初めて改正された皇室典範、男系の継承は続く
1947年の制定から約79年間一度も変わっていなかった皇室の基本ルールが初めて本格的に変更されることになりました。各方面からさまざまな批判の声がでていますが、ここでは、すでに公布された皇室典範の改正による事実のみをまとめました。
<皇室典範の改正>
国会は、2026年7月17日、皇族数の確保に向けた皇室典範改正案を可決・成立させました。政府は同月24日、改正皇室典範を公布、3カ月後の10月24日に施行されます。
「女性皇族が結婚後も皇室に残り、皇族の身分を維持できるようにすること」と、「旧11宮家出身の男系男子を養子縁組によって皇族とすること(皇族と旧宮家出身男子の養子縁組の容認)」が改正の骨子で、後者については、さらに踏み込んで、「養子のもとに生まれた男子に皇位継承の資格を認める」という規定も盛り込まれました。
戦後の象徴天皇制に伴い制定された皇室典範の本格的改正(本則の改正)は、連合軍占領下の1947年5月3日、日本国憲法と同時に施行されて以来、初めてのことで、日本の皇室制度にとって数十年来の大改革となります。
今回の改正は、減少する皇族数の確保を目的としていました。その意味では、「女性皇族の身分保持」は皇族数を「減らさない」ための案であり、「旧宮家出身男子の養子縁組」が皇族数を「増やす」ための案と言え、それぞれ法制化されました。
皇室の公務を担う皇族の数が減っており、このまま手当てをしないと活動に支障が生じることが懸念されてきました。国際親善や地方の訪問、被災地のお見舞いなど、公室の役割は多岐にわたっていますが、将来的に皇族の人数が減りこうした活動が続けられなくなる恐れが出てきたのです。
皇室の現状
戦後、旧宮家に皇室離脱もあり、皇室の規模が縮小、皇族間の結婚はなくなり、結婚しても皇室に残るのは男性のみとなりました。さらに、1965年の秋篠宮さまの誕生後、9人連続で女子が生まれ、皇族の数は、1994年の26人をピークに、女性皇族の結婚や皇族の逝去によって減少を続けています。2000年代に入っても、結婚による離脱も相次ぎました。
現在の皇室には、天皇・皇后両陛下、上皇・上皇后両陛下と、12名の皇族の方々(計16人)がいらっしゃいます。このうち、未婚の女性皇族は5人、男性皇族は1人しかおらず、皇族数確保の方策が喫緊の課題となっていました。
未婚の女性皇族
(天皇家) 愛子さま
秋篠宮家 佳子さま
三笠宮家 彬子さま、瑶子さま
高円宮家 承子さま
未婚の男性皇族
秋篠宮家 悠仁さま
このように、今回の改正は、減少する皇族数の確保を目的とするものですが、その一方で男系男子による皇位継承が色濃く反映された内容で、皇位継承資格を男系男子に限るという現行の原則は維持され、女性天皇や女系天皇を認める制度改正は盛り込まれませんでした。
これは、事実上、女性天皇の即位は否定されたものとなり、愛子さまは、皇位継承の資格をもたないままです(愛子さまの即位の可能性は議論されなかった)。
もっとも、今回の改正では、安定的な皇位継承のあり方についての議論が先送りされ、改正皇室典範の付帯決議では「安定的な皇位継承を確保するための方策」について「引き続き、検討する」と明記されています。野党はこの決議を踏まえ、女性・女系天皇を含めた検討の早期着手を求めており、今後、男系か女系かの議論が再燃する可能もあります。
そこで、今回の改正の骨子である「女性皇族の婚姻後の身分保持」と「旧宮家出身男子の養子縁組」の中身をさらに検証することによって、今後の皇位継承のあり方について考えるきっかけにしたいと思います。
<改正皇室典範にともなう変更>
◆ 女性皇族の身分保持
皇室典範改正前
戦後の旧皇室典範では、女性皇族(内親王・女王)は、これまで(皇族以外の)一般国民男性と結婚をしたら必ず皇籍離脱しなければなりませんでした(第12条)。すなわち、婚姻後、皇族という身分を放棄、皇室を離れて一般国民になりました。
2021年に大学時代の恋人と結婚した当時の秋篠宮眞子さまも、まさにそうした措置が取られました。
なお、男性皇族と婚姻した場合は、皇族身分を保持することになりますが、現在、未婚の男性皇族は悠仁親王しかおられません。
一方、結婚しなかった場合、皇籍を保持することになります。皇室に残っておられる内親王・女王5名の方々は、現在、この選択をとっていることになります。
また、皇室典範上、 婚姻せずに、皇籍を離脱するという選択肢もあります。皇室典範には、「女性皇族は、婚姻しないまま、皇籍を離脱したいときは、皇室会議の議を経て、皇籍を離脱することが可能」(第11条第1項)との規定があります(皇籍会議で認められることが必要)。
なお、この規定は、結婚の有無に関わらず(結婚していなくても)、本人が「皇族を離れたい」と希望し、皇室会議の承認を得れば、皇族の身分を離れることが(離脱)できます。
しかし、過去にこの選択をとって皇籍を離脱した事例はありません。未婚のまま「自分の意思だけで皇室を去る(11条)」という選択は、世論やメディアから「皇室内の人間関係に問題があるのではないか」「公務の放棄ではないか」といった過度な憶測や批判を招きやすく、皇族方にとって心理的負担が大きすぎることなどがその理由としてあげられます。
そうすると、戦後の旧典範のもとでの女性皇族は、事実上、①婚姻して皇籍を離脱するか、②婚姻せずに皇籍を保持するかの2つの選択しかなかったと言えます。
*皇室会議
皇位継承順位の変更や男性皇族の婚姻、皇族の身分の離脱など、皇室に関する重要事項を合議し決定する国の機関で、内閣総理大臣が議長を務め、以下の計10名の議員で組織される。
