イスラエル・パレスチナ情勢の理解のために、今回は、「パレスチナ」をとりあげます。パレスチナとは国なのか? 国家ならその領土や政府は? PLOとハマスの関係はどうなっている?など、日本では、あまり知られていない「パレスチナ」についての基本的な情報を整理しました。
パレスチナの歴史については、以下の投稿も併せて読んでみてください。さらに理解が深まるはずです。
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<パレスチナとは?>
もともとパレスチナとは、土地の名前としては、地中海の最東端の沿岸にある地域のことを言います。それが、オスロ合意以降は、一般的に、この土地の中で、将来、パレスチナ人の国家になることが見込まれた地域(東エルサレムを含むヨルダン川西岸・ガザ地区)を総じて、パレスチナと呼んでいます。
なお、パレスチナ人とは、1947年まで、このパレスチナの地に正規に居住していたアラブ人のことで、それ以降,パレスチナで生まれたかどうかに関わらず,パレスチナ人の父から生まれた子どもはみなパレスチナ人とみなされています。
しかし、パレスチナ人の立場から言えば、ユダヤ人たちがそのパレスチナの地にイスラエルという国を建て、現在、(ガザ地区やヨルダン川西岸の一部の都市を除き)「パレスチナ」と呼ばれていた土地のすべてを占領していることになります(イスラエルからすれば、国連決議に基づいて建国したという主張になる)。
イスラエル建国から、歴史的にパレスチナの地の住んでいたイスラム教徒のパレスチナ人たちは、難民としてヨルダン、レバノン、シリア、エジプトなど隣国に逃れるか、パレスチナの地(ガザ地区とヨルダン川西岸)に住み続け、イスラエルから占領政策を受けているという現状です。
<基本データ>
- 正式名
パレスチナ国(パレスチナ暫定自治政府)
パレスチナ国といっても、完全な独立主権国家というわけではありません。2021年時点で138か国が、パレスチナを国家として承認していますが(承認していない国は、パレスチナ国ではなく、パレスチナ暫定自治政府と呼ぶ)、国際連合には未加盟です。ただし、2012年に、国連総会非加盟のオブザーバー国家の地位を得ています。
政治体制;共和制国家
本部:ヨルダン川西岸のラマラ(ラマッラ)
- 将来の首都:(東)エルサレム
パレスチナ国(パレスチナ自治政府)は、東エルサレムを首都とする主権を有するパレスチナ国家樹立をめざしています(現状、東エルサレムはイスラエルが実効支配している)。
- 面積:約6020km2
ヨルダン川西岸地区:5655 km2(三重県と同程度)
ガザ地区:365 km2(種子島と同程度)
- 人口:パレスチナ自治区(西岸+ガザ)の人口:約548万人
西岸地区 325万人(このうち難民 108万人)
ガザ地区 222万人(このうち難民164万人)
ガザ地区の人口は2000年の2倍で、ヨルダン川西岸の1.7倍より増加ペースは速い。
全世界のパレスチナ人口:1,034万人(2007年末、パレスチナ中央統計局)
世界のパレスチナ難民数:約639万人(2021年、UNRWA)
(西岸108万人、ガザ164万人、ヨルダン246万人、シリア65万人、レバノン54万人)
- 宗教:イスラム教92%、キリスト教7%、その他1%
<パレスチナによる自治>
パレスチナ(暫定)自治政府(PA)は、1993年にイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)が調印したオスロ合意によって、独立したパレスチナ人の国家となることを想定して設立されました。翌94年に発足し、ヨルダン川西岸・ガザ両地区でPAによる自治が開始されました(厳密にはオスロ合意I・II、及びカイロ協定に基づく)。
パレスチナ暫定自治政府(PA)は、イスラエルより、ヨルダン川西岸・ガザ両地区内での治安・民生の権限・責任を委譲され、自治のため行政・立法・司法権限を執行することが定められていますが、ヨルダン川西岸地区(東エルサレムを含まず)はA、B、C地域に3区分されています。
- ヨルダン川西岸の委譲区分
A地域(濃い茶色の部分)
ヨルダン川西岸のラマラ、ベツレヘム、エリコ、ナブルス等主要6大都市が該当し、西岸地区の18%を占めています。イスラエルは一応撤退し、PAが治安・民生(行政)双方の権限を保持しています。
