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2019年05月05日

ニュース:「命のビザ」杉原記念式典

「命のビザ」杉原千畝の功績たたえ記念式典 イスラエル

(2019年5月3日 NHKニュース)

 

第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から大勢のユダヤ人を救った日本の外交官、杉原千畝(ちうね)の功績をたたえ、より理解を深めようとイスラエルの学校で記念式典が行われました。第2次世界大戦中、リトアニア駐在の外交官だった杉原千畝は、ナチス・ドイツの迫害から逃れるユダヤ人のためにビザを発給しておよそ6000人の命を救ったとされています。

 

2日はイスラエルではナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストの犠牲者を追悼する日にあたり、イスラエル中部にある中高一貫の公立学校では杉原の功績をたたえる記念式典が行われました。式典ではいわゆる「命のビザ」で救われたベレル・ショーさん(91)が「杉原の勇気ある行動がなければ私は今、ここに存在しなかった」と述べ、集まった1300人の生徒は真剣な表情で聞き入っていました。

 

学校の近くではことし2月、杉原の功績を記念して植樹された400本の木が無断で伐採されていたことが発覚しました。この出来事にショックを受けた学校の教師が杉原について社会全体で理解を深める必要があると考え、式典の開催を提案したということで、この日は新たな植樹や記念碑の除幕も行われました。

2019年05月04日

ニュース:大正天皇の女官の肉声 発見

 大正天皇の女官の肉声、摂政めぐる対立詳細に

(2019/5/3 TBSニュース)

 

歴史的な資料の発見です。およそ100年前、大正天皇と貞明皇后に仕えた女官の肉声を収めたカセットテープをJNNが発見しました。大正天皇の人柄や昭和天皇が摂政についた際の宮廷内の対立が語られていました。

「陛下のお毒見しますでしょ。魚ならこんなひと切れとか」女官は坂東登女子さん、通称「椿の局」と呼ばれ、大正天皇と貞明皇后の最側近として仕えていました。JNNが発見したテープは、方言を研究する山口幸洋さんが1976年に録音したもので、音声が公開されるのは初めてです。
「お上(大正天皇)は天才的。お教えせんでもちゃんとお素読あそばした。あんまりおつむさんが良くって、お体がお弱くあらっしゃったんでしょう」(椿の局の肉声)

 

テープには、皇太子時代の昭和天皇が大正天皇の摂政についた際、宮廷内で起きた対立の様子についても収められています。「大炊御門さん(侍従)なんか、摂政を置くのに反対だった。御寿命が短くてもええで、陛下のままで終わらし申したいと」(椿の局の肉声)

近現代の天皇制について研究する原武史教授は、非常に貴重な録音だと話します。
「まさか肉声が、こういう形で残っているとは想像もしなかった。昭和天皇が摂政になった際に、宮中がぎくしゃくした関係になった。裏側に一体何があったかまで、必ずしも明らかになっていないが、その裏側の話が椿の局の証言から浮かび上がってくる気がする」(放送大学 原武史教授)

2019年05月03日

ニュース:安倍総理、改憲に意欲

首相、20年改憲目標「変わらず」 「自衛隊」明記に意欲 

(2019/5/3 日経、抜粋)

 

安倍晋三首相(自民党総裁)は令和に改元後初めての憲法記念日である3日、憲法改正を推進する民間団体が都内で開いた集会にビデオメッセージを寄せた。2年前に示した2020年に新憲法を施行する目標について「いまもその気持ちは変わらない」と強調した。「憲法にしっかりと『自衛隊』と明記し、違憲論争に終止符を打つ」と改めて意欲を示した。首相は憲法9条に自衛隊の存在を明記するとした自民党改憲案に関して「すべての自衛隊員が誇りを持って任務を全うできる環境を整える」と説明した。「先頭に立って責任をしっかり果たす決意だ」と語った。

 

自民党改憲案が記す教育充実の狙いにも触れ「真に必要な子どもたちの高等教育無償化を実現する」と主張した。「家庭の経済事情にかかわらず、教育はすべての子どもに開かれたものにする。憲法にしっかり位置づけなければならない」と理解を求めた。「令和元年という新時代のスタートラインに立ち、この国の未来像について真正面から議論を行うべき時に来ている」と改憲論議を呼びかけた。自民党改憲案の国会への提示時期には言及しなかった。

