天皇陛下のお正月:四方拝から奏事始まで

天皇陛下は、1月1日の午前5時半から激務をこなされます。天皇陛下のお正月はいかなるものなのでしょうか?天皇陛下がなされる年間80を超えるとされる宮中祭祀や、国事行為・公的行為のうち1月1日から4日までを紹介します。

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<1月1日>

 四方拝

天皇陛下は、早朝5時30分に、皇居の神嘉殿南庭で、伊勢神宮,歴代天皇が眠る山陵、四方(東南西北)の神々をご遙拝(拝礼)される年中最初の宮中祭祀、四方拝に臨まれます。

 

 歳旦祭

四方拝に続き、天皇陛下は、5時40分から、宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)で、そこにそれぞれ祀られている皇祖・天照大神や、八百万の神々(天神地祇)、歴代天皇・皇后・皇族の霊(皇霊)に対し拝礼されます。宮中三殿で行われる年始の祭典です。

 

(なお、四方拝についての詳細は、「四方拝:元旦早朝の神秘な儀式」を参照下さい。)

 

四方拝と歳旦祭の後、朝食をとられます。天皇陛下がとられる朝食は、「御祝先付の御膳」と呼ばれる料理です。「本膳で小串鰤焼き、浅々大根(大根の塩漬け)、菱葩というお餅。二の膳で割伊勢海老、栗を甘い汁で煮込んだ福目煮勝栗、雉の胸肉を焼いて熱燗を注いだ雉酒などがある」とされています。雑煮や屠蘇は出ないと言われています。

 

 

 新年祝賀・晴の御膳

 

ご朝食後、午前9時すぎからは祝賀行事が分刻みで続きます。まず、両陛下のお住まいである御所にて、「新年祝賀およびお祝酒」が行われます。そこで、両陛下は、日々身の回りのお世話をする侍従長はじめ侍従職職員から新年のあいさつを受けられます。その後、諸行事を行う宮殿に移られ、宮内庁長官ら幹部職員、参与や御用掛(ごようがかり)といった相談役からもあいさつを受けられます。

 

9時半には、同じ皇居(宮殿)にて、陛下は、「晴の御膳(はれのごぜん)」という行事に臨まれます。「晴れの御膳」とは、お正月に天皇にだされる食事の意で、新年を迎えたお祝いと自然の恵みに感謝するための儀式です。そこでは、勝栗や干しナツメなどの木の実や果物、塩や酢などの調味料、鮎白干しなどのメニューが用意されるそうです。おせちのルーツともいわれていますが、天皇陛下が皿に箸を立てる所作をするだけで、これらの料理を召し上がることはないそうです。

 

(「晴の御膳」や「御祝先付の御膳」の中身については、特に週刊ポスト「天皇陛下元日の食事…」参照引用)

 

 

 新年祝賀の儀

 

「新年祝賀の儀」は、元旦1月1日に、天皇、皇后両陛下が、皇居・宮殿において、皇族や三権の長(総理大臣、衆参両院の議長)や議員、それに日本に駐在する外国の大使などから新年のお祝いを受ける儀式で、憲法に基づく国事行為に位置づけられています。両陛下が祝賀を受ける人数は、680人近くにものぼります。宮殿内では、祝賀を述べる方々が両陛下の部屋に来るのではなく、面会相手ごとに部屋が割り当てられており、両陛下は複数の部屋を回られます。

 

では、タイムスケジュールは、いかなるものであったのか、2018年1月1日付け産経新聞の「天皇陛下のお正月、ご多忙の元日・・・」の記事など新聞報道を中心にまとめてみました。

 

午前10時、天皇、皇后両陛下は、皇居・宮殿「松の間」で、まず、各皇族から、新年の祝賀を受けられます。両陛下が正面に立ち、皇位継承順位1位の「皇嗣」の秋篠宮さま、秋篠宮妃紀子さま、他の宮家皇族が、それぞれ男性皇族、妃殿下の順に挨拶されます。皇族方の中には、黒田清子(さやこ)さん夫妻ら元皇族も含まれ、また秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまからのごあいさつもあります。