皇族 2名
衆議院・参議院の議長および副議長 4名
内閣総理大臣 1名、
宮内庁長官 1名
最高裁判所長官およびその他の裁判官 2名
皇室典範の改正後
女性皇族の未婚の5名(内親王2名・女王3名)は、改正後はどうなるのでしょうか?想定されるシナリオは6つです。
① 一般国民男性と婚姻して、皇籍を保持する
改正典範では、皇族の女性が一般人と結婚した場合も、皇族の身分を保持し(皇籍にとどまり)、結婚後も、基本的に皇室に残ります(皇籍を離脱しない)。これについては、皇室会議にかける必要もありません。
このことは、将来の女性皇族は一般男性と結婚した時点で、本人の意志とは関係なく、自動的に皇族の身分が維持されることを意味します。つまり、皇室に「残る」ことが義務的な前提で、「残ることができるか、残らなくてもいいか」という選択肢が最初から用意されているわけではありません。
改正前の皇室典範12条には「女性皇族は、天皇・皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」という規定がありましたが、今回の改正では、この規定そのものが削除されました。そのため、結婚しても自動的に一般人になるというこれまでの仕組みはなくなり、法律上、結婚してもそのまま皇族であり続けることが標準的な原則となったのです。
今回の法改正の最大の目的は、婚姻による離脱で皇族が急減する危機に歯止めをかけることなので、「女性皇族に結婚後も皇室に残ってもらい、引き続き公務などの皇室活動を支えてもらうこと」が大前提となっています。
一方、一般男性との結婚後の女性皇族(女性皇族の「身分事項」)は、皇室の戸籍にあたり宮内庁が管理する「皇統譜」に登録され(残り)、選挙権・被選挙権はない等、皇族としての地位はそれまでと何ら変わりません。女性皇族に名字はないままの状態も継続されます。
しかし、当該女性皇族には、一般の国民と同じように「住民基本台帳法」が適用され、住民票には女性皇族のお名前が記載されます。この措置は、住宅ローンや携帯電話の家族割など、結婚生活において家族関係を証明する必要があるときに備えてのこととされています。
また、結婚後の皇族費については、現在の宮家の当主たちの男性皇族と同額に引き上げられます。
女性皇族の夫子の身分
女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する案において、その配偶者(夫)や子に皇族の身分を付与するかどうかは、法案成立時点では決定されず、将来の議論に委ねる方針となっています。したがって、改正法には、夫や子どもについても皇族になる規定を設けられていません。
ただし、改正案では夫や子に合わせ、女性皇族も住民基本台帳に登録されることから、夫や子は一般人のままとすることが前提とされた仕組みと解されています。
また、女性皇族は結婚後も皇室の「皇統譜」に登録されるのに対して、夫と子は一般の戸籍に記載される(女性皇族と夫子の戸籍自体は別)ことも、皇族の身分が与えられないことが想定されています。
さらに、夫と子は皇宮警察の護衛対象とはなりませんが、女性皇族と一緒に御用地などに居住され、状況に応じて公務に臨み、公費から旅費を支給することになると見られています。
② 一般国民男性と婚姻して、皇籍を離脱する
これは、改正前の典範12条で廃止された「女性皇族は結婚後、皇籍を離脱する」(結婚による離脱規定)を改正後も実行することになります。
改正法では、女性皇族は、結婚してもそのまま皇族であり続けることが原則ですが、結婚するからといって強制的に皇室に縛り付けられるわけではなく、前述した皇室典範11条1項の「自発的な離脱手続き」を活用して、皇室を離れる選択肢も残されています。
もっとも、一度婚姻によって皇族として残ることが確定したのち、皇籍から離脱したい場合(結婚を理由に皇室を離れるためには)、「本人が自ら離脱を願い出て、皇室会議の承認を得る」という手続きが必要になります。
経過措置
しかし、改正典範では、天皇家の長女愛子さま、秋篠宮家の次女佳子さまら未婚の女性皇族5人(については)、経過措置として、一般国民と婚姻した場合、自らの意思で、皇籍を離脱することも可能です(附則第2条)。この場合、皇室会議の議を経る必要はありません。
これは、法改正にともなう環境の激変(現行典範のもとでは婚姻したら皇籍を離脱することとなる前提で、これまで人生を歩まれてきたこと)に配慮し、結婚時に「皇室に残るか、離脱するか」を本人の意思で自由に選択できる「経過措置」が設けられたものです。
逆に言えば、改正典範が施行された後に誕生する女性皇族(内親王・女王)はこの「経過措置」は適用されません。
③ 旧宮家男性と婚姻して、皇籍を保持する
改正典範のもとで、旧宮家出身の男性が養子として皇族になることが認められたため、今後、養子として迎え入れられた男性皇族が皇室の一員になる可能性があります。女性皇族が、その養子となった皇族と婚姻すると、原則として皇族の身分を保持することとなります。この場合は、皇室会議で認められる必要があります(第10条)。
なお、養子となった皇族との間でうまれた子は皇族となり、男子の場合は皇位継承資格を有する皇族となります(第1条・第2条)。
④ 旧宮家男性を養子にして、皇籍を保持する
改正典範のもとで、1947年に皇籍離脱した旧宮家の子孫の男性(15歳以上で、配偶者や子がいない男性)と養子縁組ができるようになります(この場合も、皇室会議で認められる必要はある)。
