大乗仏教:如来や菩薩とともに

 

前回は、大乗仏教成立までの仏教を説明しましたので、今回は、その教義を中心に大乗仏教についてまとめてみたいと思います。学校の教科書などでは、小乗仏教が個人の悟りを重視するのに対して、大乗仏教は大衆の救済を重視すると単純に説明されますが、さらに深堀りして大乗仏教を考えます。

 

大乗仏教の歴史では、その興起の西暦紀元前後から、ナガールジュナ(龍樹)が生きた150年から250頃までを、初期大乗と呼ばれる場合があります。今回の投稿では初期大乗の時代に限定して解説します。

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カニシカ王と大乗仏教>

 

大乗仏教は、イラン系で中央アジアの遊牧民クシャーン族が建てたクシャーナ朝(1世紀中~3世紀初)が、中央アジアから北インドを制覇している時期に、とりわけ、クシャーナ朝3代、カニシカ王(在位推定144~171年)の時に勢力を伸ばしました。カニシカ王は、大乗仏教に深く帰依し、インド各地に多くの仏塔や寺院を建て、サンスクリット語による仏典結集(ブッダの教えを正しく伝えるための仏典編集作業)を行いました。

 

また、仏像が初めて作られたのもこの時代です。それまでは、仏像の代わりに人々は、釈迦の遺骨や遺品を納めた仏塔(ストゥーパ)を盛んに崇拝していましたが、カニシカ王の時代には、ヘレニズムの影響が北西インドにまで及び、仏像彫刻が盛んに造られるようになったのです。

 

では、カニシカ王が保護し、日本にも北伝仏教として入ってきた大乗仏教では、何が教えられたかというと、上座部仏教のように自己の悟りを求めるだけでなく、すべての生きとし生けるもの(一切衆生)を救う利他行にはげむ「菩薩」になることでした。そのためには、慈悲の心を滋養するとともに、六波羅蜜と呼ばれる6つの徳を実践することが求められました。

 

大乗仏教の教理としては、菩薩信仰や空観(くうかん)、六波羅蜜、唯識説、さらには密教などをあげることができ、こうした教えは大乗仏経典としてまとめられました。

 

 

<大乗仏教の経典>

 

大乗仏教までの経典は、釈迦入滅後、残された弟子たちが暗記している教えを編集し、弟子から弟子にと口述によって伝えられてきたものでしたが、大乗仏教の経典はすべて新たに別の作者によって書き下ろされたものです。当時の仏教説話や仏伝から題材を集め、中には戯曲的な構成で書きつつ哲学的な意義を含ませながら、民衆のために、大乗仏教の教えを様々な角度で表現することで作成されました。

 

前1世紀ごろから3世紀ごろまでの初期大乗の時代、「阿弥陀経」、(初期の)「般若経」、「法華経」、「維摩経」、「華厳経」、「(大)無量寿経」、「涅槃経」、「梵網経(ぼんもうきょう)」、「大日経」など代表的な大乗経典が成立しました。

 

これらは、8万4千ともあるとされる経典の中で、最も早く成立した最初の大乗仏教経典群です。この中でも、「般若経」は大乗仏教の中心とされ、「般若経」が説かれて初めて大乗仏教の根幹をなす教えが完成したとさえ言われています。

 

 

  • 般若経(はんにゃきょう

(正式名称:般若波羅蜜多経(プラジュニャー・パーラミター・スートラ))

 

「般若経」は、何ものにもとらわれな「空」を強調した教えで、その境地に至るための菩醍の行(六波羅蜜)の実践が説かれています。その中でも「般若波羅蜜(般若波羅蜜多)」の体得が重要視されます。

 

般若(はんにゃ)」とは、原語の「パーニャ」という言葉の音訳(漢訳)で、宇宙の法則そのものであり、存在としての真理、「真の智慧」という意味と解されています。

 

波羅蜜多」とは、原語の「パーラミター」の音訳で、日本では「到彼岸」という漢字が当てられています。彼岸(ひがん)とは仏や菩薩の暮らす理想世界のことをいいます(私たちが暮らす世界を此岸(しがん)と呼ぶ)。ですから、到彼岸とは「彼岸に到る」こと、すなわち、パーラミター(波羅蜜多)とは、「苦しみに満ちた此岸から、理想世界である彼岸へ辿りつく」という意味であると仏教では説明しています。なお、「経」とは、原語のスートラの訳で、聖者や聖人の教え、仏教では主に釈尊の教えという意味です。

 

