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2020年06月16日

伝承:能登にモーゼの墓がある!?

 

前回の投稿で、「青森にキリストの墓がある!?」として、イエス・キリスト伝説を紹介しましたが、実は石川県にも旧約聖書の「十戒(じっかい)」で有名なモーゼの伝説があります。「モーゼはシナイ山に登った後、天浮船(あまのうきふね)に乗って能登宝達に到着。583歳の超人的な天寿を全うした」というイエスに勝るとも劣らない驚愕の伝承が残されています。

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  • モーゼパーク!?

 

モーゼの墓があるとされる場所は、能登半島の最高峰・宝達山の(最高峰と言っても標高637m)、石川県の羽咋郡(はくいぐん)西側のふもとにある宝達志水町(ほうだつしみずちょう)という所です。

 

モーゼの墓は「モーゼパーク」の名前で、公園として自治体によって整備され、観光地化しています(正式名称は「伝説の森モーゼパーク」)。公園からモーゼの墓へは、遊歩道でつながり、10分ほど上ると、「三ツ子塚」と呼ばれる古墳群が見えてくるそうです。モーゼの墓と目されている所は、「三ツ子塚古墳(正確には「河原三ツ子塚古墳群」)」という正式な古墳なのです。しかも、石川県の埋蔵文化財になっています(もっともモーゼの墓だからという訳ではないとのこと)。

 

古墳時代中期のものと推定されるこの古墳群は、全部で10基の円墳が確認されていますが、このうち、3基の古墳がひときわ大きく(名前のごとく3つの墳墓が並んでいる)、モーセの墓といわれるのは、真ん中に位置し、一番大きな2号墳の上に立てられています。古墳の頂上へ行くと、「神人モーセロミユラス魂塚(モーゼ大聖主之霊位)」と墨書かれた古びた柱(木の墓標)がひっそりと立っているそうです。ちなみに残りの2つの墳墓は、妻である皇女と孫のものであるとされています。

 

地元の人たちは、本気でこのモーゼの墓伝説を信じているとは思われませんが、人口が少なく、産業もない当時の押水町(現、宝達志水町)が町おこしの一環として、「モーゼの墓伝説」に着目したとみられています。1993年、押水町商工会は、宝達山の三ツ子塚古墳群を「伝説の森・モーゼパーク」として整備したことから、観光スポット(珍スポット)として、三ツ子塚古墳のモーゼの墓が知られるようになったというのが現実的な話しのようです。

 

では、この「モーゼの墓の伝説」の根拠は何かと言えば、「キリストの墓が日本(青森県)にある」と書かれた同じ古文書「竹内文書」です。

 

 

  • 竹内文書のモーゼ伝説

 

モーゼ伝説は、モーゼがシナイ山から、天浮船(あまのうきふね)(天空浮船(あめそらうきふね)ともいう)に乗り、日本の能登半島にやってきたというところから始まります。ちなみにイエスが最初に到着した場所も、能登半島でした。

 

乗ってきたのが大船ですので、実際は、「宝達山水門」にたどり着いたとされています。現在、宝達山は海から8km内陸にあり、船着き場(宝達山水門)はないのですが、大昔は海の底で、宝達山のふもとまで海が迫っていたことは、地質学上、近くの地名(「敷浪」と「敷波」)などから、事実である可能性がないことはありません。一方、天浮船は、船ではなく、古代世界に存在した超高速の飛行船という見方もあります。中に、それは、UFOであるという説まで飛び出しています。

 

いずれにしても、時は、今からおよそ3430年前、不合朝(あえずちょう/ふきあえずちょう)・第69代・神足別豊耡(カンタルワケトヨスキ)天皇の時代と言われています。不合朝なんて聞いたことがないという方も多いと思いますが、竹内文献などの古文書には、神武天皇まで73代続いた王朝(不合朝)があった記されています(この時代の天皇のお話はまた別の機会に)。

 

さて、能登に到着したモーゼは、その後、日本に12年滞在し、日本の「神道」の修行に励んでいたと言われています。モーゼがシナイ山で神から授かったとされる十戒(じっかい)(唯一神の信仰、偶像崇拝の禁止など10箇条の戒め)も、竹内文書では、この期間中、能登の宝達山で授かったとされています。

