ギリシャ神話の世界をシリーズでお届けしています。ギリシャの明るく合理的な宗教のかげで、密議的な宗教も一部の人々の間で信仰されていました。
密儀宗教(秘儀宗教)とは、主に神の「死と再生」というテーマの神話を儀式的に再現し、それを信者に体験させる宗教で、秘儀への参入者は、個人の霊魂に眠る神性を覚醒させることができれば、神的な生と死後の祝福が保証され、死後の不死性を獲得することができるとされました。ギリシアでは、エレウシスの秘儀(祭儀)、ディオニュソスの秘儀、オルペウスの秘儀があり、今回からこの3つの密議宗教をとりあげます、まず、エレウシスの秘儀を解説します。
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エレウシスの秘儀(密儀)は、女神デーメーテールの苦難とその克服を、入会者が象徴的に追体験する祭儀で、アテネ近くにあるアッティカ地方の都市、エレウシスにおいて、毎年行われていました。古代ギリシア世界において広く信仰を集め、その歴史はとても古く、紀元前15C頃には始まったとされています。
エレウシスの秘儀は、大地と豊穣の女神デーメーテールが、冥界の王ハデスに連れ去られた、娘の少女神ペルセポネー(幼少時の名はコレー)を探し求め、取り戻そうとする物語に由来しています。
<神話「ペルセポネーの略奪」>
ペルセポネー(コレ―)は、ゼウスと大地の豊穣の女神デーメーテールの娘(デーメーテールはゼウスに強引に求められ、コレ―をもうけた)で、春・芽吹き・乙女・季節の神とも呼ばれています。地上にいた時はコレーと呼ばれ、冥界に入ってからはペルセポネーと呼ばれました。
誘拐されたコレ―
「ホメーロス風讃歌」中の「デーメーテール讃歌」によれば、冥界の王ハーデースは、ゼウスと大地の豊穣の女神デーメーテールの娘ペルセポネーに恋をし、ニューサという野原で、ニュムペー(妖精)達と花を摘んでいたコレー(ペルセポネー)を略奪して、地中にある冥府に連れ去りました。
ハーデースがペルセポネー(幼少名はコレ―)に恋をしたのは、愛と美と性を司るアプロディーテーの策略であるとされています。ペルセポネーが、アテーナーやアルテミスにならって、処女神(永遠の処女)となることを宣言し、アプロディーテーたち恋愛の神を疎んじるようになったことに対する報復として、冥府にさらわれるように仕向けたのです。
ある日、ハーデースは大地の裂け目から地上を見上げると、その目に、花を摘んでいたコレー(ペルセポネー)が映りました。そこを恋心と性愛を司る神エロースの矢によって射たれ、ハーデースはペルセポネーに恋をしたのでした。
ハーデースは、水仙の花を使ってコレーを誘き出すと、黒い馬に乗って現れ、大地を引き裂くという荒業を用いて地下の国へ攫(さら)っていきました。ハーデースが略奪という強行に及んだ背景には、ハーデースがコレーの父親であるゼウスのもとへ求婚の許可を貰いにいくと、ゼウスは、母親デーメーテールに話をつけずに結婚を許し、しかも、一説には略奪(誘拐)することを示唆したからだとされています。
デーメーテールの地上彷徨
一方、オリュンポスでは、連れ去られる娘の叫び声を聞いた母神デメテルは、ペルセポネーを探し求め、太陽神ヘーリオスから、ハーデースがペルセポネーを冥府へと連れ去ったことを知りました。
女神はゼウスの元へ抗議に行きますが、ゼウスは取り合わず「冥府の王であるハーデースであれば夫として不釣合いではない」と言い放ちました。これを聞いたデーメーテールは、娘の略奪をゼウスらが認めていることに怒り、神々のもとを離れ、地上に姿を隠しました。
女神デーメーテールは、地上で老女の姿に身をやつし、炬火(きょか)(かがり火)を手にして、各地を放浪し、行方の分からない娘を探しました。やがて、デーメーテールは、アテナイ近郊のエレウシースを訪れ、エレウシスの王ケレオスの娘たちと出会ったことをきっかけに、ケレオス王の館に招かれ、王の子のデーモポーンの乳母になりました。