養親となる資格は、法律上は、すべての親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王の各皇族個人に認められています(第38条第1項)。
ただし、成立した改正皇室典範では、旧宮家の男系男子を養子に迎えることができる「養親(親となる側)」の範囲から、天皇・皇后両陛下、上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻(皇嗣・皇嗣妃)の皇族方は、養親になれない皇族として除外されています。
これは、直系で皇位を継承していく立場にある方々やその直接の配偶者は、人為的な養子縁組によって皇統や継承順位に混乱が生じるのを防ぐためです。
そうすると、制度上、養親となれる可能性がある皇族は、直系皇族および未成年(15歳未満など)の皇族を除く「一般皇族」(未婚・既婚問わず)のみが対象となります。
実際に養親となれる可能性がある皇族として期待されているのは、絶えかけている高齢の4宮家です。改正法も、現在次の世代(子供)がいない宮家の「一般皇族」が、宮家を存続させるために旧宮家から養子を迎えるケースを主に想定しています。
養子の受け入れ先として期待される4宮家の構成員(計7名)
常陸宮家(常陸宮さま、華子さま)
寛仁親王妃家(信子さま)
三笠宮家(彬子さま、瑶子さま)
高円宮家(久子さま、承子さま)
天皇陛下のご長女の愛子さまや秋篠宮家の佳子さまも制度上、養親になる資格がありますが、お二人については、自ら「養親」になるよりも、「旧宮家出身の男系男子とご結婚される(お相手として迎える)」という形での皇族確保の可能性の方が、議論や世論の関心としては高く持たれています。
なお、未婚の女性皇族が、養親になられた場合、養子縁組をすると法律上・制度上の関係は必ず「親」と「子」になるので、迎えられた男性は、「子(長男など)」の扱いになります。
もちろん、ご自身の結婚やその後の人生設計を控えているが、あえて未婚の段階(あるいは結婚直後)から、血縁のない旧宮家の男性を「自分の子供(養子)」として引き受ける決断をする動機や必要性は薄いとみられています。
➄ 婚姻せずに、皇籍を保持する
戦後の旧典範と同様、これまで通り、婚姻せずに、皇族として残り続ける選択をすることもできます。
⑥ 皇籍を自由意思で離脱する
戦後の旧典範と同様、女性皇族は、婚姻をしてもしなくても、また養子縁組をしてもしなくても、皇籍を離脱したいときは、皇室会議の議を経て、皇籍を離脱することが可能です。これは前述した、皇室典範11条1項の「自発的な離脱手続き」を活用する方法です。
◆ 旧宮家男子との養子縁組
皇族はこれまで養子縁組が一律に禁止されていましたが、今回の改正で、一般国民のうち、皇籍を離れた旧宮家出身の男系男子の子孫との間で養子縁組をすることができることになりました。
男系男子の養子の対象者は、現憲法施行の1947年に皇籍離脱した旧11宮家51人の男系子孫のうち、配偶者と子がいない15歳以上で、現在の宮家の養子に迎え入れられることによって、皇族となります。皇族となれば、天皇に代わって摂政を務める資格すら持ちえます。
前述したように、受け入れ先となる可能性があるのは、常陸宮家、三笠宮家、高円宮家、寛仁親王妃家の4宮家で、天皇、皇后両陛下と上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻は対象外です。養子本人には、皇位継承権は生じませんが、「養子に男子が生まれた場合、皇位継承権を有することになります。
日本の皇室は、初代・神武天皇から現在の天皇に至るまで、父方の血筋によって連綿と受け継がれてきた(男系)、世界的にも稀有な「万世一系」の皇統で、その系譜は2600年以上続いていると考えられています。
現在、皇位継承順位1位は天皇陛下の弟の秋篠宮文仁さまで、秋篠宮さまの息子の悠仁さま(19)が同2位です。同3位が、陛下の叔父の常陸宮正仁さまで、皇位継承資格を持つ最後の人物です。
戦後これまで続いていた皇室典範では、典範が改正されなければ、悠仁さまに男子が誕生しない場合、皇位継承は途絶える可能性もありました。
皇族に男性の世継ぎがいないことについては、長らく懸念されてきました。そうしたなか、女性・女系の皇位継承を認めるべきかの議論も起きていました。
しかし、自民党・保守派の政治指導者らは、「万世一系」という歴史的伝統を重要視し、皇位継承は男性に限定すべきだと主張。それが皇室の正統性にとって重要だと訴え、今回の皇室典範改正につなげました。
今回の改正に伴い、養子の子が男子なら皇位継承資格を持つことになり、次世代の唯一の皇位継承者である秋篠宮家の長男悠仁さまが将来、結婚後に男子に恵まれなかったとしても、男系で皇位は継承されます。ただし、その場合、旧宮家の男系子孫に皇統(天皇の血筋・系統)が移ることになります。
<男系でつないだ歴史>
皇室典範第1条は、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めています。
「皇統に属する」というのは現在や過去の天皇の血を引いていることで、このうち、「男系」とは、父方を通じて天皇の血統を受け継いでいることをさします。
皇位が男系で継承される制度のもと、明治時代以降は、女性皇族は天皇や皇族の男性以外と結婚すると、皇族でなくなるとされてきました。このため皇室に生まれる子どもは全員が「男系」です。