B地区(薄い茶色の部分)
行政はパレスチナ、治安は双方とされていますが、実際はイスラエルの治安権限が優越しています(実権はイスラエル)。A地区に隣接し、ヨルダン川西岸の22%を占めています。
C地域(白色の部分)
「過疎地或いはイスラエルにとって戦略的重要地域等」と規定され、ヨルダン川西岸地区の約60%を構成しています。約30万人のパレスチナ人と約33万人のイスラエル人入植者が住んでおり、入植者は125の入植地と約100の「前哨地」(入植者が当局の許可を得ずに、勝手に土地を占領し、バラックを建て、農地を開拓している場所)で生活しています(前哨地は、将来の入植地建設の拠点とするためと位置づけられている)。
順次PA側に移管されることになってはいますが、イスラエルが、治安・民生双方の権限を保持しています。C地区は、入植地の安全と拡大のため、また、軍事演習地や水資源確保および経済的な利益のために、A地区とB地区を取り囲むように設定され、かつ、西岸地区そのものを細かく分断しています。
<政治体制>
パレスチナ暫定自治政府(PA)は、2003年3月、憲法に相当する「基本法」を制定しました。これにより、形式的には、大統領制で行政、立法、司法の三権が分立しています。
- 大統領(長官・議長)
パレスチナ暫定自治政府(PA)の最高位は、PA長官(PA議長)(現在大統領と呼称)で、その表記方法については以下のように様々です。
パレスチナ(暫定)自治政府(PA)議長(または長官)
パレスチナ国大統領
パレスチナ(暫定)自治政府(PA)大統領
PA大統領(PA長官/PA議長)は、直接選挙で選ばれ、首相の任免権を保持しています(組織上、大統領の下に首相・内閣がつく)。
大統領(長官/議長)
ヤーセル・アラファト
(1989.4~1994.7 パレスチナ国大統領)
(1994.7〜2004.11 パレスチナ自治政府大統領)
マフムード・アッバス
(2005.5〜現在)
PLO(パレスチナ解放機構)は、1988年11月、パレスチナ国(SoP)樹立を宣言し、PLO議長であったヤセル・アラファトが「パレスチナ国大統領」に就任しました。この時、国連もPLOを「パレスチナ国民の代表機関」として認めました。
1993年8月のオスロ合意後の翌94年、パレスチナ暫定自治政府(PA)とパレスチナ立法評議会(PLC)が設立され、アラファトは、自治政府長官(現在の呼称は大統領)に就任しました。96年には長官(大統領)選挙が行われ、アラファトが選出されたことで、国家(SoP)と自治政府(PA)の大統領職が事実上統一された形となりました。
2004年11月にアラファトPLO議長・パレスチナ自治政府(PA)長官が逝去したことを受け、翌1月、PA長官(大統領)選挙が実施され、アッバスが勝利し、現在に至っています(アッバス長官はPLO議長も兼任)。
- 行政
パレスチナにおける行政権限は、PA大統領(長官/議長)を長とする行政機関が持ちます。パレスチナ暫定自治政府(PA)は、当初、軍事・外交に関する権限を持たず、経済援助供与など幾つかの分野に限って、PLOがPAに代わり、外国と交渉・協定への署名ができていました。その後、自治政府内に外務庁が設置され、外交権限はPLO議長であるパレスチナ暫定自治政府(PA)大統領(長官)が掌握しています。
また、イスラエルとの交渉権限は、PA大統領(長官)にあり、最終決定は、パレスチナ人を代表する民族評議会(PNC)か、難民を含むパレスチナ人全体の投票に委ねる方針となっています。
首相(内閣 )
首相は、閣僚(各省庁の長官)の任免権を持ち、閣僚人事を行った後、議長と議会の承認を受けて組閣します。内閣は、基本法に規定された職務の履行と権限の行使において大統領を補佐するものとされています。
マフムード・アッバース(ファタハ)(2003.5 – 2003. 9)
アフマド・クレイ(ファタハ) (2003. 10 – 2006. 3)
イスマーイール・ハニーヤ (ハマス) (2006. 3 – 2007. 6)
サラーム・ファイヤード(第三の道)(2007.6〜2013.6)
ラーミー・ハムダッラー(ファタハ)(2013. 6〜2019. 4)
