ムハンマドの教え:クルアーンとハディースに

 

イスラム教は、イスラム原理主義者のテロ行為などの影響で、日本や西欧世界で正しく理解されていないと言われて久しいですが、現在も状況はそれほど変わらず、何か私たちとは異質な難しそうな宗教という印象もぬぐい切れていないように思います。世界で2番目に多い信者数を持つイスラム世界との健全なつながりは、世界の人々との相互理解のためには欠かすことができません。そこで、イスラム教とはどういう宗教なのかをシリーズで紐解いてみたいと思います。まず1回目は、イスラム教の創設者ムハンマドの教えについてです。

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<世界に広がるイスラム教>

 

イスラム教(回教)は、キリスト教、仏教とともに世界三大宗教の一つで、信徒数は、世界で16億人と推定され、キリスト教の約22億人に次いで2番目、仏教の3倍以上にのぼります。世界の人口は約70億人ですので、少なくとも世界の5人に1人はイスラム教徒と言えます。しかも、現在イスラム教徒が増え続けており、やがて、イスラム教が世界で一番信者数の多い宗教になると予想されています。

 

イスラム教は中東で生まれ、拡大したので、アラブ人を中心とした中東の宗教という印象が強いと思われますが、世界のイスラム教徒(ムスリム)のうち、中東アラブ諸国在住およびその出身者はわずか20%にしかすぎません。実際は、インドネシア(2.1億人)、パキスタン(1.9億人)、インド(1.6億人)、バングラデシュ(1.5億人)など、世界のムスリムの半数以上は、アジア(東南アジア、南アジア、中央アジア)で生活しています。ちなみに、日本には推定2000人ほどイスラム教に入信した人がいて、多くは、ムスリムの男性と結婚して改宗した女性です。

 

 

<イスラム教の始まり>

 

イスラム教は、ユダヤ教、キリスト教と同じく唯一神からの啓示による宗教(一神教)で、西暦610年に、サウジアラビアのメッカの商人、ムハンマド(マホメット)によって創始されました。ムハンマド (ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ)は、天使ガブリエル(ジブリール)を通して、唯一神アラー(アッラー)の啓示(神の言葉)を受け、その啓示の内容を人々に伝えていきました。

 

西暦570年ごろ、アラビア半島の町メッカの商人の息子として生まれたムハンマド(マホメット)は、25歳の時、働いていた会社の社長で、未亡人であった40歳のハディージャと結婚し、仕事に邁進していました。しかし、年齢を重ねるにつれ、より精神的なものを求めるようになり、洞窟で瞑想にふけることが多くなったそうです。

 

そんなムハンマドに、最初に神の啓示が降りたのは、西暦610年、ムハンマドが40歳の時だったと伝えられています。当時、アラビア半島に住む多くの人がそうであったように、読み書きができなかったムハンマドは、神の言葉を記録することができないので、暗記して口頭で他の人に伝えていったと言われています。その日も、いつものように、洞窟の中で瞑想していたムハンマドに、天使ガブリエル(ジブリール)が現れ、言われたことをそのまま声に出して覚えていったそうです。(この啓示は、ムハンマド昇天まで23年間続いたとされる)。

 

しかし、イスラムの教えが広まるにつれ、神の言葉を記録することが必要になってきます。ムハンマドに下された啓示は、経典(教典)コーラン(クルアーン)として集成されますが、それはムハンマドの死後のことでした。

 

 

<イスラムの普遍性>

 

イスラムの教えは、アラブ地域の人々のような特定の集団だけでなく、世界の様々な地域で暮らすすべての人々に通じます。実際、クルアーン(コーラン)に、「すべての人々よ」「アダムの子供達よ」といった普遍的な呼びかけがなされています。

 

イスラムとは、アラビア語で「平和」を意味する「サラーム」という言葉に由来しているそうですが、「イスラム」という言葉自体には、天地を創造した「神への帰依」「神に絶対帰依する」という意味があり、イスラムを直訳すれば、「神を信仰する宗教」となりす。したがって、イスラムと言うだけで「教」をつけなくても、宗教を意味します(イスラム=イスラム教)。

 

また、イスラム教徒のことを「ムスリム」といい、意味は「神に帰依した人々」です。イスラム教徒(ムスリム)は、「この世に唯一の神(アッラー)を信じて帰依し、神の教えを日々実践して生活する人々」と定義されます。

 

なお、「イスラム」というアラビア語の発音に、絶対的に忠実にという事で「イスラーム」と長母音をつけて表されることもあります。厳格には、イスラムやイスラム教ではなく「イスラーム」が正確なのだそうです。

 

 

<ユダヤ教・キリスト教との連続性>

 

イスラム教は、ただ一つの神、唯一絶対神アラー(アッラー)(アッラーフ)を信仰する一神教です。宗教学上、イスラムの神アラーは、山の神、火の神、太陽神といった自然神ではなく、人格神に含まれます。こういう一神教の宗教は、世界で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教だけです。

 

しかも、イスラム教は、ユダヤ教から派生した宗教です。キリスト教も、ユダヤ教を基盤としていますから、イスラム教はユダヤ教、キリスト教の兄弟宗教という言い方も可能です。実際、アラブ人たち(イスラム教徒)は、自分たちの父祖は誰かと問われると、ユダヤ教徒と同じく「アブラハム」と答え、人類はアダムとイブからはじまったと考えているそうです。

 

確かにイスラエル(ユダヤ)人もアラブ人も、民族的には「セム族」に属しているので、両者の祖先は同じで、親族となります。もっとも、アブラハムの継承者として、ユダヤ教では正妻の子である「イサク」と言うのに対して、イスラムは、長男である「イシュマイル」をあげるという異なる考え方はあるようです。

 

イスラム教は、ユダヤ教に近い宗教であることは、たとえば、1)神を像に刻み、それに向かって礼拝する偶像崇拝を否定し、また、2)戒律は、神と人との関係と、人間同士の関係の両方を規定している、さらに、3)神は、自らの意志を人間に伝えるために預言者を遣わしたといった教義は、両者に共通しています。

 

預言者に関して、イスラム教では、最初の人間であるアダムに最初の啓示が下った後、アブラハム、モーセ、イエスなどが継承し、ムハンマドに最後の啓示が出されて、神の啓示が完結したと考えられています。この考え方に立てば、ムハンマドがアラブ世界にありながら、キリスト教の天使「ガブリエル(ジブリール」)」から啓示を受けた理由も説明がつきます。(預言者に関しては後に詳説)

 

 

<イスラム教の目的>

 

イスラムの宗教的目的は、「罪と悪からの救済」とされ、キリスト教やユダヤ教とほとんど変わりません。イスラムでは、キリスト教と同じように、神(アッラー)は、人が善も悪も行う能力を持って創造したとされます。イスラムの信条によると、すべての人は罪のない状態で生まれてきますが、やがて、知性を働かせることができるようになると、人は、行ないに応じて善行や罪を重ねていくことになってしまうと説かれます。

 

イスラムにおいても、イスラムが教える宗教上の命令、禁止事項に適った行いをすることが善(善行)で、逆に、命令や禁止事項に従わない行いは罪と呼ばれます。例えば、アッラー以外に神がいるとみなすことや、アッラーの教えを憎悪することは大きな罪とされています。

 

イスラムでも、人間の苦しみの原因は、人間の「罪」からくる説明し、その「救済」を保証してくれる「神」を持つことで希望を持って生きていくことが求められます。また、何度も罪を犯さないように、「悔悟」することが重要であるとも説かれます。悔悟とは人が自らの罪を後悔し、その罪をもたらした悪い行ないを放棄し、アッラーへと向かい許しを願うことと教えられます。ムスリム(イスラム教徒)が罪を悔悟することは、一生続く、宗教上の義務とされています。

 

人の罪がどれほど大きくどれほど多くても、その罪の程度にふさわしい悔悟を行えば、アッラーは許しくださる、アッラーの慈悲を得る望みを絶ってはいけないと説かれます。そうすると、「最期の審判」(後述)において義とされて、「天国での永遠の平安の生」を得ることができるとされます。

 

イスラムでは、現世利益に基づく「現実の繁栄」と「永遠の神の国での平安」が選択されることになれば、ムスリムは、「現世利益」よりも「天国での生」を選ぶことが本来の姿とみなされます(キリスト教も同様)。

 

しかし、近年、産油国など豊かになったイスラムの国の人々の中には、「現世利益」をとりわけ優先させている、と批判的にみる人々が現れ、「本来のイスラムに」戻るという運動が起きてきました。こうした立場は「原理主義」と呼ばれ、昨今では、原理主義者の過激な行動が高じてテロリズムにつながっていることから、イスラム原理主義は、きわめて危険な否定的な意味合いで捉えられています。

 

 

