支持を集める人でなければ、教皇になるのは難しかったと見られ、新教皇の出自や多様な経歴が票を集めたとみられています。

 

実際、コンクラーベで、枢機卿133人の3分の2以上に当たる89票を獲得しており、中道派と保守派の枢機卿たちから支持されたということを意味しています。

 

レオ14世は、アメリカ出身でありながら、20年近くペルーで宣教活動し、ペルーの市民権も保持しています(国籍取得は2015年)。また血筋をたどればスペイン、フランス、イタリアにもルーツを持つとされています。アルゼンチン出身のフランシスコ前教皇に続き、南米にゆかりのある人物が選ばれた形です。

 

レオ14世は、2023年、フランシスコ前教皇に招かれ、司教候補者の審査(司教の選出)を担当する司教省長官に就任し、枢機卿にも任命されました。

 

新教皇は、教会内の改革派と保守派の対立、フランシスコの改革路線を継承するかといった難題に直面することになります。

 

これまで、女性の役割やLGBT(性的少数者)など教会内で最も分裂する問題については公の場でほとんど発言していない反面、司教省長官として、進歩的な司教たちを誕生させてきました。

 

また、選出後に卿が選んだ教皇名は、カトリックの長年の歴史が詰まった伝統のある名前「レオ」だったことに保守派は安堵した

 

アメリカのカトリック教徒は、伝統主義のカトリック教徒が多く、特にフランシスコ前教皇の反対勢力の拠点だったとも指摘されています。彼らは、今回のコンクラーベにおいて、フランシスコ改革を抑制し、覆すような保守派の教皇が選出されることを切望していたと言われるなかで、アメリカ人のレオ14世に対する期待は大きいようです。

 

トランプ大統領は、アメリカ人初のローマ教皇が誕生したことを受け、「アメリカにとって大きな栄誉」と称えました。

 

ただし、前教皇との関係はぎくしゃくしていました。フランシスコ教皇が、2016年米大統領選でメキシコ国境に壁をつくると公約したトランプを「橋を架けることを考えずに壁をつくる人はキリスト教徒ではない」と批判したことに対して、トランプ大統領は「バチカンが過激派組織ISに攻撃されたらISの戦利品になるだろう」と応じた経緯があります。

 

(関連投稿)

カトリック教会:ローマ教皇とバチカン

レオという名のローマ教皇

ローマ教皇フランシスコの死:その足跡をたどる

 

 

(参照)

新ローマ教皇にレオ14世 アメリカ出身のプレボスト枢機卿 選出

(2025年5月9日、NHK)

レオ14世、ペトロの後継者としての任務開始を記念するミサ

(2025.5.18、ヴァチカンニュース)

「米国人が教皇になることはない」との常識を覆したコンクラーベ、改革派の新教皇が「レオ14世」の名に込めた決意

(2025/5/12、JBpress)

 

 

 

2025年05月04日

憲法記念日に、改憲について考えてみた!

昨日、5月3日は憲法記念日。毎年のように、改憲派と護憲派がそれぞれ集会を開き、テレビやネットでは、両派が意見を交わす討論番組が放映されたり、主張動画が配信されたりしていました。

 

私は護憲派から改憲派に変わりました。憲法記念日をきっかけに、今年は、憲法改正について考えてみました。少なくとも次の内容について、改憲・加憲の必要性を訴えたいと思っています。

 

天皇は国家元首

あらゆる主権国家には国家元首が当然存在しますが、現憲法に、国家元首についての規定はありません。日本では、疑いもなく天皇です。

 

憲法9条2項の改正

憲法9条1項は堅持。日本は、侵略戦争はしないという戦後の決意は決して変わらず、平和憲法の看板を下ろしません。しかし、2項については、国民の命と財産が危険にさらされる事態が生じたとき場合、「…戦力は、これを保持する。交戦権は、国と郷土を守るために、これを認める」と改正されるべきだと考えます。さらに、自衛隊は、有事の際、軍隊になるという条項が加えるべきでしょう。

 

緊急事態条項を明記

これも、世界の憲法の中には通常、規定されている条項です。コロナ禍において、その必要性を痛感しました。

 

