本HPの仏教シリーズにおいて、これまで、釈迦の教えが、仏教教団としてインドでいかに展開されていったかを歴史的な経緯とともに概観してきましたが、次はそのインド仏教が、中国において、宗派としてどのように成立・発展していったかをみていきます。
インドから伝来した大乗仏教は、中国において、毘曇宗(びどんしゅう),成実宗,律宗,三論宗,涅槃宗,地論宗,浄土宗,禅宗,摂論宗,天台宗,華厳宗,法相宗,真言宗の13宗に分れて信仰されていきました。その13の宗派の多くが日本にも伝えられることになったことを考えれば、日本の仏教の理解のためにも、中国仏教13宗について知ることは極めて重要です。
そこで、これから、中国で誕生した13宗を一つ一つみていきますが、今回は、中国において13宗がいかなる経緯で誕生してきたかをみた後、13宗の概要をまとめました。
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<13宗が生まれた背景>
中国には、主に大乗仏教が北伝仏教として伝えられ、西域や中国の僧侶によってもたらされた経典は、次々に中国文に翻訳されながら、1000年という長い時間をかけて、インドの仏教は中国に取り入れられてきました。
ただし、インドでは原始仏教、部派仏教、大乗仏教、密教と、長い時代を経て仏教が展開しましたが、中国では、原始仏教から初期の大乗仏教までは、経典を漢訳した訳経僧によって一度に伝わり、その後、後期の大乗仏教として密教などが入ってきました。
そのため、中国では、インドから入ってくる経典の歴史的推移を整理するのではなく、独自の経典の体系付けが行われるようになりました(これを「教相判釈」という)。その所依の経典の違いから、中国独自の宗派や信仰が生まれていったと考えられています。
また、多くの経典が、翻訳によって中国文で読解できるようになると、誰でもがたやすく仏教に触れることができるようになりましたが、翻訳された膨大な経典の中で、主流となったものは、涅槃経や法華経、そして、般若経典群や華厳経、無量寿経、阿弥陀経など、中国の人々の好む一部のものでした(日本にもそれが重要な教えとして紹介されることになった)。
そうすると、当時、仏典の翻訳によって、仏教の学問的研究も盛んに行われたことから、これらの経典を研究し講義をし、注釈を書く人々の集まりが学派となっていきました。学派が形成されると、その教えを実践したり、信仰したりする中から宗派が生まれてきたのです。例えば、法華経や華厳経という経典を専門的に研究し、その教えを最上と信じる人々から、それぞれ天台宗や華厳宗が形成されていきました。
こうして、中国では13の宗派が形成されるようになったのですが、当時、中国13宗という形で体系化されていたわけではなく、中国で栄えた仏教の13派の宗派を時代や性質の異なるものを、後世、便宜的に並べて総称して中国13宗と呼ばれるようになりました。実際には、中国仏教の最盛期である隋(581~618)・唐(618~907)の時代には、概ね、冒頭でも紹介した以下の十三宗に分かれていたとみられています。
中国13宗
涅槃宗、成実宗,毘曇宗、摂論宗、地論宗,浄土教,禅宗,三論宗、天台宗,律宗,華厳宗,法相宗,真言宗
<13宗の時代別分類>
13宗のうち、魏晋南北朝(220~589)の時代に成立した宗派が、涅槃宗・成実宗・毘曇宗・摂論宗・地論宗・禅宗・浄土教でした。その後、隋(581~618)の時代、三論宗と天台宗が盛んになり、また、唐(618~907)の時代(中期)になると、律宗・法相宗・華厳宗が、さらに(8世紀前半)に、密教(真言宗)が興り、中国仏教は最盛期を迎えました。しかし、10世紀の後半、宋(960~1279)代に入ってからは、多くの宗派が下火となる中、十三に分かれていた宗派も次第に統合され、禅宗と浄土宗の流れが主流になっていきました。
