中東のカタールは、湾岸諸国の中でも特異な存在です。国土面積や人口では「小国」であるにもかかわらず、パレスチナの問題やテロ事件など世界が混乱する局面で、仲介役を担い解決につなげていく外交力を持ち、国際社会において一定の地位と存在感を確保しています。
このカタールの仲介外交は、日本が世界に果たせる役割を考えるうえでも注目に値します。今回は、そうしたカタール独自外交についてまとめました。
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<カタールの全方位外交>
カタールは、外交の基本方針として、「全方位外交」を標榜しています。全方位外交とは、特定の国とだけ良好な関係を持つのではなく、すべての国と平等な外交関係を保つ外交政策のことをいます。
ただし、どこの国や組織と分け隔てなく仲良くしようという意味ではなく、カタールの場合、安全保障、経済面で不可欠なアメリカとの関係を重視しています。それでも、アメリカだけでなく、アメリカに対立するイランや中国とも関係を保持し、グローバルサウスの国々や、ロシア、ウクライナ双方とも関係を維持しています。
さらに、国際的にはテロ組織と呼ばれているような、ハマス、ムスリム同胞団、イスラム主義勢力のタリバン、ISIS(「イスラム国」)、アルカイダといった、非国家組織ともある程度のつながりを持っています。
こうしたチャンネルを外交カードとして、交渉に使うことによって、カタールは長らく中東地域の紛争の仲介者の役割を果たしてきました。これまでにも、パレスチナ問題に限らず、イエメン紛争当事者間の停戦合意、スーダン・ダルフール問題の仲介努力、アフガニスタンでの和解プロセス支援等、さまざまな紛争や対立、人道的な問題に関して、平和的な解決の実現に向けて尽力してきました。
いわゆる仲介外交は、小国のカタールが生き延びていくための生存戦略にほかなりません。カタールは、色々な国や組織と関係を維持することで、とりわけ有事の際などに必要な、安全保障の安定的な環境を作ろうとしています。
カタールの全方位外交と仲介外交が、諸外国から評価されれば、カタールの国際社会におけるプレゼンスや影響力を高めることができるだけなく、内政面でも君主体制の安定化に資することができます。
もっとも、カタールが特殊な国や特殊な組織との関係を持っていることは、逆にそれがために、敵をつくるという諸刃の剣という側面もあります。そうならないためのバランス感覚や、そうなってしまった場合のリスク管理といった外交力が求められます。
<カタールの独自外交>
では次に、カタールの独自外交の実際を具体的にみていきましょう。
◆ アメリカ
カタールは対米関係を重視しています。ドーハ郊外には、米軍(アメリカ)の空軍基地、「アルウデイド空軍基地」があります。米軍の中東の拠点としては最大で、イラク戦争やアフガン戦争、最近ではISIS(自称イスラム国)掃討作戦において、米軍はここから戦闘機が出撃する拠点となっており、最前線として機能しています。
サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)は、カタールとの関係が悪化し断交した際(後述)、カタールを孤立させるために、カタールのアルウデイド空軍基地に駐留する米軍を自国の基地に移すように働きかける意向を示そうとしたと言われていますが、その計画はすぐに頓挫しました。
サウジアラビアは国内のイスラム過激派の掃討を進めていた2003年に、米軍をプリンス・スルタン空軍基地から追い出した過去があり、危機管理の点で、アメリカが代替に応じることはないとみられています。
UAEにはすでにアメリカのタンカーが寄港し無人偵察機が配備されていますが、アルウデイド空軍基地に取って代わる完全な設備のある軍司令部を提供することは現段階では難しいとされています。
アメリカにとって、カタールは中東戦略上の重要な要地であり、カタールにとっても、敵国からの攻撃に対する強力な抑止力になっています。
