イスラム教

 

イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教の影響を受け、7世紀にムハンマド(マホメット)によって創始された。

 

イスラム教の聖典コーラン(クルアーン)は、ムハンマド(マホメット)が受けたアッラーの神の啓示をアラビア語で記したものである。

 

イスラム教徒(イスラム帝国)は、異教徒に対してイスラム教を強制せず、他の宗教に対して寛容であった。人頭税(シズヤ)・地租(ハラージュ)を納めれば従来通りの宗教を信仰することを許した(改宗を強制しなかった)。これはイスラム世界拡大の大きな要因となった。

 

7世紀半ばに、イスラム教はカリフの正統性をめぐる争いからスンナ派とシーア派に分裂した。イスラム教のスンニ派は多数派で、シーア派は少数派である。シーア派は、ムハンマドのいとこのアリー(第4代カリフ)とその子孫をカリフ(ムハンマドの後継者)とするのに対して、スンナ(スンニ)派は、第2代以降の歴代カリフを正統と認める。

 

スンナ派は、多数派でムハンマドのスンナ(言行)に従う人々で、シーア派は、第4代カリフのアリーの子孫だけがムハンマドの正統な後継者とみなし、スンナ派と対立してきた人々である。

 

イスラムという宗教が生まれて間もない初期のころ(正統カリフ時代)に、預言者の後継者(カリフ)を誰にするかという問題において、シーア・アリーは、ムハンマドの従兄弟かつ娘婿であるアリーとその子孫のみがイマームとして後継者の権利を持つと主張した(シーア・アリーは「アリーの党派」の意で、後に略されて「シーア派」となる)。

 

これに対して、大多数のムスリム(イスラーム教徒)は、アブー=バクル、ウマル、ウスマーンのアリーに先立つ三人のカリフをも正統カリフとして認めた。これがスンナ派の起源である。

 

ウマイヤ朝末期、ウマイヤ家によるイスラム教団の私物化はコーランに記されたアッラーフの意思に反しているとみなされ、ムハンマドの一族の出身者こそがイスラム教団の指導者でなければならないと主張するシーア派の過激な運動が広がった。その担い手は、ペルシャ人などの被征服諸民族であった。現在でも中東の大問題として尾を引いている。