 

★☆★☆

【自民党大会】「改憲4項目」条文素案全文

(2018.3.25 産経)

 

【9条改正】

第9条の2

(第1項)前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

(第2項)自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

(※第9条全体を維持した上で、その次に追加)

 

【緊急事態条項】

第73条の2

(第1項)大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。

(第2項)内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。

(※内閣の事務を定める第73条の次に追加)

 

第64条の2

大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。

(※国会の章の末尾に特例規定として追加)

 

【参院選「合区」解消】

第47条

両議院の議員の選挙について、選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数を定めるものとする。参議院議員の全部又は一部の選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとすることができる。

前項に定めるもののほか、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

 

【教育の充実】

第26条

(第1、2項は現行のまま)

(第3項)国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。

 

2019年05月01日

ニュース:令和の幕開け 即位の礼

「令和」幕開け 新天皇陛下が即位 

(2019/5/1 日経、抜粋)

天皇陛下が4月30日に退位されたことに伴い、皇太子さまが1日、新天皇に即位された。今回の代替わりは2017年6月に成立した皇室典範の特例法に基づく。天皇の退位は1817年の光格天皇以来202年ぶり、憲政史上では初めてとなる。元号は平成から令和に変わり、新時代が幕を開けた。

 

新天皇陛下は59歳、名前は徳仁(なるひと)、称号は浩宮。実在が確かな歴代天皇の中では、60歳で即位した奈良時代の光仁天皇に次いで2番目の高齢での即位となった。新皇后雅子さまは55歳。代替わりで、秋篠宮さまが皇位継承順位1位となる皇嗣の地位に就かれた。退位した前の陛下は上皇、前の皇后さまは上皇后となり、公務から退かれた。継承順位は2位が秋篠宮さまの長男、悠仁さま、3位は上皇さまの弟の常陸宮さまに変わった。

 

☆★☆★

新元号「令和」は、日本最古の歌集、万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文から引用された。

 

初春の月にして気淑く風らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす

(しょしゅんのれいげつにして きよくかぜやわらぎ うめはきょうぜんのこをひらき らんははいごのこうをかおらす)

 

新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている。

 

 

☆★☆★

新天皇陛下「国民に寄り添う」 即位の儀式終了 

(2019/5/1 日経、抜粋)

1日に即位した天皇陛下は皇居・宮殿で即位関連の儀式に臨まれた。「剣璽等承継の儀」では陛下が歴代天皇に伝わる神器などを受け継がれた。続いて行われた「即位後朝見の儀」で、陛下は「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たす」とする即位後初めてのお言葉を述べられた。

 

剣璽等承継の儀は国事行為として、宮殿内で最も格式の高い「松の間」で行われ、安倍晋三首相ら三権の長や閣僚ら26人が国民代表として参列した。皇位継承順位1位の秋篠宮さまと、陛下のおじに当たり、同3位の常陸宮さまも儀式に参列された。三種の神器のうちの剣と璽(じ)(まがたま)、国事行為で使われる御璽(天皇の印)と国璽(国の印)を持った侍従が一列になって入室。剣璽などを陛下の前の台に置いた。その後、陛下は受け継いだばかりの剣や璽をささげ持った侍従らと共に松の間を退出され、儀式は約7分間で終了した。

 

松の間では続いて、即位後朝見の儀が行われた。三権の長や閣僚、地方自治体の代表ら292人が参列し、天皇、皇后両陛下が秋篠宮ご夫妻ら成年の皇族方と共に入室された。儀式に先立ち、陛下は午前9時50分ごろ、赤坂御所を車で出発。首に天皇が装着する最高の勲章「大勲位菊花章頸飾」を身につけ、沿道に集まった人々にほほ笑みながら手を振って応えられた。午前10時ごろに皇居に入ると、宮殿「菊の間」で初の公務として、剣璽等承継の儀と即位後朝見の儀を国の儀式として行う旨の閣議決定を「裁可」された。

 

☆★☆★☆★¥

本日の即位礼における儀式

 

◎剣璽等承継の儀 宮殿

即位に伴い剣璽等を承継される儀式

 

○賢所の儀

賢所に皇位を継承されたことを奉告する儀式 (御代拝)

