パレスチナの最終的地位問題:解決への3つの論点

 

もし、今、パレスチナ問題を解決し、中東和平が実現するとしたら、どういう問題に取り組まなければなければならないのでしょうか?それは、「最終地位に関する問題」で、イスラエルとパレスチナの二国家共存へ歩みだした93年のオスロ合意の成立においても、積み残された難問とされた以下の3点です。

 

  • エルサレムの帰属問題
  • パレスチナ難民の帰還問題
  • ユダヤ人の入植地問題⇒境界線(国境線)の画定

 

イスラエル・ガザ戦争によって、中東和平が遠のいてしまった今だからこそ、パレスチナ問題の中身について、しっかりと考えていきましょう。

 

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二国家解決案

 

パレスチナ問題解決の大前提となっている問題は、パレスチナ人の国家をどうするのかということです。その前提として、パレスチナ人の国家を認める2国家解決案と、認めない1国家解決案がありますが、国際社会では、これまで、パレスチナの地に、パレスチナ人の国を作り、ユダヤ人の国イスラエルと切り分ける「2国家共存」案が中心に話し合いが行われてきました。

 

1947年11月に国連で採択されたパレスチナ分割決議では、イギリスの委任統治下にあったパレスチナを、ユダヤとアラブの2国家に分け、エルサレムを国際管理下に置くとされました(しかし、アラブ側はこれを拒否し、イスラエルが独立を宣言すると全面戦争を始めた)。

 

1993年に結ばれたオスロ合意(パレスチナ暫定自治合意)でも、2国家解決案を基本枠組みとし、当時イスラエルが占領していたヨルダン川西岸とガザ地区にパレスチナ独立国家を樹立、イスラエルとの共存を図ると取り決められました。

 

具体的には、パレスチナが、ガザとヨルダン川西岸の諸都市において、暫定的に自治を開始・拡大させながら、政府や警察組織を創設し、それがやがてパレスチナ国家となる計画でした。

 

しかし、ハマスやイスラム聖戦などのテロ組織による自爆テロ攻撃や民衆蜂起によって、オスロ合意は頓挫しました。また、現在のネタニエフ・リクード政権は、二国家解決案を完全否定しています。

 

それでも、パレスチナを含む国際社会は、二国家解決案を支持し、アメリカの歴代政権も、二国家解決案の実現を政策目標に掲げています。この二国家解決案(二国家共存案)に基づいて、パレスチナ人国家が樹立されるとなった際に、さらに解決されなければならない争点が、冒頭でも指摘したエルサレムの帰属、パレスチナ難民の帰還、ユダヤ人の入植(国境線の画定)、などの最終地位に関する問題です。

 

オスロ合意では「二国家共存」を原則的に認め、合意成立から3年の間にこれらの問題を交渉するとして先送りされ(これは「最終地位交渉」といわれた)、結局、失敗に終わり、未解決のまま現在に至っています。

 

 

(1) エルサレムの帰属問題

 

エルサレムは、イスラエルのほぼ中央の内陸、標高約800メートルの丘陵地に位置し、イスラム教とキリスト教、ユダヤ教の聖地として知られています。

 

ユダヤ教徒にとっては、かつのユダヤ王国のエルサレム神殿がおかれていた聖地です。紀元1世紀にローマ帝国により破壊されましたが、「嘆きの壁」と呼ばれる神殿の一部(外壁)が、今も残され、ユダヤ教徒らに神聖視されています。

 

イスラム教徒は、「嘆きの壁」(ユダヤ教の神殿跡地)の上に建っているイスラム教のモスク(岩のドーム)の場所から、創始者ムハンマドが天に上ったと教えられており、エルサレムを、メッカ、メディナに次ぐ、イスラム教第3の聖地として崇めています。

 

キリスト教徒にとっては、エルサレムは十字架にかけられた場所で、聖墳墓(せいふんぼ)教会はゴルゴダの丘に位置し、キリストの墓があるとされています。

 

そのエルサレムの帰属をめぐり、イスラエルとパレスチナ双方が、いずれもエルサレムを首都と主張しています。特に、エルサレムの中の、東エルサレムの旧市街と呼ばれる場所が、三宗教の聖地があるのですが、その管理をどうするか、イスラエル、パレスチナのいずれに属するかがが最大の難問となりました。

 

1947年に、国連が採択したパレスチナ分割案では、「エルサレムは国際管理下に置く」と定め、イスラエル、パレスチナのどちらにもエルサレムの帰属を認めていませんでした。

 

しかし、イスラエルは、1948年の建国後、第1次中東戦争で西エルサレムを占領し、旧市街を含む東エルサレムは、67年の第3次中東戦争(6日戦争)でイスラエルの統治下に入り、イスラエルが現在も実効支配を続けています。

