西洋の文芸

西洋の文芸

 

ルネサンス

 

イタリアルネサンスを代表する芸術家、レオナルド=ダ=ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロの著名な絵画

レオナルド=ダ=ヴィンチ:「最後の晩餐」、「モナ=リザ」

ラファエロ:「聖母像」、「アテネの学堂」

ミケランジェロ:「最後の審判」、「天地創造」

他に、ボッティテェリの「ヴィーナスの誕生」も有名。

 

 

西洋の音楽

 

バロック

 

J.S.バッハ

バロック音楽を集大成したといわれているドイツの作曲家である。代々、音楽家を輩出した家系に生まれ、ワイマールの宮廷オルガニストなどとして活躍した。代表作に「トッカータとフーガ二単短調」「ブランデンブルグ協奏曲」などがある。

 

J.S.バッハは、ヘンデルと並ぶバロック時代のドイツ生まれの作曲家として知られている。ヘンデルがイタリア?で音楽を学び、イギリスで活躍したのとは対照的に、生涯ドイツで音楽活動を行った。オルガンを用いた宗教的音楽を数多く作曲しており、代表的な作品として、「マタイ受難曲」「G線上のアリア」などが挙げられる。

 

 

古典派(古典主義)

 

モーツァルト

オーストリアの作曲家で、古典派を代表する音楽家の一人である。幼児から楽才を示し、神童の名をほしいままにしたが、晩年は、経済的に窮乏し、夭折した。代表作に、歌劇「ドン=ジョバンニ」「フィガロの結婚」などがある。

 

ハイドン

ウィーン古典派の中心的な音楽家。弦楽四重奏曲、交響曲などの器楽音楽の完成に貢献した。宗教音楽、オペラの作曲にも活躍した。

 

ベートーベン

古典主義音楽を完成し、ロマン派音楽への道を開いた。多くのピアノソナタも残したが、その音楽の真髄は9つの交響曲にあるということができる。

 

ベートーベンは、古典派を代表するドイツの作曲家として知られている。生涯に40曲以上の交響曲を作曲する中で、第1楽章にソナタ形式を用いるという交響曲の典型的なスタイルを確立し、後の作曲家に多大なる影響を及ぼした。特に有名なのが、交響曲第5番「運命」、などであり、世界各国で演奏されている。

 

 

ロマン派(ロマン主義)

 

ショパン

ロマン主義音楽を代表するポーランド出身の作曲家である。ピアノ曲を主に書き続け、ピアノ音楽に幻想や憂愁などの詩情を盛り込んだ楽曲を作って、ピアノの詩人と呼ばれた。代表作に、ピアノ曲「子犬のワルツ」「ノクターン」「幻想ポロネーズ」「マズルカ」などがある。

 

ショパンは、ピアノの詩人といわれたポーランドの作曲家であり、代表的な作品に「幻想ポロネーズ」や「マズルカ」がある。

 

ショパンは、ポーランドで生まれたロマン派の作曲家である。少年時代からピアノの即興演奏に才能を現し、作曲した作品の大半にピアノを用いている。中でも「子犬のワルツ」、「幻想即興曲」、「別れの曲」などは、親しみやすい曲であることからアマチュア演奏家の間でも広く演奏されている。

 

 

リスト

天才的なピアニストとして知られたハンガリーの作曲家であり、代表的な作品に「ハンガリー狂詩曲」がある。

 

ベルリオーズ

標題音楽の創始者といわれるフランスの作曲家であり、代表的な作品に「幻想交響曲」や、序曲「ローマの謝肉祭」がある。

 

ブラームス

ドイツの作曲家であり、その音楽は新古典主義とも呼ばれ、代表的な作品に「ドイツレクイエム」や「バイオリン協奏曲二長調」がある。

 

シューベルト:交響曲第8番「未完成」

 

 

国民学派

 

チャイコフスキー

交響曲とバレエ音楽に優れた作品を残した。西欧音楽の伝統を受け継ぎながらも作品の根底には、常に自国の風土があり、それから離れることはなかった。

 

チャイコフスキーは20世紀に活躍したロシア生まれの作曲家であり、法律家から転身して作曲家になったことで知られている。叙情的なメロディと華麗なオーケストレーションが特徴であり、バレエ音楽の芸術的価値を高めた点でも評価されている。代表作品として、バレエ音楽「くるみ割り人形」、「眠りの森の美女」、「白鳥の湖」などが挙げられる。

 

 

スメタナはチェコ国民学派の創始者といわれる作曲家であり、代表的な作品に連作交響詩「わが祖国」がある。

 

