社会権は、国家に対する一定の作為を請求し得る権利(「国家による自由」と形容)で、自由な経済活動(資本主義経済の進展)にともなう貧富の差の拡大を受けて、社会的弱者が、国に対して何らかの行動を求めたものです。
こうした社会権は、ドイツのワイマール憲法で初めて定められた比較的新しい人権で、「20世紀的権利」と呼ばれます。日本国憲法では、生存権(25条)以下、教育を受ける権利(26条)、勤労の権利(27条)、労働三権(28条)という形で社会権を保障しています。なお、明治憲法には、社会権は規定されていませんでした。
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<生存権>
国民は誰でも、人間的な生活を送ることができる権利をいい、生存権が保障されて初めて、他の社会権も意味を持つことから、生存権は社会権のなかでも「中核的な存在」と位置づけられています。
第25条
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
25条1項は、国民には「健康で文化的な最低限度」の生活を営む権利があることを宣言し、資本主義経済の下、社会的・経済的に弱い立場にあっても、劣悪な生活環境に陥らないようにすることを謳っています。
ただし、過去の最高裁の判例によれば、生存権は*プログラム規定説であり、具体的な救済を保障したものではないとされたました。したがって、生存権は、法律によって具体化されて(具体的な立法がなされて)、はじめて国民はこの権利を享受することができるのです。
また、2項は、国民に「最低限度の生活」を保障するという国の目標(政治上の義務)を実現させるための規定で、国に対して、社会保障の増進を求めています。
実際、日本では、生活保護法をはじめ国民健康保険法、国民年金法、社会福祉法といった法律にもとづいて、社会保険、公的扶助、社会福祉、公衆衛生からなる社会保障制度が確立しています。
(詳細)
プログラム規定説
プログラム規定説とは、憲法の人権規定は国の努力すべき基本的方向をプログラム(計画)の形で示したものに過ぎず、生存「権」といっても法的権利ではないとする考え方です。
第25条の規定も、政治の指針・目標を示す政治的・道義的宣言であり法的権利ではなく、国家に対する政治的義務以上のものは定めたものでありません。また、個々の国民に対して、本条を根拠に裁判所に生存権の侵害を訴えることができるような具体的権利を保障したものではありません。
従って、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は、憲法の下のレベルの法律や条例が作られて具体的権利になり、国または自治体に対して請求できるようになります。
たとえば、25条の具体化立法の一つは生活保護法で、さらに厚生労働省の省令である生活保護の細則で細く規定されています。ですから、生活困窮者は、法律や条例にもとづいて救済を受けることが可能となります。
一方、何が「健康で文化的な最低限度の生活」であるかの判断は、国の裁量に任され、生活保護基準の適否を判断するに当たり、国は、財政状態、国民の一般的生活水準、予算配分の事情など考慮して決定できると解されています。
ゆえに、憲法25条1項では、生存権を国家として「社会保障政策をしっかり取り汲んでいこう」という国家目標にとどめ、同条2項で、社会保障の増進を謳っているのです。
なお、日本でどうして、当時、生存権のプログラム規定説が採用されたかというと、戦後の食糧難の時代に、政府には貧窮者を手厚く保護する余裕がなかったという事情があったと言われています。また、憲法が前提とする社会体制は資本主義経済体制であり、ここでは、個々人が自立して生計を立てる「自助の原則」を前提としているという考え方がありました。
朝日訴訟事件(最大判昭42・5・24)
プログラム規定説が脚光を浴びるようになったのは、*朝日訴訟がきっかけでした。1956年当時、月600円の生活扶助費が憲法25条で規定している「健康で文化的な最低限度の生活」の維持に足りるかどうかが問われた裁判において、最高裁は次のように判示しました。