 

午前11時になると、両陛下は皇族方と共に、「松の間」の右隣にある「梅の間」に移られ、首相、各大臣、官房長官・副長官、各副大臣らの夫妻から祝賀を受けられます。続いて、再び「松の間」に移動され、今度は、衆・参両議院の議長・副議長や一部の国会議員らの夫妻から挨拶を受けられます。ここで、陛下は、「年頭にあたり国民の幸せと国の発展を祈ります」とお言葉があります。その後、左隣の「竹の間」に移動され、最高裁判所長官、同判事、各高等裁判所長官らの夫妻からも同様の祝賀を受けられます。これにより、天皇の権威が、行政、立法、司法の三権よりも上位に位置していることが確認されます。ちなみに、三権の長から祝賀を受ける際、天皇は壇の上に立たれます

 

午前11時半からは、各中央省庁の事務次官、都道府県の知事や都道府県議会議長らの夫妻から挨拶を受けられます。なお、自治体の長は全員ではなく、宮内庁が毎年交代で複数指名されるそうです。両陛下は、皇族方との昼食会を挟み、午後にも宮内庁や皇宮警察の現職・OBらとお会いになられます。

 

午後2時半になると、最後に再び「祝賀の儀」として、両陛下は、皇族方とともに、「松の間」で、125の国と地域の外国大使夫妻から順番に一組ずつ祝賀を受けられます。各国の駐日大使は、それぞれの国を代表した全権大使です。その国の代表者らから祝賀を受けるのが、首相ではなく天皇であることは、日本の「国家元首」が天皇であることを示していると指摘する識者もいます。

 

「新年祝賀の儀」は、飛鳥時代の「元日朝賀」まで遡るとされ、1300年以上前から行なわれていた伝統祭祀です。この時から、朝廷において、皇族や大臣以下役人たちが元日、天皇に拝賀していたと言われています。

 

夕刻まで続く「祝賀の儀」が終わると、皇族方と夕食をとられます。献立は、日本の伝統的な慶事の食膳である「御祝御膳」で、その際、雑煮も食されると言われています。夕食は、22時頃まで続くこともあるそうです。いずれにしても両陛下は非常に長い元旦の一日を過ごされるのです。

 

<1月2日>

一般参賀

新年一般参賀は、1月2日、陛下と皇后さまをはじめとする成年の皇族方が宮殿・長和殿のベランダに並び立ち、東庭に集まった参賀者に手を振って応えられる行事です。ちなみに、ベランダは新年と天皇誕生日の一般参賀のために取り付けられるそうです。

 

午前10時10分からの1回目の参賀では、天皇陛下がマイクを通じ、挨拶されます。一般参賀で読み上げられるお言葉は、陛下ご自身でお考えになり、準備されると言われています。今年の陛下のお言葉は以下の通り。

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新しい年を迎え、皆さんとともに祝うことをうれしく思います。その一方で、昨年の台風や大雨などにより、いまだご苦労の多い生活をされている多くの方々の身を案じています。本年が災害のない安らかで良い年になるよう願っております。年の始めに当たり、わが国と世界の人々の幸せを祈ります。

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2回目以降の参賀はそれぞれ午前11時、同11時50分、午後1時半、同2時20分と、計5回行われました。参賀の回数は、平成21(2009)年以降、5回行われるようになりました。今回の参賀には上皇ご夫妻も、午前中3回の参賀にお出ましになられました。

 

宮内庁によると、令和初となった今年の一般参賀には、6万8710人が訪れました。なお、平成に入り、参賀者が最も多かったのは、皇太子ご夫妻のご成婚後初めての新年一般参賀だった平成6(1994)年の11万1700人でした(ただ、この年は特別に8回行われた)。また、上皇陛下が平成28(2016)年8月に譲位の意向を示された後の翌年の新年一般参賀には9万6700人が詰めかけ、過去2番目の多さとなりました。

 