天皇、皇后両陛下の長女愛子さまは、天皇の父を持ち、秋篠宮ご夫妻の次女佳子さまは祖父上皇さまと父秋篠宮さまを通じて血縁がつながるため、ともに男系の女性皇族となります。
一方、「女系」とは母方を通じて、天皇の血統を受け継いでいることをさします。2018年に結婚で皇室を離れた高円宮家の三女、守谷絢子さんの長男は、母絢子さんを通じて大正天皇の血筋を受け継いでいるため女系の男子となり、皇族ではありません。
日本の皇室は、古代から現代まで、約2600年の間、一度も途切れることなく、男系で1本の鎖のようにつながってきました(歴代天皇は全て男系)。
推古天皇や持統天皇など、10代8人の女性天皇は存在しましたが、その全員が「父親をたどると天皇に行き着く」という男系の女性天皇で、女性天皇の子供が天皇になった例(女系継承)は一度もありません。
かりに愛子さまが天皇になられた場合は、男系の女性天皇となりますが、愛子さまが結婚されて男の子が生まれて、皇位を継承された場合は、女系の男性天皇となります。
女系天皇を認めると、その時点で古代の天皇から続いてきた、「万世一系」の皇統、父系の血統が途切れてしまいます。
歴史上、天皇の直系(親から子)で引き継げず、皇位継承が途絶えそうになった際の先例として、古代、武烈天皇の系譜が途切れたおり、父の父の父の父まで遡り、その子孫である継体天皇(在507~531)に継いでもらいました。
また、近世末期の光格天皇(在位1780年 〜 1817年)は、傍系(本家から分かれた親戚の宮家)から、男系の血を引く男子として養子に迎えられて皇位を継がれました。
今回の皇室典範改正によって認められた「旧宮家からの養子縁組」も、まさにこの「男系の血筋(皇統)」を引く男性を皇室に戻すことで、皇統が途絶えるのを防ぐための政策です。
今後、両陛下のなさりようを間近で見て育った愛子さまが結婚されて皇室に残り、男の子を出産されたとしても「女系の男子」となるため、同じく皇位を継承できず、そのお子さまは一般人です。
一方、“これから皇族です”と、国民の前に現れ、新たに養子として皇室入りした方のお子さまは皇族であり、男子であれば、皇位継承の資格を持ち、将来天皇として即位する可能性もあります。
この現実について、いろいろ思うことがある人も多いでしょうが、これが男系でつなぐという歴史と伝統のなす業です。
(参考)
(参照)
皇室典範、象徴天皇制下で初の改正 養子子孫に皇統移る可能性も
(2026年07月17日、時事通信)
日本、皇位継承の規定を緩める 女性天皇を認めないことは変わらず
(2026年7月17日、BBC)
養子受け入れで注目の「男系」「女系」とは 皇室典範改正案が成立
(2026年7月17日、朝日新聞)
「多数決で変えてはいけない伝統がある」旧宮家「男系男子」養子として迎え入れる意味 皇室典範改正
(2026.7.18 ABEMA Prime)
皇室典範改正 女性皇族の選択肢はこれだけ広がる
(2026年7月15日 Note)
「改正皇室典範」国連が見解 「女性の力 発揮される政策を」過去には女性天皇に言及
(2026年7月19日、テレ朝NEWS)
改正皇室典範を公布 先送りされた「女性・女系天皇」政府は消極的
(2026年7月24日、朝日)
四方拝から孝明天皇祭まで…多忙な睦月の皇室行事
1月は年の初めとあって、以下のように、年間を通して最も多くの皇室行事が行われた月となりました。
1月1日 四方拝:元旦早朝の神秘な儀式
1月1日 歳旦祭:四方拝に続く陛下の初詣
1月1日 新年祝賀の儀:総理、国会議長、知事、大使らからの祝賀
1月2日 新年一般参賀:国民からの祝賀
1月3日 元始祭:天孫降臨と皇位を祝う!
1月4日 奏事始:伊勢からの報告
1月7日 昭和天皇祭:先帝祭として厳かに
1月9日 講書始の儀:学界第一人者からの講義
1月14日 歌会始の儀:古式ゆかしき宮中行事
1月30日 孝明天皇祭:「先帝以前三代の例祭」の一つ
以下に各皇室行事について概観します。なお、各行事の詳細については、次のサイトを参照下さい。
四方拝(しほうはい)
2026(令和8)年を迎え、天皇陛下は、毎年恒例の1月1日早朝から宮中祭祀に取り組まれました。皇居・*宮中三殿に付属する神嘉殿(しんかでん)の前庭で「四方拝(しほうはい)」に臨まれ、皇祖神の天照大御神をまつる伊勢神宮、歴代天皇の眠る山陵、四方の神々に向かってご拝礼されました。陛下は、今年の五穀豊穣と国の安寧、国民の幸せを祈願されます。
歳旦祭(さいたんさい)
四方拝の後、陛下はすぐに宮中三殿に移動され、「歳旦祭(さいたんさい)」に臨まれました。歳旦祭は、賢所、皇霊殿、神殿の宮中三殿にそれぞれ祀られている皇祖・天照大御神、八百万の神々(天神地祇)、歴代天皇・皇后・皇族の霊(皇霊)に対し拝礼する祭祀です。
なお、今年の歌会始(後述)において、天皇陛下は、この歳旦祭に臨まれる際に、輝く金星をご覧になった感動や新年の平安を祈った気持ちを詠まれた。
*宮中三殿
皇居内にある、皇祖天照大御神がまつられている賢所(かしこどころ)、歴代天皇・皇族の御霊がまつられている皇霊殿(こうれいでん)、国中の神々がまつられています神殿(しんでん)の総称
新年祝賀の儀
その後、陛下は皇后さまとともに、皇居・宮殿で皇族方や三権の長らから新年のお祝いを受ける「新年祝賀の儀」に臨まれました。
