封印された瀬織津姫:「記紀」から消されたわけ

一般に、古事記と日本書記(記紀)が正史とされていますが、日本の神話には、記紀以外にもたくさんの神さまがいます。今回は、「記紀」の世界から消された瀬織津姫の伝承を紹介します。

―――――

 

  • 瀬織津姫とは?

 

瀬織津姫(せおりつひめ)はどういう神さまなのでしょうか?瀬織津姫は、ご神格として一般的に祓神(はらいがみ)や水神として知られていますが、瀧の神、河の神、海の神でもあります。実際、瀬織津姫を祭る神社は川や滝の近くにあることが多いとされています。

 

瀬織津姫は、大祓詞(おおはらえのことば)という、神道の祭祀に用いられる祝詞の中でも最強と言われる祝詞の中で、祓いの神(災厄抜除の神)として登場します。神道の大祓詞には、祓をつかさどる神様として瀬織津姫以外に、速開都比売(はやあきつひめ)・氣吹戸主(きぶきどぬし)・速佐須良比売(はやさすらひめ)という祓戸大神(はらえどのおおかみ)が登場しますが、瀬織津姫は、いわゆる祓戸四神(はらえどよんしん)の筆頭として登場する女神です。

 

大祓詞(おおはらえのことば)は、神道の神々をお参りする時に唱える祝詞(のりと)ですが、その中で、瀬織津姫を含む「祓戸の大神たち」が以下のように示されています。

 

大祓詞

 

高山の末、短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す 瀬織津比売と云ふ神 大海原に持ち出でなむ

(たかやまのすえ、ひきやまのすえより さくなだりにおちたぎつ はやかわのせにます せおりつひめというかみ おおうなばらにもちいでなん)

 

(現代語訳)
高い山・低い山の頂きから、勢いよく落ちてきた私たちの罪穢(ざいえ)は、渓流の瀬にいらっしゃる瀬織津姫が大海原に流してくださる。

 

 

此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す 速開都比売と云ふ神 持ち加加呑みてむ

(かくもちいでいなば あらしおのしおのやおじのやしおじのしおのやおあいにます はやあきつひめというかみ もちかかのみてん)

 

(現代語訳)
瀬織津姫によって流された罪穢は、荒海のうねりがぶつかり合って渦巻くところにいらっしゃる速開都比売神(はやあきつひめ)が、一気に呑んでくださる。

 

 

此く加加呑みてば 氣吹戸に坐す氣吹戸主と云ふ神 根國 底國に氣吹き放ちてむ

(かくかかのみてば いぶきどにますいぶきどぬしというかみ ねのくにそこのくににいぶきはなちてん)

 

(現代語訳)
速開都比売神に呑み込まれた罪穢は、気吹戸にいらっしゃる気吹戸主神(きぶきどぬしのかみ)が、根の国・底の国に吹き払ってくださる。

 

 

此く氣吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比売と云ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ

(かくいぶきはなちてば ねのくにそこのくににますはやさすらひめというかみ もちさすらいうしないてん)

 

(現代語訳)
氣吹戸主に吹き払われた罪穢は、根の国・底の国にいらっしゃる「速佐須良比売神(はやさすらひめ)」がいずこかに持ち去って消して下さる。

 

 

これは、大祓詞の一部ですが、その大意は、「祓をつかさどる神さまとして瀬織津姫・速開都比売・氣吹戸主・速佐須良比売という祓戸大神(はらえどのおおかみ)が、私たちの様々な罪や穢れを取り払ってくださる」という意味です。その中で、瀬織津姫(せおりつひめ)は、祓戸四神の一柱として、流れの速い渓流にあって、私たちの罪穢れを大海原に流してくれる神さまとして描かれています。

 

 

  • 御名を変えた瀬織津姫

 

このように、瀬織津姫は、大祓詞という祝詞の中で、祓戸四神の一柱のしかも最初に登場する重要な神様であるにもかかわらず、日本で最初の正当な歴史書と位置づけられている記紀(古事記・日本書記)には、一切でてきません。こうした背景から、瀬織津姫は謎の神さま、封印された神さまとみられています。しかし、封印されたとはいえ、古文書、神道書、国学の文献などから、瀬織津姫と同一とされる神さま(別名の神さま)が以下のようにあげられます。