 

より正確には、時の天皇に拝謁したモーセは、天皇に十戒を彫り込んだ「十戒石」を献上し、承認を待っていたそうです。しかも、その間、天皇の第一皇女である大室姫(おおむろひめ)を妻に迎えたとされています。

 

やがて天皇から十戒の承認を得たモーセは、再び天浮船(天空浮船)に乗って宝達山を出発し、イタリア・ボローニャ地方を経由してシナイ山に渡りました。そこで、十戒を世界に広めたのでした。

 

旧約聖書では、モーゼは、同胞のユダヤの民衆を、エジプトからイスラエルの地へ導いた後、シナイ山に登って、神から十戒を授かると書かれていますが、竹内文書では、シナイ山に上った後、そこから、天浮船に乗って、1万kmも離れた能登宝達(宝達山)に再び戻ってきたというのです。

 

そこで、583歳という超人的な天寿を全うし、最期は宝達山のふもとにある三ツ子塚(みつこづか)に葬られたと語られています。それが現在も宝達志水町に残されている伝説の森・モーゼパークのモーセの墓なのです。

 

 

  • いくつかの繋がり

 

モーゼの墓は、キリストの墓と比べると、竹内文書以外の客観的な状況証拠が明らかに少ないと指摘されていますが、いくつか興味深い逸話は残されています。

 

モーゼが降り立ったという宝達山の頂に手速比咩神(てはやひめ)神社があり、そこには、エジプトのスフィンクスに似たこま犬が置いてあるそうです。エジプトは、モーゼがイスラエルの民を脱出させた(出エジプト)という有名な旧約聖書の話しがあるように、モーゼと深い関連がある地です。また、同じ宝達山にある宝達神社には、天皇家の「菊の御紋」が掲げられていたと言われています。

 

また、能登半島周辺には、平林(へらいばし)という地名がありますが、その読み方は通常、「ひらばやし」です。しかし、そこではヘブライを連想させる「へらいばし」と読まれているそうなのです。ただし、地元の方たちに尋ねると、たしかに、「平林」という地名は実在していますが、「へらいばし」という読みはしないという声が多いようです。

 

 

  • GHQも調査

 

こうしたモーセ伝説を聞きつけたマッカーサーのGHQ(連合国軍総司令部)が塚を掘り起こして、戦後のある時、発掘調査も行なっています。そのときの調査では、墓の近くの石灰山で、膝からくるぶしまで約75センチもある異常に大きな人骨が発掘されたとも伝えられています。モーゼの身長は2メートルもあったといわれており、発掘された人骨がモーセのものであった可能性がないわけでもありません。

 

また、古代に使われていた土器のつぼや、異国風の兜などが発掘されたと言われています。実際の調査の真相については、発掘は極秘に行われ、その内容は一切不明だとされています。もっとも、当時の証言によれば、アメリカ兵たちは、地元の人たちにアルバイト料を払って発掘に協力してもらったそうで、極秘というわけでもなく、また、調査の結果、人骨がでたという話しはなかったと言われています。

 

宝達志水町の隣の羽咋(はくい)市は、「UFOの町」として、愛好家の間で有名な場所です。能登半島の周辺は、ミステリーゾーンとして、何かあるのかもしれません。

 

なお、モーゼは、一般的にはモーセまたはモーシェという記載が多いようですが、地元では「モーゼパーク」とあるように、モーゼとなっていますので、この投稿ではモーゼで統一しています。

 

 

<参考>

宝達志水町「伝説の森公園(モーゼパーク)」

伝説の聖者が日本に眠る「モーセの墓」

宝達山の謎~モーセの墓と竹内文書~(ベネディクト地球歴史)

「モーゼ583歳 能登に眠る?…」『中日新聞』(2010年11月6日)

Wikipediaなど

 

2020年06月14日

伝承:青森にキリストの墓がある!?

