マルタ騎士団:「地中海の看護婦」から主権実体へ

 

聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)

 

国家として認められための三要件(領土、国民、主権)のうち、領土を持たないので国家ではないのに、世界の90を超える国と外交関係を有し、国連にもオブザーバー参加してる「国」のような「団体」があるのをご存知でしょうか?それは中世の時代に産声を上げ、現在にも存続している「マルタ騎士団」です。今回は、十字軍とともに創設された騎士団についてみてみます。

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  • 騎士団とは?

 

騎士団というと、剣と盾を持って戦う兵というイメージがあるかもしれませんが、騎士団はすべてが戦うために設立されたわけではありません。第1回十字軍(1096年~1099年)の勝利の後、十字軍は、現在のイスラエルからトルコ南部へ至る地中海沿岸に、エルサレム王国エデッサ伯国トリポリ伯国アンティオキア伯国の4つの主要キリスト教国家を設立しました。

 

騎士団は、この十字軍運動の進展に伴って形成され、修道と騎士精神を滋養しつつ(ゆえに、騎士団のことを騎士修道会とも言う)、騎士として、最初は、病気などになった巡礼者の巡礼の保護を担いました。後に聖地エルサレムや他の十字軍国家の防衛にも当たるようになり、イスラム教徒の軍事力に対する劣勢を補う役割を担いました。さらに、実質的な常備軍として、エルサレムや十字軍国家内に駐屯し、キリスト教諸国家を防衛した騎士団もありました。

 

中世に創設された騎士団には、聖ヨハネ騎士団、テンプル騎士団、ドイツ騎士団が三大騎士団として有名です。このほか、スペインなどにもいくつもの宗教騎士団があり、これらは十字軍時代以降も存続し、一つの政治的勢力として活動を継続する騎士団もありました。その筆頭とともいえるのが聖ヨハネ騎士団です。

 

 

  • 聖ヨハネ騎士団

 

聖ヨハネ騎士団は、第1回十字軍(1096~1099)後の1100年頃(テンプル騎士団より15年ほど前)、巡礼保護を目的としてエルサレムで設立された慈善団体で、当初は「エルサレム・ホスピタル騎士団」と呼ばれていました。彼らは、正式名称から明らかなように、聖地エルサレムを訪れる巡礼者が、病気になったり怪我をしたりした時に受け入れる病院や宿泊施設などを管理運営していました。

 

聖ヨハネ騎士団は、1113年、当時のローマ法王より、修道騎士団として初めて公認された後も、巡礼者の安全の確保と医療奉仕を中心に活動を続け、「地中海の看護婦」とも称されていたほどです。しかし、ヨーロッパでは十字軍の遠征が再びなされると、十字軍の戦い(1095~1291)にも駆り出されるようになり、16世紀まで敵対するイスラム勢力と戦うことが主な活動となっていきました。

 

聖ヨハネ騎士団は、イスラム領主が創建した最強の要塞であったマルガット城(トリポリ伯国)を居城として、周囲を統治するなど、キリスト教世界における重要な宗教騎士団の一つとして認知されていました。エルサレムへの主要道路の通行料などの徴収で莫大な富を獲得した一方、聖地を巡礼するキリスト教徒にとって重要な経由地の守護者となりました。

 

当時の聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)は、主に、カトリックを信仰する裕福な貴族の名家の男子(次男以下)で構成され、ほかにも、才能豊かな芸術家も騎士団員として迎え入れられていました。また、キリスト教国の王族や領主とも繋がり、さまざまな特権を得ていました。

 

しかし、第9回十字軍(1271~72)の失敗後、1291年に騎士団たちの最後の砦となったアッコンがイスラム(マムルーク朝)に陥落されました。このアッコンの陥落で、聖ヨハネ騎士団は、エルサレムから撤退し、キプロス島に逃れます。さらに、1309年、エーゲ海のロードス(ロドス)島を東ローマ帝国より奪取し、そこを拠点としました(ゆえに、彼らは「ロードス騎士団」とも呼ばれた)。

 

なお、この頃、フランスのルイ4世と反目したテンプル騎士団が、1312年に解散させられ、聖ヨハネ騎士団は、テンプル騎士団の利権を有償で譲り受けています。

 

十字軍が失敗に終わり、三大騎士団の一角も消滅する中、聖ヨハネ騎士団は、ムスリム(イスラム教徒)に対する聖戦の貴重な担い手として、以後、奮闘を続けましたが(ドイツ騎士団は聖地ではなく「東方」で活動した)、1522年、オスマン帝国のスレイマン1世との戦いに敗れ、ロドス島は陥落してしまいました。

 

聖ヨハネ騎士団は、7年の間、各地を転々とした後、1530年に、神聖ローマ帝国カール5世からマルタ島を実質的に供与され(正確には年間の賃料「1羽の鷹」という貸借契約であった)、本拠を地中海の要衝マルタ島に移しました。マルタにいる騎士団という事で、聖ヨハネ騎士団は、マルタ騎士団と呼ばれるようになりました。

 

 

  • 聖ヨハネ騎士団からマルタ騎士団へ

 

マルタ島でのイスラム勢力(オスマン帝国)と、一進一退の戦いを繰り広げる中、1565年、オスマン・トルコが総攻撃を仕掛けてきた大包囲戦「グレートシージ」と呼ばれた戦いも、マルタ側は降伏することなく耐え、オスマン軍を撤退させるなど、マルタ騎士団はマルタ島を死守しました。

 

この戦いの勝利で、マルタ騎士団はイスラム勢力からヨーロッパを守り抜いたと称賛され、後世に語り継がれましたが、17世紀以降、オスマン帝国の力の相対的な低下を受けて、イスラムの脅威が弱まってくると、マルタ騎士団も退廃が始まりました。

