モーセ伝説:能登に「モーゼの墓」がある!?

 

石川県には、旧約聖書の「十戒(じっかい)」で有名なモーゼに関して、「モーゼはシナイ山に登った後、天浮船(あまのうきふね)に乗って能登宝達に到着。583歳の超人的な天寿を全うした」という驚愕の伝承が残されています。

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  • 「モーゼパーク」!?

 

モーゼの墓があるとされる場所は、能登半島の最高峰・宝達山の(最高峰と言っても標高637m)、石川県の羽咋郡(はくいぐん)西側のふもとにある宝達志水町(ほうだつしみずちょう)という所です。

 

モーゼの墓は「モーゼパーク」の名前で、公園として自治体によって整備され、観光地化しています(正式名称は「伝説の森モーゼパーク」)。公園からモーゼの墓へは、遊歩道でつながり、10分ほど上ると、「三ツ子塚」と呼ばれる古墳群が見えてくるそうです。モーゼの墓と目されている所は、「三ツ子塚古墳(正確には「河原三ツ子塚古墳群」)」という正式な古墳なのです。しかも、石川県の埋蔵文化財になっています(もっともモーゼの墓だからという訳ではないとのこと)。

 

古墳時代中期のものと推定されるこの古墳群は、全部で10基の円墳が確認されていますが、このうち、3基の古墳がひときわ大きく(名前のごとく3つの墳墓が並んでいる)、モーセの墓といわれるのは、真ん中に位置し、一番大きな2号墳の上に立てられています。古墳の頂上へ行くと、「神人モーセロミユラス魂塚(モーゼ大聖主之霊位)」と墨書かれた古びた柱(木の墓標)がひっそりと立っているそうです。ちなみに残りの2つの墳墓は、妻である皇女と孫のものであるとされています。

 

地元の人たちは、本気でこのモーゼの墓伝説を信じているとは思われませんが、人口が少なく、産業もない当時の押水町(現、宝達志水町)が町おこしの一環として、「モーゼの墓伝説」に着目したとみられています。1993年、押水町商工会は、宝達山の三ツ子塚古墳群を「伝説の森・モーゼパーク」として整備したことから、観光スポット(珍スポット)として、三ツ子塚古墳のモーゼの墓が知られるようになったというのが現実的な話しのようです。

 

では、この「モーゼの墓の伝説」の根拠は何かと言えば、古文書として有名な「竹内文書」です(なお、「竹内文書」は「偽書」と断定されて久しい)。

 

 

  • 竹内文書のモーゼ伝説

 

モーゼ伝説は、モーゼがシナイ山から、天浮船(あまのうきふね)(天空浮船(あめそらうきふね)ともいう)に乗り、日本の能登半島にやってきたというところから始まります。

 

乗ってきたのが大船ですので、実際は、「宝達山水門」にたどり着いたとされています。現在、宝達山は海から8km内陸にあり、船着き場(宝達山水門)はないのですが、大昔は海の底で、宝達山のふもとまで海が迫っていたことは、地質学上、近くの地名(「敷浪」と「敷波」)などから、事実である可能性がないことはありません。一方、天浮船は、船ではなく、古代世界に存在した超高速の飛行船という見方もあります。中に、それはUFOであるという説まで飛び出しています。

 

いずれにしても、時は、今からおよそ3430年前、不合朝(あえずちょう/ふきあえずちょう)・第69代・神足別豊耡(カンタルワケトヨスキ)天皇の時代と言われています。不合朝なんて聞いたことがないという方も多いと思いますが、竹内文献などの古文書には、神武天皇が即位されるまで73代続いた王朝(不合朝)があったと記されています。

 

さて、能登に到着したモーゼは、その後、日本に12年滞在し、日本の「神道」の修行に励んでいたと言われています。モーゼがシナイ山で神から授かったとされる十戒(じっかい)も、竹内文書では、この期間中、能登の宝達山で授かったとされています。

 

十戒

  1. わたしのほかに神としてはいけない。
  2. 偶像を作ってはならない。
  3. あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはいけない。
  4. 安息日を守り、これを聖別せよ。
  5. 父母を敬いなさい。
  6. 殺してはならない。
  7. 姦淫してはならない。
  8. 盗んではならない。
  9. 隣人に対して偽りの証言をしてはいけない。
  10. 隣人の財産を欲してはならない。

