真言宗 (中国):インド密教を継承

 

中国仏教の13宗(毘曇宗,成実宗,律宗,三論宗,涅槃宗,地論宗,浄土宗,禅宗,摂論宗,天台宗,華厳宗,法相宗,真言宗)の中の真言宗についてまとめました。真言宗は日本でも空海によって弘められました。

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<密教の成立>

 

真言宗(密教)は、仏教の密教化した宗派で、インドで民間のヒンドゥー教と結びついて生まれた密教が、8世紀、インド僧、善無畏(ぜんむい)によって、初めて中国に伝えられた後、中国仏教の一つとして独自の発展を遂げました。陝西省西安市(長安)にある大興善寺は、(中国密教の)発祥の地とされています。

 

インドで4世紀頃に誕生した密教は、従来の顕教(経典を通じて明瞭な言葉で説く仏教)に対して、呪術的要素が強く、師から弟子への秘伝として伝えられ、グプタ朝(320~550頃)全期を通じて、発達しました。7世紀頃に、密教の根本経典とされる「大日経(だいにちきょう)」「金剛頂経(こんごうちょうぎょう)」が成立したことによって、組織的、体系的な密教が完成したとされています。

 

密教の教義については、(投稿「密教:インド仏教最後の輝き」)を参照していただくとして、ここでは、インドで成立した密教がいかに中国に伝えられたかの経緯に絞って解説します。

 

 

<中国に密教を伝えた高僧たち>

 

この「大日経」系と「金剛頂経」系の両部の密教は、唐代の玄宗皇帝(在位712~756)のとき、善無畏(ぜんむい)(シュバカラシンハ)、金剛智(こんごうち)(バジラボディ)、不空(ふくう)(アモーガバジュラ)らによって唐へ伝えられ、インドで盛んになるのとほぼ同時期に中国でも密教が興隆していきました。

 

具体的には、善無畏は「大日経」を訳し、またのちに金剛智は「金剛頂経」を訳すなど、インド密教中期の多くの密教経典が漢訳され、その後、金剛智の弟子の不空が、中国密教をさらに発展拡大させました。善無畏、金剛智、不空は、「開元三大士」とも称され、自らの理論と実践により、それまでの雑然としたものを密教にまとめ、中国仏教の一つの学派「真言宗」として完成させたのです。

 

  • 善無畏(ぜんむい)(637-735)

善無畏(ぜんむい)(サンスクリット名、シュバカラシンハ)(善無畏三蔵)は、インド生まれの翻訳僧で、中国に本格的に密教を伝えた最初の人物です。

 

幼くして、東インドの烏荼国(オリッサ)で、国王となりましたが後に出家。インドのナーランダー僧院で達磨鞠多(だるまきくた)(ダルマグプタ)について密教の奥義を極めた後、80歳の時、師の命により梵夾(ぼんきょう)(サンスクリット原典)を持って中央アジアから716年に、陸路、唐(長安)に渡ってきました。玄宗皇帝により、国師として迎えられた善無畏は、弟子の一行(いちぎょう)の協力を得て、「大日経(だいにちきょう)」7巻を翻訳し、中国密教を確立させました。

 

  • 金剛智(こんごうち)(671―741)

金剛智(こんごうち)(バジラボディ)(金剛智三蔵)は、南インドの訳経僧で、龍智菩薩(りゅうちぼさつ)の弟子として、「金剛頂経(こんごうちょうぎょう)」系の密教を修めました。インド、スリランカなどを巡った後、720年、航路で中国に行き、玄宗の庇護のもと、723年から約20年間に、長安の大興善寺などで、おもに「金剛頂経」系統の経典を翻訳しました。善無畏とは同門とする資料も残されています。

 

  • 不空(ふくう)(705‐774)

不空(ふくう)(アモーガバジュラ)(不空三蔵)は、西域生まれの訳経僧(出生地は諸説あり、中国の涼州とも言われている)で、貿易商の叔父に連れられて唐へ行き、長安で金剛智に師事しました。

 

714年、師から中国内で密教を授かった不空は、741年、金剛智の入寂後、師の遺言に従い、インドに渡り、インドの龍智阿闍梨のもとに派遣されました。そこで、不空は、密教の秘法(修法)を伝授された後、帰路、セイロンなどに寄り「金剛頂経」系の密教経典をえて、746年、再び長安に戻りました。最新の密教をもたらしました不空は、玄宗(在位712~756)から重んじられただけでなく、その後の粛宗、代宗(在位762~779)の三代の国師として大広智三蔵の号を賜りました。

 

このように、3帝の信任を得た不空は、金剛智,善無畏によりもたらされた密教を、国家と不可分の関係において、翻訳本の流通をはかり、国家仏教の地位にまで引き上げるなど、中国社会に定着させました。なお、不空は、143巻もの「金剛頂経」系の密教経典を翻訳して、鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)、真諦、玄奘とともに、四大訳経家の一人として名をとどめています。

 

さらに、善無畏、金剛智、不空の「開元三大士」に加え、のちの真言密教の思想大系の基礎をつくって、密教(真言宗)をさらに発展させた僧に恵果がいます。

 