 

○皇霊殿神殿に奉告の儀

皇霊殿神殿に皇位を継承されたことを奉告する儀式(御代拝)

 

◎即位後朝見の儀

即位後初めて国民の代表に会われる儀式。

 

 

2019年04月30日

ニュース:平成の終焉 退位の礼

天皇陛下の退位儀式 皇居で始まる

(毎日新聞 抜粋)

 

天皇陛下は30日午前、皇居・宮中三殿で、退位に伴う儀式「退位礼当日賢所(かしこどころ)大前(おおまえ)の儀」に臨まれた。同日をもって退位することを広く国民に伝える国事行為「退位礼正殿の儀」を夕刻に行うことを、皇室が祖とする天照大神に報告された。

 

午前10時過ぎ、陛下は天皇専用の古式装束「黄櫨(こうろ)染御袍(ぜんのごほう)」に身を包み、宮中祭祀をつかさどる掌典長の先導で、天照大神を祭る賢所の回廊を進まれた。厳粛な表情で笏(しゃく)を持って進み、中に入る際に深々と一礼。装束の裾を持った侍従らが続いた。宮内庁によると、陛下は拝礼し、「御告(おつげ)文(ぶみ)」を読み上げられた。

 

 

天皇陛下、最後のおことば「支えてくれた国民に心から感謝」 退位礼正殿の儀

(毎日新聞 抜粋)

 

皇居・宮殿で30日夕、憲政史上初となる「退位礼正殿の儀」が行われ、天皇陛下は「象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します」と述べられた。在位中最後のおことばとなった。退位を広く国民に明らかにするための国事行為の儀式で、皇后さまや皇太子ご夫妻ら皇族方、三権の長や閣僚ら計約300人が出席した。陛下は1989年1月7日、昭和天皇の逝去に伴い即位し、在位期間は30年3カ月24日となる。

 

午後5時ごろ、宮殿「松の間」に陛下と皇后さまが入室された。皇位の証しとされる三種の神器のうち、剣と璽(じ)(まが玉)、国事行為で使われる印章の御璽(ぎょじ)と国璽が侍従によって持ち込まれ、皇太子ご夫妻ら成年皇族が続かれた。国民を代表し、安倍晋三首相が皇室典範特例法に基づく退位であることを表明し、約30年の在位に感謝の意を伝えた。陛下は「明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」と述べると、原稿から顔を上げて参列者を見渡した。おことばを述べ終わった陛下は剣や璽と共に退室。皇族方も退室し、儀式は10分ほどで終了した。

 

 

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退位の礼関係諸儀式(宮内庁資料より)

〇賢所に退位及びその期日奉告の儀 (平成31年3月12日) 〔賢所〕

賢所に天皇が退位及びその期日を奉告される儀式

 

〇皇霊殿神殿に退位及びその期日奉告の儀(同日) 〔皇霊殿,神殿〕

皇霊殿神殿に天皇が退位及びその期日を奉告される儀式

 

〇神宮神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀(同日) 〔御所〕

神宮並びに神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に退位及びその期日を奉告し幣物を供えるために勅使を派遣される儀式

 

〇神宮に奉幣の儀(平成31年3月15日) 〔神宮〕

神宮に退位及びその期日を勅使が奉告し幣物を供える儀式

 

〇神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に奉幣の儀(同日)〔各山陵〕

神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に退位及びその期日を勅使が奉告し幣物を供える儀式

 

〇神武天皇山陵に親謁の儀(平成31年3月26日) 〔神武天皇山陵〕

神武天皇山陵及び昭和天皇以前四代の天皇山陵に退位及びその期日を勅使が奉告し幣物を供える儀式

 

〇神宮に親謁の儀(平成31年4月18日) 〔神宮〕

退位に先立ち,神宮に天皇が拝礼される儀式

 

〇昭和天皇山陵に親謁の儀(平成31年4月23日) 〔昭和天皇山陵〕

退位に先立ち,昭和天皇山陵に天皇が拝礼される儀式

 

〇退位礼当日賢所大前(おおまえ)の儀(平成31年4月30日) 〔賢所〕

退位礼の当日,賢所に天皇が退位礼を行うことを奉告される儀式

 

〇退位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀(同日) 〔皇霊殿,神殿〕

退位礼の当日,皇霊殿神殿に天皇が退位礼を行うことを奉告される儀式

 

◎退位礼正殿の儀(同日) 〔宮殿〕

退位を広く国民に明らかにするとともに,天皇が退位前に最後に国民の代表に会われる儀式

2019年04月23日

憲法:日本にも革命が起きていた!?