(憲法25条1項は)すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきことを、国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を付与したものではない。
(だから)国に対して最低限度の生活水準の保障を請求することはできない。生存権は法律によって具体化されなければ主張し得ない。
(また)「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの判断は、厚生大臣の裁量に任され、生活保護基準の適否を判断するに当たり、厚生大臣は、国の財政状態、国民の一般的生活水準、予算配分の事情などを考慮して決定できる。
(だから)厚生大臣の判断は、当不当の問題であり、政府の政治責任が問われることはあっても、直ちに憲法の問題を生じない。
(ただし)その決定が著しく合理性を欠き、明らからに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合は、違法な行為として、司法審査の対象となる(通常は裁判所が審査判断しない)。
☞朝日訴訟
朝日茂さん(原告)は、生活保護法に基づいて月600円の扶助金の交付を受けていたが、実兄から送金を受けることがきるようになった。そこで、社会福祉事務所は扶助を打ち切ったが、朝日氏はそれが生存権の侵害であるとして出訴した(この過程で生活扶助費の水準が問題になった)。ところが、朝日さんは係争中に死亡し訴訟は終了した(上の判示も、判決という形ではなく「念のため」として裁判長が述べたもの)。
プログラム規定説から抽象的権利説へ
しかし、朝日訴訟の一審判決をきっかけとして、憲法学者の間でもプログラム規定説への批判が強まりました。資本主義が生んだ貧富の差を解消するために生存権が定められ、かつ、25条で「権利を有する」と言っているのだから、資本主義などを理由に、生存権は権利ではない(権利性の否定)というのはおかしいと疑問が呈されたのです
しかも、プラグラム規定説の立場では、国民の生活の保障は、国の努力目標であるから、その時の財政状況などに応じて、できる範囲で行えばよいということになってしまいます。
こうした背景もあって、文字通りのプログラム規定説を採用する立場は、今日ではほとんどなく、生存権は権利だとする考え方が一般的です(この立場を「法的権利説」という)。
ただし、それで25条の生存権を根拠に、裁判所に救済を求めることができるかというと、そうではありません。「健康で文化的な最低限度の生活」はその時代時代によって変化して、その内容がはっきりしないので、生存権は、やはり、具体的な法律が制定されてはじめて、国民は国家に対し、権利を請求できると解釈されています(この立場を法的権利説の中の「抽象的権利説」という)。あくまで、生存権を根拠に、裁判所に直接、救済を求めることはできないのです。
逆に、生存権に関して、もし裁判に直接訴えることができるとしたら、それは、裁判所に、立法不作為に関する違憲確認訴訟(具体的な法律を策定することを求める裁判)を提起するにとどまります(この立場を法的権利説の中の「具体的権利説」という)。
堀木訴訟事件
生存権をめぐる最高裁のもう一つの重要な判例に堀木訴訟事件があります。全盲の視力障がい者であった堀木フミ子さんが、障害福祉年金に加えて児童扶養手当を請求したところ、児童扶養手当法に、二重の給付を禁止する規定があり、申請を却下されたことで憲法25条違反が争われました。
これに対して、最高裁は、「『健康で文化的な最低限度の生活』をどのように立法化するかの判断には、高度な専門技術的な判断と、政策的判断が必要であり、立法府の広い裁量に委ねられ……裁判所の審査に適さない」と判示しました(合憲判断)。この時、最高裁は、法的権利を前提に、立法裁量を認めた抽象的権利性説に立ちました。
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<教育を受ける権利>
「教育は国家百年の大計である」と言われるように、個人の尊厳を大前提として人材を育成することは教育界の使命です。しかし、現在の教育現場において、いじめや校内暴力などによるクラス崩壊など大きな問題を抱えています。教育を受ける権利を定めた憲法26条は、こうした諸問題のために何を示しているのでしょうか?