平時の財政均衡条項

財政を均衡させておくことは、国内外の信頼を得る手段であり、国民に安心して、生活してもらう前提条件です。ただし、平時でない時は、積極財政を行うという意味もあります。

 

この4項目については、憲法改正:不毛の違憲論争に終止符を! で詳細に論じています。

 

また、日本国憲法は、アメリカの押し付け憲法か自主憲法かという議論がありますが、本レムリアでは、日本国憲法の全条文がどのように作られたかを、「知られざる日本国憲法の成り立ち」と題して、まとめてあります。ご興味があればぜひ、ご参照下さい。

 

日本国憲法の制定:わずか9日間で書けたわけ

 

上諭・前文

日本国憲法(上諭・前文):8月革命説と美濃部の抵抗

 

第1章 天皇

日本国憲法1~8条(天皇):戦前の天皇制はいかに解体されたか?

 

第2章 戦争放棄

日本国憲法9条(戦争放棄):マッカーサー3原則と芦田修正

 

第3章 国民の権利及び義務

日本国憲法11・12条(人権の基本原則):米独立宣言と仏人権宣言の写しか?

日本国憲法13条(幸福追求権):出所はアメリカ独立宣言!

日本国憲法14条(法の下の平等):アメリカ独立宣言の賜物?

日本国憲法15条(参政権):ワイマール憲法から世界人権宣言へ

日本国憲法18条(奴隷的拘束からの自由):日本には奴隷はいなかったのに…

日本国憲法20条(信教の自由):ワイマール憲法からの誘い

日本国憲法21条(表現の自由):たたき台はワイマール憲法!?

日本国憲法22条(居住移転の自由):外国移住の権利、日本に必要だった?

日本国憲法23条(学問の自由):ワイマール憲法を起源に!?

日本国憲法24条(婚姻の自由と両性の平等):ソ連からのメッセージ?

日本国憲法25条(生存権):日本人が書いた稀有な条文

日本国憲法27・28条(労働基本権):スターリン憲法が日本へ!?

日本国憲法29条(財産権):GHQによる土地国有化の試み!?

日本国憲法31条(適正手続きの保障):合衆国憲法修正第5条の写し?

日本国憲法33~35条(被疑者の権利):憲法には詳細過ぎる?

日本国憲法36~40条(被告人の権利等):合衆国憲法(英米法)の影響大!

 

第4章 国会

日本国憲法41~48条(国会の仕組み):GHQは一院制の国会を要求!

日本国憲法49~51条(国会議員の特権):合衆国憲法に書かれていたから

日本国憲法55~58条(国会の権能):合衆国憲法第1章第5条と同じ!

日本国憲法62~64条(国政調査権等):米政府 (SWNCC) の圧力

 

第5章 内閣

日本国憲法65~73条(内閣):GHQが課した議院内閣制、天皇大権の完全否定

 

第6章 司法

日本国憲法76条(司法権の独立):特別裁判所は認めない!

日本国憲法77~80条(裁判官の独立):報酬減額不可にこだわったGHQ!?

日本国憲法81条(違憲審査権):議会より司法を信頼したアメリカ製

 

第7章 財政

日本国憲法83~86条(財政予算):意外と妥協したGHQ!?

日本国憲法88条(皇室経費):妥協を拒否したGHQ!

日本国憲法89条(公金支出の制限):照準は国家神道!

日本国憲法(財政):GHQが消した幻の憲法草案

 

第8章 地方自治

日本国憲法92~95条(地方自治):GHQの意に反して……?

 

第9章 改正

日本国憲法96条(改正):改正させないGHQの深慮は働いたか?

 

第10章 最高法規

日本国憲法97~99条(最高法規):合衆国憲法の精神満載!