ドボルザークは、スメタナと並ぶチェコ国民学派の作曲家として知られている。1890年代にニューヨークの音楽院の院長として招かれ、アメリカに滞在する中で、アメリカの古い民謡や黒人霊歌に深い関心を持ち、それらと故郷ボヘミアの民謡とを融合した音楽を生み出した。その中でも有名なのが、交響曲第9番「新世界から」、チェロ協奏曲ロ短調などである。

 

 

西洋美術

 

レンブラントは、オランダの画家で、絵画、素描、エッチングの作品を多く残し、光をうまく取り入れた画法で市民生活を描いた。作品には「フランス・パニング・コック隊長の射撃隊」(通称「夜警」)(1642年)や多くの自画像がある。

 

ベラスケスは、スペインの画家で、宮廷画家として活躍し、フランドル絵画とヴェネツィア絵画の画法を部分的に取り入れた。作品には「ラス・メニーナス(女官たち)」、「ラス・イランデラス(織女たち)」がある。フェリペ4世の信任が厚く、宮廷画家以外の公務をこなすことも多かった。

 

ルーベンスは、フランドルの画家で、宮廷画家として活躍し、その作風はバロック絵画の活気ある豊かな官能的性格を有している。作品には、ホワイトホール迎賓館の天井画、フランス王ルイ13世の母マリー・ド・メディシスの宮殿を飾る彼女の一代記がある。

オランダの独立が事実上認められた時代に、ルーベンスはスペイン領ネーデルランド総督の宮廷画家として、宮廷のあるブルッセルではなく、経済の中心地アントワープで創作活動を認められていた。活躍した。「マリー・ド・メディシスの生涯」は国際的宮廷社会におけるルーベンスの最初の大作である。

 

 

ロマン派は情熱的・幻想的感覚を重んじる傾向をもち、代表的な画家としてはジェリコ、ドラクロアを挙げることができる。

 

 

印象派・後期印象派

 

19世紀後半、モネやルノワールなどを始めとする新たな様式を標榜する画家たちのグループが現れた。彼らはルネサンス以来の西洋絵画の伝統から離れて、視覚の純粋性に基づく新しい絵画を指向し、数回にわたってこのグループの画家たちによる展覧会を開催した。

彼らの技法に大きく影響を受けたスーラは、色彩理論、光学理論に関する独自の研究を加え、光の効果を色彩に置き換え、それを緻密な計算の下に画面に反映さえた技法を完成させた。そこから生まれたのは、不思議な夢幻的印象を与える詩情あふれる作品であった。スーラの作品は世紀末のヨーロッパ各国の美術に大きな影響を与えた。

 

印象派は、自然の瞬間的な印象を色彩分割という手法で主観的に表す。代表的な画家としてはマネ、モネ、ドガ、ルノアールを挙げることができる。

 

モネ・印象派

印象派の代表的な画家で、1874年、第一回印象派展に出品した「印象―日の出」が印象派の名前のもととなった。「積みわら」「ポプラ並木」「ルワン大聖堂」などのシリーズによって、自然の対象が時間や季節の推移につれて変化する一瞬の様態をとらえ、特に代表作である「睡蓮」のシリーズでは、自邸の睡蓮の池を没年まで描き続けた。代表作にはほかに「ひなげし」「日傘をさす左向きの婦人」などがある。

 

ゴーギャン・後期印象派

奥行を軽視した構図、単純化された形態、素朴で地方的な題材が特徴的である。ヨーロッパ文明を否定して原始にあこがれる彼の精神は、未開美術の発見などを通してタヒチの裸婦像に結実するとともに、美の多様性の主張にもつながっている。代表作に「花を持つ女」「神の日」「われらいずこより来るや、われら何なるや、われらいずこに行くや」などがある。

 

セザンヌ・後期印象派

印象主義の影響を受けながらも、次第に印象主義を乗り越え、穏やかな光あふれる様式の中に古典主義の堂々たる威厳をそなえた風景画、静物画などを残した。安定した建築的な構図、堅ろうな形態(フォルム)、青とだいだい色を基調とする明快な色彩感覚などが特徴的で、キュビズムを始めとする現代の諸流派に対して多大な影響を与えた。代表作に「サント・ヴィクトワール山」「トランプする人々」「赤いチョッキの少年」などがある。

 

モディリアーニは、エコール・ド・パリの代表的な画家の一人で、セザンヌやキュビズムの画家たちの造形性を受け継ぎ、モデルの個性的な特色を的確にとらえた人物画を多く書いた。単純化された形態と力強い描線が特徴である。

 

 

