道教の源流 道教=老荘思想ではない!?

 

今回から「中国の道教を学ぶ」をシリーズでお届けします。

(儒教については、「中国の儒教を学ぶ」を参照下さい)

 

道教は、儒教、仏教に並ぶ中国三大宗教の一つで、儒教とともに中国漢民族の固有の宗教です。道教というと老子が始めた道家思想のことであると思う人がいるかもしれません。しかし、実際、「道教=道家(老荘)思想」ではありません。もちろん、道教は老子や荘子の思想を源流・中核としますが、その教義は老荘思想に限定されないのです。

 

道教は、「中国文化の雑貨店というぐらい色々なものを含んでおり、およそ中国人の精神的なもので道教でないものは考えられないくらいである」と言われるほど複雑すぎて、誰も、道教を体系的に一つまとめて説明することはできないと評されています。

 

そんな道教は、中国人の生活習慣のなかに採り入れられ、中国の伝統的民衆文化の特色を備えながら発展し、信仰の対象となっていきました。今回は、こうした複雑多岐な道教について紐解いていきます。まずは、道教を形作っている様々な思想・信仰についてまとめました。

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 

道教は、老子・荘子が説いた「無為自然」による「道」の思想(道家思想)を中心として、それ以前から信仰されていた、符呪(ふじゅ)(おふだやまじない)による長寿や金銭的な豊かさ、家庭の幸福などの現世利益を求める宗教(原始巫術)や、不老不死を求める仙人の術(神仙思想)、同じ諸子百家の陰陽家による易の宇宙観(陰陽道)などと融合し、さらに後に中国に流入してきた仏教の慈悲と救済の思想などを取り入れて一つの宗教体系となりました。

 

道鏡が、その成立の過程において、道家思想(老荘思想)に融合させた、他の信仰や思想、伝統、文化、習俗を列挙すると以下のようになります。

 

  • 老子を神格化させた黄老思想
  • 天を敬い地を崇拝する(自然を尊ぶ)敬天崇地思想
  • 原始的なアニミズムの民間信仰や、符籙(=おふだ)を使った呪術・巫術信仰
  • 仙人のような不老不死を希求する神仙思想
  • 中国で古より発達した金属の精錬技術や、医術、本草学(薬物学)
  • 儒家の儀式や倫理思想、陰陽家の易、八卦、讖緯説など諸派の教え
  • 仏教の制度や理論・信仰(死生観、地獄の概念、因果応報、輪廻転生など)

 

それでは、道教の源流思想の中から、老荘思想(道家思想)、呪術信仰(巫鬼道)、神仙思想(方仙道)、黄老道、陰陽思想・讖緯説の詳細をみていくことにしましょう。

 

 

<道家(老荘思想)>

 

道家思想は、春秋・戦国時代(前770〜前221)にでた諸子百家の老子と壮子の思想(老子や荘子を祖とする諸子百家の一つ)で、老子や荘子の道家の思想をあわせて老荘思想ともいい、道家は、老子・荘子(老荘)の教えを奉ずる人々のことをさします。荘子より先にでた老子が、道教とともに道家の始祖(開祖)と位置づけられます。

 

道家思想に中でも、老荘の「道」の概念が中心理念であり、道教でも基本概念となっています。道(タオ)とは、一般的に、天地よりも先にあって、天・地を含む万物を生み出す宇宙の本源であり、人間の知恵を超えた、世界を支配する根本原理であると捉えられています。道教は、この「道」(タオ)を信仰する宗教であり(これが道教と呼ばれるゆえん)、道家は、「道」に従って、無為自然に生きることを主張します.