 

 

 

2025年04月23日

ローマ教皇フランシスコの死:その足跡をたどる

ローマ・カトリック教会の第266代教皇フランシスコが、2025年4月21日、亡くなりました。88歳でした。

 

フランシスコ教皇は、アルゼンチン出身で、2013年3月、中南米出身者として(南北アメリカ大陸および南半球から)初めて教皇に選ばれました。欧州以外で生まれて教皇になったのは、シリアで生まれて741年に亡くなったグレゴリウス3世以来、約1300年ぶりのことでした。また、イエズス会の神父としても、初の教皇であったことも話題となりました。

 

さらに、前教皇のベネディクト16世が、2013年2月、高齢を理由に生前退位を表明したことを受けての即位となりました。教皇が自主的に退位するのは、約600年ぶりのことでした。ベネディクト16世は、名誉教皇として、バチカンにいたため、2022年12月に亡くなるまでの10年近く、「2人の教皇」が存在していたことになります。

 

 

◆ フランシスコ教皇の誕生まで

 

フランシスコ教皇は、1936年12月、ムッソリーニのファシスト政権から逃れるため、1929年にイタリアからアルゼンチンに移住した両親の長男として、首都ブエノスアイレスで生まれました。名前はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。

 

神学校・イエズス会

ベルゴリオは工業高校で化学を学び、卒業前にはナイトクラブの用心棒や清掃係として働いたそうです。そんなベルゴリオは、20歳の頃に聖職者の道を志し、1955年から神学校に入りました。その後、1958年に、宣教師フランシスコ・ザビエルらが創設した修道会、イエズス会に入り、哲学を学び、やがて文学と心理学を教えていました。

 

ブエノスアイレスでの宣教

その10年後に司祭として叙階されると、速やかに昇進し、1973年にアルゼンチン管区長に就任しました。聖職者としてほとんどの期間を故郷のアルゼンチンで過ごしたベルゴリオ管区長は、貧しい地区での活動に力を入れ、ブエノスアイレスのスラム街で人身売買の被害者や低賃金の労働者を支援していたと言われています。、

 

一方、第二次世界大戦後アルゼンチンでは、1983年まで軍政が断続的に続きました。とりわけ、1976年から1983年にかけて、何千人もの人が拷問を受けたり、殺害されたりした、いわゆるアルゼンチンの「汚い戦争」状態にありました。その際、ベルゴリオ司祭(フランシスコ教皇)は、軍事政権に対抗することに十分努力しなかったこと、たとえば、軍によって二人の神父が誘拐された事件では、救済に尽力しなかったと一部から批判されたこともありました。

 

それでも、信者や地域社会を支える活動を続け、1992年、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世から、ブエノスアイレス補佐司教に、また、1998年にブエノスアイレス大司教に任命されました。さらに、2001年には枢機卿となり、カトリック教会の行政を担う教皇庁でさまざまな役職に就きました。

 

教皇に選出

ベルゴリオ枢機卿は、2005年に教皇就任を初めて志し、2013年3月に、ローマ教皇に選出されました。その際、教皇として、貧しい人のために尽くした中世のイタリアの聖人「フランシスコ」の名前を選び、貧しい人たちのための教会を目指す考えを示しました。

 

また、これまでの前任者が住んだ使徒宮殿内の華美な住居を利用せず、「精神的な健康」のために共同生活を送る方が良いと述べていたと伝えられています。

 

◆ 教会改革

 

教皇としては異例なその経歴が、ヴァチカンを刷新できるのではないかとも期待されたフランシスコ教皇は、マフィアの資金洗浄疑惑が指摘されたバチカン銀行に調査のメスを入れ、聖職者による児童への性的虐待問題でも外部有識者を含めた委員会を作るなど、カトリック教会の改革を進め、教会の秩序回復に努めました。

 

その一方で、教会がタブーとする同性婚や人工妊娠中絶、離婚などの社会問題では、比較的寛容な姿勢を見せ、「開かれた教会」を目指しましたが、保守派から伝統を破壊したと非難にされ、さらなる改革を求める進歩派からも不十分との批判を受けたときもありました。

 

◆ 地球規模の問題解決に向けて

 

そうした中でも、在任中、世界的に貧富の差が拡大しているとして格差の解消を訴えたほか、難民や移民の保護や気候変動への対応を呼びかけるなど、地球規模の課題解決に向けて積極的に発信してきました。

 

このうち核兵器をめぐっては2017年、バチカンは国家としていち早く核兵器禁止条約を批准しました。フラシスコ教皇は、核兵器の使用に加えて、開発も保有も一切禁止すべきだという歴代の教皇よりも踏み込んだ姿勢を打ち出しました。

 