<イスラムの聖典:クルアーン>

 

イスラム教の聖典(経典)は、「コーラン」(「クルアーン」)(アル=クルアーン)で、イスラムの教えの第一の源です(「クルアーン」そのものの意味は「唱えるもの」)。クルアーン(コーラン)は、前述したように、神がかり状態のムハンマド(マホメット)が、天使ガブリエルを通して、直接受けた神(アッラー)の啓示を、アラビア語で記したものです。

 

ですから、クルアーン(コーラン)に書かれた内容は、ムハンマドの肉体を通じて語りかけたアッラーの言葉、アッラーが人々に伝えようと望まれた神の言葉そのものと解されています。さらに、「クルアーン」にある言葉は、「神から発した」ものなので、その言葉の「文字」は「神そのもの」を体現していると解されます。この「文字」がそのまま「神」と一体(「言葉」は「神そのもの」)という考え方は、イスラム独特の考え方だとされています。

 

なお、ムハンマドはアラブ人ですから、神の啓示はアラビア語で受けました。ですから、「クルアーン」を唱えたり、読んだりするのは、「アラビア語」が原則となります。翻訳した「コーラン」は神の言葉ではないと解されています。もちろん、アラビア語圏以外の地域への布教のためには、コーランは翻訳されますが、祈りなどではどこにあってもアラビア語で唱えられるのが原則です(「クルアーン」の言語は、今日ではアラビア語の「標準語」となっている)。

 

預言者ムハンマドは、昇天(死亡)するまで23年もの間、クルアーンを自らに啓示された通りに、解釈抜きで、章句として人々(信者)に伝え、それを常に記録者に書き留めさせ、また暗誦者に暗記させたと言われています。

 

ムハンマドが書き留めさせた章句は、のちに第一代カリフ、アブ―・バクルの時代に一冊の本としてまとめられ、第三代カリフ、オスマーンの時代には、その本が書き写され、イスラム諸地域のさまざまな都市に送られたとされています。

 

預言者ムハンマドが生きた時代に、記述と暗誦によって、神の言葉として伝えられてきたとされるコーラン(クルアーン)に対して、キリスト教や仏教などの経典は、のちの時代の信者たちが、イエスやブッタの言葉を解釈して、彼らの言葉でまとめたものです。ですから、その教祖の言葉がどれだけ正確に伝えられているかについて疑問視されることがあります。そういう意味で、イスラムは、神の言葉(教え)を、天使を通して、直接預言者たちに下されて編まれた啓示宗教と言われます。

 

では、コーランには何が書かれているのでしょうか?コーランは、「開端(アル=ファーティハ)」の章から始まり、「人間(ナース)」の章で終わる114章6236節で構成され、アッラーだけを信じるようにという呼びかけや、アッラーの特質、来世での生、天国や地獄などが盛り込まれています。

 

イスラムの信仰(イ―マーン)の根幹は、アラーの存在と唯一性(タウヒード)を信じること、さらにムハンマドが預言者であり、人々に伝えた教えが正しく、真実であることを信じることにあります(イ―マーンはアラビア語で、承認する、信頼するという意味)。クルアーンの中で、このことを示す文言が、「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはその使者である」です(後に詳細)。

 

クルアーンにおいて、生とは、私たちが生きている現世だけのものではなく、また、死によって終わりを迎えることなく、来世においても永続するものと説かれています。そして、来世における生を獲得できるか否かは、人の現世における行いに左右されます。

 

また、イスラム教はユダヤ教から派生した宗教なので、クルアーン(コーラン)の中には、例えば、偶像崇拝の廃止など旧約聖書の内容、すなわちユダヤ教に基づいているものが多くも含まれます。さらに、ムハンマドは、キリスト教の天使ガブリエルから天啓を受けているので、「クルアーン」の神にかかわる基本教義の内容は、キリスト教とも大差はありません。(その理解の仕方や強調点が異なるだけ)。

 

もちろん、クルアーンには、宗教的な話だけではなく、当時の中東・アラブの生活習慣に基づく戒律、日常生活のルールも詳細に定められています。

 

 

<イスラム教の指針:スンナ>

 

イスラムでは、アッラー(神)からの啓典だけでなく、スンナも重視しています。スンナは、預言者ムハンマドの言行(行動や言葉)や振る舞いによって確立した(宗教的・倫理的・法的)慣行のことで、クルアーンに次ぐイスラムの教えの「第二の源」と位置づけられています。

 

イスラムでは、クルアーンは神(アラー)からの教えで、スンナとは「預言者ムハンマドの慣行」と位置づけています。スンナを通じて、ムスリム(イスラム教徒)は、神(アッラー)の命令にはどういう意味があり、それをいかに実践すべきかなど、クルアーンの意味を明確に理解することができると説かれます。

 

預言者ムハンマドのスンナは、行動・言葉によるスンナと黙認のスンナの二つに分類されます。

 

行動・言葉によるスンナ

行動・言葉によるスンナ(スンナティ・フダー)は、預言者ムハンマドが何らかの事柄について言及したもの(言葉によるスンナ)と、預言者ムハンマドの行動を教友達が目撃し伝承したもの(行動によるスンナ)をさします。

 

黙認のスンナ

黙認のスンナ(スンナティ・ザワーイド)は、日常生活における預言者の普段の行動(=慣習)や言葉で、ムハンマドの前で教友(サハーバ)達が語った言葉や取った行動のうち、ムハンマドが否定しなかった事柄、あるいは同意されたことをさします。身近な例では、日常生活における食事の習慣なども含まれます。

 

教友(サハ―バ):預言者ムハンマドと直に接したイスラム教徒

 

イスラム(の教え)は、この二つのスンナを通じて、人々の実生活の中に取り入れられ、実践されてきたと言えます。

 

イスラム教では、神の啓示(教え)のすべては、個人的・社会的生活において、預言者の指導によって実現されるので、スンナは宗教的義務ではありませんが、以下にコーランの一節にもあるように、預言者ムハンマドへの愛情や敬意の表れとして実践することが求められます。

 

「使徒(ムハンマドのこと)に従う者は、まさにアッラーに従う者である」(4章80節)

 

 

<イスラムの第二の聖典:ハディース>

 

スンナは、ムハンマドの言行であるのに対して、スンナを言行録としてまとめたものがハディースです。「イスラーム伝承集成」と呼ばれるハディースは、預言者ムハンマドが人間として語った言葉や行いを集大成した記録で、コーランに次ぐ権威を持つイスラームの根本文献(「第二の典拠」)となっています(特にスンニ派)。

 

ハディースとスンナは、容器(ハディース)とその中身(スンナ)の関係で例えられています。抽象的概念であるスンナを、ハディースは目に見える形で内容を表しているという意味ですね。

 

ムハンマドの死後、イスラム教は四方に拡大し、アラブ以外のいろいろな(複雑で多様な文化的背景をもった)民族の中に浸透していきました。その結果、日々の信仰生活においても、ムハンマドの生きた時代には想定していない様々な宗教的、社会的問題が生じました。イスラム教の信仰は、聖典コーランの言葉を理解することから始まるので、これらをイスラム教の立場で解釈・判断するためには、ムハンマドの死後編纂されたコーランに次ぐ、宗教上の指針となる権威ある何かを強く希求するようになりました。これに答えたのが、ハディースでした。

 

ハディースは、9世紀に、中央アジアのブハラ出身のイスラム教神学者ブハーリーによって、16年の歳月を費やし、最初に収集・記録されました。ブハーリーは、16歳でメッカに巡礼し、さらに、エジプトからイランにいたる広範な地域を遍歴して、ムハンマドやその弟子達が生きていた時代の1000人以上の師(イスラム教の指導者/法学者など)から60万とも90万ともいわれる伝承を収集し帰郷したそうです。そのうち、信頼度の高いのみ7397項を厳選し、97巻3450章にまとめた「真正伝承集(真正ハディース集)」を著わしたと言われています。

 

この後も多くのハディース集が編まれましたが、いずれもブハーリーの伝承集を基本にしているそうです。10世紀頃以降、この書はイスラム伝承学の最高権威書の一角を占め、現在も、6種類あるとされる「ハディース」の中の一つとされています。

 

さて、アッラーに愛され、現世だけでなく、来世においても、救いを得るために、ムスリムには、「コーラン(クルアーン)」や「ハディース」の中にも網羅的に書かれている内容で、「六信五行(ろくしんごぎょう)」という宗教上の「義務」を実践することが求められています。

 

 

<六信五行の「六信」>

 

六信」とは、ムスリム(イスラム教徒)としてその存在を必ず信じなければならない6つの項目(信仰箇条)をさします。それは、「神(アッラー)」、「天使」、「啓典(経典)」、「預言者」、「来世(最期の審判と来世)」、「運命(定命)」の六つです。これらは「クルアーン」中に、整理されて体系的に書かれてはいませんが、はっきり示されています。

