華厳宗と地論宗:唯識から総合仏教へ

 

中国仏教の13宗(毘曇宗,成実宗,律宗,三論宗,涅槃宗,地論宗,浄土宗,禅宗,摂論宗,天台宗,華厳宗,法相宗,真言宗)の中の華厳宗と、華厳宗と摂論宗に吸収された地論宗についてまとめました。

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華厳宗

 

華厳宗(けごんしゅう)は、唐(618~907)の時代に成立した中国大乗仏教の宗派で、杜順(とじゅん)(557~640)を開祖とし、山西省の五台山を中心に信仰されました。

 

<華厳宗の成り立ち>

 

華厳宗の原点は、地論宗にあります。地論宗は唯識派で、南アジアの僧で学者出身の世親が書いた大乗経典「十地経(じゅうじきょう)」の解説書「十地経論」を基に誕生した、同じ唐の時代の大乗仏教の一宗派です。その後、地論宗がさらに北道派と南道派に分かれた際、中国の僧、杜順(とじゅん)が、南道派の思想を基にして、華厳宗を興しました。

 

華厳経学(華厳宗の教示)は、地論宗だけでなく、密教を含む、歴史の中でさまざまな宗派の教示(思想)を取り入れて、独自の教学の完成に至り発展しました。それゆえ、その特徴は、哲学的な思索、思想に重点が置かれています。

 

また、華厳宗は、52段あるとされる修練が厳しいことで知られており、高名な僧でも完全な悟りに至ることはできませんでした。華厳宗を興した杜順も最後まで終えられず、華厳宗の祖師にあたるインド仏教の僧、ナーガールジュナも52段中41段までの悟りが限度だったようです。

 

 

<華厳宗の経典>

 

華厳宗は、「華厳経大方広仏華厳経)」を所依の経典(仏典)として、独自の教学体系を構築しました。ただし、華厳経は、初めからひとつの経典であったわけではなく、仏教が誕生した国インドに伝わっていたいくつもの経典が、4世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられるという形で編まれました。

 

5世紀に入り、他の経典とともに中国に流入したとみられ、仏陀跋陀羅(ブッダバドラ)による漢訳と、唐の実叉難陀(シクシャーナンダ)による漢訳が知られています。その巻数(かんすう)は膨大で、全80巻にもなり、その内容も、釈迦の悟りや、本尊、「ヴァイローチャナ・ブッダ(「毘盧舎那仏」)」についてなど広範囲に及んでいます。

 

また、華厳経は「数あるお経の中でも極めて深く、高度な内容を持つものであり、至高の教え」(華厳宗の第3祖法蔵の言)とされ、経典の中でも、その内容が非常に難解で、体得が困難な経典と評されています。

 

その理由としては、華厳経は、釈迦(仏)が悟ったそのままの言葉を書き記された経典であることがあげられます(華厳経は釈迦が最初に説いた内容をまとめた経典とされる)。しかも、その高度な教えに対し、弟子による解釈が一切加えられていない、純粋なままの教えであったため、多くの人々には理解しがたいものでした。

 

結果的に、中国では、さまざまな立場の僧が、華厳経の解読に挑んだため、華厳宗はその成立の過程で、法相宗や天台宗など数多くの宗派の教示を取り込むことになったのです。例えば、「十地経(じゅうじきょう)」は、本来は独立した地論宗の経典でしたが、後に「華厳経」の一章(十地品)に編入されています。こうしたことがまた、華厳宗が独立した宗派となるまでに、複雑な経緯を辿ることになった要因となりました。

 

 

華厳宗の展開

 

華厳宗は、杜順(とじゅん)を開祖(宗祖)とし、第2祖の智儼(ちごん)を経て、第3祖法蔵(ほうぞう)により大成されました。その後、澄観(ちょうかん)、宗密(しゅうみつ)と相承(そうしょう)(師匠から弟子へ受け継ぎ続けること)され、華厳宗の五祖と呼ばれています。

 