長崎・広島訪問

2019年にはローマ教皇として38年ぶりに来日し、被爆地・長崎と広島を訪問、広島から発信したメッセージでは、「核兵器は使うことも持つことも倫理に反する」と述べ、核兵器は使用にとどまらず、保有についても「倫理に反する」と踏み込み、核兵器の廃絶を強く訴えました。

 

 

◆ 紛争の平和的解決と宗教間対話

 

さらに、在位12年間に約60か国・地域を訪れたフラシスコ教皇は、各地で続く紛争の平和的な解決を求めただけでなく、宗教間の対話にも力を尽くしました。

 

アメリカ・キューバ

地域紛争の平和的解決のために、フラシスコ教皇は、スペイン語を話すラテンアメリカ出身者として、2014年、アメリカ政府がキューバとの歴史的な和解に歩み寄った際に、国交正常化交渉の開始に向けた動きを仲介し、翌年の国交回復に貢献しました。

 

パレスチナ

また、2014年に、イスラエルのシモン・ペレス大統領とパレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長をバチカンに招き、共に平和のために祈る場を設け、3人で祈りを捧げました。

 

東方正教会

2013年3月にバチカン市国のサンピエトロ広場で開かれたフランシスコ新教皇の就任ミサに、1054年の大分裂以来初めて、東方正教会の主座であるコンスタンティノープル総主教庁のバルトロメオ1世総主教が参加しました。

 

また、2016年2月、フランシスコ教皇は、東方正教会の最大勢力であるロシア正教会のキリル総主教と、キューバの首都ハバナで歴史的な会談を行いました。東西のキリスト教会トップが会談するのは約1000年ぶりのことで、会談後、両者は「乗り越えるべき多くの障害が残っていることは認識しているが、今回の会談が、神の望まれる東西教会再統一に寄与することを願う」との合同宣言に署名しました。

 

ロシアによるウクライナ侵略では、フランシスコ教皇は、2022年3月、自らがキリル総主教とオンライン会議システム「Zoom」を通じて、話し合いを行い、仲介を模索しました。しかし、プーチンの戦争を支持したキリル総主教を、フランシスコ教皇が「プーチンの侍者になるな」と諫めたとされ、両者の関係は致命的に悪化しました。同年6月に予定されていたエルサレムでの2回目の対面会談も、その場で延期となりました。

 

プロテスタント

一方、教皇は、プロテスタントのルーテル派やメソジスト派と対話を持ち、分裂したキリスト教諸教派の一致を目指すエキュメニカルな活動を継続しました。

 

2016年10月、訪問先のスウェーデン・ルンドでルター派(ルーテル教会)の関係者と共にエキュメニカルな祈りの集いに参加、共同の祈りを捧げ、ルーテル世界連盟(LWF)の代表者らと会談した。この行事は、マルチン・ルターが1517年、宗教改革のきっかけとなった「95ヶ条の論題」を発表して500年を、また、同時に、カトリック教会とルター派の対話が1967年に開始されて以来、50年を、それぞれ記念するものでした。

ルーテル世界連盟(LWF)の使節は、2021年6月と2024年6月にも、バチカンを訪問しています。

 

また、フランシスコ教皇は、2017年10月、メソジスト教会とカトリック教会との間でエキュメニカルな対話が始まってから、50年を迎えたことを記念して、バチカンを訪問した世界メソジスト協議会(WMC)の指導者らと会談しました。両教会は、1967年に「メソジスト=ローマ・カトリック国際委員会」を設置して以来、対話のための重要な協力関係を維持しています。

 

 

◆ アジア外交と中国

 

フランシスコ教皇は、約12年の在任中、カトリック教会の信者が比較的少ないアジアや中東なども積極的に訪れ、和平外交を推進しました。

 

アジア外交においては、国境を越えた「人道主義」を強く打ち出しました。即位翌年の2014年、韓国を訪れて「平和のためのミサ」を行い、朝鮮半島の和解を促しました2017年には、ミャンマーに続いて、バングラデシュを訪問した際には、同国に逃れたイスラム教徒少数民族ロヒンギャの難民と面会し、ミャンマーによる迫害に警鐘を鳴らしました。

 

また、フランシスコ教皇は、特に、これまで外交関係のなかった中国との関係改善に強い意欲を示しました。2018年には、司教任命権をめぐり、歴史的な暫定合意を締結しました。

