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2019年11月07日

神社:諏訪大社と住吉大社

10月16日の投稿で、長崎くんちと諏訪神社(鎮西大社諏訪神社)について書きましたが(「長崎くんちと諏訪神社の由来がおもしろい」)、本家の諏訪神社(諏訪大社)と住吉神社(住吉大社)について調べてみました。

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諏訪大社「

 

<概説>

諏訪神社と名のつく神社は、全国に約25,000社もあります。諏訪神社を中心とする神道の信仰を諏訪信仰(すわしんこう)と命名されるほど、諏訪神社は日本全国に広まっています(長崎の諏訪神社もその一つ)。その諏訪信仰の総本山が、長野県の諏訪にある諏訪神社で、現在は諏訪大社と呼ばれています。

 

また、諏訪大明神とも称される諏訪の神様は、水や風といった自然を司る竜神信仰であり、海や農業、狩猟・漁業の守り神として、古くから信仰を集めてきました。それゆえ、歴史のある港町には、水の守り神=海の守り神として、諏訪大明神が祀られています。長崎にわざわざ遠い諏訪から諏訪の神々が勧請されたのもこうした背景があったものと推察されます。

 

<祭神>

諏訪大社の祭神は、出雲神話で有名な大国主命の子である建御名方神(たけみなかたのかみ)(狭義には「諏訪大明神」とも呼称)と、その妃・八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、全国の諏訪神社もこの2神を主祭神としています。

(明神:神を尊んで呼ぶ称。また神仏習合説によって神を仏教側から呼ぶ称。)

より正確には、諏訪大社は、先にできた上社と後から建てられた下社に分かれ、かつそれぞれ2つの社があり、全体としては4社で構成されています。4社の名称とその祭神は以下の通りです。

 

上社本宮:(主祭神)建御名方神
上社前宮:(主祭神)八坂刀売神

下社秋宮・下社春宮:

(主祭神)八坂売神

(配神)建御名方神、八重事代主神

 

諏訪大社としての公式な見解として、「4社」の祭神は、同じ建御名方神と八坂刀売神、総じて「諏訪大明神=諏訪大神」としています。または、上社の主催神は建御名方神、下社の主祭神が妻の八坂刀売神ともいえます。なお、配神とは、主祭神のほかに、同じ神社の中に他に祀られた神のことをいいます。凍結した諏訪湖の氷が堤状にせり上がる自然現象「御神渡り」は建御名方神が妻である八坂刀売神に会いに行く為に湖を渡った跡であると伝わっています。

 

<起源>

  • その1:記紀(「古事記」「日本書紀」)説

 

大国主命の国作りによって豊になった地上の国を見て、天界の天照大御神は、武神・建御雷神(タケミカヅチの神)を遣わし、地上の国を自分の子に譲るように迫ります。

これに対して、大国主命は答えを渋り、子で建御名方神の兄の事代主神(ことしろぬしのかみ)(別称. 八重(やえ)事代主神または積羽八重(つみはやえ)事代主神)に委ねます。事代主神は、父の代わりに国譲りを承諾しますが、建御名方命は、容易に承知せず、建御雷神(タケミカヅチの神)と力競べをして決することになりました(この時の力比べが相撲のはじまりとされている)。

 

結果は、タケミカヅチが勝利し、建御名方神(タケミナカタノカミ)は、信濃国の諏訪湖まで敗走します。追い詰められた建御名方命は、国譲りを認め、自身は諏訪湖から出ないことを約束し、許されました。こうして、建御名方命は諏訪湖のほとりに止まり、諏訪明神となった伝えられています。また、このとき、建御名方神は、諏訪の地から2度と出ないと誓いの印に、4本の柱を立て外に出ないようにしたとされ、これが諏訪大社の始まりとされています。なお、4本の柱が今も諏訪大社に伝わる御柱祭の起源となっています。

 

  • その2:甲賀三郎の物語

 

昔、近江の国に、甲賀に甲賀権守という者に三人の息子がいて、長男を甲賀太郎、次男を甲賀次郎、三男を甲賀三郎といいました。ある日、魔物を退治に出掛けた甲賀三郎は、地面に穴が開いているところを発見し、中に入るとそこには魔物に捕われていた姫君がいました。三郎はこの姫君を助け、妻に娶りました。しかし、姫君があまりにも美しかったので、兄たちは嫉妬し、姫君をさらってしまいました。

 

三郎は妻を探し回った結果、信州蓼科山の人穴で発見し、救出しますが、ここでも、兄弟達の策略にはまり、三郎はその人穴から出られなくなってしまいます。そこで、穴の奥底に進んでいくと、異国の維縵国 (ゆいまこく) という地底国に行きつきました。そこで、三郎は、そこの国王に気に入られて、その国の姫と結婚し、維縵国で13年暮らしました。しかし、時が経過しても、三郎は、前妻を忘れられないと、国に帰ることを希望すると、国王も仕方なく認めてくれました。

 