  • 恵果(けいか)

恵果(けいか)(恵果阿闍梨)(746―805)は、中国生まれの密教の高僧(陝西(せんせい)省の人)で、大興善寺の不空に師事して、(金剛界・胎蔵界両部の)密教を学び、その秘奥を究めました。

 

恵果の功績は、従来別個の流れであった「大日経」系の密教と「金剛頂経」系の密教とを両部不二とみて一元化し、9世紀には、「大日経」と「金剛頂経」に、「蘇悉地経(そしつじきょう)」を加えるなど、密教の体系を再構築したことです(この3つの経典は、後に「密教三部経典」と呼ばれる)。

 

「蘇悉地経」は、善無畏(ぜんむい)によって訳出された経典で、真言の持誦(じゅじ)、護摩の法などが説かれています。正式名称は、「蘇悉地羯羅経(そしつじからきょう)で、「蘇悉地」とは「真言を称えることによって達しうる妙果」を意味するとされています。

 

代宗(在位762~779)、徳宗(とくそう)、順宗(じゅんそう)(在位805~806)の敬を受け、三朝の国師と仰がれた恵果は、門下には義明(ぎみょう)、弁弘(べんこう)、慧日(えにち)、義操(ぎそう)ら多くの人材を輩出しました。(恵果の死後、義操が後を継いで青龍寺主となった)

 

恵果の晩年、805年に空海が入唐しました。長安(現在の西安)の青龍寺を訪れた空海は、恵果から、密教の秘法を伝授され、帰国後の812年に、高野山金剛峯寺に真言宗を開いたとされています。

 

 

<真言八祖>

 

インドで起こった密教は、中国を経て、空海(弘法大師)に伝えられ、日本で独立した宗派として真言宗を開くまでになったわけですが、日本の真言宗では、その間、八祖を経て伝えられたという真言八祖(しんごんはっそ)と呼ばれる伝承があります。

 

本来、真言八祖は日本の真言宗の教義なのですが、ここでは、中国の真言宗の理解にもつながるので、真言八祖をみてみたいと思います。真言八祖(しんごんはっそ)には、付法(ふほう)の八祖と伝持(でんじ)の八祖の二つに分類されています。

 

  • 付法の八祖

付法の八祖は、真言宗の法流の正系を示しているとされ、教主・大日如来の説法を、直弟子の金剛薩埵(こんごうさった)が聞いて教法が起こると、金剛薩埵から密教経典を授かった龍猛(竜樹)菩薩が、龍智菩薩に伝授することによって、世に真言宗の教えが広がってとされる系譜です。真言宗・付法の八祖の八人は次の通りです。

 

大日如来(だいにちにょらい)

金剛薩埵(こんごうさった)

龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)(竜樹)

龍智菩薩(りゅうちぼさつ)

金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)

不空三蔵(ふくうさんぞう)

恵果阿闍梨(けいかあじゃり)

弘法大師

 

 

  • 伝持の八祖

伝持の八祖とは、真言宗の教えが日本に伝わるまでの歴史に関わった、以下の8人の祖師のことをいいます。

 

龍猛菩薩(竜樹)

龍智菩薩

金剛智三蔵

不空三蔵

善無畏三蔵

一行禅師

恵果阿闍梨

空海

 

伝持の八祖では、付法の八祖のうち大日如来、金剛薩埵は実在しない人物とされているので除かれ、密教を最初に中国に伝えた善無畏(ぜんむい)三蔵と、その弟子で、善無畏の口述をもとに、「大日経」の漢訳を行った一行禅師の2人の祖師が加えられました。八祖大師(はっそだいし)とも称されます。

 

「開元三大士」と言われた善無畏(ぜんむい)、金剛智(こんごうち)、不空(ふくう)は、真言八祖として次のように配されました。

 

善無畏:真言宗伝持の第五祖

金剛智:付法の第五祖、伝持の第三祖

不空:付法の第六祖、伝持の第四祖

 

このように、インドで、大日如来が金剛薩埵(こんごうさった)に、密教の伝法や灌頂を授け、金剛薩埵はこれを龍樹(龍猛)に授け、次いで龍智、善無畏、金剛智にと伝授されて、やがて、唐代の玄宗皇帝(在位712~756)のとき、インド僧、善無畏(ぜんむい)(637-735)によって、初めて密教が中国に伝えられました。

 

唐では、密教を、金剛智と不空が大成し、その高弟の恵果が、極意奥義を受け、中国仏教の一つとして独自の発展を遂げながら、インド由来の密教は、中国で真言宗となったのでした(空海は入唐してこれを恵果に学び、日本に伝えた)。

 

 

<関連投稿>

中国仏教① 中国十三宗とは?:経・律・論で区分

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中国仏教③ 毘曇宗 (俱舎宗):中国にも伝わった上座部仏教

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中国仏教史⑥ (宋~清):伝統的教派の衰退と民間宗教の隆盛

 

 

<参照>

真言宗とは?歴史や教え、その特徴など(いい葬儀)

真言宗とは(コトバンク)

付法の八祖とは(高野山真言宗やすらか庵HP)

善無畏(Wikipedia)

 

(2022年7月14日)