天皇、皇后両陛下は、2024年6月、国賓として英国を(公式)訪問されました(22日〜29日)。天皇が国賓として訪英するのは1971年の昭和天皇、98年の明仁上皇に続き26年ぶり3度目となりました。日本とイギリスの交流は400年以上の歴史があり、昭和、平成、令和と3代の天皇は若き日、イギリス訪問や留学の経験もされています。今回は、日本の皇室とイギリスの王室の交流の歴史について簡単にまとめました。
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<皇室と英王室の交流の歴史>
日本とイギリスの交流は400年以上の歴史があります。その関係は、1600年、イギリス人ウィリアム・アダムス、のちの三浦按針が船で漂着し、徳川家康が江戸に招いて外交・貿易の顧問としたことに始まります。1613年には国王ジェームス1世の親書が届き、日英の貿易が始まりましたが、日本は長い鎖国の時代へと入り、関係は中断してしました。その後、江戸時代末期の1858年、「日英修好通商条約」が結ばれ、近代国家となった日本と大英帝国のイギリスとの外交関係がスタートしました。
- 明治・大正の時代
皇室と英王室の交流の始まりは、明治維新の翌年の1869年、ビクトリア女王の次男、アルフレッド王子が来日したことで、この出来事が、近代日本が外国の王室メンバーを迎えた最初でした。この時、明治天皇は、王子を「国賓」のように歓待したそうです。
1902(明治35)年、日英同盟が結ばれ、日本は日露戦争に勝利し、「第1次世界大戦」に参戦しました。大戦後の1921(大正10)年、昭和天皇は、19歳のとき軍艦2隻で半年にわたる旅に出て、エリザベス女王の祖父・ジョージ5世国王と交流しました。昭和天皇は国王からイギリスの立憲政治のあり方を学んで、立憲君主はどうあるべきかを考えてきたと語ったと伝えられています。
- 昭和の時代
1937(昭和12)年からの日中戦争で、日英関係は冷え込み、さらに1941(昭和16)年に太平洋戦争が始まると、日英は開戦、日本とイギリスはアジアの各地で戦火を交え、多くの兵士が犠牲となりました。戦時中、旧日本軍に収容された多くの英軍捕虜が強制労働を強いられ(一部の捕虜は死亡)、日英関係の将来に禍根を残す結果となりました。
第2次世界大戦で一時途絶えた両国の関係でしたが、1952(昭和27)年、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は国際社会に復帰すると、皇室と王室は交流を徐々に再開されました。
明仁上皇は、「講和条約」の翌年の1953(昭和28)年、19歳の時に、エリザベス女王の戴冠式出席のためイギリスを訪問されました。留学に代わる半年間の欧米旅行でした。
一方、イギリスからは、1961(昭和36)年、エリザベス女王の従姉妹のアレキサンドラ王女が、戦後、最初に来日されました。当時の日本には「国賓」「公賓」の区分がなく、戦後、イギリスから最初に迎えた賓客を「国賓」として迎えました。
1971(昭和46)年、昭和天皇が、イギリスだけでなく、オランダなどヨーロッパ各国を、18日間公式訪問されました。これが、昭和天皇初の外国訪問であったとともに、天皇による外国訪問は、この時の欧州訪問が、歴史上初めてのことでした。
終戦から26年が経っていましたが、日本と直接に戦火を交え、多くの兵士が捕虜となったイギリスやオランダなどは、まだまだ日本に対する視線は厳しく、オランダでは昭和天皇の乗った車に魔法瓶が投げられ、イギリスでは昭和天皇が記念植樹したスギが切り倒され、劇薬がかけられる事件も起きました。
昭和天皇の訪英をうけて、エリザベス女王も、1975(昭和50)年5月、夫のフィリップ殿下と一緒に来日されました。滞在は京都や伊勢も含めて5泊6日。東京では1.9キロをオープンカーでパレードし、沿道で11万人が、エリザベス女王を熱狂的に迎えました。