デメテルは、神から産まれた子供でもあるかのように、デモポンの肌に、神々の食物アンブロシアを擦り込み、香しい息をふきかけました。すると、子供は何も口にしていないのに神のように驚くべき速さで成長しました。また、子供に不死を与えようと考えて、夜毎デモポンを火にくべて、人間の部分(滅びゆく人間の肉体)を削り落していました。
ある日、不審に思ったデモポンの母は、女神デメテルの行為を目撃し、悲鳴をあげ、止めに入りました。そのためデーメーテールは思わず子を火中に落としてしまい、子は焼け死んでしまいました。
これに、デーメーテールはひどく怒りましたが、正体を明かし、女神としての姿を現しまし、「不老不死の身にしようとしていたデモポンはもはや死を避ける術はなくなってしまった、しかし女神の腕の中で育てられたものとして決して朽ちない誉れをえられるであろう」と告げ、エレウシースに自分に捧げられた神殿と祭壇を作り、自分の伝える祭式を執り行うように命じました。
翌朝、母娘から話を聞いたケレオス王は、人々を動員して、女神の言いつけどおり神殿と祭壇を建設すると、デメテルは、神殿に移り、神々のもとへは戻らずそこにこもりました。デーメーテールは大地の豊穣を管掌する大女神でしたが、怒ったデーメーテールがオリュンポスを去り(地上にとどまり)、豊穣の女神の役割を放棄したため、大地は実りがなくなり、地上に大規模な不作や凶作がもたらされました。
ゼウスの裁定
大地に実りがなくなり、人々は困り果てているのをみて、主神ゼウスは、デメテルを説得しようとしますが、娘神ペルセポネーに会うまではと聞き入れません。そこで、主神ゼウスはついにデーメーテールに娘の帰還を約束し、ハーデースに誘拐したペルセポネーを母の元に返すように命じました。
ハーデースは、ゼウスの要求に応じますが、ハーデースの支配する冥府では、そこの食物を食べたものは客として扱われたことになり、そこに留まらなければならない掟がありました。ペルセポネーは冥府にあって、一口の食物も口にしませんでしたが、ゼウスの使者神ヘルメースが訪れ、ペルセポネーの地上への帰還を伝えに来たとき、ハーデースの勧めを受け入れ、ザクロの実を食べてしまいました。そのため、ペルセポネーは、冥府にいなければならなくなっていたのです。
そこで、神々の父ゼウスは、この問題に採決を下し、ペルセポネーは1年の3分の1(一年を三つにわけたうちの一季)は、ハーデースの許で、冥府での暮らしにあてられる、残りの3分の2(残りの二季は)をオリュンポスの神々の世界で、母デーメーテールと共に暮らすとしました。
ゼウスに遣わされた妻のレアが、ゼウスの意向を伝えると、デーメーテール(デメテル)はこれを受け入れ、娘のペルセポネと再会を果たしました。これによって、大地も実りを回復させました。
また、自分を温かく迎えてくれたケレオスと、その子のトリプトレモスなどエレウシスの他の王に、神殿における祭儀の行い方を教え、その秘儀(エレウシスの秘儀)を明かし、さらに、トリプトレモスには穀物の栽培方法などを伝授しました(後に詳説)。
こうして、デーメーテールは、ペルセポネとともにオリュンボスへと向かい、他の神々と共に暮らしました。また、冥界にあっては、最初拒否していた、ハーデースの妻であるという地位を受け入れ、ギリシャ神話では、冥界の王ハーデースの傍らに座している場面が多くあり、冥府の女王として、恐るべき「冥府の女王」とも形容されています。
<四季の始まり>
ここまでの神話が、エレウシスの秘儀式において一貫して語られる神話で、エレウシースの秘儀で伝授される「神秘」を示しています。この神話は、地上に四季が存在することの根拠譚(たん/はなし)であり、ここでの、穀物の女神デメテルの娘ペルセポネーの運命は、穀物のサイクルを体現していると解釈されます。