 

老荘思想は、魏晋南北朝時代を通じて、貴族の中で流行し、その後は、貴族社会だけではなく、民衆にも浸透していきました。

 

  • 老子の思想

 

老子は、荘子とともに道家の祖で(時には神格化される)、春秋時代(前770〜前403年)に生きた(史記の記述によると、老子は紀元前6世紀の人物)とされています。孔子(前551頃〜前479)と同時代とされることもありますが、正確な生没年は不詳で、実在が疑われることもあります。「老子」(「老子道徳教」「道徳経」)は、文字通り、老子の著作とされていますが、難解な形而上学的議論が多いことで知られています(なお道教では「道徳真経」とも呼ばれる)。

 

老子によれば、道(タオ)とは、「天地をはじめとして、宇宙の万物を生み出す根源的な原理、万物を生育する根源であり、絶えず移り変わる人間の幸不幸を超えた絶対的なもの」です。

 

ゆえに、人間の本来の理想的なあり方は、「道」にのっとって、人為にとらわれず、作為を労しないで、一切自然のなりゆきに任せることであるとされました。この境地が「無為自然」であり、人間は、無為自然の道に従って生きることが理想であり、本来の生き方であると老子は説いたのです。「道」は完全な存在で、万物もまた完全なので、私たちも「無為自然」に生きることが理想とされました。

 

人の生き方も、常に身を低くして、あえて争わないという「柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ)」の態度が理想とされました。老子は、「最上の善とは水のようなものだ」。水のよさは、あらゆる生物に恵みを施し、しかもそれ自身は争わず、それでいて、高い所でも低い所でもどんな場所にいても満足していると説いています。

 

もともと道の現れである世界は完全なので、道に従って、「無為自然」に生きれば、すべてが順調にいき、逆に、人間が作為を弄すれば、自然のバランスが崩れてしまうだけの結果になると考えられたのです。

 

老子の思想は、本来的に政治的なものと言われています。ですから、孔子に始まる儒家が仁義忠孝といった人為的な道徳を再建することで国が平和に治まると考えたのに対し、老子は、儒家の徳や礼などの教えを、人間の考え出した人為的で不自然であるとして否定し、さらに、「大道廃れて仁義有り」と説きました。これは、人がふみおこなうべき正しい道が自然に行われていた太古は、特に仁義を説く必要はありませんでしたが、後世、無為自然の大いなる道(道徳)が廃れ、世の中が乱れているので、仁義が必要になったという意味です。人間の決めた礼や徳ではなく、宇宙の原理としての「道(タオ)」に従うべきだと考えたのです。ゆえに、老子は、人為によらない無為自然によってこそ国は治まると主張しました。

 

政治のあり方(統治の方法)も同様で、孔子が「治国平天下」(どのように国と社会を治めるか)を論ずるのに対して、老子は、大国を否定し、少数の民が住み、自給自足を行う農村共同体程度の小規模な社会、「小国寡民(しょうこくかみん)」を理想としました。そこでは、自然ととも無為自然に生きることができると考えられました。

 

  • 荘子の思想

 

荘子(そうし)は、前4世紀の宋の人で、老子とともに道家の祖とされ、老子の思想を発展させました。「荘子」は道家の代表的書物とされています。

 

荘子は、宇宙の根源としての道を説き、この世界の有様を「万物斉同」と呼びました。この世界では、差別はなく、善と悪、是と非、美と醜といった区別は人為的、相対的なもので、人為や対立を超えてすべて同一であり、この等しい絶対的世界こそ真実として存在しているとされました。さらに、この世界は、道がおのずから現れたもので、そこに対立や差別はないのであるから、宇宙(道=タオ)に思いをよせて、心身とも天地自然と一体になる境地を理想としました。

 

このように、万物斉同の境地に立って、宇宙の流れに無為自然として同調し、何事にもとらわれない自由なのびのびとした境地に心を遊ばせることを「逍遙遊(しょうようゆう)」といい、そのような境地に到達した理想の人物を「真人(しんじん)」と呼びました。

 

 

<古代の原始巫術(鬼神崇拝)>

⇒巫鬼道(ふきどう)

 

  • 巫術(ふじゅつ)

古代中国の巫術(巫道、巫教)は、一般にはシャーマニズムとして知られ、特別な能力を持つシャーマン(巫覡(ふげき))が神々とつながって、呪術を行う原始宗教の形態で、漢代以降、特に盛んになりました。精霊や冥界の存在などが信じられ、民間で行われていた療病・禳災(じょうさい)(わざわいを払いのけること)・送葬求雨などの活動と密接に結び付いて発展しました。巫術(シャーマニズム)独特の形態としては、護符(御札)、祈禱の儀式、仙術、占術(占い)などがあります。