 

天照大神之荒御魂

天照大神の荒魂の側面

 

菊理姫(くくりひめ)

全国の白山神社で祀られている水の神。天照大神の伯母にあたるとの説もある。

 

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)

山の神・海の神である大山祇神の娘の神さま。

 

水波能売命(みつはめのみこと)

「神生み」の終わりに生まれた火を鎮める水神。

 

善女龍王(ぜんにょりゅうおう)

仏教の八大竜王のひとりで、娑竭羅(サーガラ)の娘神。

 

弁財天(べんざいてん)

七福神のひとつで元々はヒンズー教の女神、江の島神社の伝説にもあるように龍との縁が深いとされています。また、六甲比命神社のように、瀬織津姫が祀られていたとする神社のご祭神が弁財天に替わった事例がいくつか見られます。

 

市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

宗像三女の神の三女の神さまで海の神さま、弁財天と同視されています。実際、日本では七福神信仰の隆盛とともに、宗像三女神は弁財天と習合し、金運・財運の神さまとして信仰を集めています。

 

瀬織津姫命(せおりつひめ)は、大祓詞(おおはらえのことば)でそうであったように、谷川の流れの速い場に坐しまして、罪穢を大海原に流してしまわれることから、祓いの神であり、水の神、滝の神、河の神、海の神とされています。さらに、日本では古来、土着の水神は龍神として信仰され、水の神としての瀬織津姫命を龍神と同一視されています。ですから、上にあげたのは一例ですが、これだけ多くの神さまが瀬織津姫と同じ神さまと解されています。ただ、この中で、水の神、龍神とは異なる説が、瀬織津姫=天照大神荒魂説です。

 

 

  • 瀬織津姫は天照大神荒魂?

 

日本の神道の考え方で、お一人の神さまには、やさしい和魂(にぎたま)と荒々しい荒魂(あらたま)2つの魂があると考えられていますが、瀬織津姫は、天照大神の荒々しい魂の方の天照大御神之荒御魂(アマテラスオオミカミノアラミタマ)であるとする説があります。

 

実際、天照大御神の荒魂を祀った神社といえば、伊勢神宮の内宮の別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)、同じ内宮別宮の伊雑宮(いざわのみや)、兵庫県の廣田神社などがあります。このうち、瀬織津姫を祀っている神社として成立の最も古いとされる「廣田神社」の戦前までの由緒書には、「祭神の天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)は瀬織津姫である」と、瀬織津姫が主祭神であることが明確に記されていたそうです(廣田神社の祭神は明治政府によって変更させられた)。

 

また、伊雑宮(いざわのみや)に関連するある伝承文書によれば、「玉柱屋姫神 天照大神分身在郷」「瀬織津姫神 天照大神分身在河」、すなわち祭神の「玉柱屋姫神は里に座す天照大神の分身で、瀬織津姫は河に座す天照大神の分身」と伝えられていると言われています。

 

さらに、神道五部書と呼ばれる、外宮の神職「渡会氏」が興した「伊勢神道」の書物の一つである「倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)」には、「皇太神宮荒魂、一名、瀬織津比咩神(天照大御神の荒魂、そのまたの名を瀬織津姫命といい・・)」とあるそうです。

 

こうした事例から、天照大御神之荒御魂のご神名の撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)は、瀬織津姫の別名であるとの根拠にされているのです。

 

 

  • 瀬織津姫は天照大御神の妃?