第26条
1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
教育を受ける権利とは、すべての国民(ここでは主に子ども)が、国に対し、誰もが平等に教育を受ける機会を要求する権利のことを言います(1項)。
この権利は、子どもが一人の人間として成長し、人格を完成するために必要な学習をする権利(学習権)があるという前提に立っています。これにより、自分の力では教育を受ける機会を確保しにくい子供が、教育を受けて学習し、そのために必要な学習環境を、親、保護者、教師、教育機関などに求めることができます。
「能力に応じて等しく」とは、憲法14条の平等原則が教育に関して及ぶことの確認だけでなく、子供の心身の発達に応じた教育の保障と理解されています。
身体に障害を持つ子どもが教育を受けるために、一般的な子どもの以上の設備を整えることを国や自治体に対して要求することがその一例で、各人の能力の違いに応じた教育を施すことも可とされています。
しかし、成長途上の子供が、自分で国や自治体に対して教育の機会を要求することは困難なので、憲法は、親に対して、子どもの学習権を満たすために、子どもに教育を受けさせる義務を負わせています(2項前段)。これは、道徳的な義務ではなく、親がその義務に反すれば、学校教育法91条に基づいてその親は処罰されることになるほど徹底されています。
また、国にとっても、子どもが教育を受けることのできる合理的な教育制度(義務教育)の整備義務を負い、その一環として、義務教育の無償化が規定されています(2項後段)。
何が無償なのかについては、判例によれば、教育の対価である授業料の無償であるとされ、教科書代や学用品など、教育に必要な一切の費用を無償としなければならないという意味ではありません。
ただし、教科書代については、学校教育法に基づいて、義務教育における教科書は無償とされています。かつて、公立小学校で給食代を払おうとしない「モンスター・マザー」が問題視されましたが、憲法第27条の解釈から判断しても、給食代は収めるべきです。
このように、社会権としての「教育を受ける権利」が微に入り細に入り保障され、「法律の定めるところにより」とあるように、教育基本法や学校教育法などの法律によって、子どもたちが受ける教育の範囲や内容などが規定されています。
教育内容の決定権
一方、憲法26条(教育を受ける権利)は、教育権の所在や国の教育内容への介入といった様々な憲法上の争点が提起されています。
教育内容の決定は国か親・教師かという教育権の所在について、親と教師が決定する国民教育権説と、国が関与・決定する権能を有するとする国家教育権説がありますが、最高裁判例によれば、どちらも「極端かつ一方的」でありとりえないとされました。
「親にも自分の子どもに対する教育の自由が認められ、教師にも『一定の範囲で』教授の自由が認められる反面、国は、教育内容について、『必要かつ相当と認められる範囲において』決定することができる」と判示されました(旭川学力テスト事件/最大判昭51・5・21)。
国の教育内容への介入
国の教育内容への介入に関して、教科書検定と学習指導要領の制度が問題視されましたが、それぞれ、合憲・適法と判断されました。また、全国一斉の学力テスト(全国学力・学習状況調査)や、「愛国心条項」についても、憲法違反とする判例はありません。
教科書検定と学習指導要領
両者は学問の自由(23条)の「教授の自由」にかかる制約のところでも論点となりましたが、ここでは、教科書検定や学習指導要領が、国の教育内容への過度な介入であり、26条一項を侵害するのではないか?で争われました。
教科書検定制度は、「普通教育において、教育内容が正確かつ中立・公正で、全国的に一定水準であることが要請される(家永教科書訴訟裁判)」とし、教科書検定制度自体は合憲と判断されました。
また、学習指導要領についても、旭川学力テスト事件判決の中で、学習指導要領を「全体としては、全国的な大綱的基準としての性格を持つものだと考えられている」と判示し適法としています。
全国一斉学力テスト(全国学力・学習状況調査)
日本では、1956年に、国主導の全国単位の学力テスト(「全国中学校一斉学力調査」)が開始されましたが、「学校が成績の順位で序列化される、子どもたちを過度の競争へ追いやる、学校や地域間の競争が過熱する」との批判が教職員組合を中心に高まり、1966年に廃止されました。
この間、一斉学力テストを実力で阻止しようとした中学校教諭らが公務執行妨害などで起訴される事件も発生しました(*旭川学力テスト事件)。
☞旭川学力テスト事件(判決)
一審と二審では、国による学力調査は違法である認定され、公務執行妨害罪については無罪とされたが、最高裁は、学力テストを合憲と結論付け、その実施を妨害した被告人に公務執行妨害罪の成立を認めた。
しかし、政府が1980年代以降に本格化させた「ゆとり教育」政策の影響で、学力の低下が鮮明になると、政府は、「学校別・地域別に学力の実態を正確に把握する必要がある」、「公正な競争を通じて教師と学生が刺激を受けなければならない」として、2007年に、全国一斉の学力テスト(全国学力・学習状況調査)が43年ぶりに復活しました。
これに対して、一部の間で、全国一斉学力テストは、教育基本法16条1項に規定した教育に対する「不当な支配」に該当する疑いが強いと一部で批判されましたが、これを認める判例はありません。
愛国心条項
国の教育への介入の問題として、議論になったのが、改正教育基本法の中に新たに盛り込まれた「愛国心」についての規定です。「愛国心条項」と呼ばれるその内容は次のように定めされました。
伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに,他国を尊重し,国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと
教育基本法に「愛国心」を盛り込まれた背景には、家庭の崩壊や犯罪の増加によって日本の社会が荒んでいる原因に、行き過ぎた個人主義があるとの現状認識がありました。そこで、日本人が古来大切にしてきた礼節や親孝行という「和を重んじる伝統と文化の尊重」をもう一度見直すことで、「秩序ある道義国家」の建設をめざそうとしたわけです。
これに対して、「愛国心」を教育基本法に盛り込むと、過去の歴史からみて戦前・戦中の国粋主義・全体主義につながるおそれがある、戦後の憲法は、国家主義の基礎となった戦前の礼節や親孝行を重視した儒教的価値観ではなく、「個人の尊厳」を何よりも重要な価値としているといった理由から反対する意見が強く出されました。
また、何より、信条の問題である愛国心を新たに法律に盛り込むこと自体も問題視されました。しかし、改正教育基本法の「愛国心条項」が違憲であるという主張を認める判例は現在のところありません。
(時事)
憲法はいじめ問題を解決できるか?
