四方拝から孝明天皇祭まで…多忙な睦月の皇室行事
1月は年の初めとあって、以下のように、年間を通して最も多くの皇室行事が行われた月となりました。
1月1日 四方拝:元旦早朝の神秘な儀式
1月1日 歳旦祭:四方拝に続く陛下の初詣
1月1日 新年祝賀の儀:総理、国会議長、知事、大使らからの祝賀
1月2日 新年一般参賀:国民からの祝賀
1月3日 元始祭:天孫降臨と皇位を祝う!
1月4日 奏事始:伊勢からの報告
1月7日 昭和天皇祭:先帝祭として厳かに
1月9日 講書始の儀:学界第一人者からの講義
1月14日 歌会始の儀:古式ゆかしき宮中行事
1月30日 孝明天皇祭:「先帝以前三代の例祭」の一つ
以下に各皇室行事について概観します。なお、各行事の詳細については、次のサイトを参照下さい。
四方拝(しほうはい)
2026(令和8)年を迎え、天皇陛下は、毎年恒例の1月1日早朝から宮中祭祀に取り組まれました。皇居・*宮中三殿に付属する神嘉殿(しんかでん)の前庭で「四方拝(しほうはい)」に臨まれ、皇祖神の天照大御神をまつる伊勢神宮、歴代天皇の眠る山陵、四方の神々に向かってご拝礼されました。陛下は、今年の五穀豊穣と国の安寧、国民の幸せを祈願されます。
歳旦祭(さいたんさい)
四方拝の後、陛下はすぐに宮中三殿に移動され、「歳旦祭(さいたんさい)」に臨まれました。歳旦祭は、賢所、皇霊殿、神殿の宮中三殿にそれぞれ祀られている皇祖・天照大御神、八百万の神々(天神地祇)、歴代天皇・皇后・皇族の霊(皇霊)に対し拝礼する祭祀です。
なお、今年の歌会始(後述)において、天皇陛下は、この歳旦祭に臨まれる際に、輝く金星をご覧になった感動や新年の平安を祈った気持ちを詠まれた。
*宮中三殿
皇居内にある、皇祖天照大御神がまつられている賢所(かしこどころ)、歴代天皇・皇族の御霊がまつられている皇霊殿(こうれいでん)、国中の神々がまつられています神殿(しんでん)の総称
新年祝賀の儀
その後、陛下は皇后さまとともに、皇居・宮殿で皇族方や三権の長らから新年のお祝いを受ける「新年祝賀の儀」に臨まれました。
宮殿「松の間」で、秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方からお祝いのあいさつを受けた後、皇族方とともに部屋を移動され、三権の長(内閣総理大臣、最高裁判所長官、衆参両院議長)や、国会の各会派の代表者、各省庁の事務次官、都道府県の知事・議会議長、各国の外交使節団の長らから祝賀を受けられました。
なお、昨年成年式を終えた秋篠宮家の長男、悠仁さまは初めて参加されました。
一般参賀
新年恒例の一般参賀が2日、皇居・宮殿の東庭で行われ、計5回で6万140人が訪れました。新年一般参賀は、天皇皇后両陛下が皇族方とご一緒に、随時宮殿・長和殿のベランダにお出ましになり、直接国民から祝賀をお受けになる行事です。
皇族方は、秋篠宮ご夫妻、上皇ご夫妻、両陛下の長女の敬宮(としのみや)愛子さま、秋篠宮ご夫妻の次女の佳子さま、常陸宮妃華子(はなこ)(正仁親王妃華子)さま、寬仁(ともひと)親王妃信子さま、三笠宮家の彬子さま、高円宮妃久子さま、長女の承子(つぐこ)さまが並ばれました。秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまも今回、初めて参列されました。
元始祭(げんしさい)
陛下は3日、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)で「元始祭」に臨まれました。元始祭は、年始にあたり、「皇位の大本と由来」とを祝すとともに、国と国民の繁栄を願われる宮中祭祀です。
