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2022年12月28日

コロナワクチン:接種開始時期と死者増加時期が一致!

コロナワクチン接種を奨励するテレビやネットのCMに岸田総理が登場し、「ワクチン接種によって重症化リスクが軽減する」「海外旅行から帰国がスムーズにできる」と訴えています。相変わらず、ワクチンのリスクについては一言も触れない姿勢は一種の情報操作としか言えません。

 

12月に入り、非常にショッキングなニュースが2本出されましたが、メディアがテレビで積極的に取り上げる気配は感じられません。今回はその注目すべき2本のニュースを紹介したいと思います。

 

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最初のニュースは、超過死亡という統計から、3回目と4回目のワクチン接種以降、死者が増えているという報道です。

 

コロナワクチン「接種開始時期と死者増加時期が一致」のデータが意味するものとは

(2022.12.20 女性セブン)(一部抜粋)

 

命を救うはずのワクチンだが、接種を繰り返すとなぜか死者が増えていた。原因はコロナか、がんや心疾患か、それとも別に要因があるのか。一体、いま日本で何が起きているのか──データとデータを重ね合わせて読み解くと、ある不都合な真実が見えてきた。

 

日本人が猛烈なスピードで命を落としている。厚生労働省が発表した人口動態統計速報によると、2022年は1〜8月だけで2021年の同期間よりも死者数が7万1000人ほど増加した。そもそも2021年は死者数が前年比約6万7000人増と、戦後最大にまで増加したが、2022年はわずか8か月で前年の増加分を追い越した。

 

増加のペースもすさまじく、2022年2月は前年より約1万9000人増、8月は約1万8000人増となった。2011年の東日本大震災による死者は約1万6000人だったことを考えると、大震災に匹敵する“災害”が2度も発生した計算になる。

 

原因としてまず考えられるのが、新型コロナの流行だ。年始からの第6波、夏の第7波で感染者が激増し、それに伴って死者が増えたのではないだろうか。だが専門家は、その可能性は低いと話す。医師で南日本ヘルスリサーチラボ代表の森田洋之さんが指摘する。

 

「…2022年1〜8月のコロナによる死者数は2万1500人ほどに過ぎず、人口動態統計速報が指摘する死者7万1000人のうち、約5万人はコロナとは別の理由で死亡したことになります。それでは一体、何が原因なのかを考える必要があるのです」。

 

なぜ、日本人の死者数は、急激に増えているのだろうか。

 

接種開始の時期と死者増加の時期が一致

新型コロナのような感染症はその感染症で亡くなったと診断された患者以外にも、検査をせずに亡くなった感染者や、感染が原因で基礎疾患が悪化して亡くなった患者などが多数生じる。そうした感染症の全体図を把握したいときに用いられるのが「超過死亡」だ。

 

超過死亡とは、過去の統計から見込まれる死者数の推定値を、実際の死者数がどれだけ上回ったかを示す数値のこと。感染症がないときの平年の国の総死者の推定値と、感染症が流行したときの総死者数を比べれば、「感染症によってどれだけの人が死亡したのか」を導き出せる、という理屈である。

 

ここでも目立つのは2022年の数字の伸びだ。2022年2月の超過死亡は最小1万3561人〜最大1万9944人、2022年8月は最小1万2232人〜最大1万7968人だった。超過死亡が示す最大の死者数は、厚労省の人口動態統計速報とほぼ一致することも読み取れる。

 

この人たちはなぜ亡くなったのか。感染研の鈴木基感染症疫学センター長は戦後最大とされる超過死亡の要因について、「新型コロナ感染の流行」や「それに伴う医療逼迫の可能性」を主張し、大手メディアもこの説に追随する。しかし前述の通り、コロナと直接関係する死者は超過死亡ほど増えていない。「感染が拡大した2月や8月は医療が逼迫して入院できず、コロナ以外の疾患で亡くなったのでは?」という主張も疑わしい。

 

では何が戦後最大の超過死亡を招いたのか。ひとつの可能性として森田さんが指摘するのが「ワクチン接種」だ。

 

死者が増加した2月と8月はワクチンの3回目接種、4回目接種の時期と一致します。コロナ感染が増えた結果、ワクチン接種が増えたとの反論もありますが、実際のデータを見るとコロナ感染が始まる前にワクチン接種数が伸びています。統計的には3回目接種、4回目接種と回数を重ねるほど死者数との相関が強くなっています」(森田さん)

 

小児がんや難治性血液病の専門家で、遺伝子治療やワクチンに詳しい名古屋大学名誉教授の小島勢二さんは話す。

「感染研のダッシュボードを見ると、3回目、4回目ワクチンの接種開始から10週間後にあたる2月、8月に超過死亡が観察される時期が始まっています。ワクチンの接種回数の推移と超過死亡の推移は一致しており、ワクチンの接種開始と超過死亡発生との時間的な関連は明白です」

「2022年2〜3月に観察された超過死亡は追加接種が増加した時期に一致しており・・・・。また、感染研は2022年6月に超過死亡のデータの集計方法を突然変えました。変更前のデータと比べて、変更後は高齢者のワクチン接種が始まって以降の『1週間あたりの超過死亡』の増加が観察された週数が、大幅に伸びています」

 

ワクチン死とコロナ死は似ている

ワクチンはコロナ対策の切り札と称賛され、莫大な費用を投じ、国を挙げての接種推進が繰り広げられた。国民の命を守るはずのワクチンを打つことがなぜ、死者の増加を招くのか。もともと、ワクチンの安全性には疑問が投げかけられていたと小島さんは言う。

 

「ファイザーやモデルナのmRNAワクチンは遺伝情報を打ち込み、いわば『人工のウイルス』に感染させることが大きな特徴ですが、産生されるスパイクたんぱく質が人体に与える影響までは充分配慮がされませんでした。現実に血栓症や自己免疫疾患の発症などのデメリットが海外の論文で指摘されています」

 

感染研のダッシュボードは、新型コロナ感染症以外の死因で超過死亡が生じた際の主な死因として、「呼吸器系疾患」「循環器系疾患」「悪性新生物(がん)」「老衰」「自殺」の5つを挙げ、超過死亡の数値を公表している。

 

実際に2022年2月の超過死亡を見ると、多い順に「循環器系疾患」(最小3248人〜最大5561人)、「老衰」(同1168人〜1886人)、「呼吸器系疾患」(同218人〜1563人)、「悪性新生物(がん)」(同117人〜683人)、「自殺」(同0人〜72人)だった。循環器系疾患や老衰が上位にくることからも、ワクチンとの関連が疑われる。

 

「断言はできませんが、ワクチン接種により血栓が増えることが報告されています。接種後の血栓で生じる脳梗塞や心筋梗塞などが循環器系疾患の死因となる可能性があります。またワクチンによって免疫全体が下がるとのデータもある。それをきっかけとして老衰による在宅死が増えたのかもしれません」(森田さん)

 