<13宗の種類別分類>
また、中国仏教は、インド仏教の経典を翻訳して生まれたので、どういう種類の経典を漢訳してその宗派ができたのかという視点に立って、中国十三宗を分類することができます。インド仏教の膨大な経典は、その内容から経・律・論(経蔵・律蔵・論蔵)の三つの種類に区分されます。
経(きょう):釈迦が説いた教え、仏教の思想や戒めの言説などをまとめたもの。
律(りつ):戒律のことで、仏教教団の規則。
論(ろん):経や律の注釈書、または経や論について後の学僧が独自の理論を収めた思想書。
経蔵:釈迦の説法を集成したもの
律蔵:仏徒の戒律を集成したもの
論蔵:経典の注釈研究を集成したもの
この仏教の経・律・論の中で、経典を基礎として成り立っている宗派を経宗(きょうしゅう)、律(戒律)を土台にできている宗派を律宗、特定の論書をよりどころとして開いた宗派を論宗(ろんしゅう)といいます。そこで、中国十三宗を、三宗(経宗、律宗、論宗)に分けて、各宗派の概略とともに整理してみましょう。
経宗:仏教の経・律・論の三蔵の中で、経によって立てた宗旨。経蔵所収の経典を拠りどころとしている。論宗に比べ、信仰的要素が強く、さらに中国化の傾向があるとされる。
律宗:経・律・論の三蔵の中で、律(戒律)を土台にできた宗派、律蔵に収められている律書を基にして、仏教を研究する宗派。戒律を守り実行することを教義としている。
論宗:経・律・論の三蔵の中で、特定の論書をよりどころとして開いた宗派。論蔵に収録されている論書を中心として、仏教を研究する宗派で、信仰的要素よりも学究的傾向が強い宗派である。これらの論書は、すべてインドの仏教学者の著作であるため、インドにおける仏教哲学をそのまま延長したものとなっており、中国的色彩はないとされる。
- 経宗
涅槃宗
「涅槃教」を基にした宗派で、南北朝(439〜589)の頃、流行していましたが、天台宗の隆盛に伴って、天台宗に吸収されました。 「(大般)涅槃経」は、東晋(265-420)の僧、法顕(337~422)が漢訳し、涅槃経の成立につながりました。
天台宗
隋(581~618)の時代、「妙法蓮華経(法華経)」を拠りどころとし、初祖の慧文(550~577)、第二祖・慧思(515~577)によって伝えられ、第三祖の智顗(天台大師)(538~597)の時に、大成しました。。
華厳宗
「華厳経」を拠りどころとし、杜順(557~640)・智儼(602~668)によって伝えられ、唐(618~907)の時代、法蔵(賢首大師) (643~712)に至って大成しました。東晋(265-420)の末、北インド僧・仏駄跋陀羅(ぶっだばっだら)が「華厳経」を翻訳してから、「華厳経」の研究が盛んとなりました。
その中で、華厳経の十地品(じゅうじぼん)に解釈を施した論書である「十地経論(じゅうじきょうろん)」を所依として生まれた地論宗の教義が、華厳宗成立の学問的基礎となったと言われています。華厳宗は後に、地論宗(後述)を吸収しました。
浄土教(宗)
東晋(265-420)の僧、慧遠(えおん)(334‐416)が、「般舟三昧経」に基づいて、白蓮社という念仏団体を作ったことが浄土教に始まりされます(それゆえ、慧遠が浄土教の始祖と位置づけられる)。ただし、その後、南北朝(439〜589)から隋(581~618)、唐(618~907)にかけて、浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)を拠りどころに、曇鸞(476~542)・道綽(562~645)・善導(613~681)の系統が主流となって発展しました。
真言宗
唐(618~907)の時代、「大日経」など密教経典を拠りどころとし、金剛智(571~641)・不空(705~774)により大成されました。いはゆる密教で、密宗とも呼ばれました。
<律宗>
律宗(りっしゅう)