なお、この中国の五祖の前に、華厳宗の祖師にあたるインドの馬鳴(めみょう/アシュヴァゴーシャ)と龍樹(ナーガールジュナ)(150~250頃)を加えて七祖とすることもあります。

 

  • 開祖:杜順

杜順(とじゅん)(557~640年)は、半ば伝説的な人物で、民衆の病を癒すなどの奇跡を起こし、文殊菩薩(知恵を司る仏)の化身とも言われました。

 

  • 第2祖:智儼

杜順の跡を継いだ智儼(ちごん)(602年-668年)は、12歳のときに、偶然自宅を訪れた杜順にその才能を見出され、我が子と呼ばれて弟子となったと伝えられています。智儼はその後、華厳経と、「空」の思想に繋がる「唯識」の研究を統合し、華厳教学の基礎を築きました。

 

  • 第3祖:法蔵

法蔵(ほうぞう)(643~712)は、師匠の遺した華厳教学を大成させ、五教十宗(後述)を説きました。また、全80巻にわたる華厳経の梵本(サンスクリット語で書かれた本)をあらためて訳し、翻訳の不備を修正しています。

 

華厳宗は、法蔵の頃には、朝鮮の新羅にも伝えられ、半島の統一を果たした文武王の庇護を得て広まりました。日本に華厳宗が伝わった際、東大寺(金鐘寺)で華厳経の講義を行った審祥も法蔵の門下生です。

 

  • 第4祖:澄観

澄観(ちょうかん)(738~839)は、「四種法界」(四法界)という新たな世界の捉え方を唱えて、華厳教学を発展させました。

 

  • 第5祖:宗密

圭峰宗密(けいほうしゅうみつ)(780~839)は、教学と禅とを一体化させるという「教禅一致」を提唱しました。また、仏教と道教、儒教の目指すものは同じであり、調和するべきだとして「三教融合」を論じました。

 

 

<華厳宗の教義>

 

  • 四種法界

 

華厳教学の根本仮説は、第4祖の澄観が立てた「四種法界(ししゅほっかい)」(四法界)の世界観であるとされています。澄観は、難解な華厳経を、象徴的・哲学的に「四種法界」で解読しようとしました。

 

「四種法界」では、この世(世界)の実相は「事法界」「理法界」「理事無礙法界」「事事無礙法界」の4つの契機(法界)からなっているとします。

 

この中で、まず、世界を「事法界」と「理法界」の二つに分けて考えます。「事法界(じほうかい)」とは、現実に存在している一切のあるがままの世界、人間が普段感じている事物の世界のことをいいます。しかし、凡夫は我執を捨てられないので、この世界を認めることはできないとされます。

 

理法界(りほうかい)」とは、すべては「空=無自性」(実体がない)であるとする理の世界、仏の世界であり、我執を打破するために要請される理念(観念)としての世界です。この理法界があってはじめて事法界が可能となるとされます。

 

そして、この事法界と理法界の二つが止揚し、互いに妨げあわず共存している状態を「理事無礙法界(りじむげほっかい)」といい、修行によって顕れます。ただし、理事無礙法界は、(天台の考え方で)「理」(無自性=空の世界)と「事」(具体的個物や現象)を分けている点が不徹底とされます。

 

そこで、「理」と「事」の分裂をなくせば、「理」も消え去り、ただ「事物」のみが融通無碍(何の生涯もなく自由に)にそこにある「事々無礙法界(じじむげほっかい)」という仏の世界(見方)に到達できるとされています。「事々無礙法界」は、外見上こそ事法界と同じですが、凡夫の眼から見たあるがままの世界とは異なり、究極のさとりの眼(仏の智慧)から見た存在の世界です。

 

普通の人間から見れば、(個物は各々存在しているように)4つの世界もそれぞれ別々に存在しているように思います。しかし、仏の智恵から見れば、実は、すべての世界は一つで、(縁起により)互いに関係し、調和して存在すると、華厳教学は説くのです。

 

 

  • 法界縁起

 

