「中国の道教を学ぶ」をシリーズでお届けしています。儒教は宗教か?という問いの答えは議論の分かれるところでしたが、道教はどうでしょうか?学校教育の場で道教の思想的側面が強調され、道教=道家(老荘)思想との固定観念があるかもしれませんが、道教は、多種多様な神々が登場し、人々(修行者)も不老不死の神仙となることをめざし、さまざまな術や儀礼を行うという点で、道教は紛れもなく宗教です。
今回の投稿では、道教の神々について解説を「試み」ます。「試み」といったのは、道教は思想・宗教の「百貨店」と形容されるほど、神々の系譜は驚くほど複雑多岐で、様々な信仰形態がごっちゃになっていて、統一的な見解は不可能と言われているからです。しかも、あまりに多くの神々が登場するので、記事も2回に分けて投稿します。今回は前半です。
後半については、「道教:神々の系譜② 孫悟空や岳飛も神!」参照
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<神々の百貨店>
道教は、多神教で、多種多様の神々が存在し信仰され。道教の廟に祭られています。元始天尊のように教義上、人為的に作られた神々や、黄帝や炎帝(神農)のようにもとは、古くから伝わる神話中の神だったのが、道教に取り入れられてしまった神も多くいます。
後漢に教団として成立してからの道教は、社会で久しく祭祀されてきた神々や、民間の生活文化に関連する神々、仏教など外来宗教の影響からくる神々などを吸収していきました。
民間の神々のなかには(多くの女神を含む)、人間でありながら不老長寿を手に入れた神仙(仙人)、関帝などかつての英雄が神格化されたものから、農村や土地の神、金儲けの神、病気治癒の神、子宝を恵む神など俗っぽい神(俗神)、福建など特殊の地域文化の神々があります。その多くは、年中行事(「歳時」)の神々となっています。
自然現象もまた神格化の対象となりました(自然現象が神になった)。もともと、古代中国の人々は、大空に輝く太陽、月、星を仰ぎ、あるいは広大な山岳河川の姿をみて敬い、風・雨・雷の自然に驚き怖れ。いつかそれらを神格化して祭祀していました。
道教もこうした敬天崇地思想(天を敬い地を崇拝する)の影響を受け、伝統的な天神(てんしん)崇拝が定着していきました。天神とは、天界にいる神(天の神、自然の神)のことで、天神を人格神にして最高の神として祭るようになったのです。
当時、人々は天災・人災におびえながら生活し、自分の頭上に災いが降りかかるかもしれないという恐怖から、神霊に祈っていたそうです。皇帝ですら、天神の守護を失うことを恐れて、天空神である昊天上帝(こうてんじょうてい)を祭祀していたと言われています。
このように、道教の神々を見渡しただけでも、あまりにも種々雑多で、ほとんど何でもありの印象を受けます。実際、道教には、「人の願いの数だけ神がいる」と言われています。したがって、道教の神々を体系立てて定義づけたり、まとめたりすることは不可能に近いのですが、いくつかのテーマ毎に分類しながら、道教の神々を捉えてみたいと思います。
<道教の創世説>
道教では、天地の成立や、天界の様子、多くの神々の配置や万物の根元などが説かれています。
- 創世の時代区分
上古(洪元⇒混元⇒太初⇒太始⇒太素⇒混沌)から中古(九宮⇒元皇…)へ
天地が生まれる以前の宇宙のはじめの状態は、形も象なく、陰も陽ない道の虚無の境界だったとされています。その後、「洪元」、「混元」そして「太初」世紀を経て、まだ分かれていなかった虚空や清濁が分かれ始めました。
「太初」が終わり、万物の始めである「太始」となり、ここでは、人が生まれ、万物の中で最も貴い存在とされました。これ以後、まだ純朴の「太素」世紀から、「混沌」世紀と続き、この間、五岳四涜(ごがくしとく)(5つの名山と4つの名川)が生まれたとされています。ここまで、時代区分では上古の時代で、「九宮」・「元皇」などの中古の時期が続いていきます。
- 天界の階層