端的に言えば、般若経とは、般若波羅蜜多(般若波羅蜜)を説く教えで、呪術面が強いとされ、経自体を受持し読誦(どくじゅ)することの功徳が説かれるとされています。

 

その「般若経」そのものは、600もの経典から構成される総称(大般若経と呼ぶ場合もある)で、「般若経」の経典グループと位置づけられます。紀元前後ころから1世紀の半ばころまでに成立したとされる「八千頌般若経」という経典を皮切りに、その後、7世紀頃まで、数百年に渡り様々な「般若経」が編纂され、また増広が繰り返されました。日本でもよく知られている「般若心経」もその一つです。

 

 

般若心経 (はんにゃしんぎょう)

 

正式名称は、「般若波羅蜜多心経(プラジュニャー・パーラミター・フリダヤ)」で、教派によっては先頭に、「摩訶(まか)」や「仏説(ぶっせつ)という言葉を付けて、「摩訶般若波羅蜜多心経」、「仏説般若波羅蜜多心経」と呼ぶこともあります(摩訶とは「偉大なる」、仏説は「仏が説いた」という意)。単純に「心経」と呼ぶこともあるそうです。

「般若心経」の「心」とは「芯」という意味で、般若心経が、般若経の中心的な存在であるということを示しています。実際、般若心経は、長大な般若経を、全部で260文字強に要約した「二十五頌」から成る最短の般若経典で、(大)般若経の真髄を凝縮したものといえます。一般的に、1~2世紀に成立したとみられていますが、その時期は諸説あり、4世紀~7世紀という見方もあります。

 

最古のサンスクリット本(7~8世紀の写本とされる)が法隆寺に伝わっています。残存する漢訳は、鳩摩羅什(402年~413年)、玄奘(649年)によるものが有名です。

 

般若経以外に、初期大乗仏教の時代に完成された経典の概略は以下に通りで、紀元後2~3世紀のかなり早い時期に成立しています。

 

 

  • 法華経

正式名称:妙法蓮華経

 

釈迦の晩年8年間で説かれた教えを物語にして、誰もが平等に成仏できると仏教の神髄を説いた経典で、日本では天台宗・日蓮宗などで唱えられています。物と心とはもともと区別なく一つ(体と心は2つで一つ)であるとする色心不二(しきしんふに)の思想を根底に、宇宙の法について記されていると哲学的に説明されています。

 

 

  • 維摩経(ゆいまきょう)

(別名:不可思議解脱経(ふかしぎげだつきょう))

 

在家信者でありながら、仏弟子たちと対等以上の問答を行う維摩という人物についての物語で、全編戯曲的な構成で展開されている経典です。在家者の立場で、「空」思想を説いています。

 

 

  • 華厳経(けごんきょう)

(正式名:大方広仏華厳経)

 

仏に至るまでの修行の段階を描写した経典で、釈迦の悟りの内容が示されています。奈良の東大寺を本山とする華厳宗のより所で、「太陽の輝きの仏」を意味する「ヴァイローチャナ・ブッタ」(「毘盧舎那仏」と音写)という仏が本尊(信仰の対象)となっています。

 

 

  • 阿弥陀経(あみだきょう)

 

大乗経典の中では最も早く作られたとされ、浄土の思想が最も短く、簡便にまとめられ、浄土宗、浄土真宗の拠り所となっています。極楽浄土を願うものは、阿弥陀の名号を1日ないし7日間念じるならば、極楽に往生できるということを釈迦自らが説くという形式になっています。

 

原題は、「スカーヴァティー・ヴィユーハ」で「極楽の荘厳」という意味ですが、次に説明する「無量寿経」も原題が同じで、無量寿経と区別して、「小スカーヴァティー・ヴィユーハ(小経)」と呼ばれています。

 

 

  • 大)無量寿経(むりょうじゅきょう)

 

阿弥陀仏による救済と浄土について記された経典で、浄土宗、浄土真宗の教えとなっています。法蔵菩薩が世自在王仏のもとで願(がん)を立て、それを成就して阿弥陀仏になり、極楽浄土を建設すること、釈迦が弟子の質問に答える形で書かれています。

 

原題は、「スカーヴァティー・ヴィユーハ」で「極楽の荘厳」という意味で、サンスクリットでは同タイトルの阿弥陀経と区別して、大スカーヴァティー・ヴィユーハ(大無量寿経)(大経)と呼ばれています。

 

