記紀(三韓征伐):神功皇后の新羅出兵と神々の降臨

シリーズ「記紀(古事記・日本書記)を読もう」の最終回第9回は、「神功皇后の三韓征伐」の物語です。

 

第14代仲哀天皇の皇后、神功皇后は、妊娠中の身でありながら、海の向こうの異国・新羅への出兵を行ない、朝鮮半島の広い地域を服属下においた三韓征伐を行いました。三韓とは、当時、朝鮮半島にあった新羅(しらぎ)・高句麗(こうくり)・百済(くだら)の3国のことをいいます。

 

これまでの第1回~第8回の記事

記紀①(天地開闢)

記紀②(天の岩戸)

記紀③(出雲神話)

記紀④(国譲り)

記紀⑤(天孫降臨)

記紀⑥(海幸彦・山幸彦)

記紀⑦(神武の東征)

記紀⑧(日本武尊):神剣・天叢雲剣の霊験

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  • 熊襲の反乱と仲哀天皇

大和朝廷に抵抗した南九州の部族、熊襲は、かつて日本武尊(倭建命)(ヤマトタケルノミコト)によって平定されましたが、その次の世代になって再び反乱を起こしました。そこで、日本武尊の第2子で第14代仲哀(ちゅうあい)天皇(在192~200年)と神功(じんぐう)皇后は、大和朝廷にまつろわない熊襲を討伐するため、九州へと行幸し、儺県(ながあがた)(福岡市博多)の香椎宮(かしいぐう)にいました。

 

仲哀天皇は群臣たちを召して、熊襲攻撃について協議していた時、神功皇后に神が懸かって神託がありました。

 

「熊襲は荒れてやせた地である。どうして兵を挙げて討つほどの国であろか。この国よりも、西の方に金銀をはじめ、優れた宝を持つ国がある。そこは乙女の眉のように弧を描いた国で、我が国の津に向き合った所にある。その名を新羅国という。もし我をよく祀るならば、刃に血で汚すことなく、その国はおのずと降服するであろう。また熊襲も服従するであろう。我を祀るには、天皇の御船と、穴門直(アナトノアタイ)の先祖であるホムタチ(践立)の献上した大田水田を供えよ。」

 

しかし、仲哀天皇は、この神託に疑いを持たれました。そして、高い山に登り、遥か大海を望みましたが、そのような国は見えませんでした。天皇は言いました。

 

「あまねく見渡したが、海ばかりで西に国はない。どこの神が私に戯れを申しているのか。偽りをいう神だ。先代の皇祖は、天つ神と国つ神、天神地祇(てんじんちぎ=すべての神々)をお祀りしてきた。まだ残された神がおられたのか?」

 

すると、神はお怒りになり再び皇后に懸かって言いました。

 

「天にある水鏡をのぞくように、われは、天からその国を見下ろしているのに、どうして国がないなぞと、私の言葉をそしるのだ。そなたは最後まで信じなければ、そなたはその国を得ることは出来ないであろう。」

 

「たった今、皇后が身ごもった。この国はそなたが治めるべき国ではない、皇后の腹の御子が治めるべき国である。」

 

しかし、仲哀天皇はなおも信じず、強引に熊襲を攻撃したものの、結果、勝つことができずに戻ってきました。神の怒りを受けた仲哀天皇はしばらくして病に襲われ急逝されました。

 

 

  • 神功皇后、新羅出兵

 

仲哀天皇がご神託に従わなかったために早く崩御された事に心を痛めていた神功皇后は、祟っている神を明らかにして、神の言う「優れた宝のある国」を求めたいと思い、群臣たちに命じて、国中の罪を祓って過ちを悔い改めるため、斎宮(いつきのみや)を小山田邑(おやまだむら)(福岡県古賀市)に造らせました。

 

そして、神功皇后自らがその神主となって、さらに神託を聞こうとされ、中臣烏賊津使主(ナカトミノイカツノオミ)を召して審神者(さにわ)とし、尋ねて言いました。

 

「先の日に仲哀天皇に教えられたのはどちらの神でしょうか。願わくは、その御名を教えて下さい。」

 

『伊勢の国にまします神、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ツキサカキ・イツノミタマ・アマサカル・ムカツヒメノミコト)』

(天照大神の荒御魂とされる)

 

烏賊津使主(イカツノオミ)がまた尋ねました。

「この神以外に他の神はいらっしゃいますか。」

 

『尾田の吾田節(あがたふし)の淡郡(あはのこほり)にいる神がある』
(天照大神の分身、稚日女(ワカヒルメ)とされる)

 

烏賊津使主(イカツノオミ)がさらに尋ねました。

「他におられますか」

 

天事代虚事代玉櫛入彦厳之事代神(アメニコトシロ・ソラニコトシロ・タマクシイリビコ・イツノコトシロノカミ)が有り。』
事代主神とされる)

 

烏賊津使主(イカツノオミ)がなお尋ねました。

「後に出て来られる神が有りますでしょうか。」

 

『名を表筒男(ウワツツノヲ)、中筒男(ナカツツノヲ)、底筒男(ソコツツノヲ)の神)がおる』(住吉三神とされる)。

 