 

中国には推計1200万人のカトリック教徒がいるとされるなか、これまで、バチカンは中国の「政府公認教会」を認めず、中国側が独自に、中国国内のカトリック教会の司教を任命すると破門で応じてきました。暫定合意は非公開のままで、司教任命に際して双方の役割を認める内容とされています。

 

バチカン側が暫定合意で妥協を受け入れたとみられ、中国との関係改善の足掛かりをつくることを優先したものと解れています。しかし、カトリック教徒弾圧が続く中での対中接近には、宗教への介入を強める中国政府に譲歩した結果だとして批判の声も強く上がりました。これによって、中国がバチカンの「お墨付き」を盾に、信者に絶対服従を迫るという懸念がでています。

 

 

◆ 教皇とイエズス会

 

前述したように、フランシスコ教皇は、イエズス会出身の初めての教皇です。教皇のアジア外交は、おひざ元の西欧でキリスト教徒人口が減少する中、新たな地平を開こうとするものでしたが、教皇が、アジア布教の歴史を持つイエズス会出身だったことが大きいとみられています。

 

イエズス会は、1540年、元兵士イグナチオ・デ・ロヨラが教皇パウルス三世の承認を得て創設し、16世紀に日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルで知られています。フランシスコ教皇は特に、17世紀に中国・明朝に仕え、東西文化の懸け橋となったイエズス会の宣教師マテオ・リッチに敬意を抱いていたと言われています。

 

解放の神学

1960年代後半、カトリック教会内で、「キリスト教は貧しい人々の解放のための宗教である」とみなす「解放の神学」が中南米を中心にして支持を広げ、共産主義にも接近していきました。

 

解放の神学は、不正打倒を目的に、キリスト教の思想とマルクス主義社会学を統合した政治勢力ともなり、イエズス会はこの運動を積極的に支えたのです。1970年代に入ると、右派独裁のアルゼンチンなど中南米の軍政と対峙し、イエズス会の聖職者たちは、左翼活動家と共闘するなど、体制批判の尖兵になりました。

 

こうした背景で、ヨーロッパ出身の歴代教皇は無神論を掲げる共産主義を「悪魔」と忌避していたことから、イエズス会は長い間、バチカンから批判的な目で見られていました。共産圏のポーランド出身で「反共」のヨハネ・パウロ2世は、イエズス会を毛嫌いしていたことは有名です。

 

イエズス会と共産主義の関係については明らかではありませんが、ロシア正教会のキリル総主教は、元KGBの諜報員で、「マルクス主義的な汚染」を任務としたされ、解放の神学の「浸透」に貢献したと言われています。

 

いずれにしても、フランスコ教皇は、司祭・枢機卿の時代から、解放の神学に与することはなかったと見られています。むしろ、イエズス会の中には、フランスコ教皇が司祭の時代から「解放の神学」にあまり興味を持っていないと批判する人たちもいたそうです。

 

しかし、フランシスコ教皇の改革志向は、イエズス会の伝統の延長線上にあり、教皇が共産主義の中国に拒否感を抱かなかったのは、中南米出身だったことと無縁ではなかったと指摘されています。フランシスコ教皇は、司教任命権をめぐって、ベトナムとも和解を進めていました。

 

中南米出身者として初めての教皇、イエズス会の神父として初の教皇…など初物ずくめのローマ教皇フランスコは、多様性の時代の象徴的な教皇であったと言えるかもしれません。

 

 

<関連投稿>

第267代ローマ教皇にレオ14世就任

レオという名のローマ教皇

 

カトリック教会:ローマ教皇とバチカン

ロシア正教会とウクライナ正教会:もう一つの戦争

キリスト教(カトリック、プロテスタント、正教会)

 

 

<参照>

フランシスコ教皇死去 ローマ教皇庁 2019年訪日 核廃絶訴え

(2025. 4.22  NHK)

教皇フランシスコ死去 南米からヴァチカンへ……カトリック教会を変えた伝統的な教皇 (2025.422 BBC)

ローマ教皇フランシスコ死去…同性婚・人工妊娠中絶に比較的寛容な姿勢、「開かれた教会」目指す

(2025/04/21 読売オンライン)