小中学校でのいじめによる自殺者が絶えないという現状は、教育がうまく機能していないことを表しています。そのことは同時に、憲法が生かされていない、つまり、子どもたちの教育を受ける権利が十分に充たされず、親たちは子どもに教育を受けさせる義務を十分に果たしていないことを意味しています。
1947年の日本国憲法制定当時、いじめは社会問題ではなかったとはいえ、いじめ問題に対して、憲法26条は、直接何らかの解決策を提起できているとはいえません。
ただし、憲法解釈上、最低限言えることは、親は、子どもを学校に行かせる義務を負っていますが、子どもたちには、学校に行く義務はないので、いじめられた子どもは無理をして学校に行く必要はないということです。逆に、たとえ悪質ないじめをする子であっても、子どもには教育を受ける権利があるので、そうした子どもたちから教育を受ける権利を奪うこともできません。
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<勤労の権利>
次の社会権規定は、勤労の権利で、労働基本権と呼ばれる労働者の権利の一つです。日本国憲法では、27条で、勤労の権利と同時に、勤労の義務を定めています。
第27条
1 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。
勤労の権利(1項)
第1項に規定された勤労の権利は、労働権とも言われ、人間らしい生活ができるように、勤労者が国に対して労働の機会を要求する権利で、具体的には、国に対して、失業対策など諸政策の立案・実施を要求する権利です。
ただし、勤労権は「抽象的権利」で、この1項前段を根拠として、国に就労の機会を与えるように裁判で請求することができるわけではありません。また、働くことを公権力に妨害されない勤労(労働)の自由という自由権的な側面もあると解されています。
27条1項を受けて、国は、職業紹介制度(ハローワーク)、職業教育施設、雇用保険、ワークシェアリングなど充実した制度を提供しています。それでも、職を得られない、または職を得ても生活を維持できない場合には、最終的にその最低限の生活を維持するための生存権(25条)の問題となります。
勤労の義務
たしかに、憲法25条で、国が最低限の生活を維持するための生存権を保障してくれていますが、国民一人ひとりの生存は、各自が勤労することによって確保されるべきであるとされています。そこで、27条1項では、国民に勤労の権利を保障すると同時に、「勤労の義務も負う」ことを規定しています。
ですから、勤労の義務とは、「働かざるもの食うべからず」として、国家が国民に対して法的に勤労を強要する趣旨ではなく、「働く能力がある人は、自分が勤労することで生活を維持するべきである」という道徳的要請です。資本主義制度や私有財産制の下では、国民に勤労を強制することはできません。
逆に、27条1項の観点で言えば、勤労の能力も勤労の機会もあるにもかかわらず勤労しようとしない者に対しては、国はその生活を保障する責任は負わないと考えられています。
労働者の保護(2項)
世界的にそうであったように、労働者の権利の概念が浸透していなかった戦前の日本では、経済的弱者である労働者が、低賃金や過重労働など不利な条件で雇用契約を結ばされていたという事実が一部にはありました。
そこで、日本国憲法第27条2項では、国に、賃金、就業時間、休息などの勤労条件の法定義務(法律を作る義務)を課し、労働者の保護を図っています。現在、具体的な労働条件についての最低基準は、労働基準法で規定されており、同法以外にも、最低賃金法、雇用対策法、職業安定法、男女雇用機会均等法などが2項の趣旨を具体化しています。
労働基準法
労働基準法(47年制定)は、適正な労働条件を確保することによって、労働者に人間に値する暮らしを保障することを目的とした法律で、賃金の支払い、労働時間・休日の規定、年少者や女性の労働、災害補償の提供、労働契約・就業規則の作成など労働条件についての最低基準を、たとえば以下のように定めています。
