ギリシャ思想

<古代ギリシャ>

 

古代ギリシャの時代には、詩人のホメロスやヘシオドスによって、徹底した人間中心の世界観がつくられ、ギリシャ神話においても神々は擬人化されていた。

 

ギリシャの自然哲学は、人間の理性によって事物を冷静に観想し、普遍の真理をとらえようとした。自然哲学の祖とされるタレスは、自然の根本原理である万物の「根源」を「水」と説き、ヘラクレイトスは、「万物は流転する」と考え、その根源を「永遠に生きる火」と述べた。

 

ヘラクレイトス

すべての存在は、火のように生成と消滅を繰り返すこと(生々流転)で存在していると唱えた。同じ川の流れにはニ度と足を踏み入れることはできないという例えにあるように、存在の瞬間性と一回性を強調し、世界を「運動」の観点から明らかにしようとした。

 

タレスは、最初の哲学者といわれ、万物の根源(アルケー)は、「水」であると説いた。

 

ソフィストは、人間の問題である法や社会制度を哲学の対象とした。代表的なソフィストであるプロタゴラスは、個々の人間の判断が事物の善悪の基準であり、万物をつらぬく普遍的真理は存在しないと考え、「人間は万物の尺度である」とする相対主義の立場をとった。

 

 

ギリシャでは、ポリス市民の自由な活動の中から、合理的な思想や明るい人間的な文化が生み出されたが、特にプラトン、アリストテレスらによって発展した哲学はヨーロッパの人々の教養の基礎となった。

ポリスの衰退期にギリシャを征服したマケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征をきっかけとして、ギリシャの文化とオリエントの文化の融合がみられ、ヘレニズム文化と呼ばれた世界文化が栄え、物理学、天文学、医学などで高い水準を示した。

続いて地中海世界を支配したローマ帝国では、文化的には土木や建築の分野で特色が発揮され、優れた技術により、コロッセウム(闘技場)、水道橋などの大規模な建造物が生み出された。

 

 

ソクラテスは、人間としての生き方は、自己の無知を自覚して知を愛し求めること、すなわち「無知の知」にあると考えた。デルフォイの神殿の入り口に掲げられている「汝自身を知れ」は、ソクラテスの言葉である。

 

ソクラテスは、善悪についての知を実現すれば徳は実現できると説いた。

 

ソクラテスは、言葉とその働きに関して深い考察を巡らせ、問答によって、自らの無知について自覚する「無知の知」をアテネの人々に説いた。彼の考えは、プラトンの著作「ソクラテスの弁明」にみることができる。

 

ソクラテスは、弁論術の伝授を職業とするソフィストたちに批判的で、「徳は知である」が「徳を教えることはできない」ので、問答法などにより、各自が自分自身のうちから自分で「知」を汲み上げるべきだと説いた。

 

プラトンは、事物の理想的な原型であるイデアが、万物が常に変化する感覚的世界?に存在すると考え、事物の変化を認識することが学問の目的であるとした。

「ソクラテスの弁明」を書いた。

 

プラトンは真実の存在であるイデアを「魂の目」でとらえるイデア論を展開した。

 

プラトンは、真の実在であるイデアは、非物体的で時空を超えた永遠の実在としており、真の哲学者はイデアを見ることができると主張した(これを認識するためには、ディアレクテーケと呼ばれる演繹法で「魂の目」の能力を身につけなければならないとした)。真の哲学者となるためには、財産や名誉の有無は問題にされていない。

 

プラトンは、イデアを認識の根拠とし、複雑多様な生成消滅する現実を正しく認識できるのは、個別より優越する普遍としてのイデアを理性によってとらえることができるからだとした。

 

プラトンは、支配者が知恵を備え、軍人が勇気を備え、生産者が節制に努めて、支配者が軍人や生産者を統率したとき国家において正義が実現されると考えた。そのため、善のイデアを認識した哲学者が国家の最高支配者になるべきであるとした。

 

プラトンは、人々がさまざまな意見に惑わされ、暴力と汚職が横行している状況にあって、真に民主的な世の中を実現する哲人政治の必要性を唱えた。弁論により意見の矛盾を暴くことで、最高原理である善のイデアに至る方法である「弁証法」を修得した者が施政者となることを理想とした。

 

アリストテレスは、プラトンのイデアの考え方を批判し、質料と形相とに分類した。質料と形相との均衡がとれた状態を中庸と呼んだ。

 

アリストテレスは、物事を動かすのは神ではないと考え、現実主義の立場に立って最高善は幸福であると考えた。アリストテレスにとって究極の実在は、自然的世界であり、彼の現実主義が近代思想やイスラム哲学に受け継がれた。

 

アリストテレスは、人間の徳には、真理を認識する知恵や実践的洞察を行う知性的徳と、勇気、節制などの倫理的徳があると説いた。「幸福」を最高善とした。

 

アリストテレスは、「ニコマコス倫理学」を著すとともに、人間の最高の幸福は観想的生活にあると説いた。

 

 

ヘレニズム期

 

ゼノンは、理性によって情念を克服することにより、無概念(アパティア)に徹することを理想とした。

 

ストア派のゼノンは、ロゴス(理想)によってパトス(情念)を克服したアパティア(無感動=心を動かされない状態)を最高の境地と考えた。ゼノンは、純粋に真理を探究する観想的生活を最も理想的で幸福な生活形態と考え、賢者は禁欲的生活をすべきであると主張した。

 

ゼノンは、「自然に従って生きる」ことの重要性を唱えた。

 

ゼノンは、当時主流であった自然の原理を運動に認める説について、「アキレスとカメ」、「的に届かない矢」などの例を挙げながらその矛盾を指摘した。命題にパラドックスを見いだすことで、前提や推論の過程を否定する方法である「弁証法」?による弁論の術を初めて体系化した。

 

ストア派はゼノンによって創始された学派で、コスモポリタニズムを継承している。理想的な境地であるアパティアに達するために禁欲主義を主張した。

 

足の速いアキレスがカメを追い越そうとしてもアキレスがカメの位置に達するまでにはカメは少しずつ前進する。

 

エピクロスは、真の快楽は、永続的な精神的快楽であると考え、魂の平安(アタラクシア)を得ることを理想とした。エピクロスは、快楽主義をとった。