日本人の最大死因であるがんに目立った超過死亡は見られないが、森田さんは今後に不安があるという。「ワクチン接種後にがんの進行が速くなった事例があることは確かです。ワクチン接種とがんの因果関係は不明ですが、ワクチン接種後に免疫が落ち、がんが悪化することが心配されます」。

※女性セブン2023年1月5・12日号

 

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2番目のショッキングなニュースでは、ワクチン接種後に亡くなった遺体の体温が非常に高く、ワクチン投与が免疫異常に関与していた可能が指摘されました。

 

ワクチン接種後に死亡「遺体の体温が非常に高かった」医師からの指摘も…遺族は厚労省に調査を求める

(CBCスペシャル「報道のチカラ」2022年12月17日)(一部抜粋)

 

コロナワクチン接種後に死亡したのは、2022年11月末までに1910人。しかし国はそのほとんどを「評価不能」と結論づけています。

 

ワクチン接種後に亡くなった遺体の「ある共通点」

ワクチンと死亡との因果関係を研究する医師もいます。長尾医師が注目したのは、ワクチン接種後に亡くなった遺体の「ある共通点」でした。遺体の体温が「非常に高かった」

「最初の時に気になったのが、警察が検死をした時に遺体の体温が非常に高かったと。33度とか34度とか普通じゃ考えられないような温度だった」

 

通常、検死をする段階では体温は20度台以下ですが、長尾医師が解剖した4人の遺体はいずれもまだ30度台だったのです。「死亡時の体温が非常に高かった。平熱を超えてそれこそ40度を超えるような」。

 

4人の死亡時の体温は42度から44度前後と推定。長尾医師の研究チームは遺伝子の状態を調べました。この数字は遺伝情報の変化を示すもの。それをグラフ化すると、もっとも強く出た反応は免疫系統の異常だったのです。「特に炎症関係の反応が強く出ていることがわかった。免疫の応答を調節することがうまくできなかったことを示唆している」

 

長尾医師の仮説は、ワクチンによって免疫に異常が起きて体内に炎症が広がり、体温が40度以上に上がったというもの。そのことが死因とは結論付けられませんが、ワクチンと免疫の関係はさらに研究が必要だと長尾医師は考えています。

 

「免疫反応に関係する遺伝子が非常に高進していた。データから、あるいは状況からだけでは黒とは言えないが白でもない。やはりグレーとしか言いようがないが、十分ワクチン投与が免疫異常に関与していた可能性はあると考えている」

 

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私は陰謀論に与する反ワクチン派ではありません。リスクを伝えることなく、マスコミとともにワクチン接種を一方的に進める政府に対して異議を唱えているのです。「ワクチンには○●○●○●のリスクがあります、○●○●○●の事例もあります。しかし、政府としては重症化を防ぐという効果も確認させることから、ワクチン接種を奨励したいと思います。ただし、それは強制ではなく、接種するしないの判断は、国民の皆さんお一人お一人の判断にお任せします」と言ってもらいたいのです。

 

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2022年12月28日

誤りだらけだった?NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終わりました。人気脚本家の三谷幸喜さんが手がけただけあって、笑いあり涙ありと楽しく見させていただきましたが、小学生の時から、大河ドラマから歴史を学んできた私にとって、三谷作品にはやはり懐疑の念を持ってしまいました。それは、史実と違う内容が余りにも多かったからです。大河「ドラマ」ですから、史実をアレンジすることは一向に構わないのですが、それでも……。

 

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映期間中は、途中から番組が終わるたびに史実を確認しながらこの時代を勉強させてもらいました。「鎌倉殿の13人」の史実との違いについては、プレジデント社もネットへの投稿記事で指摘されていたので、それをいくつか紹介しながら「疑惑」を明らかにしてみたいと思います。

 

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鎌倉時代の最大の見せ場の一つは承久の乱に際しての北条政子の言葉でしょう。史上初の武家政権の基盤は「御恩と奉公」の関係です。頼朝から所領を与えてもらった御恩に対して御家人が奉公するという双務的な関係こそが、鎌倉幕府の存立と発展のキーワードです。これを如実に示すのが政子の演説(実際は代読)です。

 

このシーンを三谷幸喜さんは、御恩の「ご」の字も奉公の「ほ」の字も出すことなく、弟(義時)を思う姉(政子)に感動した御家人たちが奮い立って、朝廷軍と戦うという風に仕立てました。

 

―――――――

NHK大河ドラマとはまったく違う…尼将軍・北条政子が御家人たちの前で史実として伝えたことドラマでは弟・義時を擁護する演説をしていたが…

(PRESIDENT Online、2022年12月18日)(一部抜粋)

 

承久の乱を前に、北条政子は御家人たちに何を話したのか。歴史学者の濱田浩一郎さんは「史料によれば、源頼朝の御恩を切々と説き、朝廷側についた武将を討てというものだった。大河ドラマで描かれたような、弟・義時についての発言はなかったはずだ」という――。

 

史料に残る政子の行動

鎌倉時代後期に編纂された歴史書『吾妻鏡』には、政子の演説の言葉が掲載されていますが、自ら語りかけたわけではありません。安達景盛(頼朝に仕えた安達盛長の子)に代読させています。政子は御簾の中にいたと思われます。

 

ドラマの政子演説であったような「この人(義時)は生真面目なのです。すべてこの鎌倉を守るため。一度たりとも私欲に走ったことはありません」「選ぶ道は二つ。未来永劫、西のいいなりになるか、戦って坂東武者の世をつくるか。ならば、答えは決まっています」との文句は『吾妻鏡』には当然ありません。

 

「鎌倉殿の13人」では、姉・政子が弟・義時を守るため、演説したようにも見えましたが、そんなことはなかったのです。『吾妻鏡』における政子演説の軸は、源氏将軍の御恩を説き、御家人を感奮・出撃させ、院方の首謀者である藤原秀康、三浦胤義(たねよし)らを討ち取ることにありました。そこで、弟・義時の命うんぬんの言葉が出てきたら、おそらく、御家人たちは白けてしまった可能性もあります。

―――――――(一部抜粋ここまで)

 

(実際の政子の有名な「演説」内容)

皆、心を一つにしてよくお聞きなさい。これが今度の最後の命令です。頼朝様の恩は山より高く、海より深いものです。感謝の気持ちは浅いものではないはず。それなのに、逆臣の告げ口のために、道理の通らない朝廷の命令が出ました。侍としての名誉を守ろうと思う者は、足利秀康や三浦胤義を討ち取って、鎌倉を守りなさい。但し、朝廷側に付きたいと思う者は、今、この場で宣言しなさい。

 

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「鎌倉殿の13人」の中で、北条義時の最初の妻「八重」は、源頼朝との間に子をもった女性で、義時と八重の間に後の3代執権泰時が生まれたという設定でしたが、これは大半の歴史家から否定されています。三谷さんはごく少数派の説に飛びついたのだと思われます。

 

――――

NHK大河ドラマだから描けること…源頼朝の最初の妻「八重」をめぐる三角関係の歴史的事実ドラマでは「北条義時の初恋相手」とされているが…

(PRESIDENT Online、2022年4月24日)(一部抜粋)