 

護符(霊験あらたかなお札、お守り)

符(おふだ)や呪水といった呪術的方法を用いて病人の治療などを行います。護符の中でも、霊符(呪符)は、悠久の太古より中国に伝わる道教秘奥で、天上の神々に起源を有しているとされています。御宝前で修法を厳修したあと、念を込めて謹書され、除災招福、願望成就、運気転換などが可能となる力を有すると信じられています。自宅に貼る事で様々な邪気を寄せ付けず、運を引き込む鎮宅の霊符や、帯持する(財布などに入れて持ち歩く)お守りとしての霊符があります。

 

祈禱の儀式

祝詞や呪術的歩行など様々な事柄にそれぞれ様式が整えられていました。例えば、「禹歩(うほ)」は、天皇または貴人が外出のとき、道中の無事を祈って陰陽家 (おんようけ) がまじないを唱えながら舞踏する作法で、足を進めるときに、二歩めを一歩めより前に出さず、三歩めを二歩めの足で踏み出す歩き方です。これによって、鬼神を避け悪霊から身を守ることができるとされています。

 

仙術(仙人の行う術)

雨乞の法、空中歩行の法、鬼神を使う法など知られています。

 

占術

自然的または人為的現象のある面を観察することで、将来の出来事や人間の運命を判断したり予知したりする方術で、命占(命術)、卜占(ぼくせん)、「観相」などがあります。

 

命占(めいせん):生年月日、誕生地など、生まれ持った情報(命式)をもとに占いを行うこと。

観相:人の容貌(人相)・骨格などによって、その人の性質・運命を判断すること占うこと。

卜占( ぼくせん):易を立て(易の書物を見たり、算木や筮竹(ぜいちく)を用いたりして占う)て占う行為で、古代中国で行われた亀甲占い(亀の甲羅や鹿の骨(太占(ふとまに))などを焼いて亀裂の出来具合で占う)が代表的。

 

巫術は、シャーマン(呪術師)を介して行われます。シャーマンは、(ふ/かんなぎ)または巫覡(ふげき)とも呼ばれ、神に仕えて、神楽を奏して神意を慰め、祈祷や神おろしをする人です。若く美しい少女が多く、きれいな服を着て歌い舞ながら巫術を行いました。巫(巫覡)はまた、民間で福を祈り災いを払うために神を降ろしただけでなく、貴族が先祖を祭るときにも術を施したり、死者を埋葬する際にその罪業を払ったりもしました。そのため、巫術は、鬼道(きどう)とも呼ばれます。

 

 

  • 鬼神信仰

中国において,(き)とは本来死者の霊魂,幽冥の世界における霊的存在(亡霊)のことを言います。人間は陽気の霊で精神をつかさどる魂と,陰気の霊で肉体をつかさどる魄(はく)との二つの神霊をもつとされ、死後,魂は天上に昇って神となり,魄は地上にとどまって鬼となると考えられました。巫覡(シャーマン)は、神を装い、鬼を弄ぶ巫術を施したり、(護符の一種である)「黄神越章」の印を押して鬼を駆り、邪を鎮めたりもしたのです。

 

さらに、そこから、鬼神信仰が生まれました。鬼神(きしん/きじん)とは、死者の霊魂を神として祀ったもので、鬼神は超自然的な力を有し、生者に禍福をもたらす霊的な存在として、崇拝されました(信仰の対象になりました)。こうして、巫術と鬼神信仰(崇拝)が融合して、巫鬼道(ふきどう)とも呼ばれるようになりました。

 

 

<神仙思想>

 

神仙思想(神仙術、神仙説)は、道教の教理と教義には常に含まれているため、道教の源流を追求するにあたり欠かせません。神仙思想(神仙信仰)とは、中国古代の原始的なシャーマニズムやアニミズム(霊魂あるいは精霊を信仰する原始的な宗教形態)などの民間信仰(土着宗教信仰)の一種で、神仙(死を超越した人間、不老不死で神通力を持つ人)を信じ、仙人のような不老長生(不老不死)を希求する思想(信仰の形態)です(不老不死の仙人になることを求める信仰)。この仙人への道を追求する人は神仙家と呼ばれました。