宮殿「松の間」で、秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方からお祝いのあいさつを受けた後、皇族方とともに部屋を移動され、三権の長(内閣総理大臣、最高裁判所長官、衆参両院議長)や、国会の各会派の代表者、各省庁の事務次官、都道府県の知事・議会議長、各国の外交使節団の長らから祝賀を受けられました。
なお、昨年成年式を終えた秋篠宮家の長男、悠仁さまは初めて参加されました。
一般参賀
新年恒例の一般参賀が2日、皇居・宮殿の東庭で行われ、計5回で6万140人が訪れました。新年一般参賀は、天皇皇后両陛下が皇族方とご一緒に、随時宮殿・長和殿のベランダにお出ましになり、直接国民から祝賀をお受けになる行事です。
皇族方は、秋篠宮ご夫妻、上皇ご夫妻、両陛下の長女の敬宮(としのみや)愛子さま、秋篠宮ご夫妻の次女の佳子さま、常陸宮妃華子(はなこ)(正仁親王妃華子)さま、寬仁(ともひと)親王妃信子さま、三笠宮家の彬子さま、高円宮妃久子さま、長女の承子(つぐこ)さまが並ばれました。秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまも今回、初めて参列されました。
元始祭(げんしさい)
陛下は3日、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)で「元始祭」に臨まれました。元始祭は、年始にあたり、「皇位の大本と由来」とを祝すとともに、国と国民の繁栄を願われる宮中祭祀です。
「皇位の大本と由来」とは、日本の神話による天孫降臨のことをさします。記紀(古事記と日本書記)によれば、天照大神の孫であるニニギノミコト(邇邇芸命または瓊瓊杵尊)が、葦原中国(日本)の統治のために高天原から降臨した(これを「天孫降臨」という)とされています。元始祭では、この天孫降臨とそれによって天皇の位が始まったことが祝われます。
奏事始(そうじはじめ)
4日は、宮殿の鳳凰の間で、宮中祭祀をつかさどる掌典長(しょうてんちょうから、伊勢神宮と宮中の祭事について、それぞれの祭祀が滞りなく執り行われたという報告を受ける「奏事始」に臨まれました。
前年の祭祀報告は、神霊を祭る祭祀でも祭儀ではありませんが、祭祀・祭儀に必要な行事だとみなされています。というのも、皇祖神を祀る伊勢神宮では、毎年数十種以上、年間何百回もの祭典が行われ、また、皇室においても、宮中三殿や勅祭社、各地にある陵墓などを含めれば、さまざまなみ祭が何10種も実施されているからです。
昭和天皇祭
昭和天皇の命日に当たる7日、陛下は宮中三殿の皇霊殿で、昭和天皇祭、「皇霊殿の儀(昭和天皇祭皇霊殿の儀)」に臨まれました。秋篠宮ご夫妻もご拝礼。愛子さまをはじめとする皇族方も参列されました。
合わせて、東京都八王子市の昭和天皇陵「武蔵野陵(むさしののみささぎ)」においても同日、祭典(「山陵に奉幣の儀」)が営まれました。勅使が差遣、幣帛(へいはく)を奉(たてまつ)っての拝礼がなされます。皇族方では、佳子さまが参列されました。
また、その日の夜には、皇霊殿で御神楽(みかぐら)(昭和天皇祭御神楽の儀)も行われ、陛下と秋篠宮ご夫妻は夕方から行われた「御神楽(みかぐら)の儀」にも臨まれた。
講書始の儀(こうしょはじめのぎ)
(読書始の儀(どくしょはじめのぎ)」
天皇、皇后両陛下は、9日、皇居・宮殿「松の間」で、年頭に学術分野の第一人者から講義を受けられる恒例の「講書始の儀」に臨まれました。皇嗣殿下をはじめ皇族方が列席され、文部科学大臣、日本学士院会員、日本芸術院会員などが陪聴します。秋篠宮家の悠仁さまが初めて出席されました。
講書始の儀は、学問奨励と新年の恒例行事として、毎年1月、皇居において、天皇陛下が皇后陛下とご一緒に、人文科学・社会科学・自然科学の分野における学問の権威者から説明をお聴きになる儀式で、学問を重んじる日本の伝統を示しています。
今年の進講者とテーマは、嵯峨美術大の佐々木正子名誉教授の「江戸時代の日本絵画」、東大の御厨(みくりや)貴名誉教授の「オーラル・ヒストリーとは何か」、国立天文台の家正則名誉教授の「観測天文学最前線と日本の活躍」でした。進講時間は3分野を約15分ずつの計約45分で行われました。
歌会始の儀(うたかいはじめのぎ)
新年恒例の宮中行事「歌会始の儀」が、2026年1月14日、皇居・宮殿「松の間」で開かれました。儀式には両陛下や秋篠宮さまら皇族方が出席され、秋篠宮家の長男、悠仁さまは初めて出席し、お題に沿った歌を寄せられました。また、一般応募の1万4600首から選ばれた入選者も招かれ、それぞれの歌(五・七・五・七・七の短歌)が朗詠されました。
「歌会」(うたかい)とは、人々が集まって共通の題で歌を詠み,その歌を発表する会をいいますが、天皇陛下が年の始めに正月行事としてお催しになる歌会を「歌会始」といい、600年以上の長い歴史を持ち、国民参加の文化行事となって現在に至っています。
歌会始の儀では、天皇皇后両陛下の御前で、一般から詠進して選に預かった歌、選者の歌、召人(めしうど)の歌、皇族殿下のお歌、皇后陛下の御歌(みうた)と続き、最後に陛下の*御製(ぎょせい)が披講(ひこう)されます。
*詠進:詩歌をよんで差し出す(贈る、奉る)こと
*選者:一般からの応募作品(詠進歌)を選考する5人の歌人
*召人(めしうど):陛下から特別に要請されて歌を披露する人
*御製(ぎょせい):天皇陛下が詠まれた歌
*御歌〈みうた〉:天皇陛下以外の皇族の方が詠まれた歌
今年のお題は「明」で、天皇陛下は新年の平安を祈る気持ちを詠まれた。
お歌(御製)
「天空に かがやく明星 眺めつつ 新たなる年の 平安祈る」
