安曇氏の伝承:海の民はどこから来たか?

 

古代日本に、安曇(阿曇)(アズミ)という海上を活動の拠点とする一族がいました。諏訪大社に祭られている諏訪明神(=タケミナカタノカミ)は、海洋民・安曇氏(あずみうじ)とつながりがあるとの見方があります。内陸に位置する諏訪の神と海の民がどう関係しているのでしょうか?

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安曇氏とは?

 

安曇(阿曇)(アズミ)という氏族は、弥生時代(紀元前5(10)世紀~紀元後3世紀)のころ、北九州周辺にいたとされています。彼らの発祥地とされているのが、福岡県の中でも、玄海灘に臨む交通の要所として、聖域視されていた志賀島です。

 

その博多湾の志賀島に鎮座しているのが、志賀海神社(しかうみじんじゃ)で、元寇の役など国難の際には神威を示しめしてきたとされています。また、同社は、海神を祭る神社の総本宮となっており、神職は今も阿曇(=安曇)氏が受け継いでいます。

 

また、志賀島と言えば、古代史では、「漢委奴国王」の金印が発見されたことで有名ですね。安曇族の主要拠点で、そういうものが見つかったわけですから、安曇氏が重要な一族であった事が示唆されます。

 

安曇族は、主に海上を活動を拠点とする人たちで、すぐれた航海術と稲作技術を持っていたとされています。当時北九州には、大陸から渡って来た人たちが大勢いたと言われていますが、その中心が安曇氏で、他にも宗像氏、海部氏、住吉氏などの氏族の名前が知られています。安曇氏は、古代の海人(あま)族の中でも最も有力な氏族であったようです。

 

そういう安曇族ですので、彼らは、朝廷から高位の(むらじ)の(かばね)を持っていました(それゆえに安曇連とも呼ばれた)。「連」を称する氏(うじ)は、神武天皇より前の神々の子孫とされていますので、安曇氏が古くからの一族であることが伺えます。

 

 

安曇氏の移動

 

そんな安曇族も、6世紀の中ごろ、理由は定かではありませんが、北九州の本拠から、全国各地に散らばりました。ただ一説によれば、安曇氏と同じく北九州に拠点をおく豪族の筑紫君磐井(つくしのきみいわい)とヤマト朝廷が争った磐井の乱(527~528年)が原因という説があります。この乱で、安曇氏は敗者側の磐井に与(くみ)したため本拠地を失い、各地に移住することになったというのです。

 

さて、安曇族の移動先は、北九州、鳥取、大阪、京都、滋賀、愛知、岐阜、群馬、長野と広範囲にわたっており、文字通りなら安曇、阿曇、渥美(あずみ)、字は異なりますが、厚見(あつみ)、安曇(あど)、安土(あど)、安堂(あどう)、会見(おおみ)など地名としての「痕跡」がいくつも残されています。

 

現代でも、次のように、日本各地に安曇の異字同意の文字を持つ場所があります。

 

長野県の安曇野市、

岐阜県の厚見郡(現在の岐阜市)

愛知県の渥美半島

滋賀県の安曇川(あどがわ)

静岡県の熱海市

 

このように、安曇族の移住先の一つが、長野県の安曇野(松本市や大町市周辺)地域でした。そんな安曇族が、どのようなルートで、この地にたどり着いたのかについては、以下のような説があります。

 

  1. 北九州から、日本海を経て、新潟県糸魚川市付近にたどり着き、そこを流れる姫川を遡っていったという北陸道説
  2. 北九州から瀬戸内海、大阪の安曇江(東横堀の旧名)を経由したという東山道説
  3. 北九州から瀬戸内海から渥美半島(安曇族の開拓地)へ達した後、天竜川を上った天竜川筋説

 

では、今回の記事のテーマである、出雲神話に登場する諏訪明神(タケミナカタノカミ)と、海洋民アズミ(安曇、阿曇)氏との関係を探るために、安曇氏の出所を、さらに神話の世界に遡って探ってみたいと思います。

 

 

安曇氏の祖先神、ワタツミ神

 

古事記には安曇族の祖先神は、「綿津見命」とその子の「穂高見命」であると書かれています。実際、穂高見命(ホタカミノミコトは、その名の通り、安曇野市に創建された穂高神社に祭られています。そもそも、「穂高」という町名も穂高見命からきているとされています。

 

また、穂高神社で、毎年9月に開かれる御船祭(みふねまつり)には、船型の山車が登場します。山々に囲まれた穂高で海の祭りが行われるのは、やはり安曇野を拓いた海洋族の安曇氏を偲んでのことだと言われています。

 

一方、穂高見命の父、綿津見神(ワタツミノカミ)は、神話では、伊邪那美(イザナミ)神の死後、黄泉(よみ)の国から帰った伊邪那岐(イザナギ)神が、禊(みそぎ)をした後、天照大神、須佐之男命(スサノオノミコト)、月読命(ツキヨミノミコト)とともに生まれたとされています。

 

しかし、この神話や系図は、古事記や日本書紀の編者の「創作」とする見方があり、綿津見神は日本古来の神ではなく、海を渡って来た渡来神という見方があるのです。そうであれば、綿津見(ワタツミ)とはどういう神さまなのでしょうか?