華厳宗の教えは、「法界縁起(ほっかいえんぎ)」という思想もまた核としています。法界縁起(ほっかいえんぎ)は、「この世界の実相は、個別具体的な事物が、相互に関係しあい(相即相入)無限に重なりあっている(重々無尽の縁起)」という考え方で、天地万物すべて「法界」すなわち真理の顕現した世界と説きます。

 

法界縁起を説いたのが、華厳宗第3祖の法蔵で、唯識学派と如来蔵仏教の2つの教学から導いたとされています。法蔵は、末那識(まなしき)(=自我意識、我執の根拠)と阿頼耶識(あらやしき)(=意識の根源)とのつながりという心の現実的な側面(唯識学派の立場)と、すべての衆生は本来清浄で永遠に変わらない心を持ち、如来(仏)となりうる(如来蔵仏教の立場)という理想的な2つの側面に着目したと言われています。

 

融通無礙

法界縁起は、縁起(原因と結果の関係)は無限につながる(=無尽縁起)、融通無礙(ゆうずうむげ)という理念を導きます。

 

融通無礙は、行動や考えが何の滞りもなく(融通)、自由で妨げのない伸び伸びしている(無礙)ことをいい、唯識論を説明するために法蔵が作った「十重唯識」のなかで現れてくる概念です。法蔵は、(一切の対象が識から成り立っているとする)唯識を以下の10種に区別しました。

 

  1. 相見倶存唯識
  2. 摂相帰見唯識
  3. 摂数帰王唯識

(1から3では意識のあり方が説かれた)

 

  1. 以末帰本唯識
  2. 摂相帰性唯識
  3. 転真成事唯識
  4. 理事倶融唯識

(4から7では意識の理想のあり方(=理体)が説かれた)

 

  1. 融事相入唯識
  2. 全事相即唯識
  3. 帝網無礙唯識

(8から10で、突如、意識そのものが否定され、一切の個物は融通無礙しているのだと説かれた)

 

縁起相由

法界縁起は、融通無礙(ゆうずうむげ)(⇒事々無礙法界)であり、その根拠は、縁起相由にあると説かれます。縁起相由とは、一切は相関依存性のもとで円融(互いにとけ合っていて障りのないこと)している事象であるということを意味します。

 

法蔵は、「相即」、「相入」という概念を使って、縁起相由を説明しました。

「相即」とは、事象それ自体(=「体」)の円融を説くもので、静態的(=事象として)に見た円融です。

「相入」とは、事象それ自体(=「体」)の相関性を「作用」の観点から説くもので、動態的に(=作用として)見た円融です。

 

「体(事象それ自体)」には同体と異体の2つがあり、両者は次のように説かれます。

「異体」は個物相互の異質性を指し、個物相互の依存関係に着目した見方です。

「同体」は、個物の独立性と全体との調和に着目した見方で、個物が全体と調和していることを「同」と呼んでいます。

 

両者をまとめると、「各人はそれぞれ異なる存在(=異体)でありながら、自分の分限をわきまえつつ、全体と調和して(=同体)存在している」ということになります。普通の人間から見れば、個物は各々存在しているように思えるかもしれませんが、実は、すべての世界は一つで、縁起により互いに関係し、調和して存在すると、華厳教学は説いています。

 

縁起相由をさらに詳しくみると、縁起相由は、次の計10義からなるとされています。

 

  1. 諸縁各異(事物はそれぞれ違う)(⇒唯一)

異体としてのあり方が説かれる。

 

  1. 互遍相資(事物は全体のうちの一である)(⇒多の中の一)

同体としてのあり方が説かれる。

 

  1. 倶存無礙(両方でこそ縁起は成立する)

唯一性(異体)と、全体のうちの一(同体)という2つの見方でこそ真の縁起が成立すると説かれる。

 

諸縁各異についての相即即入としては、この3つが全体的な構造を示しています。

 

 

  1. 異体相即(事物はそのものとして相互に円融する事象である)
  2. 異体相入(事物はそのものとして相互に円融している)
  3. 体用双融(この両方によって縁起は成立する)

互遍相資についての相即即入として、異体の観点から述べられている。

 

  1. 同体相入(多が一に含まれている)
  2. 同体相即(多はすなわち一である)
  3. 倶融無礙(この両方が円融している)