「皇位の大本と由来」とは、日本の神話による天孫降臨のことをさします。記紀(古事記と日本書記)によれば、天照大神の孫であるニニギノミコト(邇邇芸命または瓊瓊杵尊)が、葦原中国(日本)の統治のために高天原から降臨した(これを「天孫降臨」という)とされています。元始祭では、この天孫降臨とそれによって天皇の位が始まったことが祝われます。
奏事始(そうじはじめ)
4日は、宮殿の鳳凰の間で、宮中祭祀をつかさどる掌典長(しょうてんちょうから、伊勢神宮と宮中の祭事について、それぞれの祭祀が滞りなく執り行われたという報告を受ける「奏事始」に臨まれました。
前年の祭祀報告は、神霊を祭る祭祀でも祭儀ではありませんが、祭祀・祭儀に必要な行事だとみなされています。というのも、皇祖神を祀る伊勢神宮では、毎年数十種以上、年間何百回もの祭典が行われ、また、皇室においても、宮中三殿や勅祭社、各地にある陵墓などを含めれば、さまざまなみ祭が何10種も実施されているからです。
昭和天皇祭
昭和天皇の命日に当たる7日、陛下は宮中三殿の皇霊殿で、昭和天皇祭、「皇霊殿の儀(昭和天皇祭皇霊殿の儀)」に臨まれました。秋篠宮ご夫妻もご拝礼。愛子さまをはじめとする皇族方も参列されました。
合わせて、東京都八王子市の昭和天皇陵「武蔵野陵(むさしののみささぎ)」においても同日、祭典(「山陵に奉幣の儀」)が営まれました。勅使が差遣、幣帛(へいはく)を奉(たてまつ)っての拝礼がなされます。皇族方では、佳子さまが参列されました。
また、その日の夜には、皇霊殿で御神楽(みかぐら)(昭和天皇祭御神楽の儀)も行われ、陛下と秋篠宮ご夫妻は夕方から行われた「御神楽(みかぐら)の儀」にも臨まれた。
講書始の儀(こうしょはじめのぎ)
(読書始の儀(どくしょはじめのぎ)」
天皇、皇后両陛下は、9日、皇居・宮殿「松の間」で、年頭に学術分野の第一人者から講義を受けられる恒例の「講書始の儀」に臨まれました。皇嗣殿下をはじめ皇族方が列席され、文部科学大臣、日本学士院会員、日本芸術院会員などが陪聴します。秋篠宮家の悠仁さまが初めて出席されました。
講書始の儀は、学問奨励と新年の恒例行事として、毎年1月、皇居において、天皇陛下が皇后陛下とご一緒に、人文科学・社会科学・自然科学の分野における学問の権威者から説明をお聴きになる儀式で、学問を重んじる日本の伝統を示しています。
今年の進講者とテーマは、嵯峨美術大の佐々木正子名誉教授の「江戸時代の日本絵画」、東大の御厨(みくりや)貴名誉教授の「オーラル・ヒストリーとは何か」、国立天文台の家正則名誉教授の「観測天文学最前線と日本の活躍」でした。進講時間は3分野を約15分ずつの計約45分で行われました。
歌会始の儀(うたかいはじめのぎ)
新年恒例の宮中行事「歌会始の儀」が、2026年1月14日、皇居・宮殿「松の間」で開かれました。儀式には両陛下や秋篠宮さまら皇族方が出席され、秋篠宮家の長男、悠仁さまは初めて出席し、お題に沿った歌を寄せられました。また、一般応募の1万4600首から選ばれた入選者も招かれ、それぞれの歌(五・七・五・七・七の短歌)が朗詠されました。
「歌会」(うたかい)とは、人々が集まって共通の題で歌を詠み,その歌を発表する会をいいますが、天皇陛下が年の始めに正月行事としてお催しになる歌会を「歌会始」といい、600年以上の長い歴史を持ち、国民参加の文化行事となって現在に至っています。
歌会始の儀では、天皇皇后両陛下の御前で、一般から詠進して選に預かった歌、選者の歌、召人(めしうど)の歌、皇族殿下のお歌、皇后陛下の御歌(みうた)と続き、最後に陛下の*御製(ぎょせい)が披講(ひこう)されます。
*詠進:詩歌をよんで差し出す(贈る、奉る)こと
*選者:一般からの応募作品(詠進歌)を選考する5人の歌人
*召人(めしうど):陛下から特別に要請されて歌を披露する人
*御製(ぎょせい):天皇陛下が詠まれた歌