創世の段階で、三十六天の天界が派生しました。道教の宇宙観において、神仙が住まう世界は幾重にも積み重なる「天」であるとされ、その中で、八天(最高の大羅天・三清境・四梵天)とその下にある欲界・色界・無色界の「三界二十八天」に分かれています。
八天:大羅天・三清境・四梵天(天)
天界の最高の場所は、「道」の象徴である大羅天で、元始天尊のみ住むことができるとされています。
大羅天の下に、三清境(三清天)があります。三清境(玉清境、上清境、太清境)は、道教が理想とする仙人の境界であり、道教の三清の尊神(元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊)が住む場所です(後述)。
大羅天で生み出された玄・元・始の三炁(き)が、三清天に変化するとされ、始気は清微天の玉清界と化し、元気は禹餘天の上清境と化し、玄気は大赤天の太清境と化すとされています。
三清境(天)の中で最も高いところが、玉清境の清微天、その次が、上清境の禹餘天(うよてん)、その次が、太清境の大赤天です。
三清境の下に、いわゆる「天」をさす、四梵天(上四天)があります。ここは、修道の完成した人が帰属する場所とされます。
三十六天の八天(大羅天・三清境・四梵天)までは、生死に関係なく、永遠に生きることができ、火・水・風の三災は及びません。
二十八天:無色界・色界・欲界
八天(大羅天・三清境・四梵天)を下ると、欲界・色界・無色界の三界二十八天があります。
無色界は四天からなっています。人々に色欲・情欲はなく、その姿を知覚することはできませんが、真人だけはその姿を見ることができるとされる修練の精神の境界です。
色界は十八天からなり、人々は変化によって生まれ、姿形を備え、色欲はあるが情欲はなく、およそ道士たちが修練する世界です。陰陽も交わりません。
最下層の欲界は、人が現世から来世へ行く際に行くところで、欲界は、6天からなり、人々が性交によって胎生し、姿形を備え、色欲と情欲を持つ現実世界と同じ世界です。
<道教の最高神>
多くの神々の上に立つ最高神は、時代によって諸説ありますが、道教においては、「三清・四御」の尊神と呼ばれる神々です。なお、中国における天上の最高神を意味する用語には、天帝(てんてい)、上帝(じょうてい)などがあります。
- 三清(さんせい)
三清とは、道教の最高神格とされる三柱の神で、元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊(太上老君)をさします。この神々は道教の化身とされ、元始天尊は自然の気から生じた神、霊宝天尊は道から生じた神、道徳天尊は老子をモデルとした神です。また、三柱は道教における全ての始まりであることから「道祖」または「三清道祖」と称されることもあります。
三清は、天の最も高い境地である三清境(「玉清境」「上清境」「太清境」)にいる神格と考えられています(ここから三柱を総称して「三清」と称されるようになった)。
具体的には、
元始天尊は清微天の玉清境、
霊宝天尊は禹餘天(うよてん)の上清境、
道徳天尊は大赤天の太清境
に住んでいる(宮殿を構えている)と言われています。
元始天尊(げんしてんそん)
「太元の先」に生まれ、「太元(=道)」を神格化した、道教の最高神で、道教の創造神話において天地を開いた天地創造の神として万物の成立ちを司る神(道と万物の創造神)とされています。六朝(後漢の滅亡後、隋の統一まで)以降、元始天尊は常に道教の最高神として崇められています。
三清天の玉清(ぎょくせい)(玉京)という場所に住む(ゆえに玉清元始天尊、玉清とも呼ばれる)とされていますが、三清境(三清天)の上にあるとされる最高の大羅天に住んでいるとも言われています。老子が述べた道教の三法「倹、慈、謙」の「倹」を象徴しています。
太上道君(霊宝天尊)
太上大道君(霊寶天尊)は、万物に魂を授け、精神の調和を司る神です。霊宝派の作り出した尊神で、道徳天尊(太上老君)と同列です。三清界の上清境に住むので上清、上清天尊、上清霊宝(れいほう)天尊、上清魂玉天尊とも呼ばれ、老子が述べた三法「倹、慈、謙」の「謙」を象徴するとされています。