互遍相資についての相即即入として、同体の観点から述べられている。

 

10 同異円備

最後の第十義は同異円備で、これは以上の9つを統括して縁起を成立させるものであり、その内実は「十玄縁起無礙法門」にあるとされる。 

 

 

十玄縁起無礙法門

十玄縁起無礙法門とは、一切の現象は円融無礙(えんゆうむげ)(=すべての事物が完全にとけ合って、障りのないこと)の関係にあるという真理(=玄)を10個の観点から説くもので、古十玄と新十玄の2つがある。以下は新十玄。

 

1 同時具足相応門:一切が円融無礙である。

2 広狭自在無礙門:法界には純も雑もある。

 

3 一多相容不同門

相入(作用としての融通)から無尽縁起が説かれる。無尽縁起の原理は縁起の理法であり、絶対者としての神ではない、とされる。

 

4 諸法相即自在門

異体、同体における相即から円融無礙が説かれる。

 

5 隠密顕了倶成門

仏の立場から見られた諸法(以下同様)、金獅子の例

 

「隠密顕了倶成門」以降、円融無礙は仏の立場からしか捉えられないとされます。そのため、法蔵は概念ではなく、イメージや比喩(獅子、芥子、インドラ神の網など)を用いて円融無礙を示そうとしています。

 

6 微細相容安立門

芥子、毛穴の例を用いて円融無礙が示された(微細な一が多を含み、かつ分斉をわきまえていること)。

 

7 因陀羅網法界門

インドラ網の例を用いて円融無礙が示された(重々無尽)

 

8 託事顕法生解門

獅子の例を用いて円融無礙が示された。「託事顕法」は現象のうちの事法に基づいて法門を説こうとしたもの。8番までが世界論。

 

9 十世隔法異成門

9番目は時間の観点から見た世界の無礙のあり方について説かれ、過去、現在、未来にわたって世界は円融無礙している。

 

10 主伴円明具徳門

過去、現在、未来を掛け合わせて9世、9つを総合する1世(10=3×3+1)。

10番目の「主伴円明具徳門」については、ほとんど概念的な規定は見て取れないとされている。

 

この「十玄」は、ただ海印三昧という悟りの境地によってこそ理解できるとされます。海印三昧(かいいんざんまい)とは、仏陀が「華厳経(けごんきょう)」を説く時に入ったとされる三昧(静かに動じない仏の心のような状態)の境地の名で、静かに澄みわたった海面に万象が映るように、悟りを得た仏の心に一切の事物が映し出されることを示したものです。

 

より正確には、体験と思想の不二相即(=文義一致)が華厳の特質とされているので、華厳思想そのものが海印三昧に基づいていると解されています。

 

六相円融

法界縁起を示そうとする他の教義に、六相円融があります。これは、総と別(=統一と差別)、同と異、成と壊(=唯一性と多様性)がそれぞれ円融無礙しているというものです。六相円融には実践が求められているとされ、禅宗では、六相円融が取り入れられました。

 

 

  • 性起説

 

性起(しょうき)説は、華厳宗の学説の一つで、法界縁起の理より、天地万物すべては真理の顕現した世界と説かれましたが、これを衆生(しゅじょう)についてみた場合も、すべての衆生は、法界を体現する仏と同じ性質(=仏性)を本来有しているとされます。

 

そもそも、性起(しょうき)という言葉自体も、自性清浄心(本来ある清浄心)が、各人に備わっており、それが、本性(本来具わっている性質)にしたがって現れることを意味します。性起は、本性清浄な仏の働き、すなわち毘盧遮那(びるしゃな)の智(ち)と悲(ひ)を具現していると言われています。

 

人間は、本来的に清浄な仏性を具しているなら、現象世界も絶対的な善で、現世は仏の生命の現れと、捉えられています(これを、性善説に基づく性起唯浄(しょうきゆいじょう)という)。ですから、煩悩や悪は、仏の世界からすれば、本来存在しない仮の姿とされます。したがって、修行によって煩悩を無くすのではなく、私たちは本来、すでに成仏しているのだと考えられるのです(したがって、修行によって仏性が立ち現れてくるということではない)。

