賢所御神楽:起源は「天の岩戸」神話

 

賢所御神楽(かしこどころみかぐら)は、毎年12月の中頃に、皇居の*賢所(かしこどころ)にて、執り行われる宮中祭祀で、賢所のご神霊、すなわち皇祖神の天照大神に感謝を込めて、*神楽が演奏されます。

 

その日は、賢所の前庭に庭火(にわび)が焚かれ、*人長(にんじょう)と呼ばれる一人の舞人を中心に、宮内庁式部職楽部の職員が歌舞(舞や奏楽)を神に奉納します。夕刻18時ごろから深夜0時過ぎまで、静寂の闇夜の中で厳かに行われます(非公開)。

 

昔は、*内侍所(ないしどころ)でも行なわれていたことから、近代以前は、内侍所御神楽 (ないしどころのみかぐら)とも呼ばれていました。

 

賢所御神楽の起源は、古く神代の「天の岩戸」の伝承に遡ります。「古事記」によれば、天照大御神が天の岩戸に御隠れになった(籠られた)時に、岩屋の前で、大勢の神様が歌い踊り、天照大御神を岩屋の外に誘い出すことに成功しました。このときの歌舞が賢所御神楽の始まりです。神話ではそれが冬至の時期であったことから、賢所御神楽も12月中旬に行われています。

 

朝廷の年中行事として、御神楽が最初に成立したのは、宇多天皇(在887〜897)が始められた*賀茂臨時祭の*還立(かえりだいち)と言われています。

 

ただし、内侍所御神楽としては、一条天皇の代の寛弘2年(1005年、内侍所が火災に遭い、神鏡が損傷する出来事がありました。そのとき、神慮を慰めるために行われたのが始めとされています。

 

その後、内侍所御神楽は不定期に行われていましたが、長歴2年(1038年)、後朱雀天皇の勅命により毎年12月の年中行事として行われるようになったという説や、白河天皇の承保年間(1074〜77)からは、それまで隔年だったのが,毎年行われるようになったという説があります。いずれにしても、内侍所御神楽(現在の賢所御神楽)は11世紀から毎年続く、伝統的な祭祀であることがわかります。

 

毎年挙行される賢所御神楽は、現在、形式的には「小祭」ですが、「天の岩戸」神話に由来する最も古い祭祀の一つであることもあって、ご*神饌は「大祭」なみに差し上げられているそうです。

 

賢所御神楽の重要性は、この祭祀が、天皇の即位行事の一環であることからもわかります。現在の天皇、皇后両陛下も、2019年12月4日、「即位の礼」と「大嘗祭(だいじょうさい)」を終えられたのち、「賢所御神楽の儀」に臨まれ、5月から始まった一連の即位関連儀式をすべて終了されました。神楽を奉納して、今上陛下が、即位の礼や大嘗祭などの無事な終了に感謝されるのです。

 

(用語)

*賢所(かしこどころ):皇室の祖先である天照大神を祀った神殿。旧内侍所。

*神楽(かぐら):歌や舞、奏楽など神を祀るために演じられる神事芸能のこと。

*人長(にんじょう):宮中の御神楽 の舞人の長(統率者)。

 

*内侍所(ないしどころ)

内裏で、「三種の神器」の神鏡を奉安する場所で、 女官の内侍が守護、奉仕したところからこの名がある。現在の賢所。

 

*賀茂臨時祭(かものりんじさい)

天皇が下鴨神社と上賀茂神社に勅使を派遣し、神々に神馬と東遊(あずまあそび)という歌舞を奉納する祭祀で、平安時代の9世紀末に始まり、旧暦11月(現在の12月)に行われました。

 

*還立(かえりだいち)

賀茂の祭に遣わされた奉幣使の一行がその任を終え、宮中に帰参した際に行われた神楽で、無事に祭祀が終わった謝礼と慰労の目的で行われます

 

*神饌(しんせん)

神さまに献上する食事、神さまへの供物(くもつ)、御饌(みけ)とも言う。

 

 

(関連投稿)

他の宮中祭祀については、本HP「日本の皇室」の中の「宮中祭祀・宮中行事」を参照下さい。

 

(参照)

神楽はタマフリではなかった!?

(2025.1.6 、新潟大学教員コラム/中本真人)

皇居で「賢所御神楽の儀」一連の即位関連儀式、終了へ

(2019/12/4、産経新聞)

賢所御神楽(Wikipedia)

賢所御神楽 (コトバンク)

 

投稿日:2025.4.18

むらおの歴史情報サイト「レムリア」