 

  • 神(アッラー)

 

イスラム教の神、アラー(アッラー)(アッラーフ)の存在を信じることが何より求められます。アラーは、宇宙から始まる万物を創造された唯一神(全能の神)・絶対神で、全世界に均衡と調和をもたらしてくれる存在です。クルアーン(コーラン)では、この完成された世界を、アラーのハキーム(英明)の表れと表現しています(ハキームはアラーの美名)。

 

アラー(アッラー)は、唯一・絶対神なので、アッラー以外に神はいないと信じ、アッラーと心から結びつくことがムスリムの最初の務めとなっています。そのために、ムスリム(イスラム教徒)は、礼拝で、次の文言を、アラビア語で必ず声に出して唱えます。

 

アッラーの他に神はなし ムハンマドはその使者(使徒)である

(ラー・イラーハ・イッラッラー、ムハンマド ラスールッラー)

 

イスラムでは、神の唯一性を表す言葉に、タウヒードという用語があります。タウヒード(神の唯一性)(もともとの意味は「一つとする」)は、「人がアッラーの存在やその唯一性、すべての崇高な特性がアラーに存在すること、アッラーは完全無欠で、無比のお方であられることを知り、それを信じること」と解説されています。このタウヒード(アラーの唯一性)を信じることが、イスラムの信仰の核心です。

 

イスラム教では、唯一絶対的な神(アラー)の存在を認めず、他の神を信じることが最大の罪とされます。アッラー比類なき存在なので、何ものかと同等とみなすことは、イスラームの教えに対する冒涜であり、ハラーム(禁止されていること)の最たるものであり、最大の罪とされます。

 

また、アラーが唯一神なので、「神の子」という概念も認められません。キリスト教の「神の子イエス」の教義も否定されます。ですから、イエスを神の子とする現在のキリスト教とは決定的に対立します。イスラームでは、イエスは「ムハンマドに先立つ優れた預言者」という位置づけです。

 

なお、アッラーというのは神さまの名前ではありません。アッラーというのはアラビア語で「神」という一般名詞で、日本人が「神さま」という時の神と同じ意味です。ですから、「アッラーの神」という言い方は正確には間違いで、アッラーが「神」そのものを表します。

では、イスラムの神(アラー)の名前は何か、とあえて言えば、ユダヤ教、キリスト教と同じ唯一神「ヤハウェ」となります。この世を創られた絶対的な神を信じているという意味では、ユダヤ教とキリスト教が信じているのと同じ神さま(ヤハウェ)に対して、イスラム教徒も、アラーと呼んで祈りを捧げているといえます。

 

 

  • 天使(マラーイカ)

 

ムスリムは、天使への信仰、天使の存在を信じることが求められます。イスラム教は、一神教ではありますが、ユダヤ教やキリスト教同様、神と人間の中間的な超自然的存在としての天使を認めています。天使というのは、「神の使い」であり、「天使ガブリエル(ジブリール)」がムハンマドに現れて天啓を伝えたように、「神の言葉を伝える者」です。

 

天使は、光から創造され、優美で、目に見えない霊的存在であり、男女の区別、眠る、飲食をするといった人間的な特性は持たない存在だされています。人間のように罪を犯すこともありません。不可視な天使は、アッラーを崇拝し、神(アラー)から定められたそれぞれの役目を持ち、アッラーに反逆することはなくその命令を忠実に守ります。それゆえ、アッラーの命令によってさまざまな形になり得えると言われています。天使の存在は、クルアーンにも啓示され、預言者たちからも知らされています。

 

イスラム教では、コーランに出てくる4人の大天使がいます。

 

ジブリール(ガブリエル)

預言者ムハンマドにアッラーからの啓示をもたらす。

 

ミーカーイール(ミカエル)

戦士の天使で、万物の秩序と生命を監視する。

 

イスラーフィール

音楽を司る天使で、「終末」の際、らっぱを吹き鳴らして告げ知らせる。

 

イズラーイール(アズラーイール)

死を司る死の天使

 

これらの四大天使以外にも、人間の死後、その者の前に現れ、生前の善行や悪行を問いただすムンカルとナキールという天使もいます。

 

なお、「天使」のアラビア語は、単数形でマラク、複数形でマラーイカで、通常は複数形で使われます。

 

 

  • 啓典(経典)(キターブ)

 

啓典(経典)は預言者を通して与えられた神(アッラー)の言葉で、啓典への信仰とは、啓典の全ての内容を信じることです。啓典は、コーラン(クルアーン)だけではありません。モーセ(ムーサ)五書、ダビデの詩編、福音書(新約聖書)を含む4書をさします。

 

モーセ五書は、旧約聖書の最初の5つの書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)で、モーセが神から授かった律法、モーセ自身が教えた内容が書かれているので、特に「モーセ五書」と呼ばれています(または単に「律法」と表記されることもある)。詩篇も、旧約聖書の中の一つの書で、罪を犯しても罪を認め、後悔し、許しを請えば、それを許す神への賛美がつづられています。

 

また、啓典に、旧約聖書と新約聖書が含まれていることから、ムスリムは、ユダヤ教徒やキリスト教徒を(同じ)「経典の民」と呼びます。ですから、イスラムでは、現実に存在するコーラン以前の諸聖典の内容は、本質的に同じで、それ自体は間違ってはいないとみなしています。しかし、後に歪曲され、本来の啓示を正しく伝えていないので、神は最後にムハンマドに「コーラン(クルアーン)」を与え、人間が守るべき信条と法を完全に示し、それを人々に正しく伝えさせたと解されています。コーラン(クルアーン)は、「最後の啓典(聖典)」として、それらを最終的に確証し補正するものであるとみなされます。それゆえ、その他の啓典とは区別され、優れたものとされています。

 

 

  • 預言者(ナビ―)

 

預言者たちへの信仰とは、預言者たちが述べたことを信じることです。預言者とは、未来に何が起こるかを当てる「予言者」ではなく、神の言葉を預かり、神から啓示、知らせ(ナバア)を受けた人のことをいます。また、人類へ警告する役目として、神の言葉を代弁する神と人との間の使者の役割を果たす存在でもあります。

 

宗教学の観点から、イスラム(教)は、ユダヤ教、キリスト教と同じく唯一神からの啓示による宗教(一神教)で、啓示の宗教には、神の啓示を民に伝える預言者が必ずいます。というのも、神の被造物にすぎない人間が、人間の知恵や理性だけで、神の言葉を理解し、神の意思を実行することは不可能とされるからです。

 

ですから、イスラムでは、ムハンマド以前にも、神はそれぞれの時代に応じて、人間の中から預言者を選び、各共同体(ウンマ)に遣わして、神の言葉を人々に伝えようとしたと教えています(神の言葉とは、正しい信仰と人が従うべき規律で、具体的には、アッラーの命令と禁止事項、善悪の事柄や物事の原則などをさす)。

 

では、どれほどの数の預言者がいるかといえば、イスラム教の聖典クルアーンの中には、ムハンマド以前の預言者たち約25人についての記述があります(実際の数は、それよりかなり多くいるとされる)。ただし、その中で、ムハンマド以前、偉大な者として認められているのは以下の預言者たちです。

 

・アダム
・ヌーア(ノア)
・イブラーヒム(アブラハム)
・ムーサー(モーセ)

・ダビデ
・イーサー(イエス)

 

とくに天啓の書として、神は、モーゼには「律法」、ダビデには「詩篇」、イエスには「福音書」、ムハンマドには「クルアーン」を与えました。また、前述したように、イエスについては、キリスト教のように「神の子」とは見なさず、あくまでも「預言者」という位置づけです。

 

これらの預言者の中でも、ムハンマドが最も偉大な「最後の預言者」と位置づけられています。同時にそれは、イスラム教が、神からの啓示による宗教として最後にもたらされた宗教に位置づけられることを意味します。「最後」の意味は、イスラム独特の次の考え方によります。

 

神は、人々を救うため預言者を遣わし、ユダヤ教を与えられた。しかし人々は神の声に耳を傾けなかった。次に、イエスを通じてキリスト教を与えられた、それでも人々は神の言葉を理解しようとしなかった.。ユダヤ教徒もキリスト教徒も、その神の言葉を人は守らず、間違って解釈、曲解し、神の意思に沿った生活をしていない。そこで、アラーは、最後の預言者としてムハンマドをこの世に遣わし、ムハンマドに託された。ゆえにムハンマド以降、預言者は現れない。

 

預言者と使徒

なお、預言者(ナビー)とほぼ同義に使われる用語として、使徒(ラスール)があります。敢えて、両者の違いを指摘すれば、預言者とは神からの知らせ(ナバア)を啓示された者であるのに対して、使徒とは、預言者である条件に加え、さらに天啓を他人に伝えるという使命を負っている者のことを指します。

