ギリシャ神話の世界をシリーズでお届けしています。前回から神々と人間の間に生まれて活躍した英雄たちをとりあげていますが、今回はヘラクレスに続き、「アキレス腱」でも知られるアキレスを紹介します。
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アキレウス(アキレス)は、ギリシャ神話のトロヤ戦争に登場する英雄で。ホメロスの叙事詩「イーリアス」の主人公の一人です。
テッサリア地方最南端プティーアの出身で、フティア王ペレウスと、海の女神テティスとの間に生まれました。アイアコスの孫にあたります。スキューロス島の王リュコメーデースの娘デーイダメイアとの間にネオプトレモスをもうけました。
トロイア戦争において、比肩するものなきギリシア勢の勇将で、ギリシア軍随一の働きをしました。たった一人で形勢を逆転させたり、トロヤ軍の総大将ヘクトル,アマゾン族の女王ペンテシレイアらを討ちとるなど敵の名将を尽く討ち取ったりするなど、無双の力を誇りました。足が速く、「イーリアス」では「駿足のアキレウス」と形容されています。
神話やアニメでは、高木トネリコで作られた槍(やり)、鍛冶の神ヘパイストスが作り上げた鎧(よろい)と世界図が描かれた盾、賢者ケイローンより贈られた青銅の太刀をまとい姿で描かれ、ポセイドンが下賜した不死の名馬(バリウスとクサントス)に加えて、名馬ペーダソス、クサントス、バリオスの三頭で牽引される戦車を操りました。また、不死の効能を持つ神々の食物・アンブロシアを軟膏として使用していたとも言われています。
◆ アキレスの幼年時代
アキレウスが生まれると、わが子を不死の体にしようと願った母神テティスは、冥府を流れる川ステュクスの水に息子を浸しました。
しかし、そのとき、テティスの手は、アキレウスの踵(かかと)を掴(つか)んでいたために、踵は水に浸からず、踵のみは不死となりませんでした。唯一の弱点を意味する「アキレス腱」は,この挿話に由来します(アキレス腱は、踵からふくらはぎにかけての腱)。
母神テティスはアキレウスを養育しなかったので、父ペーレウスはアキレウスを、英雄たるべく、ケンタウロスの賢者ケイローンに預け、育てられました。
アキレスが成人すると、母神テティスは、アキレウスをスキューロス島に送り、女の格好をさせていました。というのも、受けた神託によれば、アキレウスは、平穏無事に長生きするか、もしくは永遠の名声を得る代わりに若くして死ぬかのいずれかであると予言されていたからです。
しかし、トロイ戦争の勧誘にきたオデュッセウスが、アキレスの女装を暴いたことから、アキレウスは、母親の警告をふりきる形でトロイアに渡りました。
◆トロイア戦争での活躍
アキレウスは、友人パトロクロスと共に、神話的民族ミュルミドーン人たちを率いて、50隻の船とともに、トロイア戦争に参加していました。
ギリシア勢がトロイア戦争を開始してから十年目、戦利品で捕虜の娘ブリーセーイスを総大将のアガメムノンに強奪されたことに憤慨したアキレウスは、戦士としての誇りを大きく傷つけられたとして、戦闘を放棄、戦線を離脱してしまいました。
アキレウスという一番の戦力を失ったギリシャ勢は、神々の加護も失い(実はゼウスがトロイヤ勢に味方した)、名だたる英雄たちが負傷し、総崩れとなりました。
これを見かねた友人のパトロクロスは、なお出陣を拒むアキレウスから鎧を借り、ミュルミドーン人たちを率いて出陣したことから、ギリシア勢はトロイア勢を押し返しましたが、トロイアの王プリアモスの息子で、事実上の総大将であるヘクトールに討たれてしまいました。
