西宮十日戎:商売繁盛・開門神事の福男選び

 

毎年、新春恒例の「福男(一番福)選び」で有名な兵庫県の西宮神社の祭礼である「十日えびす」についてまとめました。

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<「十日えびす」の祭りとは?>

 

えびす様を祀る神社では、「十日戎(えびす)」と呼ばれる市場が立つことで知られています。えびす様は、もともと、地元の漁師さんがお祭りする漁業の神さまとして信仰され、やがて、商売繁盛の神、さらには地域の守り神として、全国的に篤い信仰を集めてきました。

 

えびす様を祭る西宮神社も同様で、その祭礼である「十日えびす」は、1月10日を中心に9日から11日までの三日間行われ、関西地区における最大の祭典の一つとして広く全国に知られ、通常、百万人を越える参拝者で賑わいます。なお、十日えびすは、明治に入っても旧暦の1月10日に行われていましたが、明治41年からは新暦の1月10日に神事を行うようになっています。

 

 

<十日えびす「式次第」>

 

  • 1月8日 午前9時半:大鮪(おおまぐろ)奉納

「十日えびす」の準備として、神戸市の水産物卸売協同組合などの三社が、 本マグロと雌雄二尾の大ダイを、神前に奉納します。マグロは例年全長約3メートル、重量約300キロだそうです。

 

奉納された大マグロは、「十日えびす」の三日間「招福大まぐろ」として拝殿に飾られます。ただ、近年、このマグロの頭や背中などに賽銭を張り付け、商売繁盛や豊漁等の願を掛けるのが常例となっています。毎年、数万枚の貨幣が張り付けられるそうです。

 

  • 1月9日午後2時:宵えびす(有馬温泉 献湯式)

有馬温泉の芸妓さんによる「献湯式(けんとうしき)」が行われ、日本最古の名湯として知られる有馬温泉から金泉(きんせん)(含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉)が奉納されます。

 

  • 1月9日17時:宵宮祭

大祭の前日、宵宮祭(よいみやさい)が行われ、夕方に御本殿で西宮まつりの開催を奉告すると同時に、翌日からの神事が無事に斎行できるよう祈願がなされます。なお、1月9日夜は、市内を「えびす様が巡回されている」という理由から西宮神社周辺では外出が禁止されます。

 

西宮神社では、深夜12時にすべての神門が閉ざされ、神職は「居籠(いごも)り」に入ります。居籠とは、10日午前4時の「十日えびす大祭」を前に身を清め、静寂の時を過す時間を持つことです。古くは鎌倉・室町時代から始まったとも言われています。

 

  • 1月10日午前4時:十日えびす大祭

十日えびす大祭は、古代の日本の祭典の形を伝えるもので、数少なくなってきた暁前に行なう祭りです。

 

  • 1月10日 午前6時 開門神事 福男選び

十日えびす大祭」が終了すると、外出禁止令も解かれ、午前六時を期して西宮神社表大門(おもてだいもん)(赤門)が開門します。

 

外で待っていた参拝者は、開門と同時に、一番福を目指して230m離れた本殿へ「走り参り」をします。これを「開門神事(かいもんしんじ)」といい、本殿へ早く到着した順に一番から三番までがその年の「福男」として認定され、「福男」には、認定証・御神像・副賞そして特別の半被が授与されます。

 

  • 1月10日~11日:「本えびす」~「残り福」

10日の「本えびす」から11日の「残り福」まで、西宮神社では、1万2000坪に及ぶ境内や、周辺に名物の吉兆店のほか露店など合せて約600軒も軒を連ね賑います。

 

 

<十日えびす(戎)の起源と発展>

 

西宮神社の「十日戎(えびす)」の祭典は、かつて「御狩神事」や「忌籠祭」と呼ばれた行事が発展して誕生したと言われています。

 

御狩神事(みかがりしんじ)は、狩猟をして神意を伺う農耕儀礼のお祭りでした。古い資料には、西宮神社の巫女が男装をして狩の舞踏をしていたとか、鎌倉時代には実際に狩猟をして、その成果によって一年の豊穣を占っていたという記録はあるようですが、具体的な内容は定かではありません。

 

「忌籠祭」(いごもりさい)は、室町時代から江戸時代にかけて行われていた儀式で、1月9日の夕刻、「えべっさん」(えびす様)を神社に迎え入れるため、神職は神社のすべての門を閉めて神事を行い、それが終わるまで、町の人々(氏子たち)も家から外出せず(=籠る)、家に籠もって清らかに過ごすという祭祀です。忌籠は、五穀豊穣と繁栄を願うという意味があると言われ、えびす様(えべっさん)が市中を廻っている間、謹慎斎戒していたと解されています。この忌籠の儀式は、前述したように、西宮神社では現在でも厳しく守られています

 

氏子に関しては、江戸時代になると今のように門前に集まって開門と同時に参拝するスタイルになっていたそうです。鎌倉・室町時代の頃は、忌籠(いごもり)を守っており、人々は、忌籠り明けの翌朝、身を清めて神社に詣でたといいます。この時、神門が開かれ、真っ先にお参りしようとして人々が競うように参道を急いだことが、今の開門神事の由来となったとされています。

 

加えて、江戸時代になると、上方の商業経済の発達に伴って、福の神えびす様が商売繁盛の神さま「えべっさん」(=えびす様の俗称)として、庶民にも広く信仰されるようになっていきました。これに合わせるように、西宮神社の祭礼、十日えびすも盛大に行われるようになりました。西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様の本拠地として、隆盛を極めるようになります。

 

西宮神社の記録によると、十日えびすに授与するお札の数量が、元禄(1700年代)のころから天明(1780年代)にかけて十数倍に激増したそうです。明治に入り、鉄道が開通すると参拝者数も飛躍的に増加したことは言うまでもありません。

 

こうした背景下、十日戎福男選びは、西宮えびす独特の行事として、江戸時代頃から自然発生的に起こってきたといわれています。昭和15年からは、開門神事で何事も一番参りをされた参拝者を称えようと、先着上位3名を福男として、西宮神社から認定されるようになったそうです。昭和20年の空襲により、社殿が全焼、翌年の十日えびすから福男選びは中止になりましたが、戦後、復活継承され、現在に至っています。

 

<参考>

西宮神社:えびす様=蛭子神を祭る神社

 

 

<参照>

えびす宮総本社(西宮神社公式サイト)

西宮神社の由緒・歴史(西宮観光協会)

西宮えびす【御由緒】 (DECCA JAPAN)

兵庫県・西宮神社とえびす様を紹介!(神様のひとりごと)

正月の風物詩「福男選び」 (Lifull homes press)

Wikipediaなど

 

(2022年6月10日)