 

神仙思想の不老不死の伝説は、起源ははっきりしませんが、戦国時代(前453(403)〜前221)の紀元前3世紀頃、秦から前漢にかけて、中国の山東半島を中心に中国全土に広がりました。とりわけ、漢の武帝(前156-前87年)の時代に大変流行したと言われています。これは、はるか東海の彼方にある蓬莱山(ほうらいさん)や、西方の果てにある崑崙山(こんろんざん)に仙人や羽人なるものが存在するという伝説に由来します。

 

また、「史記」によれば、紀元前3、4世紀ころの渤海沿岸の国である斉や燕の諸侯王たちが東海上にあるといわれた瀛州(えいしゅう)、方丈、蓬莱という三神山に人を派遣し、仙薬を求めようとしたそうです。医学や方術の発展とともに、人間もしかるべき方法論(神仙術)に従い努力を積めば、仙人に成りうるものと信じられるようになり、当時の王たちで神仙説にあこがれない者はなかったと言われています。

 

秦の始皇帝(在位前221~210)や漢の武帝(前156-前87年)はこれを愛好したことで知られています。とりわけ、始皇帝が方士(方術の士)の徐福に命じ、東海にあるという仙薬を求めさせたことは有名な話しです。

 

当初は不死の仙薬は、蓬莱山や崑崙山のようなどこかの神山に存在するので、それを探し出すことが問題でしたが、やがて、不老不死(仙人)になるための神仙術(方技)(=長生術、仙学)が考案されるようになりました。それには、修行による養生術(ようじょうじゅつ)と、不死の仙丹という薬(丹薬、金丹)をつくって服用する錬丹術がありました。簡単に言えば、体操による訓練か薬を使うかということです(広義には、錬丹術も含めて養生術という場合もある)

 

  • 養生術(養生法)

不老不死・昇仙を目的として、健康・長寿に加えて、食事法から、調息、歩引、導引、吐納、存思、房中術など、諸行法が総合されて様々な「養生法(術)(長生法)」が説かれました。

 

歩引(ぶびき)は、呼吸法などを含めた身体の屈伸運動・柔軟体操をいいます。

吐納(とのう)は、呼吸のことで、呼吸法を中心として体内の古い気を吐き出し,新しい気を取り入れる気功の一種です。

 

静定(せいてい)は、座式,立式などさまざまなポーズをとりながら,視覚や聴覚などの外界への感覚を 閉ざし,内側に感覚を開き,脳を深く休息させる気功の一種です。

 

導引(どういん)は、新しい空気を体内に導き入れる深呼吸だけでなく、身体の筋肉・骨格系のストレッチ(身体の屈伸)によって、正気を導き身心を調整するもので、舞踊、動物の動作をまねたものがあります。これによって、張りや緩みに乗せて気の流れをつかんでいくことができるそうです。現在でも活用されているマッサージによる健康法である按摩(自己按摩)も導引の一種です。

 

この次元の鍛錬は、単なる身心の健康維持にも関わるものですが、辟穀、存思、胎息、房中術などの養生法は、まさに、仙人となって不老不死を目指すものと言えます

 

辟穀(辟谷)(へきこく)とは、五穀を食べないこと、即ち断食のことです。様々な呼吸法によって穀物を断ち天の清らかな気のみを吸引することで長生が可能になるとされました。道教では、人体内に3匹の悪い虫(三尸さんし)が住んでいて人に害を及ぼし、肉体を衰えさせる原因となると考えられ、彼らの常食とする穀物を絶つことで、この虫を殺すことができるとされていたのです。

 

存思(そんし)とは、瞑想のうちに神々を思い描く(道教の神々などの外界には対応物のないイメージを内界に形づくり)観想法で、腹の中の「五臓」にいる神をイメージ(そこに意識を集中)することで飢えること無く不死になると教えられました。これによって、自身の身体と宇宙(道タオ)を合一させることができるそうです。

 

胎息は、宇宙の気を身体に取り入れて全身に巡らせる特殊な呼吸法で、身体が軽くなって最後には地から浮上して天へ昇ること(空中浮遊)ができるとされました。

 