 

性起説は、天台宗の性具(しょうぐ)説との対比で説明されます。

性具説は、衆生はその本性に仏性(完全な人格者・仏陀となるべき可能性)も持っているものの、十分備わっておらず、同時に煩悩など多くの悪性を抱えているという考え方です。さらに、衆生の本性には仏から地獄に至る十界(じっかい)を互具していると説かれます。また、凡夫は次第に修行によって、外来の仏性に救いとられて、目覚めさせられるとされています。また天台宗では、悪をも含む現世を肯定する現実主義的な立場から、善は悪に即して初めて存在するという善悪相即論(性悪説)が説かれました。

 

これに対して、性起説の華厳宗は、「衆生には円満な仏性が備わっているが、迷いの心などが邪魔をして、自らの本性を見出すことができないだけである」、「人は、自己のうちにある仏性を信じられず、自覚しようとしないので迷うのであるから、この仏性(善性)を見出し、理想を目指して進むことが大切だ」と説きました。また、天台宗の性悪説に対して、理想主義的な立場から、罪や悪はそもそも仏のうちにあるとする性善説を採用しています。

 

しかし、その後は、法蔵の後に現れてきた第四祖の澄観は、天台の影響を受けて性悪説も主張するようになり、天台宗のほうでも、宋の時代の山外派が華厳的な立場から天台思想を解釈するようになったと指摘されています。

 

 

  • 五経十宗

 

五経十宗(ごきょうじっしゅう)とは、華厳宗第三祖の法蔵(ほうぞう)(643―712)が、釈迦一代の教説を、深浅や難易の度合によって、五教説と十宗説という形で、分類整理した教判のことを言います(教相判釈きょうそうはんじゃく)。

 

より具体的には、天台宗も先に同様の教判が作りましたが、華厳宗の方は、仏教のすべての教説を内容別にさまざまな教え(五教)の上から5段階に分類し、かつ、その内容(表わされた理(=十宗))から評価するという形式がとられました。当然ながら、その中で、華厳宗の教えこそが最も優れた教えであると位置づけられました。

 

五経

もともと、華厳宗の創始者である杜順が小乗教,大乗始教,大乗終教,頓教,円教の五教を説いていましたが、法蔵がそれをさらに発展させて、体系化しました。

 

  • 小乗教

いまだ正しい空(くう)の理を悟らない劣った教えで、「阿含経(あごんきょう)」および、阿毘達磨(あびだつま)の哲学などをさします。

 

阿毘達磨(あびだつま)(=アビダルマ)とは、仏教の聖典を3種に分類した三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)の一つである論蔵(仏法の教義についての解釈,注釈、また聖賢の議論や所説を集録した聖典類)のことをいいます。

 

  • 大乗始教

初めて大乗に入った段階で、いまだ真如(しんにょ)と万法が融合するに至らない教えとされ、ナーガールジュナの空観(ちゅうがん)、「般若経」、インドの唯識派などの瑜伽系仏典(「解深密経」等)を含みます。

 

  • 大乗終教

大乗の終極たる優れた教えで、真如と万法の融合が説かれており、如来蔵仏教(「勝鬘経」、「如来蔵経」、「大乗起信論」など)がこれに該当します。

 

  • 大乗頓教(とんぎょう)

言語差別を超越し、一挙に真理を悟る教えとされ、「維摩経(ゆいまぎょう)」などに相当します。華厳宗第四祖の澄観(ちょうかん)(738―839)に至って、禅宗をあてるようになりました。

 

  • 大乗円教

いっさいの事象が互いに融合して障害となっているものがない華厳の教えで、それは大乗仏教の最終真理を指す完全な教えとされます。具体的には、円融(えんにゅう)自在の事々無礙(じじむげ)の教えで、「華厳経」「法華経」などがこれに含まれます。

 