 

1798年、ナポレオン率いるフランス軍がエジプト遠征の途中で侵攻し、マルタ島は占拠されました。その際、騎士団は抵抗せず、無条件に島を明け渡し、そのままマルタを去っていきました。この頃のマルタ騎士団は、異教徒から、聖地とキリスト教徒を守るために、剣と盾をもって戦いに身を投じていた頃の騎士団ではなくなっていました。

 

ナポレオンに島を追われたマルタ騎士団は、再び拠点を失い各地の支持者の領地を転々とした後、1834年、ようやく本部をローマに置くことができました。また、1872年にはマルタ騎士団協会が創設されて以降、騎士団は、世界各地への救急活動、医療品の提供などの活動を続けています。

 

 

  • 現在のマルタ騎士団

 

現在、マルタ騎士団は、正式名称「ロードス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」(通称マルタ騎士団)として、ローマ・カトリック教会の騎士修道会として、存続しています。マルタ騎士団は、中世ヨーロッパ3大騎士団の中でなんと唯一現存する907年の歴史を誇るカトリック修道会の騎士団です。2013年には設立900年を迎えたばかりです。

 

騎士修道会とはローマ・カトリックの下部組織ではなく、「カトリックを信仰する貴族・騎士によって構成された独立国または独立した組織」です。ただ、マルタ騎士団は、ローマ教皇には絶対的に忠誠を誓っているとされ、ある意味、「ローマ教皇の民兵」とも言えるかもしれません。

 

現在のマルタ騎士団は、領土を保持していないので、国際法上、国家として認められていませんが、かつては、ロードス島とマルタ島に拠点となる領土を有していた経緯から「主権実体(sovereign entity)」として位置づけられています。ですから、マルタ騎士団は伝統的に、領土を失った後も、慣例で独立国家と同様の主権を有しているとされているのです。実際、ウィーン体制下の1822年に行われたベローナ会議でも、「領土を失っても国家である」と承認されています。

 

「主権実体」としてマルタ騎士団は、世界の約94か国と外交関係する樹立し、在外公館を保有しているなど、ここでも、伝統的に独立国家と同様の主権を持つ組織として扱われています。もっとも、各国に置かれた外交特権を有する在外公館の規模はNGO(非政府組織)の事務所程度のものであるようです。なお、日本はマルタ騎士団を国として承認しておらず、外交関係も持ちません。

 

一方、国際連合には、1994年に、オブザーバーとして加盟しています。、国際法的に、マルタ騎士団は、「(国連において)オブザーバーとして参加するために招待を受ける実体あるいは国際組織」の一ついう位置づけです。同じようにオブザーバーとして国連に参加している機関には、国際赤十字のようなNGOや、EU(欧州連合)やイギリス連邦のような国家共同体、パレスチナ自治政府などがあげられます。なお、オブザーバーの場合、国連総会の議事に参加できますが、主権国家の加盟国と違って投票権を持ちません。

 

また、「主権実体」としてマルタ騎士団の首都(本部)はローマ市で、1834年に設置されました。現在、騎士団事務局が置かれています(騎士団事務局を一種の大使館と見なすという見方もある)。

 

騎士団には領土はありませんが、本部として所有している建物が、騎士団のすべての主権範囲です。本部ビル内は「マルタ騎士団国」として、イタリアから自治と治外法権が認められた領域です。ただし、その建物もあくまでイタリアの主権範囲で、事務局の敷地はイタリア領です。ローマ教会のバチカン市国と違って独立領土としては認められておらず、マルタ騎士団はどこまでも、実質領土のない「国」なのです。従って、マルタ騎士団への「入境」にはイタリア入国とは別の許可が必要となります。

 

人口(団員数)は約1万1千人ですが、ここでいう人口とは団員数(騎士の数)で、騎士団に所属しています。公用語はイタリア語。首長は、騎士団総長で、伝統的にローマ教会より枢機卿の任命を受けます(これは名誉職的な意味あいが強いとされる)。マルタ騎士団のトップ幹部は全員男性で、すべて聖職者ではありませんが、清貧、貞潔、そして法王への服従という誓願を行っているそうです。また、騎士団では記念コインや切手、パスポートも発行しています。

 

このように、マルタ騎士団は、現在、設立当初の目的であった医療従事活動をはじめ、難民が発生したり、災害があったりした地域などで様々な奉仕活動を世界各国で行っています。複数の主権国家とも外交関係を結び、国連にもオブザーバーとして加盟しているほど、今も影響力の大きい団体です。

 

なお、現在、かつてマルタ騎士団が領有していたマルタ島には、騎士団が、1798年にナポレオンによってマルタ島を追われてから、マルタ島に住み着いた人々が、マルタ騎士団とは別の主権国家「マルタ共和国」を樹立しました。フランスの後にこの地を治めたイギリスから独立する形でした。現在、マルタ共和国は、EUに加盟し、ユーロも採用しています。

 

 

<参考>

テンプル騎士団:ソロモン神殿とモレ―の呪文

ドイツ騎士団:北方十字軍・フス戦争・プロシアまで

 

 

<参照>

現存する騎士団!?マルタ騎士団って何?

マルタ騎士団の歴史と成り立ちをご紹介 | マルタ留学FUN!

マルタ騎士団とは (マルタキシダンとは) [単語記事] – ニコニコ …大百科

マルタ騎士団という国 | 地中海の真珠、マルタ共和国へ

マルタの歴史、日本マルタ友好協会

世界史の窓

Wikipediaなど

 

(2020年10月20日、最終更新日2022年6月14日)