太上老君(たいじょうろうくん)(道徳天尊)
黄老神仙思想から老子の神格化が進み、老子は後漢代に太上老君となりました。太上老君は、万物を導く「道(タオ)」を司る神とされ、老子として現世に降臨し、道徳を説いたとも伝えられています(道家の創始者)。三清境の太清(たいせい)に宮殿を構えることから、太清道徳天尊、または太清とも呼ばれ、老子の三法の「倹、慈、謙」の「慈」を象徴しているとされています。
最高神の変遷
早期道教において、最高神は、老子が神格化された道家の創始者「太上老君」でしたが、東晋(317~419)の時期には、上清派が元始天尊を太上老君の上に置き、六朝時代(220年後漢滅亡から589年隋建国までの時代)の6世紀以降、上清派だけでなく、道教各派を通じて、最高神は「元始天尊」とされました(唐代より鮮明)。
その間、符籙派などから太上大道君(霊宝天尊)が出現し、次第に道教の三清尊神が形成されていきました。隋唐五代十国時代には「元始天尊、霊宝天尊(道)、道徳天尊(老子)」の三神をあわせて、「三清」と呼ばれ、三清は、三位一体として捉えられるようになりました。
それまで最高神として扱われていた太上老君(道徳天尊)も、三身一体の一部として組み入れられ(霊宝天尊は道徳天尊と同格とされる)、唐代以降は元始天尊をリーダーとして、三清(道祖)は、道教の最高神として祭られるようになりました。
これに対して、宋代の真宗皇帝(在位997~1022)は、玉皇大帝を担ぎ出し、1015年に、玉皇大帝を民間道教の最高神とし、さらに国家的な祭祀の対象にしました。また、宋の徽宗(きそう)(1100〜1126年)は、1116年に、玉皇大帝に「昊天玉皇上帝」の尊号を贈り、天上界を支配する宇宙の最高神とされる昊天上帝(こうてんじょうてい)と同一視しました。
昊天上帝 (こうてんじょうてい)
「詩経」「書経」などの儒教経典に見える宇宙の最高神で、万物の上に位置してこれを主宰しています。文字通りの意味は、「昊天」は大いなる天,「上帝」は天上の帝王で、昊天上帝 は、皇天上帝、皇皇后帝、単に上帝ともいいます。
しかし、当時の道士たちはそれでも、玉皇大帝を三清尊神の下に置いており、道教の祭壇では、神々の最高神である玉皇大帝は第四位であり、その上に「三清」が位置します。むしろ、玉皇大帝は、三清を補佐し天界の政務を行う「四御」の一員とされています。このように、実際には道教の至上神の形は、時代によって、少しずつ変化しています。
- 四御(しぎょ)
(玉皇上帝、北極紫微大帝、勾陳天皇大帝、后土皇地祇)
道教で、三清に次ぐ地位にあたり、三清を補佐する4柱の天帝で、四輔(しほ)ともいいます。また、三清と合わせて「三清四御」と呼ぶこともあります。四御は、天地の事物を司る四大天帝であり、実質的に宇宙万物を運用・統治している最高の神と解されています。
玉皇上帝(ぎょくこうじょうてい)
(別名:天公、上帝、玉帝、昊天上帝、天帝、昊天至尊玉皇上帝など)
玉皇上帝は、もとは光厳妙楽国の慈悲深い王子で、善行を行い、道の修行を積み、死後神となったと言われています。「玉皇」という名称は、古くは六朝の時代からみられていましたが、その地位はあまり高くありませんでした。しかし、唐代にはその名称が徐々に普及し、北宋の時代に、皇帝真宗(在位997~1022)や徽宗(同1100〜1126)によって、最高神に引き上げられました。
以後、玉皇上帝は、中国道教における事実上の最高神で、天道を司り、天界または宇宙、さらにその下の地上・地底に住むあらゆるものの支配者とされました。三清が天空神として生まれ変わった姿とも解されています。
中国において、天界の存在は神々も仙人も、玉皇上帝を頂点とする現世の官僚体制のような組織に属しているとされ、すべての神々と仙人は、玉皇上帝から位を与えられてその身分を定められ、また、その業績によって昇降・配置転換されたと言われています。『西遊記』においても、孫悟空に斉天大聖の位を与えたのも、玉皇上帝です。