 

ドラマでは、義時の初恋の相手として、八重(新垣結衣)という女性が登場する。

八重の父親は、伊豆国伊東荘の豪族・伊東祐親(すけちか)とされている。当時、伊東祐親には娘は4人いたという。この三女(一説には四女)と源頼朝とが恋愛関係となり、日が経つうちに、男子が誕生。

祐親は家を守るために、非道の決断をする。娘・八重の元に使いの者を遣わし、千鶴を誘い出した上、川に沈めてしまったのである。さらに祐親は、八重を頼朝から奪い返し、伊豆国の武士・江間次郎に嫁がせてしまったのであった。八重は…頼朝との関係を引き裂かれ、子供を親に殺され、再嫁した夫も戦死する。

それまでに、義時と八重に面識があったか否かは分からない。

少なくとも、ドラマあるような幼い頃からの親密な関係であったとは、史料には全く書かれていない。

さらに義時が八重のことを好きだったという証拠もない。

義時と八重が結婚し、鎌倉幕府第2代執権となる北条泰時を生んだというが…2人の間に子供が生まれた史実はない。

もちろん、ドラマである。例えば、義時が八重と結ばれて、泰時が生まれるという設定にするのは何も問題はない。

ただ、毎回番組の終わりに放送される「鎌倉殿の13人紀行」(4月3日)のなかで「義時の妻となった八重」とのナレーションがあったのには驚いた。このコーナーはドラマではなく、あくまで史跡探訪。そこにおいて「義時の妻となった八重」と確立された史実のように話すのは、いかがなものかと感じた。

――――――(一部抜粋はここまで)

 

では、実際の八重はその後どうなったかというと、千鶴丸を殺されたことや頼朝が政子と結婚したことを嘆き悲しんだあまりに入水自殺したとみられています。ですから、大河ドラマで描かれていたように、八重が義時と結婚したとか、頼朝の御所に勤めたという事実は限りなくなかったと思われます。なお、「鎌倉殿の13人」において、北条義時の妻・八重は、川に流されそうになっている鶴丸という男の子を助けようとして、急流に足を取られ、溺死しています。

 

一方、3代執権泰時の母は誰かというと、阿波局という御所に仕える官女だと広く認められています。つまり、三谷幸喜さんは、八重と阿波局を同一人物と見立てて描いたいのです。

 

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次の紹介する「史実と違うのではないか」と疑われる点は、今回、三谷幸喜さんが採用した、三浦義村・実朝暗殺黒幕説と、後妻・のえによる義時毒殺説です。これまでの2点と違って、歴史的にも確かに存在した説なのですが…

 

NHK大河ドラマは史実とはあまりに違う…北条義時の盟友・三浦義村が本当に考えていたこと、幕府の乗っ取りを狙っていたとは考えにくい

(PRESIDENT Online、2022年12月18日)(一部抜粋)

 

鎌倉幕府2代執権・北条義時を支えた三浦義村とはどんな人物か。歴史評論家の香原斗志さんは「史実をみれば、一族の存続を第一に考えていた武将だ。そのために、義時に近づき、どんな仕事でもこなした。NHK大河ドラマで描かれたように、打倒北条の機会ばかりをうかがっていたとは考えにくい」という――。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、山本耕史演じる三浦義村に存在感があった。ドラマで印象的だったのは、北条義時の盟友として(血縁上も従兄弟だ)、ともに幕府を支えながら、あわよくば三浦が北条にとって代わろうとチャンスを狙っている姿だった。しかし無理はせず、まずは三浦一族が存続することを優先する。

 

大河ドラマでは、義村は2代将軍頼家の遺児である公暁から事前に、実朝を暗殺して自分が将軍になるという計画を相談されていた。しかも、それに協力する旨を伝えていた。いわば、公暁の黒幕に義村がいたように描いていたが、現実には、これまで危ない橋をことごとく避けてきた義村が、そんな計画に乗ったとは到底思えない。

―――――――(一部抜粋)

 

ちなみに、大河ドラマでは、実朝を討った公暁は、義村によって首をはねられましたが、実際は、義村が遣わした家人と争った末、討たれたというのが正確な史実のようです。

 

 

NHK大河ドラマとはまったく違う…史料に書かれている2代執権・北条義時の本当の死因ドラマでは後妻・のえによる毒殺と描かれたが…

(PRESIDENT Online、2022.12.24)

 

鎌倉幕府2代目執権・北条義時の死因はなんだったのか。歴史学者の濱田浩一郎さんは「史料には、体調不良による病死と書かれている。NHK大河ドラマで描かれたような毒殺だとは考えにくい」という――。

 

史実に残された義時の本当の死因

1224年6月13日、鎌倉幕府の第2代執権・北条義時は、この世を去ります。62歳の生涯でした。

 

義時を死に至らしめたものはなんだったのか?

『吾妻鏡』は、「日者脚氣之上、霍乱計會す」と記しています。つまり、義時は日頃から脚気(かっけ)を患っていたというのです。それに「霍乱」(夏季に生ずる下痢や嘔吐を伴う体調不良)が加わる。それこそ、義時の死因だと『吾妻鏡』は記しています。

 

義時はどのような死を迎えるのか?妻・伊賀の方(ドラマでは「のえ」)による毒殺でした。

のえは、義時の嫡男・泰時ではなく、自分が産んだ義時との子・政村に家督を継がせたい。それが動機だと描かれました。

 

伊賀の方による毒殺はあり得ない

伊賀の方が我が子・北条政村を執権にしたいと考えた時、一番頼りになるのは、夫の義時だったはずです。最大の頼みの綱・義時を毒殺することは、政村の執権就任をかえって遠ざけることにつながるといえるでしょう。余談ですが、大河では毒の入手先を義時の盟友である三浦義村としていましたが、史実ではありません。

 

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最後に、そもそも、大河ドラマのタイトル「鎌倉殿の13人」にあるように、2代将軍・頼家を牽制するために、13人の有力御家人が集まって、合議制で政治が行われたのか、という根本的な問題(疑問)についてみていきます。

 

――――――

NHK大河ドラマは根本的に間違っている…「鎌倉殿の13人の御家人」が史実としてやったこと、「日本の歴史上、初めて合議制で政治が動いた」は本当か

(PRESIDENT Online、2022年7月24日)

 

鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が亡くなった後、幕府はどのように政治を動かしていたのか。歴史学者の濱田浩一郎さんは「NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、2代将軍・頼家と、13人の有力御家人による権力争いが描かれているが、これは史実と異なる」という――。

 

「13人の家臣が集まり、日本で初の合議制をした」は本当か

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の第27回「鎌倉殿と十三人」(7月17日放送)で、主人公・北条義時をはじめとする御家人13人が集結し、2代将軍・源頼家に「13名でございます」と紹介した。これに対し、頼家は自らの側近衆を紹介。義時らが形成した「13人」を牽制する挙に出た。頼家と有力御家人たちの利害が対立する様子を描いている。