新聞報道によれば、新年の一般参賀は、戦後間もない昭和23(1948)年に始まり、当初は元日に記帳のみ受け付けたそうです。昭和26(1951)年には、昭和天皇と香淳(こうじゅん)皇后が初めて宮内庁庁舎の中央バルコニーにお出ましになられました。昭和28(1953)年から、参賀の日が1月2日に変更になり、場所が現在の宮殿・長和殿となったのは、昭和44(1969)年からとなります。

 

<1月3日> 

元始祭(げんしさい)

元始祭は、1月3日、天皇陛下が宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)で拝礼し、年始にあたり、皇位の大本と由来とを祝すとともに、国と国民の繁栄を願われる宮中祭祀です。

 

「皇位の大本と由来」とは、日本の神話による天孫降臨のことをさします。記紀(古事記と日本書記)によれば、天照大神の孫であるニニギノミコト(邇邇芸命または瓊瓊杵尊)が、高天原と黄泉の国の間にある葦原中国(日本)の統治のために降臨した(これを「天孫降臨」という)とされています。すなわち、元始祭では、天孫降臨とそれによって天皇の位が始まったことが祝われるのです。

 

元始祭(げんしさい)は、明治3年(1870年)1月3日に始まり、明治6年(1873年)1月3日から現在のように、宮中三殿で天皇が親祭される形式となりました(それまでは神祇官八神殿にて実施)。また、同年、太政官布告により祝祭日となり、明治41年(1908年)制定の「皇室祭祀令」では大祭に指定されています。しかし、この法律は昭和22(1947)年に廃止され、昭和23年制定の国民の祝日からは外されました。しかし、宮中では現在でも従来通りの元始祭が行われています。宮中では伝統が護持されていることがわかりますね。

 

<1月4日>

奏事始(そうじはじめ)

奏事始(そうじはじめ)は、1月4日、掌典長(しょうてんちょう)(皇室の宮中祭祀の責任者)が年始に当たって,伊勢神宮と宮中の祭事のことを天皇陛下に奏上する行事です。具体的には、天皇陛下は午前10時から、宮殿の鳳凰の間で掌典長から伊勢神宮と宮中三殿などにおいて、前年12か月間に、それぞれの祭祀が滞りなく執り行われたという報告を受けます。

 

前年の祭祀報告は、神霊を祭る祭祀でも祭儀ではありませんが、単なる形式的な行事ではなく、祭祀・祭儀に必要な行事だとみなされています。というのも、皇祖神を祀る伊勢神宮では、毎年数十種以上、年間何百回もの祭典が行われ、また、皇室においても、宮中三殿や勅祭社、各地にある陵墓などを含めれば、様々なみ祭が何10種も実施されているからです。

 

ただし、奏事始(そうじはじめ)は、戦前には「政始(まつりごとはじめ)」と呼ばれ、その年の国政開始の行事だったそうです。政治とは、かつて政(まつりごと)と呼ばれ、神のみ心を取り次ぐ仕事だという考え方がありました。元始祭の後に、政始が行われたのは、ある意味、祭政一致の伝統に基づくものであったと言えるかもしれません。しかし、日本国憲法施行後の昭和24年以降、現在の様式になりました。

 

 

<参照>

「天皇のまつりごと」(所功著、生活人新書)

日本一忙しい天皇陛下「平成三十年」の元日

(週刊ポスト2018年1月1・5日号)

天皇陛下元日の食事 小串鰤焼き、浅々大根、割伊勢海老など

(週刊ポスト2014年1月1・10日号)

令和初、天皇皇后両陛下が皇居で「新年祝賀の儀」

(2020年1月1日、共同)

天皇陛下「国民の幸せと国の発展を祈ります」新年祝賀の儀

(2020年1月1日、産経ニュース)

天皇陛下のお正月、ご多忙の元日 未明の祭祀で国民の幸せ祈られ 一般参賀は最多更新なるか

(2018年1月1日、産経)

天皇陛下「災害のない安らかで良い年となるよう願う」 令和初の新年一般参賀 上皇ご夫妻もお出まし

(2020.1.2、産経新聞)

令和初の新年一般参賀 6万8710人が参加

(2020年01月02日、時事ドットコム)