*御歌〈みうた〉:天皇陛下以外の皇族の方が詠まれた歌
今年のお題は「明」で、天皇陛下は新年の平安を祈る気持ちを詠まれた。
お歌(御製)
「天空に かがやく明星 眺めつつ 新たなる年の 平安祈る」
(てんくうに かがやくみょうじょう ながめつつ あらたなるとしの へいあんいのる)
元日の夜明け前、歳旦祭に際して賢所の回廊から輝く「明けの明星」(金星)をご覧になり、その美しさに感じ入るとともに、新しい年の国家と国民の平安を願われたお気持ちを表現されました。
孝明天皇祭
孝明天皇の命日に当たる30日、陛下は、皇居・皇霊殿にで、皇族方とともに参列され、御霊を祀る祭典、「孝明天皇例祭の儀(孝明天皇例祭)」に臨まれました。皇后さまは、ご欠席され、御所にて、ご遙拝・お慎みなされました(御所で慎み深く過ごされた)。
皇族方からは、秋篠宮ご夫妻、佳子内親王殿下、三笠宮瑶子(ようこ)女王殿下
高円宮久子妃殿下、高円宮承子(つぐこ)女王殿下が参列されました。
また、合わせて、京都市伏見区の孝明天皇陵「後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)」においても、同日、「孝明天皇山陵例祭の儀」が営まれ、例年皇族方が参向されます。本年は、三笠宮彬子(あきこ)女王殿下が参列されました。
天覧相撲
これらのほかにも、皇室行事ではありませんが、天皇陛下は、18 日、皇后さまと長女愛子さまとともに、大相撲初場所の8日目を観戦されました。天覧相撲は2020年の初場所以来6年ぶりで、令和に入って2回目となりました。なお、国技館での「天覧相撲」は、昭和には40回、平成には23回行われました。
国技館に「天皇皇后両陛下、並びに愛子内親王殿下にはご退場になります」というアナウンスが流れると、観客は総立ちになって、貴賓席の方を向き、拍手や手を振って見送られました。これに、御一家は、穏やかな笑みを浮かべ手を振られ、さらに退場する際には三方に頭を下げられ、背を向けていた2階席のファンにも手を振られ、退場されました。
ご退場の際、私は、陛下よりさりげなく一歩遅れて動かれる皇后さま、皇后さまより自然に一歩遅れて動かれる愛子さまのお姿の美しさ、「これぞ、女性の奥ゆかしい所作」と感動しました。
(参考)
天皇陛下のお正月:四方拝から奏事始まで
(参照)
天皇皇后両陛下が講書始の儀に 悠仁さま初出席、天文学などテーマ
(2026年1月9日、日経)
皇居で「講書始の儀」、悠仁さまが初めてご参列 東大の御厨貴名誉教授ら3人
(2026/1/9 、産経)
皇居で歌会始 天皇陛下は新年の平安、皇后さまは手話での交流詠む
(2026年1月14日 、日経)
皇居で新年一般参賀 天皇陛下「穏やかで良い年に」、悠仁さま初参加
(2026年1月2日、日経)
皇居で新年祝賀の儀 天皇陛下「国民の幸せと国の発展祈る」
(2026年1月1日、日経)
三笠宮家「内紛」の結果・・・
三笠宮家は、2024年11月に三笠宮妃百合子さまが101歳で薨去されてから、当主が不在となっていたなか、2025年9月30日、「*皇室経済会議」(議長・石破茂首相)が、宮内庁の特別会議室で開かれ、以下の2つの決定がなされました。
(1) 空席となっていた三笠宮家の当主について、孫の(あきこ)さま(彬子女王)が継がれること
(2) 彬子さまの母で、百合子さまの長男・寛仁親王妃・信子さまが、三笠宮家を離れ、独立して新たな宮家『三笠宮寛仁親王妃家(みかさのみや・ともひとしんのうひ・け)』を創設し、その宮家の当主となられること
これによって三笠宮家は、母娘で分断した形となりました。なお、彬子さまの妹の瑶子(ようこ)女王(41)は、姉が当主となる三笠宮家にそのまま残られます。
◆ 三笠宮家当主を彬子女王が継承