 

脚本を担当した三谷幸喜さんは、ドラマのPRで作品の意図を次のように書いている。

「『鎌倉殿』とは、鎌倉幕府の将軍のことです。頼朝が死んだあと、2代目の将軍・頼家という若者がおりまして、この頼家が2代目ということもあって、『おやじを超えるぞ!』と力が入りすぎて暴走してしまう。それを止めるために、13人の家臣たちが集まって、これからは合議制で全てを進めよう、と取り決めます。これが、日本の歴史上、初めて合議制で政治が動いたという瞬間で、まさに僕好みの設定です」

 

鎌倉幕府内の13人の有力御家人(これが、「鎌倉殿の13人」)が、頼家を牽制するために、皆で寄り集まって、会議をし、政治を進めていく。これが、いわゆる「十三人の合議制」なるものだ。しかし、この合議制は存在しなかったというのが私の考えだ。

 

頼家の権力を奪っていたわけではない

幕府を開いた源頼朝は、建久10年(1199)1月に突如、死去する。頼朝の後継者は、長男の頼家である。頼朝が亡くなった同じ年の4月、『吾妻鏡』(鎌倉時代の後期に編纂された歴史書)には次のような一文が見える。

 

「訴訟のことについて、頼家が直接、判決を下すことを停止する。今後、大小のことにおいては、北条時政、同義時、広元、康信、親能、義澄、知家、義盛、能員、盛長、遠元、景時、行政らが相談して決めること。そのほかの者は、訴訟のことを容易に頼家に言上してはならない」(『吾妻鏡』の地の文)と。

 

この文章は、それこそ、冒頭の三谷さんの言葉のように、頼家の権力を剝奪し、13人の有力御家人が合議によって政治を前に進めようとしたものと解釈されてきた。

 

しかし『吾妻鏡』の文章をよく見てみると、13人以外の者が「訴訟のことを容易に頼家に言上してはならない」とあるように、頼家の訴訟への介入を全否定したものではない。ただ、頼家に訴訟のことを言上できる対象を13人に限ったというだけの話である。

 

それを証明するかのように『吾妻鏡』には、この記述以降も、源頼家が訴訟に介入する事例が存在するのだ。

 

…この問題は、三善康信を通して、頼家のもとに持ち込まれた。頼家は、差し出された境界付近の絵図を見ると、急に筆をとり、墨で絵図の真ん中に線を引いてしまう。そして、こう言い放つのだ。

「土地の狭い広いは、その人の運不運だと思い諦めよ。わざわざ使者を出して、現地を調べる必要もない。今後、境界争いは、このように結審する。だから、そのつもりでいよ。それがダメだと思うような者は、裁判を起こさないように」と(『吾妻鏡』正治二年=一二〇〇年五月二十八日条)。

頼家の言動が正しいか否かは別にして、彼は力強く、訴訟に介入している。それどころか、「鎌倉殿の13人」の一人、三善康信が頼家に訴訟を持ち込んでいるのだ。

 

この事例を見ただけでも「頼家の暴走を防ぐために、13人の家臣たちが集まって、これからは合議制で全てを進めようと取り決めた」わけでもないし、そうした実態があったわけでもないことが窺えよう。

 

北条一門や有力御家人らが集まって、会議をすることはあったが、いわゆる「鎌倉殿の13人」全員が集まって、合議したとする史料は現時点では存在しない。よって「鎌倉殿の13人」(十三人の合議制)なるものは存在しなかったと言えよう。

――――(一部引用ここまで)

 

 

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以上、今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の中で、史実と異なる点を指摘したプレジデント社(PRESIDENT Online)の投稿の一部を紹介しました。

 

これらの史実と異なる脚本は、歴史を楽しみたいと思ってみる人たちにとっては、ドラマですから何の問題もないのですが、歴史を学びたいという人たちにとっては、もし脚本が史実と異なるなら、正しい歴史を知っておく必要があるでしょう。

 

三谷幸喜さんは一流の脚本家ですが、歴史を扱うときには「歴史」をもう少し尊重していただきたいと思います、と大脚本家に対して、一介の大河ファンが、「苦言」のようなものを呈するに至ったのは、三谷さんが脚本された大河ドラマ「真田丸」の時の「トラウマ」があったからです。

 

「真田丸」の最終回で、真田幸村が最後、佐助の介錯で自害する場面があったのです!あれは「完全に嘘だ」、「歴史の冒涜だ」と憤慨した記憶があります。まるで、大昔、お正月の民放の歴史ドラマで、千葉真一さん扮する明智光秀が、本能寺の変で、(千葉さんの代名詞ともいえる)柳生十兵衛ばりに信長を切り捨てるというシーンをみたときと同じ感情でした。

 

大河ドラマから歴史を学びたいと思っている視聴者のために、NHKさんには、今後、大河ドラマの放送終了時に毎回、「この番組はドラマであり、史実と異なる場合があります」的なテロップを入れて頂きたいと思います。

 

 

2022年12月27日

黒田の憂鬱:ようやく認めた?異次元緩和の失敗

現在、日本を襲っているインフレは円安が一因とされ、その円安の背景に、日銀の金融緩和政策の継続と、それに伴う日米金利差の拡大があります。これに対して、黒田東彦率いる日銀は、これまで動こうとしませんでしたが、黒田総裁は、2022年12月20日、長期金利の上限を従来の0.25%程度から0.5%程度に変更すると発表しました。

 

これを受け、市場では実質的な利上げ(金融引締め)と動揺が走りましたが、黒田総裁は「いわゆる金利引き上げだとか、金融引き締めではない」と述べ、安倍政権のアベノミクスから貫いた異次元の金融緩和を維持する方針に変わりはないと強調しています。黒田総裁、肝いりの異次元の金融緩和政策について考えます。

 

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日米金利差の拡大が引き起こした円安

 

総務省によると、2022年11月の消費者物価指数(生鮮食品を除く、コアCPI)は前年同月比3.7%上昇、第2次オイルショック後の1981年12月以来、40年11カ月ぶりの上昇率となるなど、私たちの日常生活に大きな影響を与え続けています。欧米ではさらに深刻で、インフレ率は10%を超えており、今回のインフレは世界規模で進む歴史的な物価高騰となっています。この影響で、電気・ガスや食料品、原材料、輸送費など幅広い分野の値上げが国民に襲いかかっており、ウクライナ情勢次第ではエネルギーや穀物の価格が一段と上昇する可能もあります。

 

このインフレ対策として、欧米、特にアメリカの中央銀行に相当するFRB(連邦準備制度理事会)は、大幅な政策金利の引き上げに踏み切り、その動きを加速させました。これに対して、黒田東彦・日銀総裁は、円安是正のための金融政策を見直す(金利を引き上げてインフレを抑える)考えがありませんでした。

 

世界中どの国も金利を引き上げて、物価を下げようと努力している中、黒田日銀だけが異例の金融緩和策を維持し、他の中央銀行とは異なる独自路線を邁進した結果、とりわけ日米の金利差が拡大しました。