三郎は、なんとか日本に帰ってくることができましたが、出てきた所は信濃の国、浅間山の大沼でした。しかも、三郎の体は、巨大な蛇(龍の姿)に変わっていました。そのため、道行く人々に恐れられることを嫌がった三郎は塔の下に隠れていました。すると、その塔の前に、老僧に身を変えた神が現れました。この僧(神)に導かれ、池の水を飲み、僧が呪文を唱えるとヒトの姿に戻ることができたのです。

 

その後、前妻と再会することができた三郎は、妻と天竺に赴き、神通力を身につけ、神となって日本に帰ってきました。こうして、信濃の国に現れた二人は、諏訪の神となり、現在、諏訪大社の上社、下社にそれぞれ祀られるようになりました。

 

  • その3 融合・折衷

 

諏訪大社の由来は、この「記紀」と、「甲賀三郎」の物語があるのですが、地元では後者の話しが伝承として親しまれているそうです。ただ、どちらかの説が正しいかと言うよりは、「本来の祭神は出雲系の建御名方神ではなく、諏訪地方の先住民達が信仰する土着の神々であり、これらが建御名方神と習合した」と考えるのでがいいのかもしれません。

 

実際、もともと諏訪にはモリヤ(洩矢)という土着の神様がいましたが、そこにタケミナカタがやってきて、戦いの末に諏訪の地は奪われたという物語もあります。モリヤ神は、蛇または龍の形をした神様とされており、甲賀三郎が巨大な蛇になった話しとつながります。さらに、諏訪明神の神体は竜蛇であると古くから伝えられています。

 

この土着のモリヤ神とケミナカタ神が習合したという見方は、諏訪大社の神事や祭祀が、他の一般的な神社のものとは異なり土着信仰に関わる様式が数多くあることなどからも支持されています。例えば、動物の頭を備える御頭祭といった他では見られない風習、信仰が伝わっています。

 

加えて、古代の信濃国は、大和と先住民との境界に位置しており、両者が融合したという見方もあります。諏訪地方は、縄文遺跡が数多く発見されているだけでなく、最近では、稲作を中心とした弥生文化が一番最後?に伝播した地域であることも分かってきています。そこには、狩猟的=先住民文化(縄文文化)に、タケミナカタの「敗走」によって、農耕的=大和文化(弥生文化)が伝えられたと見る向きもあります。諏訪湖が文化の融合点だったのではないかというわけですね。

 

<パワースポットとしての諏訪大社>

諏訪大社の鎮座する位置が、風水的、地質学的にも特異であることから、諏訪大社は、パワースポットと呼ばれています。

 

  • 諏訪大社は、「フォッサマグナ(本州を東西に分割する大断層)」の西側の境界線である糸魚川・静岡構造線と、「中央構造線(南西日本を縦断する日本最大級の断層である)」の交わる場所に鎮座している。
  • 諏訪大社は、日本三霊山の富士山と立山を結ぶレイライン上に鎮座している。
  • 諏訪大社の真東に、鹿島神宮が鎮座している(鹿島神宮には、建御名方神と同じように軍神・建御雷神が祀られている)、つまり、両社で東西ラインを形成している。

 

<参考>

諏訪大社HP

諏訪の神様ってどんな神様?今日もゼロ発信・matchy

パワースポット諏訪大社のご利益・・・日本の観光地・宿

artwiki

関東農政局HP

 

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住吉大社

 

大阪の「住吉大社」は、下関など全国に約2300社ある住吉神社の総本社で、海洋国家日本の海の安全を守り、穢れを祓ってくださる厄除け、海上守護の神様として信仰されています。

 

<御祭神>

住吉大神(すみよしのおおかみ)

息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)

住吉大神とは以下の三男神の総称です。

●底筒男命(そこつつの おのみこと)
●中筒男命(なかつつの おのみこと)
●表筒男命(うわつつの おのみこと)

 

息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)は、一般に神功皇后(じんぐうこうごう)と呼ばれます。この神功皇后こそ、211年に住吉大社を創建された方です。

 

<創建の由来>

第14代仲哀天皇の后である神功皇后は、住吉大神の加護を得て、新羅を平定され(三韓遠征・新羅遠征)、無事帰還を果たされました。この凱旋の途中、住吉大神のご神託があり、住吉大神を現在のこの地に鎮斎されました。また、大昔、住吉の地は松の名所で、その樹に三羽の白鷺が止まったのを見た神功皇后は、それを住吉三神の使いだと思われ、この地に祀ることを決めたとの伝承も残されています。のちに、神功皇后も併せ祀られ、住吉四社大明神として称えられました。

 

<由緒>

祓(はらひ)の神

「記紀」神話によりますと、伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) は、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命 (いざなみのみこと) を追い求め、黄泉の(よみのくに=死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻ってくるという望みを達することができず、ケガレを受けてしまいます。

 