・賃金は現金で直接労働者に全額を毎月一回以上一定期日に支払うこと
・労働時間は一日8時間、週40時間の法定労働時間を超えてはならない
・満15歳未満の児童の雇用の禁止(年少者の保護規定)
・女性労働者の保護、国籍・信条などによる差別禁止。
③については、憲法27条3項で「児童の酷使の禁止」が定められています(酷使とは休息も与えず働かせること)。
なお、労働条件のうち、最低賃金の水準については、労働基準法ではなく最低賃金法により賃金の最低基準額が設定されています。
労働協約⇒就業規則⇒労働契約
労働条件の決定の際には、使用者と労働組合間で労働条件について取り決める労働協約に基づいて、使用者が就業規則(労働時間や賃金、その他労働条件について定めたもの)を作成し、労働者側に提示をして、使用者と労働者が労働契約を結びます。
☞労働協約
労働組合法に則って、労働組合と使用者またはその団体と結ばれた労働条件などに関する取り決めで、就業規則や労働契約よりも効力がある。
その際、労働協約の内容は労働基準法の最低条件を満たさなければなりません。労働基準法に定める基準に達しない労働条件を定める労働協約は、その部分については無効となります(無効となった部分は、同法で定める基準が労働協約の内容になる)。
また、労働協約に反する部分の就業規則は無効になり、就業規則に達しない条件を定める部分の労働契約も無効になります。
たとえば、労働基準法の規定に、労働時間は一日8時間というのがありますが、労働協約で一日10時間と定められていたら、労基法違反で労働協約は一日8時間に修正させられます。逆に、就業規則で、労働一日5時間と規定されてあれば、労働協約で8時間と定めてあっても、5時間勤務すればよく契約違反とはなりません。
労働基準監督署
こうした立法の最低基準の履行を事業所が守っているのかを監督するために、厚生労働省内に労働基準局と、各都道府県に出先機関として労働基準監督署が設けられています。個別的な労使関係の規定を事業所が守らなかった場合、労働者は、労働基準監督署に申し立てることができます。
労働基準監督署は、文字通り、企業が適切に法律を守って運営されているか、企業を監督、取締まる機関で、違反が発覚すると、調査をしてその企業に、是正勧告を出したり、法的責任を追及したりします。
ただし、民事的な損害賠償請求を行うことはできないので、場合によっては裁判になりますが、使用者と労働者個人のトラブルは、長い景気の低迷を反映し、急増しています。
労働審判制度
そこで、迅速な問題解決をめざして、2006年4月から労働審判制度が導入されています。この制度は、解雇や給与、残業代や退職金の未払いなどの紛争を専門として、原則として3回以内の期日で審理の調停を行います。合意しなければ、通常の民事訴訟に移行することも可能です。
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<労働三権>
勤労の権利(27条)が、国に対して労働の機会を要求する権利であるのに対して、労働三権は、すでに職についたものが、労働条件の改善を求める権利で、日本国憲法第28条は、労働者(勤労者)に対し、団結権、団体交渉権、団体行動権(争議権、スト権)の三つの権利(労働三権)を保障しています。
第28条
勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
団結権は、労働者が、勤労条件の設定・維持・改善のために、使用者と対等の交渉ができるように、団結して労働組合を結成することができる権利です。
団体交渉権は、労働組合が、雇用者側と労働条件などを交渉することができる権利である。具体的には、勤労者が、労働組合を通して、労働条件について使用者と交渉し、使用者と労働協約を締結する権利のことです。
団体行動権(争議権、スト権)は、話し合いの決裂など団体交渉によっても合意が得られない場合、労働組合が労働条件の実現を図るために行動する権利で、ストライキ(同盟罷業)や、*ボイコット、*サボタージュ(怠業)、ロック=アウト(作業所閉所)を起こすことも権利として保障されています。