 

 

  • 来世(アーヒラ)

 

六信の「来世」とは、来世があることを信じることです。来世への信仰とはまた、死後の世界への信仰であり、ムスリムは「最後の審判と来世」を信じることが求められています。神(アラー)はこの天地を創造したのですから、その終末も予定している、人間や全ての生命体に終わりがあるように、現在の世界にも終わりがあると考えられています。

 

イスラムの教えによれば、世界の終焉(キヤーマ)の後には、アッラーによる「最後の審判」があります。これまで地上に生まれ出たすべての人は死後、神が定める終末(世の終わり)が訪れたとき、再び復活させられ、広い空間に集められ、そこで神の裁きを受けなければなりません。

 

また、イスラムでは、すべての人の両肩には、アッラーの意向で、2人の天使がその人の生きていた時の日々の生活での振る舞いや行動をすべて記録していると教えています。

 

裁きの場では、アッラーの御前で、信仰したか否か、神に服従したか否かなど、その記録に基づいて、永遠の「天国(楽園)」へ行く者と「地獄」に行く者とに振り分けられることになっているそうです。もちろん、来世での審判はアッラーにすべて任されているので、アッラーが望まれれば彼は許され、そうでなければ罪が与えられると言われています。「神に従って生きた者」は天国に行き、「永遠の生」となるわけですから、人はこの「永遠の生」を目指して今を生きなければならないと教えられます。

 

イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教の教えを引き継いでいますから、イスラムにも、このように、最後の審判や、天国と地獄の考え方があるのです。なお、急進的と言われるイスラーム教徒が「死を怖れない」というのはこの思想が他の宗教の人間には想像がつかないくらい強固なためだと解されています。

 

 

  • 運命(天命)(カダル・カダー)

 

運命(定命、天命)に対する信仰とは、神の力はすべてに渡っており、すべての人間の運命はアッラーによって決められるということを信じることです。定められた運命(定命)は、イスラム原語のカダルとカダーに対応しています。

 

アッラーは、世界で起こること(物事がどういう形で、いつ起こるかということ)を事前に知っていて、その通りに「予定」される、これをカダルといいます。カダーは、アッラーが前もって定められたことは、時が来るとアッラーのご存知の通りに、それに適した形で起きることをいいます。アッラーの予定(カダル)とアッラーの決定(カダー)という言い方もなされます。

 

ですから、イスラム教徒(ムスリム)は、「宇宙はすべて『神の御心のまま』に神の手によって創造されたので、この世界で起こることは、アラーによってすでに定められ、その通リに現実化する、逆に言えば、人間が自分たちで自分たちのことを勝手に決めることはできない」ということを信ずることが求められています。

 

ただし、全てを定め、創造されるのはアッラーですが、人間はロボットのように、何もかもが神に手に繰られているのではありません。人間にも選択の自由と、それを行う意志能力が与えられています。ですから、人間は死後、最後の審判を受けることからもわかるように、人間はその意思に基づいて生きるので、神に従う人生を送ることが求められるのです。

 

一方、「カダル・カダー」から、逆説的に「インシャラー」という概念があり、悪い意味で世界的に流布しました。インシャラ―とは、正確には「イン・シャー・アッラー」で、「神の思し召しのままに(アラーがお望みであれば)(アラーの御意志であれば)」)」という意味で使われます。この言葉が、例えば、契約や取引が完了する際に使われると、約束が破られたり、契約内容とは異っていたりしても「神の思し召し」などとして咎められないことになってしまいます。

 

イスラムでは、人間のどんな行為も神との契約であるという捉え方があります。定命(カダル・カダー)によって、全能のアッラーが人間の行為を含めてすべてを決めるとみなし、インシャラ―(「神の思し召しのままに」)を唱えることも可能になるのです。契約通りにことが運ばなくても神から罰を受けないとなれば、最後の審判に影響がないと解され、一部のムスリムの間では好んで使われていたのが、他の人々にも広がっていきました。

 

逆に、約束(契約)通りにことが運べば「アル・ハムドゥ・リッラー(アッラーに賞賛あれ)」と共に喜ぶそうです。

 

以上、ムスリムに対する宗教的義務である六信をみてきました。六信の内容こそ、イスラムの教えの核心となります。ただし、これはキリスト教の教義とそれ程、大きな違いがあるわけではなく、強調度が異なるだけであることがわかります。

 

 

<六信五行の「五行」>

 

この「六信」に基づいてイスラム教では、「五行」と呼ばれるムスリムが守るべき、以下の五つの行いが示されています(シーア派は十行)。

 

信仰告白(シャハーダ):

「アッラーの他に神なし、ムハンマドは神の使いである」

礼拝(サラート):1日5回、メッカの方向を向いてお祈りすること。

断食(サウム):イスラム暦9月の1カ月間、日の出から日没まで断食すること。

喜捨(ザカート):収入の一部を貧しい人たちへ寄付すること。

巡礼(ハッジ):一生に一度は、聖地メッカにお参りに行くこと。

 

五行の本質は、イバーダート(崇拝行為)というイスラム用語の中で、説明されます。イバーダートとは、ムスリムがアラーへの敬意と服従を明らかにするために行わなければならない義務と解されています。イバーダートの実践は、善行となり、信者をアッラーへと近づけさせることができると説かれ、五行はイバーダートの中核です。

 

 

  • 信仰告白(シャハーダ)

 

信仰告白とは、「アッラーの他に神なし、ムハンマドは神の使徒である」と礼拝のたびに、声に出して唱えることをいい、「唱えの行」ともいわれるイスラムの根幹です。

 

「アッラーの他に神なし」は、一神教を認めることの宣言であり、「ムハンマドは神の使徒である」は、ムハンマドを神の使いとして認めることで、イスラム教を信じるという誓いになります。礼拝の際、ムスリムは両手を膝の上に置きますが、右手は、人差し指だけを伸ばしています。これは「神は唯一」という印だそうです。

 

この2つの文を毎回の礼拝時に唱えなければなりません。また、イスラム教へ入信するには、この2文を、成人男性信徒2人以上の前で、唱えることが求められます。ただし、これをアラビア語で唱えなければなりません。前述したように、母国語が何であろうと、アラビア語を理解していようとしまいと、イスラム教徒はアラビア語で祈りを捧げます。

 

アッラーの他に神はなし、ムハンマドはその使者(使徒)である

ラー・イラーハ・イッラッラー ムハンマド ラスールッラー

 

 

  • 礼拝(サラート)

 

「礼拝の行」は、一定の礼式に基づいて、世界のどこにいても、聖地メッカの方向に向かって毎日、五回(シーア派は3回)、祈りを捧げる、イスラームで最も重要な崇拝行為(イバーダート)とされています。

 

礼拝は、崇高なる創造主アッラーへと近づくための道と解され、ムハンマドは、礼拝(サラート)を「目の光」(心をいやすもの)と呼びました。サラートによって、アッラーの御前に在り、アッラーと対話するという精神的な喜びを得ると同時に、サラートによって罪が清められると言われています

 

ムハンマドはイスラムの教義を作り上げていくときに礼拝の方向を決めました。はじめはエルサレムに向かって礼拝するという試みもあったようですが、最終的にはメッカのカーバ神殿に向かって礼拝することになりました。世界中のムスリムが礼拝の時間にはメッカに向かって拝むのです。

 

祈りの時間は、①太陽が昇る前、②昼過ぎ、③午後にもう一度、④日の沈んだ後、➄寝る前とされています。「最初が早朝東の空が白んできたころ、二回目が昼時で影が最短になって伸び始める頃からその伸びた影が本人と等しい長さになるまでの間、三回目が午後で二回目の終わりの時から太陽が沈み始めるまで、四回目は太陽が没して夕映えが消えるまでの間、五回目が夜の時間を三等分した最初の夜の間」という正確な指針もあるようです。

 

もちろん、これは原則で、飛行機の中などできない場合や、イスラム教国でない地域に生活している場合など、実行が難しいこともあり、この点は柔軟な対応がなされています。

 

礼拝の場所は清浄な場所ならどこでもいいとされていますが、当然「モスク」とよばれるイスラムの礼拝所が最適とされます。モスクは、本尊やご神体を祀る寺院ではなく、信者が礼拝のために集まる「集会所」です。イスラムは偶像崇拝を禁止しているので、モスクの中は、部屋の壁にメッカの方向を示すくぼみが作ってあるだけ何もありません。ただ、ステンドグラスや絵画など荘厳な装飾が施されているモスクは多くあります。

 