房中術(保精術)は、性生活における技法で、男女の交合(こうごう)によって不老長生を得ようとする養生術です。主として性交の際の禁忌や技法が説かれます。

 

 

  • 錬丹術(外丹・内丹)

錬丹術(煉丹術)(れんたんじゅつ)とは、水銀、鉛などの鉱石や、キノコの一種である芝菌など金石草木を調合して、不老不死の薬(丹薬、仙薬)を錬成する(作る)ことで、一名(別名)、「外丹術外丹)」と言います。錬金術のように金属からつくられた薬をとくに金丹(丹薬)といい、かつて仙術の根本は金丹の作り方を示すことでした。金丹は、基本的に硫黄と水銀の化合物である丹砂から黄金を化成して生成されます。この金丹を服餌(ふくじ)(=服薬)する法が外丹(術)です。

 

しかし、錬丹術(外丹術)は、東洋の錬金術と呼ばれますが、1000年かけても成功せず、歴代王朝の皇帝をはじめ、多くの人々を中毒死させました。初めて中国全土を統一した秦の始皇帝もその一人とされています。神仙の道を願った始皇帝は、古代中国において、山東半島のはるか東の蓬莱山に不老不死の仙薬があると信じられていたため、その仙薬を求め、徐福を蓬莱山に派遣させたという逸話も残されています。

 

なお、不老不死の霊薬の生成を目指す錬丹術の研究は、副産物として火薬を生み出したとされ、人類の文明に大きな影響を与えました。

 

内丹(内丹術)

錬丹術といえば一般に「外丹術」を指し、仙道の初期段階において、この外丹(錬丹術)や存思法、房中術が主な養生法でした。しかし、その後、唐代において、道教の養生術から、従来の外丹術とは異なる内丹術(内丹道)という修行法が生み出され、宋代以降は、内丹法が養生術で第一のものとされるようになりました。

 

内丹術は、水銀のような自然界にある物質を用いず、天地万物の構成要素である「気(心や体の働きの根源)」を、体内に取り込み、身体を内鼎(ないてい)(=かまど)に見立てて、精・神・気を内に錬丹する、それを神秘的な霊薬である「内丹」として、自己の身中に養おうとする技法です。

 

それによって、最終的に道(タオ)に一体化(合一)することができ、不老長生(不老長寿)を実現できると考えられたのです。丹を錬(煉)るという言い方がありますが、もともとこれは、昔、中国の道士(道教の指導者)の術で、辰砂(しんしゃ)(水銀からなる鉱物)を練って不老不死の薬を作ること(またはその薬のこと)を言いました(外丹)。

 

内丹(術)は、それを(イメージのレベルで)瞑想のような方法によって(心気を丹田(臍下の下腹部)に集中して心身を練る術によって)、体内に生み出し、道(タオ)のはたらきを自身の内に実現させることで、道(タオ)そのものの神秘に近づこうとするものです。この内丹術(道)は、基本的に「丹」を体内で自分だけでつくりますが、後代、若い女性との目合(まぐわい)(=性交)を通して「気」をとり、自分の「気」に加えて「丹」をつくる房中術を取り入れた内丹術の系統も生まれました。

 

内丹と気功

養生術、特に内丹(術)においては「気」が大きな役割をもち、老子は養生として「静をもって生を養う」ことを重んじ、静的な養生法として気功を提唱したとされています。ここでいう気功は、体内に「気」を循環させ、身体、心、精神のエネルギーを最適化する身心の修養法のことをいい、呼吸法や瞑想法を通じて、不老不死の仙人になる、中国の伝統的修行体系の一つです。

 

内丹(術)は、先行する行気・導引・存思・胎息などの気の養生術を否定しがちですが、実際にはそれらの気の技法の組み合わせから、総合的に昇華発展したものと考えられています。実際、気功はその鍛錬する領域に応じて,導引,吐納,静定,存思,内丹の 5 つ に分類する分類方法もあります。

 

神仙思想(仙学)は、養生術や錬丹術(外丹・内丹)を通じて、不老長寿が追及される過程で、陰陽五行説などとも結びつき、鍼灸(しんきゅう)、本草(ほんぞう)(漢方)や、按摩(あんま)、黄冶(こうや)(=体操、食物、錬金養生)などを含む方仙道として、秦・漢の時代に発展していきました。