 

イスラエルは、東西エルサレムを永遠不可分の自国の首都と主張しているのに対して、パレスチナ側は東エルサレムを国家樹立後の首都になると主張し、両者はイスラエルとパレスチナ自治政府が互いに「首都」と譲りません。

 

イスラエルがエルサレムに固執するのは、古代ユダヤ国家がエルサレムを首都とし、エルサレム神殿という礼拝の中心地であったという歴史的な経緯によります。19世紀に起こったシオニズム(ユダヤ人の民族国家をパレスチナに樹立することを目指した運動)もエルサレムを首都とすることを目指していました。

 

しかし、国際社会は、エルサレムをイスラエルの首都と認めていません(エルサレムに関するイスラエルの領有権を認めていない)。前述したように、国連は47年に採択したパレスチナ分割案では、「エルサレムは国際管理下に置く」と定めている上に、イスラエルが67年以来、設置してきた東エルサレムを含む多くの入植地は国際法上違法とされているからです。また、パレスチナが、東エルサレムが将来、国家樹立の際、首都になると主張していることにも配慮をしています。なお、1993年の「オスロ合意」では、エルサレムの最終的な地位は和平協議の中で決められるとしています。

 

これに対して、イスラエルは、入植を違法とはみなさず、80年にはイスラエル国家基本法を制定し、東エルサレムの領有権を明確に意思表示しました。ただし、これを受け、テルアビブに大使館を置いた国が、エルサレムに移転することはありませんでした。

 

トランプの暴走

しかし、2017年12月、トランプ米大統領は、エルサレムをイスラエルの首都と承認すると発表しました。また、「エルサレムの最終的な地位については、イスラエルとパレスチナの当事者間で解決すべきで、米国は特定の立場を取らない」と発言し、米国の歴代政権が約70年にわたり継続してきた政策を転換させた形です。

 

さらに、トランプ大統領は、当時、パレスチナ問題に関し、「2国家解決案でも1国家解決案でも、当事者が望む方法でよい」とまで発言しています。

 

トランプ政権の今回の決定は、93年の「オスロ合意」ではエルサレムの最終的な地位は和平協議の中で決められるとした国際社会の暗黙の合意から勝手に逸脱させたものでした。 もっとも、他国が相次いで追随していくことはありませんでしたが、アメリカの「お墨付き」を得たことでイスラエルは強硬路線を継続していくことが懸念されます。

 

 

(2) パレスチナ難民の帰還問題

 

イスラエルの建国や4回の中東戦争で発生したパレスチナ難民に対して、彼らの故郷であるパレスチナ(イスラエル)の地に戻ることを認めるかどうかという問題で、これを求めるパレスチナ側と、どうしても認めたくないイスラエル側が対立しています。

 

48年のイスラエル建国後、イスラエル領とされた地域に住んでいたパレスチナ系住民は周辺国に難民として避難しました。48年に70万人だったパレスチナ難民は現在では400〜500万人近くいるとされています。

 

この多数のパレスチナ難民の処遇に関して、パレスチナ側は、すべての難民に故郷に帰還する権利(パレスチナ難民の帰還権)があると主張していますが、イスラエルはイスラエル領内への帰還に反対しています。

 

理由は、現在のイスラエルの人口は約800万人ですが、難民の帰還権を認めればアラブ系住民が増え、「ユダヤ人国家」として作ったイスラエルで、ユダヤ人は少数派に転落してしまうからです。

 

実際、帰還を認めていない現在においても、イスラエルの支配地域でのパレスチナ人の人口増加率はユダヤ人を上回っており、2025年には、パレスチナ人の人口がユダヤ人人口を上回ると推計されています。ユダヤ人が多数を占める「ユダヤ人国家」の維持はイスラエルの国是となっています。

 

 

(3) ユダヤ人の入植問題

国境線(境界線)の画定問題

 

イスラエルは、67年の第三次中東戦争で、ヨルダン川西岸地区とガザ地区、ゴラン高原などを占領し、その土地に入植地を拡大させていますが、現在のイスラエル人(ユダヤ人)の入植問題とは、ヨルダン川西岸(とガザ地区)に入植しているユダヤ人をどうするかという問題です。パレスチナは入植を認めず撤退、イスラエルによるユダヤ人入植活動の凍結を求めています。イスラエルは入植者が国内に戻ってくる余地はないと主張しています。

 

これは、将来、パレスチナ国家が樹立された際、ヨルダン川西岸とイスラエルの国境線をどうするかという国境線(境界線)の画定問題とも絡み、複雑化しています。

 

イスラエルは、パレスチナの占領政策として、ヨルダン川西岸を中心に約130か所の入植地を定め、ユダヤ人の入植を奨励させてきました。とりわけ、オスロ合意が結ばれた1993年以降、ヨルダン川西岸と東エルサレムにおける、ユダヤ人入植者数は増え続けています。