親友パトロクロスの死を深く嘆いたアキレウスは、ヘクトールへの復讐のために再び戦場に立ち、トロイアの名だたる勇士たちを次々と葬り去り、不利だった形勢を逆転させました。城内に逃げ去るトロイア勢に中で、門前に一人待ち構えていた総大将ヘクトールとの一騎討ちとなり、アキレウスがヘクトールを討ち取りました。(紀元前490年~480年頃と推察されている)。
アキレウスはヘクトールの鎧を剥ぎ、ヘクトールを戦車の後ろにつなげて引きずりまわしました。親友の仇を討ったアキレウスは、トロイア勢から奪ったさまざまな賞品を賭けてパトロクロスの霊をなぐさめるための競技会を開きました。
ただ、競技会が終わった後も、アキレウスはヘクトールの遺体を引きずりまわすことをやめませんでした。ヘクトールの父プリアモス王は、これを悲しみ、深夜アキレウスのもとを訪れ、息子の遺体を返してくれるように頼みました。王が自ら敵陣を訪れたことに心を動かされたアキレウスは、プリアモスをいたわり、遺体の返還に応じました。
アマゾン族の女王ペンテシレイアとの戦い
ヘクトール亡き後、トロイア勢は意気消沈しますが、アマゾーン族の女王ペンテシレイアの加勢により、再び勢いを盛り返しました。ペンテシレイアは女神のごとき勢いでギリシア勢の名だたる英雄をなぎ倒して暴れまわりましたが、アキレウスがペンテシレイアを討ちました(紀元前520年頃と推定)。
アキレウスは、遺体となったペンテシレイアの素顔を覗くと、その美貌に目を奪われ、殺してしまったことを後悔したとされ、それを嘲笑した同じギリシャ軍のテルシーテースを突き殺したという伝承も残されています。
曙の女神エオスの子メムノンとの戦い
ペンテシレイアの死後、再び落ち込んだトロイア側に、今度は、アイティオピアー勢を率いてきたメムノーン(暁の女神エーオースとティートーノスの子)が加勢したことにより、トロイや側は再び息を吹き返しました。メムノーンは老将ネストールの子アンティロコスを倒すなどして活躍しましたが、アキレウスに討ち取られました。
◆ アキレスの死
その翌日、アキレウスはトロイアのスカイアイ門の前で戦っていましたが、アポロンの助力を受けたトロイア王子パリスに、弱点の踵(急所のアキレス腱)を射かけられ、瀕死の重傷を負って倒れました。しかし、アキレウスは再び立ち上がり、トロイア勢を追い回し、奮戦しましたが、その後、落命しました。
パリスをはじめとするトロイア勢は、アキレウスの遺体を奪おうとしましたが、アイアース(サラミース島の王テラモーンの子)とオデュッセウスがこれを阻みました。
戦いが一段落した後、アキレウスの母テティスが、アキレウスの霊を慰めるための競技会を開催しました。このとき、アキレウスの鎧(甲冑)を賭けた争いで、アイアースとオデュッセウスが争い、オデュッセウスが勝ちを収めました(紀元前520年頃)。
その後、「アキレウスの子ネオプトレモスとヘーラクレースの弓なしにはトロイアを落せない」という予言によって、ネオプトレモスがギリシア軍に招かれ、なかば戦場のシンボルとして参戦しました。
トロイア陥落後、ネオプトレモスの夢の中にアキレウスが現れ、「(トロイアの)プリアモス王の娘ポリュクセネーを、自分の墓に奉げてほしい」と語ったという寓話があります。生前アキレウスはポリュクセネーに恋焦がれ、未練が残っていたと考えられ、ネオプトレモスはポリュクセネーを手にかけ、アキレウスの墓に奉げたとも伝えられています。
<ギリシャ神話シリーズ>
<参照>
古代ギリシャの歴史と神話と世界遺産
(港ユネスコ協会HP)
ギリシャ神話
(TANTANの雑学と哲学の小部屋)
ギリシア神話の12神と簡単なストーリー
(Nianiakos Travel)
ギリシャ神話伝説ノート
(Kyoto-Inet)
ギリシャ神話とは(コトバンク)
ギリシャ神話など(Wikipedia)