ムハンマド・シュタイエ (ファタハ)(2019. 4〜2024.2)
ムハンマド・ムスタファ (ファタハ)(2024. 3〜)
- 治安(軍・警察)
当初、パレスチナには、PLOの武装闘争路線を支えるための正規軍にあたるパレスチナ解放軍がありましたが、。パレスチナ暫定自治政府(PA)の結成後、パレスチナ解放軍は自治政府に移管され、自治区の治安を担うパレスチナ国家警備隊となりました。
また、1995年9月の暫定自治拡大合意に基づき、パレスチナ警察が設置されました。ただし、その人員は3万人を越えない範囲(西岸12,000人、ガザ18,000人)に限定され、かつイスラエル当局と「協力」することが求められています。
しかし、2000年9月に始まったイスラエル側との衝突(第二次インティファーダ)により、特にヨルダン川西岸地区の警察関係機関は壊滅的な打撃を受けました。
また、07年のハマスによるガザ地区掌握により、パレスチナにおける統一した治安体制は崩壊し、逆に、ガザ地区では、ハマスは新設された内務庁執行部隊を中核に、治安・軍事能力を向上させていると言われています。
- 司法
パレスチナにおける司法は、イスラエルの法令が優先されつつ、西岸ではヨルダン、ガザではエジプトの法体系がそれぞれ機能しています。
- 議会
パレスチナ立法評議会
パレスチナ立法評議会(PLC)は、議会に相当するもので、パレスチナ自治政府の発足に伴い立法機関として設置されました。
PLCは、法案承認権(法律案を可決し、大統領に提出する)や、首相または内閣に対する不信任権(首相や各庁長官を辞職させる権限)を保持していますが、大統領を辞職させる権限はありません。また、総議員の3分の2以上の賛成により、基本法を改正することができます。もっとも、PLCがパレスチナ自治政府内における立法権限を担っていると言っても、実際には、ファタハ中央委員会で承認されないと何も決まらないと指摘されています。
現在のパレスチナ立法評議会(PLC)は定員132名。半数が選挙区制で、残りの半数が比例代表制で選出されます(選挙区と比例代表で半数ずつ)。これまで、1996年1月に、パレスチナ暫定自治政府(PA)長官選挙と、パレスチナ立法評議会(PLC)選挙、アラファトの逝去を受けた2005年1月にPA長官選挙、2006年1月にPLC選挙が実施されました。
直近のPLC選挙では、イスラム原理主義組織であるハマスが単独過半数の議席を獲得した結果、パレスチナ立法評議会(PLC)は、アジーズ・ドウェイク議長を初めとする与党のハマス系議員74名(56%)、野党のファタハ系議員45名(34%)等から構成されています。
院内勢力(2006年選挙)
ハマス (74)
ファタハ (45)
パレスチナ解放人民戦線 (3)
パレスチナ人民党 (1)
パレスチナ解放民主戦線 (1)
無所属のパレスチナ (2)
第三の道 (2)
無所属 (4)
しかし、その後のパレスチナ内部の対立、07年のハマスの武力によるガザ掌握等を受け、事実上、西岸とガザが分裂状態(分割統治)となり、パレスチナ立法評議会(PLC)は現在に至るまで停止、PLC選挙は実施されていません。
<パレスチナ主要勢力>
- PLO(パレスチナ解放機構)
PLOは、1964年5月、イスラエルからのパレスチナの独立を目的に設立された、パレスチナ解放諸組織で、パレスチナ自治区(ヨルダン川西岸とガザ)だけでなく、離散したすべてのパレスチナ人を公的に代表しています。
カリスマ的指導者・アラファト議長(在職1969. 2 〜 2004. 11)の時代に、国際的にも知名度を高め、PLOは、国連をはじめとする国際機関においても、パレスチナ人を代表しており、1974年に国連のオブザーバー組織となりました。また、2012年に、パレスチナが非加盟のオブザーバー国家に昇格した際も、PLOがこれまで通り、国連におけるパレスチナ人の代表であることが確認されています。
PLOは、ハマスとは異なり、イスラム教を信奉する生粋のイスラム組織ではなく、アラブの民族主義者や、無神論者を含む社会主義者などからなる非宗教的・世俗的な組織です。
当初、武装闘争によって、イスラエルを解体し、パレスチナ全土を解放するという目的を掲げていたPLOでしたが、1967年の第3次中東戦争以降、この時占領された、ヨルダン川西岸とガザにパレスチナ人の独立国家をつくり、イスラエルと共存する現実路線に次第に転換していきました。