 

オスロ合意が結ばれた段階で、東エルサレムを除くヨルダン川西岸には、イスラエル人の入植者がおよそ11万人いたと言われていますが、現在では、4倍近く増加し、40万人のユダヤ人入植者が住んでいると推計されています。また、東エルサレムでもユダヤ人の入植は進められ、現在の入植者は約20万人にも上っていると試算されており(パレスチナ人の人口は約30万人)、現在では,ヨルダン川西岸と東エルサレムの合計で、60万人を超えています。

 

パレスチナ人から見れば、ユダヤ人の入植活動は、パレスチナ人の土地が次々と浸食されていることを意味しています。パレスチナ人にとって、入植地は独立後の領土ですから、彼らは、ユダヤ人入植活動を凍結、入植者の撤退を求め、67年以前の境界線を基準として交渉すべきだと主張しています。

 

これに対して、イスラエルは、ガザ地区からは撤収しましたが、ヨルダン川西岸からの撤退は拒否しています。この地はユダヤ人にとって約束の地の一部であり、第3次中東戦争の犠牲の上に奪還した占領地(入植地)を手放すわけにはいかないとして、応じていません。

 

また、イスラエルからすれば、入植政策は、占領地にユダヤ人を住み着かせ、イスラエルの土地として既成事実化する意図の表れでもあります。これは、特にイスラエルの右派・強硬派の主張であり、右派のリクード政権としても、彼らの支持を失いたくないため、入植地撤退には応じていません。

 

イスラエルによる入植活動の継続は、2国家解決の足かせとなり、中東和平を失速させています。逆にいえば、入植問題が解決され、最終的な国境画定がまとまれば、平和的な共存が実現することになります。

 

 

展望

 

現在のネタニヤフ・リクード政権は、イスラエルの右派を代表する政党で、右派は二国家解決案ではなく、一国家解決案を望んでいます。これは、パレスチナ人の国家を認めず、力による現状維持政策を続けるともいえるもので、ヨルダン川西岸などの占領地はもともとユダヤ人の土地なのだから、手放すことはせず、占領地に住むパレスチナ人には自治権をだけを与え、同等の政治的権利を与えないとする考え方です。

 

しかし、力による支配は、歴史が示しているように、憎しみの連鎖を招き、アラブ諸国とイスラエルとの関係正常化を不可能にするでしょう。

 

もし二国家解決案ではなく、一国家解決案を望むなら、もう一つ選択肢の可能性が指摘されています。それは、東エルサレムを含むヨルダン川西岸とガザ地区を、正式にイスラエル領として一つの民主国家となる構想です。ただし、その場合、占領地に住むパレスチナ人にも参政権などを含め、ユダヤ人と同等な権利が与えられることになりますが、この考え方に賛成するイスラエルのユダヤ人はいないと見られています。

 

結局、パレスチナ問題が解決され、中東和平が実現するとしたら、47年の国連決議に沿う形で、かつてのパレスチナの地に、ユダヤ人の国家イスラエルと、パレスチナ人の国家が共存する2国家解決案を実現させるしか方法はないと言えます。

 

(2024年4月3日)

 

<関連投稿>

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<参照>

パレスチナとイスラエルの和平で最大の壁は何か命がけで「2国家共存」を進める指導者は出現するか

(2023/10/27、東洋経済)

イスラエル、なぜ「3つの宗教の聖地」となったのか戦禍が絶えない理由を地理から紐解いてみる

(2023/10/18、東洋経済)

イスラエル・ガザ衝突 原因は?なぜ和平が遠いのか? 地図と用語解説・年表でひもとく対立の構図

(2023年10月19日、東京新聞)

論点 エルサレム「首都認定」

(毎日新聞2017年12月7日 東京朝刊)

「トランプ大統領の中東和平政策」(視点・論点)

(2017年02月21日、NHKオンライン)

中東和平交渉の主な論点は? 聖地帰属や境界線で溝

(2013/8/14、日経)

中東和平、交渉前進せず オスロ合意から20年

(2013/9/13、日経 )

パレスチナという土地はあるが国はない 単なる「宗教対立」では語れないパレスチナ問題の発端

(2023.11.08、幻冬舎プラス) 高橋和夫

コラム:エルサレム首都認定でトランプ氏が招く「悲惨な代償」

2017年12月9日、ロイター

トランプ米大統領、エルサレムをイスラエルの首都と承認

2017年12月7日、BBC

東エルサレム East Jerusalem

(百科事典、科学ニュース、研究レビュー)

ネタニヤフ首相、「2国家解決」を拒否 アメリカに公に反対

(2024年1月19日、BBC)