彬子さまは、三笠宮崇仁 (たかひと) 親王の長男で、「ヒゲの殿下」と親しまれた三笠宮寛仁(ともひと)親王の長女です。大正天皇の曾孫で、現在の天皇から見て「祖父の弟の孫である女王」ということになり、一般人なら「はとこ」「またいとこ」という関係性があります。
女性皇族が当主となるのは、当主を亡くした妃(きさき)が継ぐというのが通例です。実際、戦後の皇室では、高円宮妃だけでなく、秩父宮妃、高松宮妃、高円宮妃、三笠宮妃が、夫の宮さまがお亡くなりになったのち、臨時で当主になられています。
しかし、彬子さまのように、未婚(宮家で夫を亡くした妻以外)の女性皇族が、当主を継承するのは、明治憲法下の1889年に旧皇室典範が制定されて以降、今回は初めてです。
江戸時代にまで遡れば、仁孝天皇(在位1817〜1846)の第三皇女で、桂宮淑子(すみこ)内親王以来163年ぶりのことです。淑子内親王は、桂宮家を継いだ別の弟が亡くなり、当主不在となったことから、1863年に (旧) 桂宮家の第12代当主となりました。
宮家の継承とは祭祀を継ぐことを意味します。宮家当主(一般人でいう「世帯主」)は、法的な概念ではありませんが、その家の代表として祭祀を執り行う役割があります。今回の決定により、彬子女王は、独立生計を営む皇族と認定され、三笠宮家の当主として正式に宮家の名称と、その祭祀を「継承」されました。
もっとも、彬子さまはすでに、三笠宮ご夫妻(崇仁親王と百合子妃)と子の寛仁親王の祭祀を執り行っており、今回の決定で、その立場が法律に明文化された形です。さらに母の信子さまが独立したことで、彬子さまが、名実ともに「三笠宮家」を継ぐ存在となられました。
◆ 信子妃が独立し宮家を創設
今回、三笠宮家から独立した信子さまは、独立生計認定を受け、新たな宮家(三笠宮寛仁親王妃家)の当主となりましたが、信子妃のように結婚により民間から皇室に入った女性(皇族妃)が新たに家を創設するのは、明治時代の旧皇室典範施行(明治22年)以来、これも例のない初めてのことです。しかも、「親王妃家」という、まったく前例のない制度がつくられたわけです。
そもそも「三笠宮寛仁親王」という皇族は、現在存在していません。崇仁親王(三笠宮)の長男、「寛仁(ともひと)親王」は、生前、いずれ「三笠宮家」を継ぐことを考え、「寛仁親王家」という宮家を名乗られていました。したがって、「三笠宮寛仁親王妃家」という名称は、「三笠宮家から出た寛仁親王妃の家」という異例の構成となったのです。
ですから、厳密にいえば、信子妃殿下の新宮家、「三笠宮寛仁親王妃家」は、三笠宮家の分家であり、全く新しい宮家ではありません。新しい宮家であれば、天皇陛下から、秋篠宮や高円宮(たかまどのみや)のように「◯◯宮」という「宮号」を賜わりますが、宮内庁は、宮号はないと明らかにしています。
いずれにしても、新たな宮家ができるのは、1990年に秋篠宮家が創設されて以来35年ぶりのことです。これによって、これまで総数として「4宮家」(秋篠宮、常陸宮、三笠宮、高円宮)といっていたのが、これからは「5宮家」になります。
◆ 増額される皇族費
宮家において、誰が当主になるかは原則、家族の話し合いで決まり、その結論が皇室経済会議に諮られます。皇室経済会議が開かれる理由は、会議で独立生計者(当主)と認定され、宮家の当主になると国(国庫)から支払われる皇族費が増額されるためです。皇族費は身位や「当主かどうか」などに応じて、皇室経済法等に基づいて計算式が定められています。
今回の決定によって年間で支給される皇族費は、以下のように、彬子さまと信子さまは増額され、当主になられなかった瑶子さまは、これまでと同じ支給額となりました。
母・信子親王妃:1525万円⇒3050万円
姉・彬子女王:640.5万円⇒1067.5万円