◆ 中国
一方、カタールは、対アメリカ依存を鮮明にしていますが、アメリカ一辺倒でもありません。「カタール外交危機」とも称される(後述)、周辺諸国がカタールに対して断交を通告した2017年頃を前後して、カタールは中国との関係強化に動きだしました。
中国とロシアが協力して設立したユーラシアの地域機構である上海協力機構(SCO)へ加盟申請し、2021年9月に対話パートナーとしての上海協力機構への参加が認められることとなりました。
また、2022年10月、カタールに、中東で初めてとなるパンダが贈られ、両国の関係も強化されつつあります。経済面においても、今やカタールにとってLNG(液化天然ガス)の最大の輸出国が中国になっています。
◆イラン
カタールも含めて湾岸諸国は主としてスンニ派であり、シーア派のイランとの関係は必ずしも良好とは言えません。しかも、イランは、アメリカやサウジアラビアと敵対的な関係にあります。
しかし、カタールの独自外交は、対イラン強硬姿勢を貫くアラブ湾岸諸国と一線を画し、対米関係を重視しつつも、ペルシャ湾を挟んで対岸に位置するイランとの関係にも配慮した外交を行っています。逆に言えば、イランとの関係が悪化しない程度にアメリカと上手く渡り合っているのです。
2016年にサウジがシーア派の聖職者を処刑したことをきっかけにイランでサウジアラビア大使館に放火する事件があり、それをきっかけにサウジとイランは国交を断絶しました。その際、バーレーンも、サウジに続き、イランと国交断絶し、UAEは外交関係を格下げしたのに対し、カタールは大使を召還したにとどめ、その後もカタールはイランとの関係を継続しました。
カタールにとってイランは、自国の安全保障を確保する上で重要な存在です。カタールの急速な経済成長を支える天然ガスのほとんどは、イランとシェアする沖合のガス田に眠っており、カタールにとってイランとの良好な関係は、経済的繁栄のためにも必須条件となっています。
サウジアラビア等がカタールと断交した際、サウジは陸路と空路も封鎖しました。食料を輸入に頼るカタールにとっては、生命線を絶たれた形となりましたが、このときイランが、自国の3つの港の利用を許可して、カタールを助けました。
その一方で、2023年9月には、敵対関係にあるアメリカとイランの間で囚人交換が行われた際、仲介をしたのがカタールでした。
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カタールは、エジプトやトルコともに、イスラエルとパレスチナのハマス両方にコネクションを持つ数少ない国です。そのため、中東和平問題に関しても、イスラエル・パレスチナ間の意思疎通にも一役買っています。
◆ イスラエル
現在、イスラエルとカタールは公式な外交関係はありませんが、1996年から、湾岸諸国の中で唯一イスラエルの貿易事務所である通商代表部が、ドーハに置かれていました。しかし、2008年末から2009年初頭にかけてのイスラエルによるガザ侵攻を受け、2009年1月に閉鎖されました。
ただし、その後もパレスチナ情勢への対応やガザ地区への人道支援をめぐって、イスラエルと水面下での外交ルートは維持され、イスラエル・パレスチナ紛争の仲介の努力は続けられています。
◆パレスチナ(ハマス)
カタールは、パレスチナ問題に関しては、同じアラブ人として、基本的にパレスチナ側に寄っています。今回のイスラム組織ハマスによるイスラエルへの奇襲テロで始まったガザ紛争でも、長年ガザを封鎖してきたイスラエル側に完全に非があるという立場の声明を発表し、ガザ地区を実効支配していたハマスを受け入れ、支援しています。
カタールは、外務省傘下のガザ復興委員会を通じて、長年、ガザ地区への人道支援・開発支援を継続して行ってきました(同委員会はガザに本部を置いた)。
カタールとハマスの繋がりには、ハマスが、パレスチナの議会選挙で勝利し単独政権を誕生させ、ガザを実効支配した2006〜07年頃に遡るとされています。また、カタールに住むアラブ人たちも、パレスチナ・ガザの人々への支持や連帯を強く打ち出し、その過程で、ハマスとの関係を深めていきました。