<現代>

20世紀の美術運動

 

20世紀初頭のパリで生まれたキュビスムは、ピカソやブラックらによって創設されており、特に初期においてはセザンヌの影響が認められる。一つの対象を固定した一視点からのみとらえるのではなく、複数の視点で見る対象の外観や面を同時に重ねて描く「面の折りたたみ」と呼ばれる方法などによって、基本的な立方体に分解した対象を再編成して表現しようとした。

 

キュビスムとほぼ同時期にローマで起こった未来主義では、ボッチョーニらが、ダイナミックな光景をそのまま画面に持ち込むために「力線」と呼ぶくまどりを多用しながら残映像をいくつも描くなど、「諸平面の相互浸透」と呼ばれる方法で動的な現象を表現した。

未来主義は、機械文明の進歩を賛美して、思い切った表現の下で独自の造形美を競おうとする一派。

 

ゴーギャンやゴッホの影響を受けた画家たちからフォービスムと表現主義が生まれた。いずれも色と形を誇張して原始的な生命感を激しい感情を表現したが、なかでもマチスに代表されるフォービスムは、多彩な原色と形のわい曲とで明るい世界を描き、主としてフランスで展開された。

フォービスムは、対象物の造形美を完全に破壊し、フォーブすなわち野獣のごとく大胆かつ色彩美も無視した荒々しい表現を専らとした。

 

野獣派(フォービズム)は、大胆で単純なフォルムと激しい色彩で描写する特徴を持ち、野獣のようだと批判されたのでこの名が起こった。代表的な画家としては、マディス、ルオーを挙げることができる。

 

立体派(キュービズム)は、物体の構成を点、線、面で総合的に表現する傾向を持つ。ピカソやブラックに代表され、物体の形を幾何学的に点と線で再構成する傾向がある。

 

 

第一次世界大戦後にダダイズムの運動を批判的に継承したシュルレアリスムでは、エルンストやダリらが、オートマティスム(自動記述法)、フロッタージュ(こすり絵)、デカルコマニー(重ね絵)などの方法で、現実的な意識を超えた非合理的世界や夢の領域を探り、精神の自由を最大限に表現しようとした。

シュルレアリスムは、精神分析学を立ち上げたフロイトの影響を受け、無意識の世界の映像化を目標とした。

 

表現主義は、主観の表出を目的とし、色彩の強調と形態の誇張を特色とする。代表的な画家としては、カンディンスキー、ムンクを挙げることができる。

 

 

世界の文学

 

カミュ「異邦人」

アルジェリアの貧しい農家に生まれたカミュは、共産党に入党したり、第二次世界大戦のレジスタンスに参加するなどたえず死の観念に脅かされていた。

「異邦人」の主人公であるムルソーは、カミュが創造した不条理の人間の典型である。なぜ、殺したかという裁判官の問いに、「太陽のせい」と答え、死刑を宣告される。

 

カフカ「変身」

‘ある朝グレゴールが目覚めると、巨大な毒虫になっていた‘

 

 

ドストエフスキー

「罪と罰」:キリスト教的愛と忍従の思想を説いた。しかし、作品は作者の意図を超え、閉塞した社会状況の中で人間性回復を訴えるヒューマニズムの書として読み継がれている。

 

ドストエフスキーは、革命思想家グループと接触していたため、シベリアで死と隣り合わせの獄中生活を送ることとなり、その体験は彼の作品に影響を与えていた。

 

 

近現代のアメリカ文学

 

ジョン・スタインベックは、生まれ育ったアメリカ西部の自然や人間を素材に、人間の生命本能に対する愛情とそれを抑圧するものへの怒りを基調にした「怒りの葡萄」を著した。他の作品に「エデンの東」などがある。

 

マーク・トウェインは、村の一少年の目を通じて一人称で書かれた「トム・ソーヤの冒険」で一躍有名作家の仲間入りをした。後期には「ハックルベリ・フィン」など思春期の少年の抱える孤独や葛藤を描く作品を多く発表した。

ジェール・ヴェルヌ:「十五少年漂流記」

 

エドガー・アラン・ポーは、詩作品も数多く発表していた。小説には「黄金虫」、「黒猫」など。

 

ホイットマン:「草の葉」

 

J.D.サリンジャーは、「ライ麦畑で捕まえて」において、自らの生まれ育ったアメリカ南部の田園地帯を背景に、7人兄弟からみた大人のずるさや偽善を描き出して人気を得た。成績不良の高校生の言動を通して人間社会のいやらしさを描き、さわやかで歯切れのよい語り口と相まって圧倒的な人気を呼び、この小説はベストセラーになった。日常語のリアリズムが作品の大きな魅力。

