諏訪神社(長崎):諏訪大神に、住吉大神も…

 

諏訪信仰の総本山は、長野県の諏訪大社ですが、全国にある諏訪神社はどういう祭り方がなされているのかを、長崎の諏訪神社を例にしてみてみたいと思います。

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諏訪神社(長崎)は、鎮西大社と称えられる長崎の総氏神です。鎮西大社諏訪神社とも言われますが、鎮西大社は通称で、現在の正式名称は諏訪神社です。秋の例祭(10月7日~9日)は、「長崎くんち」として、全国的に知られています。

 

 

  • 諏訪神社の神々

 

諏訪神社(鎮西大社諏訪神社)は、諏訪大神(健御名方命と妃の八坂刀売命)を主祭神とし,相殿に森崎大神(伊邪那岐命,伊邪那美命)と住吉大神(表筒之男命,中筒之男命,底筒之男命)を祀っています。

 

祭神

諏訪大神

建御名方神(タケミナカタノカミ)

八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)

 

相殿

森崎大神

伊邪那岐神(イザナギノカミ)

伊邪那美神(イザナミノカミ)

 

住吉大神

表筒之男神(ウワヅツノオノカミ)

中筒之男神(ナカツツノオノカミ)

底筒之男神(ソコツツノオノカミ)

 

相殿(あいどのとは、神社の主祭神に対して,1柱またはそれ以上の神を合祀(ごうし)すること。

 

諏訪神社は、厄除け・縁結び・海上守護の神社として崇敬されていますが、諏訪大神は、水や風といった自然を司る竜神として知られ、水の守り神=海の守り神として信仰を集めてきました。長崎に限らず、歴史のある港町には、諏訪大神が祀られています。

 

住吉大神も同様に、海の神としての信仰があり、そして、住吉大神は伊邪那岐命(イザナギノミコト)の禊祓(みそぎはらえ) の際に海中より出現されたとされています。森崎大神とは、伊邪那岐命と伊邪那美(イザナミ)命の2柱を総称しています。

 

 

  • 諏訪神社の由来

 

諏訪神社の創建年代は不詳ですが、中世に信濃国の諏訪神を勧請(神仏の分霊を他の地に移して祭ること)したものとみられていますが、記録として残されている由緒としては、弘治年間(1555年~1557年)より、長崎市内に祀られていた諏訪神社森崎神社住吉神社の三社があげられます。

 

1555(弘治元)年、日本初のキリシタン大名で、長崎港を開港した大村純忠の重臣、長崎甚左衛門純景(ながさきじんざえもんすみかげ)の弟、長崎織部亮為英(ながさきおりべ のすけためひで)が、京都の諏訪神社の分霊(御神体)を、現在の風頭山(かざかしらやま)の麓に迎えて祠ったのが始まりとされています。または、東松浦郡浜玉町の諏訪神社を勧請したとする説もあります。

 

長崎は1571年、海外との貿易港として開港します。これにより、ポルトガルやスペインなどのカトリックの大国から多くの宣教師が訪れ、その布教活動により、キリスト教徒が増えていきました。そして、日本初のキリシタン大名となった大村純忠は領地を寄進し、長崎はイエズス会領となったのです。

 

純忠は、当初、貿易が目的でしたが、次第に信仰にものめり込み、家臣、領民にもキリスト教を強制しました。信者の中には過激な行動に出るものもあり、長崎に古くから存在した社寺は、諏訪神社・森崎神社・住吉神社を含めて、ことごとく放火・破壊されたと言われています。

 

この事態に、豊臣秀吉は、純忠の死後、1587(天正15)年に、バテレン追放令を発して、宣教師による布教活動や人身売買などを禁じ、長崎の教会領も没収しました。江戸幕府も、1612(慶長17)年とその翌年、「慶長の禁教令」を発し、宣教師の追放にとどまらず、徹底的なキリスト教の信仰自体の禁止と教会の破壊が命じました。

 

こうした背景下、長崎においては、奉行の長谷川権六と代官の末次平蔵が、諏訪神社の勧請と建設を行います。松浦一族で佐賀(唐津)の修験者(山伏)・青木賢清(あおきかたきよ)が招かれ、かつて長崎市内にまつられていた諏訪・森崎・住吉の三社の再興に着手しました。

 

こうして、1625(寛永2)年、現在の諏訪神社が、西山郷円山(現在の松森神社の地)に創建され、長崎の産土神となりました(青木賢清は諏訪神社の初代宮司になる)。それから、9年後の1634年には、諏訪神社の例大祭である「長崎くんち」も復活したのでした。

 

 

  • 現在の諏訪神社

 

加えて、1641(正保)4年、幕府より現在地に社地を寄進され、1648(慶安元)年には、徳川幕府より朱印地(幕府より安堵された土地)を得ると、諏訪神社は、現在地(長崎市上西山町)に社殿が造営され、1651(慶安4)年に遷座しました。

 

1857(安政4)年に、不慮の火災に遭い焼失しましたが、孝明天皇の勅諚(ちょくじょう)(勅命)により、1869(明治2)年に社殿が再建されました。現在の社殿は、昭和59年の御鎮座360年祭、平成6年の370年祭を記念した造営されたものです。

 

ちなみに、諏訪神社は、1921(大正)10年、国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社(べっぴょうじんじゃ)となりました(社格が高いとみなされる)。

 

(2021年4月28日更新)

 

 

<参考記事>

長崎くんち:幕府とキリスト教のつめ痕

長崎:大村純忠とキリスト教

 

 

<参照>

長崎旅ネット

鎮西大社諏訪神社HP

日本三大祭「長崎くんち」開幕!くんちに秘められた長崎ならではの歴史とは

(Aera dot.)

大村純忠~日本最初のキリシタン大名~

大村市HP:キリシタン大名大村純忠

Wikipediaなど