こうした人道支援や、両者の幹部が定期的に会談を重ねる人的交流などの協力・連携によって、カタールとハマスの信頼関係は醸成されていったのです。
ドーハにハマスの政治事務所
2012年には、ハマスによるガザ制圧以後で初の外国元首として、当時のハマド首長がガザを訪問し、ガザ再建のために多額の支援を行うことを表明しました。この年、ハマスはドーハに政治事務所を開設し、ハマスの政治部門の幹部らがカタールを拠点に活動を始めました。ハマスのマシャル、ハニヤ両政治局局長もドーハに滞在していました。
これにより、双方の関係が深まると同時に、ハマスの政治部門を受け入れてきたカタールは、意思疎通をとれる窓口を持ったことで、ハマスの政治事務所と緊密な連携、コミュニケーションをとることが可能となりました。この結果、ハマスとイスラエルの間接的な交渉の促進で重要な役割を果たしてきたと指摘されています。
もっとも、2024年11月、カタール政府は、パレスチナ・ガザ地区の外にいる最高位のハマス指導者やその交渉チームの主要人物はもはやドーハにはいないことを明らかにし、カタールが、ガザ停戦合意の仲介を一時中断させています(ただしこれは恒久的な措置ではないとしている)。
◆ ムスリム同胞団
カタールとハマスの繋がりを、さらに掘り下げていくと、カタールが、1960年代から良好な関係を維持しているイスラム組織「ムスリム同胞団」の存在が浮上してきます。ハマスはもともと、イスラム組織「ムスリム同胞団」のパレスチナ支部を母体とするグループであったのです。
ムスリム同胞団は、1920年代に、イスラムの教えに基づいた社会の実現を掲げて、エジプトで結成された、社会主義運動を源流とするイスラム組織です。同胞団の運動は、アラブ諸国に広がりを持ち、大衆に向けた病院を運営したり、学校を経営するなど慈善事業を中心とした活動を行ったりしています。
その一方で、中東諸国では王族や独裁者による統治によって、大衆が抑圧されているとする立場から、体制転換を目指す政治的な活動も活発で、イスラム過激派の思想的基盤ともなっており、欧米諸国からはテロ組織として指定されています。
2011年の「アラブの春」では、エジプトで、ムバラク独裁体制を打倒する原動力となり、同胞団のモルシ(ムルシー)政権を誕生させました。(その後、モルシ政権は、クーデターによって倒され、2013年から軍出身のシーシ政権となっている)。
このため、エジプトだけでなく、サウジアラビアなど湾岸諸国などは、ムスリム同胞団を否定していますが、カタールの王族は、ムスリム同胞団の活動に一定の理解を示し、資金提供や、亡命者を受け入れるなどの支援を継続させました。これによって、カタールは、ムスリム同胞団の関係を強固にすることができるとともに、同胞団との交渉の窓口役ともなっています。
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ハマスやムスリム同胞団以外にも、欧米からイスラム武装組織、またはテロ組織などとみなされていながら、カタールがつながりを持つグループとして、レバノンのヒズボラや、アフガニスタンのタリバンがあげられます。
◆ ヒズボラ(レべノン)
レバノンのシーア派組織ヒズボラをめぐっても、2000年代にカタール政府の幹部がヒズボラの代表と面会したという報道がありました。ヒズボラはイランの支援を受けていることから考えても、カタールは、ヒズボラと何らかのチャンネルは持っていると見られています。
◆ タリバン(アフガニスタン)
2021年、アフガニスタン情勢が悪化、イスラム主義組織タリバンが首都カブールを制圧し、再び政権を奪取した際、国際社会は対話や交渉の手立てがありませんでした。そういう中で、カタールは、対話チャネルを持つ国として、国際社会(各国)とタリバン政権との橋渡し役(仲介役)を担いました。
