西宮神社:えびす様=蛭子神を祭る神社

 

兵庫県の西宮神社は、毎年、新春恒例の「福男(一番福)選び」で有名ですが、記紀の天地開闢の神話にでてくる可哀そうな蛭子(蛯児)神を祭る神社であることはあまり知られていません。

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  • 西宮神社の「えびす様」

 

西宮神社は、福の神として崇敬され、全国に約3500社ある「えびす様(蛭子神)」をお祀りする神社の総本社です。

 

その本殿は、3つの屋根が連なる三連春日造(さんれんかすがづくり)という珍しい構造で、別名「西宮造り」とも呼ばれています。江戸時代の1663年、4代将軍徳川家綱により寄進され国宝にも指定されていました。また、室町時代建立の全長247メートルに及ぶ大練塀と、通称赤門と云われる豊臣秀頼の奉献による桃山建築の表大門は国の重要文化財に指定されていました。昭和20年に戦火にあい消失しましたが、昭和36年に、桧皮葺から銅板葺に変わったほかは、ほぼ元通りに復興されました。

 

 

本殿には、えびす様以外にも、天照大神、大国主大神、須佐之男命(スサノオノミコト)の神さまも祀られています。大国主神は、明治になって配祀されたので、もともとは、日本書記では三兄弟の神として描かれている天照大神、えびす(蛭児)大神、須佐之男命の三神が崇敬の対象でした。

 

御祭神

第一殿(東):えびす大神(蛭児大神)、

第二殿(中):天照大御神、大国主大神

第三殿(西):須佐之男大神

 

えびす様は、もともと、地元の漁師さんがお祭りする漁業の神さまとして信仰されていました。そこから、西宮の人たちにとっては、商売繁盛の神、さらには地域の守り神というような素朴な信仰の対象になっていったと言われています。えびす様を祀る神社では、「十日えびす」と呼ばれる市場が立つようになりました。

 

現在、西宮神社の門松は逆さに飾られているのもその名残りとされています。西宮神社のお祭りである「えびす祭り」の前夜、えびす神は、神馬に乗って氏子地域を巡行されると信じられていました。ところが、当時の竹に松を盛った大きな門松では通りが狭くなるので、巡行されるえびす様の邪魔にならないように、逆さにつけかえたとの言い伝えがあるそうです。

 

  • 西宮神社の由緒

 

西宮神社の創建の年代は、定かではありませんが、平安時代に遡るとされています。元々は、廣田神社の一角という位置づけでしたが、「えびす信仰」が盛んになるにつれ後に独立して「西宮神社」になりました。そのご由緒には次のような伝承があります。

 

昔々、西宮・鳴尾の漁師が、沖で漁をしていたところ、網に大きな手ごたえを感じ、引き上げてみると、御神像であることがわかりました。そこで、その猟師は、布にくるみ、家に持ち帰り、毎日お供え物をして、お祀りしました。しばらくたったある夜、眠りについた猟師の夢の中に、お祀りしている御神像が現れ、「吾は蛭児(ひるこ)の神である。日頃丁寧に祀ってもらって有り難いが、ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい」との御神託があったのでした。

 

日本書紀によると、蛭児(蛭子)命(ひるこのみこと)は、神代の昔、伊邪那岐(イザナギ)伊邪那美(イザナミ)の二柱から生まれましたが、国生みの試行錯誤を重ねる段階だったので、三歳になるまで足が立たなかった不具の子でした。そこで、夫婦神は仕方なくヒルコを、葦船に入れて茅渟(ちぬ)の海へ流してしまわれたという伝承があります。「蛭子」の「蛭」の字は、蛭(ひる)のように足腰が立たない発育不全の子どもだったことを表していると言われています。

 

さて、鳴尾の漁師は恐れ謹み、漁師仲間と相談し、蛭児大神を輿にお乗せし、御神託の通り西の方にある良き宮地を求めた結果、最終的に西宮の地にたどり着き、蛭児の神はお鎮まりになったのです。このように、えびす様のご神像が現在の神戸の和田岬の沖から、かつて茅渟の海((ちぬのうみ)と云われた大阪湾を漂流しながら、西宮の地に辿(たど)り着いたのが、西宮神社の創始だと伝えられています(正確には、廣田神社の浜南宮の内に鎮座された)。廣田神社の社伝には、西宮に漂着した蛭子命(ヒルコノミコト)は、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたとあります。

 