 

 

ジーン・ウェブスター:「あしながおじさん」

 

アーネスト・ヘミングウェイは、初期の作品である「武器よさらば」などでハードボイルドといわれる文体を確立した。晩年の「老人と海」でノーベル文学賞を受賞した。

 

ヘミングウェイ

第一次世界大戦で負傷後、長編「陽はまた昇る」の中で戦後の青年たちの虚無とデカダンスに満ちた生活を描いて一躍、「失われた世代」の代表的作家となる。簡潔平明、単音節の日常語を駆使する革新的なスタイルで、人生の不合理、死の暴力と闘う雄々しい人間の姿を非情な叙情性をもってとらえた。

 

ハードボイルド:文芸用語としては、暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいう。

 

 

世界の劇作家

 

チェーホフは、「可愛い女」などの短編小説でロシア社会を風刺とペーソスのうちに描き、また「桜の園」、「三人姉妹」などの戯曲の傑作によって近代リアリズム演劇を完成させ、演劇史に新時代を画したといわれる。わが国でも彼の戯曲は、小山内薫らが設立した築地小劇場以来、何千回も上演されている。

 

イプセンは、個人主義的正義感をもって、当時の社会を痛烈に批判した多くの問題劇を発表して、近代演劇の父といわれている。作品には妻が独立した人格を持つ人間として目覚める過程を描いた「人形の家」のほか、「ペール・ギュント」「民衆の敵」などがある。わが国では島村抱月の演出、松井須磨子の主演によって上演された「人形の家」が有名である。

 

シェークスピアは、俳優から劇作家となり、悲劇・喜劇・史劇など多くの傑作を残した。彼の作品は多くの性格を巧みに描き分けている点では類がなく、世界的古典として不朽の価値を持つ。「真夏の夜の夢」、「ヴェニスの商人」、「マクベス」などの作品があり、さまざまな言語に翻訳され、世界中で上演している。わが国では坪内逍遥が彼の研究を進め、全作品を独力で翻訳した。

 

 

建築

ビザンツ様式

ビザンツ様式は、ギリシャ美術と東方の要素を融合した様式で円屋根と内部のモザイク壁画を特徴とする。代表作にセント・ソフィア聖堂がある。

東ローマ帝国で発達した様式、ギリシャ正教の文化

イスタンブール

 

 

ロマネスク様式

ロマネスク様式は、ローマ風の円形アーチと厚い壁を用いた重厚なスタイルを特徴とする。

石造の半円筒の天井を支えるために柱や壁を厚くし、重量感を出し内部には壁画などの装飾を施している。代表的建築はピサの大聖堂である。11世紀から12世紀にかけて。

 

<ピサの大聖堂と斜塔>

 

ゴシック様式

ゴシック様式(13世紀から15世紀にかけて建設)は、高い尖塔が広く開かれた窓を用いて垂直性を表現した、荘厳な様式である。高い天井を持ち、細長い大きな窓をステンド=グラスで飾っている。代表作にはノートルダム寺院、ケルン大聖堂など。

キリスト教全盛の時代。

 

ケルン大聖堂は、600年を超える歳月を経て、19世紀に完成したドイツ最大のゴシック式聖堂である。巨大な2基の尖塔が象徴的な宗教建築で、その窓にはめ込まれた美しいステンドグラスは、荘厳な大空間を創出している。

 

 

ルネサンス様式

ルネサンス様式では大きなドームやギリシャ建築のような柱を持ち、柱や重みを支えるために窓は小さくしてある。代表的建築では、ローマのサン・ピエトロ寺院がある。キリスト教が影響力を失っていく。

 

 

バロック様式

バロック様式では、17世紀にルイ14世によって建設されたベルサイユ宮殿に象徴される建築様式で華麗さが特徴である。絶対主義の国王の権力と富を象徴する宮廷文化の側面もあった。

 

ベルサイユ宮殿

 

ベルサイユ宮殿は、ルイ14世が建築家ルヴォーらなどに命じて建築させたバロック建築を代表する宮殿である。その広大な規模、統一的な計画、豪華な内部装飾、整然たる庭園などは、ヨーロッパ諸国の宮殿建築に大きな影響を与えた。

 

アンコールワット(カンボジア)は、アンコール遺跡群最大の寺院である。周囲は塀で囲まれ、境内の中には3重の回廊がめぐらされており、塀は大洋を、回廊はヒマラヤ連峰を、そして5基の尖塔は神々の住む須弥山を具象化したものと言われている。