こうしたつながりによって、カタールは、イスラム過激派やテロ組織を支援していると国際的に批判されることもありますが、これらのグループとの交渉の場を提供していることも事実です。
たとえば、2015年にシリアで拘束された日本人ジャーナリストが、後に解放され無事帰国した事件がありましたが、このとき、アルカイダ系の過激派とも世俗派の反政府勢力とも指摘された武装集団に、カタール政府が接触し、仲介役を果たしてくれたという事例もあります。
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このように、イランや、ムスリム同胞団、ハマスなどイスラム武装組織との良好な関係を維持することで、カタールは外交チャンネルを増やし、国際社会で存在感を高めている一方、サウジアラビアなど湾岸の王政国家との関係は悪化させました。
◆ サウジアラビア
国交の断絶
湾岸諸国の盟主サウジアラビアは、バーレーン、アラブ首長国連邦(UAE)エジプトとともに、2017年6月、カタールとの国交を断絶しました。これに、イエメン、モルジブ、およびリビア東部を拠点とする世俗主義勢力も加わり、同時、カタールは孤立し、「2017年外交危機」と呼ばれる事態にも陥りました。
サウジアラビアは、カタールが、イランと接近していることや、「ムスリム同胞団」などのテロ集団を支援していること、また、シーア派住民が多数を占めるサウジ東部のカティーフやバーレーンで、イランの後押しを受けていると見られる武装勢力に対して、カタールが便宜を図っていることなどが背景にありました。
2014年にも、カタールがムスリム同胞団を支援したという理由で、サウジアラビアなど3カ国が大使を召還し、外交関係に亀裂が入ったこともありますが、両国には、それ以前より対立が芽生えていました。
根深い対立
今回の断交の発端は、1995年まで遡ります。当時、カタールの皇太子だったハマド(現タミム首長の父)が、外遊中だった父ハリファをクーデターで退けて、自ら首長の座に就いたのです。
この宮殿クーデターに対して、サウジアラビアとUAEは、湾岸諸国の王制の安泰を揺るがす危険な前例として、カタールを批判しました。ハマド首長に対する暗殺計画も立てられたとも噂されています。
また、宗教的な理由もあげられます。カタールは、イスラム教の中でも、サウジアラビアと同じ、厳格なワッハーブ派を国教としているにもかかわらず、カタールでは、女性も自由に車を運転でき、外国人なら飲酒も許されていることなどに、サウジは憤慨しているのです。
さらに、カタールは、自国の衛星放送局のアルジャジーラ(後述)で、サウジに対する批判的な報道を繰り返したことに、サウジアラビアは、アルジャジーラを「プロパガンダ機関」と呼び反発していました。
このように、小国カタールの独自外交が湾岸諸国の体制を危うくしかねないと危惧したサウジアは、カタールとの断交の機会を窺っていたとされています。
経済封鎖
さらに、国交を断絶しただけでなく、カタール航空の航空機をサウジ領空内から閉め出し、サウジ・カタール国境を強化して経済封鎖も発動しました。カタールはサウジアラビア半島から突き出た半島であるため、陸上からの供給がなくなれば、経済的に困窮するかと思われました。
しかし、イランとトルコが支援に乗り出し、カタールへの物資の供給は維持されました。イランはカタール向けに自国の港を開放し、トルコは、サウジアラビアとの対立が激しくならないよう、カタールに軍隊を派遣し、紛争の抑止に貢献してくれました。
すると、これに対して、サウジはカタールとの国境に運河を作り、半島ではなく島にしてしまうとまで宣言するほど、カタールとサウジアラビアの関係は、極度に悪化しました。
国交回復
しかし、断交から、約3年半たった2021年1月、サウジのアルウラで開催された湾岸協力会議(GCC)サミットにおいて「アルウラ声明」が採択され、その年のうちに、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、エジプトの3カ国とカタールとの国交は回復、相互に大使を指名、航空便や貿易などの往来も復活しました。遅れていたバーレーンとも、2年後の2023年4月に、断交状態となっていた外交関係は回復しました。