憲法学の世界において、日本では戦後、革命が起きたことになっているってご存知でしたか?
 
日本国憲法は、明治憲法の改正手続きに則って改正されました。明治憲法は天皇の名のもとに制定された憲法(君主主権の憲法)で、日本国憲法は国民の名の下に制定された憲法(国民主権の憲法)です。しかし、その君主(天皇)主権の明治憲法の改正手続きに基づいて、国民主権の憲法に変わることは、憲法学上ありえないそうです。

 
そこで、憲法学の世界では、この矛盾のつじつまを合わせに、何と「革命」が起きたと解されているのです。ポツダム宣言を受諾する革命が起きて、天皇主権の国から国民主権の国に変革したそうです。

 
この考え方に対しては、「欧米の価値観に凝り固まった欧米かぶれの憲法学者の理論」とか、「日本にもフランス革命のような「革命」を起こしたい共産主義者の理論」など辛辣な批判がなされていますが、現在でもこの考えは「8月革命説」と呼ばれて、憲法学上通説となっているのです。
 
日本国憲法を否定的に捉える人々は、「8月革命説」のような空想的な理論をもってきてこじつけなければならないほど日本国憲法は正当な憲法とは言えない、なぜなら、日本国憲法はアメリカによって押しつけられたものであるからだ」と批判します。
 

 

日本国憲法はかく押しつけられた!?

 

皆さんは、戦後の占領期、マッカーサー将軍が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)(以後、総司令部またはGHQと表記)のトップとして、日本を実質的に支配したことはご存知のことかと思います。
 
そのマッカーサーは、占領が始まってほどなく、財閥解体や農地改革などの五大改革指令が出されると同時に、時の幣原喜重郎首相に対して憲法改正を暗に求めました。
 
幣原内閣は、これを受けて憲法問題調査委員会(通称「松本委員会」)を設け、大日本帝国憲法の改正案の作成に取り組むわけですが、その内容はマッカーサーが満足するものでは到底ありませんでした。そこで、マッカーサーは、1946年2月4日、GHQ(総司令部)のスタッフに対して、マッカーサー三原則(マッカーサーノート)なるものを提示し、これを土台にGHQによる新憲法草案の起草を、密かに命じたのです。
 
マッカーサー3原則

(1)天皇を元首とする(象徴天皇制)

(2)戦争放棄

(3)封建制度の廃止
 
GHQでは、20人程度のメンバーで、日本国憲法の草案、いわゆるマッカーサー草案をわずか9日間で作り上げ、日本政府に対して受け入れを求めたのでした。
 
政府は「マッカーサー草案」の受諾後、GHQ案に基づく政府案を起草します。日本政府との「協議」という体裁をとりつつもGHQは、この「3月2日案」(3月2日にできたのでこう呼ばれる)に対して細部に至るまで注文をつけ、日本国憲法は結果的にマッカーサー草案に沿った形で誕生したのでした。
 
日本国憲法がGHQのマッカーサーによって「押しつけられた」と結論づける人々は、こうした経緯を受け、日本国憲法を「アメリカ制憲法」、「占領憲法」などと呼び、「マッカーサーノートなるマッカーサーのメモ書き程度のものが日本の憲法になった」、「日本国憲法の原文は英語で、今の憲法はその英文を翻訳にしたものにすぎない」などと批判します。しかし、事実はこう単純でしょうか?実際、押し付け憲法論に対して、異議を唱える見方もあります。

 

 

日本人が書いた日本国憲法!?

 

確かに、日本国憲法制定のプロセスを追えば、マッカーサーのGHQが日本国憲法を「押しつけた」との批判もうなずけるかもしれません。しかし、それは、マッカーサーノートの提示からGHQ原案ができて、日本政府に受け入れを迫った約1週間の出来事のことです。その後、日本政府との「折衝」や、約6ヶ月に及ぶ衆議院と貴族院における審議などの過程で、日本側の発案によって生まれた条文や、GHQ案を覆した規定などもあるのです。つまりは、日本国憲法はGHQ主導で進められたものの、日本政府も帝国議会も関わった上で成立しており、GHQの一方的な押し付けではないとの見方も可能なのです。
 
皆さんは、今の憲法にある次の条文はご存知でしょうか?