現在のPLO(ファタハ)=パレスチナ自治政府は、イスラエルを承認した93年のオスロ合意以降、イスラエルの生存権を認めた上で、第3次中東戦争後に設定された境界線を国境とする「2国家解決」、すなわち、ガザ、ヨルダン川西岸と東エルサレムを「パレスチナ」と定義するパレスチナ国家創設を目指しています。
93年のオスロ合意によるパレスチナ暫定自治政府(PA)の創設後、PLOは自治政府の主要機能を担いました(自治政府=PLO)(正確には言えば、オスロ合意によって、PLOは、ヨルダン川西岸地域に自治政府を組織することを認められた)。ただし、自治区の施政上の機能は自治政府に奪われ、PLOという組織そのものの存在感は薄くなっています。それでも、PLOは、パレスチナ暫定自治政府(PA)の中核的組織です。
PLO議長
PLO(パレスチナ解放機構)議長は、PLOの最高指導者で、パレスチナ人全体の代表として国際的に認められています。2004年11月のアラファト議長の死後、PLOナンバー2であったアッバス前首相が、PLO新議長に選出され、現在に至っています。
歴代議長
シュケイリ (1964. 6〜1967. 12)
ハマウダ (1967. 12〜1969. 2)
アラファト (1969. 2 〜 2004. 11)
アッバス (2004. 11〜 )
PLOの構成組織
PLO(パレスチナ解放機構)は、一つの機関ではなく、アラファトの属した主流派ファタハや、急進的なマルクス=レーニン主義のパレスチナ解放人民戦線(PFLP)、パレスチナ人民党など、さまざまな組織の連合体で、現在の意かの10の政治組織から構成される、政治的統合機関です。
ファタハ(最大派閥)
パレスチナ解放人民戦線(PFLP)
パレスチナ解放民主戦線(DFLP)
パレスチナ人民党(PPP)
パレスチナ解放戦線(PLF)
パレスチナ民主連合
パレスチナ人民闘争戦線(PPSF)
アラブ解放戦線(ALF)
サーイカ
パレスチナ・アラブ戦線
ファタハ(パレスチナ民族解放運動)
ファタハ(Fatah)は、PLO(パレスチナ解放機構)および現在のパレスチナ自治政府の主流派であり、パレスチナ最大の世俗派政党でもあります。1959年、ヤセル・アラファト(元議長)やマフムード・アッバス(現議長)など、パレスチナから外国に離散した活動家が中心となって結成されました。
ファタハは、PLOが武装闘争路線を転換した後も、PLO内で主流派として勢力を持ち続け、93年のオスロ合意後も、暫定自治政府内の与党でした。しかし、2006年1月のパレスチナ立法評議会選挙で、予想に反してハマスに敗れ、さらに、翌年の07年には、ハマスによってガザを追われ、現在はヨルダン川西岸のみの支配となっています。
パレスチナ解放人民戦線(PFLP)
PFLPは、1967年 12月に結成されたPLO内の反主流派最大派閥、かつ最強硬派です。最も急進的なマルクス=レーニン主義(ネオ・マルクス主義)を掲げ、社会主義を志向した民主主義的民族解放闘争によるパレスチナ解放を目標としています。実際、オスロ合意に基づいた、パレスチナ自治政府とイスラエルによる二国家共存に向けた交渉には断固反対の立場を取っています。
パレスチナ解放民主戦線(DFLP)
DFLPは、1969年、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)の左派集団が主流派から分裂して、設立された反イスラエル武装組織です。PFLPと同様にマルクス・レーニン主義を掲げてはいますが、PFLPよりは穏健派とされ、他の対イスラエル強硬派とは異なり二国家共存には反対しませんでした。
なお、PLOについて、より詳しく知りたい方は、別投稿「PLO:アラファトのファタハ、その闘争の変遷」を参照下さい。
一方、イスラム組織ハマスや、過激派組織イスラム聖戦はPLOには加わっていません。パレスチナ自治政府(PLOファタハ)がヨルダン川西岸の治安維持のため、イスラエル当局と協力関係にあることに反発しているためです。
- ハマス
ハマス(ハマース)は、1987年のインティファーダ(民衆蜂起)の際に、アフマド・ヤシン師らが発足したパレスチナ最大のイスラム主義組織(スンニ派イスラム系政治組織)です。2023年10月以降のイスラエルとの戦争以前は、ガザ地区を実効支配していました。