一方、毎週金曜日の昼の礼拝にはモスクに集まり、「イマーム」とよばれる礼拝指導者のもとで集団礼拝することになっています。集団礼拝は、サラートに中で特に勧められています。礼拝が集団で行われることによって、あらゆる立場の人々が一列に並び肩を並べるからで、それによって、相互扶助の感情や友情が生まれると説かれています。また、集団でサラートが行われるモスクや礼拝所は、ムスリムたちの社会的な結束や親交の場となると言われています。

 

この一日5回の礼拝と毎週金曜日の集団礼拝は、礼拝という行為の中では、義務のサラートに分類され、それ以外に、信者が亡くなったときや、宗教的なお祭りのときに行う礼拝(イード)など義務でないサラートもあります。

 

「礼拝」の手順

サラートは、定められた動作や言葉、クルアーンの章句を唱えることから構成され、具体的には、唱念(ズィクル)、アッラーへ賛美、祈り(ドゥアー)、起立、立礼(ルクーウ)、叩頭(こうとう)(サジダ)(頭を地につけておじぎをすること)という6つの行為がなされます。

 

また、礼拝は、「立ち」、「ひざまずき」、「座り」などを組み合わせた所作からなります。

 

まず、メッカを向いて直立。

次に、手のひらを広げて耳の両脇に持ってきて「神は偉大なり」と唱える。

手を下ろして、お辞儀をしながら「神は偉大なり」をもう一度唱念える。

ひざまずいて額を地面につけながら「神は偉大なり」と唱える。

これを二回繰り返す。

 

また立ち上がって、お辞儀。この時も「神は偉大なり」と言う。また、ひざまずいて額をつけて「神は偉大なり」を二回唱える。

 

最後に、ひざまずいたままで軽くうつむいて、神を讃えて預言者とムスリムへの神の祝福を祈る。さらに、首を左右に振って「アッサラーム・アライクム(あなたの上に平安がありますように)」と唱えて終了。

 

もちろん、礼拝にはいる前に手や顔を決まった手順で清めなければなりません。礼拝時の「けがれ」をとる行為を「タハーラ」といい、二つ方法があます。一つは全身の水浴で、もう一つが、頭(顔)と肘から下の両手、膝から下の両足を洗います(水がないときは砂でもよいとされる)。

 

 

  • 断食(サウム)

 

ムスリムには、一年に一ヶ月断食月があります。その断食月を「ラマダン月」といいます。ラマダン月は、イスラム暦の9月(第9の月)で、断食は、その月の「新月」から28ないし30日続きます。ただし、ラマダン月は、毎年9月というわけではありません。イスラム暦は太陰暦なので、一年が354日と短く、実際の太陽の運行とはズレるため、毎年、暦が違ってきます。

 

断食を行うラマダン月は、早朝、ものの見分けがつくようになった頃から日没まで一切の食べ物・飲み物・香料・性行為は禁止されます。ただし、まったく何も食べないのではありません。日が沈んだら、食べてもよいのです。逆に、夜は豪華な食事を楽しむ場合も多く、ラマダン月(断食月)にだけ食べるスイーツもあるそうです。ラマダン月の食料消費量が普段の月の数倍になるとも言われています。

 

要するに、イスラム教徒にとっての断食は、日の出から日没まで、太陽の出ている時間帯に節制するというものです。ただし、これは健康な成年男女の場合で、成長期の子ども、病人とか老人・妊婦・乳幼児を持った婦人などは免除されます。

 

では、なぜ断食(サウム)が行われるのかというと、アラーへの信仰心を深めるためと説明されます。人は物質的な快楽や性欲の虜になると、アッラーの権限を尊重しなくなり、神から離れてしまうことになってしまいます。断食は、我欲を抑制することを通して意志を強固にし、これによって悪い習慣に打ち勝つ力を高める(悪から遠ざける)と捉えられています。

 

断食はまた、食べたり飲んだりすることができない貧しい人たちの状態をよりよく理解し、彼らの苦しみを少しでも体験することで、愛情やいたわり、慈しみの感情を深める契機となるとされています。

 

ですから、ムスリム(イスラム教徒)にとって、断食は、苦行ではなく、ある意味楽しみな年間行事でもあるようです。日中の空腹に耐える中で、みんな仲間だという連帯感が芽生えてくるとも言われ。ラマダン終了後の休日には、家族、親戚一同が集まり結婚式をあげる人も多いと聞きます。

 

 

  • 喜捨(ザカート)

 

喜捨(きしゃ)(サダカと呼ばれることもある)は、富めるものが貧しいものに財産を分け与える行為で、一般的に、裕福な人の富の40分の1(収入の2%から2,5%)がザカートにあてられ、世の中の恵まれない人たち、困っている人たちに寄付されます。

 

喜捨(ザカート)される財産として、クルアーンでは、金、銀、穀物、果物、商業などで得られた利益、鉱物やその他の地下資源などがあげられています。

 

イスラム教は商人の倫理が根底にあり(ムハンマドも商人であった)、合法的な商取引で儲けることはよしとされています。しかし、儲けっぱなしで、財産をため込むことを卑しいこととされ、儲けたなら、それを貧しいものに施すことが求められています。

 

イスラムでは、お金は、本来神に属するものですが、神が人間に託しているものなので、多くの富を得た者はそれを神に返さなければならないとみなされています。その手段として、喜捨(ザカート)があるのです。ですから、ザカート(サダカ)は、「お布施」や「献金」にも相当するとも言えますが、一定の強制力を伴うものです。

 

また、現世での財産は「穢れ」があり、そのままでは「来世での幸せの弊害になるので、その一部をアッラーに捧げ、その穢れをとっておかなければならないと捉えられます。喜捨(ザカート)をすることが、自分の罪(穢れ)を取り除き、この世で善行を積んだこととなり、死後に天国への道が開かれると説かれています。

 

喜捨によって、ムスリムは、財産に対する執着を抑え、他の人たちへの愛情や敬意を増すことができます。社会的には、喜捨(ザガート)によって、より均衡のとれた富の分配を促すことになるので、経済的な格差から生じる敵意を未然に防ぎ、社会の安定を図ることができると解されています。

 

一方、喜捨に対して、「貸す」という行為があります。貸借は、ムスリム(イスラム教徒)が、互いに責任を負い助け合っている形態の一つですが、宗教上、お金を貸すことはアッラーを喜ばせる行為として認められています。実際、クルアーンには、売買や貸借はハラール(勧められていること)であると明示されています。預言者ムハンマドも、お金を貸すことを施し(サダカ)よりもなお徳のある行為であるとしたとも言われています。

 

貸す行為と関係するのですが、イスラム世界ではイスラム銀行と総称される銀行があります。イスラム銀行は日本や欧米の銀行とは違って利子という概念がありません。クルアーンには、利子はハラーム(禁止されていること)であると書かれてあり、利子や高利貸し、他人の財産を横領することは禁じられています。

 

預金を何年しても利子が付かないのに、預金者はなぜ銀行にお金を預けるのかというと、イスラム銀行では、預金の運用益を喜捨的な事業に使うので、間接的に喜捨をすることになるからです。

 

また、都市の公共施設(隊商宿、公衆浴場、公衆便所、賃貸アパート、貸店舗など)は、富裕な商人たちが拠出した信託財産(ワクフ)によって維持されています。イスラム教国の町では、水飲み場とか噴水とかが整備されていますが、これは、政府ではなく、町の富裕な商人たちによるものなのだそうです。イスラムの教えに基づいて、富裕層による、ワクフ(信託財産)やザカート(喜捨)が徹底されていれば、弱者救済や公共事業を民間で行えることがイスラムの世界は教えてくれています。

 

 

  • 巡礼(ハッジ)

 

イスラム教徒の義務である五行としての巡礼(ハッジまたはハッジュ)は、一生に一度、聖地メッカを巡礼するというもので、具体的には、メッカのカ―バ神殿を訪れ、メッカ郊外で行われる儀式に参加して、再びメッカに戻るまでの諸行事をいいます。「宗教実践」とも評されます。

 

巡礼には、大巡礼と小巡礼があり、五行としての巡礼(ハッジ)は、「大巡礼」を指します。大巡礼は「個人」で行うものではなく「集団」で、定められた月、定められた仕方に則って行われます。小巡礼は、個人でメッカに常時参拝しにいくもので、「ウムラ」と呼ばれ、「ハッジ」とは区別されます。ウムラの方はムスリムの義務である「五行」には含まれません。

 

イバーダート(崇拝行為)の最大のものとされるハッジ(大巡礼)は、「五行」の他の四行と異なり、生活に余裕がある教徒にだけ義務づけられています。メッカに巡礼するということは、お金もかかり、以前はさらに交通も不便だったので、簡単にできることではありませんでした。それで、一生に一度は大巡礼に行くことが望ましいとされ、メッカ巡礼を果たすことはイスラム教徒の悲願とされました。ですから、今でも巡礼をした人は、地域の人々から尊敬をされるそうです。