現在も、一部の民間信仰や、東南アジアなどの華僑の間では最高神として扱われ、全ての神を統括する、天の主催者として信奉されています。
紫微大帝(しびたいてい)
(別名:北極紫微大帝、北斗真君、中央紫微北極大帝)
玉皇大帝の次の北極紫微大帝は、不動の北辰(天の北極)にいて、時間、すなわち天地・日月星辰・四季(四時気候)を司る(天候や星の動きや鬼の統括をする)神です。元始天尊の化身ともいわれ、玉皇大帝を助けました。北極星が神格化され、北極星のまわりの紫微宮に住むことから紫微大帝と名づけられました。
道教の女神・斗母元君(とぼげんくん)が紫光夫人として生んだ子供と言われ、同じ四御の天皇大帝の弟にあたります。 紫微大帝の弟には、北斗七星である貪狼星、巨門、禄存、文曲、廉貞、武曲、破軍がいます。
天皇大帝(てんこうたいてい)
(別名:勾陳天皇大帝、勾陳上宮天皇大帝)
紫微大帝の次の勾陳天皇上帝は、紫微大帝の兄であり、玉帝を助けて、全ての霊(万霊)を統括するといわれています。具体的には、南北極星などの星辰(せいしん)(星や星の配置)と天・地・人の三才(宇宙に存在する万物の総称)を司り、また人間の兵器軍装(兵革)を主宰する神として崇敬の中心となっていました。当時、北極星付近にあった勾陳(こうちん)(陰陽道の方位神の一つ)が神格化されたと言われています。ゆえに、天皇大帝は勾陳天皇大帝と呼ばれることがあります。
后土皇地祇(こうどこうちぎ)
(別名:后土、后土娘娘(こうどにゃんにゃん)、承天效法后土皇地祇など)
天皇大帝の次で、四御の第4位の天帝である后土皇地祇は、玉皇大帝の下(を助け)で、陰陽と万物(大地山河/すべての土地/大地)を統括する女神(四御唯一の女神)で、陰陽を司り万物に生気を与えることから大地の母と称されています。
后土は皇天に対する語、地祇(ちぎ)は天神(てんしん)に対する語で、天界は玉皇大帝が、地界は地上の王として后土皇地祇が担っています。もともと、古代中国の伝説上の皇帝である神農の子孫で、黄帝を助ける七天女の1人とされています。后土は、古代の母系社会の中の土地崇拝と女性崇拝時代の尊称として用いられ、次第に神格化と人格化がなされていったと考えられています。
このように、道教に「三清」や「四御」の尊神が出現したのは、中華民族の伝統的な天神崇拝を「道」の信仰の下にまとめるためだったと解されており、四御神の信仰もほぼ古代の天神崇拝を踏襲したものとみられています。
六御
四御は、当初、それぞれ独立した神格でしたが、宋代に玉皇大帝が最高神格とされ、これに、北極紫微大帝と天皇大帝が、信仰上のシンボルとして北極星に同一視されました。 後に、太乙救苦天尊(東極妙厳青華大帝)(とうごくみょうげんせいかたいてい)と南極老人(南極神霄玉清大帝)を加えて、六御(りくぎょ))とも呼ばれ、東西南北の四方の守護とされました。
太乙救苦天尊(たいおつきょうくてんそん)(東極妙厳青華大帝)
死者の魂の救済の神で、生前の罪のために地獄に落ちた人々すべてを救うとされ、仏教には亡者の身代わりとなってその苦しみを救う地蔵菩薩がいますが、この菩薩の役割を道教が取り入れたものと見られています。
南極老人(なんきょくろうじん)(南極神霄玉清大帝)
道教における天体神の一人で、南極の空にあって、人間の寿命を司る星(老人星)を神格化した神です。古くから、南極老人星は戦乱の際には隠れ、天下泰平のときにしか姿を見せない星(天下泰平のときにのみ見える星)という信仰が存在していました。
この南極老人星が宋代以降に南極老人として神格化され、長寿と幸福を司るものとされました。長頭短身の老人だった言われています。『西遊記』『封神演義』『白蛇伝』など小説や戯曲に神仙として登場することも多く、日本では七福神の福禄寿と寿老人のモデルだとされています。
- 雷帝
宋代において、道教の一側面である呪術に、雷を使う法術である「雷法」という新しい概念が導入されました。雷は悪しき者を罰する正義の力と考えられ、雷帝が天の意思を代行するというものです。代表的な雷帝が普化天尊です。
普化天尊(ふかてんそん)