このように、多くの大乗経典が作られたことで、現在、仏教徒が行う、お経を上げる、念仏や真言を唱えるという習慣が大乗仏教の確立期に培われていきました。経典の読誦や陀羅尼(真言)と呼ばれるそれぞれの仏・菩薩の言葉を繰り返し唱えることなどに功徳があるとする修養の道が説かれたのです。

 

 

<如来と菩薩>

 

一方、こうした大乗の諸経典は、前述したように、当時の仏教説話や仏伝から題材を集め、中には戯曲的な構成で書かれ、その中にたくさんの「如来」や「仏」、「菩薩」がでてきます。

 

仏(仏陀)は、悟りを開いた人のことをいい、如来は仏の同じ意味とされています。また、菩薩とは、「悟りを求めるもの」というサンスクリット語の「ボーディ・サットヴァ」に由来し、小乗(上座部)仏教では、「悟りを求めて修行している人」のこと、大乗仏教では、「人々を救いつつ、仏(如来)になることを目指して修行する人」をさします。

 

上座(小乗)仏教では、悟りを開いた仏(仏陀)や、悟る前の段階の菩薩は、釈迦一人のことを指しました。

しかし、大乗の教えでは、釈迦以外にも様々な、仏(如来)や、菩薩が誕生し、それらへ帰依信仰する事によって悩みが解消されたり、願いが叶ったり、死後には極楽往生できるとしています。

 

もっとも、大乗仏教ができる以前の紀元前2世紀頃には、釈迦以前にも悟りを開かれた過去の仏陀たちがいた、また未来にも仏陀が現れるに違いないという考えが普及していました。

 

大乗仏教では、釈迦以外にも、宇宙の真実を悟り、真理に目覚めた仏陀(如来)が7人いたとする「過去7仏(かこしちぶつ)」という思想がありました。具体的には、毘婆尸 (びばし) 、尸棄 (しき)、 毘舎浮 (びしゃぶ)、 拘留孫 (くるそん)、 拘那含牟尼 (くなごんむに) 、迦葉 (かしょう) の六仏に加えて、7番目が釈迦牟尼仏(釈迦)をさします。

 

そうすると、現世においても、この無限の宇宙に多数の仏が存在するという信仰が生まれてきました。現在にも生きる仏(仏陀)としては、阿弥陀如来や薬師如来などがいます。阿弥陀如来(阿弥陀仏)は、はるか西のかなたにあるとされる極楽という世界で、教えを説いている、また、薬師如来は、東のかなたにあると言われる浄瑠璃世界で人々を導いていると信じられています。

 

さらに、未来にも、真理に気づき仏となるものが出現するという考えが生まれ、未来仏が信仰の対象となりました。未来仏の代表が弥勒如来弥勒仏)で、今から56億7000万年後にこの世に現れて人々を救うと言われています。

 

また、地蔵菩薩、観音菩薩、文殊菩薩など、如来(仏)の前段階である菩薩も数多く現れました。日本では「お地蔵さん」として親しまれている地蔵菩薩は、釈迦が亡くなってから弥勒仏(弥勒如来)がこの世に現れるまでの間の人々の救済を釈迦に委託された菩薩です。また、観音菩薩は慈悲の菩薩として、文殊菩薩は智慧の菩薩として信仰の対象となっています。

 

このように、今も私たちの身近にある如来(仏)や菩薩たちは、早くもこの初期大乗の時代に登場していたのです。

 

 

菩薩信仰

 

在家信者から生まれた大乗仏教において、信者は、菩薩となって万人の救済をはかろうとする菩薩信仰が確立していきました。

 

菩薩(ぼさつ)とは、前述したように、サンスクリット語のボーディ・サットヴァ(bodhisattva)の音写である菩提薩埵(ぼだいさった)の略で、(大乗)仏教において一般的には、悟り(菩提bodhi)を求める衆生(薩埵sattva)を意味しました。

 

したがって、大乗仏教では、出家者・在家者を問わず、悟りを開いた仏(仏陀)になることをめざして修行する求道者は、みな菩薩とみなされます。しかも、仏道修行に励む者は誰でも、仏(仏陀)になれる(これを成仏という)資質(仏性)を持つとされました。ですから、自他を区別することなく、すべての生きとし生けるものを救おうとする利他行を実践することが、新しい仏教徒の理想像となりました。

 

六波羅蜜>

 

大乗仏教において、大乗の菩薩が真理の知恵を得て、悟りの境地(涅槃(ねはん))に到る修行として、六つの波羅密(はらみつ/パーラミタ―)(悟りのための修行)の実践が提唱されました。六種の修行とは、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧の行のことで、これらを六波羅蜜(ろくはらみつ)と呼ばれます。