 

金利差が広がれば金利が高いところにお金が流れるのは自然の成り行きです。投資家にとっては、金利の高いドルで資金を運用した方がより多くの利益が出るので、金利の低い円を売ってドルを買う動きが強まり、円安になっているのです(円売り/ドル買い⇒円安/ドル高)。

 

 

異次元緩和の継続

 

では、黒田総裁はどうして、こうした状況を受けても、金融緩和の継続に固執しているのでしょうか?この理由を、昨今のインフレによって利上げを求める声が高まったことに対するこれまでの黒田総裁の発言などから推測してみましょう。

 

まず、黒田氏の現状認識について、「輸入物価の上昇は円安というより、ウクライナ情勢でエネルギーや穀物など資源価格が一段と上昇する影響の方が圧倒的に大きい」と発言しています。

 

確かに、輸入物価の上昇は、ウクライナ情勢の影響を方が大きいことは間違いありませんが、輸入物価の値上がりを通じて商品や原材料価格が割高となるなど、家計や企業に与えるマイナスの影響が、円安の加速とともにより深刻になっていることは、日々の生活感覚から誰もがわかる事実です。

 

円安はプラス

また、黒田総裁は、次の発言から、円安が経済にとってプラスであるとの旧態依然の考えに固執しているようです。「円安には輸出企業の収益を拡大させるメリットも大きく、円安が全体として経済・物価をともに押し上げ、日本経済全体にとってはプラスに作用しているという基本的な構図は変わりない。」

 

かつては、円安になれば輸出価格が割安になって、輸出の拡大につながるといわれてきましたが、企業が海外での現地生産を増やした結果そのメリットは薄れています。「円安は中小企業にはメリットはほとんどない」という財界人も多くいます。

 

黒田総裁が繰り返す「円安はプラス」は、トヨタ自動車など大手輸出企業にとってプラスなのであり、実際、輸出製造業は、アベノミクス(安倍―黒田ライン)の株高を牽引してきました。日本がマクロ経済や為替政策を制定する過程で影響力を持つ重要な経済団体責任者の多くは、輸出に関連する製造業に従事していると指摘されています。

 

アベノミクスの柱が大胆な「金融緩和政策」だったことからもわかるように、安倍政権と二人三脚でやったきた日銀総裁も、彼らの利益を代弁したのかもしれません。しかし、大手輸出企業が潤っている間にも、私たち庶民が物価高で生活がどんどん苦しくなっています。現在、円安は日本経済全体にとってプラスに作用している基本構造ではないでしょう。

 

日銀総裁は、庶民の心を理解していないことは、今年の6月の講演で「日本の家計が値上げを受け入れている」と発言したことに対して、ネットで叩かれ「釈明」を強いられたことに如実に表れています。人々が物価高に悲鳴をあげていた頃のこの発言は、何かの経済統計の結果から導き出したようですが、黒田氏が、データとか理論だけを振りかざす「机上のエコノミスト」と同じレベルだったとは信じたくはありません。

 

上がる物価と上がらない賃金

加えて、黒田総裁が金利を低く抑え続けることが必要だとしているもう一つの理由は、日本の物価高は、アメリカとは異なり、景気の回復と賃金の上昇をともなっていないことにあります(もっとも、現在のアメリカは、物価が上がり過ぎて、賃上げが追い付かないという問題を抱えている)。賃金が十分に上がらず物価だけ上がる状況は、景気にマイナスの影響をもたらす恐れがあるとして、黒田日銀は金利を低く抑え続けることが必要だとしています。今の物価上昇は、黒田総裁がめざしている「経済が力強く回復したことによる物価の上昇」ではないのです(その意味で現在の物価上昇は「悪い物価上昇」と呼ばれている)。

 

これは、日本とアメリカのインフレの要因が異なることからくる結果です。日本の物価上昇は、アメリカのように、需要が高まってインフレになるディマンド・プルインフレではなく、費用の増大に伴い物価が上がるコスト・プッシュインフレによるものです。

 

アメリカの場合、物価上昇というマイナスの側面がある反面で、景気拡大というプラスの面があり、21年4月以降、経済成長率が顕著に高まりました。これに対して、日本は、21年10月以降は、輸入物価が上昇したことにより、産出量が減り、経済成長率も顕著に低下していきました。むしろ、成長率がマイナスにならなかったのは、コロナからの回復期待に伴う消費の増大など景気を下支えたと解されています。

 

だた、前述したのように、日本の場合に物価上昇が欧米諸国ほど激しくありません。通常、景気がよくなり失業率が低下すると、物価と賃金が上昇するという関係が見いだされます。しかし、日本では2000年以降、こうした相関関係が見られなくなり、産出量が増加しても(景気がよくなっても)、欧米と比較して、物価と賃金がそれほど上がっていません。

 

日本では長年、企業がコスト高を価格に反映させず(物価は上がらず)、人件費などで圧縮させる(賃金は上がらない)傾向がありましたが、今回のインフレ局面では、こうした企業努力も限界で、多くの企業で賃金は据え置かれたまま、物価は軒並み上昇している状況です。

 

また、特に賃金に関しては、相対的に賃金が低い非正規雇用が増え、労働市場が正規労働者と非正規労働者で二分されていることなどが原因で、低く抑えられています。これは労働市場の構造的な問題であり、この問題をマクロ的な金融緩和政策で解消できるものではありません。

 

 

10年経っても成果を出せない異次元緩和

 

ここまで、政策の視点から、黒田総裁が、金融緩和の継続を訴える理由をみてきましたが、それ以上に、黒田氏のプライドとメンツが関係しているように思われます。

 

2013年3月に日銀総裁の地位に就いた黒田東彦氏は、長引くデフレ脱却のために「2年で物価上昇率2%の実現」を目標に掲げ、「黒田バズーカ」ともてはやされた大規模な金融緩和政策(量的質的金融緩和政策)を採用してきました。景気浮揚を促す金融緩和は金利を引き下げ、円安・株高を誘引させ、特に、大手輸出企業は高収益と株高の好循環を実現してきました。

 

しかし、実体経済の方は、2年間での達成を目指した目標は果たせなかったどころか、「異次元」の金融緩和の導入から10年が過ぎようとしていますが、いまだに実現していません。

 

この間、日銀は、ゼロ金利政策とともに、量的・質的金融緩和政策を拡大させ、マイナス金利政策、さらには、10年国債の利回りをゼロ水準に誘導する、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和(イールドカーブ・コントロール)」を継続させ、現在に至っています。しかも、黒田総裁は、「物価目標を達成するまで続けると約束し」強気の姿勢を崩しませんでした。

 

10年かけても2%のインフレ目標は実現できないまま、黒田総裁が金融引き締めに転換すれば、自己否定につながり、晩節を汚すことになるだけでなく、同時に、アベノミクスも失敗であったことを認めることになってしまいます。

 