(正式名称:九天応元雷声普化天尊(きゅうてんおうげんらいせいふかてんそん))
普化天尊は、雷帝で、全ての雷神の中の最高神です(別名、雷帝)。万霊の神と称され、五雷、十雷、三十六雷の雷神を束ねるだけでなく、人間の生死吉凶禍福(生死や禍福)など全ての権限を掌握しているとされています。また、勧善懲悪の神でもあり、「雷に打たれて死ぬのは雷帝やその部下の天罰」と言われています。
三清に次ぐ高位の神格であり、雷部二十四神を部下に従えています。天界でも最上位の三清境の玉清境にある雷城に住まうとされ、三清道祖以外はすべて、その支配下にあるとされています。
- 三元
三元(さんげん)とは、1年の中で上元(じょうげん)(1月15日)・中元(ちゅうげん)(7月15日)・下元(かげん)(10月15日)の3つの日の総称である。三元を司る3神を、後に三官大帝と呼ぶようになりました。
三官大帝(さんかんたいてい)
もともと、天官・地官・水官の三名の大帝(三官)を併せた呼び名で、天官は天、地官は地、水官は水をそれぞれ司る(天・地・水の分野の最高位)とされ、玉皇大帝にのみ従属します。
元は自然崇拝であったものが擬人化され、民間では、天官は福を賜い、地官は罪を赦し、水官は厄を解くとされました。
俗に、三元大帝、三界公(さんかいこう)、三官老爺、三界爺とも呼ばれます。天地に水を加えるのは、インド、チベットなど西方からの影響があるとみられています。伝説では、人間の美男子と龍王の3人の娘との間に生まれた「天官、地官、水官」という異母兄弟神のことを言います。
長男の天官は、天官賜福大帝と呼ばれる福を授ける神
次男の地官は、地官赦罪大帝と呼ばれる罪を許す神
三男の水官は、水官解厄大帝と呼ばれる災難除けの神
また三官大帝は、北斗星君(後述)とともに、生死に関わらず、すべての人間の功罪を調べ、人間が落ちるべき地獄の種類や拘留期間を決定するとも言われています。
六朝時代(漢滅220~隋589)に上中下三元および仏教信仰と結び付き、上元天官、中元地官、下元(かげん)水官となり、それぞれ上元(正月15日)、中元(7月15日)、下元(10月15日)に生まれたとしてその日が祭日とされました(日本の中元の風習はここからきている)。三官がそれぞれの日,すべての人間の善悪・功過を調査し,それに基づいて応報したそうです。
<星君 / 星神>
中国古代の神は、多く星辰をその居所とすると考えられました。そのため、道教には、日月星辰の神(太陽・月・星々の神)や諸星曜神(星と方向の神々)などの多くの神がいます。空の星々にはそれぞれ神が宿っていると考えられており、この神々を道教では星君(せいくん)または星神(ほしがみ)と呼びます。
星君/星神とは、個別の天体(惑星や恒星)や星官(星座)が擬人化されたり、関連づけられたりしている神々のことを言います。なお、四御の紫微大帝、天皇大帝や、六御の南極老人も、星神(星君)に分類されます。
道教における星君(星神)は、「○○星君」という名前を持つことが多く、また、通常の呼称のほかに称号として持つ場合もあります。なお、異称として「星官斗府群真」「斗府諸聖」「诸星曜神」があります。
星君の例
月老星君(月下老人)
壽星天慶星君(南極老人)
太陰星君(嫦娥)
大魁星君(魁星)
太歳星君
太白星君(太白金星)
北斗九辰星君(九皇大帝)
北斗星君
南斗星君
ただし、道教には、紫微大帝、天皇大帝、斗母元君のように「星君」号を持たない星神もいます。
「星君」号を持たない星神
織姫
紫微大帝
天皇大帝
天蓬元帥
斗母元君
伝説では、道教の星神たちは斗母元君や紫微大帝によって統率され、「斗府(とふ)」という天界の役所に所属すると言われています。
- 北極星と北斗七星
北極星は天帝(天帝太一神)の居所と考えられ、北極星を中心とする星座は天上世界の宮廷に当てられて紫微宮と呼ばれました。
そんな北極星は、天を見上げるとひとつだけ動かず、夜空に一際輝く星です。そのため、古の人たちは北極星を軸に空が動いていると考えていたことから、やがて、人々の生死や福過を支配する神とされるようになりました(神として神格化され厚く信仰された)。北極星信仰は周代にみられましたが、道教の神として定着するのは、唐末以後とみられています。