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

 

これは、日本国憲法第25条にある生存権と呼ばれる規定で、経済的社会的弱者を守ろうとする現代社会にあってはなくてはならない重要な条文です。この生存権規定は、マッカーサー草案にはなく、衆議院の審議の段階で初めて加えられました。社会権の花形的な存在である25条(第1項)が、アメリカから与えられたのではなく、日本人自身が作っていたという事実にある種の驚きを覚えたのは筆者だけでしょうか?
 
また、公務員の不法行為によって国民に損害が生じた場合に請求できる国家賠償請求権(17条)や、被告人が無罪判決を言い渡された際に請求できる刑事補償請求権(40条)なども議会審議の過程で付記されました。さらに、マッカーサー草案では国会を一院制としていましたが、日本側の要求で、現行の二院制(衆議院・参議院)に修正されています。
 
このように、日本国憲法は、GHQによる一方的な押しつけとは言えない独自性がこのほかにもたくさんあります。

 

さらに興味深い事実もあります。皆さんの中に、マッカーサーのGHQ草案に多大な影響を与えていたとされる「憲法研究会」という日本の民間団体があったことをご存知でしょうか?マッカーサー草案は「憲法研究会によって作られていた草案を採用し、それをまとめたものである」と主張する人たちもいるぐらいです。実際、憲法研究会のメンバーが書いた「憲法草案要綱」をみれば、現行憲法と同じような草案が数多く見られます(太字が憲法研究会の草案で、矢印⇒の後が日本国憲法の条文)。

 

国民は法律の前に平等にして出生又は身分に基く一切の差別は之を廃止す

⇒すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(第14条第1項)

 

国民は労働の義務を有す

⇒すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ(第27条第1項)。

 

国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(第25条第1項:)。

・・・・

気づかれた方もいらっしゃると思いますが、日本国憲法の条文に中に、日本人の発案の事例として紹介した第25条の生存権規定は、まさに、憲法研究会の「憲法草案要綱」の文言そのままと言っていいものです。このような、日本の民間人からなる憲法研究会の草案が日本国憲法の土台となったのであれば、わが国の憲法は、アメリカが一方的に押し付けてきたものではなく、日本国憲法は、日本人が書いた憲法といえますね。
 

 

また、最近、日本国憲法の制定をめぐる研究が進み、過去の外交文書や機密文書なども公開されている中で、GHQ(総司令部)は、単にマッカーサーの指示を受けて、日本国憲法草案(マッカーサー草案)を書いたとは単純に言い切ることができなくなっています。
 
そもそも、マッカーサー3原則というのは、マッカーサー自身のアイディアなのでしょうか?一部の改憲派の人々がいうマッカーサーのメモ書き程度のものなのでしょうか?こういう疑問がでてくるのも、戦後日本の柱ともなった象徴天皇制と9条の戦争放棄は、GHQが押しつけたのではなく、当時の幣原首相の発案であったという主張があるからです。これは、幣原首相が、マッカーサー3原則が出される前にマッカーサーを訪ねた折、象徴天皇制や戦争放棄について言及していたというのです。もし、この説が正しかったとすると、マッカーサー3原則のうちの2つは、幣原がマッカーサーにヒントを与えていたことになります。

 

 

パッチワークの日本国憲法!?

 

一方、改憲を唱える人々は、憲法の専門家でないGHQスタッフが、一国の憲法を短期間で書くことができた理由を、次のように説明します。
 
日本国憲法は、合衆国憲法、米独立宣言、リンカーンの演説など彼らが気に入った内外の憲法や基本法、条約などを拾い上げ、それをパッチワーク的につなげたものにしか過ぎないからである。

この批判は、あながち間違いではなく、アメリカ合衆国憲法一つをとっても、以下のように、その前文や条文が日本国憲法の中にいくつも見いだされます。

 

日本国憲法前文

…日本国民は(中略)、われらとわれらの子孫のために(中略)、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、(中略)、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