ただ、イギリス国王(女王)の来日はこの1度だけで、歴史家の中には、この1回の訪日の後、日本の天皇陛下が5回連続して訪英(日英君主の相互訪問で、日本の天皇陛下が、国賓待遇3回を含む6回訪英)するという現在の状況を、普通の関係では考えにくい不均衡な状態だと指摘する向けもあります。「日本の皇室が英国の王室にすり寄っている印象を与えている」というのです。
さて、徳仁天皇は、23歳だった1983(昭和58)年から2年にわたってイギリスのオックスフォード大に留学されました。留学中、陛下は、女王からお茶に招かれて時間を共にするなど、イギリス王室から家族のように迎えられました。陛下の著書「テムズとともに」(英語版)は、当時の思い出をつづられています。
1986(昭和61)年5月、皇太子時代のチャールズ国王が当時のダイアナ妃と来日されました。この時、浩宮時代の26歳の天皇陛下は、大阪の伊丹空港に2人を出迎え、京都の修学院離宮を案内されました。この時の来日では、大変な“ダイアナ・フィーバー”が起きました。夫妻は東京の青山1丁目から元赤坂の迎賓館までの2・3キロを、沿道で9万2000人が歓迎するなか、オープンカーでパレードしました。
- 平成の時代
1998(平成10)年、平成の天皇だった明仁上皇が、「国賓」として訪問されました。到着した上皇陛下が、バッキンガム宮殿まで馬車でパレードされるなど、驚くほど華やかで、盛大な歓迎でした。しかし、その一方で、沿道では日本軍の捕虜になった人たち(元戦争捕虜)が、馬車に背を向けて並ぶ姿がありました。「歓迎しない」の意思表示でした。戦後50年以上が経っていても、戦争のわだかまり(厳しい対日感情)はまだ残っていたのです。
天皇、皇后だった上皇ご夫妻は、2007年5月、英国政府から生物学者リンネの生誕300年記念行事への招待を受けて訪英されました。この時、スウェーデン,旧ソ連圏のエストニア,ラトビア,リトアニアにも訪問されました。
この欧州歴訪に続き、明仁上皇は、2012(平成24)年5月にも、エリザベス女王の即位60周年を祝うために、イギリスを訪問されました。その時、20か国以上の王族が参加した昼食会で、上皇さまには女王の左隣の席が用意されました。在位年数が上皇さまより長い王族や親戚筋の欧州の王族がいたことも考えると、異例の厚遇だったとされています。
- 令和の時代
天皇皇后両陛下は、2022年9月、エリザベス女王の国葬に参列されました。天皇が外国の王室や元首の葬儀に参列することは皇室の慣例からして異例のことで「エリザベス女王は、70年にわたる在位の間、昭和天皇、上皇さま、天皇陛下と3代にわたり、交流をされてきた」ことがその理由として説明されました。
そして、今回、2024年6月、天皇、皇后両陛下が、国賓として英国を訪問(22日〜29日)されました。天皇陛下にとって、チャールズ国王は、12歳年上で、お二人の交流は40年以上に及びます。皇室、王室とも代替わりを経たうえでの親善訪問は、日英関係の新時代の到来をと捉えられています。なお、チャールズ国王は、皇太子として、平成と令和、2つの即位礼を含み、5回来日しています。
日英君主の相互訪問
1971年:昭和天皇 訪英(国賓)
1975年:エリザベス女王 訪日(国賓)
1998年:上皇陛下 訪英(国賓)
2007年:上皇陛下 訪英(欧州歴訪)
2012年:上皇陛下 訪英(エリザベス女王の即位60周年)
2022年:天皇陛下 訪英(エリザベス女王の葬儀に参列)
2024年:天皇陛下 訪英(国賓)
では次に、日英関係のつながりの深さを、イギリスが日本の歴代の天皇に贈っている「ガーター勲章」の歴史からみてみましょう。
<ガーター勲章からみる日英関係>
天皇陛下が、2024年6月、国賓として英国を訪問された際、イギリスの最高勲章「ガーター勲章」を授与されました。
