毘曇宗 (俱舎宗):中国にも伝わった上座部仏教

 

今回は、中国仏教の13宗(毘曇宗,成実宗,律宗,三論宗,涅槃宗,地論宗,浄土宗,禅宗,摂論宗,天台宗,華厳宗,法相宗,真言宗)の中の毘曇宗、その後の倶舎宗についてまとめました。

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<毘曇宗の成立と発展>

 

毘曇宗(びどんしゅう)は、中国南北朝時代(439~589)に、インド仏教の一部派である説一切有部(せついっさいうぶ)(サルバースティバーディン)の諸論書を用いて部派仏教の研究・講義を行った学派をいいます。東晋の(釈)道安や慧遠(えおん)らによって5世紀に成立しました。

 

研究の中心になった主な論書は、説一切有部の論師(学者)で3世紀頃に活躍したトカラ出身の法勝(ほっしょう)による「阿毘曇心論(あびどんしんろん)」や、法救(ほつぐ)の著した「雑(ぞう)阿毘曇心論」でした。

 

  • 阿毘曇心論(あびどんしんろん)

インドの法勝(ダルマシュレーシュティン)が著した阿毘曇心論(あびどんしんろん)は、説一切有部の「阿毘達磨大毘婆沙論(あびだつま だいび ばしゃろん)(=大毘婆沙論/だいびばしゃろん)」の教理の綱要をまとめた書(綱要書)で、250年頃の成立とされています。

 

説一切有部の学説を整然と組織化した最初の論書でしたが、あまりに簡潔すぎて要領を得ない所があったため、「阿毘曇心論経」や「雑阿毘曇心論」などの釈論が書かれたと言われています。北インド僧の僧伽提婆(そうぎゃだいば)(383年に北京来訪)と東晋・廬山の慧遠が共訳しました。

 

 

  • 雑阿毘曇心論(ぞうあびどんしんろん)

雑阿毘曇心論は、法勝の門葉(もんよう)に属していたとされる法救(ほつぐ)が、法勝の「阿毘曇心論」を補って、説一切有部の思想の拠り所を明確にしたものです。南朝の宋(420-479)の訳経僧、僧伽跋摩(そうぎゃばつ)(天竺出身の訳経僧で、433年に建康に渡来)らによって漢訳されました。

 

毘曇宗の「毘曇(びどん)」とは、阿毘曇の省略語で、サンスクリット語「アビダルマ」の音訳(音写)です(ただし、それは唐の玄奘以前の旧訳(くやく)で、玄奘以後の新訳では「アビダルマ」は主に「阿毘達磨(あびだつま)」と音訳された)。

 

まさに、毘曇宗は、仏教の教説(経蔵、律蔵など)の研究・思想体系、およびそれらの解説書・注釈書(論蔵)であるアビダルマの論書研究者たちの集まり(一群)であり、その担い手は、道安をはじめ、これらの諸論書を漢訳したインド人学僧の僧伽提婆(そうぎゃだいば)や、慧遠らの中国僧たちでした。

 

こうして、毘曇宗は、彼らが長安や建康などに広めたことから、仏教基礎学として、華北を中心に流行しました。しかし、唐の玄奘が「大毘婆沙論(だいびばしゃろん)」「倶舎論」などの主要アビダルマ論蔵を漢訳(新訳)して以来、その平明な訳風のために玄奘以前の旧訳が用いられることが少なくなりました。

 

結果として、毘曇宗は、新訳に基づいて興った倶舎宗(くしゃしゅう)にとって代わられ、その中に解消されていきました。なお、日本では奈良時代に興った倶舎宗を毘曇宗と呼ぶこともあります(日本では倶舎宗は法相宗の付宗(寓宗)になった)。

 

 

<詳説>

毘曇宗(びどんしゅう)の研究論書の筆頭にあげられる法勝の阿毘曇心論(あびどんしんろん)は、説一切有部の「阿毘達磨大毘婆沙論(あびだつま だいび ばしゃろん)」(大毘婆沙論/だいびばしゃろん)」の教理の綱要書です。

 

  • 阿毘達磨大毘婆沙論(あびだつま だいび ばしゃろん)

(大毘婆沙論(だいびばしゃろん))

 

阿毘達磨大毘婆沙論(大毘婆沙論)は、上座部仏教の根本教典と言われる「発智論(ほっちろん)」の注釈書(発智論に対する諸注釈を集めたもの)で、部派仏教の教理の集成書となっています。略称として、「大毘婆沙論(だいびばしゃろん)」が、特に玄奘以降広く用いられています。

 

その内容は、アビダルマ(論蔵)(仏教教説の解説書・注釈書)全体にわたり、説一切有部のガンダーラ系(カシュミール有部)の正統説を広く詳細に示しているとされ、説一切有部の教義が、これによって確立したという見方が一般的です。

 

100~150年頃、インドのカシミール地方で編集されましたが、原典は伝わっていません。玄奘によれば、カニシカ王がカシミールで主宰した結集の際の論蔵であるとの伝承もありますが、定かではありません。漢訳は、北涼(ほくりょう)の浮陀跋摩(ふだばつま)や道泰(どうたい)らの旧訳と、玄奘(げんじょう)の新訳があります。

 

  • 阿毘達磨発智論(あびだつま ほっちろん)

(発智論(ほっちろん))

 

論蔵におさめられる、説一切有部の根本的(代表的)論書で、有部の教理はこれによって、体系づけられ、発展(大成)していきました。略称として、「発智論(ほっちろん)」が用いられます。説一切有部の成立は前2世紀の前半で、その後しばらくして、インドのバラモン(階級)出身の迦多衍尼子(かたえんにし)(カーティヤーヤニープトラ)が「発智論(ほつちろん)」を著したと伝えられています(ただし、現在の研究ではその成立は上の年代よりやや下るものと考えられている)。

 

阿毘達磨(あびだつま)(アビダルマ)

三蔵を構成する、律(ヴィヤナ)、経(スートラ)、論(アビダルマ)の一つをなす。これらのアビダルマをまとめたものを「論蔵」と呼ぶ。

 

 

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<参照>

毘曇宗とは(コトバンク)

大毘婆沙論とは(コトバンク)

阿毘曇心論とは(コトバンク)

倶舎宗(Wikipedia)

阿毘達磨大毘婆沙論(Wikipedia)

雑阿毘曇心論(WikiDharma)

 

(2022年7月12日)