 

大巡礼(ハッジ)にかかる費用は、日本から行けば約60万円とされ、例えばエジプトからであれば3万ポンド以上かかります(エジプト人の平均月収が約2500ポンドとされる)。なお、小巡礼(ウムラ)であれば5000エジプトポンド(約7万3000円)ぐらいで済むそうです。

 

ハッジ(大巡礼)は、毎年イスラム暦ヒジュラ暦)の12月8日から12日にかけて行われます。ただ、イスラム暦は太陰暦に基づいているので、西暦では毎年、実施月日が異なり、2020年(イスラム暦1441年)のハッジは、7月28日から8月2日に行われました。

 

イスラム暦の12月は巡礼月(ズー・アル=ヒッジャ)とも呼ばれ、毎年、世界各国のイスラム教徒およそ250万人(このうち75%が海外からの訪問者)がメッカに巡礼し、アッラーに祈りをささげます。

 

聖地メッカを訪れる巡礼者らは、1400年ほど前の預言者ムハンマドの足跡をたどります。ハッジ(大巡礼)の際に行われる儀式の多くは、預言者アブラハムが行った神事を起源とし、その方法は、預言者ムハンマドが実際に従者たちに示して見せたハッジのやり方を現在も引き継いでいると言われています。では、大巡礼(ハッジ)がどのように実践されるか見てみましょう。

 

イスラム巡礼月12月8日

タワーフとサアイの儀式

 

王侯でも貧者でも同じ縫い目のない白布に身を包んだ巡礼者たちは、メッカ到着後、巡礼路をコーランを唱え移動し、最初の行として、「タワーフ」と「サアイ」を行います。

 

タワーフは、モスク内のカアバ神殿を左回り(反時計回り)に7周し、最後に黒石に接吻する行で、サアイは、現在は聖モスクの建物内にあるサファーとマルワという二つの丘の間を7回往復する行為です。

 

サアイの行で7回往復する理由は、アブラハムの妻、ハ―ジャルと幼子のイスマイルが、砂漠で飢えと渇きに苦しんでいた際、ハ―ジャルが水を探しに、サファーとマルワの丘の上を7度走って往復したハージャルの行為を偲んだものだと言われています。最終的には、イスマイルの足元から水が湧き出して命をつなぐことができたと伝えられ、その泉(ムザムの泉)は、今でも尽きることなく聖水が湧き出しているそうです。

 

その後、巡礼者はメッカからミナー(ミナ)のキャンプに向けて移動します。

 

イスラム巡礼月12月9日

アラファートの丘での祈り

 

巡礼者らは、ミナーから14キロほど離れたメッカ東方のアラファート(アラファ)という丘(山)に向かい、日没までそこにとどまって一心に祈りを捧げます。ここは、かつて預言者ムハンマドが、自分の最後のハッジに同行したムスリムたちに、最後の説教を行い、彼の後に続く人々への神の許しと加護を祈ったという聖地であり、また、天国から追放されたアーダム(アダム)とハワー(イブ)が地上で再会した場所だとも言われています。

 

イスラム巡礼月12月10日

ジャマラートの投石の儀式

 

夜が明けると、巡礼者たちは「石投げ」のためにミナーに戻ります。「ジャマラートの投石」と呼ばれる儀式で、巡礼者は最初に、大きなジャムラー(壁)に向け、7つの小石を投げます。これは、預言者イブラヒーム(アブラハム)が、神命に従って息子のイスマイル(イサク)を犠牲に捧げようとしたとき、悪魔に不信を吹き込まれようとされましたが、石を投げて悪魔を追い払ったという故事にちなんでいるそうです。

 

石投げが終わると、男性は髪の毛を剃り落します。これはハッジの主な行が終了したことを示すとともに、罪をそぎ落とすという象徴的な意味もあると言われています。

 

その後、巡礼者は動物を犠牲に捧げます。以前は、実際に一匹の動物が生贄になっていたようですが、今日では、大巡礼が始まる前に、多くの巡礼者はメッカで「犠牲(生贄)の証」を買い求めるそうです。

 

イスラム巡礼月12月11~13日

ジャマラートの投石とタワーフ&サアイ

 

巡礼者は、ミナーのキャンプにとどまり、毎日石投げを行い、最終日にもう一度メッカに戻り、カアバ神殿を左回りに7周し、サファーとマルワとい二つの丘の間を7回往復する別れのタワーフとサアイを行います。これでハッジ(大巡礼)の行がすべて終了することになります。

 

信者はメッカへの巡礼(ハッジ)によって、誠実にアッラーに向かい、悔悟が受け入れられ、それまでに犯した宗教上の罪が許されるとされます。聖地メッカを目の当たりすることで、人に精神的な喜びを与え、連帯感や兄弟愛といった感情を育む機会ともなると説かれます。

 

また、ハッジ(大巡礼)は、国籍、人種に関係なく、また社会的地位、貧富の差も無関係に、皆で平等に祈りを捧げるので、ムスリムは、民族を越えた信仰を再認識することができるとされています。では、ここで、大巡礼の最終目的地であるメッカと、第二の聖地とされるメディナについて、整理しておきたいと思います。

 

 

  • メッカとカーバ神殿

 

サウジアラビア西部のオアシス都市で、交易の中継地として栄えていたメッカは、イスラム教の預言者、ムハンマドの生誕地であり、アラー(神)の啓示があった聖地です。ここには、ムスリム以外は絶対に入ることはできません。その聖地の象徴的な存在が、世界中のムスリムの礼拝の対象となっているカーバ神殿(聖モスク)です。

 

カーバ神殿は、黒い「キスワ」という布で覆われた立方体の石でできた建物で、地上3階地下1階建で主な入り口だけで数十はある巨大で複雑な構造をしています。なお、カーバ(カアバ)とは立方体を意味するアラビア語です。

 

神(アラー)は、カーバ神殿を「神の家」と呼びました。それゆえに、カーバ神殿は、メッカに巡礼するムスリムたちの最終目的地であり、地上におけるあらゆる礼拝は、必ずこのカアバの方角に向かってなされます(各国のモスクには「キブラ」というカアバの方角を示すしるしがある)。

 

その起源は、一神教の始祖である預言者イブラヒーム(アブラハム)と息子のイスマイル(イサク)が建立した聖所だと言われています。ですから、カーバ神殿というのは、イスラームよりはるか以前から、メッカの町にあった神殿で、多くのアラブ人の信仰を集めていました。

 

イスラム教の登場以前のアラブの宗教は多神教でしたので、アラブ人の各部族はそれぞれ崇拝する神々を持っていました。その御神体(祈りの対象)は、石とか樹とかであり、各地、それを納める聖所があったそうです。メッカのカーバ神殿もその一つで、聖なる黒石が四角で囲まれ、たくさんの偶像が神殿の中や周りに並べられ祀られていました。カーバ神殿は、当初、アラブ人の多神教の神殿だったのです。

 

しかし、こうしたカーバ神殿の周辺の神々の偶像は、ムハンマドが、630年にメッカに無血入城した際、すべて破壊されました。これは、唯一神以外の神像だから破壊されたという理由だけではありません。

 

イスラム教の特徴の一つに偶像崇拝の徹底的な否定というのがあります。イスラムでは、創造主である神は、人間が作った偶像で表せるものではないとされ、また唯一神は偉大なものだから人間が描くことは許されません。しかも、神像を拝むと言うことは神そのもの以外のものを拝むことになりますから、一神教の教義にも反します。

 

なお、偶像崇拝を徹底しているイスラム教では、ムハンマドやほかの重要なイスラム教の指導者も描かれません。描かれたとしても、顔がベールなどで隠されています。偉大な預言者らを描いてしまうと、信者が信仰の対象にしてしまい、偶像崇拝につながると懸念されるからです。イスラム教は、それだけ、偶像崇拝を否定するのです。

 

こういう背景から、カバー神殿は、イスラームの唯一神アラーの象徴としての聖殿となったのですが、ムハンマドがそれまでの神像を全部破壊して、そのあと神殿の中はどうなったかというと、何も中に入っていない空っぽの状態になりました。

 

実は、カーバ神殿は今も、単に神殿の建物があるだけで、中に像などが入っているわけではありません。ただ、正確には、神殿の東側の角の壁の一カ所に「カーバの黒石」と呼ばれる石がはめ込んであるそうです。

 

ムハンマドは、カバー神殿の偶像をことごとく破壊しましたが、唯一この黒石の塗り込められた壁だけを残し、イスラームの聖所としたのです。「隕石」とも言われているこの黒石は、アッラーの指先とされ、ここに巡礼に来た人たちが千年以上もさわり続けていると言われています。

 

 

