蝦夷と琉球

蝦夷

 

倭人の蝦夷地(北海道)への進出は、江戸時代になってから始まった。当時、松前氏が現在の函館付近を根拠地としてアイヌとの交易を開始した後に、蝦夷地まで勢力が及んでいく。

平安時代において大和朝廷の勢力範囲はせいぜい現在の岩手県の中部地方までであった。

 

松前氏は、かつて○崎氏といい、戦国時代の後半のアイヌの反乱から唯一生き残って勢力を拡大した氏族である。

 

松前氏が本格的に蝦夷地の南端部分を支配するのは、江戸時代になってからである。

屯田兵制度が設けられたのも、明治以降に困窮した士族の救済を図るためであった。北海道に開拓使が置かれるのも、明治以降である。

18世紀にロシアが蝦夷地まで勢力を伸ばすと、幕府は開拓使かつ箱館奉行所にある五稜郭を設け、北方の防備を固めた。?

 

日本とロシアとの間で樺太国境問題が長らく懸案となっていたが、19世紀後半に樺太・千島交換条約が結ばれ、樺太をロシア領、千島全島を日本領とすることが定められた。また、帰属問題が未解決であった小笠原諸島については、日本がその領有を宣言し、アメリカ合衆国などに認められた。

 

 

琉球

 

沖縄本島(琉球)では三山と呼ばれる三つの勢力が長期にわたり分立していたが、15世紀に、中山王の尚巴志が琉球を統一し、琉球王朝を成立させた。この王朝は、明や日本、東南アジア諸国との中継貿易を主として栄えた。

 

琉球王朝は江戸時代を通じて存続した。琉球が完全に日本の領有の下に置かれるのは、明治になって琉球藩?が設置され、その後沖縄県が置かれてからである。