妹・瑶子女王:640.5万円(変わらず)
もし、三笠宮家だけで存続する場合、すなわち、順当に信子妃が当主に就かれ、彬子さま・瑶子さまがその家の成員となった場合、3人に支払われる皇族費は計4331万円でしたが、今回は新当主が2人誕生することで計4758万円となり、427万円の増額となりました。
皇室経済会議の決定に対する国民の声
今回、7年ぶりに開催された皇室経済会議では、意見や質問はなく10分ほどで終了し、全員一致で、信子さまと彬子さまの独立生計を認定しました。
今回の決定をめぐっては、ご一家のこれまでの事情に鑑みれば、「やむを得なかった」という意見もありますが、「物価高で貧困が増えてるのに皇族に支払われる額は倍増し、国民の負担が増えることに、国民の理解は得られない」、「継がれる当主が決まったのはいいが、ご一家がひとつにまとまるのが通例、そもそも新しい宮家が必要なのか」といった声が聞かれました。
なかには、「親王妃家という前例のない宮家を立てるぐらいなら、信子妃は本来、皇籍離脱するのが筋であろう」、「寬仁親王(2012年死去)の生前から夫婦は事実上、離婚状態にあったのだから、皇族妃という立場を放棄すべきである」との厳しい意見も出されていました。
一連の決定について宮内庁側は、「宮家で話し合われた結果」、「内輪の話。承知していないし、承知したとしても説明を差し控える」と言うのみで、一世代飛ばして信子さまの長女彬子さまが継いだ理由や、信子さまが三笠宮家を離れた、具体的な理由については説明していません。
このように、彬子女王の宮家継承と信子妃の新宮家創設は、明治以降の皇室では前例のない「初めて尽くし」となり、結果的に、三笠宮家は分裂(分断)してしまいました。
こうなってしまった背景には、20年以上にも及ぶ、三笠宮家内における夫婦間の葛藤と、母娘の確執がありました・・・。
三笠宮家内の問題から、今回の決定が与える影響まで、続きは、以下の投稿議事を参照下さい。
悠仁さま、40年ぶりの成年式、成年皇族に!
秋篠宮家の長男悠仁さまが成年を迎えたことを祝う「成年式」が、2025年9月6日、皇居・宮殿などで行われました。皇室の成年式は、男性皇族が成人したことを祝う慣例儀式で、成年皇族の仲間入りを祝う行事です
筑波大1年生でこの日に19歳となられた悠仁さまは、宮中の伝統を受け継いだ儀式に臨まれました。まず、秋篠宮邸で、成年用の冠を、天陛下の使者から受け取る、「冠(かんむり)を 賜(たま) うの儀」が執り行われ、その後、悠仁さまは、皇居・宮殿で未成年用の冠を成年用の冠に替える、成年式の中心儀式「加冠(かかん)の儀」に臨まれました。さらに、宮中三殿へ拝礼された後、天皇、皇后両陛下にあいさつする「朝見の儀」に出席されました。
成年式の儀式はここまでですが、関連行事はその後も続き、悠仁さまは、皇室の伝統として、8日に三重県の伊勢神宮と奈良県の神武天皇陵を、9日には東京・八王子市にある武蔵陵墓地の昭和天皇陵を参拝され、皇室の祖先に儀式(成年式)の終了を報告されました。10日には、東京 港区の明治記念館で、三権の長ら悠仁さまが通われた小中学校の関係者などおよそ30人を招いたお祝いの昼食会が行われ、一連の儀式や行事を終えられました。
悠仁さまの皇位継承順位は秋篠宮さまに次ぐ2位です。次世代の皇室を担う存在である悠仁さまの今後のご活躍が期待されます。また、こうした宮中祭祀を身近に接するにつれ、一人の国民として、男系による万世一系の皇室の存続と発展を願うばかりです。
なお、成年式についての詳細は、下の投稿記事に書きましたので、ご参照下さい。
また、ほかの宮中祭祀や宮中行事や、皇室についてさらに知りたい場合、以下のサイトにアクセスしてみて下さい。
こんなにもある宮中祭祀をもっと身近に!