  • メディナ

 

メディナは、「預言者のモスク」と呼ばれるムハンマドの墓があり、メッカに次ぐイスラムの第2の聖地とされています(メッカ同様、ムスリム以外、入れない)。また、ムハンマドの墓だけでなく、初代と二代カリフ(イスラム指導者)であるアブー・バクルとウマル・イブン・ハッターブの墓も近くにあると言われています。

 

メディナは、メッカの北約500kmのオアシス都市で、イスラム以前は、地名はヤスリブと言い、アラブ人の二部族とユダヤ教徒の数部族が住む町であったそうです。ヤスリブは、後に「預言者の町」の意味で、メディナと云われるようになったとされています。

 

622年、メッカで迫害を受けていたムハンマドは、メッカを脱出し、ヤスリブ(メディナ)に移住し(このことを聖遷/ヒジュラという)、ここに居を構え、最初の布教の拠点としました(現在の預言者のモスクの場所はムハンマドが住居を置いた場所にある)。

 

ムハンマドは、メディナからイスラム共同体(ウンマ)の建設とマッカとの戦いを指揮し、ここで亡くなったとされています。なお、ムハンマド時代やムハンマド死後のしばらくの間は、イスラム世界には国家はなく、ウンマと呼ばれる「ムスリムの共同体」だけで人々は生活していました。イスラム社会は、国家ではなくウンマが中核でした。

 

メディナへの巡礼は、ハッジ(大巡礼)に求められていませんが、巡礼者は、メディナを訪れた後に、大巡礼のためにメッカへ向かう人が多いと言われています。小巡礼(ウムラ)の後に、メディナ(マディーナ)を訪問するムスリムもあるようです。

 

以上、六信五行の「五行」についてみてきましたが、この「五行」に「ジハード」を加えられることもあります。

 

 

  • ジハード(聖戦)

 

ジハードの本来の意味は、「神(アラー)、信仰(イスラム)のために懸命の努力をする」というものですが、実態としては、それが「イスラムの教えの拡大と確立のために努力する」から、「異教徒のイスラムへの侵害に対して戦う」へと発展して、「ジハードとは聖戦」と訳されることになってしまったのでした。ですから、ジハードは「戦争」であるかのように誤解されています。

 

確かに、歴史的に、ヨーロッパでは、イスラムを「クルアーン(コーラン)かしからずんば剣か」と、歴史的な経緯から武力によって布教を押し進める集団とみなされていた時代もありました。

 

しかし、ジハードは「戦争」を意味するものではなく、武力を用いた戦いは、他に手段がない場合にのみ取ることができるとされています。戦いは、具体的に、正当防衛の場合、少数派であるムスリムが弾圧を受けた場合、ムスリムとしての権利が侵害された場合、結ばれた条約が敵によって一方的に破棄された場合にのみ発動されます。テロ行為はイスラムでは厳しく禁じられています。

 

クルアーンにも、「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは、侵略者を愛さない。(2‐190)」と説かれています。

 

また、戦い(ジハード)は布教の手段でもありません。イスラムでは、強制による入信を認めず、望まぬ者はイスラームを認めないのであるからそれでいいということを一般的な原理として示されています。イスラムを信仰することは、本人の自由意思に委ねられています。

 

クルアーンでも「宗教に強制があってはならない」(2-256)と書かれ、人は自由に宗教を選び、その教えを実践することができると教えています。

 

イスラームでは、すべての人に寛容(ムサーマハ)な精神をもって接することが求められています。布教に際しては、異なる信仰を排除せず、異教の人々の信仰や思想、生命、財産を保証しました。預言者ムハンマドは、モスクでキリスト教徒が礼拝を行う(他の宗教の信者が崇拝行為を行う)ことを許したと言われています。

 

イスラム教は、すべての人間は平等であると宣言し、人間を、女性と男性、奴隷と主人、貧者と豊かな人、血筋の良し悪しで区別し差別することを禁じています。

 

イスラム教には、カトリック教会のバチカン(ローマ教皇庁)のような組織はなく、ローマ教皇のような人物は存在しません。それどころか、「聖職者」と呼ばれる指導者もいません。キリスト教の牧師や神父、仏教の僧侶のように、神(仏)と人間をつなぐ一般信者以上の存在は認められておらず、信者はすべて対等なのです。ただ、「○○師」と呼ばれる人たちもいますが、彼らは、聖職者ではなく法学者です。法学者は、次に説明するイスラム法を解釈するだけで、イスラム社会の特別な地位にあるわけではないとされています。

 

 

<イスラム法>

 

イスラムには、六信五行(+ジハード)以外にも、さまざまな日々の生活において、多くのイバーダート(崇拝行為)があります。その行動規範は、コーランに基づいています。コーランには、食事や、定時の土下座礼なども含めた日常の様々な生活習慣に対して、ハラール(勧められていること)とハラーム(禁止されていること)などの細かな規定が設けられています。

 

さらに、ムスリムが生活上でいろいろなトラブルがあった場合にも、コーランの記述に基づいて裁定されます。この結果、イスラム世界ではコーランに基づく法、すなわちイスラム法が成立しています。

 

イスラム法は、アラビア語でシャリーアといい、ムスリムが多数を占める地域・イスラム世界で適用されています。シャリーアの範囲は、刑法、民法から、訴訟法、行政法、国際法(スィヤル)、戦争法まで幅広い項目にまで及びます。

 

 

  • シャリーアの法源

 

イスラム法は何を根拠に運用されるか(これを法源という)といえば、それは、クルアーン(コーラン)、スンナ(ムハンマドの言行)、イジュマー(合意)そしてキヤース(類推)の4つに基づいています。

 

「コーラン(クルーン)」は、その章句によって、またスンナについては、その言行録「ハディース」に基づいて、直接、法源として機能しますが、コーランやハディースにない場合はどうするでしょうか?その時に、法(法源)として適用されるのが、イジュマー(合意)とキヤース(類推)です。

 

イジュマー(合意)とは、コーランやハディースにない特定の事例において、ウラマーと呼ばれるイスラム法学者たちの話し合いによって、意見を一致させることをいいます。

 

また、キヤース(類推)とは、コーランやハディースに言及されていない新しい事柄を判断する場合、ウラマー(イスラム法学者)がコーランとハディースで判断が示されているこれまでの事例を参考に法判断することをいいます。ただし、キヤースは、「クルアーン」に明文がない限り、それが正しいかどうは分からないので、絶対視されません。

 

イスラム教には、ローマ・カトリック教会のように、教理が厳密に統一されているわけではありません。イスラム法の四つの法源(ウスール・ル=フィクフ)も、すべての法規定を集大成した法的文言のかたちをとっておらず、日本の六法全書にあたる「シャリーア法典」のようなものは存在しません。

 

ですから、行動の規範となるイスラム法は、上記の諸法源に基づいて、イスラム法学者(ウラマ―)が判断します。このことをアラビア語でイジュティハード(学者達による解釈のための努力)といいます。特に、イジュマー(合意)とキヤース(類推)の場合は、イジュティハードが求められます。なお、その場合、宗派や法学の学派、個々の聖職者によって解釈に幅がでてくることはあります。

 

 

  • イバーダートとムアーマラート

 

では、イスラム法がイスラム社会で、どのように機能しているか、その具体的な運用についてみていきましょう。

 

イスラム法(シャリーア)は、個々のムスリムの宗教的生活のみならず,現世的、世俗的生活をも具体的に規制し、イスラム法学者(ウラマー)が、人々の日常的な生活の相談から政治的な指導まで行っています。そのイスラム法(シャリーア)を大別すると、すでにみてきた主にイスラム教の信仰に関わるイバーダート(儀礼的規範)と、世俗的生活に関わるムアーマラート(法的規範)に区分されます。

 

イバーダート(儀礼的規範)(広義には崇拝行為)は、「五行」のように神と人間の関係を規定した規範、個々のムスリムの宗教的生活に対する規範であるのに対して、ムアーマラート(法的規範)は、社会における人間同士の関係を規定した規範です。

 

ムアーマラートに基づき、婚姻,離婚,親子関係,相続,契約,訴訟,非ムスリムの権利と義務,犯罪と刑罰,戦争など、イスラム教徒のあらゆる現世的、世俗的生活に関することが、ハラール(合法的なこと)とハラーム(禁止事項、非合法なこと)として具体的に規制されています。

 

 

  • ハラームとハラール

 

改めて定義すると、ハラーム(ハラム)とは、イスラム教の教えに則って禁じられているもの(行為)をいいます。例えば、人を殺害することは、最大の罪であり、全人類を殺害するに等しい行為として、正当な理由なく人を殺す者には来世での罰が警告されています。

 

正当な理由による以外は、アッラーが尊いものとされた生命を奪ってはならない

(第17章第33節)