北極星を周回する北斗七星は北辰(北極紫微大帝)の乗り物で、やがて北極星と同一視されるようになりました。なお、北斗七星は、おおぐま座の腰から尻尾を構成する7つの明るい恒星で象られる星列で、貪狼星、巨門星、禄存星、文曲星、廉貞星、武曲星、破軍星(凶星)の7つの星をさしています。
古代中国の道教系の思想では、北斗七星が北極星とともに人の生命を司る司命星とされる信仰が生まれ、「本命星(運勢判断に用いる九つの星のうち、その人の生年にあたる星)」を北斗七星のなかの星に配当する信仰もあります。人は生まれ年の干支から北斗七星のいずれかの星に属しているとされます。ここから人の生まれ年による「属星」という考え方が定まり、延命長寿のために、自分の属星を祈る北斗七星祭祀も生まれたそうです。
貪狼星(たんろうせい) 子(ね)年
廉貞星(れんていせい) 辰(たつ)・申(さる)年
巨門星(きょもんせい) 丑(うし)・亥(い)年
武曲星(ぶきょくせい) 巳(み)・未(ひつじ)年
禄存星(ろくそんせい) 寅(とら)・戌(いぬ)年破軍星(はぐんせい) 午(うま)年
文曲星(ぶんきょくせい) 卯(う)・酉(とり)年
- 日月星辰の神々
こうした北斗七星が神格化・擬人化されて信仰の対象となったのが北斗星君です。また、北斗七星と対象的な南斗七星にも、南斗星君がいます。他のよく知られた日月星辰の神(太陽・月・星々の神)と併せて紹介します。
北斗星君(ほくとせいくん)
北斗星君は、道教思想にもとづいて、北斗七星を神格化したもの(北斗七星を擬人化した神格)で、万物の死を司り、死する先を決する神です。死んだ人間の生前の行いを調べて、地獄での行き先(人間が落ちるべき地獄の種類や拘留期間)を決定すると言われています(日本でいう所の閻魔のような役目を持つ)。
また、北斗星君は人の寿命を記した巻物を持っているとされ、そこに記された数字を増やしてもらえば、寿命が延びると伝えられています。
南斗星君(後述)と対を成す存在で、南斗星君が温和な性格なのに対し、北斗星君は厳格な性格をしていると言われています。一説によると、その姿は氷のように透き通った衣に身を包む醜い老人とされています。
南斗星君(なんとせいくん)
南斗星君は、南斗六星を神格化したもの(南斗七星を擬人化した神格)で、万物の生を司ります。生に関する名簿を持ち、生する先を決すると言われています。
南斗六星は、いて座の上半身と弓の一部からなる6つの明るい星の集まりで、具体的には、天府、天梁、天機、天同、天相、七殺の6つの天体(天の宮)からなり、以下のように、それぞれ、役割を持った星神が配置されています。また、さらに上の神である南極長生大帝(南極老人)の管理下で、6つの宮(天体)の6つの星を統括しています
天府(第一天府宮)・「司命星君」:人間の寿命
天梁(第二天相宮)・「司禄星君」:蓄積・財産の管理
天機(第三天梁宮)・「保命星君(延寿星君)」:延命・長生きに
天同(第四天同宮)・「保生星君(益算星君)」:妖怪を含む万物の寿命や延命
天相(第五天枢宮)・「度厄星君」:苦しみ・災いの相談
七殺(第六天机宮)・「上生星君」:極楽往生への案内
南斗星君は、北斗星君と対を成す存在で、北斗星君が厳格な性格なのに対し、温和な性格をしていると言われ、その姿は炎のように燃え上がる衣に身を包む醜い老人であったり、逆に美しい青年であったりと諸説あります(北斗星君の容姿は醜い老人という事でほぼ統一されている)。また、生と死を司る二神が許可すれば、人の寿命を延ばせるとも伝えられています。
また、北斗星君と南斗星君の二神に、神話的な星列である東斗、西斗、中斗の星君が加わり、五斗星君と総称されます。対応する星列は、東斗五星、西斗四星、中斗三星です(北斗星君の星列は北斗七星、南斗星君の星列は南斗七星)。
北斗星君:北斗七星
南斗星君:南斗七星
東斗星君:東斗五星
西斗星君:西斗四星
