イラン

ペルシャ(イラン)の歴史

 

西アジアでは、ガンジス川からユーフラテス川に至る広大な領域を支配下に置いていたアケメネス朝ペルシャ(紀元前6世紀から紀元前4世紀)がマケドニアに滅ぼされた(紀元前330年)。マケドニアの王アレクサンドロスは、ギリシャのポリス社会の政治を理想とし、ペルシア風の専制君主政を廃し、領土内の各地に建設した自らの名を冠した都市において民主政を採用した。

 

ササン朝ペルシアは3世紀から7世紀におこったイラン人の王朝、651年にイスラム勢力に征服されて滅亡した。

 

 

1979年のイスラム革命により共和政に移行したOPEC内2位の産油国であるが、8年にわたる隣国との戦争や欧米諸国の経済制裁で、経済状況は悪化している。国民の大部分がイスラム教徒だが、アーリア系の非アラブ民族である。ペルシャ人。

 

イランでは、原油はパイプラインを通って、ペルシャ湾に運ばれ、一部精製され、大部分が輸出されている。