 

アッラーと預言者ムハンマドへの帰依、イバーダート(崇拝行為)、他の宗教・宗派の人々が崇拝する存在や聖なるものとみなしている存在を侮辱することも、ハラーム(禁止事項)として規定されています。また、結婚外の関係や中絶、貞操の侵害、窃盗や略奪、海賊行為、詐欺、利子なども禁止されています。

 

イスラム法(シャリーア)では、殺人、強姦、同性愛行為、麻薬の使用と流通、武装強盗などの罪を犯した場合は死刑と定められています。これらの古典的なシャリーアの慣習のいくつかには、国際法の観点から、人権に対する重大な違反が含まれていますが、厳格なイスラム教国・地域ではシャリーアに基づいた処罰が行われています。

 

一方、ハラールは、イスラム法で許された項目、行って良い事の規定をいい、特に、食べることが許されている食材や料理を指す場合によく使われます。最近では、イスラム教徒が食べることのできる食材・食品そのものを「ハラール」という言い方がなされています。

 

豚肉

イスラム法で、コーランを根拠に豚肉は禁止されています。豚肉そのものだけでなく、ポークエキスや豚脂など原材料に含まれている食材も利用することができません。

 

アッラーが汝らに禁じた食べ物は、死肉、血、豚の肉、(屠る時に)アッラー以外の名が唱えられた(=異神に捧げられた)ものである…」(2章173節)

 

なぜ豚を食べるのを禁じたのかというと、コーランでは1カ所で豚について「不浄」と書かれています。

 

わたしに啓示されたものには、食べたいのに食べることを禁じられたものはない。只死肉、流れ出る血、豚肉――それは不浄である…」(6章145節)。

 

豚肉以外の肉についてはハラールですが、定められた方法で処理されていなければなりません。祈りを唱え(神の御名によって、神は偉大なり)、頸動脈を切り、体内の血液を流し切る必要があります。

 

酒・賭博・麻薬

飲酒やギャンブルは「悪魔の仕業」として完全に禁止されています。

 

酒や賭矢には益もあるが、その罪は益よりも大である」(2章219節)

 

汝ら信仰する者よ、誠に酒と賭矢、偶像と占い矢は、忌み嫌われる悪魔の業である。これを避けなさい」(5章90節)

 

*賭矢(マイスィル)(かけや)は賭博のことで、当時、ラクダの肉を賭けるギャンブルが盛んに行われていた。

 

ただ、酒やギャンブルそのものを悪とみなすというよりは、酒を飲むと喧嘩になり神を忘れ、礼拝を怠るようになることが懸念されています。

 

悪魔の望むところは、酒と賭矢によって汝らの間に、敵意と憎悪を起こさせ、汝らがアッラーを念じ礼拝を捧げるのを妨げようとすることである…(5章91節)」

 

また、アルコール禁止の背景には、「知能を守るため」という理由もあります。イスラームでは知性的であることが基本原則とされており、たとえ一時的であっても、知性の働きを妨げる飲酒は禁止されています。イスラム国の中には、サウジアラビアのように、国内へのアルコールの持ち込みさえ禁じている国さえあります。

 

加えて、コーランの中に、その禁止を明確に記載していませんが、同じ背景から、麻薬も禁じられています。もちろん、麻薬そのものも悪とみなされていますが、何より、麻薬吸飲によって、意識が混乱され、礼拝が履行できなくなることが問題視されています。

 

このように、毎日の生活で、食事のつど、神の教えで禁じられた食品や成分を避ける行為や、ハラールの食品のみを口にすることは、ムスリムにとっては、神の教えに忠実に従うこと、すなわちコーラン(クルアーン)に従う信仰の実践にあたります。

 

あなたがた使徒たちよ、善い清いものを食べ、善い行いをしなさい(23:51.)」

 

では(食の)ハラールを守らなければ、即罰せられるかというとそうではなく、「故意に違反せず、また法を越えず必要に迫られた場合は罪にはならない」とコーランに書かれています。

 

食のハラール以外に、文字通り、日々の生活で、「勧められていること」としてのハラールは、商取引における正直さや社会生活における相互扶助、友情、学問の追求とそのための忍耐、会社の管理者としての公正さなどがあげられます。

 

では、最後にイスラム社会について特筆すべき点をいくつかみておきましょう。

 

  • 一夫多妻制

 

一夫多妻制は、イスラム以前のアラブ社会から続いていた慣例で、男性は何人でも妻を持つことができました。ムハンマド自身、9人の妻を持っていたと言われています。イスラムでは、コーランに従い、4人に制限しました。しかも、「すべての妻を平等に愛せるならば」と条件を付けています。

 

「…あなたがたがよいと思う2人、3人または4人の女を娶れ。だが公平にしてやれそうにもないならば、只1人だけか、またはあなたがたの右手が所有する者だけにしておきなさい。このことは不公正を避けるため、もっとも公正である。」(第4章3節)

 

現代の世界において、一夫多妻は、男尊女卑の典型のように思われがちですが、当時のイスラム社会の女性を保護するという側面もあったと指摘されています。

 

アラビア半島においても、部族間の戦闘は絶えず、ムハンマドがイスラム教を創始した際も、イスラムを認めない勢力との戦いが繰り広げられました。結果として、ムスリムの男性は多く戦死し、多くの女性が未亡人となりました。当時、女性の仕事は家庭以外にはなかったイスラム社会では、女性が子供を抱えて仕事をすることは不可能でした。そこで、そうした未亡人と結婚することが、既婚男性にも奨励されるようになりました(ムハンマドがもっていた9人の妻もその多くは未亡人であった)。

 

このように、一夫多妻制度は、夫を戦争でなくした寡婦(かふ)、父親を失った孤児を救済する目的で始まったとされ、イスラム社会は、今も一夫多妻制です。

 

 

  • イスラム女性がつけるべール

 

イスラム女性はなぜベールをつけるのかとよく問われます。イスラム教には、人間の意志は弱いものだという発想があると言われています。このイスラムの論理に従えば、女性の顔や髪の毛は男性を誘惑するものであり、近親者以外には目立たないようにしなければならない、身体の線が見える服装を避けて、男性の視線を回避することが望ましいとされるのです。つまり、男の理性は性欲に打ち勝てないかもしれないので、弱い男の理性を崩壊させないために、イスラム女性はベールをつけ、肌を隠すのだそうです。

 

この考え方に従えば、イスラム女性がベールをつける慣習は、女性を保護するためということになります。ですから、イスラム社会では、結婚は親が決めたお見合い結婚が一般的で、恋愛結婚の場合も、ほとんどはいとこ同士だそうです。また、公共の場では男女を一緒にされず、小学校では男子と女子の登校時間も異なっています。

 

 

  • 商人の倫理を重視

ムハンマド自身が商人だったこともあって、イスラムは商業倫理を尊重しています。イスラム世界では、商人が正しい契約によって利益を得ることを積極的に肯定されていることから、商業が発展し、イスラム成立後、中国から地中海にまでまたがる交易ネットワークが形成されました。手形や為替のような商業システムも整備されていたといいます。唐の時代に広州にはムスリム商人がたくさん住んでいたことが記録されています(日本にまでイスラム商人は来ていた)。

 

市場といえば、バザールという用語もありますが、バザールはアラビア語の市場からきています。商業が盛んになると、さまざまな取引が行われるだけでなく、隊商宿、公衆浴場、貸店舗などが整備され、都市が形成されていきます。都市の中心にモスクがあり、商業と宗教は、イスラム社会の発展の原動力となっていきました。

 

<関連投稿>

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イスラム教9:スンニ派(イスラム神学派)自由意志か運命か?

 

 

<参照>

イスラム教とは?

(http://tinyangel.jog.client.jp/Faith/Brahmanism.hml)

イスラムとは

http://www.jinruiaizenkai.jp/OPIFIP/column.html

ハッジ(大巡礼)(薮内美奈子)

www.jas.org.sg › yomimono › shiro › haji › haji

イスラム聖地巡礼:/1 神と向き合う旅 長年の夢、試練乗り越え出発

(毎日新聞 2014年04月07日)

イスラム教とは – 西洋ファンタジー用語ナナメ読み辞典

ムスリムの六信(日本ムスリムファッション協会)

六信の詳しい説明 | islamhp

イスラームの信仰:六信(イルムの森)

イスラム教(ニッポニカ)

12.中東の神の波乱の運命 ~イスラームへの道~(小澤 克彦 岐阜大学・名誉教授)

「伊斯蘭文化」のHP

スンナとは?イスラム教におけるスンナとハディースの違い(ハディースについて)

イスラム教徒が豚を食べない理由とは? (イスラム世界を知る) …

ハディースとは何なのか(Islamjp)

Wikipediaなど

 

(2022年6月25日)