「ガーター勲章」の受章者を決めるのは英国君主で、君主自身や王族(ロイヤルファミリー)、騎士(ナイト)などのほか、外国君主も対象です。外国籍では原則としてキリスト教徒の君主のみが対象となっていますが、特例として、イギリスと特別な関係にある非キリスト教君主制国家の君主に対しても贈られます。
イギリスは、ガーター勲章を同盟強化など外交の切り札(外交戦略の手段)として使ってきました。
19世紀半ばのビクトリア女王(在位1877~1901年)の時代の大英帝国は、ロシアの南下政策から守るため、オスマン帝国やペルシャ帝国と手を結ぶ必要が生じたことから、19世紀後半に、3人のイスラム教徒の皇帝たちにガーター勲章を与えました。
日本に対しても、1902年の日英同盟の締結をきっかけに、日露戦争直後の1906年、明治天皇が初めて受章しました。エドワード7世(在位1901~1910年)が、日露戦争の勝利を聞いて存在の大きさを重要視したとされています。国王自身、非キリスト教徒への初の授与でした。
王室と皇室の交流は深まり、1912年に大正天皇、1929年に昭和天皇も、ガーター勲章(ガーター特別騎士の称号)を授与されました。しかし、1941年の第二次世界大戦開戦で敵国になると、ジョージ6世の命令で昭和天皇の名前は受章者名簿から削除されました(昭和天皇は受章を一度剥奪)。
しかし、それから30年が経過した1971年、同年秋に国賓として昭和天皇が訪英するにあたり、女王が名簿復帰を表明し、71年の訪英時に回復されました。ガーター勲章の長い歴史(670年)の中で、一度剥奪された名誉が回復した事例は昭和天皇だけだそうです。当時、まだ国民に反日感情が根深く残る中で、友好の姿勢を示したと評されています。
エリザベス2世(在位: 1952~2022)は、儀礼に厳しく、ガーター勲章は、原則、キリスト教圏の君主にしか与えないという長年の伝統や慣習を志向したとされています。このため、ガーター勲章の授与をめぐって、東南アジアや中近東の王侯たちと英国政府との間で軋轢があったと言われています。
そうしたなか、平成になり、エリザベス女王は、1998年に国賓として訪英した当時天皇だった明仁上皇にガーター勲章を賦与されました。明仁上皇は、エリザベス女王が初めて授与した、非キリスト教の君主となられました。。
そうして今回(2024年6月)、天皇陛下がチャールズ国王からガーター勲章を授与されました。この結果、ガーター勲章は明治から5代続けて天皇に授与されたことになり、キリスト教圏の君主を除くと異例の処遇です。
実際、明治天皇が初めて受賞した1906年以降、キリスト教徒以外で、日本の天皇以外、ガーター勲章を与えられた人物は、現在に至るまで存在しません(現在、存命中の叙勲者で非キリスト教徒は明仁上皇と天皇陛下のみ)。
なお、外国人のガーター受勲者(存命者)は、現在、ノルウェー1、スウェーデン1、デンマーク1、オランダ2、スペイン2、そして日本2の6か国、合わせて9人の君主などが受章しています。
デンマーク女王マルグレーテ2世
スウェーデン国王カール16世グスタフ
スペイン前国王フアン・カルロス1世
オランダ女王ベアトリクス
明仁上皇
徳仁天皇
ノルウェー国王ハーラル5世
スペイン国王フェリペ6世
オランダ国王ウィレム=アレクサンダー
<関連投稿>
<参照>
英王室、天皇陛下にガーター勲章を授与 刻まれた日英の歴史
(毎日新聞2024/6/26)
天皇陛下に英国最高勲章「ガーター勲章」、明治から5代続けて天皇に授与
(2024/06/26 読売新聞)
ガーター勲章 陛下も一員、現存最古の騎士団
(2016/6/16、産経ニュース/関東学院大教授・君塚直隆)
両陛下イギリス訪問へ 3代の天皇と英王室の深い交流
(2024年6月15日、日テレ)
天皇皇后両陛下、22日からイギリス訪問 王室と絆深める
(2024年6月16日、日経)
天皇陛下にも授与!イギリス最高位の「ガーター勲章」受章者を総覧
(2024/06/28 25ans)
コトバンク
Wikipediaなど
(2024年7月9日)