そして、「真にあの国を求めんとするならば、天地の神、山の神、海河の神たちに悉く幣帛を奉り、大海を渡るがよかろう」との神の言葉を得えた神功皇后は、教えの通りに神々を祀り、西方の新羅を討とうと改めて決意されました。

 

さらに、神功皇后は、西暦201年(神功皇后摂政元年)、新羅征伐(三韓征伐)に出発する際、「和魂が皇后の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろう」との神託も受け取られました。

 

この時、神功皇后は、皇子(後の第15代応神天皇)をご懐妊されていましたが、髪をほどき、霊験によって髪は2つに分かれ、その髪を男子のように結い上げました。そうして男装した神功皇后は、神の御心に従い、刀剣・日本刀や矛を奉って軍兵を集め、次のように下知しました。

 

「今、征討軍を派遣しようとしている。私は婦女であり、そのうえ不肖の身であるが、しばらく男性の姿となり、強いて雄大な計略を起こすことにしよう。上は天地地祇の霊力をこうむり、下は群臣の助けによって軍団の士気を奮い起こし、険しき波を渡り、船舶を整えて財宝の土地を求めよう。もし事が成功すれば、群臣よ、ともにそなた達の功績となろう。事が成就しなければ、罪は私一身にある」

 

こうして、神の加護を受けた皇后の軍船は、風の神が起こす浪、水中の魚の助けによって進み、帆船は舵や櫂を労せずたちまち新羅に到着、新羅は皇后が起こした大波にのまれてしまい、新羅王は戦わずして降参しました。さらに、高句麗百済の王も同じく帰順させ、三韓征伐を成し遂げたのでした。

 

戦勝を収めると、軍に従った神、表筒男(ウワツツノヲ)、中筒男(ナカツツノヲ)、底筒男(ソコツツノヲ)の三柱の神々が皇后に教えて言いました。

 

「我が荒魂を穴門の山田の邑(むら)に祀りなさい。」

 

そこで、穴門直(アナトノアタイ)の祖、ホムタチを、荒魂を祭る神主にして、祠を穴門の山田の邑に立てました(現在の下関の住吉神社の起源)。

 

こうして新羅を討った翌年の春、神功皇后は群臣・百寮(ももつかさ=役人)を率いて、穴門の豊浦の宮(下関)に遷(うつ)りました。また、筑紫の地(福岡県)では、後の応神天皇を無事、出産され、その後、仲哀天皇の亡骸を収めると、海路で大和に向かいました。

 

 

  • 忍熊王と香坂王の反乱

 

一方、この間、大和にいた仲哀天皇の皇子の忍熊王(オシクマノミコト)と同母兄の香坂王(カゴサカノミコト)が、神功皇后と皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと明石で待ち伏せていました。二人は、「天皇が崩御された。また皇后が新羅を討って、あわせて皇子が新たに誕生した」と聞いて、「今、皇后には御子がいる。群臣はみな従っている。必ず共に謀って、若き御子を天皇に立てるだろう。吾らは兄なのにどうして弟に従えるか」と、皇位継承をめぐって謀略を張り巡らせていたのでした。

 

御凱旋の帰途、これを知った神功皇后は、迂回して南海から出て、紀伊水門からまっすぐ難波を目指しました。

 

ところが、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまったそうです。そこで、兵庫の港(務古水門)に帰って、神意をうかがう(占う)」と、

 

すると、天照大神は、「(天照大神の)荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良いだろう」という神託を得ました。そこで皇后は、山背根子(ヤマシロノネコ)の娘の葉山媛(ハヤマヒメ)に命じて、神託通りに広田の地に、天照大神の荒魂を祀られたのでした。

 

また、このとき、神功皇后の軍に従っていた稚日女尊(ワカヒルメノミコト)から次のような神託がありました。

「吾は、活田長峽国(いくたながをのくに)(今の神戸)に居ることを欲す」

 

さらに、事代主尊(コトシロヌシノミコト)からも次のような神託がありました。

「吾を御心(みこころ)の長田の国に祀れ」

 

また、住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)からも次のような神託がありました。

「吾が和魂(にぎみたま)を大津のヌナクラの長峡(ながお)に祀りなさい。そこで往来する船を見守ろう。」

 

そこで、これらの託宣に従い、それぞれの神の奉祀が行われました(これが、現在の廣田神社、生田神社、長田神社、住吉大社の創建の由来となっている)。

 

すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王(オシクマノミコト)の軍を打ち破ることができました。神功皇后はその後、大和で御子(のちの応神天皇)を皇太子に立てて後見し、反乱の企てを制圧しながら大和王権が確立されました。

 

 

<参照>

古事記に親しむ2三韓征伐FC2

刀剣ワールド「神功皇后」

謎の人物・神功皇后の「三韓征伐」伝説は、どのようにして生まれたのか?(Best Times)

神功皇后(古事記の神々・現代語で)

廣田神社HP

住吉大社HP

日本神話・神社まとめ

古事記の現代語・口語訳の全文

日本書紀の現代語・口語訳の全文

日本書紀・現代日本語訳(完全訳) | 古代日本まとめ

古事記・現代日本語訳(完全訳) | 古代日本まとめ

古事記 神々と神社(別冊宝島)

Wikipediaなど