中斗星君:中斗三星
斗母元君(とぼげんくん)
日・月・星辰を統治し、星神(北斗衆星)の母と称される女神(元君とは高位の女神を差す用語)で、あらゆる障難を除き、利益を賦与する職能があるとして崇敬を集めています。斗母元君は、人の寿命をつかさどる司命の神で、大梵天(最高位の神の居場所)に住んでいるとされ、陽炎や日の光を神格化した仏教の摩利支天が道教化された(摩利支天を取り込んだ)神と言われています。斗姥元君(とろうげんくん)や太一元君(たいいつげんくん)とも呼ばれます。
月老星君/月下老人(げっかろうじん)
月老星君(月下老人)は、縁結びの神さまで、唐代の貞観二年に出現したという伝説があります。その姿は布袋を下げた白髪、白髭の老人で、月明かりのもと、本を読んでいたと言われています。袋の中には「運命の赤い糸」が入っていて、老人が呼んでいた本は結婚相手の名前が記された姻縁簿だそうです。将来の結婚相手はこの帳簿に記され、それぞれ赤い糸で結ばれているとされています。民間伝承によると、七星娘娘(織姫)が旧暦の七夕ごとに未婚の男女のリストを天に提出し、月下老人はそこから各人の資質・性質・条件を鑑みて結びつけ名簿にするのだと言われています。
<四方の神(四神)>
四聖大元帥(しせいだいげんすい)
道教における四神(しじん)とは、東西南北の災いを封じ、天の四方を守護する四柱の神のことで、東は青龍(せいりゅう)、西は白虎(びゃっこ)、南は朱雀(すざく・すじゃく)、北は玄武(げんぶ)の四神(霊獣)をいいます。「方位の四神」(四方の神、四帝の属)とも呼ばれます。方向は色で決まり、南は赤、東は青、西は白、北は黒で、季節もそれぞれ夏・春・秋・冬が対応します。
もともと四神は、古代中国の天文、占星術からの神獣で、周時代が起源とされ、漢時代には、その姿や役割も定まりました。当時の多くの信仰や民俗を吸収して成立した道教は、天文分野から四神を取り入れました。
なお、道教においては擬人化され、青龍は「孟章」、白虎は「監兵」、朱雀は「陵光」、玄武は「執明」という個人名が定められます。また、人格神化した名前はそれぞれ、「青龍帝君孟章、白虎帝君監兵、朱雀帝君陵光、玄武帝君執明」で、「孟章神君」「監兵神君」「陵光神君」「執明神君」と呼ばれる場合もあります。
また、道教において四神は、たとえば、青龍星君のように、星君(せいくん)としても信仰されています(四神を総称して四霊星君とも呼ばれる)。
東 : 青⇒青龍 (青龍帝君孟章) (青龍星君) 春
西 : 白⇒白虎 (白虎帝君監兵) (白虎星君) 秋
南 : 赤⇒朱雀 (朱雀帝君陵光) (朱雀星君) 夏
北 : 黒⇒玄武 (玄武帝君執明) (玄武星君) 冬
さらに、玄武が発展し、玄天上帝という有力な神が派生して成立しています。
玄天上帝(真武大帝)
玄天上帝(げんてんじょうてい)は、方角神(四神)で北の守護神である玄武が、北極を司る幾つかの神と統合され、北方の天の上帝(最高神)として、また天の中心である北極星として神格化されました。その過程で、玄武は、真武さらに玄天上帝へ地位を向上させていきました。
玄武としての玄天上帝
玄天上帝は、まず、四霊(四象、四神)(青龍・朱雀・白虎・玄武)のうち、玄武が道教の神に発展したもので、玄武が人格化され、神に格上げ(人格神化)されました。
玄武は、四方の守護神のうち、北方守護をその任とした北方を司る獣神(霊獣)で、北斗七星の象徴とされました。亀に蛇が巻き付いた亀と蛇の合体した姿で描かれ、伝説では、星が崇拝された頃、北方七宿(北斗七星)の形を繋げると、亀に蛇が巻き付いた形になったと伝えられています。
四神のうち、どうして玄武だけが、人格神化されたのかといえば、漢民族にとって、五胡十六国や遼、金など北方の異民族との対峙というのは、常に政治的に大きな問題であったため、古くは毘沙門天がそうであったように、武勇の神として北方守護の神が重視されることになったからだと言われています。
武神(真武)としての玄天上帝