本HP 「むらおの歴史情報サイト『レムリア』」では、皇室についての情報を「日本の皇室」というテーマでお届けしていますが、その中の「宮中祭祀・宮中行事」について、これまで未筆の祭祀がありましたが、本日、一通り完成しました。
天皇陛下は、年間、これだけの祭祀をなされ、私たち国民のために、国の繁栄と世界の安寧の「祈り」を捧げていらっしゃるのですね。ご関心の祭祀があれば、またさらに皇室についてお知りになりたければ、赤字をクリックしてご覧ください。
宮中祭祀
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2月11日 紀元節祭:神武天皇の即位を祝って…
2月17日 祈年祭:五穀豊穣と国民の繁栄を…
2月23日 天長祭:天皇誕生日、かつての天長節
春分の日 春季皇霊祭・春季神殿祭:春分の日の宮中祭祀
4月3日 神武天皇祭・皇霊殿御神楽:皇居と橿原の地にて
6月16日 香淳皇后例祭:昭和天皇の皇后さまを偲んで
6月30日 節折の儀・大祓の儀:陛下と国民のためのお祓いの行事
7月30日 明治天皇例祭:先帝以前三代の例祭の一つ
秋分の日 秋季皇霊祭・秋季神殿祭:秋分の日の宮中祭祀
10月17日 神嘗祭:五穀豊穣を伊勢神宮に向けて感謝
11月23日 新嘗祭:五穀豊穣を宮中にて感謝
12月中旬 神話賢所御神楽:起源は「天の岩戸」神話」
12月25日 大正天皇例祭:先帝以前三代の例祭の一つ
12月31日 節折の儀・大祓の儀:陛下と国民のためのお祓いの行事
(関連サイト)
両陛下ご訪英、確認された日英の深いつながり
天皇、皇后両陛下は、2024年6月、国賓として英国を(公式)訪問されました(22日〜29日)。天皇が国賓として訪英するのは1971年の昭和天皇、98年の明仁上皇に続き26年ぶり3度目となりました。滞在中、天皇陛下とチャールズ国王は、2日英の最高勲章「大勲位菊花章 頸飾(けいしょく) 」と「ガーター勲章」を贈りあわれました。皇室、王室とも代替わりを経たうえでの親善訪問は、日英両国の絆をさらに深める機会となりました。訪英は当初、エリザベス女王の招待を受けて2020年春に予定されていましたが、新型コロナウイルス禍の影響で延期されていました。今年に入りチャールズ国王から改めて招待があったそうです。
今回、両陛下ご訪英において、個人的に関心がでてきたのが、両国君主が贈り合った勲章についてでした。そこで、本HP「レムリア」では、以下の4項目に分けて、日英の栄典制度についてまとめてみました。
佳子さまペルーご訪問 皇室の南米外交を担う秋篠宮家
秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さま(佳子内親王/身位は内親王。敬称は殿下)は、2023年11月、日本とペルーの外交関係樹立150周年を記念して、南米のペルーを公式訪問されました。
滞在中は、記念式典で挨拶され、日系人らと交流されたほか、インカ帝国時代の城塞都市遺跡、「空中都市」と呼ばれる世界遺産のマチュピチュ遺跡や、アンデス山脈にある都市クスコを訪問され、インカ帝国時代の太陽神殿コリカンチャなどを視察されました。
佳子さまの外国公式訪問は2019年のオーストリア・ハンガリー以来、4年ぶり2回目となり、また、ペルーは2014年に秋篠宮ご夫妻、19年に長女小室眞子さんが訪れています。
ペルーの国柄、日本や皇室との関係、また、インカ帝国については、以下の投稿記事でまとめています。興味のある方はご一読下さい。
過去10年、秋篠宮家が、ペルーを含む南米の訪問を担っています。秋篠宮ご夫妻は14年にペルーとアルゼンチン、15年にブラジル、17年にはチリをご訪問され、当時の眞子内親王殿下(現小室眞子さん)は、16年にパラグアイ、18年にブラジル、19年にはペルーとボリビアを訪れています。
なぜ、秋篠宮家が南米の国際親善を担っているかについて、「皇室の少子高齢化」の影響が指摘されています。日本から南米までは、長時間のフライトであり、現地での移動も時間がかかります。訪問先は暑いところが多い一方、山間地では気温がぐっと下がるなど過酷な環境の場所が多く、体力が必要なため、若い皇族でなければ、その任に耐えられないと言われています。
こうした背景から、近年、若い秋篠宮家がその役割を担うようになりました。秋篠宮ご夫妻が50代になられた時期からは、最初は眞子内親王殿下、そして、眞子さまご結婚後の現在は佳子さま(佳子内親王殿下)が、南米訪問を任される立場になっている模様です。
<参照>
佳子さまが「エネルギッシュな笑顔」でペルーへ出発 なぜ秋篠宮家が南米の訪問を担うのか (2023/11/02、AERA)