イスラム主義とは、イスラム法に基づく国家、社会建設を目指す思想で、イスラエルも含むパレスチナ全土は神にささげられた寄進地(ワクフ)であり、人為的な割譲は許されません。
ですから、ハマスは、イスラエルと交渉することだけでなく、イスラエル国家の存在そのもの(生存権)を認めていません。当然、オスロ合意も認めていません。さらに、イスラエルを承認しないどころか、イスラエルの占領が続く限り、対イスラエル武装闘争(武力抵抗の)を継続し、長年にわたりイスラエルに対する数多くの自爆テロ攻撃やミサイル攻撃を主導してきました。ハマスが引き起こした、2023年10月、イスラエルへの大規模テロ事件はその最たるものです。
統治機構
ハマスは組織上、政治部門と軍事部門に分かれています。
ハマスの軍事部門は、1991年に創設された、軍事部門のイッズディーン(エゼディン)・アル・カッサム旅団(または単純にカッサム旅団)をさします。1万5000人から2万人の戦闘員がいるとされ、即席のロケット弾や対戦車ミサイル、それに迫撃砲といった軽火器で武装しており、最近になって射程や精度が向上させています。
ハマスは自前での武器生産に加えて、イランなどから資金や兵器の支援を受けているとされているほか、また、ハマスはガザ地区の地下にあるトンネルを利用し、兵器を密輸していると指摘されています。地下トンネルは兵器の貯蔵場所としても使われるほか、指揮所なども設置しているとされています。
一方、ハマスの政治部門は、対イスラエル停戦交渉や、国際社会に対して弁明など、外交の窓口の役割を担うと同時に、社会福祉活動を行っています。
後者に関して、ハマスは、イスラム教の基本理念に基づき、学校、幼稚園、孤児施設、スポーツ施設、大学などを運営し(ガザだけで40の幼稚園と診療所15ヶ所があるという)、市民に提供するだけでなく、ガザ市民に対して、母子家庭への月1万5000円の支給や、若者の結婚資金支援、貧困層に対する医療奉仕など社会福祉活動を提供しています。
こうした、政治部門の地道な草の根の活動によって、ガザのおけるハマス支持を盤石なものにしてきました。なお、現在のハマスは、政治部門局長のハニヤがリーダーの役割を担っています。
選挙の勝利とガザ支配
ハマスは、武装組織・社会福祉団体であると同時に、政治団体(政党)でもあり、2000年代中頃から、政治部門主導で、選挙を通して自分たちの支持を獲得する戦略に転換すると、06年1月に実施されたパレスチナ自治区の国会にあたるパレスチナ自治評議会の選挙へ参加し、過半数の議席を取りました。この結果、パレスチナ議会で、第一党になったハマスは、同年3月、ハマスのハニヤを首相とするパレスチナ自治政府(PA)の内閣が成立したのです。
その後、選挙でハマスに敗れた「ファタハ」が、パレスチナのヨルダン川西岸地区からハマスを追い落としにかかり、同地区を支配した一方、ハマスは逆に、07年6月、ファタハをガザ地区から追放、ガザを武力制圧し、ガザを全面掌握しました。
ハマスについて、より詳しく知りたい方は、別投稿「ハマス:イスラム主義と自爆テロの果て」を参照下さい。
- イスラム聖戦
イスラム聖戦は、ハマスに次いで、ガザで活発な活動を展開する2番目に大きな、スンニ派系のイスラム武装組織です(規模(推定)1.5万人)。ジハード(聖戦)を通じて、イスラム教パレスチナ国家を作り出し、イスラエルを滅ぼすことを目的としている(ハマスと同じく、イスラエルの生存権を認めていない)。
攻撃対象はイスラエルのほかアメリカ、穏健派アラブ諸国とし、インティファーダの際の攻撃や、ガザ地区からイスラエルへ向けてのミサイルやロケットの砲撃などのテロ行為で知られています。アメリカは、イスラム聖戦を「テロ組織」に指定しています。
イスラム聖戦は、1981年、ガザ地区で元ムスリム同胞団のファトヒー・シャカーキーを中心に組織されました。ハマス同様、組織形態はしっかりした組織というより、ゆるやかに提携する諸派で形成されています。