大乗円教は、一乗を説きます。一乗とは、仏と成ることのできる唯一の教えであり、仏教の真実の教えは唯一で、どんな衆生(しゅじょう)も一様に仏になりうると説く教えです。法蔵は華厳こそが真に絶対の一乗を説いているとして、華厳を「別教一乗」と呼び、「華厳経」を最高視しています。

 

 

十宗

 

一方、十宗(じっしゅう)は、法相宗の基(窺基(きき)(632―682)の八宗説を発展させたもので、五教をさらにそれぞれの中心となる説によって(理論のうえから)、以下のように10に分類したものです。

 

  • 我法倶有宗(がほうくうしゅう)⇒犢子部

我と諸法の実有を説く犢子部(とくしぶ)の教えに当たる。

(2) 法有我無宗(ほううがむしゅう)⇒有部

法は実有だが、我無を説く有部(うぶ)の教え。

(3) 法無去来宗(ほうむこらいしゅう)⇒大衆部

我は実在しないが、法は現在のみ存し、過去と未来にはないと説く大衆 (だいしゅ) 部の教え。

(4)理通仮実宗(りつうけじつしゅう)⇒説仮部
諸法は現在でも,実在のものも仮有のものもあると説く、説仮部(せっけぶ)の教え。

 

(5)俗妄真実宗(ぞくもうしんじつしゅう)⇒説出世部
世俗の法は虚妄,出世間の仏教の真理のみが真実であると説く、説出世部(せつしゅっせぶ)の教え。

 

(6)諸法但名宗(しょほうたんみょうしゅう)⇒一説部
世俗も出世間の法も仮有であると説く一説部(いっせつぶ)の教え。

 

(1)~(6)は小乗教、(7)~(10)は大乗教に相当。

 

(7)一切皆空宗(いっさいかいくうしゅう)
五教の始教にあたる教えで、大乗始教に相当。

 

(8)真実不空宗(しんじつふくうしゅう)、真徳不空宗
大乗終教に相当。

 

(9)相想倶絶宗(そうそうくぜつしゅう)
大乗頓教に相当。

 

(10)円明具徳宗(えんみょうぐとくしゅう)
大乗円教に相当するもので、あらゆる事象は相互に妨げることなく重々無尽であり,あらゆる功徳を具有していることを説く「華厳経」の教えすなわち円教に当たる。最後のものが最高の教えであるとされる。

 

このように、華厳宗の教義に基づけば、人間は、そもそも初めから仏としての本性、すなわち仏性をもっており、本来成仏している存在です(=性起)。ですから、真の世界は、各々が自らの異質性を守りつつ、全体と調和している「事々無礙法界」です。このことは、悟りの状態に到達した仏の眼からみれば、自明の理であり、まさしくこの現実世界(=事法界)に等しいことになるのです。

 

 

<華厳宗の命運>

 

この当時、華厳宗は、天台宗とともに、中国が生んだ学問仏教として中国仏教を代表する二大教学とたたえられました。しかも、(両宗とも)国家体制と結びつき、緻密で壮大な体系を打ち立てていました。

 

しかし、その教学は漢訳された上での独特な読み方や解釈によって理論が構築されており、仏教の本家インドでは理解しえない、中国人の思惟による独自の教学が成立していたと言われています。

 

しかも、それらの理論は知識人階級にしか理解できず、武士階級から一般民衆まで人々には手が届かず、彼らの救済欲望(苦しみからの救済、輪廻からの解脱)に応えることもできなければ、修行の方法も示すこともできませんでした。

 

結果として、華厳宗は、有力者による保護によってのみ、存立しているような状態となり、実際、唐の則天武后により保護されていましたが、安史の乱(755~763)を機に、国家体制が崩壊していくにつれ、衰退していきました。

 

逆に、新しい宗教が求められるようになると、その期待に応えたのが禅宗でした。華厳宗側も、第4祖の澄観(ちょうかん)は、禅宗との調和を図ろうとしましたが、かえって、以後急速に禅宗により取って代わられていってしまいました。

 