◆トルコ
2017年外交危機」から助けてくれたことを契機に、カタールはトルコとの関係を緊密にしました。2018年8月、人権問題でトルコがアメリカから経済制裁を受け、トルコ通貨リラが暴落した際、カタールがトルコに融資することで危機を一段落させるなど、現在、両国は同盟国の関係にあります。
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サウジアラビアとの対立は、カタールが所属する地域機構にも影響を与えました。
◆ OPEC(石油輸出国機構)
カタールは、世界最大の液化天然ガス(LNG)輸出国ですが、産油国としてはOPEC第10位前後の日量約60万バレル程度、OPEC加盟国の生産量の2%以下にすぎない「小国」です。それでも、世界の石油市場において、サウジアラビアやその他のOPEC加盟国と非加盟のロシアなどとの調整役として働き、OPEC内で存在感を示してきました。
しかし、OPEC初期からの加盟国であったカタールは、2019年1月に、OPECから脱退しました(発表は前年12月)。天然ガスの生産に注力することを理由で、実際、人口約270万人(移民労働者を含む)という小国のカタールは、限られた人的資源を、クリーンなエネルギーとして需要が伸びている天然ガス(LNG)を軸に、国家の長期戦略を立案したいというグランド・デザインを描いています。
また、カタールは、サウジアラビアがOPECの決定を主導する構図に不満を抱いていたとされ、脱退によって、OPECの生産枠に配慮することなく、財政的な観点から柔軟に石油を生産・輸出できるようにしたいとする意図もあったようです。実際、天然ガスとともに原油の生産も増加させる方針を示しています。
ただ、これまで重い腰をあげられなかったカタールでしたが、2017年にサウジアラビアなど4カ国がカタールと断交したことに後押しされました。OPECを主導するサウジアラビアに対して、カタールが「脱退」というカードを切って、反旗を翻した形となりました。
◆ GCC(湾岸協力会議)
2017年6月、カタールと決定的に対立したサウジアラビアでしたが、カタールも原加盟国となっているGCC(湾岸協力会議)から、追い出すいうところまではカタールを追い詰めておらず、カタールもまたGCCから脱退することはありませんでした。
GCCメンバーのサウジ、UAE、バーレーンと断交中でも、カタールは、GCCの会議には出席し、欧米諸国とGCCが協議をする場にも参加していました。
GCCは、ペルシャ湾岸の王制または首長制をとる、サウジアラビア,クウェート、バーレーン,カタール,アラブ首長国連邦(UAE),オマーンのアラブ6ヵ国が、1981年5月に結成した地域協力機構で、本部はリヤドにあります。
1979年2月のイランのイスラム革命,同年 12月のソ連のアフガニスタン侵攻,80年9月のイラン=イラク戦争の勃発などで、イランによる「革命の輸出」など湾岸地域に安全障上の危機が発生したことが設立の背景です。
現在も、経済協力を第一の目標にしていますが,実際には安全保障上の協力や治安情報の交換などを目的としているとみられています。イラン=イラク戦争ではイラクを支持し,湾岸戦争では反イラクで結束しましたが,湾岸戦争の経験から安全保障面で、GCCのアメリカへの依存は明確です。
2017年のカタールの外交危機において、自国と地域の安全保障の観点で、GCCの枠組みの崩壊を避けることは、カタール、サウジアラビア両国にとって共通認識でもあり、アメリカの「意思」であったことがうかがえます。
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では、湾岸諸国以外の国々との関係はどうでしょうか?かつて、中東・湾岸地域の波乱要因となっていたイラクとの外交についてみてみます。