 

(1) 布施波羅蜜(ふせはらみつ)

布施波羅蜜は、さまざまな施しをさせて頂く修行のことです。

 

「お布施」というと、信者や檀家の人がお坊さんに対して施す金品のことをいうと一般的には解されますが、布施行には人に財物を与える財施(ざいせ)だけでなく、法施(ほうせ)や無畏施(むいせ)があります。

 

財施

財施(ざいせ)は、文字通り、金銭や物品を他人に施す物質的な布施のことをいいます。仏の教えを守り伝える僧侶や、自分より経済的に苦しんでいる人に布施することが、自分の罪障を消滅することになるといわれています。

 

法施

法施(ほうせ)は、法(真理)を説き、迷い悩む人を救い、悟りの世界へと導くことをいいます。出家者たる僧侶の役目でもあり、在家の信者でも縁ある人に仏の教えを伝えることは大切なことであるとされます。

 

無畏施

無畏施(むいせ)というのは、人の悩みや恐れや不安を取り除き安心を与える布施をいいます。いたわりの言葉をかけることや、優しさのある微笑で人と接したりするなど、財力もなく知恵も無いという人でも行える布施です。以前は、旅人やお遍路さんなどに一夜の宿を提供したり、休憩の場を提供したりすることも無畏施(むいせ)の行の一つでした。

 

 

(2)持戒波羅蜜(じかいはらみつ)

 

持戒波羅蜜は、仏から与えられた戒め(いましめ)や身を慎む決まり事である戒律を堅固に守ることをいいます。代表的な戒めに五戒(ごかい)・十戒(じっかい)があります。

 

五戒:在家信者の守るべき五つの禁戒:殺生、偸盗、邪淫、妄語、飲酒

 

五戒律(ごかいりつ)

不殺生戒(ふせっしょうかい):生き物をみだりに殺してはならない。

不偸盗戒(ふちゅうとうかい):盗みを犯してはならない。

不邪淫戒(ふじゃいんかい):道ならぬ邪淫を犯してはならない。

不妄語戒(ふもうごかい):嘘をついてはならない。

不飲酒戒(ふおんじゅかい):酒を飲んではならない。

 

 

十戒律(じっかいりつ)

この五戒律に次の五つの戒律が加わったもの。

 

不説四衆過罪(ふせつししゅうかざい):他人の過ちや罪を言いふらしてはならない。

不自賛毀他戒(ふじさんきたかい):自分を誉め、他人をくだしてはならない。

不慳貪戒(ふけんどんかい):物おしみしてはならない。

不瞋恚戒(ふしんにかい):怒ってはならない。

不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい):仏の教えや仏法伝道の僧をくだしてはならない。

 

このように、正しい生活をして自分自身の完成に努めなければ、本当に人を救うことはできないと説かれています。

 

 

(3)忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)

 

忍辱とは、迫害困苦や侮辱等を忍受することで、これは「寛容」に通じます。この忍辱の修行を積むことによって、人に対してだけでなく、天地のあらゆる事象に対して、腹を立てたり、恨んだりすることがなくなるとされます。さらに忍辱行(にんにくぎょう)を極めれば、自分に侮辱や損害を与えたり、裏切ったりするような人に対しても、慈悲の心から救ってあげようとする気持ちが起きるようになるとされています。

 

 

(4)精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)

精進波羅蜜は、懈怠(けたい)の心に打ち勝ち、身心を精励して、他の五波羅蜜を修行することをいいます。これは八正道の正精進と同じ事を意味します。

 

 

(5)禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)

禅定とは、「静かな心」、「不動の心」(=禅)で、心が落ち着いて動揺しない状態(=定)をいい、そうなると、物事の本当の姿(真理)や、それに対する正しい対処の方法を見いだすことができるようになると説かれています。

 

(6)智慧波羅蜜(ちえはらみつ)

智慧波羅蜜(別名、般若波羅蜜)は、一切の諸法に通達して、愚痴の心を捨て、迷いを断って、物事の正しいものの見方や、諸法の究極的な実相(本当の姿)を見分ける力(智慧)を滋養することです。

 

大乗仏教では、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の心で常に人間向上の道を志すことを人間の理想としています。

 

 

空観(くうかん)>

 

「空(くう)」の思想は、ブッダ本来のものではありませんが、空は仏教全般に通じる基本的な教理とされています。そもそも、「空」のサンスクリットの原語は シューニャ(sunya)で、欠如という意味であり、インド人が発見した0(ゼロ)という数字で表されます。