地下世界(冥府)へのペルセポネーの誘拐(地上での不在)は、秋(冬)における植物の枯死と、地下での種子の待機を意味し、ペルセポネーのデーメーテールとの再会と神々の世界での生活は、春における植物再生・復活と種子の芽生えを意味します。
また、ペルセポネーが、冥府に暮らす秋(冥府にとどまる一季)は、地上で植物は枯死し、次の穀物の種子が大地に蒔かれ芽を出すまでの一季です。春になって(残りの二季)、ペルセポネーが、神々の世界(地上)に帰還すると、植物は芽生え始め(種子が再び芽吹き)復活し、地上に植物の豊穣の恵みをもたらすことを象徴しています。
このように、ペルセポネーが冥界にさらわれるのは、種が地の下に播かれることに、またデールメルとの再会は発芽(あるいは穂の実り)に対応します。そして、冥界へ行ったため死んだ魂となったペルセポネーは、大地の豊穣と麦(穀物)の母神であるデーメーテールの再生させる力によって、純粋な魂として復活したのです。
また、植物再生の女神として、デーメーテールとともに大地の豊穣を約束する女神とみなされるようになりました。さらに、冥府から地上に帰還することから、死と再生の神として、世代から世代へと受け継がれる永遠の生命を象徴するとみなされるようになりました。
<エレウシスの秘儀とは?>
エレウシスの秘儀では、ペルセポネーの死と復活をテーマとして、ペルセポネーの神話を秘教的に解釈します。すなわち、発芽や収穫といった麦の循環を表す植物の豊穣神の神話(冬における植物の枯死と、春における再生、復活の神話)に重ねて、人間の霊魂が死後に冥界に下ってから神のもとに至るまでの旅を、あらかじめ体験させるのです。
そんなエレウシス秘儀に参加した者(秘儀を受けた者)には、「死後の祝福」が約束されました(入信者たちはこの密儀によって死後に幸福を得られると信じられていた)。それは、この植物のサイクルと同じく、死後冥界にとどまり続けることなく、また生まれてくることができるというものです。
ギリシャの伝統的な死後観では、普通の人は死後に地獄のような冥界に行きますが、一部の英雄達は海の彼方の至福者の島か冥界にあるエリュシオンの野に行くとされます。エレウシス秘儀の目的は、死後にエリュシオンの楽園に行くことだと解されています。
<エレウシスの秘儀の儀式>
来世の幸福を約束するエレウシースの秘儀は、具体的にどのような儀礼行為で構成されていたかについては、秘密が厳格に守られたために、今も明確に伝わっていません。入信者は、密儀の内容を公開しないよう守秘義務が課され、場合によっては、密儀の内容を漏洩した罪により死刑を宣告された者もいたと言われています。
もっとも、「ホメーロス風讃歌」などの文献資料や、エレウシスの遺跡から出土した絵画や陶器の断片からその内容についてさまざまな推測や議論がなされ、密儀の内容について断片的ながら想像できるようになっています。
エレウシスの秘儀には、アテナイ近郊のアグライで毎年春に行われる「小祭」と、アテネとエレウシスで毎年秋の種蒔きの時期に8日間で行われる「大祭」があったとされています。
「小祭」ではペルセポネーに関する「小秘儀」が、また「大祭」では「大秘儀」と「奥義秘儀」が行われました。「大秘儀」の実体は不明ですが、神話にしたがって、以下のようなテーマで儀礼が行われていたと見られています。
ペルセポネーの略奪
ペルセポネーとハデスの聖婚
デルメルの悲嘆と探索
デルメルとゼウスとの聖婚
ペルセポネー発見と少年神の誕生
デメーテル(=ペルセポネー=イアッコス)との合一
祝祭の前の日、「聖なる物」が、アテネのエレウシニオンからエレウシスまで運ばれます。司祭の宣言で祭礼期間が幕開けとなると、加入儀礼の参加者は、入り江で沐浴をして、彼断食を始めます。その後、聖なる道に沿ってエレウシスへの30キロの道のりを行進し、巫女が持つ箱に入った「聖なる物」に付き添います。
入信者たちが、行列を作り、かけ声をあげながら、エレウシスまで進んでいきます。これは、少年神イアッコスが、手にたいまつを持ち,踊りながら信徒たちの列を導くと信じられていたことを象徴的に具現化したものです。(イアッコスはその時の掛け声を神格化した存在とされる)。