☞ボイコット
争議中の企業の製品を購買しないように第三者に呼びかけ排斥する不買運動
☞サボタージュ
怠業と訳され、作業能率を低下させる行為のこと。
憲法上、争議権が保障されているということは、正当な争議行動ならば、法的責任は問われず、刑事責任や民事責任のいずれも免除されます。たとえば、ストライキをしても、業務妨害罪で逮捕されることもなく、労務提供義務の不履行という契約違反にもかかわらず免責されます。
もっとも、労働者の団体行動は法的責任を問われないといっても、その争議行為が正当でなければなりません。その意味では、暴力行為はいうまでもなく、生産管理は正当な争議行為とは認められていません。
☞生産管理
労働者が工場や施設等を占拠し、使用者に代わって経営を行うこと。
労働三権は、国民一般に保障される権利や使用者の権利ではなく、勤労者(=給与生活者)に対してだけ保障される権利で、使用者に対して劣悪な立場に立つ勤労者が使用者と対等な立場に立てるように保障された人権です。
☞勤労者
労働力を提供して対価を得て生活する者と定義され、職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者はすべて28条にいう「勤労者」にあたる。パートタイマで働く主婦、企業の課長などの中間管理者も、公務員も「勤労者」にあたる。しかし、自家営業を営む農業者や漁業者等は、28条にいう「勤労者」に当らない。
労働三権(28条)と勤労の権利(27条)とを合わせて労働基本権といいます(労働三権の別称として使われる場合もある)。
これらの労働者の権利(勤労権と労働三権)に対する具体化立法として労働三法があります。労働三法は、既にみた労働基準法と、労働組合法、労働関係調整法のことをさし、労働三権の内容をすべて具体的に保障した法律が労働組合法です。
労働組合法
労働組合法(45年制定)は、労働者の地位向上と労働条件の改善を図るために、労働組合を組織し、団結することなどを目的として定めた法律で、労働三権の権利の中身を詳しく定めています。
労働者(勤労者)と雇用者は対等でなければなりませんが、雇用条件などを決める際に、労働者個々人では雇用者に対して弱い立場にあり、不利な条件を押し付けられる可能性もあります。
そこで、労働組合法では、労働者が組合を組成して団結し、団体交渉を行うことを可能にしました。それゆえ、団結権を確保するために、ユニオン・ショップ(雇用する労働者の組合加入を義務付ける)協定なども認められています。
☞ショップ制
労使間協定で取り決められた労働組合の形態で、ユニオン・ショップ制以外にも、オープン・ショップ制(労働組合への加入が自由な制度)、クローズド・ショップ制(組合員以外の雇用を認めない制度)がある。
また、団体交渉権に関して、労使は、労働組合法に基づいて、団体交渉で合意した労働条件を、労働基準法を元に労働協約を作成します。さらに、前述したように、団体行動権(スト権)の行使の際、労働者の争議行為が正当であれば、罪に問われない刑事免責や、損害賠償の責任を負わない民事免責が認められています。
加えて、労働組合法では、使用者の労働組合への妨害行為である不当労働行為を禁止している。具体的には次のような行為が該当します。
・組合活動を理由にして不利益な取り扱い(解雇や差別)をすること
・組合を加入しないことを雇用条件とする黄犬条約を結ぶこと
・組合の運営に金銭援助をすること
・団体交渉の拒否
不当労働行為を受けた労働者は、労働委員会に救済を申し立てる制度があり、労働委員会は必要に応じて、使用者に対して是正を命令します。労働委員会とは、労働争議の調整を行う行政委員会で、労働組合法に基づいて、不当労働行為に関し調査、審問、命令や、労働争議の*斡旋、*調停及び*仲裁などを行う。国と地方自治体それぞれに設置され、国の場合は、厚生労働省の「外局」で中央労働委員会、地方の場合は、各都道府県の労働委員会がある。
☞斡旋
話し合いの呼びかけ
☞調停
調停案を作成、受け入れるか否かは当事者間の自由
☞仲裁