 

福岡県の博多湾周辺に「綿津見(ワタツミ)」と呼ばれる海洋民族がいたそうです。中国の後漢書によれば、後年、ここにはという国があり、その王が漢の光武帝から「漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)」の金印を拝受しました。前述したように、その場所は福岡の志賀島、即ち安曇氏の発祥の地であり、主要拠点です。つまり、綿津見は、安曇氏のことではないかと推察されているのです。

 

「綿津見(わたつみ)」の「わた」は「海」、「つ」は「の」、「み」は「神」を意味する古語なので、「わたつみ」は「海の神」と解されています。また「つみ」とは「住む」という意味もあることから、「わたつみ」は「海に住む神」で、その子孫(安曇族)は海洋族(海人族)となるのですね。

 

では、綿津見神(ワタツミノカミ)は、外来神(渡来神)であれば、彼ら海人族はどこの地から海を渡り、日本に来たのかというと、中国大陸の南方からと見られています。そうすると、綿津見神(ワタツミノカミ)は、大陸の南方系の神、即ち揚子江の南(江南の地)の神となります。

 

 

江南からの渡来人

 

中国の江南の地には、紀元前4世紀ごろ、楚・越・呉の三国がありました。「(そ)」は、江南の地からやや内陸側、現在の湖北・湖南省あたりを治め、「(えつ)」は、長江の河口付近、浙江省あたりを、「(ご)」は越の北をそれぞれ支配していました。

 

当時、この三国は互いに戦いを繰り広げた、結局、呉は越に滅ぼされ、越は楚に滅ぼされました(紀元前334年)。越の滅亡後、楚の支配を嫌った人々は、脱出し、朝鮮半島や北九州にたどり着いたとされています。

 

また、越の人々は、現在の山陰(出雲)や北陸地方にも到着したと見られています。実際、北陸には、かつて福井県から山形県にかけて「越国(コシの国)」という国がありました(その後、越前・越中・越後と分割された)が、越人が渡来したことが地名にも反映しています。

 

なお、楚、呉、越の3国は、日本にはなじみ深く、楚は「四面楚歌」、呉と越は「呉越同舟」の故事で知られています。また、「呉服」とは、呉の機織の方法が日本にも伝わり、その織物で作った服のことを言います。

 

いずれにしても、紀元前4世紀ごろ、越人が、日本に大量にやってきたとみられています。越人以外にも、中国東北部の旧満州地区にいたツングースという民族(女真、扶余、契丹、粛慎などの部族に分かれる)も、北九州方面に渡来していました。ただし、綿津見さらに安曇族は、ツングース系ではなく南方系とされています。

 

一方、現在の島根県東部には、いつ頃かは不明なようですが、出雲族と呼ばれる人たちがいました。一説には、彼らも渡来系で、ツングース系または越人だった言われています。もし、出雲族が越人だとしたら安曇氏と出雲氏は同族ということになります。

 

 

■タケミナカタノカミは安曇族か?

 

記紀に基づく出雲の国譲り神話では、次のような逸話があります。

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国譲りを迫った天照大神の使者、建御雷神(タケミカヅチノカミ)に対して、大国主神は、二人いた息子の一人、事代主神(コトシロヌシノカミ)に決定を委ねた。事代主神はこれに応じたが、もう一人の建御名方神(タケミナカタノカミ)は反対し、建御雷神(タケミカヅチノカミ)と力競べを挑んだが、破れて敗走した。信濃国(長野県)まで逃げた建御名方神は、その地を出ないという条件で助命され、諏訪にとどまり、現在も諏訪大社に祭られている。

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さて、先ほど、安曇族が、信濃の安曇野にたどり着くために、新潟県糸魚川市を流れる姫川をさかのぼったという説を紹介しましたが、実は、御名方命(タケミナカタノカミ)も、建御雷神(タケミカヅチノカミ)に追われて逃げる際、安曇族と同じように、姫川をさかのぼって信濃国に逃走したのではないかという見方があります。

 

さらに、建御名方神の出雲から信濃への敗走は、そもそも姫川を遡った安曇族の移動のことを示しているという極論すらあります。その場合、安曇族は安曇野にとどまりましたが、建御名方は諏訪湖まで進んだと解釈されます。

 

現在、建御名方神は、諏訪大社上社本宮で祀られ、また、諏訪神社上社前宮と下社では、建御名方神の妃である八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)が祭神となっています。八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)は謎の多き神ですが、安曇族の祖先神、綿津見(ワタツミ)の娘とされています。

 

果たして、出雲の建御名方神(たけみなかた)は、中国南方系の渡来神、綿津見(ワタツミ)の子孫である安曇(あずみ)族の流れをくむ神さまなのでしょうか?安曇族への興味が尽きることはなさそうです。

 

 

<参考>

諏訪の神様ってどんな神様?(matchy)

パワースポット諏訪大社のご利益(日本の観光地・宿)

安曇族の謎(明神館)

関東農政局(HP)

ウィキペディア(artwiki)など

 

2022年3月31日