持続的な物価上昇が根付くにはそれを上回る賃上げが不可欠で、政府・日銀が掲げる2%の物価安定目標を達成するには、毎年3%程度の賃上げが必要だと試算されています。国内で最後に3%の賃上げが実現したのは、バブル末期の1990年代初めまで遡らなければならないそうですから、達成は難しいと見られています。

 

あくまで金融緩和政策の継続に固執する、今の黒田総裁は、医師が、患者さんにある薬を処方しても効かないから、投薬量を増やして、治るまでその薬を使い続けようとする「やぶ医者」の行為と同じことをしている印象を受けます。

 

薬は効かなければ変えないといけません。人は、投薬治療を続けると、たとえ正しい処方であったとしても副作用を起こし、誤った処方であれば死に至らしめることさえあります。10年に及ぶ異次元の金融緩和政策によって、日本経済も最近では副作用が次々と表面化しています。

 

例えば、成長できる力を測る潜在成長率と呼ばれる統計があります。NRI(野村総合研究所)によると、この日本経済の潜在力を測る指標は、日銀が現在の異例の金融緩和策を導入した2013年頃からほぼ一貫して低下し、現在ではほぼ0%となっています。異例の金融緩和が、成長を促進させるどころか、潜在成長率の低下も食い止める力も発揮しなかったことを示しています。

 

 

需要制約から供給制約へ

 

そんな中、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う港湾労働者の不足や、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発したことによる資源価格が高騰し、日本の物価上昇率は2%を超えてきました。物価上昇が、日銀が長年実施した金融緩和政策の結果ではなかったのは皮肉な結果です。しかも、前述したように、足元の物価上昇は原油や穀物高など輸入コスト上昇によるもので、黒田総裁がめざす、持続的・安定的な物価上昇とはほど遠いものです。

 

これまでデフレ脱却を目標として行われた黒田日銀による金融緩和政策は、需要不足からきたものでしたが、今回、新型コロナウイルスの世界的感染の拡大や、ロシアによるウクライナ侵攻などを起因とする供給制約の問題です。

 

デフレ脱却のための政策を、今のインフレの時代にも適用させようとするのは無理があります。経済の潮目が変わったにもかかわらず、黒田総裁は「短期金利をマイナス、長期金利を0%程度(変動許容幅の上限を0.25%)」とする、これまでの金融緩和政策を変更することを頑なに拒否してきました。

 

 

金利引き上げの時

 

しかし、こうした背景下、今、黒田日銀がとるべき対応は金利上昇容認で、異常な低金利状態から、金利を正常化させることです。

 

円高でインフレ抑制

物価上昇(インフレ)の問題は、輸入物価高騰からきており、これを引き起こしている一因が戦争と円安です。日銀はウクライナ戦争による供給障害には対応できませんが、円安には対処できます。円安が特に日米の金利差からきているのであれば、金利上昇を容認することによって、為替レートは円高になり輸入物価の上昇は抑えられます。

 

もちろん、金利上昇の容認は金融引き締めになってしまうため、景気には悪影響を与えます。一般に考えられることが、金利上昇によって、企業の設備投資が抑えれるというものですが、最近の日本では、設備投資は金融機関からの借り入れというよりは、日銀の金融緩和政策の恩恵で、ため込んできた内部留保で賄われている場合のほうが多いから、その影響は限定的になるとの指摘もあります。逆に、むしろ、円高を通じて、輸入物価が下がることによって、原材料費や光熱費の負担が抑えられると同時に、産出量が増え、経済を拡大させることになるのです。

 

こうした背景から懸命な識者やエコノミストは、政策金利(短期金利)を現状の-0.1%から引き上げてマイナス金利政策を解除し、また、長期金利(10年国債の利回り)のコントロールをやめ、上昇を一定程度容認する政策調整を行うことを提言していました。

 

そして、今回、黒田総裁は長期金利の上限を従来の0・25%程度から0・5%程度への変更を認めたことは、金利の正常化に向けての第一歩であり歓迎すべきことだと思われますが、当のご本人は「金融引締めではない」を繰り替えしています。

 

超低金利の日常

もちろん、金利引き上げに対する懸念は山ほど指摘されています。例えば、1000兆円を超える国債残高への影響が懸念されています。財務省は、金利が1%上昇すれば、国債の元利払いに充てる国債費は3.7兆円上振れする、と試算しています。また、長期金利が0.1%上昇すれば、国債の利払いが毎年1兆円も増えるという別の試算もあります(今回の変更のように長期金利が0.25%から0.5%まで上昇すれば、毎年2.5兆円の負担が増えることになる)。

 

しかし、冷静な専門家は、この程度の国債費の増加で、一気に財政危機が起きるものではない、仮に、政策金利を+0.1%程度まで引き上げたぐらいで、そうした事態は起こらないとみています。むしろ、政府が大規模金融緩和に便乗して、財政支出を野放図に増やし続けた「副作用」の方を問題視しています。

 

また、金利の上昇で懸念されるのは、住宅ローン金利の負担増加です。日銀の資金循環統計によれば、住宅ローンの融資残高は、マイナス金利が導入された2016年以降に増加傾向が強まり、過去10年間では40兆円ほど増えたといいます。

 

こうした異次元緩和の恩恵者にとって、長期金利が上昇していけば、今後住宅ローンの破産予備軍が増えていくことが懸念されています。しかし、住宅ローンを抱えている家計にとっても、金利の上昇で円高に振れ、輸入物価の低下によってインフレが抑えられる利点のことを忘れてはいけません。何より、預金に利子がついて、家計を助けてくれます。むしろ、超低金利が長く続いたため、金融機関の中には返済計画が緩い融資を実行していたところもあるというような「副作用」の方がやはり問題です。

 

これらの懸念は、政府も金融機関も国民も、異常な低金利に馴れてしまったことからきています。金利は低金利でないと、つまり現状の金融緩和状態が継続されなければ、社会が回らない日本経済となってしまったのかもしれません。薬漬けにされている人は、もはやその薬なしには生きていけなくなるのと同じです。もし、その薬が本来必要のないものであったとしたら、なおさらです。

 

正常な社会で金利はプラス

金利は本来、プラスであるのが当然で、おカネを預ければ利子がもらえ、おカネを借りれば利子を払うのが当たり前です。マイナス金利が適用される社会というのは、当たり前でないいびつな構造になってしまっています。

 

今回の日銀の発表を受けて、「長期金利1.0%」といった時代が来るかもしれない、という意見がありますが、黒田氏が日銀総裁に就任する前であれば、長期金利1.0%も政策金利+0.1%も(超)低金利の水準でした。

 

異次元緩和は、緊急時の処方箋で、それを10年続けることは、冷静に考えれば、異常なことなのです。2年で達成の目標が実現できなかった次点で、修正が必要でしたし、その後も継続されたとしても、少なくとも出口戦略は立ておくべきでした。

 