合衆国憲法前文

われらとわれらの子孫のために自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のために、この憲法を制定し、確定する。

 

日本国憲法第31

何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

アメリカ合衆国憲法 修正第5条

何人も、法の適正な過程によらずに、生命、自由または財産を奪われることはない。

 

さらに、驚きの事実もあります。次の条文を読んでみてください。

…市民の権利の平等は,その民族および人種のいかんを問わず,経済的,国家的,文化的および社会的・政治的生活のすべての分野にわたり不変の法である

…労働は,…労働能力あるすべての市民の義務であり,また名誉である。

 

これはある国の憲法の条文だったのですが、その内容が日本国憲法の中にも見い出すことができます。

 

日本国憲法第14条第1項

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

日本国憲法第27条第1項

すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

 

日本国憲法第14条(法の下の平等)と第27条(勤労の義務)につながったとされる上記の規定は、どこの国の憲法だったと思われますか?驚くなかれ、それは1936年制定のスターリン憲法(ソビエト社会主義共和国連邦憲法)の第123条と第12条なのです。えっ、日本国憲法に共産主義が?と驚かれる方も多いでしょう。今の憲法には、これ以外にもスターリン憲法の影響が見受けられる条文がいくつかあります(この点については本書の第3章で詳細に検討しています)。
 
日本国憲法「パッチワーク説」が正しければ、GHQのメンバーが、自分達が気に入った内外の憲法や条約の条文をパッチワーク的につなぎ合わせた中に、スターリン憲法も含まれていたことになります。
 
スターリン憲法が日本国憲法に採用されていたとすれば、さらに疑惑の目がGHQにも向けられます。それは、GHQのメンバーの中には、ソ連のスパイも含む共産主義者が数多く含まれていたからではないのか、という疑惑です。そうすると「GHQの目的は、日本の共産化であった」などという陰謀論のような主張まで飛び出します。
 
果たして、GHQスタッフの中に共産主義者がいて、日本国憲法制定に介入し、日本を共産国にしようとしたのでしょうか?マッカーサーはこの事実を知っていたのでしょうか?もしかして、マッカーサーも?…といった具合に、疑惑は尽きません。このテーマについても本書の第3章で「真面目」に分析してみたいと思います。

 

逆に、日本国憲法の多くの条文は、大日本帝国憲法(帝国憲法、明治憲法)を写したものに過ぎないとの指摘もなされています。確かに、日本国憲法の条文の中には、明治憲法と瓜二つの条文があります。

 

日本国憲法 第32

何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

帝国憲法 第24条

日本臣民は、法律に定められた裁判官による裁判を受ける権利を奪われることはない。

 

日本国憲法 第57

①両議院の会議は,公開とする。但し,出席議員の3分の2以上の多数で議決したときは,秘密会を開くことができる。

帝国議会 第48条

両議院の会議は公開する。但(ただ)し政府の要求またはその院の決議に依(よ)り、秘密会と為(な)すことができる。

 

今の憲法は帝国憲法のコピペ(写しのこと)であるという主張について言えば、GHQが変えたかったのは、主に、前文と天皇(第1条から第8条)、それから軍(戦争放棄)に関する規定(第9条)で、それ以外の項目についてはそれほど執着せず、帝国憲法の条文で使えるところは使ったという現実的な見方が可能です。実際、どうだったのでしょうか?

 

 

マッカーサーとGHQの背後に…

 

ここまでみたように、日本国憲法が、合衆国憲法などGHQスタッフが好んだ各国の憲法典や帝国憲法、さらには憲法研究会のような民間団体の憲法試案などをつなぎ合わせたとしても、一国の憲法草案をわずか9日間で完成させることは普通に考えればできない相談です。しかし、もし、マッカーサーやGHQに対する指示書のようなものが存在していたとしたら、どうでしょうか?
 