ローマ教皇フランシスコ死去 88歳 イエズス会出身初の教皇、その改革と逸話、そして“知の騎士団”の実像

(2025.04.21 coki)

評伝・ローマ教皇フランシスコ アジアで人道外交 中国共産党との「和解」で是非論も

(2025/4/21 産経)

ローマ教皇、ロシア正教会トップを叱責 プーチン氏の「侍者になるな」

(2022.05.08 CNN)

ローマ教皇フランシスコ死去、脳卒中と心不全で 初の中南米出身者

(2025・4・22 ロイター)

教皇がスウェーデン訪問、ルーテル教会代表らとエキュメニカルな祈り

(2016. 10. 31 バチカン放送)

 

むらおの歴史情報サイト「レムリア」

 

 

 

2025年04月18日

こんなにもある宮中祭祀をもっと身近に!

本HP 「むらおの歴史情報サイト『レムリア』」では、皇室についての情報を「日本の皇室」というテーマでお届けしていますが、その中の「宮中祭祀・宮中行事」について、これまで未筆の祭祀がありましたが、本日、一通り完成しました。

 

天皇陛下は、年間、これだけの祭祀をなされ、私たち国民のために、国の繁栄と世界の安寧の「祈り」を捧げていらっしゃるのですね。ご関心の祭祀があれば、またさらに皇室についてお知りになりたければ、赤字をクリックしてご覧ください。

 

宮中祭祀

1月1日   四方拝:元旦早朝の神秘な儀式
1月1日   歳旦祭:四方拝に続く陛下の初詣
1月3日   元始祭:天孫降臨と皇位を祝う!
1月4日   奏事始:伊勢からの報告
1月7日   昭和天皇祭:先帝祭として厳かに
1月中頃   歌会始の儀:奥ゆかしき宮中行事
1月30日  孝明天皇例祭:先帝以前三代の例祭の一つ
2月11日  紀元節祭:神武天皇の即位を祝って…
2月17日  祈年祭:五穀豊穣と国民の繁栄を…
2月23日  天長祭:天皇誕生日、かつての天長節
春分の日   春季皇霊祭・春季神殿祭:春分の日の宮中祭祀
4月3日   神武天皇祭・皇霊殿御神楽:皇居と橿原の地にて
6月16日  香淳皇后例祭:昭和天皇の皇后さまを偲んで
6月30日  節折の儀・大祓の儀:陛下と国民のためのお祓いの行事
7月30日  明治天皇例祭:先帝以前三代の例祭の一つ
秋分の日   秋季皇霊祭・秋季神殿祭:秋分の日の宮中祭祀
10月17日 神嘗祭:五穀豊穣を伊勢神宮に向けて感謝
11月23日 新嘗祭:五穀豊穣を宮中にて感謝
12月中旬  神話賢所御神楽:起源は「天の岩戸」神話」
12月25日 大正天皇例祭:先帝以前三代の例祭の一つ
12月31日 節折の儀・大祓の儀:陛下と国民のためのお祓いの行事

 

(関連サイト)

日本の皇室

 

 

 

 

2025年04月16日

湾岸の首長国、カタールとUAEはこんな国!

中東の湾岸諸国の中から、リサーチの途中であった、アラブ首長国連邦(UAE)とカタールについてまとめました。この2か国を最初にとりあげた理由は、私自身が、UAEのドバイとカタール(ドーハ)を訪れたことがあるからです。その時の体験を思い出しながら、作業を進めました。

 

アラブ首長国連邦(UAE)

「アラブ首長国連邦」ってこんな国!

アラブ首長国連邦の歴史:石油が押し上げた海賊海岸

ドバイ:驚異の発展とその歴史

 

カタール国

カタール」ってこんな国!

カタールの歴史:サーニー家による統治

日本も学びたい!カタールの仲介外交

 

もっと、中東地域の国々を学びたければ…

イスラエル

パレスチナ

 

 

 

2025年04月05日

プーチンの侵攻から3年:改めてロシアとウクライナを学ぼう!