 

この瀬織津姫・天照大御神の荒御魂説からさらに発展して、「瀬織津姫は、天照大御神の妃(正室)であった」とする説があります。この見解こそ、瀬織津姫が記紀神話に出てこない神さまである理由にもなっているのです。

 

もし、瀬織津姫が天照大神の妃であったとすると、天照大御神は男神となってしまうので、古事記や日本書紀の大前提が崩れてしまいます。この見解は、古代史において記紀編纂以来のタブーとなっているそうです。なぜなら、この説は神武天皇の正当性すら脅かしうるからです。

 

記紀には、伊邪那岐命(イザナギノミコト)は、黄泉の国から脱出し、日向の国で禊を行った際に、左目を洗ったときに天照大神、右目を洗った時に月読尊(つくよみのみこと)、鼻を洗った時に須左之男命(スサノオノミコト)が生まれたと書かれています。そしてスサノオが「姉の天照大神を訪れ…」という式に神話が展開していることから、天照大神は女神と広く信じられています。

 

では、「瀬織津姫・天照大御神の妃」説は、どこからきているかというと、「ホツマツタエ」という古文書です。「ホツマツタエ」によると、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)には4人の子がおり、長女がワカヒメ、長男がアマテラス、次男がツクヨミ、三男がスサノオと描かれています。また、瀬織津姫は、長男アマテラスの12人の妃の一人でしたが、後に正妻として「内宮」に迎え入れたと書かれています(この時、瀬織津姫は「向津姫」となったとも言われている)。

 

仮に、天照大神は女神ではなく男神だったなら、記紀(古事記・日本書記)の編者にとって何が不都合となったのでしょうか?それは、記紀編纂時の天皇である女帝の持統天皇の正当性が揺らぐとする見方が一般的なようです。実際、持統天皇は、瀬織津姫が祀られていた神社のご祭神を瀬織津姫以外にするようにという勅令を出したと言われています。

 

ただ、「持統天皇の権威をより高めるため…」というわけだけではないようです。奈良時代から進んで、明治維新を迎え、それまで、瀬織津姫をご祭神と祀っていた神社はあったのですが、新政府は、瀬織津姫をご祭神にしないようにと、再度、祭神の名前を変更すべしとの圧力がかかったそうです。その結果、祭神、瀬織津姫(せおりつひめ)の名前が書き替えられました。瀬織津姫が天照大御神之荒御魂に代わった廣田神社の場合がその典型ですね。

 

そうすると、「持統天皇の正当性…」以外に、瀬織姫の名を神話や史実から消し、男神、天照大神も封印したとしたら、その理由は何なのかというと、そこには饒速日(ニギハヤヒ)という神さまの名前が浮上します。

 

 

  • 饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)とは?

 

歴史家の中には、「男神の天照大神が饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)」であると見る向きがあります。そうなれば、瀬織津姫がニギハヤヒという神さまの妻となります。では、ニギハヤヒ(饒速日)とは、どういう神さまなのでしょうか?

 

天孫降臨の神話は、記紀にあるニニギノミコトで有名ですが、ニギハヤヒの天孫降臨の神話も残されています。つまり、ニギハヤヒは日本の建国に大きな影響を与えた神さまということになります。

 

また、神武天皇の「東征」の神話で、神武天皇が長髄彦(ナガスネヒコ)と戦う場面がでてきますが、ニギハヤヒはその長髄彦側の神として描かれています。これ以外にも、ニギハヤヒはスサノオの子または孫だった…などの説もあるなど、瀬織津姫同様、謎に満ちた神さまです。なお、饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)を祀った神社が日本には、以下のようにいくつか存在します。

 

磐船神社(いわふねじんじゃ)(大阪府交野市)

ニギハヤヒが天孫降臨の際、天磐船(あまのいわふね)に乗って舞い降りた地として知られ、巨大な石が祀られている。

 

籠神社(このじんじゃ)(京都府宮津市)

奈良時代に「丹後国一宮」になる由緒正しい神社として知られ、祭神の彦火明命(ひこほあかりのみこと)は、別名をニギハヤヒ(饒速日命)と信じられている。

 

また、文献上、饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)の存在を記した書物が、前出の古文書「ホツマツタエ」です。瀬織津姫が天照大御神の妃であるという説の出所の一つも「ホツマツタエ」でした。古文書「ホツマツタエ」の中では、天照大神は女性神ではなく、男性神で、御名は饒速日(ニギハヤヒ)として描かれています。そして、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉(イザナミ)の間に生まれた長男の天照大神(=ニギハヤヒ)が日本を統治するのですが、ニギハヤヒの后として瀬織津姫が登場するのです。