1944年3月に米国務省では、「アメリカの対日戦後目的」なる報告書が作成されていました。日米戦争の最中のその時期に、すでに勝利を確信したアメリカが対日戦後処理政策を考えていたのです。そして、同年12月、アメリカ政府内部に、国務省、陸軍省、海軍省の意見調整を図るため国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCCスウィンク)が設置されました。そのSWNCCが日本が降伏した1945年11月27日に「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)をまとめて、マッカーサーに「指示」を与えていた事実が昨今、明らかになっています。
 
このSWNCC228こそ、マッカーサー三原則とその後のマッカーサー草案(総司令部案)に大きな影響を与えた文書ではなかったかと推測されます。例えばSWNCC228の中で、天皇制について、「…日本人が天皇制を維持すると決定したときは、最高司令官(マッカーサーのこと)は、日本政府当局に対し、次に掲げる安全装置が必要なことについても、注意を喚起しなければならない」として以下のような具体的な措置を「指示」しています。そして実際に今の憲法に反映されています。

 

――内閣による天皇の全行為に対する助言と補佐

                        

日本国憲法第3条:天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ

 

――皇室財産の国庫への繰り入れと皇室費の国家予算への編入

日本国憲法第88条:すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない

 

さらに、SWNCCが「日本の統治制度の改革」(SWNCC228)をまとめた背後に、OSS(米戦略情報調査局)という米軍の特務機関(諜報機関)の存在も見え隠れしています。OSSは、日米開戦後の1942(昭和17)年6月の段階で、帝国憲法(明治憲法)などの分析を行い「日本計画」なる報告書をルーズベルト大統領に提出し、戦後の占領政策の青写真をすでに描いていたとされているのです。このOSSは後にCIA(米中央情報局)となる機関です。
 

SWNCC(国務・陸軍・海軍三省調整委員会)なる組織や、CIAの前身であるOSSが、マッカーサーやGHQに大きな影響力をもっていたとするならば、日本国憲法がマッカーサーのGHQによって単に「押しつけられた」という憲法観も変化を強いられそうです。

 

 

 

 

2019年02月06日

出版:企画の紹介

「タブーに挑む」シリーズとして、3作品を企画提案します。

 

知られざる日本国憲法のなりたち

 

 日本国憲法は本当にマッカーサーの押しつけ憲法だったのか!?日本国憲法は本当にアメリカ製?憲法改正論者がいう「日本国憲法はGHQが作った」を検証します。

 

明治憲法はホントに日本を軍国主義に導いた憲法だったのか?

 

 日本国憲法に対して、徹底的に批判されがちな明治憲法ですが、果たしてそうなのでしょうか?悪い憲法としての明治憲法と、いい憲法としての明治憲法の両論併記で解説します。

 

実は教育勅語って…!?

 

 教育勅語は、ホントに若者を戦場に駆り立てたのでしょうか?明治憲法以上に悪の権化のように取り扱われている教育勅語に光を当てます。もちろん、思想的な偏りをなくすため、既存の解釈も説明します。

 

 

 

 

 

 

 

歴史上の人物でも、蘇我氏、明智光秀、田沼意次というと、独裁者、裏切り者、賄賂政治家というレッテルが貼られていますが、必ずしも通説通りではなさそうです。「これまで『悪』とされていたものが実はそうではなかったかも知れない、そう思い込まされていただけかもしれない、まずは疑ってみよう」という気持ちから、表題のテーマに行き着きました。

 

特に、明治憲法、教育勅語、日本国憲法に否定的な考えをもっている人たちの中で、学校で教えてもらったから、新聞やニュース解説でそう言われているから何となくそういうものだと思っている人たちに、実際、全文をしっかり吟味した上で、自分の頭で判断してもらいたいという思いから執筆に至りました。

 

2019年01月28日

お知らせ:ホームページ再開

このたび、「むらおの政治経済情報サイト『レムリア』」と銘打って、私、村尾英俊、個人のホームページを再開します。多くの人々に知っておいてもらいたい日本と世界の政治・経済・文化情報をお届けする教養サイトです。これから試行錯誤しながらいいものを作っていきたいと思います。よろしくお願いします。

 

―「レムリア」とは?―

私の趣味の一つは、古代史研究。かつて太平洋、大西洋、インド洋に存在していたとされる超古代の幻の大陸に、ムー、アトランティス、レムリアというのがあったという伝説をご存じですか?リムリアは、ムー、アトランティス以前に、太平洋からインド洋にまたがって存在したのではないかとされています。むらおの政治経済情報サイト「レムリア」は、幻のレムリア大陸からとりました。時として、一部のニューエイジのカルト的なサイトにレムリアという名称も散見されますが、それらとは関係ありません。普通の個人のサイトです。

 

 