ロシアがウクライナに侵攻して3年が過ぎました。そもそもこの戦争は、ロシア大統領プーチンが、一方的にウクライナに侵攻したものです。なぜ、明らかに国際法に違反し、国際社会を敵に回すような非理性的・非合理的な行動をとったのか?その原因を探るために、ロシアとウクライナの歴史に遡って考えてみようと思いたち、両国について調べてみました。

 

当初、2カ月を予定していましたが、次から次に関心事が増え、スタートから5カ月近くたった本日、ようやく、以下のようなリサーチの成果を公開することができました。明確な答えがでたわけではありませんが、何かしらのヒントを得られたのではないかと思います。同じようにロシア・ウクライナ戦争にご関心の皆さまの資料の一つに採用されれば幸いです。

 

<ロシアの歴史>

ロシア史①:キエフ・ルーシとモスクワ大公国

ロシア史②:ツァーリとロシア帝国

ロシア史③:ロシア革命とソ連

ロシア史④:冷戦とソ連崩壊

ロシア史⑤:エリツィンとオリガルヒ

ロシア史⑥:プーチンの独裁国家

 

<ウクライナの歴史>

ウクライナ史➀:ルーシのキエフ大公国

ウクライナ史②:リトアニア・ポーランド・ロシア支配

ウクライナ史③:独立の失敗とソ連編入

ウクライナ史④:ソ連からの独立とロシアの侵攻

 

<ロシア・ウクライナ戦争を考える>

スラブ民族:ロシア人とウクライナ人の起源

ロシア・ウクライナ関係史:ルーシーの歴史的一体性

プーチンの歴史観:ルーシキー・ミール

ウクライナ侵攻:ロシアがNATOこだわるわけ

ロシア正教会とウクライナ正教会:もう一つの戦争

 

なお、ウクライナの首都は現在キーウですが、最近までキエフと表記でした。歴史の中にでてくる場合はキエフ、現在のウクライナの記述においてキーウでの表記を多用しています。ロシアのプーチン大統領については、失礼ながら敬称略で記載しています。

 

むらおの歴史情報サイト「レムリア」

 

 

 

 

2024年11月20日

ギリシャ神話:西洋の精神・思想、文化・芸術の脊柱

オリンピックの年、古代オリンピックについて投稿したことを皮切りに、ギリシャという国について、またその歴史について調べていくうちに、その関心はギリシャ神話にまで及んでいきました。

 

ギリシャ神話を学ぶことは、西欧の思想(世界観)・歴史・文芸・宗教の理解に不可欠です。またキリスト教とともに西欧の人々の精神的支柱となりました。実際、欧米の映画やアニメなどの作品の元ネタにもなっていることがわかりました。

 

ギリシャ神話は膨大で、すべてを語ることはできませんが、本HPレムリアでは主要なギリシャ神話について、以下のようにまとめてみました。これらの中には、古事記や日本書記の神話に類似の物語や、大人気アニメ「ワンピース」のストーリーにつながるような寓話など、新しい発見もありました。

 

<ギリシャ神話シリーズ>

ギリシャ神話 (総論):ガイアから始まる神々の系譜

ギリシャ神話①:世界の起源カオスと人間の創造

ギリシャ神話②:ゼウスらオリンポス12神の顔ぶれ

ギリシャ神話③:最高神ゼウス 天上の支配と繁栄

ギリシャ神話④:ポセイドン 海と大地の支配者

ギリシャ神話⑤: アポロン デルポイ神託と月桂樹の冠

ギリシャ神話⑥:英雄ヘラクレスと「十二の功業」

ギリシャ神話⑦:英雄アキレウスの活躍と死

ギリシャ神話⑧:英雄オデュッセウスの活躍と試練

ギリシャ神話⑨:トロイア戦争 ゼウスの手のひらで

ギリシャ神話⑩:密儀宗教・エレウシスの秘儀

ギリシャ神話⑪:ディオニソスとその秘儀

ギリシャ神話⑫:オルペウス教とその秘儀

 

 

<関連投稿>

古代オリンピック:ゼウスの神域・オリンピアの祭典

ギリシャ:西洋文明発祥の地の到達点

ギリシャ王室:かつてギリシャにも王がいた!

ギリシャ史 (古代):エーゲ文明からローマ支配まで

ギリシャ史 (近現代):独立戦争から王政崩壊まで

 

 

 

 

 

 

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