住吉大神(住吉三神)は、伊邪那岐命がその穢(けが)れを清めるために海に入って禊祓いした時、「海の底」「海の中程」「海の表面」からそれぞれ、底筒男命 (そこつつのおのみこと)、中筒男命 (なかつつのおのみこと)、表筒男命 (うわつつのおのみこと)がお生まれになられました。この誕生の経緯から住吉大神は、神道で極めて大事な「禊(みそぎ)・祓(はらい)」を司る神とされています。住吉大社の夏祭りで、日本三大祭りに一つとされる「住吉祭」は、単に「おはらい」と呼ばれ、大阪だけでなく、摂津国・河内国・和泉国ひいては日本中をお祓いするという意義がある重要な神事とされています。

 

航海安全の神

住吉大神は海中より出現されたため、海の神としての信仰があります。仁徳天皇の時代に、住吉津が開港されて以来、航海関係者や漁民の間で、海上安全の守護神として崇敬を集めました。特に、遣隋使や遣唐使の派遣の際には、必ず海上の無事が祈られたとされています。江戸時代に海上輸送が盛んになるとともに、運送船業の関係者の間にも広がりました。

 

農耕・産業の神

住吉大神が苗代をつくる方法を教えたという伝説により、古くから「農耕の神」として篤い崇敬を受けてきました。境内には約二反の御田があり、毎年6月14日には「御田植神事」が盛大に行われております。

 

弓の神

神功皇后の新羅遠征(三韓遠征)の際、神功皇后は住吉大神の神威を受け、御自らも弓鉾をとって御活躍されたという経緯から、弓の神としての信仰があります。

そのほかにも、住吉大神は、「相撲の神」、「和歌の神」としても崇敬を集めています。

 

<建築様式>

住吉大社には、第一本宮から第四本宮まで4つの棟があり、それぞれ底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后をお祀りしている。4棟はすべて海に向かって西向きに建ち、第一本宮から第三本宮が縦に並び建っている姿は大海原をゆく船団を表しているとされています。

 

また、4つの棟すべての本殿部分は、1810年(文化7年)に造営されたもので国宝指定を受けている。「住吉造(すみよしづくり)」という直線的な日本古来の建築様式で、神社建築史上最も古い様式だとされています。これに対して、重要文化財に指定されている4つの棟の拝殿部分は、曲線的で、大陸(中国)からの影響を受けた様式と考えられています。

 

なお、住吉大社は、奈良時代(749年)より伊勢神宮と同じように20年に一度の式年遷宮の制度が定められており、2011年(平成23年)には49回目の遷宮が「御鎮座1800年記念大祭」と合わせて行われました。

 

<島津家の誕生石>

住吉大社の境内には、島津家発祥の地となった「誕生石」があり、今でも「誕生石」として島津家代々から篤い信仰を受けています。そこは、源頼朝の寵愛をうけた丹後局(たんごのつぼね)が、不思議な狐火に導かれて、北条政子から逃れてきたところで、局はここで産気づき大石を抱きながら男の子を出産したとされています。この時生まれた子が、後の薩摩藩「島津氏」の祖となった「島津忠久」と伝えられています。

 

<参考>

住吉大社HP

住吉大社~みそぎの神様と国宝社殿の秘密~

住吉大社・神社専門メディア「奥宮」

2017年09月20日

比叡山延暦寺「千日回峰行」達成

比叡山延暦寺「千日回峰行」、戦後14人目達成
(TBSニュース、2017年9月18日)

 

滋賀県大津市の比叡山延暦寺に1000年以上伝わる「千日回峰行」に挑む僧侶が1000日に及ぶ荒行を18日朝、達成しました。この行を成し遂げたのは戦後14人目です。延暦寺の荒行「千日回峰行」を満行したのは、善住院の住職・釜堀浩元さん(43)です。釜堀さんは、これまでに比叡山の峰々を巡礼する「回峰行」や9日間の断食などの過酷な修行をやり遂げ、18日朝、最後の巡礼を終えて1000日間、7年に及ぶ修行を満行しました。この行を成し遂げたのは戦後14人目で、釜堀さんには生き仏で信仰の対象となる「大行満大阿闍梨」という称号が与えられました。

 

2016年05月17日

ニュース:NYで仏教徒パレード

NYで釈迦の誕生日祝う=各国の仏教徒がパレード-米
(時事ドットコム、2016/05/17)

 

米ニューヨーク中心部マンハッタンの教会で15日、仏教の開祖・釈迦(しゃか)の誕生日を祝う行事「灌仏会(かんぶつえ)」(通称・花まつり)が旧暦に合わせ開かれ、現地で布教に励む世界各国の仏教徒約150人が一堂に会した。

 

色とりどりの法衣に身を包んだ仏教徒らは、鐘や太鼓を鳴らしながら教会周辺をパレード。中国の獅子舞やカンボジアの踊りなど、各国それぞれの祝い方で高層ビル街を練り歩いた。その後の式典では、生誕時の釈迦をかたどった仏像に甘茶を掛ける伝統儀礼のほか、各国の僧侶による読経や講話が行われた。チベットやバングラデシュの子どもらによる歌やダンスも披露された。

 

行事を主催したニューヨーク仏教連盟の会長で浄土真宗の僧侶、中垣顕実さん(55)は「連盟発足から30年の節目の行事に、いろいろな国の人が参加してくれた」と感慨深げに話した。