デルメルの悲嘆と探索
行列が、エレウシスに到着すると、本格的な秘儀の儀礼が行われます。まず、清めの儀式があり、暗闇が広がり入信者を包みます。参加者(入信者)は、断食をし、幻覚作用のあった麦ハッカ水(キュケオン)を飲んだ後、衣服を抜いだり、目隠しをしたりしたとも言われています。
これは、ペルセポネーの探索のために冥界に降りていくことを表していたと考えられています。宮殿(アナクトロン)が開き、祭司が現れ、光が彼らを包むまで恐ろしいものが見せられたそうです。
デルメルとゼウスとの聖婚(聖婚の儀)
デメーテル(デルメル)がゼウスによって、恥辱を受けた(暴力的に犯される)ことを象徴化した密儀が行われていたと類推されます。女性司祭と男性司祭によって行われたとも言われています。
ペルセポネー発見と少年神の誕生
次に、秘儀の祝福が始まり、司祭によって、ペルセポネー(コレー)が地下から呼び出されます。コレーが現れるのは神話における女神の顕現だと考えられ、司祭は「女神は聖なる御子をお産みになった。畏怖すべき女神が畏怖すべき御子をお産みになった」と神の誕生を告げたとされています。
ここで、「女神」はデメテルを、また「御子」はイアッコスをさすと考えられます。したがって、「少年神誕生」とは、ゼウスがデメーテルに生ませたイアッコスの誕生のことを表していると解されます。
デルメル(=ペルセポネー=イアッコス)との合一
そして、秘儀において、司祭は静寂の中、刈り取られた麦の穂を提示します。デメテルは、穀物の富の神であるので、秘儀の入信者に穀物の富をもたらしたということが表されます。
穀物の穂は祭司のかまによって刈り取られ、その生命、成長や繁栄はいったん停止されますが、そこにはまた新しい生命が宿るのだと解釈し、死後のよりよい運命への解釈につなげます。また、麦の穂はどれも同じく、復活する魂であり、霊魂の神性を象徴するので、少年神イアッコスは,密儀の主神であるデメーテルとペルセポネーと結びつけられました(さらに、イアッコスは、密儀神としてのディオニソスとも同一視されている)。
こうして、すべての密儀(秘儀)を終えたのち、参加者(入信者)は、新しい衣服に着替えます。これは、秘儀では地上へと戻ることを象徴しています。
<エレウシスの密儀の歴史>
エレウシスの秘儀は、農業崇拝を基盤とした宗教的実践から成立したと考えられ、密儀が始められたのは、エレウシスの祭儀堂テレステリオンの発掘調査から、ミュケナイ期の紀元前15世紀と見られています。以後、古代ローマまで約2000年間にわたって伝わり、古代ギリシアの密儀宗教として、最大の尊崇を集めました。
エレウシスは、紀元前6世紀半ばまでに、隣国アテナイに併合されましたが、密儀を独自に執行する権限は維持していました。
紀元前6世紀以降、アテーナイとエレウシースの秘儀との関係が密接になると、とりわけ、僭主ペイシストラトスの統治時代(前546~前528年)以降に、新たな建築物や建物が再建されていたことから、祭儀が飛躍的に発展したことが伺えます。
以後、エレウシスの秘儀は、アテナイの祝祭に組み込まれ、全ギリシア的規模となり、アテナイの発展とともに普及していきました。
ギリシア周辺からも入信のための参加者が集まり、紀元前300年頃には、アテナイが国家として秘儀の主催を引き継ぎました。神話的王エウモルポス(ポセイドンの子でトラキア出身)とその息子ケーリュクスから起こったとされる二つの家系によって取り仕切られ、入信者の数は大幅に増加し、男女を問わず、奴隷も入信が許されました。
エレウシスの祭司とみなされてきた二つの家系とは、「エウモルピダイ家」と「ケーリュクス家」で、エレウシニア祭の役職を独占していました。
ローマ統治下のエレウシースの秘儀