もっとも、禅宗側も、思想による根拠づけを必要としました。禅宗は不立文字、すなわち、悟りは文字では伝えられず、ただ心によってしか伝えられないという立場を取ります。しかし、何らかの思想に基づいていないと、日常そのものが悟りであり、座禅しなくてよい(日常生活が「任運自在」の境地なので)ということになってしまいます。そこで、禅宗は、現実肯定に基づく絶対的な包括を主張する華厳宗の「無尽縁起」や「性起観」などの教義を取り入れ、絶対肯定という境地に至ったと解されています。

 

 

<華厳宗の伝来>

中国の華厳宗は、朝鮮半島(古代新羅)やベトナムなど近隣諸国に、義湘によって広められました。

 

日本へは、奈良時代の736年に、唐の僧・道璿(どうせん)により伝えられましたが、唐で華厳経を学んだ新羅(しらぎ)の僧・審祥(しんじょう)を、奈良の高名な僧である良弁(ろうべん)が金鐘寺というお寺に招いたことが始まりとされています。審祥は、華厳宗の第3祖法蔵の門下で、この時、奈良の東大寺で初めて華厳経を講じました(それゆえ、審祥が日本での華厳宗の第一祖とされることが多くある)。

 

中国において、華厳宗は天台宗を受けて発展したということができます(天台智顗は6世紀の人で、華厳宗を集大成した法蔵は7~8世紀の人)が、日本には逆の順番で伝来した形です。

 

華厳経では、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されています。「ヴァイローチャナ・ブッダ」は、「毘盧舎那仏」と音写されます(「太陽の輝きの仏」の意)。毘盧舎那仏は、奈良東大寺の本尊であり、真言宗の本尊たる大日如来と同一の仏とされてます。

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 地論宗

 

地論宗(じろんしゅう)は、5世紀に活躍したインド僧、世親が解説した「十地経論」に基づく、中国仏教十三宗の一つ(一派)です。

 

釈迦の教えをまとめた大乗経典の一つに「十地経(じゅうじきょう)」という経典があります。十地経は、1~2世紀にかけて成立した大乗経典で、大菩薩の修行の階位を十の段階に分けて説いたものです(菩薩の十地思想)。なお、十地は、菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の中、下位から数えて第41番目から第50番目の位をいいます。

 

この「十地経」についての解説書「十地経論」を、唯識派で南アジアの学僧出身の世親が書いたことから、地論宗が生まれるきっかけになりました。「十地経論」は、6世紀初め、北魏の菩提流支(ぼだいるし)と勒那摩提(ろくなまだい)の2人によって、その梵本(サンスクリット本)が初めて漢訳され、研究が進みました。

 

しかし、地論宗は、ほどなく、南道派と北道派の南北両派に分裂しました。北道派は、菩提流支(ぼだいるし)の弟子であった道寵の系統が引き継いだ一方、南道派は、北魏の僧侶で、四分律宗の祖でもあり、光統律師の別称でも知られる慧光(468~537)が継承しました。

 

慧光は、十地経の本論の研究を盛んにし、自らも翻訳に携わるなど、普及に努めました。「十地経論」に基づく説教が、地論宗と呼ばれるようになったのはこの頃とされています。

 

その後、慧光を祖とした南道派は、法上(495年 – 580年)に継承され、隋代には、浄影寺の慧遠(えおん)(523〜592)が現われ、「大乗義章(だいじょうぎしょう)」を著わして、南道派地論宗からみた南北朝期の各派の教説を地論宗の立場によって集大成しました。

 

このように、梁代、陳代、隋代には多くの学僧が出て盛えた南道派も、唐代(618~907)に華厳宗が興ると、発展的に華厳宗に吸収されました。地論宗の思想が、華厳学の大成者法蔵の思想の要である「六相円融義」を可能にしたことなどが背景にあげられています。

 

これに対して、北道派は、後発の摂論宗とその教義が近く,より精緻な摂論宗へ次第に吸収され、最終的に摂論宗と融合する形で系統が絶えました。

 

 

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<参照>

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華厳宗とは(コトバンク)

華厳宗(Wikipedia)

地論宗 – 新纂浄土宗大辞典

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(2022年7月14日)