 

 

<黄老思想(黄老学)(黄老道)>

 

黄老の黄は、伝説上の皇帝である黄帝、老は、道家の始祖である老子を表し、それぞれの名前を取って「黄老」と命名されました。黄帝は、「三皇五帝」における五帝の最初の皇帝で、古代の中国文化のほとんどが黄帝によって作られたとされる上古の聖王で、神話のなかで中国の造物主とされ、戦国時代から方仙道や医方術と結び付けられ神仙の祖とされました。

 

黄老思想とは、黄帝と老子を神仙とみなし崇拝する思想で、両者を始祖とする道家の一学派です。特に、老子(前571?〜前471?)の神格化に注力し、老子は太上老君として崇められ教主とされました。教書としては、「老子」や黄老思想を論じた「黄帝書」があります。

 

黄老思想といっても、実質的には老子の思想です。では、どうして、老荘思想(老子の道家思想)ではなく、敢えて黄老思想といったかというと、それは、老子の思想を権威付ける意味もあり、上古の聖王と崇拝されていた黄帝と結び付けられたからだとみられています。黄老思想の中身は老子の思想ですので、その理想も「無為の治」です。君主は政治に過度に干渉することを避け、基本的な最小限の法に統治を委ね、単純簡素な政治を行うことが説かれました。

 

黄老思想は、戦国末に成立し、特に前漢初期に、「黄老の道」と呼ばれて大いに流行しました。これは、春秋・戦国時代(前770年~前221年)の混乱期を反映してか、当時、国を「自然回復」させることに有用とされ、天下を「無為自然」、つまり、あるがままに任せ、民力の回復に勤め、国力の増強を計ることが求められたからだと考えられています。

 

戦乱からの回復期にあった前漢初期の統治のための思想として、「黄老思想」はまさに適したものでしたが、漢の国勢が回復し、前代に衰退した儒教が再び勢力を取り戻してきました。とりわけ、前漢の武帝(在位:前141~前87)が国家の指導原理として、儒教を採用したことから、無為自然の政治思想としての「黄老の道」が衰退していきました。

 

すると、後漢(25~220年)の時代、黄老思想に、神仙思想が入ってくるようになると、黄帝と老子の神格化が行われ、黄帝は神仙の祖、老子は太上老君(道徳天尊)とされました。もともと、黄帝の伝説にはかなり神仙的な部分があるので、神仙思想と容易に結びついたと考えられています。仏教と中国文化との相互影響の結果、「黄老」は仏陀と同類と考えられるようになったことも、両者の神格化につながりました。

 

こうして、黄老学は、神仙学(方仙道)の思想を含んだ黄老道として、宗教化していき(宗教集団=黄老道)、老子が実質的な神仙思想の祖だといわれるようになっていきました。

 

 

<陰陽道・讖緯説>

古代中国の陰陽五行説やそこから発展した讖緯説も、道教の形成に間接的に貢献しました。

 

  • 陰陽五行説

陰陽(いんよう)五行説は、陰陽説と五行説が結びついた思想です。陰陽説は、世界のあらゆるものは、陰と陽の2つの気で成り立ち、社会と自然など世の中の現象は、その陰と陽が交替して、現れると考える思想で、春秋戦国時代の諸子百家の一つである陰陽家によって説かれました。中国に起こった最初の自然哲学とされる易も、陰と陽との二元で自然現象を説明します。

 

五行説は、宇宙のあらゆる物を生成させる根本元素は、木・火・土・金・水の5つの要素(五行)であり、世界は、五行の循環や相互作用によって運行し、変化していくとする考え方で、陰陽家の一人である鄒衍(すうえん)(前305年頃 – 前240年)によって説かれました。

 

絶えず変化する自然の姿(自然現象)を解釈する陰陽五行説は、同時に、心身の状態や人間の運命にも関係する原理ともなり、漢代ごろに、道教、とりわけ神仙思想や道家思想(黄老思想)などに影響を与え、医学や卜占(ぼくせん)などにも応用されました。