紀元前20年、ギリシアを支配下に置いた古代ローマの初代皇帝アウグストゥスは、自身も、儀式に参加したと言われています。また、2世紀前半の皇帝ハドリアヌスは、ギリシア文化への傾倒から、エレウシスの「教団」に入信しました。
皇帝マルクス・アウレリウス(在161〜177)は、170年にイラン系遊牧民族サルマタイによって略奪を受けたエレウシスを修復したことから、テレステリオン(秘儀を行うための広間)内にあるアナクトロンと呼ばれる聖具の保管所への常時入場を認められた唯一の皇帝でした。
しかし、4世紀から5世紀にかけて、ローマ帝国でキリスト教の支持が高まると、エレウシスの権威は薄れていきました。
「異教徒皇帝」と呼ばれるユリアヌス(治世:361年 – 363年)がエレウシスの秘儀を復興させました(ユリアヌスはローマ皇帝として最後の入信者となった)が、約30年後の392年、皇帝テオドシウス1世は、法令を発してエレウシスの聖域を閉鎖させました。
されに、東西ローマ分裂後、396年には、西ゴート族の王アラリック1世の襲撃によって、密儀の最後の残滓も一掃され、古代の聖域は荒廃しました。
<エレウシースの秘儀の伝授>
聖地エレウシスを守護する神話的な王には、ケレオス、トリプトレモス、エウモルポス、ディオクレース、ポリュクセイノス、ドリコスなどがいました。ギリシャ神話では、ケレオスは人民の長、トリプトレモスは知恵に優れ、エウモルポスは威を振るい、ディオクレースは馬を御すると評されていました。
これらの諸王のうち、豊穣の神デーメーテールからエレウシースの秘儀の儀礼とその教えを最初に授けられたものは、ケレオス、トリプトレモス、エウモルポス、ディオクレース、ポリュクセイノスとされています。
この中で、エウモルポスは、エレウシースの秘儀を学んだ最初の人物の1人でしたが、時代とともに重要性を増し、やがて、エレウシースの秘儀の創始者と見なされるようになりました。また、エレウシスの王ケレオスの子トリプトレモスは、デーメーテールの命を受けて、世界中を巡って農耕の知識を広めました。
◆ エウモルポス
神話ではトラキア出身で、トラキア王でありまたエレウシス王です。海神ポセイドーンと、アテーナイ王家の血を引くキオネーの子とされていますが、伝説的な詩人ムーサイオスの子とも言われています。エレウシースの大神官(ヒエロパンテース)を輩出した一族エウモルピダイの祖とされ、エウモルポスが政争によりエレウシスに亡命中、デーメーテールからエレウシスの秘儀を受けました。
エウモルポスの母キオネーは、ポセイドーンに愛されて、密かに1子エウモルポスを生みましたが、露見するのを恐れて海に投げ捨てました。これをポセイドーンが拾い上げて、娘のベンテシキューメーに渡して養育させました。エウモルポスが成長すると、ベンテシキューメーの夫(欠名)は自分の娘を与えたが、エウモルポスは妻の姉妹を恥辱しようとしたために、息子イスマロスとともに追いだされました。
エウモルポスは、その後、トラーキア王テギュリオスのもとに身を寄せました。テギュリオスもエウモルポスを迎え入れ、自分の娘をエウモルポスの息子イスマロスと結婚させましたが、エウモルポスはテギュリオスに対して陰謀を企てていたことが発覚して、エレウシスに亡命しました。この地で人々と親しい関係を築いたエウモルポスは他の王たちとともにデーメーテールから秘儀を授けられました。
一方、トラーキアに残ったエウモルポスの息子のイスマロスが若くして死亡すると、トラキア王のテギュリオスは後継者を失ったため、エウモルポスと和解し、エウモルポスはトラーキアに戻って王国を継承しました。その後、エレウシースとアテーナイとの間に戦争が勃発すると、エウモルポスは、トラーキアの大軍を率いてエレウシースを救援しましたが、エレウシースは敗北し、自身も落命しました。
秘儀の継承
アテナイとの戦争後、エレウシスはアテナイに従属することとなりましたが、デーメーテールとペルセポネーの秘儀は、エレウシス側が保持し、エウポルモスとケレオスの娘たちディオゲネイア、パンメロペー、サイサラーが秘儀を執り行なったとされています。