2017年11月04日

ニュース:英首相、「バルフォア宣言」に謝罪拒否

バルフォア宣言に「誇り」=パレスチナへの謝罪拒否-英首相
2017/11/03、時事ドットコム

 

英国のメイ首相は2日、イスラエルのネタニヤフ首相とロンドンの首相官邸で会談した。英首相府報道官によるとメイ氏は席上、パレスチナにユダヤ人国家を建設することを支持した英国の「バルフォア宣言」から同日で100年になるのを踏まえ、イスラエル建国に際して英国が演じた役割を「誇らしく思う」と述べた。パレスチナ側はバルフォア宣言を批判し、英国に謝罪やパレスチナ国家の承認を求めているが、メイ氏は「誇りと敬意を持って宣言100周年を記念する」と述べた。

 

両首相は停滞する中東和平プロセスについて協議。この中でメイ氏は、東エルサレムやヨルダン川西岸でのユダヤ人入植地の建設に「重大な懸念」を表明した。両首相はこの後、ロンドン市内で催された記念夕食会に出席。首相府が公表したメイ氏のスピーチテキストによれば、同氏は宣言が表明された当時のバルフォア英外相からロスチャイルド卿への書簡を「歴史上最も重要な書簡の一つ」と称賛。宣言をめぐる謝罪要求について「絶対に(謝罪は)ない」と拒否した。

2017年11月02日

ニュース:日本版海兵隊、米軍基地共同使用へ

日本版海兵隊、沖縄配置へ 日米調整、米軍基地を共同使用 2020年代前半、
米部隊移転後
(2017年10月31日、朝日)

 

陸上自衛隊に離島防衛の専門部隊「水陸機動団」(日本版海兵隊)が来年3月、新設される。防衛省はこの部隊を当初、長崎県の相浦駐屯地をはじめ九州に置くが、2020年代の前半には沖縄県の米海兵隊基地キャンプ・ハンセンにも配置する方針を固め、米側と調整に入った。在日米軍再編に伴って沖縄に駐留する米海兵隊の一部が米領グアムに移転した後を想定しているという。

 

複数の政府関係者が明らかにした。尖閣諸島に近い沖縄に置くことで、中国への抑止効果とともに、南西諸島で何か起きた際の展開を早める狙いがあるという。一方、沖縄にとっては、海兵隊の移転後に自衛隊が駐留することになり、「本当の基地負担の軽減につながらない」といった反発も予想される。陸自が来年3月末に発足させる水陸機動団は約2100人。相浦駐屯地には、司令部のほか2個の水陸機動連隊を置くことが決まっている。

 

政府関係者によると、キャンプ・ハンセンへの駐留が検討されているのは、20年代前半までに発足させる予定の三つ目の水陸機動連隊。規模は約600人程度を想定しているという。日米両政府は8月の外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)の際の共同発表で、南西諸島を含めた自衛隊の態勢を強化し、米軍基地の共同使用を促進することを確認し合った。キャンプ・ハンセンの共同使用を念頭に置いていたという。共同発表を受け日米両政府は、在沖縄の米海兵隊の一部がグアムに移転した後に陸自の水陸機動連隊の一つをキャンプ・ハンセンに配置する基本方針を確認。在沖縄米軍は日本側に、この部隊の規模や編成など具体的な検討を進めるチーム設置を申し入れたという。

 

日米両政府は06年、沖縄の米軍基地負担の軽減と抑止力の維持を両立させる目的で、在日米軍再編の「ロードマップ」を策定した。12年には、在沖縄の海兵隊員のうち約9千人の国外(このうち約4千人をグアム)移転に合意。13年には、グアム移転を20年代前半に始めることも公表している。日本政府は、沖縄側の反応も見ながら検討を進める方針だ。

 

◆キーワード

<水陸機動団> 離島が侵攻された際、戦闘機や護衛艦などの支援を受けながら、水陸両用車やボートなどを使って島に上陸し、奪還する「水陸両用作戦」の実施部隊。米海兵隊をモデルにしている。13年に閣議決定された防衛計画の大綱で部隊の創設が盛り込まれ、中期防衛力整備計画で水陸両用車など部隊が使う装備の導入が明記された。陸自が導入を進める輸送機オスプレイも水陸機動団の展開に使われる。

 

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