天孫降臨

 

天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天界から下界を見下ろすと、色々な混乱や揉め事がたくさんあっていました。そこで、高木神(タカギ神=タカミムスビ)との話し合った天照大神は、「それならば、私の子を地上に降ろそう」と考えて、天忍穗耳尊(アメノオシホミミ)を呼んで言いました。「ようやく葦原の中つ国を治める時がきた。地上に降りて、国を治めなさい。」

 

また、天照大神(アマテラスオオミカミ)は持っていた寶鏡(宝鏡)(タカラカガミ)を天忍穗耳尊(アメノオシホミミノミコト)に授けて言いました。
「我が子よ。この鏡を見るときには、私を見ていると思いなさい。ともに床(みゆか)を同じくし、殿(みあらか)を共(ひとつ)にして、この鏡を神として祀りなさい」(日本書記)
「この鏡を私の魂だと思って、私を拝するように、大切にお祀りしなさい」(古事記)

 

また命じて言いました。「高天原で育てられている斎庭の穂(ユニワノイナホ)を授けよう。それを地上に撒いて育て、食糧としなさい。」

 

そして高皇産靈尊(タカミムスビ)の娘の萬幡姫(ヨロズハタヒメ)を天忍穗耳尊(アメノオシホミミ)に嫁がせて、妃として、地上に降ろすことにしました。

 

ところが、地上に降りようというときに、アメノオシホミミは言いました。

「私が葦原の中つ国に降りるしたくをしている間に子どもが生まれました。名を瓊瓊杵尊(邇邇芸命)(ニニギノミコトといいます。この皇孫(スメミマ=アマテラスの孫)を私のかわりに降ろすのが良いでしょう」。

 

そこで、天照大神は、孫のニニギノミコトを呼びよせ、改めてお命じになられました。

「豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る瑞穂(みずほ)の国(日本のこと)は、我が子孫が王たるべき国である。なんじ皇孫よ、行って、しっかりと治めなさい。恙(つつが)なくお行きなさい。天津日嗣(寶祚)(あまつひつぎ=引き継がれる皇位)は、天地と共に永遠に栄えることでしょう。」

 

また、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に、八坂瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)、八咫鏡(ヤタノカガミ)、草薙劒(クサナギノツルギ)の三種の寶物(タカラ)が与えられました。

 

その際、思兼神(オモイカネ)、手力男神(タヂカラオノカミ)、天石門別神(アメノイワトワケ神)を加えて、天照大神(アマテラスオオミカミ)が言いました。

「この鏡は、ひたすら私の魂として私を拝むように祀りなさい。つぎに思兼神(オモイカネ)は、祭祀を執り行い、政治を行いなさい。」加えて、勾玉・鏡・剣の三種の神器とともに人々が飢えないようにと稲穂を持たせました。

 

こうして、迩迩芸命(瓊瓊杵尊)(ニニギノミコト)は、五伴緒(いつのとものお)と呼ばれた天兒屋命(天児屋命)(アメノコヤネノミコト)、太玉命(布刀玉命)(フトダマノミコト)、天鈿女命(天宇受売命)(アメノウズメノミコト)、石凝姥命(伊斯許理度売命)(イシコリドメノミコト)、玉屋命(玉祖命)(タマノヤノミコト)の五人の神様に、思金神、手力男神、天石門別神、登由気神(トヨウケノカミ)を加えた神々を従えて、天磐座(アメノイワクラ=高天原で座っていた場所)を離れ、地上の葦原の中つ国へ、いざ旅立とうとされました。

 

ところがその時、ニニギノミコトが降りる前に、先に様子を見に行った神が帰って来て、報告しました。「一柱の神が、天の八衢(アマノヤチマタ)(道の辻=十字路)に居ます。背はとても高く、目はホオズキのようにギラギラと赤く輝いています。鼻もたいそう長く、口のはしは明るく光っています。」その神の体から放った光は、上は高天原、下は葦原中つ国を照らしていました。

 

それを聞いた天照大神は、その神の正体を確かめさせようとしますが、居並ぶ神たちは恐れをなして尋ねられませんでした。そこで、天照大神は天鈿女(アメノウズメ)を呼んで、「お前は女神ではあるが、物怖じしない。だから神の正体を確かめてきなさい」と命じました。

 

アメノウズメは言われたとおりにその神のところへ行き、こう尋ねました。

「この道はこれからニニギノミコトがお通りになられます。その前に立ちはだかるとは、そなたはいったい何者か?」

 

すると、その神は「私は“国つ神(くにつかみ)”の猨田彦(サルタヒコ)と申します。天つ神(あまつかみ)が天から降りられると聞きました。わたしが先に行き、道案内をしましょう。」

天鈿女(アメノウズメ)はまた問いました。
「お前は皇孫(スメミマ)をどこに案内するつもりだ。」

猨田彦大神(サルタヒコノオオカミ)は答えました。
「天神(アマツカミ)の子は筑紫の日向の高千穂の槵觸之峯(クジフルノタケ)へ行くべきです。」

「わたしは伊勢の狹長田(サナダ)の五十鈴(イスズ)の川上に行きます。あなたは私を(伊勢まで)送ってください。」

 

こうして、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は、改めて、猿田彦神(さるたひこのかみ)を先導とし、八百万神を従え、幾重にもたなびく分厚い雲を押し分けて、おごそかに地上に降りていきました。その途中、天の浮橋(あめのうきはし)に立ち寄ると、地上の世界を見下ろし、これから降り立つ場所をしっかりと確かめました。そして、筑紫の日向の高千穂の地に、ひと息に降り立ちました。

 

「ここは、韓国(カラクニ=朝鮮半島)に対峙していて、朝日が海からまっすぐにさしこみ、夕日もひときわ輝いている。とてもよい土地だ。」ニニギノミコトはこう言うと、高天原にも届くかと思われるほどの高さのりっぱな宮殿を建てて、ご統治をはじめられました。

 

ニニギノミコトが地上の葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定するために降り立ったことを「天孫降臨」と言います。

 

なお、天鈿女命(アメノウズメノミコト)は猨田彦神(サルタヒコノカミ)が願うままに、伊勢まで送って行きました。皇孫(スメミマ=ニニギノミコトのこと)が、猨田彦の神の名を姓氏(ウジ)とするよう命じられたからです(アメノウズメノミコトは猿田彦神の妻になった)。