(てんくうに かがやくみょうじょう ながめつつ あらたなるとしの へいあんいのる)
元日の夜明け前、歳旦祭に際して賢所の回廊から輝く「明けの明星」(金星)をご覧になり、その美しさに感じ入るとともに、新しい年の国家と国民の平安を願われたお気持ちを表現されました。
孝明天皇祭
孝明天皇の命日に当たる30日、陛下は、皇居・皇霊殿にで、皇族方とともに参列され、御霊を祀る祭典、「孝明天皇例祭の儀(孝明天皇例祭)」に臨まれました。皇后さまは、ご欠席され、御所にて、ご遙拝・お慎みなされました(御所で慎み深く過ごされた)。
皇族方からは、秋篠宮ご夫妻、佳子内親王殿下、三笠宮瑶子(ようこ)女王殿下
高円宮久子妃殿下、高円宮承子(つぐこ)女王殿下が参列されました。
また、合わせて、京都市伏見区の孝明天皇陵「後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)」においても、同日、「孝明天皇山陵例祭の儀」が営まれ、例年皇族方が参向されます。本年は、三笠宮彬子(あきこ)女王殿下が参列されました。
天覧相撲
これらのほかにも、皇室行事ではありませんが、天皇陛下は、18 日、皇后さまと長女愛子さまとともに、大相撲初場所の8日目を観戦されました。天覧相撲は2020年の初場所以来6年ぶりで、令和に入って2回目となりました。なお、国技館での「天覧相撲」は、昭和には40回、平成には23回行われました。
国技館に「天皇皇后両陛下、並びに愛子内親王殿下にはご退場になります」というアナウンスが流れると、観客は総立ちになって、貴賓席の方を向き、拍手や手を振って見送られました。これに、御一家は、穏やかな笑みを浮かべ手を振られ、さらに退場する際には三方に頭を下げられ、背を向けていた2階席のファンにも手を振られ、退場されました。
ご退場の際、私は、陛下よりさりげなく一歩遅れて動かれる皇后さま、皇后さまより自然に一歩遅れて動かれる愛子さまのお姿の美しさ、「これぞ、女性の奥ゆかしい所作」と感動しました。
(参考)
天皇陛下のお正月:四方拝から奏事始まで
(参照)
天皇皇后両陛下が講書始の儀に 悠仁さま初出席、天文学などテーマ
(2026年1月9日、日経)
皇居で「講書始の儀」、悠仁さまが初めてご参列 東大の御厨貴名誉教授ら3人
(2026/1/9 、産経)
皇居で歌会始 天皇陛下は新年の平安、皇后さまは手話での交流詠む
(2026年1月14日 、日経)
皇居で新年一般参賀 天皇陛下「穏やかで良い年に」、悠仁さま初参加
(2026年1月2日、日経)
皇居で新年祝賀の儀 天皇陛下「国民の幸せと国の発展祈る」
(2026年1月1日、日経)
三笠宮家「内紛」の結果・・・
三笠宮家は、2024年11月に三笠宮妃百合子さまが101歳で薨去されてから、当主が不在となっていたなか、2025年9月30日、「*皇室経済会議」(議長・石破茂首相)が、宮内庁の特別会議室で開かれ、以下の2つの決定がなされました。
(1) 空席となっていた三笠宮家の当主について、孫の(あきこ)さま(彬子女王)が継がれること
(2) 彬子さまの母で、百合子さまの長男・寛仁親王妃・信子さまが、三笠宮家を離れ、独立して新たな宮家『三笠宮寛仁親王妃家(みかさのみや・ともひとしんのうひ・け)』を創設し、その宮家の当主となられること
これによって三笠宮家は、母娘で分断した形となりました。なお、彬子さまの妹の瑶子(ようこ)女王(41)は、姉が当主となる三笠宮家にそのまま残られます。
◆ 三笠宮家当主を彬子女王が継承
彬子さまは、三笠宮崇仁 (たかひと) 親王の長男で、「ヒゲの殿下」と親しまれた三笠宮寛仁(ともひと)親王の長女です。大正天皇の曾孫で、現在の天皇から見て「祖父の弟の孫である女王」ということになり、一般人なら「はとこ」「またいとこ」という関係性があります。
女性皇族が当主となるのは、当主を亡くした妃(きさき)が継ぐというのが通例です。実際、戦後の皇室では、高円宮妃だけでなく、秩父宮妃、高松宮妃、高円宮妃、三笠宮妃が、夫の宮さまがお亡くなりになったのち、臨時で当主になられています。
しかし、彬子さまのように、未婚(宮家で夫を亡くした妻以外)の女性皇族が、当主を継承するのは、明治憲法下の1889年に旧皇室典範が制定されて以降、今回は初めてです。
江戸時代にまで遡れば、仁孝天皇(在位1817〜1846)の第三皇女で、桂宮淑子(すみこ)内親王以来163年ぶりのことです。淑子内親王は、桂宮家を継いだ別の弟が亡くなり、当主不在となったことから、1863年に (旧) 桂宮家の第12代当主となりました。
宮家の継承とは祭祀を継ぐことを意味します。宮家当主(一般人でいう「世帯主」)は、法的な概念ではありませんが、その家の代表として祭祀を執り行う役割があります。今回の決定により、彬子女王は、独立生計を営む皇族と認定され、三笠宮家の当主として正式に宮家の名称と、その祭祀を「継承」されました。
もっとも、彬子さまはすでに、三笠宮ご夫妻(崇仁親王と百合子妃)と子の寛仁親王の祭祀を執り行っており、今回の決定で、その立場が法律に明文化された形です。さらに母の信子さまが独立したことで、彬子さまが、名実ともに「三笠宮家」を継ぐ存在となられました。
◆ 信子妃が独立し宮家を創設
今回、三笠宮家から独立した信子さまは、独立生計認定を受け、新たな宮家(三笠宮寛仁親王妃家)の当主となりましたが、信子妃のように結婚により民間から皇室に入った女性(皇族妃)が新たに家を創設するのは、明治時代の旧皇室典範施行(明治22年)以来、これも例のない初めてのことです。しかも、「親王妃家」という、まったく前例のない制度がつくられたわけです。