今回のインフレは、金利を元の正常にもどす絶好のチャンスですが、ここまでの段階で黒田総裁は意固地になって、政策の継続続けようとした結果、そのチャンスは逃してしまいました。いたずらに、引き延ばしつづけた黒田総裁の「罪」は重く、日銀の長すぎた超金融緩和の後始末は、今後長期にわたって続きます。

 

日本銀行の黒田東彦総裁が任期満了を迎える2023年4月までに、少なくも、マイナス金利政策の解除と、イールドカーブ・コントロールを廃止によって、金利水準をできるだけ正常化させることが、後世の世代への罪滅ぼしになります。

 

まとめ

 

私たち庶民はインフレに苦しめられています。ですから、その要因となっている円安対策も含めて、金利の引き上げ正常に戻すことが肝要です。金利が正常に戻れば、日々の生活の物価が下がり、私たちは預金から利子収入を得ることができます。

 

ただし、これには時間がかかります。その間、政治の出番で、税制や補助金など財政出動が必要です。これに対して財政赤字を増やすと批判されるかもしれませんが、金利の正常化は円高による輸入物価の安定を及ぼし、これによって、生産が拡大し、景気も回復、税収は増加していくのです。

 

ですから、今、防衛費のための増税などありえません。優先順位は、インフレの収束と国民生活の安定が先です。それでも防衛体制の充実がすぐに必要というなら、その財源は増税でなく国債です。

 

 

<参照>

ついに「黒田バズーカ」炸裂!日銀「大転換」でゾンビ企業とマンション住民を襲う「借金地獄」の厳しすぎる現実

(2022.12.26、現代ビジネス)

異次元緩和「日本の実態に合わない」元日銀理事が斬る

(2022/10/6、毎日新聞/岡大介)

日銀は円安進行にどう対応すべきか

(2022/07/19、NRI)

日本銀行の正常化策は経済悪化、財政危機を招くか

(2022/07/20、NRI)

絶望の円安136円…国民軽視「鬼の日銀」が絶対に利上げしない3つのワケ

(2022.06.27みんかぶ/佐藤健太)

止まらない円安~日銀のジレンマ

(2022.04.12、NHK解説室)

日本のインフレ対策には「金利上昇の容認」が必要な理由、マクロ経済学で解説

(2022/09/08、Diamond online 野口悠紀雄)

 

 

2022年12月18日

「反日の権化」江沢民の死と対中外交の失敗

中国の江沢民・元国家主席(以下敬称略)が、2022年11月30日、96歳で死去し、翌12月6日に、北京の人民大会堂で、追悼大会が行われました。江沢民時代の日中関係について顧みたいと思います。

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日本での江沢民に対する見方は、「天安門事件で失った国内の求心力を回復するため『反日』を利用することで、愛国主義教育を推進し、中国国民の反日感情を高めつつ、歴史問題をカードに対日強硬外交を展開した」というのが一般的です。その影響は、未来志向が期待された日中関係を後退させ、現在の両国関係にも禍根を残したと評されています。

 

江沢民は、1989年6月の天安門事件で、時の最高指導者・鄧小平の意向を受け、中国共産党総書記( 89年6月~02年11月)に就任後、国家主席まで上り詰めました(任期:93年3~ 03年3月)。

 

鄧小平の掲げた改革開放政策に従い「社会主義市場経済」路線を打ち出し、中国の経済成長を加速させた一方、民主化運動を武力弾圧した天安門事件を受けて、西側諸国の経済制裁によって、中国は外交的孤立を招きました。さらに、天安門事件の半年後にはベルリンの壁が崩壊、91年にはソ連が崩壊し、共産党支配の国内の引き締めも行わざるを得なくなるなど、江沢民は難しい舵取りを強いられました。

 

こうした中国の対外的窮地に真っ先に手を差し伸べたのが日本で、中国が国際社会に復帰する上で、重要なきっかけを提供しました。具体的には、主要先進国では、いち早く経済制裁を解除し、91年8月に西側の首脳としては天安門事件後初めて海部俊樹首相が訪中、さらに、92年10月には天皇、皇后両陛下までも中国を訪問されたのです。当時の中国の指導者らは、「天皇訪中は制裁を打ち破る最良の突破口だった」と述懐しています。

 

加えて、戦後50年を迎えた95年8月15日、当時の村山富市首相は、日本の「植民地支配」と「侵略」に「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明しました。日本としては、このいわゆる「村山談話」と、先の天皇訪中で、歴史認識問題に区切りを付け、新しい日中関係を構築しようと考えたとされています。

 

しかし、江沢民は、村山談話の発表から間もない9月3日の演説で、「日本は真剣に歴史の教訓をくみ取り、侵略の罪を深く悔い改めてこそ、アジアの人民と世界の理解と信頼が得られる」と述べました。歴史問題を収めるつもりはないことが表明されただけでなく、「愛国主義教育運動(愛国教育)」が積極的に推し進められました。「愛国教育」とは反日教育を意味しました。

 

江沢民の反日愛国教育

 

江沢民は、旧日本軍の残虐行為を強調した抗日戦争記念館などの施設を新増設させ、とりわけ、97年には全国規模で組織的に実施されるようになりました。中国人民抗日戦争記念館(盧溝橋)、侵華日軍731細菌部隊罪証陳列館(ハルビン市)、侵華日軍南京大虐殺偶難同胞記念館(南京市)、東北淪陥史陳列館(吉林省長春)などが有名で、こうした史跡は「愛国主義教育模範基地」に指定され、全国各地の学校で愛国教育が強化されました。

 

作家でジャーナリストの青沼陽一郎氏は、JBpressの記事 “江沢民、中国に「反日教育」深く浸透させた男”(2022.12.5)の中で、東北淪陥史陳列館について詳しく紹介しています(以下にその内容を要約)。

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東北淪陥史陳列館には、日本の中国侵略の歴史を伝える「日本侵略中国東北史実展覧」が江沢民によって常設された。この展示場の入口に「「日本が中国人のもたらした苦難と屈辱、忘れてはならない」と掲げられ、さらに、説明文として、「日本が武力で中国東北を侵略・占領して偽満州国をつくり、植民地支配を行って東北人民を奴隷化し、資源を収奪すること14年の長きにわたった」 などと書かれているという。

 

この展示場内では、「文化」「教育」「宗教」などとテーマ別に、日本がこの東北の地をいかにして侵略し、「偽満州国」を建国して、どれだけ酷いことをしてきたかを示すコーナーが続いている。

 

例えば、「文化」についての解説では、「植民地支配を維持・強化するために、日本侵略者はあらゆる方法で中国固有の思想を破壊し・…」と続き、「実行 白色恐怖」というコーナーでは次のように説明されているという。「東北の人民には人身の自由と言論の自由は全くなく、少しのことにも嫌疑をかけられ、逮捕監禁されることになり、いわゆる“思想矯正”を受けたり、さらには殺害さえされた。銃剣が支配する東北の大地は極度の白色テロ(為政者が反政府運動や革命運動に対して行う激しい弾圧のこと)にさらされた」。

 