イランとシリアの支援を受けており、とりわけ、ハマス同様、レバノンのシーア派イスラム系武装組織ヒズボラと積極的に協力しているとされています。ハマスとも協力関係にありますが、パレスチナ国家実現に向けた道筋や最終的なパレスチナの在り方については、ハマスと意見が対立しています。ハマスは、市民の支持を必要とみなし地域(ガザ)の安全を考慮しなければならないとしているのに対して、イスラム聖戦は武力のみを戦略の中心に据えています。
また、ハマス指導部はイスラエルを承認していませんが、67年以前の境界線を国境とすることには一定の理解を示しているとされていることに対して、イスラム聖戦はこれを拒否し、イスラエルの破壊と、ガザ・ヨルダン川西岸地区だけでなくイスラエル領も含むパレスチナ国家の創設を唱えています。
こうしたイスラム聖戦も、1995年10月、創始者のシャカーキーがイスラエルによって殺害された後、その勢力が衰えた指摘されています。
<パレスチナ経済>
パレスチナ経済は、GDP(域内総生産)が年30億ドルほどしかありません。1993年以降の和平プロセスの下でも、パレスチナの経済発展は遅れてきました。「分離壁」の建設などイスラエルによる封鎖を受け、敵対しながら依存せざるを得ない苦境が続いています。実際、パレスチナの輸出の約80%、輸入の約55%はイスラエルが貿易相手となっています。
失業率(2022年)も高く、パレスチナ全体では20%台半ばで推移し、ガザは45.3%と高止まりしています(イスラエルの3.8%よりはるかに高い)。パレスチナ自治区(西岸+ガザ)の人口は、2000年から、ヨルダン川西岸では1.7倍、ガザ地区では2倍に増加しており、人口の増加に経済の拡大は追いついていない状況が続いています。2023年10月から始まったイスラエル・ガザ戦争は、もともと脆弱なパレスチナ経済にさらなる深刻な打撃を与えています。
ガザ地区
前述したように、ガザの人口は約222万人と、2000年の2倍に増加しました。この間、ヨルダン川西岸が1.7倍なので、その人口増加ペースは速くなっています。人口222万人のうち、難民の数は164万人にも達しています。難民キャンプの狭さを考えれば、難民が詰め込まれている実態は容易に想像できます(西岸地区の場合は人口325万人に対して難民 は108万人)。
もともと、ガザに逃れた難民は、イスラエル建国とその後の戦争で土地を奪われたひとたちです。そのため、ガザでは二級市民として扱われ、しかも、難民キャンプ建設のために土地を明け渡さなければならなかったガザ市民から「侵略者」と見なされていたと言われています。
そうしたガザ地区は、イスラエルによる長年の経済封鎖の影響で、世界的にも有数の貧困地帯です。失業率(2022年)も高く、パレスチナ全体では20%台半ばで推移し、ガザに至っては45.3%(約47%)と高止まりしていますスラエルの3.8%よりはるかに高い)。若者だけに限れば、失業率は64%とも試算されています。
貧困ライン以下で生活をする人口はガザ地区住民の65%、このうち難民家庭に絞って言えば、ガザでの貧困率は80パーセントを超えています。また、住民の80パーセントが何らかの人道的支援に頼って生活していると言われています。
そのため、特にガザでは、生活費を稼ぐためにイスラエル側に渡る人も多く、2022年には19万3000人がイスラエルや入植地で雇われ、そのうち57.4%が建設業界で働いていると試算されています(パレスチナ中央統計調べ)。イスラエルへの出稼ぎ以外に産業が乏しいというのがガザの現実です。
(2024年4月4日)
<関連投稿>
<参照>
パレスチナ概況
(外務省HP)
「ハマス」とは何か
(2023年11月7日、東京新聞)
最新パレスチナ情勢 なぜイスラエルと衝突?ハマスって?
(2023年10月16日、NHK)
イスラエルへのテロを主導する、ハマスとはどのような組織なのか?
(2023.11.30, Diamond Online橘玲 )
戦禍のガザ深まる貧苦 損失1日1600万ドル
(2023年10月18日 日本経済新聞)
「アラファト秘密口座」にあったパレスチナ資産の行方
(2004年12月号、フォーサイト)
米財務省、ハマス工作員らに経済制裁 「収入源を根絶」
(2023年10月18日、日本経済新聞)
イスラエルとハマス それぞれの軍事力は?
(2023年10月22日 NHK )
A地区、B地区、C地区ってご存じですか?
(聖地の子どもを支える会)
世界史の窓
コトバンク
Wikipediaなど