 

 

  • 讖緯説

讖緯説(しんいせつ)とは、文字通りの解釈をすれば、「讖緯」の「讖(しん)」とは陰陽五行説の予言のことで、「緯(い)」とは孔子の定めた儒学の経書(経典)の裏に隠された吉凶・予言という意味です。そこから、讖緯説は、儒学の経書を経糸(たていと)とし、陰陽五行説の予言を緯糸(よこいと)として、歴史や政治上の変革を、占星術や暦学など陰陽五行にあてはめながら解釈・予測することによって、政策を決定していこうとする説です。

 

讖緯説は、言わば、儒学と陰陽五行説が合体した一種の未来予知説で、戦国時代の陰陽家に始まり、前漢から後漢にかけて盛んになった思想です。宗教集団、黄老道の形成に一役買ったとされ、道教だけでなく、儒教にも取り入れられるなど、中国の各王朝の政治決定にも大きな影響を与えました。

 

 

初期道教の成立

ここまで、道教の源流として、道家思想(老荘思想)、巫鬼道(巫術・鬼神信仰)、神仙思想、黄老の学(黄老思想)、陰陽道(讖緯説)をみてきました。道教は、道家思想(老荘思想)そのものというわけではなく、こうした他の信仰や思想、伝統、文化、習俗と融合しながら形成された雑多な信仰体系ということができます。

 

神仙思想は、ほとんどが古代の原始宗教の巫術に由来しているとされ、巫術の鬼神崇拝(巫鬼道(ふきどう)が神仙思想と融合していきました。さらに、老荘思想に箔をつけたと言える黄老の学(黄老思想)も神仙思想化したことから、神仙思想や巫術信仰などが融合した、初期の道教が成立していきました。また、黄老思想と融合した神仙思想が道教の中心思想となってくるとついに神格化された老子が道教の祖だといわれるようになってきたのです。

 

これは、前漢代(紀元前206年〜8年)が終わった1世紀頃、普遍性の高い仏教という宗教が大きな流れとなって中国に伝来し、道教も、対抗上、宗教(教団)として体裁を整えるためにも必要だったと解されています。

 

では、そうした道教は、何を教えているのでしょうか?まず、万物の起こりから、天地の成立や天界の有りさまから、多くの神々の配置、人々の行為を監視する天・地・水を司る三官の神々の存在などが説かれました。道教は多神教で、元始天尊などの最高神や、玄天上帝など高位の神々から、元は人間であった関帝など人気の神々も登場します。人々は神々に祈り、現世での幸せを祈りました。

(道教の神々の世界については、○●で詳細に説明)。

 

また、人の生き方としては、老荘(黄老)思想の「無為自然」を基本として、健康長寿を求める人々の期待に応えるべく、祈禱の儀式や護符、占術や仙術(道術)などによる養生法が説かれます。さらに、道教の究極の目的として、世俗を超越した仙人になることまで説いているのです。

 

次回、以降、今回の投稿記事の内容を深堀りしてお届けします。

 

<関連投稿>

道教2 教団としての道教:五斗米道、上清派、全真教…

道教3 道教:神々の系譜➀ 老子や南極老人も神!

道教4 道教:神々の系譜② 孫悟空や岳飛も神!

道教5 道教の歴史:巫術と神仙から始まった…

 

中国の儒教を学ぶ

インドと中国の仏教を学ぶ

 

 

<参照>

道教と仙道 「仙人入門」(高藤聡一郎)

道教と仙学(仙学研究舎)

道教とは何か?…道教の教えとその歴史(アイスピ)

道教と気功

道教の起源と形成

気功からみた身心医学の可能性(濱野清志J-Stage)

道教の歴史と思想・神々(中国語スクリプト)

3分でわかる!『老子』『荘子』(2023.4.7、Diamond Online)

中国史いろいろ 道教の神々 (戸田奈緒子)

八仙(中国民間神紹介6)(関西大学)

玄天上帝 Xuandi(関西大学)

中国神話伝説ミニ事典(神仙編)

ピクシブ百科事典

コトバンク

世界史の窓

Wikipediaなど

 

(2024年5月5日)