それ以降、海より甦った蛭児の神が、えびす大神(蛭児大神)として、とりわけ海に生業を持つ人々の間で絶大な信仰を全国的に集めていったのです。実際、海に流されたえびす様が、別の土地にたどり着いたという伝説は、日本各地に残っていて、えびす信仰の広がりがわかります。

 

 

  • 蛭子神=えびす(恵比寿)様

 

では、「蛭児(ひるこ)の神」がどうして、福の神、商売繁盛の神である「えびすの神」になっていったのでしょうか?蛭子神は、海から現れたとの伝承から、当初は漁業や航海の神として信仰されていきました。同様に、「えびす」の神さまも古くから漁業の神であったという共通点があります。

 

また、漁業の神に対する信仰の対象は、主にクジラでした。これは、クジラが出現すると豊漁をもたらすという伝承に基づいているそうです。さらに、漂着してきたクジラを「寄り神」と呼びました。これも、クジラの到来により思わぬ副収入を得たり、飢饉から救われたりしたという逸話が日本各地に残されています。こうしたえびす様の漁業神としての性格だけでなく、漂着神(寄り神)としての側面も、蛭子神と一致しているのです。ですから、「えびす様」の「えびす」の漢字表記は、一般的な「恵比寿」、「夷」、「戎」に加えて、「蛭子(蛭児)」とも書きます。

 

なお、そのえびす様も、ヒルコ(蛭子)神と事代主神(ことしろぬしのかみ)との2つの系統があるとされています。西宮神社で祀られているえびす様は、前者の蛭子(蛭児)神の方です。

 

 

  • 西宮神社の発展

 

歴史的には、平安時代後期の文献にすでに「えびす」の名が記されています。鎌倉時代(1250年代)には、(正月10日に行われる)「十日えびす」の祭礼(後述)や、戎(えびす)の名のつく「市」なども開かれていたようです。

 

室町時代になると、日本に七福神信仰が広まります。七福神のおひと方が、「えびす(恵比寿)」で、福の神の代表的な存在でした。この七福神信仰と相まって、蛭子神は、「えびす」と一体となって、商売繁盛にご利益のある神さまとなっていくのです。こうした背景下、西宮神社では、人形操りや謡曲、狂言などの芸能も盛んになり、西宮神社は、全国のえびす信仰の中心に位置していきます。

 

戦国時代には、後奈良天皇から、また桃山時代には豊臣秀頼、江戸時代には4代将軍徳川家綱により御寄進を受け、社殿の御造営もなされ規模も大きくなっていきます。さらに、将軍家綱は、西宮神社が、えびす神の総本社としての地位を確立することにつながるある特権を与えます。今でもそうですが、当時から、自分の家の神棚でお祀りして家をお守り戴くために、神社でお神札(ふだ)を購入しますね。そのお札に関しては、家綱は、「西宮神社の頒布するものが、えびす神の正式なお札である」と宣言し、お礼(神礼)の版権を与えたのです。

 

江戸時代になると、上方の商業経済の発達に伴って、福の神えびす様が商売繁盛の神さま「えべっさん」(=えびす様の俗称)として、庶民にも広く信仰されるようになっていきました。これに合わせるように、年の始めに、「えびす様」に商売繁盛、家内安全、五穀豊穣などを祈願する、西宮神社の祭礼、「十日えびす」も盛大に行われるようになりました。

 

西宮では西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様の本拠地として、隆盛を極めるようになります。西宮神社の記録によると、十日えびすに授与するお札の数量が、元禄(1700年代)のころから天明(1780年代)にかけて十数倍に激増したそうです。明治に入り、鉄道が開通すると参拝者数も飛躍的に増加したことは言うまでもありません。

 

ちなみに、西宮神社では、1月の十日戎(えびす)を筆頭に、9月22日の例祭と翌日の渡御祭、和田岬までの海上渡御、産宮参りも、秋の西宮まつりとして賑わいをみせ、地元の人々に親しまれています。

(2021年4月23日更新)

 

 

<参考記事>

記紀①(天地開闢):「国産み・神産み」神話

廣田神社(兵庫):神功皇后ご因縁の社

 

 

<参照>

えびす宮総本社(西宮神社公式サイト)

西宮神社の由緒・歴史(西宮観光協会)

西宮えびす【御由緒】 (DECCA JAPAN)

兵庫県・西宮神社とえびす様を紹介!(神様のひとりごと)

Wikipediaなど