 

 

  • 消されたニギハヤヒと瀬織津姫

 

こうした背景から、瀬織津姫(せおりつひめ)が祀られていた神社のご祭神が、天照大御神之荒御魂(アマテラスオオミカミノアラミタマ)という名前に代わっているわけや、瀬織津姫が、神道の大祓詞に出てくるが、古事記や日本書紀には登場しない封印された神である理由も明らかになるように思われます。天武・持統朝の時代の権力者にとって、饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)と瀬織津姫は、「邪魔」な存在であったわけです。

 

そもそも、神話とは、事実として起きた様々な民族の征伐と言った話を、神さまを主役に見立てて、神話という形で象徴的に書かれたものであるという解釈も成り立ちます。つまり、日本の神話に登場する神さまのほとんどは(特に国津神)、実際に存在した部族や氏族の首長であるという話しは古来、指摘されています。当時からすれば、大和朝廷(ヤマト政権)の権力が正当化されるように、日本最古の歴史書と銘打って古事記と日本書記が書かれたという考え方も可能となります。

 

この観点に立てば、瀬織津姫は「大和」の国の神(人)ではなく、大和朝廷に反した部族や氏族の首長、または彼らが崇める神さまであったからこそ、記紀から消されたという、さらなる仮説も十分成立するように思われます。

 

消された瀬織津姫の氏族(部族)とは、例えば、ヤマト政権以前に繁栄したいたともいわれる出雲王朝や、それ以前にあった古代王朝だとみる向きもあります。実際、前述したように、スサノオノミコトがニギハヤヒの父親(または祖父)であるという説などは、出雲王朝と瀬織津姫が関わりを示唆するものと解されています。

 

また、天照大神は男の神さまで、別称はニギハヤヒであるとの見解を支える資料となっている「ホツマツタヱ」についても、同様のことが言えるかもしれません。現在、偽書と結論付けられている同書ですが、そうなった理由も、真書とされては困る人たちが、そうしたという見方も不可能ではないと思われます。

 

 

古文書ホツマツタヱ

 

古史古伝の一つで、天地開闢から景行天皇までを五七調の長歌体で綴る叙事詩です。また、今、私たちが使っている文字とは違う神代文字の一種である「ヲシテ文字」で書かれているという特長があります。「ホツマツタヱ」の存在が明るみになったのは、昭和41年に神田の古本屋で写本が再発見されたからです。ただ、「ホツマツタヱ」があったという事実は、江戸時代の中期までしか遡ることができず、その内容も信憑性がないとして、偽書であると結論づけられています。しかし、古事記や日本書紀よりも正当であるとする研究者もいることも事実です。

 

 

瀬織津姫を祀る神社

 

封印されたとも言われる瀬織津姫を祀る神社は全国に、次のように数多く存在します。ただし、瀬織津姫として表記しているとこもあれば、天照大御神之荒御魂(アマテラスオオミカミノアラミタマ)等現在では表記を変更した神社も存在します。

 

伊勢神宮 (三重県伊勢市)

廣田神社(兵庫県西宮市)

六甲比命神社(兵庫県西宮市)

六甲山神社(兵庫県西宮市)

御霊神社(大阪府大阪市中央区淡路町)

小野神社(東京都多摩市一の宮)

瀬織津姫神社(石川県金沢市)

佐久奈度神社(滋賀県大津市)

井関三神社(兵庫県たつの市)

 

<関連投稿>

伊勢神宮:天照主大御神と八咫鏡

アラハバキ信仰:知られざる東北の神!

ミシャグジ信仰:洩矢神と守矢氏とともに

安曇氏の伝承:海の民はどこから来たか?

 

 

<参照>

瀬織津姫命|封印された女神。その正体とは

(いにしえの都」日本の神社・パワースポット巡礼)

瀬織津姫とは|封印された龍神・弁財天とも言われる伝説の神様を解説

(神仏ネット)

Wikiediaなど

 

(2020年2月24日、最終更新日2022年7月19日)