その後、徐々に四象(四神)崇拝を脱して、玄天上帝は、宋代までに、真武という武神として、北天の神、紫微大帝(北極紫微大帝/北極大帝/北帝)の四大神将の一つとなりました。北帝の四将とは、天蓬(てんほう)・天猷(てんにゅう)・黒煞・玄武の四将を指します。言い換えれば、北帝(北極大帝)に仕える北方四将の一柱とされたのです。
さらに、明の時代になると、武神の最高位(北天系最高位の破魔の武神)にあるとされ、関帝や華光、また哪吒太子や二郎神に対しても、命令を下す立場とみなされたこともありました。
星神としての玄天上帝
加えて、真武は、同じ時代(宋代)に、玉皇への信仰が確立するのに伴い、北極崇拜と融合し、五代(907~960)の前には、北極紫微大帝(北極大帝/北帝)の神系に属する星座の神(星神)、玄天上帝として信仰の対象となりました。
なお、北帝は六天を統べる者とされましたが、三清道祖の元始天尊から指示を受ける立場と見られています。こうした逸話から、玄天上帝は、元始天尊の化身とも、玉皇上帝の化身ともされています。
一方、伝説によれば、玄天上帝(真武/玄武)は、玉皇大帝に認められて天上界へ召され、(殷の紂王の時代に)玉皇大帝から地上の妖魔退治の命を受け、敵を鄷都の獄へ閉じ込めた功績によって玄天上帝の称号を与えられたとの逸話も残されています。
玄天上帝の姿にも、変化が生じ、玄武に時代、頭はざんばら髪で、亀と蛇の合体した姿で描かれていましたが、武神の時代、冠を着けずにざんばら髪のまま、足も裸足で、黒い服を身に付け、鎧兜に身を固め、七星剣という武器を持ち、足の下に、亀と蛇とを踏みつけて描かれています。これは、玄武の本体であった亀と蛇は、真武配下の神で、蛇将軍・亀将軍の二将という扱いになってしまったからだそうです。
このように、玄天上帝は、時間の推移とともに、玄武として、四象(四神)の系統を脱し、道教の神系において、どんどん位階が上がり、武神さらには星神から転化して具体的な人格を有する神(人型の神)、玄天上帝という位に就きました。なお、北帝の名を持つ神は中国神話、道教に複数存在しますが、玄天上帝もその名で呼ばれる事になったのです。
加えて、玄天上帝の役割は、玄武と同様、北方守護とされていますが、北方は陰陽五行説で「水」に属するため、玄天上帝は、水神(水を司る存在)であるともされ、さらに、転じて、媽祖と並ぶ海神ともなりました。また、玄天上帝(真武大帝)は、霊符を司る神、鎮宅霊符神とも考えられています。
さらに、玄天上帝(玄帝)は、別名として、真武大帝、真武君(しんぶくん)、北極大帝、北極佑聖真君(ほっきょくゆうせいしんくん)」、玉虚師相、玄天大聖、開天大帝などがあり、玄天上帝をまつる廟や寺院は真武廟、玉虚宮、玄天宮、北極殿などと呼称され、中国(特に広東)、台湾、香港、さらにはベトナムなどでも多くの廟が建てられ、篤い信仰を受け続けています。
- 武当山と真武大帝
玄天上帝(真武大帝)の聖地は武当山で、湖北省にあり、壮麗な建築を数多く有することで有名です。山頂には、建物をまるまる銅で作った「金殿」があります。ユネスコの世界遺産にも登録され、武当山は、山東の泰山と並び称される参拝地となっていきました。。
武当山は玄天上帝の聖地とされる所以は、玄天上帝(旧暦の3月3日がその生誕日とされている)が武当山に住んでいたとされ、人身で描かれたりしているからです。明の永楽帝が莫大な費用を使って数多くの殿宇を建てたと言われ、玄天上帝は王室の守護神とされていました。また、武当山は少林寺と並んで、武術のメッカで、「仏教の少林寺か道教の武当山」と言われました。明の時期に張三丰(ちょうさんぼう)がここで拳法を伝えたという話が残されています。
<関連投稿>
<参照>
道教とは何か?…道教の教えとその歴史(アイスピ)
道教の起源と形成
道教の歴史と思想・神々(中国語スクリプト)
中国史いろいろ 道教の神々 (戸田奈緒子)
八仙(中国民間神紹介6)(関西大学)
玄天上帝 Xuandi(関西大学)
中国神話伝説ミニ事典(神仙編)
ピクシブ百科事典
コトバンク
世界史の窓
Wikipedia
(2024年5月5日)