法的拘束力のある仲裁裁定
労働争議の予防・解決に向けた労使間の調整をはかるための詳細は、*労働関係調整法が規定しています。もちろん裁判所に救済を求めることもできますが、労働委員会への申し立ての方がより簡易・迅速に処理をしてもらえます。なお、労働委員会が行う処分に対して、不服申立てはできません。
☞労働関係調整法
労働争議の予防・解決のため、労使間の調整をはかることを規定した法律で、団体交渉権の具体化立法という側面を持つ(46年制定)。
(詳細)
労働基本権と公務員
労働三権(労働基本権)は民間企業の労働者には完全に保障されていますが、公務員等は一定の制限が課されています。
公務員は国家公務員と地方公務員等の一般職公務員や、警察官・消防官・自衛官など公安系公務員(両者は非現業の公務員)と、公用車の運転手やごみ収集作業員などの現業の公務員に分類されますが、すべての公務員には団体行動権は保障されていません。また一般職公務員や現業の公務員には、団結権が認められてますが、公安系公務員の場合は労働三権すべてが否定されています。
そのため、公務員に代わって、行政委員会である人事院が人事院勧告(地方では人事委員会の勧告)という形で、公務員の給与などの労働条件の改善を政府に提言します。
☞現業と非現業の公務員
「その仕事に公権力の行使(行政処分・警察権など)が含まれているか」によって現業・非現業が区別され、含まれる場合が非現業で、含まれない場合が現業の公務員となる。
非現業の公務員
一般行政職(役所の窓口、企画、税務、法務など担当)
警察官・消防官・刑務官(一般職のなかの「公安職」)
自衛官(特別職国家公務員)
警護員(SPや皇宮護衛官など)(警察官の一種の「特別司法警察職員」)
国公立病院の医師、看護師(医療職)
国公立美術館・博物館の学芸員(研究・教育職)
現業の公務員
「技能労務職(単純労務)」を指し、用務、調理、清掃、運転、機械操作などの「身体的な労務や技能」が中心の職種に限定される。
公用車の運転手、ごみ収集作業員、学校給食の調理員、用務員、公営バスや水道事業の職員など
(時事)
日本の労働組合
戦後、アメリカが労働組合の育成を民主化の柱に据えたこともあって、日本では戦後直後から多くの労働組合が誕生しました。組合組織率(雇用者に占める組合員の割合)は、1948年に53%と半数を超え、ピークの1949年には55.8%を記録しました。
1950年に、全国組織(ナショナル・センター)として総評(日本労働組合総評議会)が結成され、1955年からは総評が中心となって春闘(春のいっせい賃上げ交渉)が始まりました。また、総評が、安保闘争、三井三池争議を通じて左派色を強めていったことから、1964年には、対抗軸として、右派系労組の同盟(全日本労働総同盟)が結成されました。
総評は当時の社会党の、また同盟は当時の民社党のそれぞれ最大支持母体となって、政治的にも影響力を強めていきました。
しかし、1975年、官公労(官公庁の労働組合)が争議権を求めて全国規模で発生した「スト権スト」を境に国民の労組批判が強まり、労働運動全体が停滞し、1980年頃には、組合組織率が約30%に低下するなど、労働者の労組離れが顕著になりました。
そこで、1989年には、当時の*労働四団体が政治路線の対立を超えたナショナル・センターとして結集し、連合(日本労働組合総連合会)が誕生しました。
☞労働四団体
総評と同盟に加えて、中立労連(中立労働組合連絡会議),新産別(全国産業別労働組合連合)の4団体をさす。当時の労働組合の大半は、この労働四団体のどれかに属していた。
なお、連合の設立に反対する共産党系労組は、全労連(全国労働組合総連合)を、また、連合にも全労連にも加入しない組合(当時の社会党左派系労組)が、全労協(全国労働組合連絡協議会)を結成しました。
しかし、こうした組織の再編にもかかわらず、労働組合組織率は2025年に16.0%まで落ち込み、調査開始以来の過去最低水準を4年連続で更新するなど、労働組合は、現在も長期的な低落を脱したとは言い難い状況です。
(投稿日:2026.9.21)