その後、エレウシースの秘儀は、神話的王エウモルポスとその息子ケーリュクスから起こったとされるエウモルピダイ家とケーリュケス家の2つの家系によって継承されました。エウモルピダイ家とケーリュケス家はそれぞれ、秘儀の開示を執り行う最高位神官(ヒエロパンテース)(祭典の開催を告げる聖なる触れ役)と、秘儀で松明を持つ第2位の神官(ダイドゥーコス)の役目を担うようになったと伝えられ、エレウシニア祭の役職を独占しました。
なお、別の伝承では、エウモルポスから5代目にあたる同名の子孫のエウモルポスこそがエレウシースの秘儀の創設者であると言われています。それによると、エウモルポスの息子としてケーリュクスが生まれ、その子孫はエウモルポス、アンティペーモス、ムーサイオスと続き、その息子エウモルポスによって、エレウシースの秘儀が創設されたと伝えられています。実際、エウモルポスの子孫に関する伝承は錯綜しており、ケーリュケス家の伝承ではケーリュクスはエウモルポスの子とはされていないものもありと言われています。
◆ トリプトレモス
女神デーメーテールから、父のケレオス王とともに、エレウシースの秘儀を学んだ最初の人物の1人でしたが、デーメーテールの使者として世界中に穀物の種をまいて回り、農耕を伝えたエレウシースの英雄でもあります。
冥界の王ハーデースにさらわれた娘のコレー(ペルセポネー)を探して放浪した後、老女の姿に変えて、エレウシースにやって来たデーメーテールは、ケレオス王の館で歓待を受け、王の子のデーモポーンの乳母になりました。後に、本来の神の姿を現したデーメーテールは、ケレオスの子トリプトレモスに恩寵を与えようと考え、トリプトレモスに有翼の蛇の戦車を与えました。そして、空を飛んで世界中を巡り、穀物をまいて人々に農耕を教えるよう求めました。
そこで、トリプトレモスは、デーメーテールに教えられたとおりにまず、イタリアやカルターゴーに赴いて農耕を伝え、これにより、イタリアは小麦の産地で有名になりました。アルカディア(ペロポネソス半島中央部)ではアルカス王に小麦を与えると、アルカスはパンの作り方を人々に教えました。この地は、後世に牧人の楽園として伝承され、理想郷の代名詞となりました。アカイア地方(ペロポネソス半島北部)のパトライではエウメーロス王に農耕と都市の建設法を教えました。
トリプトレモスはさらに、当時、古代ギリシャにとっての辺境の地であったバルカン南東部に位置するトラーキアや、現在のウクライナ地域にあたるスキュティア(スキタイ)にまで足を運び、農耕を伝えました。
ただし、トラーキアでは、ゲータイ人の王カルナボーンに捕らえられ、逃げられないように有翼の蛇のうち1匹を殺され、スキュティア(スキタイ)でも、リュンコス王に命を狙われました。しかし、そのたびにデーメーテールがやってきて、カルナボーンはへびつかい座に、リュンコスは山猫に、それぞれ変えて窮地を救いました。
テスモポリア祭
トリプトレモスはまた、アッティカのテスモポリア祭の創始者とされています。デーメーテールを主神とするこの祝祭は、エレウシスの秘儀の「大祭」と同時期に女性だけで秋に行われ祭りで、豊穣と多産を願い、女性のみが参加するもので、ギリシャ中に広く伝えられていました。この祭儀は秘儀ではありませんでしたが、その内容を語ることは許されなかったとされます。
<ギリシャ神話シリーズ>
(参照)
古代ギリシャの歴史と神話と世界遺産
(港ユネスコ協会HP)
ギリシャ神話
(TANTANの雑学と哲学の小部屋)
ギリシャ神話伝説ノート
(Kyoto-Inet)
秘儀宗教(イシス、ディオニュソス、エレウシスなどの秘儀とは)
(MORFO HUB )
エレウシスの秘儀
(西郷田美子、学習院大学学術成果リポジトリ)
秘儀のエレウシス
(難波 洋三、京都国立博物館)
エレウシスの秘儀とは(コトバンク)
エレウシスの秘儀など(Wikipedia)