6月7日、青森県三戸郡新郷村で行われる予定であった地元の恒例行事「キリスト祭」は、コロナウィルスの感染拡大の影響で中止となりました。

 

今回のこの投稿では、単に青森の伝統行事をお伝えするのではなく、このキリスト祭(キリスト慰霊祭)が、実はふつうは想像できない伝承に基づいて50年以上行われているという事実を紹介し、日本の伝承・伝説の奥深さの一端を垣間見たいと思います。

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イエス・キリストと言えば、「十字架に磔(はりつけ)にされて処刑された後、復活した…」というのが、全世界のキリスト教徒にとっての常識ですね。ところが、もし、青森県の南端、十和田湖の東に位置する三戸郡新郷村(しんごうむら)に「キリストの墓が存在する…、イエスは、ゴルゴダの丘で処刑されずに、密かに日本に逃れ、新郷村で、天寿を全うした…」と言われたら、彼らはどう思うでしょうか?このあまりにも突拍子のない伝承と奇祭が、青森県三戸郡新郷村にはあるのです。

 

 

  • キリスト渡来説

 

ユダヤ人のイエスは、21歳の時に、能登半島に上陸し、越中で12年間修行されました。時は、第11代の垂仁天皇の時代(前29~後70年)でした。

 

修行を終えたイエスは、33歳の時にユダヤの地に戻り、神の教えを広めましたが、迫害にあって磔刑(たっけい)に処されそうになりました。しかし、実際に十字架の上で処刑されたのは、身代わりとなった弟のイスキリだったのです。

 

数人の弟子とともにひそかに姿をくらましたイエスは、シベリアを横断し、アラスカを経由して現在の青森県八戸市に上陸して、戸来村(へらいむら)(今の新郷村)に居を定めました。

 

イエスはこの村の山奥で、天狗と呼ばれながら生活を続け、106歳で天寿をまっとうしました。一説には、妻子ももうけた、最後は漢字とカタカナで遺書を書き残したとも言われています。

 

 

  • キリスト慰霊祭

 

こうした伝承に基づいて、1935(昭和10)年、青森県の新郷村(旧戸来村)には「キリストの墓」が「発見」され、塚の上に十字架が建てられています(正確にはイエスと弟のイスキリのために2つの十字架が建てられている)。

 

このイエス・キリストの霊を慰める「キリスト御霊祭(キリスト祭)」が、1964(昭和39)年から毎年、6月の第一日曜日に、キリストの墓周辺の「キリストの里公園」で開催されています。2020年は、第57回目のキリスト祭が行われるはずでした。

 

儀式(慰霊祭)そのものは90分程度で終了します。十字架の立った「キリストの墓」の前で、神官による祝詞(のりと)の奏上から始まります。キリスト教の聖職者ではなく、村で由緒ある戸来三嶽(みたけ)神社の宮司が祝詞をあげ、列席者による玉串奉奠(たまぐしほうてん)が行われます。初回は、キリスト教式でしたが、その後神式となったそうです。

 

続いて、笛と太鼓の演奏のなか獅子舞が舞い踊った後、盆踊りの奉納があります。キリストの墓の周りを踊ります。この盆踊りは、「ナニャドヤラ」と呼ばれる青森県に伝わる踊りで、浴衣姿の女性たちが中心となって、「ナニャドヤラ~・ナニャドナサレノ・ナニャドヤラ~…」と歌うのですが、歌詞の意味は不明なのだそうです。柳田國男や金田一京助は、「方言のくずれたもの」と説明したとされていますが、ある学者がヘブライ語に当てはめてみたところ、「おまえの聖名をほめたたえん おまえに毛人(えみし)を掃討して おまえに聖名をほめたたえん」とつながったそうです(「おまえ」の訳出が適切かどうかは疑問)。

 

 

  • エルサレム市も認知!?

 

新郷村は、イスラエルのエルサレム市と友好関係にあます。2004年(平成16年)6月6日の第41回キリスト祭には、エルサレム市から友好の証として、縦25センチ、横70センチのエルサレム・ストーンと呼ばれる大理石(石版)が寄贈され、2つの十字架の間に埋め込まれています(エルサレム・ストーンとは、エルサレム市街の建築物外壁で建材として広く使われている白い石灰岩のこと)。表面にはヘブライ語で「この石はイスラエル国、エルサレム市と新郷の友好の証としてエルサレム市より寄贈されたものである」と刻まれ、除幕式には、驚くべきことに、イスラエル駐日大使も出席されました。大使の参列ということは、イスラエル政府もキリスト伝承を認めたということなのでしょうか?