◆ イラク
カタールは、イラクのクウェート侵攻後に起きた1990年の湾岸戦争では、反イラク(サダム・フセイン)の立場をとりました。
その後、2003年3月の米イラク戦争でフセイン政権は崩壊しましたが、数十年間にわたる内戦や政情不安で、イラクは荒廃しました。その一方で、記録的な石油収入の恩恵もあって、政情の安定とともに経済も回復基調に入り、現在、イラク政府は投資誘致に力を入れています。
こうした状況を受け、カタールのタミーム首長は、2023年6月、イラクの首都バグダッドを公式訪問し、イラクとカタールの両政府間における政治、経済、エネルギー、投資に関する包括的な共同宣言に署名し、さまざまな分野においてMOU(覚書)を締結しました。
現在(2024年4月)、バグダッドにある旧米軍管理領域(グリーンゾーン)で、カタールが出資する高級ホテル、リクソス・ホテルの建設が進んでいることが確認されています。この先、イラクの政情がどのように変化しようとも、カタールとイラクは緊密な関係を維持されることは間違いないとみられています。
このように、カタールの全方位外交戦略にもとづく、独自外交の実際をみてきましたが、カタールは、地域・国際問題の仲介努力に加えて、各種国際会議を開催したり、スポーツの国際大会の招致を積極的に推進したりするなど、カタールという国の存在を世界に示すことに積極的に取り組んでいます。2022年にはFIFAワールドカップを主催しました。また、2006年に続き、2030年のアジア競技大会の開催も決定され、将来的にはオリンピックの開催を目標としています。
<カタール外交の力の源泉>
では、国土・人口において小国であるカタールが、外交という舞台でこれだけの成果と実績を誇れているのはなぜでしょうか?キーワードは、安全保障、経済(資源)、情報です。
カタールは、欧米寄りの国であり、前述したように、中東最大の米軍基地をもっています。これは、ある意味、抑止力によってアメリカから安全が保障されていると言えます。。
カタールは、天然ガスの埋蔵量は世界3位を誇り、世界トップレベルのLNG(液化天然ガス)生産国であり、またLNG輸出です。このため、1人当たり国民所得は世界トップ水準と、資源を背景に、安定した経済的基盤があります。
カタールは、独自の放送局アルジェジーラを運営しています。かつて、サウジアラビアの国営サウジ通信(SPA)を以下のようにカタール政府を批判しました。「カタールは、域内の安定を阻害しようとするムスリム同胞団、ISIS(「イスラム国」)、アルカイダを含む複数のテロリスト・宗派組織を支援し、常にメディアを通じてこうした組織のメッセージや構想を広めている」。その真偽は別にして、世界中にカタール発の情報を発信できることは事実です。アルジェジーラについてみてみましょう。
◆ アルジャジーラ
アルジャジーラは、カタールのドーハに拠点を置く、中東初の国営衛星放送のテレビ局で、中東の報道チャンネルとしてスタートし、世界各国の主要メディアに対し中東のニュースを24時間提供しています。現在では、世界中の70カ所以上に支局や取材拠点を持つ、アラブ系最大のメディアとして「中東のCNN」と表現されることもあります。
1996年11月、当時のハマド首長のポケットマネー、5億カタール・リヤル(1億5000万ドル)の支援を受けて開局され、会長には首長の親戚であるハマド・ビン・サーメル・アール=サーニーが就任し、カタール政府による経営という形がとられました。上記の金額に、富裕な個人投資家からの出資も加わった支援は、開設後5年間の経営資金としてあてがわれ、2001年以降、運営資金は、日本のNHKを含む海外メディアへの映像使用料や広告収入が中心で、独立採算を達成しています。
