住吉大社:海上交通を守る祓戸の「海の神々」

 

住吉三神は、記紀(古事記・日本書記)や、住吉神社だけでなく、廣田神社(兵庫)や諏訪神社(長崎)とも関わりがあるなど、日本の神話・伝承の世界のヒーロー的な存在です。今回は、住吉神社の元締めである住吉大社についてまとめました。

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大阪の「住吉大社」は、下関など全国に約2300社ある住吉神社の総本社で、「海洋国家」日本の海の安全を守り、穢れを祓ってくださる厄除け、海上守護の神さまとして信仰されています。

 

<御祭神>

 

住吉大神(スミヨシノオオカミ)

息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)

 

住吉大神とは以下の三男神の総称です。

底筒男命(ソコツツノ オノミコト)
中筒男命(ナカツツノ オノミコト)
表筒男命(ウワツツノ オノミコト)

 

息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)は、一般に神功皇后(ジングウコウゴウ)と呼ばれます。この神功皇后こそ、211年に住吉大社を創建された方です。

 

 

<創建の由来>

 

第14代仲哀天皇の后である神功皇后は、住吉大神の加護を得て、新羅を平定され(三韓遠征・新羅遠征)、無事帰還を果たされました。この凱旋の途中、住吉大神のご神託があり、住吉大神を現在のこの地に鎮斎されました。(この経緯については、「廣田神社」の創建の由来を参照)。

 

また、大昔、住吉の地は松の名所で、その樹に三羽の白鷺が止まったのを見た神功皇后は、それを住吉三神の使いだと思われ、この地に祀ることを決めたとの伝承も残されています。のちに、神功皇后も併せ祀られ、住吉四社大明神として称えられました。

 

 

<住吉大神について>

 

  • 祓の神(はらひのかみ)

 

「記紀」神話によりますと、伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) は、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命 (いざなみのみこと) を追い求め、黄泉の(よみのくに=死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻ってくるという望みを達することができず、ケガレを受けてしまいます。

 

住吉大神(住吉三神)は、伊邪那岐命がその穢(けが)れを、浄めるために海に入って禊祓い(みそぎはらい)した時、「海の底」「海の中程」「海の表面」からそれぞれ、底筒男命 (そこつつのおのみこと)、中筒男命 (なかつつのおのみこと)、表筒男命 (うわつつのおのみこと)がお生まれになられました。この誕生の経緯から住吉大神は、神道で極めて大事な「禊(みそぎ)・祓(はらい)」を司る神とされています。

 

住吉大社の夏祭りで、日本三大祭りに一つとされる「住吉祭」は、単に「おはらい」と呼ばれ、大阪だけでなく、摂津国・河内国・和泉国ひいては日本中をお祓いするという意義がある重要な神事とされています。

 

 

  • 航海安全の神

 

住吉大神は海中より出現されたため、「海の神」としての信仰があります。仁徳天皇の時代に、住吉津が開港されて以来、航海関係者や漁民の間で、海上安全の守護神として崇敬を集めました。特に、遣隋使や遣唐使の派遣の際には、必ず海上の無事が祈られたとされています。江戸時代に海上輸送が盛んになるとともに、運送船業の関係者の間にも広がりました。

 

 

  • 農耕・産業の神

住吉大神が苗代をつくる方法を教えたという伝説により、古くから「農耕の神」として篤い崇敬を受けてきました。境内には約二反の御田があり、毎年6月14日には「御田植神事」が盛大に行われております。

 

  • 弓の神

神功皇后の新羅遠征(三韓遠征)の際、神功皇后は住吉大神の神威を受け、御自らも弓鉾をとって御活躍されたという経緯から、弓の神としての信仰があります。

 

そのほかにも、住吉大神は、「相撲の神」、「和歌の神」としても崇敬を集めています。

 

<建築様式>

 

住吉大社には、第一本宮から第四本宮まで4つの棟があり、それぞれ底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后をお祀りしています。4棟はすべて海に向かって西向きに建ち、第一本宮から第三本宮が縦に並び建っている姿は大海原をゆく船団を表しているとされています。

 

また、4つの棟すべての本殿部分は、1810年(文化7年)に造営されたもので国宝指定を受けている。「住吉造(すみよしづくり)」という直線的な日本古来の建築様式で、神社建築史上最も古い様式だとされています。これに対して、重要文化財に指定されている4つの棟の拝殿部分は、曲線的で、大陸(中国)からの影響を受けた様式と考えられています。

 

なお、住吉大社は、奈良時代(749年)より伊勢神宮と同じように20年に一度の式年遷宮(しきねんせんぐうの制度が定められており、2011年(平成23年)には49回目の遷宮が「御鎮座1800年記念大祭」と合わせて行われました。遷宮とは、神さま(ご神体)を、それまでの御社殿(お宮)から新しい御社殿へお遷しすることをいい、「式年」とは「定められた年」の意で、住吉大社では伊勢神宮同様、20年毎に社殿を遷しかえています。

 

 

<島津家の誕生石>

 

住吉大社の境内には、島津家発祥の地となった「誕生石」があり、今でも「誕生石」として島津家代々から篤い信仰を受けています。そこは、源頼朝の寵愛をうけた丹後局(たんごのつぼね)が、不思議な狐火に導かれて、頼朝の妻・北条政子から逃れてきたところで、局はここで産気づき大石を抱きながら男の子を出産したとされています。この時生まれた子が、後の薩摩藩「島津氏」の祖となった「島津忠久」と伝えられています。

 

(2021年4月27日更新)

 

<参考記事>

廣田神社(兵庫):神功皇后ご因縁の社

記紀⑨(三韓征伐):神功皇后の新羅出兵と神々の降臨

 

<参照>

住吉大社HP

住吉大社~みそぎの神様と国宝社殿の秘密~

住吉大社・神社専門メディア「奥宮」

Wikipediaなど