なお、この東北淪陥史陳列館は、満州国最後の皇帝だった溥儀の皇宮に隣接しており、その皇宮の真ん前にも、「9・18を忘れるなかれ 江沢民」と書かれた石碑が置かれている。「9・18」とは満州事変のきっかけとなったとされる柳条湖事件のあった日付を指す。

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こうした江沢民が進めた「反日教育」の一環で、「反日施設」が中国全土に建設されて、学校でも徹底して教育されたということは、当時の教育を受けた若者たちが何億人もいることを考えただけでも末恐ろしく感じます。

 

また、別のエピソードで、歴史認識にこだわり続けた江沢民は、「日本軍国主義復活」を言及しては、反日の姿勢を崩しませんでした。98年8月、中国の外交当局者を集めた会議で、「日本軍国主義者は非常に残忍だった。(戦時中の)中国の死傷者は3500万人に達した」「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示していたと言われています(江氏の演説などをまとめた「江沢民文選」で明らかになっている)。

 

江沢民の「非礼」

 

江沢民自身も反日の権化となりました。98年11月、両国の平和友好条約20年を記念し、国家主席として初めて公式に訪日した際、執拗に日本批判を繰り返しました。とりわけ、宮中晩餐会における天皇陛下と江沢民のスピーチの「異様な」違いが特筆されます。

 

天皇陛下は、歓迎の挨拶の中で「貴国とわが国が今後とも互いに手を携えて直面する課題の解決に力を尽くし、地球環境の改善と人類の福祉のため、世界の平和のため貢献できる存在であり続けていくことを希望しております」と未来志向のお言葉を述べられました。

 

これに対して、江沢民は、天皇、皇后両陛下を前にして、あろうことか「日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩み、中国国民などに大きな災難をもたらした」、「痛ましい歴史の教訓を永遠にくみ取らなければならない」と強い口調で歴史認識問題に言及しながら日本批判を展開しました。

 

政治家同士の首脳会談ならまだしも、政治とは関係がない国民の象徴としての天皇陛下に招かれた宮中晩餐会の席で、日本は過去にこんな過ちをしたと「非礼」なスピーチを行ったのです。デイリー新潮(2022年12月07日)は、「常識として、どこかの家に食事に招かれた時、お前の親父にこんな迷惑を俺は受けたんだ、と言ってのける人がどれだけいるでしょうか」と、この江沢民の発言がいかに非常識だったかを強調していました。

 

さらに、この時の宮中晩餐会では、江沢民が黒い人民服を着用して出席したことも物議を醸しました。実際のこの時の服装は、作業服として使われることの多い「人民服」ではなく、酷似していますが、中山服(ちゅうざんふく)で、中国では正礼装(正式な服装)であり、儀礼上問題があるわけではありませんでした。しかし、中山服を着た江沢民には深慮があったようです。

 

有名な逸話として、鄧小平の指導の下、軍を使って民主化運動を徹底的に弾圧する側に回った李鵬首相は、中山服嫌いで知られていたにもかかわらず、威厳部隊を激励するために、黒い中山服を着て登場したそうです。中国の指導者が中山服を着用するのは、非常時の厳しい姿勢を示すときなのだと言われています。江沢民も、平時において中山服を着るのは、中央軍事委員会主席として人民解放軍幹部に訓示する場面だったそうです。

 

要するに、宮中晩餐会で、歴史認識問題に厳しい姿勢を示すことをあらかじめ決めていた江沢民は、「強硬姿勢」のイメージが演出できる中山服を選んだと見られています。外務省は、「何もよりによって宮中晩餐会に着てこなくても」というのが本音だったようです。

 

なお、この訪日中、江沢民は、首脳会談や各界との会見をはじめ、宮中晩餐、早大講演、日本記者クラブでの記者会見など、ほとんどすべての場で「過去」に言及しました。

 

早稲田大学での講演でも、学生を前に「日本軍国主義は対外侵略拡張の誤った道を歩み」と指摘、「痛ましい歴史の教訓を永遠にくみ取らねばならない」と宮中晩餐会と同じ趣旨の発言をしただけでなく、「日本軍国主義は全面的な対中国侵略戦争を起こし、中国は軍民3500万人が死傷し、6000億ドル以上の経済的損失を被った。正しい歴史観で国民と若い世代を導くべきだ」などと語りました。

 

ここまでくると、江沢民の反日姿勢は、「日本への恨みを忘れない、忘れさせない」とする怨念を感じてしまいます。

 

「江沢民派」の末路と遺産

 

江沢民は03年に一線を退いた後、自身の権力基盤である、いはゆる「上海閥」を率いた影響力を維持しようとしました。江沢民の後任の胡錦濤が後継者に、同じ中国共産主義青年団(共青団)出身の李克強を据えようとすると、江沢民は、共青団の影響力が強くなることを嫌い反対し、習近平を擁立しました。

 

習近平からすれば、江沢民はある意味、「恩人」に近いわけですが、習近平は、自らの権力基盤を強化するために、汚職や利権政治を排除すると銘打って、徹底した「反腐敗運動」を展開しました。その最初の標的となったのが、江沢民が率いる「上海閥」の共産党幹部たちで、江沢民の権力は完全に削がれてしまいました。

 

では、現在の習近平体制が、江沢民の反日を継承していないかというと、その強度の差はあれ、指導者が変わっても中国の「反日教育」は変わりません。江沢民の残した反日愛国教育の影響だけは健在なのです。そもそも、中国共産党にとって、抗日戦線こそが、中国を統治する正当性の根拠となっているので、共産党が中国を支配している限り、「日本への恨みを忘れない、忘れさせない」という反日政策は継続されます。

 

対中外交の失敗

 

そう考えると、江沢民時代の対中外交戦略は失敗であったと言わざるをえません。89年の天安門事件後、中国が直面した国際的孤立に手を差し伸べ、未来志向の外交を構築しようとした日本でしたが、結果的に、92年の天皇陛下の訪中、95年の村山談話も、未来志向の日中関係が推進されるきっかけにはなりませんでした。逆に、中国に政治利用された形になり、中国は日中関係をテコに天安門事件後の国際的孤立から脱却することに成功しました。

 

日本の「善意」は通じなかったわけです。日本の「善意」を中国があうんの呼吸で理解し答えてくれるとでも思ったのでしょうか?日本の「お人好し外交」もそろそろ終わりにしなければ、日本の国益を大きく損なうことになるかもしれません。

 

 

(参照)

日中関係後退させた歴史観 愛国教育で反日デモ拡大―江沢民氏

(2022年12月01日、時事通信)

江沢民死去で思い出す1998年11月26日の宮中晩さん会 日本人が不快感を覚えた中国の非礼 2022年12月07日、デイリー新潮

江沢民・元国家主席が死去 中国の反日を強化、歴史戦に火ぶた

( December 2, , Japan Forward)

江沢民、中国に「反日教育」深く浸透させた男

「忘れるなかれ、九・一八」(2022.12.5、JBpress)

愛国教育の強化、日中関係に波風が立つことも 江沢民氏死去

(2022.11.30、毎日新聞)