 

より正確には、時の天皇に拝謁したモーセは、天皇に十戒を彫り込んだ「十戒石」を献上し、承認を待っていたそうです。しかも、その間、天皇の第一皇女である大室姫(おおむろひめ)を妻に迎えたとされています。

 

やがて天皇から十戒の承認を得たモーセは、再び天浮船(天空浮船)に乗って宝達山を出発し、イタリア・ボローニャ地方を経由してシナイ山に渡りました。そこで、十戒を世界に広めたとされています。

 

旧約聖書では、モーゼは、同胞のユダヤの民衆を、エジプトからイスラエルの地へ導いた後、シナイ山に登って、神から十戒を授かると書かれていますが、竹内文書では、シナイ山に上った後、そこから、天浮船に乗って、1万kmも離れた能登宝達(宝達山)に再び戻ってきたというのです。

 

そこで、583歳という超人的な天寿を全うし、最期は宝達山のふもとにある三ツ子塚(みつこづか)に葬られたと語られています。それが現在も宝達志水町に残されている伝説の森・モーゼパークのモーセの墓なのです。

 

 

  • いくつかの繋がり

 

モーゼの墓は、竹内文書以外の客観的な状況証拠が明らかに少ないと指摘されていますが、いくつか興味深い逸話は残されています。

 

モーゼが降り立ったという宝達山の頂に手速比咩神(てはやひめ)神社があり、そこには、エジプトのスフィンクスに似たこま犬が置いてあるそうです。エジプトは、モーゼがイスラエルの民を脱出させた(出エジプト)という有名な旧約聖書の話しがあるように、モーゼと深い関連がある地です。また、同じ宝達山にある宝達神社には、天皇家の「菊の御紋」が掲げられていたと言われています。

 

また、能登半島周辺には、平林(へらいばし)という地名がありますが、その読み方は通常、「ひらばやし」です。しかし、そこではヘブライを連想させる「へらいばし」と読まれているそうなのです。ただし、地元の方たちに尋ねると、たしかに、「平林」という地名は実在していますが、「へらいばし」という読みはしないという声が多いようです。

 

 

  • GHQも調査

 

こうしたモーセ伝説を聞きつけたマッカーサーのGHQ(連合国軍総司令部)が塚を掘り起こして、戦後のある時、発掘調査も行なっています。そのときの調査では、墓の近くの石灰山で、膝からくるぶしまで約75センチもある異常に大きな人骨が発掘されたとも伝えられています。モーゼの身長は2メートルもあったといわれており、発掘された人骨がモーセのものであった可能性がないわけでもありません。

 

また、古代に使われていた土器のつぼや、異国風の兜などが発掘されたと言われています。実際の調査の真相については、発掘は極秘に行われ、その内容は一切不明だとされています。もっとも、当時の証言によれば、アメリカ兵たちは、地元の人たちにアルバイト料を払って発掘に協力してもらったそうで、極秘というわけでもなく、また、調査の結果、人骨がでたという話しはなかったと言われています。

 

現在、宝達志水町の隣の羽咋(はくい)市は、「UFOの町」として、愛好家の間で有名な場所です。能登半島の周辺は、ミステリーゾーンとして、何かあるのかもしれませんね。

 

 

なお、「モーゼ」は、一般的には「モーセ」または「モーシェ」という記載が多いようですが、「モーゼパーク」とあるように、富山では「モーゼ」となっていますので、この記事では「モーゼ」で統一しています。

 

(2021年4月12日更新)

 

 

<参考記事>

キリスト伝説:青森に「キリストの墓」がある!?

 

<参照>

モーゼ583歳 能登に眠る?モーゼの墓

(中日新聞 2010年11月6日)

民ゾクッ学UFOの町 モーゼも訪問?

(読売新聞 2019年6月5日)

宝達志水町「伝説の森公園(モーゼパーク)」

伝説の聖者が日本に眠る「モーセの墓」

宝達山の謎~モーセの墓と竹内文書~(ベネディクト地球歴史)

竹内義宮『神代の万国史』(天津教総庁)

Wikipediaなど