 

仏教における空とは、何ものにもとらわれないという意で、「一切法は因縁によって生じたものだから、我体・本体・実体と称すべきものがなく空(むな)しいこと」と説明されています。

 

初期仏教で、最高層の原始仏典とされる阿含経の「スッタニパータ」には、「常に気をつけて、世界を空であると観ぜよ」とあり、仏教の原初から「空」の概念があったことが伺われます。

 

また、「般若経」の中で空が繰り返し主張されていることから、「般若経」が成立した紀元前後から、「空」が仏教の中心思想になったとみられています。ただし、空の思想(空観)は2世紀頃までは未完成でしたが、その後、インドの学者ナガールジュナ(竜樹)(150~250年頃)が、著書「中論」において、縁起という概念で空を説明したことで、論理的・哲学的に整理され、完成されました。

 

 

竜樹の教学

 

竜樹(ナガールジュナ)は、「空」の考えかたを、般若経の「空」の解釈をより深めることによって体系化したと言われています。

 

竜樹は、すべてのものは実体がなく空であるとしました(「一切諸法は空」=「一切皆空」)。仏教では、これを無自性(むじしょう)といいます。般若経では「色即是空」、すなわち、万物(色)は固定的な本体を持たない(空)ものであると表現されます。なぜなら、一切諸法は他の法によって条件づけられているからで、固定的な本体を持たないというのであれば、万物は、空であると結論づけられるのです。

 

しかし、「空」の世界は何もない虚無ではなく、すべてのものは原因や条件(因縁)が和合して生まれ、それ自体で独立した固有の本体をもたないのですが、豊かな万物の姿(色)となってあらわれると解されています。般若経では、これを「空即是色」と表現します。

 

このように、「空」の教えは、龍樹によって理論的に説明され、大乗仏教の中心的な思想となりました。すべてのものに実体はないのであるから、こだわりを捨てて生きることを説く大乗仏教は、広く受け入れられ、伝統的な部派仏教と並んでひろがっていきました。

 

竜樹(ナガールジュナ)は、それまでの部派仏教(小乗仏教)の思想が、万象の原理を固定化・実体化すると矛盾に陥ることを示して批判するなど、大乗仏教を体系づけ、理論化することによって、大乗仏教を部派仏教(上座部仏教)と肩を並べる地位に押し上げることに成功したのです。

 

 

大乗仏教の伸張と伝播>

 

竜樹以後の大乗仏教は、様々な経典をさらに生み出し、偉大な学僧を排出しながら、発展していきました。その過程では、竜樹の教学の影響をなにかしら受けていたとされ、龍樹(ナーガールジュナ)は、八宗の祖(はっしゅうのそ)として、大乗仏教の各宗派の祖師として讃えられ、また、竜樹の「空」の思想自体は中観派として継承されています。

 

もっとも、大乗仏教が竜樹によって理論化されていったことで、在家信徒が興した、大衆的で平易な初期の大乗仏教(初期大乗)が、やがて、上座部仏教(小乗仏教)のように、複雑で難解な教理の「出家仏教」になってしまったという側面も指摘されています。

 

このように新たな大乗仏教は伸張し発展しましたが、インドでは、それまでの上座部系の部派仏教が、各王朝の保護を受け続け、主流であったとされています。実際、その当時、大乗の寺は25カ所あったのに対し、上座部など部派仏教の寺は60カ所あったそうです。ですから、竜樹をはじめ、大乗仏教側からの批判に対して、上座部仏教(小乗仏教)側から特に、反論することもなく、むしろ無関心であったと言われています。

 

また、大乗仏教は、北伝仏教として、北インドから西域を経て後漢時代(25~220)に中国に伝播しました(日本には6世紀に朝鮮半島を経由して伝わった)。それと同時に、大量の経典がシルクロードを通って、クシャーナ朝のカニシカ王のころから、中国にもたらされました。

 

<関連投稿>

仏教1 釈迦の一生と仏教の誕生:梵天に導かれ初転法輪

仏教2 釈迦は何を教えたか?:四諦・八正道から縁起まで

仏教3 原始仏教から部派仏教へ:分裂の始まり

仏教5 唯識と瑜伽行派:アラヤシキとは?

仏教6 密教:インド仏教最後の輝き

 

 

<参照>

龍樹と空(中観) (広済寺HP)

初期大乗(広済寺HP)

仏教のルーツを知る

世界史の窓

Wikipediaなど

 

(2022年7月7日)