律蔵所収の文献(戒律をまとめた経文)を所依(しょえ)として開宗された宗派で、東晋(265-420)の僧、法顕(337~422)が持ち込んだ仏典の中の「四分律」が北魏の法聡と慧光(468~537)によって重視され,四分律宗が成立しました。その後、唐(618~907)初期に、慧光の系統をうけた道宣(596~667)により大成されました。
<論宗>
毘曇宗(びどんしゅう)
上座部(小乗)仏教の説一切有部(せついっさいうぶ)の論書、「阿毘達磨大毘婆沙論(婆沙論)」、「阿毘曇心論(心論)」、「阿毘達磨倶舎論(倶舎論)」などを研究する学派です。これらの諸論書を講究した東晋(265-420)の道安とその弟子の慧遠(えおん)(334~416)らの尽力で、南北朝(439〜589)の5世紀に成立しましたが、後に、倶舎宗に吸収されまた。
なお、阿毘達磨大毘婆沙論(あびだつまだいびばしゃろん)は、説一切有部の教説をまとめたとされる「発智論(ほっちろん)」の注釈書で、阿毘曇心論(あびどんしんろん)と阿毘達磨倶舎論(あびだつまくしゃろん)は、婆沙論の綱要書です。
成実宗
412年に鳩摩羅什が漢訳した「成実論」を研究する学派で、鳩摩羅什門下の僧導(そうどう)や僧嵩(そうすう)によって宣揚され、南北朝(439〜589)から初唐にかけて隆盛を極めました。しかし、三論宗の吉蔵(549~623)らがこれを小乗と判定して以来、急速に衰え、結局、三論宗の寓宗(他宗に付属する宗派)となりました。
三論宗
竜樹(ナガールジュナ)(150~250年頃)による般若経の「空」論を論じた「中論」と「十二問論」、その弟子の提婆(だいば)(170-270年頃)の「百論」の三論を中心に研究する学派で、南北朝(439〜589)の時代に成立しました。漢訳した鳩摩羅什(344~413頃)がその開祖と位置づけられていますが、隋(581~618)の末期、吉蔵(嘉祥大師)(549~623)によって大成されました。
摂論宗(しょうろんしゅう)
インドの訳経僧・真諦(しんだい)(499~569)が漢訳した無着の「摂大乗論」と、これを世親が注釈した「摂大乗論釈(釈論)」を研究する学派で、南朝の梁(502~557)から陳(557~589)の時代を経て、唐時代初期まで広まりましたが、法相宗の勃興とともに衰えました。
法相宗
玄奘訳「成唯識論」を研究する唐の時代に誕生した学派で、インドから帰国した玄奘(600~664)が伝え、その弟子の窺基(慈恩大師)(634~682)が開きました。インド唯識派の思想を、中国で継承した形ですが、8世紀に入って隆盛となった華厳宗に押されて、宗派としては次第に衰えました。
地論宗
南北朝の北魏(386~534)の勒那摩提 (ろくなまだい) と菩提流支 (ぼだいるし)が漢訳した、世親の「十地経論(じゅうじきょうろん)」を研究する学派で、南朝の梁(502~557)から陳(557~589)の時代に盛んになりました。しかし、この論書は華厳経のなかの「十地品」を注釈したものだったので、唐代に華厳宗が大成すると吸収されました。
<例外>
禅宗
経典にも、注釈研究書にもよらない中国仏教13宗の一つが禅宗で、6世紀の初め、南朝の梁の武帝(在位502~549)のとき、インド僧・菩提達磨(達磨大師)(~528)によって伝えられました。他の学派と違い、拠りどころとなる経論を立てないばかりか、不立文字・教外別伝を主唱し、唐の7世紀から8世紀にかけて大成しました。
<関連投稿>
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中国仏教史⑥ (宋~清):伝統的教派の衰退と民間宗教の隆盛
<参照>
十三宗派の特徴 13宗派一覧(やさしい仏教入門)
中国仏教(広済寺HP)
十三宗とは(コトバンク)
中国の仏教 (Wikipedia)
中国十三宗(wikiwand)
浄土宗大辞典
(2022年7月8日)