 

 

  • 「キリストの墓」のルーツは竹内文書

 

ただし、キリストの墓は、新郷村が2000年以上にもわたり「キリストの墓」を守ってきたわけではありません。前述したように、新郷村でキリストの墓が発見されたのは、1935(昭和10)年の話です。

 

この時(8月)、竹内家の当主、竹内巨麿(皇祖皇大神宮天津教の開祖)が、古代史研究家らを引き連れて、当時の戸来村(今の新郷村)を訪れてきました。茨城県磯原町(現北茨城市)にある皇祖皇大神宮の竹内家には、竹内文書と呼ばれる古文書が伝えられています。その中に、「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが実は密かに日本に渡来し、新郷村で一生を終えた」との記載があり、一行は調査のために来たのです。

 

すると、小高い丘のやぶの中の笹に埋もれていた塚が発見され、これがキリストの墓と「断定」されたことから、キリスト伝説が生まれました(正確には、2つの土盛りを見つけ、それぞれイエスとイスキリの墓とみなされた)。

 

 

  • 地域興しに一役

 

もちろん新郷村の人々が、キリスト伝説を真面目に信じているかはわかりませんが、この伝承は、観光客誘致など、地域興しという観点からある程度受け入れられていると思われます。だからこそ、1964(昭和39)年からキリスト祭が原則、毎年開催され(キリスト祭は旅行会社や新郷村自体が積極的に宣伝している)、住民もその墓を守っているわけですね。

 

また、「キリストの墓」の近くには、資料館として「キリストの里伝承館」が建てられ、竹内文書写本や「キリストの遺書」など関連資料が展示されています。さらに、現地へ向かう国道には、「キリストの墓」という標識まであれば、「キリスト・ラーメン」などキリストにちなんだ「特産品・土産物」も販売されています。

 

 

  • 神秘の村・新郷村

 

では、なぜ、キリストの墓が青森県の新郷村なのでしょうか?新郷村には、竹内文書以外にも、ユダヤ人やキリスト教に関連すると思われる逸話があります。

 

まず、新郷村の旧名、戸来村の「戸来(へらい)」という地名は、ユダヤを意味する「ヘブライ」が転化したものであると説や、新郷村では、父親をアヤまたはダダ、母親をアパまたはガガと呼ぶそうですが、これもアダムとイブがなまったものであるという見方があります。

 

また、新郷村では、幼子を初めて野外に出すとき額に墨で十字(十字架)を書くという風習や、足がしびれたときには額に十字を書く風習もあるそうです。

 

さらに、「ダビデの星」に似た五角形の模様を代々家紋とする家があります。その家の代表は、現地の沢口家で、「キリストの墓」が発見された当時の沢口家当主は青い目をしていて、背丈は185センチと大柄で、イエスの末裔(まつえい)とみられていたという言い伝えも残されています。

 

<ひと言>

そもそも「キリストの墓伝説」の根拠となった「竹内文書」は、現在では「偽書」と断定されています。ただし、通説とされていた歴史の見方に別の角度からスポットを当ててみようという本HPの趣旨のもと、とくに一方的に「偽書」とされている竹内文書のような文献については、別の機会にしっかりと検証してみたいと思います。

 

参考投稿:能登にモーゼの墓がある!?

 

<参照>

キリスト祭(日本観光振興協会)

キリスト祭とは?

(あおもり暮らし、青森県移住・交流ポータルサイトより)

イエスの墓? 新郷村の「キリスト祭」が完全に地元になじみきっている

(2015年6月8日、タウンネット青森県)

信じるかは貴方しだい!青森のパワースポット「キリストの墓」

(lineトラベル)

キリスト伝説を訪ねる 青森・新郷村 ロマンが観光の目玉

(2014年3月26日、日経)

「キリスト」ラーメンは青森・新郷村! 住民、墓守る

(2014/5/2、日経)

キリスト祭 幻想的な舞…青森県新郷村

(読売新聞オンライン)

民ゾクッ学「青森にキリストの墓」説

(2019/8/7、読売新聞)

Wikipediaなど