アルジャジーラが世界的に有名になったのは、2001年9月の米同時多発テロ直後のアフガニスタン戦争の頃からです。この時、国際テロ組織アルカイダの指導者、ウサマ・ビンラーディン容疑者のビデオ声明を相次いで独占スクープし、各国のメディアがそれらを引用したことで、同局の地位は高まりました(もっとも、当時、アルジャジーラとアルカイーダとのつながりが噂された)。
また、戦闘地のアフガニスタンからも実況中継を行い、その後のイラク戦争では、イラク市民の悲惨な様子などを克明に記録し、中東の民主化運動「アラブの春」においても、現地を詳細に報じました
さらに、アルジャジーラは、官製メディアばかりの中東で、政府の発表をそのまま伝えるのではなく、欧米のジャーナリズムの規範を基礎に、独立した取材で、権威主義体制が支配的なアラブ各国政府を、時には批判するジャーナリズムを展開しています。これは、中東市民の政治意識を高めることにも貢献しました。
このように、従来、取り上げられることが少なかった中東情報を、衛星放送を通じてアラブ世界からリアルタイムで発信するなど、これまでCNNやBBCといった先進国メディアが独占的だったジャーナリズムの世界に大きな一石を投じました。アルジャジーラは、中東の核メディアとして位置づけられ、アラブ世界のミドルパワーとして台頭しています。
ただし、アルカーイダなどの過激派を含むイスラム勢力寄りの偏向報道が目立つとの批判もあります。たとえば、エジプトでは、ムバラク旧政権時代に事実上の最大野党だったムスリム同胞団を後押し、「アラブの春」時には、いくつかの反政府勢力を財政的に支援しただけでなく、その反乱を「革命」と報じ煽ったとも伝えられています。
パレスチナ問題でも、長年、イスラエルへの武力闘争を続けるイスラム原理主義組織「ハマス」を、好意的に報じてきたと言われ、パレスチナ自治区ガザでイスラエル軍の侵攻に対して戦うイスラム組織ハマスの代弁者になっていると批判されました。実際、これを受け、イスラエルは、2024年5月、アルジャジーラのイスラエル国内の支局を閉鎖しました。
また、サウジアラビアなど一部アラブ諸国は、アルジャジーラを閉鎖するようカタールに要求する場面が何度もありましたが、カタールがこれに応じていません。カタールが独自外交を行うことを可能にしている要因の一つが、まさに、衛星テレビ局アルジャジーラの存在だからです。
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以上、小国カタールが、アメリカを後ろ盾として、安定した資金力と情報力を背景とした仲介外交によって、世界に一定の影響力を保持し、その力で国を発展させるだけでなく、世界の諸問題に対しても積極的にかかわっている姿に、日本も学ぶべき点が多くあるのではないでしょうか?
(関連投稿)
(中近東の国々を学ぶ)
(参照)
カタールの歴史(在カタール日本国大使館)
イスラムの国カタールの歴史(ドーハ日本人学校)
世界一退屈な街?ドーハ(日本貿易会)
カタール(Wikipedia)
サウジなどアラブ4カ国、カタールと国交断絶
(ロイター2017/06/05)東洋経済オンライン
国交断絶、小国カタールがここまで目の敵にされる真の理由
(2017年6月7日、ニューズウィーク)
中東におけるユニークな存在としてのカタール
(2018.10.28、朝日新聞GLOBE)
イスラエル人質交渉 なぜカタールが仲介?ハマスとの関係は?
(2023年10月31日、国際ニュースナビ)
カタールとパレスチナ、ハマス指導部は「もはやドーハにいない」
(2024年11月20日、BBCニュース)
もう無理!カタールが「OPEC」を脱退した事情サウジの「いじめ」に反旗を翻した
(2018/12/04、東洋経済)
本格化する湾岸諸国のイラク投資、イラン次第で事態変動も
(2024年4月7日 ロイター)
世界のテレビ局「アルジャジーラとは」
(メディアポ ホームメイトリサーチ)
あのアルジャジーラが嫌われるワケ… カタール断交でサウジなど閉鎖要求
(大内清の中東見聞録、2017/8/23)
アルジャジーラ(Wikipedia)
投稿日:2025年4月16日