そもそも「三笠宮寛仁親王」という皇族は、現在存在していません。崇仁親王(三笠宮)の長男、「寛仁(ともひと)親王」は、生前、いずれ「三笠宮家」を継ぐことを考え、「寛仁親王家」という宮家を名乗られていました。したがって、「三笠宮寛仁親王妃家」という名称は、「三笠宮家から出た寛仁親王妃の家」という異例の構成となったのです。
ですから、厳密にいえば、信子妃殿下の新宮家、「三笠宮寛仁親王妃家」は、三笠宮家の分家であり、全く新しい宮家ではありません。新しい宮家であれば、天皇陛下から、秋篠宮や高円宮(たかまどのみや)のように「◯◯宮」という「宮号」を賜わりますが、宮内庁は、宮号はないと明らかにしています。
いずれにしても、新たな宮家ができるのは、1990年に秋篠宮家が創設されて以来35年ぶりのことです。これによって、これまで総数として「4宮家」(秋篠宮、常陸宮、三笠宮、高円宮)といっていたのが、これからは「5宮家」になります。
◆ 増額される皇族費
宮家において、誰が当主になるかは原則、家族の話し合いで決まり、その結論が皇室経済会議に諮られます。皇室経済会議が開かれる理由は、会議で独立生計者(当主)と認定され、宮家の当主になると国(国庫)から支払われる皇族費が増額されるためです。皇族費は身位や「当主かどうか」などに応じて、皇室経済法等に基づいて計算式が定められています。
今回の決定によって年間で支給される皇族費は、以下のように、彬子さまと信子さまは増額され、当主になられなかった瑶子さまは、これまでと同じ支給額となりました。
母・信子親王妃:1525万円⇒3050万円
姉・彬子女王:640.5万円⇒1067.5万円
妹・瑶子女王:640.5万円(変わらず)
もし、三笠宮家だけで存続する場合、すなわち、順当に信子妃が当主に就かれ、彬子さま・瑶子さまがその家の成員となった場合、3人に支払われる皇族費は計4331万円でしたが、今回は新当主が2人誕生することで計4758万円となり、427万円の増額となりました。
皇室経済会議の決定に対する国民の声
今回、7年ぶりに開催された皇室経済会議では、意見や質問はなく10分ほどで終了し、全員一致で、信子さまと彬子さまの独立生計を認定しました。
今回の決定をめぐっては、ご一家のこれまでの事情に鑑みれば、「やむを得なかった」という意見もありますが、「物価高で貧困が増えてるのに皇族に支払われる額は倍増し、国民の負担が増えることに、国民の理解は得られない」、「継がれる当主が決まったのはいいが、ご一家がひとつにまとまるのが通例、そもそも新しい宮家が必要なのか」といった声が聞かれました。
なかには、「親王妃家という前例のない宮家を立てるぐらいなら、信子妃は本来、皇籍離脱するのが筋であろう」、「寬仁親王(2012年死去)の生前から夫婦は事実上、離婚状態にあったのだから、皇族妃という立場を放棄すべきである」との厳しい意見も出されていました。
一連の決定について宮内庁側は、「宮家で話し合われた結果」、「内輪の話。承知していないし、承知したとしても説明を差し控える」と言うのみで、一世代飛ばして信子さまの長女彬子さまが継いだ理由や、信子さまが三笠宮家を離れた、具体的な理由については説明していません。
このように、彬子女王の宮家継承と信子妃の新宮家創設は、明治以降の皇室では前例のない「初めて尽くし」となり、結果的に、三笠宮家は分裂(分断)してしまいました。
こうなってしまった背景には、20年以上にも及ぶ、三笠宮家内における夫婦間の葛藤と、母娘の確執がありました・・・。
三笠宮家内の問題から、今回の決定が与える影響まで、続きは、以下の投稿議事を参照下さい。
悠仁さま、40年ぶりの成年式、成年皇族に!
秋篠宮家の長男悠仁さまが成年を迎えたことを祝う「成年式」が、2025年9月6日、皇居・宮殿などで行われました。皇室の成年式は、男性皇族が成人したことを祝う慣例儀式で、成年皇族の仲間入りを祝う行事です
筑波大1年生でこの日に19歳となられた悠仁さまは、宮中の伝統を受け継いだ儀式に臨まれました。まず、秋篠宮邸で、成年用の冠を、天陛下の使者から受け取る、「冠(かんむり)を 賜(たま) うの儀」が執り行われ、その後、悠仁さまは、皇居・宮殿で未成年用の冠を成年用の冠に替える、成年式の中心儀式「加冠(かかん)の儀」に臨まれました。さらに、宮中三殿へ拝礼された後、天皇、皇后両陛下にあいさつする「朝見の儀」に出席されました。
成年式の儀式はここまでですが、関連行事はその後も続き、悠仁さまは、皇室の伝統として、8日に三重県の伊勢神宮と奈良県の神武天皇陵を、9日には東京・八王子市にある武蔵陵墓地の昭和天皇陵を参拝され、皇室の祖先に儀式(成年式)の終了を報告されました。10日には、東京 港区の明治記念館で、三権の長ら悠仁さまが通われた小中学校の関係者などおよそ30人を招いたお祝いの昼食会が行われ、一連の儀式や行事を終えられました。
悠仁さまの皇位継承順位は秋篠宮さまに次ぐ2位です。次世代の皇室を担う存在である悠仁さまの今後のご活躍が期待されます。また、こうした宮中祭祀を身近に接するにつれ、一人の国民として、男系による万世一系の皇室の存続と発展を願うばかりです。
なお、成年式についての詳細は、下の投稿記事に書きましたので、ご参照下さい。
また、ほかの宮中祭祀や宮中行事や、皇室についてさらに知りたい場合、以下のサイトにアクセスしてみて下さい。
こんなにもある宮中祭祀をもっと身近に!
本HP 「むらおの歴史情報サイト『レムリア』」では、皇室についての情報を「日本の皇室」というテーマでお届けしていますが、その中の「宮中祭祀・宮中行事」について、これまで未筆の祭祀がありましたが、本日、一通り完成しました。
天皇陛下は、年間、これだけの祭祀をなされ、私たち国民のために、国の繁栄と世界の安寧の「祈り」を捧げていらっしゃるのですね。ご関心の祭祀があれば、またさらに皇室についてお知りになりたければ、赤字をクリックしてご覧ください。
宮中祭祀
1月1日 四方拝:元旦早朝の神秘な儀式
1月1日 歳旦祭:四方拝に続く陛下の初詣
1月3日 元始祭:天孫降臨と皇位を祝う!
1月4日 奏事始:伊勢からの報告
1月7日 昭和天皇祭:先帝祭として厳かに
1月中頃 歌会始の儀:奥ゆかしき宮中行事
1月30日 孝明天皇例祭:先帝以前三代の例祭の一つ
2月11日 紀元節祭:神武天皇の即位を祝って…
2月17日 祈年祭:五穀豊穣と国民の繁栄を…
2月23日 天長祭:天皇誕生日、かつての天長節
春分の日 春季皇霊祭・春季神殿祭:春分の日の宮中祭祀
4月3日 神武天皇祭・皇霊殿御神楽:皇居と橿原の地にて
6月16日 香淳皇后例祭:昭和天皇の皇后さまを偲んで
6月30日 節折の儀・大祓の儀:陛下と国民のためのお祓いの行事
7月30日 明治天皇例祭:先帝以前三代の例祭の一つ
秋分の日 秋季皇霊祭・秋季神殿祭:秋分の日の宮中祭祀
10月17日 神嘗祭:五穀豊穣を伊勢神宮に向けて感謝
11月23日 新嘗祭:五穀豊穣を宮中にて感謝
12月中旬 神話賢所御神楽:起源は「天の岩戸」神話」
12月25日 大正天皇例祭:先帝以前三代の例祭の一つ
12月31日 節折の儀・大祓の儀:陛下と国民のためのお祓いの行事
(関連サイト)
両陛下ご訪英、確認された日英の深いつながり
天皇、皇后両陛下は、2024年6月、国賓として英国を(公式)訪問されました(22日〜29日)。天皇が国賓として訪英するのは1971年の昭和天皇、98年の明仁上皇に続き26年ぶり3度目となりました。滞在中、天皇陛下とチャールズ国王は、2日英の最高勲章「大勲位菊花章 頸飾(けいしょく) 」と「ガーター勲章」を贈りあわれました。皇室、王室とも代替わりを経たうえでの親善訪問は、日英両国の絆をさらに深める機会となりました。訪英は当初、エリザベス女王の招待を受けて2020年春に予定されていましたが、新型コロナウイルス禍の影響で延期されていました。今年に入りチャールズ国王から改めて招待があったそうです。
今回、両陛下ご訪英において、個人的に関心がでてきたのが、両国君主が贈り合った勲章についてでした。そこで、本HP「レムリア」では、以下の4項目に分けて、日英の栄典制度についてまとめてみました。
佳子さまペルーご訪問 皇室の南米外交を担う秋篠宮家
秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さま(佳子内親王/身位は内親王。敬称は殿下)は、2023年11月、日本とペルーの外交関係樹立150周年を記念して、南米のペルーを公式訪問されました。
滞在中は、記念式典で挨拶され、日系人らと交流されたほか、インカ帝国時代の城塞都市遺跡、「空中都市」と呼ばれる世界遺産のマチュピチュ遺跡や、アンデス山脈にある都市クスコを訪問され、インカ帝国時代の太陽神殿コリカンチャなどを視察されました。
佳子さまの外国公式訪問は2019年のオーストリア・ハンガリー以来、4年ぶり2回目となり、また、ペルーは2014年に秋篠宮ご夫妻、19年に長女小室眞子さんが訪れています。
ペルーの国柄、日本や皇室との関係、また、インカ帝国については、以下の投稿記事でまとめています。興味のある方はご一読下さい。
過去10年、秋篠宮家が、ペルーを含む南米の訪問を担っています。秋篠宮ご夫妻は14年にペルーとアルゼンチン、15年にブラジル、17年にはチリをご訪問され、当時の眞子内親王殿下(現小室眞子さん)は、16年にパラグアイ、18年にブラジル、19年にはペルーとボリビアを訪れています。
なぜ、秋篠宮家が南米の国際親善を担っているかについて、「皇室の少子高齢化」の影響が指摘されています。日本から南米までは、長時間のフライトであり、現地での移動も時間がかかります。訪問先は暑いところが多い一方、山間地では気温がぐっと下がるなど過酷な環境の場所が多く、体力が必要なため、若い皇族でなければ、その任に耐えられないと言われています。
こうした背景から、近年、若い秋篠宮家がその役割を担うようになりました。秋篠宮ご夫妻が50代になられた時期からは、最初は眞子内親王殿下、そして、眞子さまご結婚後の現在は佳子さま(佳子内親王殿下)が、南米訪問を任される立場になっている模様です。
<参照>
佳子さまが「エネルギッシュな笑顔」でペルーへ出発 なぜ秋篠宮家が南米の訪問を担うのか (2023/11/02、AERA)












